サイキックチャネラーのウィリアム・レーネンさんと、作家の吉本ばななさんの対談&レーネンさんの語りの二部構成になっている「超スピリチャル次元・ドリームタイムからのさとし」という本を読んでみました。
お二人には長い交流があり、対談は面白かったです。
でも、ちょっととりとめがないので、レーネンさんのこの一文だけをご紹介することにします。
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(引用ここから)
「自殺・・他の選択肢よりも良い悪いではなく、その原因をみつめることが重要」
過去60年間で、自殺率は高まっています。
先進国に近づけば近づくほど、自殺率も高まっています。
多くの人は、自殺をすることは、魂に対する罪であると考えます。
これはもう一度、考えなおす時期だと思います。
自殺をしても、その魂が地獄、暗闇に行くわけではないのです。
自殺とは、人が行う選択の一つであって、他の選択肢よりも良い、悪いということはありません。
スピリットワールドに行けば、魂は平等に扱われるのです。
魂が、次の転生に準備ができれば、前の人生での死がどんなものであったかは関係ないのです。
人が困難な状況を経る時、状況にどう対処するのかの選択枝は、一つ以上あるのです。
自殺は、すべての人間に開かれた多くの選択肢の一つなのです。
自殺をした人に対して、多くの人はネガティブな判断をします。
人が選択したことを、ポジティブ、ネガティブと決める権利は誰にもありません。
自殺にまで至った状況を見つめることが重要なのです。
自殺へ至る原因はしばしば家族による支配、または良い、悪いという家族による判断、社会的状況によるものなのです。
多くの親は、子供たちの教育に期待を持ちます。
特定の希望にフィットする子供であることを希望します。
でも、学歴やキャリアとは関係のない理由で生まれる子供もいます。
子供にとって適切ではないパターンを強制されると、子供は精神的に病んでいきます。
子供はそれぞれに異なるのです。
子供の個を無視し、あまりにもプッシュしすぎると、子供はさまざまな逃避をするようになります。
現在、みずがめ座の時代には、過去に機能してきたやり方からシフトしなければならないのです。
病気になり、治療法がない時があります。
よくなるという希望がなく、長い間苦しむのではなく、新しいカルマを作らずに、人生を終了することがあるのです。
病気の人は、機嫌が悪くなるか、落ち込むか、怒り、そのエネルギーを自分の人生にいる人たちに向けるのです。
このようなネガティブな感情を表現すると、これが自分と、愛する人たちへのカルマになるのです。
病気の人が自殺をする場合、威厳と優雅さを持って、これは許されるべきことなのです。
人が、自身のこの人生への魂の意図に従って生きていないと思う場合、ネガティブな行動、または自殺を選択します。
家族や友人が、人生で選択することを好きになる必要はありませんが、選択する権利を認めてあげなくてはならないのです。
自殺をしない人はたくさんいますが、その代わりにネガティブなことをして生きることを選択しています。
ネガティブに生きることを選択すると、自殺をするよりもカルマをもっと創造します。
多くの人は自殺をすることを恐れているので、緩慢に死を招くことを選択しています。
現実逃避のために飼食、喫煙をすることも緩慢な自殺です。
アルコール、ドラッグの依存症者は、人生に不満があります。
人生に変化を起こすのではなく、ゆっくりとした自殺を選択しているのです。
考え方を変えるサポートを、私たちはする必要があります。
人を平等に扱い、人の選択に邪魔をしないことを学ぶ必要があるのです。
自殺を止めたいのであれば、まずはこの世界をすべての人にとって、個を許される安全な場所にしなくてはなりません。
親は、古い子育て法は終わり、新しい方法が必要であることを理解しなくてはならないのです。
(引用ここまで)
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>自殺とは、人が行う選択の一つであって、他の選択肢よりも良い、悪いということはありません。
スピリットワールドに行けば、魂は平等に扱われるのです。
>人が選択したことを、ポジティブ、ネガティブと決める権利は誰にもありません。
最近、判断するということに躊躇を感じることがあり、こんな文章が目にとまりました。
なにが良くて、なにが悪いか、ほんとうに人それぞれで、人のことはその人に任せるしかないのだろうかと思うことがあります。
ユングの言葉に、「おそらく無意識は意識を推し進めようとしているのだ」というような言葉があったと思います。
意識は無意識の大海に浮かぶ小舟のようなもので、無意識は全体として、意識を良い方向、進化する方向、より冴えた意識にするような作用をもっているのだろうと思います。
世界は無意識でできている。
全体に対する信頼さえあれば、意識は恐れることなく生きてゆくことができるのではないかと思います。
>自殺を止めたいのであれば、まずはこの世界をすべての人にとって、個を許される安全な場所にしなくてはなりません。
個を許される安全な場所、、まさにそれが大切なのだと思います。
二人で四畳半に暮らしたことがありますが、さすがにきつかったことを思い出します。
人にはある程度の、その人のためのスペースが必要なのだろうと思います。
物理的な空間のみならず、心のスペースも、その人がゆったりと息を吸って大丈夫だと思える安全なスペースが確保されなければいけないのだと思います。
その心のスペース探しが人生の楽しみでもあると思いますが、苦しいんだ、楽しくない、という場合はどうするか、というのが問題です。
その場合には自殺も一つの選択肢としてOKだ、というのが、この著者の述べているところです。
著者と吉本ばななさんは、タイトルにもある「ドリームタイム」という意識空間の友人であるようで、そのような意識空間においては、生きていることも死んでいることも大差ないようです。
行き詰った時には、ちょっと思い出してみようかな、という言葉でした。
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