年の瀬の恒例の「日本流行語大賞」に「日本死ね」、、ですか。。
昔はそういう言葉を使ったら、お母さんに叱られたものですが。。
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「つるの剛士さん「保育園落ちた日本死ね、が流行語大賞なんて…」産経新聞2016・12・02
タレントのつるの剛士さんが自身のツイッター上で、「保育園落ちた日本死ね」の流行語大賞トップテン入りに「とても悲しい気持ちになった」と投稿し、議論になっている。
つるのさんは2日、「『保育園落ちた日本死ね』が流行語。。しかもこんな汚い言葉に国会議員が満面の笑みで登壇、授与って。なんだか日本人としても親としても僕はとても悲しい気持ちになりました。
きっともっと選ばれるべき言葉や、神ってる流行あったよね。。皆さんは如何ですか?」(原文のまま)とツイートした。
1日に「2016ユーキャン新語・流行語大賞」が発表となり、トップテンに「日本死ね」が入っていた。
都内で開かれた授賞式には、国会でこの問題を追及した民進党の山尾志桜里衆院議員が、満面の笑みで登場。表彰され「年の締めにもう1度スポットライトが当たり、うれしい」と喜んだ。
「日本死ね」は匿名のブロガーが保育園の抽せんに落ちた怒りをつづったもので、一部のメディアが大きく取り上げて反響を呼んだ。
選考理由は「このフレーズが先導するようにして大きな社会問題を現出させた」(選考委員会)というもの。
つるのさんの投稿に対し、「私も全く同じ」などと同感する意見が多数寄せられ、一部、「この言葉のおかげで待機児童の問題に政府が本気で取り組んだ」として、「日本死ね」の騒動を肯定的に評価する声もあったが、
「民主党(当時)政権より改善されてますよ」「以前から政府は取り組んでました」などと百家争鳴の議論になっている。
つるのさんは「保育園落ちた…」のつぶやきの直後に、「皆さん朝からイヤな気分にさせてごめんなさい!今日の素晴らしい神ってる富士山です。皆さんもお勤めいってらっしゃい!」と、富士山の写真とともに投稿した。
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やまゆり園障がい者大量殺傷事件と思想的に関わりがあると言われるナチスドイツの障がい者殺戮を記した本として、
引き続き、ヒュー・G・ギャラファー著「ナチスドイツと障害者「安楽死」計画」のご紹介を続けます。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
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(引用ここから)
ヒトラーは1939年の初めに、特に「安楽死」の問題に関心を寄せた。
ナチス党員から陳情を受けたのである。
父親が、障害を持つ自分の娘の殺人を求めていた。
ヒトラーは、自らの従医に調査させた。
彼は状況を判断した。
彼の言葉によれば、子供は盲人として生まれ、白痴、少なくとも白痴であるように見え、片足と片腕がなかった。
ヒトラーは家庭医に安楽死を施すべく従医に命じた。
ヒトラーは「両親がこの安楽死の結果によって将来、罪を負っていると感じないようにしなければならない。仮に法的処置がこの殺人の関係者に対して持ち上がった場合には、ヒトラー自身が握りつぶす」と法務大臣に意向を伝えている。
この「安楽死」の初めてのケースで、パターンが形成された。
その子供が実際に知的障がいなのかどうか、関係者の誰も知らない。
あやふやな観察に頼るだけでは、幼い盲目の子供が知的障がいなのか判断するのは困難、いや無理である。
子供がなにを希望しているのか、教育や補助具の利用で、どういった生活スタイルや生産性を持てる可能性があるのか、誰も尋ねたり、考えたりしなかった。
他のドイツ市民と同様にこの娘にも法的保護が及ぶ、という事実は考慮されなかった。
娘の状態が遺伝的なものかどうかも考慮の対象とならなかった。
彼女は「慈悲の行為」として殺された。
両親の便宜と医者の法的保護だけが、配慮の対象だった。
この少女の事例が医学関係者間で知られるにしたがって、同様の依頼が他の家族から舞い込むようになった。
指導者に自分の家族が殺されるよう陳情すること自体が、当時のドイツ社会についてなにかを物語っている。
生物学的に卓越したドイツの能力を保存できるかどうかが、ヒトラーの気がかりだった。
ドイツ国民を強化し、「雑種化」から防ぐのを望んでいた。
ヒトラーの偏執症的な観点からすれば、ドイツ人は外部の敵と内部の汚染から脅かされていた。
汚染はユダヤ人やジプシーからだけでなく、劣等で欠陥を持つドイツ人、つまり「梅毒病者、結核患者、遺伝的変質者、肢体不自由者、クレチン病患者」からであった。
これは「わが闘争」にあるリストである。
こういった人々は劣弱な遺伝子の産物とされ、健康なドイツ人との間に子孫を作るため、ドイツ民族の遺伝子群を弱める恐れがある。
存在すること自体がドイツ民族の力を損ない、弱める。
しかし、優生学者と社会ダーウィニストの科学としての自負にもかかわらず、「不適者」の分類はなかった。
犯罪者、娼婦、盲人、麻痺者、「知的障がい者」全員が、対象者とされ、「不適格」とされた。
皆、劣った遺伝子の持ち主とされた。
性格面での退廃と「肉体的欠陥」は、遺伝と見なされ、訓練は無意味だった。
劣等な遺伝子を持つ家系は、犯罪、売春、麻痺、狂気といった欠陥を生み出しがちだ。
この種の考え方により、当然ながら「障がい者」と家族は、恥を感じ当惑した。
「障がい」は、遺伝的劣勢の印となった。
中流家庭は、「知的障がい」の子供や麻痺者を、ブラインドを下した部屋に閉じ込め、人目につかないようにした。
「障がい者」は、恥ずべき存在となった。
科学者の言うことが本当ならば、「障がい者」の家族すらも恥ずべき存在となった。
「肉体的奇形」を「悪」と結びつける傾向は、「犯罪人類学」という形で世紀の変わり目に表面化した。
欧米で、犯罪者には解剖学的特殊性がある、と主張する出版物が多く見られた。
悪い少年は、悪く生まれたのであり、更生の可能性はない。
「障がい者」は言語を絶する悪をすでになしたか、これからなそうとしているに違いないと、昔から信じられているが、「肉体的欠陥」と犯罪性の関連付けもその一例にすぎない。
何が、文明社会の弱者を構成するのか?
何が、社会での生存を意味するのか?
混乱があったのを指摘したい。
世紀の変わり目は、欧米工業世界の知識層が、自信に満ちていた時代だった。
独善の域にまで達していた。
自分たちの「帝国」が、地球の表面を覆っていた。
彼らは悪人ではなかったが、極端なまでに傲慢だった。
増大する犯罪者群、狂人、麻痺群へのアメリカの社会的対策は、単純だ。
ただ、「断種」による増加の抑制であり、理想的には彼らの強制収容である。
「不適」とはなにか?
「断種」の対象となる遺伝子かどうか、といった点には、州ごとに違いがあった。
各州では多くの混乱もあった。
どの法律で「知的障がい者」、「慢性の精神病者」、「てんかん者」は対象となったのか?
犯罪者の「断種」は、道義的に正しいのか?という論争が続いた。
犯罪者の子孫は、犯罪者と同じように邪悪であると、断種支持者は訴え、「退廃した者、邪悪な犯罪者の子供として精神的、道徳的、肉体的に阻害され、日の目を見る前に呪われ、誕生前にハンデキャップを負い、この世に生を受ける不幸で救いようのない子供たち」であると称している。
ここでも「身体的障害」は、道徳的腐敗の明らかな隠喩となっている。
計画の当初の規定は、控えめな計画が想定されていた。
慎重な鑑定の手続きがあるはずだった。
しかし現実には、無差別の皆殺しだった。
医者がすすんで殺人計画に参加した心理的理由は、複雑である。
ただここで言えるのは、計画の構造に参加を容易にする要素があった点である。
責任がはっきりする段階がなかった、のである。
患者が死の決定を受けるという、はっきりした段階がなかった、のである。
どの時点でも、どの医者が患者の死に責任がある、と言えなかった。
死者の灰は焼却炉から掻き集められ、骨壺に納められ、遺族に送られた。
骨壺の外側には、番号が刻みこんであった。
しかし一人の犠牲者の遺骨と他の犠牲者の遺骨を区別しようとは、誰もしなかった。
骨壺を受け取った遺族は、手紙の文面からも当然自分の家族の遺骨と思い込んでいたが、実はそうではなかった。
「身体障がい者」と「精神障がい者」の殺人計画は終わらなかった。
ドイツ全土の医者は、生きるに値しない生命しか持たない患者に「最終的医学援助」を執行し続けた。
殺人は続き、基準や決定機関が鑑定委員会や鑑定医の手から離れ、現場の医者に移っただけだった。
「知的障がい者」や「奇形」の子供が殺された。
「子供計画」は相変わらず続いた。
占領米軍の記録によれば、終戦までどころか、終戦後も一定期間続いたのである。
疎開先で、患者たちは医者の手にかかった。
「精神病者」は、地元の親衛隊や警察により射殺された。
(引用ここまで)
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陰鬱な記事を続けてすみません。
ただ私は「やまゆり園事件」は非常に重大な問題をはらんでいると思うので、記事を集積しておきたいと思っているだけです。
他のテーマと同様、あとで調べる際に、資料の保管庫として使えるようにしようと思っています。
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