グラハム・ハンコックは魅力的な作家で、何冊も読んでいるのですが、それら彼の著作を俯瞰する形でまとめられた対談本を読んでみました。
題名は「人類の発祥・神々の叡智・文明の創造・すべての起源は「異次元(スーパーナチュラル)」にあった」というものです。
「スーパーナチュラル」と題された彼の最新作の宣伝用のイベントに合わせて、徳間書店から出版されています。
個別の本は改めて研究したいと思いますが、このテーマに至るまでの彼の仕事が並んでいますので、ハンコックの仕事をざっと眺めてみたい、という気持ちで、この本を読んでみました。
対談の相手はエハン・デラヴィ氏です。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
最初は「神の刻印」(1992年)の、エチオピアに眠る古代イスラエルの宝「契約の箱」をめぐる話し合いです。
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(引用ここから)
○エハン・デラヴィ
グラハムさんは、これまでの多数の著作のなかで古代文明の知られざる叡智を紹介してきました。
「神々の指紋」は日本でも話題になりました。
そもそも古代文明を調査しはじめたのは、エチオピアでのある体験がきっかけだったそうですね?
○ハンコック
話は20年以上前になります。
わたしはケニアのナイロビに勤務していました。
1980年代のエチオピアは紛争や飢饉の話題などで、特派員として出かけることが多かったのです。
そしてエチオピアの文化の中心に横たわる、驚くべき伝統に出会ったのです。
エチオピアは古くからキリスト教の国でした。
イギリスより前にキリスト教に改宗しました。
原始キリスト教の風習のいくつかは、現在でもそのまま残っているのです。
エチオピア正教会は、紀元前の遺物をいくつも持っていると主張しています。
エチオピア正教会内部にあって、すべてについて中心的で原理原則そのものとされる紀元前の遺物とは、「契約の箱」です。
映画「レイダーズ 失われたアーク(聖棺)」のインディ・ジョーンズで有名になった「契約の箱」そのものであるというのです。
「契約の箱」は「旧約聖書」でも、極めて中心的な伝説となっています。
「旧約聖書」の初めの方のモーゼ時代に、〝木材と金属の棺からできており、神が自らの手で「十戒」を書いた2枚の石版を持つ″と書かれています。
それは〝2枚の石版がついた単なる箱″以上の意味があり、地上に存在する神の化身とされていました。
更に神の証しとしての「契約の箱」は、モーゼに導かれてイスラエル人が「約束の地」を獲得するために使われた戦争用のおそろしい道具でもありました。
「旧約聖書」には、〝イスラエル人はこれで人々を打ち殺し、悪性の腫瘍を彼らの敵に与える″といった髪の毛が逆立つようなすごい描写が書かれています。
そしてこの箱は、紀元前950年ごろ、エルサレムにあるソロモン神殿に安置されました。
しかしその後この箱についての記述は「聖書」の物語から、不思議なことに消えてしまいます
語られることはまったくなく、紀元前587年ごろには、なんとそれが神殿から消えてなくなってしまった、との記述があるのです。
そこにはもう無いので、歴史家や学者たちは皆これを「失われた遺物」だと認識しているのです。
1980年代初頭、わたしはエチオピアで、その「失われた契約の箱(アーク)」の伝説を聞いたのです。
エチオピアの文化を調べたならば、「契約の箱(アーク)伝説」を無視することはできません。
事実エチオピアにあるすべてのキリスト教会には、2万以上の各教会の至聖所(宗教的建築物のいちばん神聖な場所)に「契約の箱」のレプリカあるいはそのシンボルがあるのです。
もしそれが取り除かれたら、その教会は教会でなくなるほど重要な意味を持っています。
そしてその本物の「契約の箱」が実際に保管されているという場所、それがエチオピアのアクスムです。
わたしがジャーナリストとしてこの伝説に出会ったきっかけはアクスムを報道したことでした。
そしてそこで「契約の箱」の守り神のような番人に会いました。
「契約の箱」の番人はとても負担の大きい仕事です。
なぜならいったん司祭が「契約の箱」の番人として任命されると、「契約の箱」のある場所から数メートルのところで一生暮らさなければならないからです。
そしてわたしは、この古代から抜け出てきたような番人に、有無を言わさず感動させられました。
深く探り始めるにつれ、エチオピアの人々が「契約の箱」を所有すると主張するミステリーには、関連する話が他にもあることに気づき始めました。
そのうちの一つ、非常に重要なものは、古代エチオピアでのユダヤ人コミュニティの存在です。
彼らエチオピア系ユダヤ人は「素性の知れない人」、「イスラエルの家」と呼ばれています。
言葉や外見の点で他のエチオピア人となんら区別がつきませんが、彼らの信仰はユダヤ教です。
しかも非常に古い時代のユダヤ教の様式を、今でも持っています。
わたし達が常識的に知っているようなユダヤ教ではありません。
近代のユダヤ人が使っている「タルムード」を彼らは知りません。
彼らが知っているのは「トーラー(「旧約聖書」のうち「創世記」・「出エジプト記」・「レビ記」・「民数記」・「申命記」の「モーゼ5書」)」だけです。
2000年来、ユダヤ人はもはやソロモン神殿が無いので、犠牲を捧げる習慣を捨て去ってきました。
しかしその習慣はエチオピアのユダヤ人によって、いまだに実行されているのです。
それはあたかも「旧約聖書」の一部が保存されたような世界でした。これらの人々はどこから来たか調べなければならない。
聖書研究者から支援を受けながら私が考えたことは、古くから信仰に忠実だった聖職者たちは、異教の偶像崇拝によるしきたりの穢れの中に留まることに耐えられなかったのではないか?、ということです。
それで彼らは「契約の箱」を至聖所から運び出さなければならなかった。
そしてちょうど同時期、紀元前650年頃に不思議なことが起こります。
エルサレムから遠く離れたエジプト南部の、現在ではアスワンと呼ばれる町の近くのエレファンテネ島で、突然ユダヤ教神殿が建造された。
これは偶然ではないと確信します。
その後の200年、神殿はそこにありましたが、紀元前400年頃、また破壊されます。
彼らは「契約の箱」を担いで、ナイル川水系を南へと逃げた。
そして青ナイル川の源のタナ湖があるエチオピアの高原までひたすら進んだ。
だからタナ湖はエチオピアでのミステリーの核心なのです。
現在も、そこにはとても古い修道院があります。
彼らの話によれば、こういうことです。
・遠い祖先たちは、以前はユダヤ人だった。
・祖先達は紀元前400年頃、「契約の箱」をエチオピアのタナ湖の島まで運び、安置した。
・エチオピアがキリスト教に改宗する西暦200年代まで、その島に存在した。
・その時期、キリスト教に改宗したエチオピアの王がタナ湖に来て、無理やり「契約の箱」を奪い取り、はるか遠くの首都アスクムまで運んだ。
・以来「契約の箱」は、ずっとアスクムにある。
エチオピアに、古来の「旧約聖書」のしきたりを守るユダヤ人が今でもいることと完璧に一致します。
そして、ユダヤの遺物が、なぜエチオピアのキリスト教に吸収され、教会のシンボルになったのかを理解できるのです。
(引用ここまで)
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