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西と東の世界が一つであるビジョンをもつ・・マニ教とは?その4

2010-10-24 | マニ・ゾロアスター


ミシェル・タルデユー著「マニ教」を読んでみました。
続きです。。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどからご購入になれます。


    *****

(引用ここから)

マニは生涯の最初の25年間、エルカサイ派の洗礼運動に所属していた。

彼が4才の時に、かれの父親はこの派の共同体にいた自分のもとへ、息子を呼び寄せた。

「ケルンのマニ写本」には次のようにある。

「その頃、わたしはその洗礼集団に入り、以後その中で育った。

わたしは肉体的にまだ幼かったので、光輝くイエスから私の世話役を命じられた光の天使たちと大いなる諸力たちによって守られていた。

そのようにしてわたしは4才から体が成熟を迎える時まで、この上なく神聖な天使たちと神聖な諸力たちの手で保護されていた。」


マニが12才の年を終えた時、天啓が彼に下った。

それはマニの弁によれば、「光の園の王」から来たものだった。

その天啓をもたらした天使の名はアル・タウムと言った。

それは「同伴者」という意味である。

この言葉はヨハネ福音書では“パラクレートス”と呼ばれるということを示しながら、著者は

「活けるパラクレートスが私のもとに降りてきて、わたしと親しく語った」と述べる。


マニがやがて予言者へと成長してゆく上で、シリアのキリスト教徒たちが使徒トマスに関して伝えていた名前と伝説とが関係してくる。

すなわち、この使徒トマスの名“トマス”は「双子」を意味している。

(トマスはイエスの双子の兄弟である、あるいはそうみなされている。)

そして彼の名前を冠した福音書はこの時代の近東に見られたさまざまな形態の信仰的敬虔のすべてを培っていたのである。


その後の12年にわたってマニは彼の秘密、すなわち「天的同伴者」から彼に示された奥義を熟成させていき、じょじょに地上の仲間たち、つまりエルカサイ派の者たちとの葛藤に入り込んでいく。


「ケルンのマニ写本」は次のように述べている。

「わたしの体が成熟に達した頃、あの極めて美しくまた崇高なわたしの鏡像が突然わたしの目の前に降り立って現れた。

わたしが24才のとき、至福なる主はわたしを憐れまれ、御心のままにわたしをお呼びになり、ご自分のもとから私の双子の兄弟を私のもとに遣わされた。

その兄弟はやってきて、私を救い出して、隔離し、私がそれまでその中で育ってきた律法の世界から私を引きだした。

そのようにして主は私をこれらの人々の中からお選びになり、引き離し、そして召されたのだ。」


ケルンのマニ写本は語る。


「聖なる書物が語っている“清さ”とは、光と闇、死と命、生ける水と死せる水を互いに分ける術を知っていることから来る“清さ”である。

ごらんなさい。あなた方が実践するように命じられているのは、真にあるべき“清さ”のことなのだ。」


マニの著作「シャープーラカーン」には、こう書かれている。


「知恵と認識は神の使徒たちによって、時代から時代へと絶えることなく継承されてきた。

たとえば過去のある時代には、ブッダという名の使徒の仲立ちにより、インドの国にそれは現れた。

また別のある時代にはゾロアスターを仲介者としてペルシアの国に、

さらにまた別の時代にはイエスを仲立ちとして西方の国に現れた。

続いて今この時代にはこの私、すなわち真理の神によってバビロニアの国につかわされたわたしの仲立ちによって、この天啓が降り、この予言が示されたのだ。」


(中東)世界の叡智と科学のすべてを担うこの予言者論は、マニその人によるマニ教の核心そのものである。

マニの独創性は、教義構造としての二元性にあるのではなく・・・これはやがて彼の弟子たちが作り上げることになる・・・むしろ全世界を視野に収めた予言者論に基づく一つの教会論を作り上げたことにある。



「これまでの宗教はどれもただ一つの国、ただ一つの言語のためのものだった。

私自身の有する宗教はこれとは反対に、あらゆる国々、あらゆる言語で表現され、はるか遠隔の国々でも教えられるものだからだ。

「西方で教会を選んだもの(イエス)は、その彼の教会は東方世界には至らなかった。

東方で教会を選んだもの(仏陀)は、その教えは西方世界には至らなかった。

わたしの教会について言えば、わたしはそれが西方世界に到達するのと同じように東方世界にももたらされるように事を運ぶ。

その教説の声があらゆる言語で聞かれ、あらゆる都市で語られるだろう。

なぜならこれまでの教会は特定の場所と特定の都市のためにしか作られていなかったからだ。

わたしの教会があらゆる都市に至り、その福音があらゆる国に達するように、わたしはそれを運営する。」


西暦273年シャープール一世が崩御した時、マニはササン朝ペルシャ一帯に彼の信徒共同体を網の目のように張り巡らしていた。

しかしその後まもなく、当時の国教であるゾロアスター教の勢いが増し、もはやマニは表舞台から立ち去る道しか残されていなかった。

以後、その舞台ではこの世の強者たちの統治が、マニなしに、または彼に対抗して演じられていることになるだろう。

ただちにマニはこの容赦ない勝負において自分が敗北したことを認識した。

わたしの意見では、マニ教の詩歌と説教に認められる厭世主義と二元論の過激化の傾向、またそれと同時に「巨人たちの書」のマニ版の起草も、まさにマニのこの苦悩の時期の文脈に適切に位置付けることができると考える。

彼は最も有名な黙示録=エノク書によってあまねく知られていた聖書物語の言葉遣いに包んで、暴君の非行を物語り、来たるべきその衰退と没落を予言したのだった。


(引用ここまで・続く)


       *****




この本の著者は、

「マニ教はかくしてササン朝ペルシアにおいてゾロアスター教に敗北し、歴史から姿を消した」
と書いているのですが、

別の著者によれば、
「マニ教はペルシアから撤退し、その後各地に広がった」
となります。


マニは伝道を始める前にインドに渡り、仏教を学び、教義に取り入れた、という説もあります。

この本の著者は、マニがインドに行ったのは、仏教を学びに行ったのではなく、トマス派のキリスト教の僧院に伝道に行ったのだと書いています。

おそらくそうなのだと思います。

マニ教は仏教よりは異端派のキリスト教にはるかに近いと思います。


ですから、先日発見された「マニ教の宇宙図」の世界観に見られる東洋的な画風が形成されるまでには、ここから先に、はるかな道のりがあるのではないかと思います。

マニ教と仏教の接点というテーマは、大きいですが、キリスト教的文脈ではここから先が見えなくなります。

マニ本人が言うように、マニ教が「西方世界と東方世界を一つにするよう事を運んだ」のだとすれば、東洋的文脈による解読ともつなぎ合わせることができるのではないか、と思います。





wikipedia「使徒トマス」より

使徒トマス( 生年不詳 - 72年12月21日)は、新約聖書に登場するイエスの使徒の一人。

アラム語の原義は「双子」。

彼に由来する男性名としても一般的に用いられている。

ディディモ (Didymus) は「双子」をギリシャ語に訳したもの。

ロシア正教会とその流れを汲む日本ハリストス正教会ではフォマ 。

福音書の一部写本や外典に「ユダ・ディディモ」とあり、本名ユダのあだ名とも考えられる。

「双子」の名がなぜ付いたか、誰と双子なのかは不明。

使徒トマスに関して、新約聖書では十二使徒の一人として挙げられるほかは、『ヨハネによる福音書』に以下の記述があるのみである。

『ヨハネによる福音書』では情熱はあるが、イエスの真意を理解せず、少しずれている人物として描かれている。(ヨハネ11:16参照)

ヨハネ20:24-29ではイエスが復活したという他の弟子たちの言葉を信じないが、実際にイエスを見て感激し、「私の主、私の神」と言った。

またイエスのわき腹の傷に自分の手を差し込んでその身体を確かめたとも。

これを西ヨーロッパでは「疑い深いトマス」と呼ぶ。

この故事は後世、「仮現説」に対し、イエスの身体性を示す箇所としてしばしば参照された。

またトマスの言葉はイエスの神性を証するものとして解釈された。

そのような解釈では、トマスの言動はイエスが神性・人性の二性をもつことを証ししたと解される。

正教会では「研究を好むフォマ」と呼び、復活祭後の主日を「フォマの主日」と呼んで、八日後にトマスがイエスにあった際の言動を記憶する。


新約外典の『トマスによる福音書』はトマスの名を冠しているが、本人の作ではなく、彼を開祖と見做した集団(キリスト教トマス派)の誰かによって書かれたものと考えられる。

『ヨハネによる福音書』における上記トマスの批判的な記述は、『トマスによる福音書』による教えに反論するために書かれたものであると、エレーヌ・ペイゲルスは指摘している。


トマスはインドまで赴いて宣教し、そこで殉教したとされているが、史実的な裏づけはない。

しかし、『トマス行伝』にインドの王として記録されているグンダファルという人物が、近年発掘された当時の貨幣によって実在していたことが判明した。

また、この時代から海路を通したインド貿易が行われていたため、インドに渡ったというのはまったくあり得ない話ではないといわれている。

インドでは、トマスはトマの名で呼ばれ、トマが建てたという伝承のある教会がある。



wikipedia「エノク書」より

「エノク書」または『第一エノク書』は、紀元前1~2世紀頃成立と推定されるエチオピア正教における旧約聖書の1つ。

エノクの啓示という形をとる黙示である。

多くの文書の集成であり、天界や地獄、最後の審判、ノアの大洪水についての予言などが語られており、天使、堕天使、悪魔の記述が多い。

『第一エノク書』は元々アラム語か、またはヘブル語で書かれていたらしい。

現在エチオピア語訳が現存しているが、19世紀にエジプトにおいて、ギリシア語でかかれた『エノク書』の断片が発掘された。

しかし、スラブ語訳・エチオピア語訳共に、原本の通りに訳されたわけではなく、様々な記述が加えられている。

書かれた当初は広く読まれたらしく、教父達の評価も高かった。

初期のキリスト教の一部やエチオピア正教では『エノク書』は聖書の一部とされる。 他では偽典とされる。


・・・・・・



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