「ノストラダムスの予言」の再来で、なんでも
「マヤ暦の予言」によると、世界はそろそろ滅亡
するんだそうな。それを回避しようと、どくろを
手に持ったアンデスの呪術師たちが「♪あーこり
ゃぁ~、なんだぁこりゃ~」と踊って歌う儀式を
しているんだそうな
霊験あらたかな儀式のご利益で、世界から紛争と
病気が滅んで、世界は平和になるんだそうな
ありがたや、ありがたや~
これを、未開の地の住人の“祈祷”と同じ「原始宗教」と
有名学者などは笑うが、これがなかなか笑えないのである
何故なら、彼ら自身も、この「原始宗教」の信者だからだ
例えば、今年も初詣に大勢の人間が参拝している神社(神道)も
もともとは自然崇拝から始まったもので、「教義」などの宗教の
根幹・理論体系が皆無の原始宗教だ(こう書くと、右の人は怒る
のだろうなぁ。でも本当だから仕方がない)
一応、理論めいたもの(実は破綻している)がある仏教なども
「厄除け」などの災難からの“現実逃避”思想。細い木切れを
燃やし、頭から脂汗を流して祈祷する坊主の姿は、未開の地の
祈祷師とダブって見える。そんな姿をテレビで見るたびに、愚
かしくおぞましく思ってしまう。ハッキリ言って気持ちが悪い
観たくない。また、「水子供養」や葬式などの“死後”のこと
を活動・儀式の主にしているのも原始宗教の発想と同じだ
(死後の安楽を祈る坊主たちの死顔を見るがいい。決して安楽
の死相ではない)
キリスト教やイスラム教などのユダヤ系宗教もこの仲間に入る
原始宗教・下等宗教に共通するのは「弱い自分を救って下さい」
「災いから守ってください」的な“御すがり姿勢”だ
仮に「降りかかる災難・苦難から逃げるのではなく、自らがそれ
に立ち向かい、打ち砕け」という、下等宗教とは正反対の教えが
あったとしたら、それは正しく高等宗教といえるだろう。きっと
それは、「全ての生命には、いかなる逆境も乗り超え、蘇生し
無限の可能性を広げる智慧と力が備わっている。それを最大限に
引き出し、“今を力強く生きる”」ことを教えるに違いない
御すがり姿勢の時代遅れ宗教にしがみつき、占いだとか方位がどう
とか、高額な戒名代を払えば、死後は極楽にいけるとか、ましてや
死者との交信などという荒唐無稽から卒業しないと、いつまで経っ
ても日本人は「精神の原始人」のまま。オウムのようなカルトの発
生を許してしまうのも、そんな精神土壌だからだ。日本は未開の地
とさして変わらない…と、僕は思うのだが