夕方、自転車に乗っていた際
交差点で他の自転車とぶつかりそうになった
相手は若い女性で、かなりのスピートを出していた
そのスピードのまま、いきなり曲がってきたのだ
思わず「危ないなぁ!」と声を荒げた
すると、その若い女性は
「うっせぇ!てめぇが悪いんだよ。バーカ!」 と吐き捨て
脱兎のごとく走り去った
「なんという口の利き方!」
怒りの熱が、凄い速さで体から上ってくる
カーッとした頭で、一瞬
逃げる女を追いかけよう体が動いた
しかし、だ…
追いかけてどうするつもりなのか
襟首を掴み、怒声を浴びせるのか
反抗したら、ビンタでもするつもりか…
そんなことはできない
当たり前だ
僕は、その若い女性に
一瞬でも、暴力的な感情を抱いたことを恥じた
僕は、あまり上等な生き方をしてこなかった
片親で育ち、その後、養護施設に入れられた
社会に出てからは、全ての人間が敵に見えた
見た目の穏やかさとは違い
内面は怒りの炎で身を焦がしていた
腕力に自信があったので、ケンカも多くした
一度は、本物の暴力団員と渡り合ったこともある
相手は怒声を上げ、もろ肌を脱ぎ
全身の刺青を見せ付けた
僕はたじろぎもせず、その刺青を見回し
「それがどうした。モンモンなんか恐くねぇ」と
静かにドスの効いた声でにじり寄った
自分がどうなるかなど、どうでもよかった
本気で相手を殺そうと思っていた
と…、相手は突然「おみそれしました」と頭を下げた
「兄さん、凄い度胸だ。お近づきに一杯」と誘われた
そのまま彼についていけば
きっと堅気とは違う生き方になっていたかも知れない
それほど、僕は怒りの中に生きていた
悪に対する怒りは大事だ
それがなければ、情けない
だが、野良犬同士が牙をむき
ギャアギャア吼えるような生き方は
畜生と同じだ
「人間」の生き方ではない
そんな僕が、なんとかまともになれたのは
「人生のお手本」といえる生き方をしている
何人もの人と知り合えたためだ
それは、体の障害を抱えながら懸命に働き
家族を持ち、いつも笑顔を絶やさない壮年だったり
虚飾の世界にも似たマスコミや芸能界で
自分を見失わず、コツコツと仕事をする先輩だったり
床屋の仕事をしながら夜間高校に通い
その後大学から大学院にまで進み
遂には大学教授になった方だったり…
「お手本」に出会うと、今の自分が見えてくる
なんとか「お手本」に近づきたいと思う
その気持ちが、少しづつ自分を変えていくのだ
「人生のお手本」がいないのは哀しい
実は「いない」のではなく「見る目がない」のだが…
荒れているとき
僕は近くにいる「お手本」が「見えなかった」
僻みの心で「フンッ」と見下していたのだ
低い次元の自分に引き寄せようと
相手の悪い所ばかり探していた
なんとも、もったいない時間だった
僕の「お手本」には共通するものがある
皆、それぞれに「偉大なお手本」を持っているのだ
ガンジーを師匠と仰ぐネール首相のように
やはり「お手本」は、最高のものがいい…
さて、自転車の若い女性
彼女が素晴らしい「お手本」を見つければ
件の態度は違ってくるはず
キキーーッ!
「あ、すいません。大丈夫ですか?
お怪我などありませんでしたか?」
「いやいや、僕も不注意でした」
「申し訳ございません」
「いえいえ、こちらこそ…」
「では、失礼します」
「はっ、どうも ご丁寧に…」
事故になりかかった交差点の出来事が
実に気持ちの良い出来事に変わるのだ
早く良い「お手本」見つけようね~
←は~い