松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

2月23日 カメラ郵送てんやわんやの巻き

2008年02月25日 | ガーナ

毎日毎日焼きバナナをここで売っているおばさん、
はじめて写真を撮らせてくれた。

2008年2月23日土曜 はれ
カメラ、正露丸、かぜ薬、胃腸薬、梅干しを送って
もらう、あて先を一番安全と思ったガーナ日本大使
館にした。「保管」してもらうよう事前に連絡して
いた方がよかろうと日本大使館にメールを入れる。

「個人の郵便物はセキュリティの問題」で受け取る
ことは「出来ない」とメールの返事が来た。イヤー
まいったなー、困ったぞー。自宅へは大使館のあて
先を知らせて同時進行中なのだ。取り消し変更は間
にあうかなー自宅へ大使館への送り先は「ダメ」に
なったとメールを入れた。

今、日本は夜中3時頃、電話、FAXも電話音で起こ
してしまうので変更の電話はかけられない。あて
先変更など知る由もなし、オートバイも着いたこと
だし一日でも早く送ろうと家内は郵便物を持って
勤務先へ、帰りに24時間営業の郵便局でびっくり
する程高い一万円以上の料金を支払いガーナの
日本大使館に送った。

この日は春一番の風が吹き電車も止まって腹へ
って自宅に帰ったのは10時半。「なによ」大使
館からホテルへあて先変更のFAXをみておどろ
いた。すぐ電話で郵便局に事情を話し、再び郵便
局へ急ぎ、あて先を変更、寒い中家に戻った時は
12時を過ぎていた。

わたしは24日に送ると聞いていたので、まだ間
にあうだろうと、23日ガーナ、朝一番にFAXを
入れた日本時間夕方5時だ。それから帰宅するま
でづーっと自宅に電話を入れる。電話は通じない
わけだ郵便局に行ってる時間だった。

電話が通じたのは家内が郵便局から帰ってきた
12時過ぎ「なによ!」大事なことだからちゃんと
調べてからに「してよ」よっぽど「相性があわない
んだね」「いいかげんにしてよ」皮肉と怒り爆発。
カァさん寒い中すみませんでした。

大使館に送っても大丈夫だろうと思っていたの
が一番の間違いだった。日本大使館へ事前に問
い合わせておくべきだった。日本大使館も保管
してくれていたら問題なかったのだがなー。
もう、あとのまつり、反省。

速達航空便?郵便物は二日ほどでガーナに着く
とゆう、あとは無事に到着することを祈ろう。

2月22日 昭和30年代を思い出す

2008年02月25日 | ガーナ

2年ぶりに里帰りする受付嬢の一人、写真向って右 
白のシャツ白ズボがチリーさん

2008年2月22日金曜 ぼやーっとしたはれ

ホテルの受付嬢3人のうち、一人はアクラ市内
残り二人はバスで4時間ほどかかる田舎から来
ている。その田舎から来ている受付嬢チリーは
あした23日から2週間2年ぶりに一時帰省する
らしい。

彼女は長女で田舎には両親のほかに、兄弟姉
妹4人一番下の妹は6歳が待っているらしい。
月々賃金は6000円その中から4000円を実家
に送って自分は2000円ぐらいで生活している
と話す。

日本の昭和30年代(1955年以降)中学校を卒
業して集団就職していた頃と同じだなーと当時の頃
を思い起こしている。賃金といい、町並みといい、
ガーナの今は、サッカーの時は街角のテレビの前に
は人だかり、日本でもプロレスの力道山時代のテレ
ビの前は道からあふれる程の人気だったから同じよ
うな、なんか似ているような気もする。もっとも着
ている物、食べ物は今の方がいい。

今晩の夕飯はスタッフ全員男女7人分、スパゲ
ティを田舎に帰る彼女が作ってくれるとゆう。
お金はわたしが出した。スパゲティのほかに鳥
のからあげサラダと盛りだくさん、味つけもう
まかった。

量が多くてもったいなかったので鳥のからあ
げ2個はあしたにまわして食べることにした。
仕事が終わった9時過ぎスタッフも全員で食
べて喜んでいた。おみやげになるかどうか、
カラーの小物入れと少しのおこづかいをチリー
に渡した。