松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

1月27日ケープタウン最後の夜

2008年02月02日 | 南アフリカ

お世話になったケープタウンの宿「キャッツ&ムース」のオーナー



ケープタウン ロングストリート通り (上、下)

2008年1月27日日曜 はれ
風の強いケープタウン、ネットカフェに行くと停電
でダメそのまま帰る。約2ヶ月滞在したケープタウン
あしたは夕方ガーナへ向う。

1月25,26日 オートバイもわたしもガーナへ

2008年01月26日 | 南アフリカ

2008年1月25日金曜 はれ
きのう船会社の人が8時半にホテルの前に「来る」
と聞いていた。9時になってようやく迎えに来てく
れた。オートバイで倉庫まで走り、そこで梱包する。
手伝いの二人はどうも素人だ一向に梱包が進まな
い。

わたしも素人だが見ているわけに行かなくなった。
こころもとない細いロープで「そっちじゃねー」と
いいながら、どうにか固定できた。あー腹へったー
13時になっている、検量を済ませて船会社に。無
事に「ガーナについてくれー」

輸送代7900ランド=約12万円。支払いは現金
とゆう。ATMでは一日1000ランド=1万70
00円までと話を聞く。えー「どうすんだよー」し
ょうがない窓口に並んで使いたくない「マスターカ
ード」でようやく現金を手にして支払いを済ませた
ときは4時になっていた。

2008年1月26日土曜 はれ
1月28日ケープタウン発ガーナ行きのチケットを買
った。ケープタウン~ヨハネスブルグ~ケニア経
由29日ガーナ着。約9000ランド=約13万円ぐらい。
チケットを買ってそのままネットカフェに来ていま
す。帰りにチケットを受け取ります。

1月23,24日 マラリアの薬

2008年01月26日 | 南アフリカ
2008年1月23日水曜 くもり
以前からマフラーの継ぎ目から空気が漏れていたの
でちょうどいい硬いゴムを巻き金具でとめる。「割れ
る音」がこれでなくなった。

2008年1月24日木曜 はれ
ケニアで買っていたマラリアの薬の処方箋がわから
なかったのでウォーターフロントにあるクリニックま
で聞きにいく。初日4錠、8時間後4錠、次の日4錠飲
めば「OK]とわかった。12錠だけで別に買い足す必
要はなかった。

場所を探して、クリニックを探した後、処方箋のこと
を説明するのに四苦八苦、相手のお医者さんも、ど
う返答していいやら困っていた。日本語と英語のや
り取り、最後はメモ用紙に書いてようやくわかった。
気持ちの上ですっきり安心した。

本当は予防薬をほしかった。メロロフキントとかゆう
マラリアの予防薬を買おうかなーと思っていたら日
本人旅行者から、あれは胃腸など悪くする「副作用
がでる」と聞いたので、今回は「かかったら」「飲む」
薬にした。

1月20,21,22日 もうすぐガーナに飛びます

2008年01月24日 | 南アフリカ
2008年1月20日日曜 はれ
西アフリカの一部区間「砂地」と外人から聞いて走るの
が怖くてあきらめていた。しかし日本人ライダーが「そ
の区間」を走って来た。彼の話では「砂地」ではなく「
硬いダート」だったとおしえてくれた。二転三転したが
確かな情報なので西アフリカを走ることにした。

船会社に頼んでいた見積もりが届いた。
船輸送ケープタウン→ガーナ(アクラ)=7000ランド約
12万円(25日間)。飛行機29万円(5日間)

ちなみに
ケープタウン→セネガル、船輸送15万円(50日)飛行機
43万円(5日間)

ケープタウン→アルゼンチン、ブエノスアイレス約5万
5千円。(佐藤ライダーはここに送った)

わたしは、やはり一番安いガーナに送ることに決めた。

2008年1月21日月曜 はれ
今日やらなければならないこと①プラグの点検②オイ
ルフィルターを買う③オイルの交換。

①グリップを絞った時パワー不足を感じていたのでプ
ラグをあけてもらった。やっぱり劣化していたので新品
と交換、6本で1700円だった。

②オイル交換500ml、8本×370円=2960円

③オイルフィルターはホンダ店で2個買う。交換は次の
オイル交換のとき。

以上、気になっていたことをすませる。

2008年1月22日火曜 はれ
ここケープタウンで東アフリカは一区切りついたので、
ひとまず写真をCDに取り込んだ。用心のため同じもの
二組つくり自宅ともりやまさん宅に送った。道で拾った
ダンボールでがっちり梱包。2個で2400円2週間ぐらいで
日本に着くとのこと。

朝、船会社にオートバイ輸送について「いつ送る」か
を電話で聞いた。23日か24日になるとの返事。早くは
っきりしてほしいなー。

船輸送に伴いオートバイに荷物を積み込むため、どう
するか、靴、ジャンバー、ヘルメット、シュラフなど、
ためしに積み込んでみた。うん、これでだいたい大丈
夫だろう。

「走行距離と訪問国」(2008年1月22日現在)
走行距離27万3000キロ(アフリカは、あと50kmで
約2万kmになる)。アフリカに入る前、飛行機乗り換
えのため寄った「モリブジ」と東アフリカ15カ国で訪
問国は98カ国。


パソコン直りました。

2008年01月23日 | 南アフリカ
19日、レソト王国からケープタウンに戻りました。

パソコンのことが心配で、心配で、、いつもの
ネットカフェで恐る恐るつないでもらって、、
セッテングしてもらったら、、すべての項目の
画面が見られるようになりました。

あーよかったー、直ったようです。
で、これからたまっているブログ
更新していきます。

もりやまさん、マケドニアさん、いまいさん、
そして見ていただいている皆さん、ご心配と
ご迷惑おかけしました。

どうもすみませんでした。

1月15,16日 プレトリア、ガーナ大使館でビザをとる

2008年01月20日 | 南アフリカ

ガーナ大使館でビザ申請、普通は三日後だったけれど
日本語のできる(しかできない)私は翌日に発行して
もらった。ガーナ大使館。


アフリカでよく見られるめずらしい鳥の巣

2008年1月15日火曜 はれのちくもり
夜ちょっと動かしただけで足が「つって」しまいそうに
なる、疲れているんだろうかなー。朝8時にレセプション
で「ガーナ大使館」の場所を聞く、歩いていける距離
だ。オー助かった。ガーナ大使館へ9時前に着く。

受付は9時30分、その間申請書は同じもの4枚を書い
た。写真も4枚、ここでは「ひらがな」では通用しない
ようだ。説明書に「大文字」で書くように「注意書き」
してあると係官がおしえてくれる。申請者は10人ぐら
い来ている1番で受付をしたが「何かが?」必要、、
と受け付け嬢。

そのうち大使館が内(うち)からやってきた、名刺を見せる。
ここは「粘るしかない」日本を出て5年たつ、証明書な
ど「持ってる」はずがないと、日本語ができる私は思い
っきり日本語英語でまくし立てる。最後は「OK]にな
った。ビザ代は郵便局振込みとゆう「エー」。

「郵便局はどこだ」地図で見ると近くにあり、よしよし
今日中に申請できそうだ。申請に来ていた男の人と一緒
に郵便局へ。ビザ代250ランド=4250円振込み郵
便局から10時半に戻り書類を提出。受け取りは「三日
後の18日金曜」と受け付け嬢。「ノー」「ノー」大使
館員は「ツモローと言った」

すると再び電話で大使館員に確認してもらって「あした
16日10時」OKになった。普通は大使「館内」で受付
するのだが、ここの受付けは玄関脇にある守衛所だ、用
心のために中へはいれないようだ。

2008年1月16日水曜 はれ朝25℃昼雨20℃夕方35℃

ビザを受け取ったあと10時には出発できるだろうと
思ってガーナ大使館へ。なかなかビザを渡さないので
「どうした」ちょっと待て「館内に」行くように指示さ
れる。館員は上司と相談したあと親指をかかげOKの合図。

オーよかったー。ジャスト10時にパスポートが戻ってきた。
普通みんなは三日後の受け取りになっているのに翌日受
け取りにしてもらってありがたかった。感謝して帰ろう
「ありがとうございました」日本語でお礼を述べる。

レソトに向って走る、やく600km。途中大雨にあったが
すぐにやんだ。レソト国境には18時に着いた。出入国は
面倒な申請用紙はなくてスタンプを押すだけ、ごく簡
単にすんだ。東アフリカ最後の国レソトにはいった。

レソトに入る前、オーすばらしい「景色だ」とうならせる
ものの高原を走った。しかしレソト、首都マセルに入って
みたら、周りに山らしきものがない。ちょっと拍子抜け
た。

1月11,12,13,14日ダーバンから首都プレトリアへ

2008年01月20日 | 南アフリカ


他のアフリカでは屋根はカヤみたいなもので
葺いてあるが、南アフリカはそれがほとんど
消えて文化住宅?に変わっている。これも時
代の流れなのかな。それとも裕福の表れなの
だろうかなー。「上下」

2008年1月11日金曜 はれ
ネットカフェ2軒回ったが、自分のパソコンつなぐこと
が出来なかった。普段なんでもないことが使えなく
なると心細くなってくる。NHKへのレポートはファック
スですませよう。

2008年1月12日土曜 はれ
近くのファックス店でNHKへのレポートを送ろうとした
がなかなかうまくいかない。0081-03は0081-3
とゼロははぶいてようやく送信できた。

2008年1月13日日曜 くもり 小雨
パソコンがつながらないので、これからのこと不安に
なってきた。パソコンの画面に「ロック」状態です、「パ
スワード」を入力するようにとのメッセージがでてい
る。パソコンを譲ってもらった人にどうやって連絡しよ
うかな。

2008年1月14日月曜 朝雨22℃どしゃ降り 昼30℃
プレトリアに向って6時半に宿を出る。ハイウェイに乗
ってからどしゃ降りの雨、スピードダウンして走る。20
分ぐらいで雨はやんだ。結構カーブの多い道になる
濡れたジャンバーも乾いてきた。

500k走って残り100kでオーバーズボンとジャンバー
を脱ぐ。ヨハネスブルグを通過、南アフリカの首都プ
レトリアに14時30分に着く。決めていた宿の近くまで
来ているのに、あっちこっち探すがまったくわからな
い。近くの人に電話してもらって最後はスーパーまで
迎えに来てもらった。

なんと3時間も宿探しにかかってしまった。ここら辺り
の人たちはバックパーカーのことは、あまり知らない
ようだ。泊まるのはホテルと思ってか、ホテルを教え
てくれた人が多かった。あすは「ガーナ大使館」を「探
さなければ」ならない。ゆううつだなー。

ダーバンからプレトリアへの道は
カーブの多い山道だった。

1月8,9,10日 こいつが泥棒!の朝出発

2008年01月20日 | 南アフリカ

こいつが捕まった泥棒、25歳ぐらいだろうか、
顔をとられたくない、度胸のなさ。

泥棒の朝
2008年1月8日火曜 はれ朝20℃ 昼22℃
ダーバンに向って朝7時半に出発。少し寝不足だ。昨夜
は夜中3時過ぎまで男女の声がうるさくて寝付かれな
かった。我慢できず「うるさいぞ^」と三人の側まで行っ
て「静かにしろ」と日本語でどやしつけた。

静かになって寝ついた頃、「チェック」の声。なんだろう
と外に下りてみたら、ポリスが7,8人いる。「泥棒らしい」
手錠をかけられた男は後ろに手を回されている。エー
ッ「俺のカメラバック」じゃないか。「この野郎」思わず泥
棒の頭をなぐった。

同じ部屋の3人も時計、小物入れ、電子手帳など盗られ
ていた。泥棒が捕まってよかった、朝出発する時、カメ
ラが「ない」と「大騒ぎに」なり、泊まってる人を疑いか
ねないことになっていたかもしれないのだ。幸い盗ら
れた物は全員に戻った。あー危なかったなー。

と言うわけで朝5時半に起きて寝不足のまま海岸線を
北に向って約800km走ったところに泊まる。ここはポ
ルト、エリザベスPort Elizabeth.宿はどこも250ランド
=4000円、350ランド=6000円と高い、2軒3軒と安い
所を探したが結局250ランド=4000円のB&Bの民宿
に泊まった。


二日目は一日中高原を走る、こんな長い高原ははじめて走る。

2008年1月9日水曜 はれのちくもり 朝20℃昼22℃
きのうもそうだったが、けさも肌寒さを感じる。朝から
づーッと高原の中、登っては下りのカーブが続く。緑
のきれいな長い高原を走ったことは始めてだ。宿が
高いのでいっきにダーバンまで走りきろうと考えた。

しかし、あまりにも美しい高原を走り抜けるのはもった
いないと考えてダーバンまで残り250kmを残してペ
トロールスタンドと併設している宿に泊まった。今日も
800kmぐらい走っただろうか。

宿はやっぱり250ランド=4000円だった。今日は宿を
探さなくて済み助かった。夕日が周りの高原を照らし
て一層きれいだ。早めの晩飯を食って8時過ぎにベッ
ドに入る。つかれたなー。

2008年1月10日木曜 くもり朝18℃ 昼25℃
朝もやで周りの高原は真っ白で何も見えない。オート
バイカバーはびっしょりと朝露がついている。6時30
分宿をスタート。しばらく走ると太陽に照らされた雲
のかかった山と高原がうつくしい。停めるところが
なくて残念ながら走る過ぎるしかない。

あと、100kmでダーバンに着く。給油したあと細い道
から本線に戻る時、対向車が入ってきた。相手が急ブ
レーキをかける。おっと「危ない」。なんとすぐうしろ
にポリスのクルマがいた。そのまま走り過ぎようとし
たら「停めれ」のクラクション。

このクルマに「ついて来い」と、すぐ近くの警察署で
「パスポート」「国際免許書」を見せる。これは長くか
かりそうだ。「11時にダーバンで友達と「待ち合わせ」
している、帰ろうとした、これが気に障ったのか。パス
ポートにスタンプがないと言い出す。

そんなことはない、ナミビアから2回も出入りしてい
る。なんだかんだといちゃもんをつける「君は右側を
走った」とボードに書いて説明する。あーそうだ「キュ
ウーズミー」と謝って30分ぐらいかかって「注意だけ
で」すんだ。最初から謝っておけばよかったのだ。

ダーバン市内に着いた、11時だ。前回泊まったゲスト
ハウスはすぐにわかるだろうと思って市内にはいる。
ところが、自分のいる場所がどこだかわからなくな
った。聞いて聴いてようやく2時間かかって前回泊ま
ったノマズ、バックパーカーに着いた、13時に10分前。

1月3,4,5,6,7日ケープタウンから

2008年01月20日 | 南アフリカ
008年1月3日木曜 はれ
午前中パソコンへネットの下書き。午後オートバイを送る
船会社に見積もりを聞きに佐藤ライダーと行く。アルゼ
ンチン、ブエノスアイレス1300$=15万円。ガーナ23万円
~38万円。ウーン高すぎるな。

2008年1月4日金曜 はれ
おだやかな天気。ためていた正月分、ブログの更新を済
ませる。1月6日放送、ケープタウンの正月の模様をNHKへ
レポートする。

晩飯は日本人10人で宿の中庭でバーベーキュ。まきを焚
いて自転車、オートバイ、新婚旅行、あとは一人旅の人な
ど。自己紹介しながら11時近くまで過ごす。

2008年1月5日土曜 はれ
きょうもおだやかな、よすぎる天気。パソコンの容量がい
っぱいになり、マイピクチャーが開かなくなった。コンピュ
ウーター、ハードの専門、自転車の寺島さんに教わりなが
ら写真の削除、動画もUSBに取り込む。

午後からネット屋でCDにコピーしてもらう。これで容量は
半分までになりだいぶ軽くなったようだ。これからの写
真を取り込むのに「どうしようか」と心配したが、これで
安心した。CDは同じもの2組作った。1枚=420円

2008年1月6日日曜 朝雨
夜半から雨の音、朝も降ったりやんだり。きのうあまりに
もいい天気だったのでやっぱり雨になった。これからの
行く先について、ガーナから西サハラ方面は砂の道が
あると聞いたのであきらめて東南アジアへ送ろうと、考
えていた。

西サハラからガーナ経由をオートバイで走ってきた佐藤
ライダーは「砂の道」ではなく「固いダート」で走るのに
は問題ないとおしえてくれる。二転三転したがガーナに
向おう。あした7日船会社の人が宿まで「運賃」のことなど
の説明に来てくれることになっている。

2008年1月7日月曜 くもり
お昼に船会社の人が輸送の事について宿まで来てくれ
た。オートバイの体積を調べて運賃、輸送期間とか「あと
で」連絡するとの事。

pasocon S O S Makedonia san

2008年01月17日 | 南アフリカ
Makedonia san

paswa-do wo siri tai no desu.

pasokon no gamen ni kanrisha no
[pasuwa-do]wo nyu-ryoku site kudasai
to mess-ji ga dete imasu.

Pasocon wo yuzutte moratta
[i ma i san]no [pasuwa-do]wo
siritai no desu.

mon ga-san ni [i ma i]san no
denwa ka mail wo kiite kudasai.
so si te [pasuwa-do]wo kikidasite
E;mail ka burogu he sousinn sitekudasai.

su mi ma se n ga yo ro si ku
o ne ga i si ma su