松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

おかげさまで写真展・準備整いました。

2011年04月30日 | 赤道直下と陸路国境148か所

あした5月1日から2,3,4,5日までエコギャラリー新宿での写真展、準備おかげさまで終わりました。

きょう30日朝早くから蘭丸さんには自宅まで来ていただき荷物運びを手立ってもらい会場に到着。すぐに相模のコンさん、小口さんさらに石澤さん、関根さん、そして午後には藤原さん夫婦も駆けつけてくれました。

写真はピンで留めるため人差し指、親指にはテープを巻いての悪戦苦闘、夕方4時ごろには準備がすっきりと整い心配なく写真展迎えることができるようになりました。

終了後はいつものように「さくら水産」でご苦労さん会で締めくくりました。

ご協力していただいた皆さん助かりました。ほんとありがとうございました

みなさんのお越しをお待ちしています


ええーけ、け、血尿ーッじゃねーか

2011年04月27日 | 赤道直下と陸路国境148か所
  朝4時、5時からづーっと写真展の準備かさねたからなのか最後の案内ハガキ出した、ゆうべ27日8時ごろ小便した。

水を流したあと「アレー」水の淵に赤色だったなー、と気づく。このときは気にならずとゆうか忘れて次の日夕方4時頃小便に
いって水を流した瞬間「ピンク色」を発見。

もしかしたら血尿だぞ。ぞーっとした。そういえばきのう夕方小便に行ったとき、今までと違う「からだ」になんとなく「気持ち悪い」震えのような感じを強く受けたもんなー。

さてさて「血尿って」テーヘンだと思う。だいたいの写真展の準備が終わったので久しぶりにとトレーニンングにむかったけど「からだ」に感じる「だるさとか」「息苦しいとか」今までとかわりなかったなー。

昼間のくすり(ビールロング缶2本)はいつものように苦くてつらかったけど。(笑)

やっぱり疲れかもしれない。うーんふあんになるねー。

ほとんどボケたおそまつ写真展ですが

2011年04月16日 | お知らせです

5月1,2,3,4,5日写真展を開きます。「エコギャラリー新宿」入場料無料です。http://www.shinjuku-ecocenter.jp/facilities/access.html

「上野さん綾子おばさん偲ぶ写真展」と「オートバイの旅102カ国・28万km松尾清晴写真展」合同写真展です。

上野さんはアルゼンチン・ウスアイアで日本人宿として長い間宿を提供されてきました。御主人は2002年5月に亡くなられ奥さんの綾子おばさんは去年2010年4月に亡くなられました。お二人の「写真」を展示致します。

5月3日16時~18時「上野さん夫婦を語る会」終了した後新宿甲州街道「さくら水産」で「偲ぶ会」を行います。

「オートバイの旅102カ国・28万km松尾清晴記録写真展」も同時に開催致します。

わたしのはほとんどボケた写真で、それもラミネーターで挟んだだけ。時にはこんな「写真展」もいいのではないかと開き直り自分を慰めながら進めています。

よかったら寄ってみてください。

http://baikunomatsuo.sakura.ne.jp/

「バイクの松尾」ホームページです。

または「バイクの松尾」→検索・をおねがいします。


被災地・南相馬市に行ってきました

2011年04月03日 | お知らせです

被災地・南相馬市役所

電動バイクを提供された「オリエント」社のおぎすさんとスタッフ(黒の上着)と受け入れの南相馬市の職員

「集団避難先受け入れOK]嬉野谷口市長のメッセージを届けました

福島原子力爆発で動くに動けない被災地南相馬市に行ってきました。

きのう4月2日地震・津波・それに原子力爆発20km~30km
範囲で動くに動けない南相馬市に電動スクーターを提供される

「オリエント」の代表者おぎすさんとスタッフと

佐賀・嬉野市からの被災地に対する「被災お見舞いと集団
避難先受け入れ準備OK」の手紙の依頼を受けた嬉野市出
身・わたくし松尾の3人で向かいました。

初めて顔を合わせるオリエントのおぎすさん、朝6時半に
北浦和駅まで来ていただき便乗させてもらいました。

東北高速・郡山近くになったあたりから地震の影響を受け
補修した跡は段差が出来ています。二本松で下りて南相馬
市へ。お見舞いか、帰省なのか土曜日のせいか車の往来は
多かったです。

原子力爆発の影響で避難命令が出ている、双葉町・浪江町
に向かう道は通行止め。迂回して回り道。放射能が多いと
報道されている飯館村を通過。

雪が残る峠を超える。南相馬市に入る手前30kmと思わ
れる地点で警察による検問所で一時停止。

11時ごろ南相馬市役所に到着。おぎすさんたちが用意した
電動スクーター2台のほか、灯油、トイレットペーパーなど
ネットで「何が」足りないのかを調べて(さすがです)用意
したと話していた荷物をおろして市役所の人に渡しました。

そのあとわたしも「嬉野谷口市長」から依頼された手紙を渡
しました。「嬉野市の気持ち」が少しでも伝われればと思い
ます。

市役所の人たちも全員マスク、ものも言えない忙しさ。市長
さんももちろん「外出している」と市長室に掲げられている、
事前に連絡はしていたのですが応対に出てきてくれた人も忙
しい中対応して頂きました。

屋内退避地区の南相馬市役所には地元の人5,6人が訪れて
いましたが市内には歩いている人を見かけません、商店も
ガソリンスタンドも閉鎖中でした。市役所の玄関に被ばく
を少しでも防ごうと水ががまかれてマットが敷かれていま
した。

市役所周辺での被害は屋根瓦が崩れていて青いシートをか
ぶせているところもありましたが崩壊している家は見かけ
ませんでした。

電動スクーターを提供されたオリエントの人たちは貿易中心
の仕事です。海外で仕事する事が多いのです。自分では大丈
夫だと思っていても日本から「外国」に向かったその時、その
国で放射線の検査を受けて「入国できない」人たちも出てき
ていると聞きました。

日本でもよくやっているごく僅かなマリファナ所持者でも摘発
する窓際作戦と同じでその国の使命でもあるのです。
物は微量で小さくとも敵は見えない影響力のある放射能です。

ワゴン車の座席には保護ビニールシートを敷き、おぎすさん
たちが着ている上着は帰ったら上着、ビニールシートなど
廃棄処分すると話されていました。自分の事は自分で守る。

なるだけ被ばくしないように少なくて済むようにしていました。
大したことはないだろうと思っていましたが、横浜など大型旅
客船は被ばくを避けるため立ち寄らないなど国際的にはおおごと
になって来ているようです。

わたしは自分の危機管理の甘さに反省させられました。
そのようなわけで被害の出ていると思われる海岸通りには
行くことはしませんでした。

おにぎりを3人分9個作って持って行きました。行き帰り
トイレ一回だけ、それ以外車から出ることはなかったです。