松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

4月14,15,16、17日 ダカールは寒かった

2008年04月21日 | セネガル

パリダカレースのゴール地点「独立広場」とホテルのオーナーに聞いたが
ほんとなのかどうかわからなかった。プラスと呼んでいる独立広場


ダカールは寒かった
2008年4月14日月曜 はれ 
ホテルを7時に出発。ダカールまで260km、60kを過ぎて
悪路はなくなった。それでも今までの悪夢で怖くてスピードを出
せない。海が見えてきた、水田ならぬ塩田はコンバインか
ら白い塩の山を築いている。もうすぐダカールだ。ところ
がダカール市内に入るまで大渋滞。

ダカール「セントロ」「センター」と聞きながらダカール市
内に着いた。独立広場にオートバイを停めホテルを探す。
集まってきた一人の若い人がOOOホテルはすぐ「そこ」
だと歩いて案内してくれる。こんなに近くにあったんだ。
ラッキーだった。ホテル前にオートバイを移動して部屋に
入る。一泊2000円と中心街にしては安い方だろう。

周りは高層ビルが並ぶビジネス街だ。クーラー付の部屋
にしたかったがこのホテルには天井のファンだけしかな
い。独立広場のレストランで小瓶一本=240円もする、ウ
フェ。夜はホテルのスタッフに頼んで大瓶200円2本買っ
てきてもらう。地元の人でないと安く買えないらしい。
彼に手間賃100円上げても安いのだ。

2008年4月15日火曜 はれ
ダカール初めての朝。こんなに寒いのかダカールは。
ここに着く前の道悪のスタンドでダカールは「寒い」ぞと
言っていたのはほんとうだ。最初部屋に入り毛布を見た、
まさか毛布までは必要ないだろうと思っていた。しかし
明け方毛布をかけないと寒いのだ。

クーラー付の部屋じゃなくてよかったのだ。ファンだって
回すどこじゃない。ネットカフェに行ってコネクト出来るか
聞いてみた。出来ると言ったがセッテングできなかった。
パソコンのスイッチを入れても電源が入らない。転んだと
きパソコンも壊れたのかとお先真っ暗になった。今井さん
から以前裏のふたを開けてバッテリーを取り出して入れ
なおしてみた「点いてくれー」祈る気持ち。

ランプがついた、電源が入った。あーよかった。ホテルの
スタッフのオートバイで日本大使館へいく。モーリタニアビ
ザを申請する時日本大使館のレターが必要と聞いていた。
一時間待ってレターを受け取る。日本大使館は太平洋が
広がる海岸通りに建っている。

2008年4月16日水曜 はれ 朝10時21℃夕方22℃
オートバイの兄ちゃんに今日も頼んでモーリタニア
大使館にビザ申請に行く。9時前に大使館につき、
申請用紙に記入提出。ビザ代80000セファ=16000
円。うへっー高い。館員は表を見せる。日本などヨー
ロッパなど一番高いランクになっていた。

高くても5~6000円ぐらいだろうと思っていた。まさ
かの16000円、銀行に行ってお金を下ろして支払う。
で、即発行はプラス1000円だと抜かす。二度来る
のは面倒だ、仕方ない1000円支払ってパスポート
を受け取る。ま、これでいつでも出発できる。二日目
でビザ取れたのはよしとしよう。で、日本大使館の
「レター」はいらなかった。

半そでで歩居ている人は少ない、ほとんど長袖シャ
ツである。朝方17,8℃ぐらいまで下がっているので
はないか。昼間30℃ぐらい。夜はヒューヒューと音
をさせて風が吹きいっそう寒さを感じている。

食事のサイクルがどうもかみ合わない、食堂で昼は
どうにか手にすることが出来るが夜はライスがな
かったりとまちまちなのだ。ビールは昼と夜スタッフ
に頼んで買ってきてもらっているので助かっている。
彼には4日分400円手数料を渡してある。

2008年4月17日木曜 はれ
あした出発のためガソリンタンクが必要な区間が出
てきそうだ。近くのスタンドでオイルを空にした物が
ないか聞いてみた。あった、5リッタータンク二つを
200円で分けてもらった。

ホテルのオーナーにパリダカのゴールはダカールの
「どこだ」と聞くとテルのそばの「独立広場」のことを
さしているようだけどほんとかどうかはわからなかった。

ここに来て早くアフリカのたびを終わらせたい気持
ちが出てきた。とにかくこれから先のことが不安な
のだ。

4月13日 悪路で転倒3回

2008年04月21日 | セネガル

一回目の転倒でミラーを直そうと路肩に停める。本線に戻る時意外に高かった段差にオートバイの腹が使えて二回目の転倒。


転倒してスタンドとボックススティを溶接してもらった途中の村の溶接屋さん

悪路で転倒3回
2008年4月13日 はれ 朝30℃ 昼40℃
ホテルを6時30分出発。いきなり迂回道のダートに入る。
アスファルトがはげた道と聞いていたが違うのか。ふかふ
かパウダーのようなたまりにはまった。そのまま転倒、服
もオートバイも真っ白。後ろから来た車に起こしてもらう。
ミラーが曲がってしまった。

オー恐ろしい、ダートからアスファルトに戻った。スロースロ
ーで立ち姿で運転する。路肩に停めてミラーを直す。本線
に戻ろうとしたとたんオートバイの腹が段差のあるアスフ
ァルトに使えて転倒、自分も飛ばされる。オートバイは天井
を向いている。今度もうしろから来る車を待って起こして
もらう。怪我は「なかった」かと起こしてくれたドライバー
たち3人の気遣いはうれしかった

ミラーはぐしゃぐしゃになってしまった。アスファルトのは
げた穴ぼこの道はトラックを蛇みたいにジグザグ運転さ
せる。停まっているようなスピードでトラックは走っている。
それでも荷崩れを起こしたり、路肩から滑り落ちてしまっ
たトラックを見かける。あっちこっちでストップして修理し
ているトラックなど大変なことだ。

穴ぼこをさけてスロースローで走る。大きな深い穴ぼこに
つかまった、ドンドンとバウンドしてその穴ぼこと穴ぼこの
間にオートバイの腹が使えて転倒した。すれ違ったミニ乗
り合いバスの人が起こしに来てくれる。あーあー、スタンド
が折れてしまっている。これでおしまいかと一瞬頭をよぎ
る。折れたスタンドを荷物のゴムひもに挟んで走る。

ギアーが入らない、さっきのショックでだろう。ロー、セカン
ドしか入らない。とりあえず走れればいい走れるところま
で走ろう。セカンドギア^でちょーどいいスピードだ。まだ
いくらも走ってないのに転倒はこれで3回目こんなに転ん
だのはチベット、ヒマラヤ山脈越え以来だ。

セカンドギアーで走りはじめるといつの間にかサードまで
ギアーは入るようになった。おーよしよし。初めての村に
着いた。ポリスチェックらしい。スタンドが「ない」降りられ
ないのだ。ようやく事情がわかったらしく、裏に溶接屋が
あると指さす。すぐ裏手にあった。ここまでようやく100
kぐらい。

さっそくスタンドのことを頼む、見せようとしたゴムひも
に挟んだスタンドの半分を途中で落としてきたらしい。ヨ
シで覆った小屋で修理が始まった。今10時だ。ボックスを
はずしてわかった。ボックスを支える支柱も折れている。
これも直してもらうよう頼んだ。この村の中で修理が出来る
かと心配したがスタンド、ボックスのスティも直してし
まった。

修理が終わったのは13時。まだこれから200kの悪路が
待っている。いつの間にかギアーは元に戻っている。あーよ
かった。暑い、暑い、エッセンス(ガソリン)スタンドで
コーラを飲む。兄ーちゃんがゴザと布団を木陰に出して
くれてここで休めと気を使ってくれる。ありがたい。あー
気持ちがいい風がやってくる。いつの間にか眠っていた。

ホテルもあると教えてくれた兄ちゃんだったが一休みし
たら元気が出てきた。15時になっている。次の町まで84k
トラックで4,5時間。オートバイだったら3時間。兄ちゃんは
距離と町の名前を書いてくれる。暗くなる前6時には着き
そうだ。ありがとう。

道は今までのように大きな穴ぼこがひんぱんに続くので
はなく途切れては出てくる程度になった。次の町には予定
通り6時に着いた。ホテルについた、2400円もするが高く
ても仕方ない早く休みたい。シャワーを浴びてビールを飲
んで、あすにそなえよう。

4月12日 パンクだ、アーアー

2008年04月21日 | セネガル
2008年4月12日土曜 はれ
きょうはアスファルトがはげてデコボコの道を走ることに
なる。気合を入れて出発準備のためオートバイを動かした。
プツプツと音がする。ん、パンクか。タイヤの空気がない。
「パンクだ」これじゃしょうがない。きょうの出発はダメだ。
8時になったらタイヤ屋が起きているとホテルのスタッフ。

ホテル前のオートバイ修理屋でボックスをはずして、タイ
ヤをはずす。ここで働くのは10歳前後から25,6歳の若い
人ばかり5,6人。大丈夫かいな。タイヤ屋チューブレスタ
イヤはあると言っていたが、なくてチューブタイヤになっ
た。動ければいいや。それにしてもパンクが走っている途中
でなくてよかったなー。


タイヤに金属片が刺さっていた。なんだかんだしながら
タイヤ交換は終わった。12時半になる。タイヤ代5000円
オートバイ屋4000円支払う。人の移動はここの町は車
より馬車を使う人が多いようだ。馬も暑い中走らされて
大変なことだ。

4月10日 国境がない?セネガルに入る

2008年04月21日 | セネガル

セネガルとマリの国境の橋。最初見逃してしまった。見えている向こうがセネガル

アフリカの旅 セネガル
2008年4月10日木曜 朝30℃ 昼40℃
マリのホテル7時前に出発。一路セネガルへ。どんより
したはっきりしない天気、スロースローで走る。途中の
村は迂回する道になっている、地元の青年について行
き本線に戻る。

分かれ道に着いた、去年スイス人からこれからダートに
なると聞いている。給油してこれから「ガタガタ」道か
と聞くと「ノーナイス」ロードだ。なるほどセンターライ
ンは細い線を引いてある、出来立ての道路らしい。前
から気にしていたのでアー助かった。

サバンナみたいな周りの風景にロバ車が走る。予定し
ていた町にはホテルはなかった、次の町までさらに10
0k先まで走る。ついた時5時もう疲れた。ビール2本と
スパゲティそれにきのうの残りヤギの肉がある。

セネガルに入る
2008年4月11日金曜 はれ 朝30℃ 昼40℃
夜が明けきらないうちにホテルを出る。一人の男性が
オートバイで走っている。セネガル国境を聞くと自分も
行くからと言うしぐさ、しばらくついて行く。ここから「
真っすぐだ」と左手で。合図する。「サンキュウ」。走り出
してからづーとパオパブの並木が続いている。

橋を渡ってT字路に来た、さてどっちだ。写真撮りなが
ら、さてっと走り出そうとしたらポリスがこっちへ「来い」
Uターンしてポリスの前に停めた。パスポートを見て、こ
こは「セネガル」だ。エーッ。橋を渡ってマリのカスタムで
出国手続きをして来い。橋を渡って戻り細い裏道に入り
カスタムへ。

手続きは簡単に終わった。しかしカルネの出国スタンプ
はない。言ってもしょうがない。ま、いいだろう。橋の真ん
中にマリ&セネガルの国境標識が建っていた。セネガル
側のカスタムでカルネの手続きを終えると入国手続きは
ポリスの交番へ行けと云う。街中の奥まった所に警察署
があった。おじいさんのような人がスタンプを押して終了。

国境を越える時は道路のそばにカスタムが必ずあるは
ずなのにここにはなかった。知らないで通り過ぎてしま
う人もいるのではないか。自分も、もう少しで不法出国、
不法入国するところだった。給油するため、またもマリ側
へ橋を渡り行ったり来たり3回目。

ロバ車から馬車に変ってきた。今まではロバ車ばかりだ
ったのが馬車になった。村の人々の頭に巻くダーバンや
着物が色鮮やかなものが目についてくる。国境で聞い
たこれから道が悪くなる手前の町に泊まることにする。