松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

10月25日 ブルンジから船が出た!脱出成功!

2007年11月02日 | ブルンジ

ブルンジから船で脱出 オートバイをクレーンで積み込む
空を飛ワルキューレを見て不思議な感じ


ブルンジ、ブジュンブラを出発タンガニカ湖へ

ブルンジ脱出成功!
2007年10月24日水曜 はれ
暗い気持ちであしたの出発準備

2007年10月25日木曜 はれ
船は出ないと見て、タンザニア キゴマに向うつもり
で荷物をオートバイに積みホテルを7時半出発。今日
もおそらく「ダメ」だろうと思った船会社に寄った。時
間前だったが船会社は開いていた。事務所に入ると
「OK,PM4時」私の顔を見るなりオーナーらしき人が
言った。

エー「ほんとかよー」100%だめと踏んでいたので
信じられない。ほんとに今日「船は出る」のか、別の
男は90%大丈夫と。手続きについて港の「どこに」
行けばいいのか聞くが港に行けば分るとつっけん
どん。あなたの車の後ろについていくから案内して
くれ、金を払うから。

それでも私の書いた地図に「ここに」行けば分ると
冷たい。ここは粘って船着場まで連れて行ってもら
わなければ困るのだ。そうこうしている内にあず
き色のTシャツを着た男が入ってきた。見るからに
人のよさそうな顔立ち(どこにでもいるじゃない
ですかこうゆう人)

彼に頼むしかない、船着場まで「連れて行って」くれ
とおがんだ。笑いながら「OK」と車に乗った、私は
オートバイで後ろを着いていく。船着場に着いた。8
時半。あずき色の男の案内であっちこっちの事務所
を回る。私だけじゃ分らない回れない場所だ。

オートバイは港の事務所前に置いたままである。10
時ごろ手続きは終わった。ごごパスポート、カルネの
出国手続きをすることになっているようだ。14時ま
でに港に戻ることになった。それまでホテルに戻っ
て昼飯を食って、「船が出る」とネットに打ち込んだ。

船がでなかった場合「100$払ったお金が」戻るの
か、戻らない場合どうやって取り戻そうか。相当悪
いと聞いているタンザニアの道のことなど考える
と最悪の場合はどこでトラックをチャーターするか、
など頭の中は不安だらけで夕べは眠れなかった。


なにが怖いかって「転倒した時」一番怖いのであ
る。450kgの重量を一人では起こすことが出来
ないのだ、だから道の悪さだけは避けたい。雪、
砂、ジャリ、を見ただけでドキッとする。どこでも
走れるオフロード車のオートバイは平気かもしれ
ないが私のオートバイはアスファルト専門のオー
トバイである。

港に戻って出国の手続きを4時ごろ終える。4時
の出発と聞いていたが、まだ相当時間がかかり
そうだ。オートバイは網にくるまれてクレーン車
で船に積み込まれた。空を飛ぶオートバイに見
えて不思議な感じだった。

いざ、ザンビアへ

船に乗りこんだ、オートバイはロープをかけてな
い、「大丈夫」と船員。心配だからロープで固定し
てもらう。5時30分船が動き出した。ブルンジ、ブ
ジュンブラ港を出る。アーよかった、よかったー。
この船はザンビアの近くではあるがタンザニア
のカサンガ港までしか行かないらしい。

そこからは小さい船に乗り換えて2,3時間でザン
ビアに向うと船員は話した。ま、いいタンザニア
の陸路を走るよりこっちの方がいい。貨物船で
あるがこの船には20人近い乗客が乗っている。
小さい食堂、ベット付の部屋も二部屋ある。冷蔵
庫があるかどうか心配していたが大きな冷蔵庫
がついていた。

買ってきたビール4本、ワインさっそく冷蔵庫に
詰める。これで元気が出るぞー。飲み物、食べ
物は全部自分もちなのである。最初食堂の長イ
スで寝ようと考えていたが他の乗客も入ってき
た。そうだ「テントがある」、船上にテントを張っ
て寝ることにする。

これから2泊3日の船旅になる。テントでビール
缶詰、パンをかじる。夜空にまん丸のお月さんが
出た、十五夜だろうか、十六夜だろうか。日本で
見る同じお月さんとは思えない。

地獄から天国へ、ブルンジに来てからパッと停
電した時のようにお先真っ黒になる。言葉がほ
とんど通じない、ようやく船を見つけても「い
つ出る」にかもはっきりしない。そうかといって
陸路の悪道は走りたくない。


右はコンゴ、左はタンザニアのタンガニカ湖

最後は決死の覚悟で陸路を走ることに決めた。
700kmを一ヶ月かけて走る気持ちと、この際
最悪の場合お金がかかっても致し方ないと覚
悟した。それが一転、船が出ることになったの
だ。船上のテントで横になる。

不安心配が続いた気持ちの晴れない10日間
毎日震えるほど緊張していた。あーよかったー、
じわじわと体が「なごんでくる」じわーっと「と
きほぐされて」いくのを実感する。あーよかっ
たなー、船のエンジンの音も気にならない。

10月23日 ブルンジで行き詰った

2007年10月24日 | ブルンジ
2007年10月23日火曜 くもり はれ
今、朝の7時だ、今日船が出る「出発時刻」を8時過ぎに
確認することになっている。果たして果たしてどうなる
か。パソコンに下書きをしていたら8時を過ぎた。船会社
に向う、近くになるにしたがってドキドキ。階段を上がる
会社は二階にある。

今日はオープンしている。いつもの男がいた握手したあ
と「きょうダメだ」エ^-、じゃ「いつ船は出る」24,
25,2627、「ネイビー」いつ出るかわかないと。
ホテルに引き上げる前に別の船会社を探してみよう。
隣の1万7千円もする高級ホテルに寄ってみる。

ここのレセプションは英語ができるスタッフがいる。地図
を見せながら説明する。船のチケットはこの場所にと別
の紙に書いてくれる。お抱えタクシーを呼んでその場所
に行くが、ここではオートバイを運ぶ船のチケットはない
オートバイを運ぶのは別の所だ。

「別の場所」は一番最初船を捜した税関事務所の近くだ
った。その船会社は前回「荷物が集まる」まで二ヶ月ぐら
いかかった、内容は良く分らないがそんな話に聞こえた。
「実は」と今日ダメだった船会社のレシートを見せるとそ
こえ電話を入れてくれる。タクシーはホテルに戻るのか
と思ったら再び今日ダメだった船会社についた。

タクシー運転手とも言葉が通じない。二階に上がるとオ
ーナーらしき人がいた。「25日木曜」に船は出ると話す。
ま、当てにならないが信用しよう。食料は自分で用意す
るようにと促される。しばらく様子を見て10月いっぱい
に船が出なかったらオートバイでタンザニアに向おう。

最悪の場合は陸路で悪路を走ってで行くか、どうしても走れな
かったらトラックをチャーターしてザンビアに向うしかな
いなー。とりあえず「25日木曜」まで待ってみよう。



10月20・21・22日 不安のブルンジから脱出?

2007年10月23日 | ブルンジ
2007年10月20日土曜 朝から一日中雨
きのうとりあえずザンビアへの船の手配は出来たが
本当に「23日出航」できるのか不安は残っている。そ
の日を待たなければの話ではあるが、、気晴らしに夕
方ネットカフェにいく。日本からの便りが一番元気が
出る。気が晴れないのでビールの味もいまいちだ。

2007年10月21日日曜 朝まだ雨 午後はれ35度
気持ちは晴れない、一冊持ってきた本、旅行人ノート
「アフリカ」のこれまで走ってきた国これからの国な
ど雨の音を聞きながらじっくり読む。そういえばアフ
リカに来てじっくりと読んだことがなかったなー。

「この国はそうだったのか」と今さらながらアフリカ
への知識のなさを本を読みながら反省させられる、
事前に少しは勉強しておくべきだった、でも、もう遅
い!。午後気晴らしにネットカフェに行くがネット不
具合でHPを開いて見るだけ「返事」の送信が出来な
くなった。

気持ちが滅入っているときは、日本からの便りだけ
で元気が出る。帰り際送信も出来ないで「金とる」
のか、この「く○ったれめ」とうさばらしを飛ばし
て早々とネット屋を去る。ザンビアでの走りの備え
てオートバイのガソリンを満タンにした。

早く23日になって出航出来ますように祈るだけだ。

2007年10月22日月曜 くもり
タンガニカ湖は東にタンザニア、西にコンゴに挟まれ
た細長い湖その北端にブルンジ南端にザンビアと四
つの国に囲まれている。きのう読んだ地図には7番め
に大きい湖になっている。ブルンジからザンビア間80
0km東京から下関ぐらいの、イヤもっと距離はあるか
もしれない。

どうも落ち着かない、船の出発時刻は「23日朝9時ご
ろ」までに分ると聞いている。食事のことなどいまい
ち分らなかったので「ようすみ」かたがた船会社に向
う。エー閉まってる。どうしてだ、今日は月曜じゃない
か。今9時だからまたあとで来よう。

うん、はぐらされたか?、100$ぐらいで持ち逃げはな
いだろう。また悪い方へと頭はめぐる。10時に再び船
会社へ、やっぱり「閉まって」いる。どうしたんだろうと
隣の家の人に聞いていたら男の人が通りかかった。
今日は「ホリデイ」あした「朝8時」に「開く」と自信に
あふれた話し振り。

男の人は船会社の入っているビルの裏側に回った。今
までの不安は男の話し振りで気持ちも落ち着いた。午
後ネット屋に行くついでに銀行で両替しようとしたが
銀行も閉まっている。2時30分の昼休み時間はとっく
に過ぎているのになー

ここらあたりは「月曜休み」なのだろうか。そうすると
船会社の休みも納得できる。ネット屋の隣にヤミ両替
屋があった。狭い通路の奥に暗い部屋。50$「いくら」
「57700」と電卓でたたく。オー銀行より7700も高い、
へー100$だと10$以上得することになる、あと一日
だけなので50$両替した。

ネット屋に入るがすぐに停電した、よく停電するもんだ
なー。すぐにたたんでホテルに戻る。あしたの食料も買
い込んだ。ジン、ワイン、缶詰、パン、そしてコーラはビー
ルの代わりにジンを割って飲むために5本買う。最後の
夜になってほしいもんだ。

あした23日はザンビアに向う船の中で過ごしているよ
うにと願う。はたしてブルンジから脱出できるか。

10月18日19日 不安で眠れぬブルンジの夜

2007年10月20日 | ブルンジ

停まっているホテルは市内の中心、でも静かである。


ホテルに停めているオートバイ


部屋は鉄柵で頑丈にドアーも二重に、
それだけ危ないのだろうかね。

不安で眠れぬ夜
2007年10月18日木曜 はれ
今日も気持ちのいい青空の朝。8時半と早いがネ
ットカフェにきのうの続きを終わらせなきゃ。コー
ヒー3杯つき120円飲みながら終わったのは12時
を過ぎていた。

ルワンダとブルンジの国境で待たされた時税関に
「口添え」してくれた「彼」ブルンジ人。ブルンジに
着いたら電話するようと「電話番号」を書いてくれ
た。今までと違い言葉がほとんど通じないブルンジ
では「これから船のこと」彼に頼るしかない。

昼間彼に電話した。夕方6時にホテルに来てくれる
ことになった。日記のノートが終わりそうなのでマ
ーケットの近くの店まで行くがなかなか見つからず
6時待ち合わせなのであせった。ブルンジ特有のノ
ートをほしかったがどこにでも「ある」ものでがっか
り。

6時にホテルに戻って「彼」を待つが来ない。7時ご
ろ再び電話する。8時ごろに「ホテルに行く」と返事。
8時になっても、9時になっても来ない。夜中に車が
止まる音に彼であってほしいと願う。なにしろ現地
語なので英語の出来る「彼が」頼りなのだ。

ベッドに入っても寝付かれない。「船の港は」「チケッ
トは」もし「船が出ていなかったら」あした金曜だか
らあした中に見つけないと「来週に」なる。もたもた
していたら一ヶ月ビザが切れてしまう。進むことも
戻ることも出来ない袋小路に入った気持ちになる。

最悪の場合は「飛行機」で送るか、でもこの国に飛
行場があるのだろうかと、悪い方、悪い方にと考え
てしまい不安はつのるばかり、「彼は」来なかった。
なかなか寝付くことが出来なかったが自分でやる
しかないと覚悟、開き直りの気持ちになり気持ちが
落ち着く。


ほとんど言葉がわからず手書きの地図で船交渉


ブルンジ船着場税関事務所


ブルンジ 首都ブジュンブラ市内 小都市の町
と言った所でしょうか

2007年10月19日金曜 くもり 風がある
眠れななかった昨夜ウトウトしながら4時半に起きる。
言葉は通じなくても誰にもわかるような地図を描こ
う。「タンガニカ湖」を描いて①ブジュンブラの港②
ザンビアの港③船を浮かべて自分とオートバイが載
っている絵④10/19~10/28間での日付も書いて
「いつ出航」するのかなど。

一枚の紙に描いた。ネット屋に行けば英語の出来る人
がいるだろうと思ったが、ホテルの従業員に見せた。
お金の話はするが「うー、うー」と返事だけで頼りに
ならなのでレセプションの女性は相手にしない。従業
員は「港はオートバイで5分」とおしえてくれた。

朝7時半と早いがオートバイで港に走る。ほんとに
5分で着いた。集まってきた地元の人に「チケット」
「チケット」と話しているとブルーの制服を着た男
が近寄って「こっちにこい」と事務所の中に案内し
た。ここは税関事務所で男は税関だった。

私の描いた地図を見せる、彼も同じように「タンガ
ニカ湖」を描いて説明をしてくれる。二人の係官は
目を合わせながら話を進める。ウン?この態度は
「ワイロ」をもくろんでいる、ワイロが高かったら「ど
こで」開き直るかと考えながら説明を聞く。

最後に「チケットはどこで」と聞くと「近くにある」
と太った係官がいっしょについて来てくれる、が
そこではなかった、別の会社へ「タクシー」で行く
と話すが、私のオートバイの後ろに係官を乗せて
市内の船会社に着いた。

泊まっているホテルのすぐ近くだった。船会社の
男と話をしているが男は浮かない顔だ。「ヤバイ」
ぞと気になった。男と税関は10分以上話したあと
10/21から23日の間に出航でいつになるかわから
ないと私に話す。

そこへオーナーらしき人が来て「10月23日火曜」
に船を「出港」させると告げる。誠実そうなオーナ
ーは信頼できそうだ。で「運賃はいくら」だ。一人
50$オートバイ50$トータル100$=1万2千円に
エー「高い」とおどける。

タンガニカ湖は約700Kmと芋みたいな細長い湖。
内心思ったより安かったのでほっとした。へたする
と最悪500$=6万円ぐらいは覚悟していた。
ブルンジ10/23日出航ザンビア10/25日到着を
確認したのでお金はホテルに帰ってから午後払う
ことにした。

お金は用意していたが税関や男たちにサイフを見
られたくなかったのだ。税関を港まで送り、最後ま
で「ワイロ」の要求をしなかったばかりか、わざわざ
船会社まで案内してくれた税関に5000bf=600円
を渡した。疑ってすみませんでした。ありがとうござ
いました。ちなみにホテル一泊1200円。

まだ安心は出来ないが昨夜あれほど眠れないほど
の不安、心配ごとが午前中に解消した。午後ホテル
から歩いて5分もかからない所の船会社に100$=
12000円の支払いを済ませた。どうも貨物船のよう
な気がする。でもいいか。これでほんとに、ホッとし
た。23日に出航することを祈る。

お詫び

2007年10月18日 | ブルンジ
先日いっせいに送った写真つきメールは
他人のアドレスも入ってしまったような
気がします。

今までは一斉の場合は「CC]欄にアドレ
スを入れていたんですが、いつの間にか
「CC」がなくなっていたんです。原因が
わからないのでしばらく打てなくなりそう
です。

とゆうわけでアドレスを勝手に他人に知ら
せる結果になってしまいましたことお詫び
いたします。

言いづらいのか苦言は来ていませんが、気
をつけますのでこれからもよろしくお願い
します。

10月17日 ブルンジの初日

2007年10月18日 | ブルンジ

ブルンジの笑顔の人たち


ブルンジの途中の村、民家だろうか。こんな感じの
山を走ってきた。


ブルンジの途中の村で集まってきた人たち


ブルンジに入ってから写真を気さくに撮らせてもらうようになったので
気が楽になる。ブジュンブラの人たち

2007年10月17日水曜 はれ
ブルンジの初日の朝はカラッと晴れ上がった青
空は気持ちよい。日記の下書き、写真の撮り込み
縮小に午前中いっぱいかかる。午後3時過ぎ昨日
見つけていたネットカフェへ。

夜7時ごろまでかかるがプログの更新までは出
来なかった。あしたまた来ることにしよう。ブジュ
ンブラ市内のどこら辺に泊まっているのかもまだ
つかめていない。

ブログの更新を終えたらこれから進むザンビア
へは「タンザニカ湖」を船で渡ることにしている。
船着場の確認、船のチケット売り場などこれから
探すことになる。ちょっと憂鬱で不安だなー。

ウガンダ、ルワンダは高原の中に街があったが、
ここブジュンブラ市内は東に山は見えるが平坦な
街のようだ。

10月16日 ブルンジにつきました。

2007年10月18日 | ブルンジ

ルワンダからブルンジへの道はカーブの
連続だった。道はよかった。


ルワンダからブルンジへ向う途中村の親子


ルワンダとブルンジの国境


ブルンジに入った直後、地元の人たち

ルワンダからブルンジに向う
2007年10月16日火曜 曇り朝20℃ はれ昼30℃
きのう15日64才の誕生日を迎えて今日はブルンジ
へ向う。朝6時30分スタートしようとしたがエンジン
の音が気になる。うん?どうしたんだろう、プラグ
を替えたのでその影響か?

まだメカニックは寝ている時間だ、フッとガソリンコ
ックを見ると「ストップ」になっているではないか。先
日プラグを交換した時、修理屋がプラグを洗うのに
ガソリンを抜こうとコックを閉めたままだったのだ。
新品と交換したのでその必要はなかった。

コックを戻すとエンジン音は通常に戻った。ほっとす
る。ブルンジへの道は片側一車線狭い一本道。キガ
リを出てからも山道のカーブの道が続いた。朝から
畑では農作業に精を出している現地の人々。また
村の人たちはオートバイを見たとたん「ヒエーイ」と
嬌声を上げて手を振る人々たち。

学校を改造した「虐殺展示館」の町ブタレBtareに
ついた。「1994」「メモリアル」「スクール」と集まっ
てきた地元の人に聞いた。オートバイタクシーの
青年が「知って」いるとゆう。その青年のオートバ
イについて行く。

着いたところは兵隊のいる兵舎「ここには1994」
「メモリアル」じゃないと兵隊。オートバイタクシー
も困った顔。しかたないブルンジへ向おう。ブルン
ジの国境に着いた10時10分。

「あなたのビザはシングルでフィニッシュ」とルワ
ンダ係官。エーなぜだ。出国一回だから「いいは
ずだ」なんだかんだと待たされる。ワイロの要求
ではなさそうだ。並んでいたブルンジ人が係官
に何かを告げた。

係官は「コミニケーション」の違いみたいなこと
を言ってパスポートにスタンプを押した。変な係
官だなー。次はブルンジ国境に入る、あらかじめ
「ビザ」はとっていたのでスムーズ、並んでいる
列に割り込んで来る人あり。

「順番順番」と後ろに回す。その中に一人おばあ
さんがいた、周りの人が「おとしより」だから「許
して」あげたらと話す。それはすみません「どう
ぞ、前に来てください」と一番前で手続きをす
ませた。

ブルンジに入っても山の中のカーブの道は続
いた。アンデス山脈を思い起こすようなかなり
高いところを走っている。道は狭いが道はい
い。ルワンダ キガリを出てからづーっと山の
カーブの道が続く。

眼下に町が見える、あれがブルンジの首都、
ブジュンブルなのかも。だんだんと下っていく
と大きなモニューメントはブルンジの地図をあ
しらった首都ブジュンブルの入り口の看板だっ
た。市内に入りガススタンドの隅に停める。14時
5分。

地元の人がどっと寄ってきた。両替屋、タバコ
売りもきた。「ホテル」はと聞くとタバコ売りの
青年が隣のビルを指さす。オートバイをおいて
歩いて青年の後を歩く、一軒目のホテルは一泊
140$=1万7千円と「高い」隣の並んでいるホ
テルに行く。

すぐ隣のホテルは一泊10$=1200円。広い敷
地の中で明るい部屋、トイレ、水シャワーは共同
になっている。ここに泊まろう、オートバイをと
りにガススタンドに戻る。案内してくれた青年に
500ブルンジフラン=120円お礼に渡した。

部屋に荷物を入れる、どこで聞いたのかオート
バイの周りに地元の人たち7,8人。ここら辺は
街の中心になってるようだ。水シャワーを浴び
て下着、靴下を洗濯。ネットカフェを探しにゆく、
近くのレストランの中にあった。

ホテルに戻り朝からドリンクだけで走ってきた
ので腹がへっている。17時とチト早いがホテ
ルのレストランでチキンセット、ビールを注文。
ビール大瓶1800ブルンジフラン=200円
トータル12000BF=1200円

中庭の中にガーデンでも屋根つきでも飲めるな
かなかのレストランだ。ここまで来る間途中の
道には兵隊さんがいたるところでづーと警備し
ていた。(93カ国目)