松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

3月10,11、12日  みたまま、感じたままガーナの40日間

2008年03月12日 | ガーナ

あかるい声でともだちとはしゃぐ子どもたち ガーナアクラ市内



なかよしの同士好きなおもちゃをもちよって。



アフリカでパソコンにつなぐソケットはこの二つで大体の国で使える。
一個100円ぐらい。日本から持ってきた「万国共通ソケット」は
二回使ったかなー


「ガーナ見たまま、感じたまま」

ホテル、ネットカフェ、両替屋、お店でもお金の扱い
を見ているとあまり回りを気にしないように感じ
る。ホテルでは目の前にお札を広げたままだし、
両替屋では中に入ったソファの上でお札器械を
置いて数えている。大丈夫かいなと思う程両替
のお札の束も無ぞうさに積み上げてあった。


ネットカフェの隣の露天食堂親子。一度買った「パイナップル」で
顔を見ると「パイナップル」と声がかかる。


無ぞうさに見えるのはこれまで強盗などに襲われ
ることなどなかったからに違いない。銀行ATMで
カードでお金を下ろす時も周りを気にしているよう
な感じではない。周りを気にしているのはときたま
見かける外国人とわたしぐらいなもの。これまでの
国では見られなかった光景。


いつでもどこででも道路でビニールに入った「水」売りの女性、
ここは交差点で夜8時ごろまで商売している。一個5円。

街中で大声で話す人はいるが大体はおだやかな
声で話している。よく見かける「ケン」のある人や
けんか腰みたいに話す人はあまりみかけない。ま
た、わたしみたいな「外国人」に対して「嘲笑」「や
ゆ」するような言葉は他の国に比べるとぐーっと
少ない。


いつも顔をあわせる明るい子どもたち ガーナアクラ市内


この前テレビを見ながら晩飯を食っていたら、あ
とから来たスタッフがチャンネルを勝手に回した。
「ふざけるな」お前の「テレビ」かと日本語でどや
しつけた。ホテルの人たちがびっくりして5,6人集
まった。なりゆきを話したら、勝手にまわした本人
も集まった宿泊客もわかってくれた。

ビルの階段なんかで相手が通るまで「待って」て
いると、当たり前の顔して通り過ぎてしまう。も
ちろん「サンキュウ」もない。彼らにすればなにも
頼んでもいないのにとの考えなのだろう。


洋服はいらんかえー行商人の種類も多士済々


ホテルの受付嬢しかり、両替の女性しかり、男も女
も目の前にお客がいるにもかかわらず、ながなが
と平気で電話している。気にしない堂々たる態度
は立派なものだ。現地の人たちは「当たり前」の
ごとく電話し終わるのをじーっと待っている。
なにか「あした」も「あるさ」って言う感じ。

俺みたいにお客様は「神様だ」などと言われている
国から来た人間には耐えられない、こっちのことを
すませてからに「しろ!」と腹が立って怒鳴りたく
なる。ビジネス、サービスなど、といった感覚はま
だのようだ。ま、これから少しずつ変わっていくの
でしょうが。


100円なのに私の顔を見て200円になる「ここでやるもんか」
と別に探したトコヤが150円しょうがない「刈る」ことにした。

ネットカフェではスタート時刻を書いた紙切れを渡
される。それが30分も過ぎてから持ってくるとき
もある。自分もメモしておき、持ってきた時刻より
大幅に違う時がある。早い時は訂正してもらい、
遅い時は黙って受け取る。これはなんと云うセコ
さ、厚かましさだ。

そして、持って来たスタッフに言っていることがふ
るっている。「時刻」は「正確」に、これが「ビジネス」
「サービス」ってもんだと抜かしておる。聞いてあ
きれるねー。やってることといってることが違うの
はどこかの校長の話とそっくりだ。これが先進国の
人間がすることかー。アーッみんなじゃないおれだ
けだった。


街角のパンから蚊取り線香何でも売っている雑貨屋さん


ガーナの人は親切で人はいいんだけど、お店でも
食堂でも、外人と見ると平気で「ぼって」くる。食堂
の餅と同じ「フーフー」最初300円とられていたの
が200円になり最近現地の人の支払いを見ていた
らコインで支払っている。うん?「いくら」と現地の
人に聞いて見たら75セディ=75円とわかった。

一ヶ月以上もだまされていたのだ。渦巻状の蚊取
り線香をホテルの前にぽつんとある店で50円で
買った。違う店で確かめたら10円だった。このよう
に平気でぼってくる気持ちがわからない。日本で
はどんな田舎に行ってもどこの国の人でも「ぼる」
ことは考えられないことだけどなー。


スパゲティを時々食べに行くレストラン400円と高いのだなー。
外人もよく見かける


今、ガーナ、アクラの朝は6時半ぐらいに明るくなり
夕方も6時半ごろ暗くなる、一ヶ月前は朝がもう少
し早く、夜も遅かったような気がする。これから夜が
長くなるのだろうか。ネットカフェに行ったあと、とか
外出した時どうも手が汚れてはいないがちょとベ
トつくような感じで洗いたくなる。小さい砂塵なのか、
海からの風でそうなるのかはわからない。


手動ミシンを持ち歩きの行商人、「カタカタカタ」とリュックを直してもらった
これは便利でいいなー。両刃のカミソリここでも活躍していた。


「両刃」のカミソリといっても知らない人が多いだろう
なー日本で40年以上も前にひげそりに使っていたもの
ここガーナではひげそりの他に裁縫の布、糸などなどを
切るのに、まだ主力のようだ。

朝から青空が広がる「からっ」とした天気にならなくて、
いつもガスにさえぎられた太陽はどんよりとした日が続
いている。朝方27,8℃昼間31,2℃ぐらいかなー、
夜ベッドに掛け布団などはいっさいなし。天井のファン
は音がうるさいが慣れてしまった。



晩飯は「フーフー」(餅と同じ)の持ち帰りと焼き鳥ソーセージ
はくすり(ビール2本)のつまみ。




3月9日日曜 奴隷積出し港 エルミナ、ケープコースト要塞

2008年03月11日 | ガーナ

美しい海岸に突然突き出た城塞が現れる。エルミナ要塞


当時使われていたクサリの実物も展示されていた、首輪と足輪だろうか。


奴隷として収容されていたエルミナ要塞。


収容されていた部屋


ケープコースト要塞入り口


要塞からつながっている奴隷積出しの埠頭 ケープコースト要塞

奴隷積出し港二つの要塞を見る。
2008年3月9日日曜 はれ 朝29℃昼2時39℃

屈辱的な悲しい歴史を残す奴隷積出し港は西アフリカ
海岸の至るところにある。きょうはケープコースト、エル
ミナ二つの要塞に行って来よう。久しぶりの遠出運転と
ガーナ地図がないので多少不安の中出発。2時間程走
りケープコーストの町入り口に着いた。

この先のエルミナ要塞を先に見てからケープコースト
に戻ろう。椰子の木がきれいな海岸を造りだしている。
白い城塞が美しい海岸から突き出ているのがエルミナ
要塞だ。入場料7$=700円支払い要塞の中に入る。

博物展示館には当時使われていたクサリの展示もある。
クサリをはめられ閉じ込めらた石の部屋は要塞の中に
いくつもある。しゃれこうべのマークは亡くなった人の
部屋なのだろうか。うーん、気持ちが重くなる。

30分ほどでケープコースト要塞に戻る。エルミナと同じ
規模の要塞。入場料6$。奴隷の収容所が今はおみやげ屋
になっているのがエルミナ要塞と違う所。要塞から海岸に
向けている大砲とスイカ大の大砲の砲弾もそのまま残され
展示されている。要塞からつながる海岸には奴隷の積み出
しに使ったと思われる埠頭が残っている。

朝7時過ぎに出発。往復400kmぐらい走っただろうか、
スピードを落とすために作られた「カタカタ」の「突飛と
っぴ」がひっきりなしに出てきた。もしかしたら要塞の近
くで泊まることになるかもしれないと洗面用具を持っ
ていったがホテルに3時半に戻ることが出来た。

夕方黒い雲が立ち込めてガーナに来て初めて雨の音
を40日ぶりに聞くとことが出来た。

3月7日金曜 めずらしい五カ国共通ビザとれた。

2008年03月09日 | ガーナ

「五カ国共通ビザ」トーゴ大使館でとれた


明るい声で遊ぶこどもたち ガーナ、アクラ市内

めずらしい五カ国共通ビザをとった。

2008年3月7日金曜 はれ
これから進む国のビザを取りにトーゴ大使館に行こう。
地図には日本大使館の近くにある、前に行った時日本
大使館へは歩いて行ったので道路標識を気にせずいけ
たがオートバイで走ると一方通行になっていて大回り
になってしまった。、とたんに場所がわからなくなっ
た。途中タクシーの運転手に聞いて9時ちょっと前に
トーゴ大使館についた。

受付でガーナに来てから初めて日本人男性とあった。
館内に入り「五カ国共通ビザ」を申請したいんです。
「OK」と係官。名前とパスポートだけ英語で記入あと
はいつものようにひらがなで書いた。係官は「日本語
はダメ」とパスポートを見ながら係官が書き直してく
れた。すみません。

トーゴ、ベナン、ニジェール、ブルキナファソ、コートジボ
アールの五カ国ビザである。この共通ビザ、わたしは初
めてである。国同士仲良くなって信頼の上で初めて成
り立つ「五カ国共通ビザ」。あっちにもこっちにもこのよ
うなエリア別のビザが増えるといいなーと思う。3万セ
ファ?日本円でいくらだろうか。トーゴの通貨でないと
受付できないと係官。

オートバイで近くの銀行、両替屋へ。いつもカードが使
えるバークレイ銀行でカードが戻ってくる。他のカード
を使ってみたが戻って使えない。イヤーまいったなー。
他の二箇所のATMでも使えない。しょうがない手持ち
のUS$で両替するしかない。最初の両替屋で3万セファは
US$で62$と計算してくれた。ここで初めて6300円
ぐらいとわかる。ここにはトーゴ紙幣はなかった。

両替屋を二軒、三軒そして四軒回るがトーゴのお金は
ないと断られる。今日は申請はだめだなーと思ってい
る所へ大使館で会った日本人が申請を終わらせて歩
いてやってきた。オートバイを見てわかったらしい。「私
も朝回った時だめだった」がレートの悪い両替屋を
知っていると彼が話す、最後の両替屋だ、多少悪くて
もこの際かまわない。

そこでようやく6$も高い68$で3万トーゴセファの
両替できた。汗びっしょりになってトーゴ大使館に戻り
申請10時半に終わる。ビザ受取りは午後2時以降、パ
スポート交換用のカードを受け取り迷いに迷ってホテ
ルに着いたのが12時だった。午後2時過ぎ、めでたく
五カ国ビザを受け取った。

余談
街で「そこだよ」ほら「すぐそこの」と指さして両替屋
を教えてくれる。両替屋はトーゴのお金がなくて別の
両替屋を教えてくれる時も、ほら「見えてる」「そこだ
よ」ほれ「すぐそこ」と教えてくれる。地元だから「す
ぐそこ」がわかるが知らないところから来ている者に
とってわからないんだなー。

すぐ「そこ」がわからないんだ。なかにはあまりにも
わからないものだから「ははは」と嘲笑される。「笑う
んじゃねー」「俺は困ってるんだー」「人の気持ちもわ
からないで」「ふざけるなー」「この○○やろう」とど
やしつける。聴いている者より教えている方の者が怒
られている。

でも、なかには「すぐそこ」まで歩いて連れて行ってく
れる人もいる。これほどありがたいことはない。なにを
言いたいか。例えば日本で外国人に電車の「乗り場」を
訪ねられた時「すぐそこの」「となり」の「3番線」と「口」
で教えるより時間があったら歩いて「3番線」のホーム
まで連れて行ってほしいものだなーとつくづく思う。


3月5,6日 小さい気になることをすませる

2008年03月09日 | ガーナ

ただ立っているのではないのです。頭の上はビニール袋に入った
水を交差点でドライバー相手に商売


オートバイの受取り、郵便局などいつも付き添ってくれる無口の
青年バジョウ君

2008年3月5日水曜 相変わらずどんよりのはれ

気になっていたスピードメーターが修理できたことで
気持ちが楽になり夜は気持ちよく眠れた。オートバイ
のトランクの鍵が古くなって折れていた。午前中その
スペヤーキー鍵専門店にバジョウが連れて行って
くれた。

バジョウはゴリラも逃げ出すような大外股歩きだ。キ
ー専門店で800円もすると云うがしょうがない。ト
ランクの鍵は特殊な鍵になっていて日本の鍵専門店
「SOS」でも作れなかった物である。その鍵がここガ
ーナではすぐに出来てしまう。どうなってんだろう
かね。

鍵作ってもらっている間にリュックの取っ手のところ
が「ほころび」ているのを直そう。仕立て屋さんはど
こだと歩いていると「行商直し」屋さんがミシンを抱
えて歩いてきた。路上の日陰であて布を裏側につけ
て「かたかた」と手回しのミシンを動かす。こう云う
ミシンは便利でいいなー。二箇所直してもらい100円。

太もものお尻のしたあたりを虫に刺されてだいぶ経
つ、あまり「かゆく」はないがだんだん広がってきた。
クスリ屋で刺された所を見せて塗り薬を買った。400
円。最後に鍵を受け取ってホテルに戻る。小さいこと
でも気になることを一つ一つ解決していくと気持ち
が落ち着く。

3月6日木曜 はれ 
日本からのメールの便りでは桜の開花予想東京地方
は3月27日とか、もう花見の日にちも決まったようだ。
一月いっきに2月は逃げる3月さっと去る(散る)でした
っけ、ほんと早いなー。

3月4日 スピードメーター修理出来て アーよかったー

2008年03月06日 | ガーナ

つぶれ壊れてしまったスピードメーター


いびつではあるがどうにか修理して直ったスピードメーター
現在3周り目、総走行距離273517km

スピードメーター修理出来た。
2008年3月4日火曜 はれ

船輸送中つぶれたスピードメーターを修理できなかっ
たら日本から取り寄せることになる。家内は娘のサン
フランシスコに6日飛ぶ、その間自宅は誰もいなくな
る。困ったなー誰に頼もうかなーと最悪の場合を考え
ていた。

ホテルの無口の青年バジョウは昨夜8時から今朝の
10時までが勤務らしい。10時過ぎバジョウをうしろに
乗せてオートバイ修理に向う。「大丈夫」かいなと思
うほど店構えは小さい。スピードメーター新品は品切
れとオーナー。修理できれば「今までのメーター」を
これからも使いたい。

聞いていた青年店員「OK」とメーターを取り外しに
かかる。どうにか修理が出来ますようにと祈る気持
ち。ワッと集まってきた地元の人たちも少なくなっ
た。スピードメーターはどこかへ持って行き直してい
るようだ、ここにはいない。地元の人と話をしなが
らフロントの割れた部分を「プシュン」と留め金で直
してもらった。

一箇所だけ「プシュン」で留めたのに600円くれ
と云う。「何を言ってる」荷台の下に取り付けた「金具」
の溶接を見せ「これが500円だ」一箇所だけは100
円で充分だと言いながら「300円」を渡す、苦笑い
しながらうれしそうに受け取る。最初から「ぼって」いる
のがみえみえ。


スピードメーターを修理したオートバイ屋

そうだ、現金を持ってきてない、先に銀行に云って
用意しておこう。オーナーに30~50(3000円~5
000円)と紙に書いて「これで」修理代すみそうか、
オーナーは200(2万円)との返事。「ノーノー」ジャ
パンでは新品さえ15000円だと「かます」。直すだけ
だから30~50(3千円~5千円)でいいはずと。

オーナーも「しょうがない」と云った顔で「ok」した。
よし勝った。銀行は15分ほど歩いた所にバークレー
があった。ATMでちょうど5000円下ろしたように見せ
るため残りの金は別のポケットにしまいこんだ。

オートバイ屋に戻ると修理から戻って取り付けてい
る。「テストOK]か「OK」と返ってきた。青年店員は黒
い額に汗の玉を光らせながらぱかんとあいて閉まらない
ガラスをガムテーで止め取り付けを終わらせる。
オーナー、青年店員、バジョウ3人を呼んでオーナーに
3000円青年に1000円バジョウに1000円3人
の目の前で渡した。

青年店員はあと「500円」足してくれと言う。「OK」それ
はオーナーからもらってくれとオーナーの顔を見
ながら話すとオーナーも納得してくれた。修理でき
ない時はどうするか心配していたが日本から取り寄
せしなくて済んだ。アーよかったー。大きな山場
を越えた。気分がすっきりして気持ちが落ち着く。

これからはこれから進む国、ガーナの周りにあるト
ーゴ、ベレン、ニジェール、ブルキナファソ、コートジ
ボアールのビザをとるだけになった。この五カ国
は五カ国共通ビザを発行していると聞いている。
トーゴの大使館に行って見なければわからないが
こうゆう珍しい共通ビザはいいなー、これからどんどん
増えてくれるとうれしくなるが。

アー何度も云いたい、スピードメーターが修理できた
ことで、ほんと気持ちがラクーになった。


エンジンガード、トランクを固定する金具留めなど溶接屋のみなさん

3月3日 郵便小包やっとこさ受け取る

2008年03月05日 | ガーナ

ハイヒールはいらんかねー ガーナ アクラ市内

カメラの小包受取りました。
2008年3月3日月曜 はれ

郵便物が世界のどこにあるのか小包のコード番号
を入力するとわかるシステムに「なっている」こ
とをブログで仲間が教えてくれた、はじめて知っ
た。ネットで調べたのだろうか、すでに小包2個
は私書箱に「保管され」ていると娘から連絡が来
ている。

日本の私書箱にあたる泊まっているホテルのB
OX.そのキーを持って郵便局に行く。今日もバ
ジョウが付き添いだ。タクシーで20分250円。
郵便局のBOXには「通知書」2枚入っていた。小包
受取所に行くと一枚はここの郵便局で小包を
受け取れた。あと一枚は中央郵便局へ行くよう
にと説明される、ふーん?。

同じ住所なのになーどうしてだろう。またタクシ
ーで20分中央郵便局へ300円。小包受取りに
かなりの人が待っている。携帯電話など電気製品
を受け取る人たちはお金を支払っている。ハハー
ン輸入税のお金なのかもしれないなー。しばらく
待って私の番が来た。

「パスポート」をと係りの人が催促する。パスポ
ートを忘れてきたのでさっきは名刺と銀行カード
で「証明」し受け「取ってきた」と説明了承をえる。
カメラを見て、となりの女性は関税104セディ=
10400円と電卓を見せる、エーッ、そんな「金
ない!」持ってる6000円をオールマネーと両手
を広げて見せる。

また銀行で下ろしてくるようだなー。ちょっと「待
って」と女性。電算機で打ち直して「5900円」で
いいと云う。オオーサンキュウ、そばにいたバジョ
ウどうしたものかとキョトンとしている。マツオは
口がうまいからなと白い歯を見せながら笑って
いた。

受取りの間「トン トン トーン、ガーナのフーフ
はおいしいなー、ハングリーハングリ 早くしてオ
クレー」と日本語で女性の前で歌っていたのが功を
奏したのかなー。そんなことはあるまい。それにし
ても現地の人たちが大勢見ている前で関税のやり直
しを堂々とやるとはどうなっているのだろう。

カメラと書かないで「くすり」とか「漬物」と書いて
送ったほうが税金とられなくてすみそうだなー。
何はともあれ日本からの小包2個ようやく受け取
ることが出来た。カメラ、くすり、梅干し、などなど
さっそく夕方メールした「ありがとう」。


2月29、3月1,2日 オートバイの感触をたしかめる 

2008年03月05日 | ガーナ

ネットカフェに行く途中声をかけてくれる露天商の親子

2008年2月29日金曜 はれ
受け取ったオートバイでいつものネットカフェへ、
ビルの3階がネットカフェ。一階はじゅうたん屋、
その前にオートバイを停める。「ヒュー」と嬌声
の声出している。店のオーナーにエンジンガード
が「欠けて」いる部分を見せながら溶接屋が近く
にないかと訪ねる。

すぐ「そこに」あると歩きながら50m先まで案
内してもらう。ここは一方交通なのでぐるっと回
込んで溶接屋の前に停め溶接を頼んだ。フーフー
食堂へ行き昼飯を終へ一時間ぐらいで戻ると溶接
は終わっていた500円、気になるところが直る
と気持ちが落ち着く。夕方ネットカフェへ。
小包はまだ着かない。

2008年3月1日土曜 はれ
オートバイのうしろのトランク台のしたに取り付け
た金具が古くなり片方外れているので新しい丈
夫な鉄板を取り付けようと、きのうの溶接屋へ。
今回は荷物をくくりつけるチューブを簡単に引っ
掛けられるように取っ手も二箇所付けた「手書き」
の「図面」を見せる。

最後の仕上げで二本づつのボルト穴がうまく合
わないようで苦労していたがどうにか収まった。
うん、今度は頑丈なものが出来た500円。ひと
つずつ気になる部分を直してもらうと気分がいい。

2008年3月2日日曜 はれ
楽しみのひとつ、安い「フーフー」食堂も休みなの
で日曜日はつまらない。ネットカフェーも午後2時
か3時にならないとオープンしない。それまでアフ
リカの「旅情報」でもととっかかるが、これが意外
と面倒で大変なことだ。

ホテルの名前、料金、場所などある程度正確でな
ければならない。おおざっぱに書いている日記か
ら抜き出して書けるものではない。ましてビザ代、
国境の地名となるとこれだけでも片手間ではと
ても出来ない大仕事になることに気づく。ま、出
来るものからはじめてみようと思うが、走り出し
たらとても出来ないことだ、さてどうなるか。

2月28日 オートバイ受け取りました

2008年03月01日 | ガーナ

ケープタウンからガーナ、テマTEMA港に送ったオートバイを
2月28日受け取りホテルにもって来た。

オートバイ受け取りました。
2008年2月28日木曜 はれ

オートバイを受け取りに行く日だ。受付嬢にはいつも
より30分早く8時に出勤してもらうように、また、
いっしょについて来てくれる青年バジョウにはあし
た8時半にホテルを出るからと、2度3度きのう頼ん
でいた。二人とも時間を守ってくれた。

船会社までいつものミニバスに乗り海岸沿いを走り
予定の10時に船会社に着いた。船会社からコンテナ
オフィスに向う。よしよし、これじゃ12時にはホテルに
戻れそうだ。コンテナオフィスの待合所は20~30人
座って待っている。一時間たって手続きが終わる。

オートバイの受取り倉庫へ、あったあったわたしの
オートバイだ木枠の台車に固定されているが、周り
は取り除かれている。これからカスタム(税関)の手
続きらしい。その間いつでも出発できるように準備
しておこう。

下向きになっているハンドルを元の位置まで戻した
り、フロントの取り付けやトランクを取り付ける。
アレースピードメーターが押しつぶされてガラスが
割れてしまっている、弁償しろーっ!。ケープタウ
ンから送るとき頑丈に出来ていると思ったBMWの
ダンボールではやっぱりダメだったんだなー。

どうにか取り付けを終わり最後にエンジンをかける。
うんともすんとも云わない。バッテリーの接続を繰
り返してみるが何の変化もない。バッテリーが上が
ってしまっているのだ。ウーン困ったな、近くにメカ
ニックの会社があるのだろうか。不安になってきた。

無口のバジョウはバッテリーのことは理解できない
でいるようだ。まだカスタムの手続きが終わらない。
13時を過ぎた。二人とも腹減ったが水だけ飲んで昼
抜きになりそうだ。外は暑かったがここ倉庫の中は
天井が高くて風も入り気持ちがいい。ウトウトしてい
るとようやくカスタムから船会社の人が戻ってきた。
もう3時を過ぎている。

バッテリーチャージは出口のところにあり助かった。
エンジンはすぐにかかったが停まるとかからなくな
ってしまう。二人が乗ったタクシーのうしろについて
船会社に戻る。精算を終わらせる間に新品のバッテ
リーを持ってきてもらって交換した(6000円)。
すべて終わったのは4時半になった。

さーホテルに戻ろう。バジョウが乗るタクシーのうし
ろについて走る、久しぶりの運転だ。夕方の渋滞を
心配したがタクシーはうまく回り込んでホテルには
5時半に着いた。「マチオ マチオ」と受付嬢が迎
える。バッテリーのことなどで今日中にホテルに戻
れるかどうかと心配したが、戻れることが出来てホ
ッとした。

バジョウ「ご苦労さん」と握手、二回も付き添って
くれたバジョウに2000円。毎日のように船会社に
何回も電話でのやり取りを手伝ってくれた受付嬢マ
フェヤに1000円感謝のお礼を渡した。(1000
円は3日分から5日分の賃金に当たるだろうと思う)
二人にありがとう。

あしたから壊れているスピードメーターや、温度計
がすぐに赤色橙がつくのでそれらの点検をする、
オートバイ屋を探さなければならないが、最大の
難関の受取りは終わった。バケツシャワーを浴び
てグーッと冷えたビールで乾杯。カメラは今日も
ついてない。

2月24,25、26日 ガーナのお金をUS$に両替

2008年03月01日 | ガーナ

FAX店「TIGO]の前通り


FAX店内

2008年2月24日日曜 はれ
NHK地球ラジオをネットカフェで聴くため行くが
停電のため2時ごろまでダメとスタッフ。夕方再
びネットカフェ。

2008年2月25日月曜 はれ
ほんとに郵便物日本からガーナまで二日間で着
くのだろうかなー。レセプションの受付嬢「到着」
したら郵便局からホテルに「電話」が来ると話す。
夕方ネットカフェから帰っても、まだ電話はない
ようだ。きょうも晩飯はフーフーを買ってきた。

青空の見える晴天ではなく、ぼんやりした晴れが
続いている。ここアクラについて約一ヶ月雨は降
ってない。水道水は朝も昼も出なくなり、夜9時
過ぎにチョロチョロと出はじめる。スタッフの汲ん
でくるバケツで顔、身体を洗っている。この先ど
うなるのか心配だなー。

2008年2月26日火曜 はれ
午前中銀行ATMで600セディを下ろして、両替屋
フォーレックスビュウーへ。何軒かある両替屋に事
前に「いくら」で両替できるか聞いていた中では、ここ
が一番よかった両替屋。600セディそっくりUS$
とそっくり両替する、なんと一対一なのだ。600
セディ=600US$今は約7万円ぐらいだろうか。

これから銀行でカードを使えない国もありそうだ
から困らないように、ユーロも少し両替しとかなけ
ればならない。銀行に行くからとバックを預けた
ネットカフェで一時間過ごしてホテルに戻る。郵便
局から荷物が着いたとの電話はまだないようだ。あ
した28日ホテルスタッフ「バジョー」が確認に行
ってもらう事になった。

2008年2月27日水曜 はれ
カメラの荷物は今日も着かなかった。スタッフのバ
ジョウが郵便局まで行ったがロックされていて?
見れなかったと帰ってきた。