松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

赤道直下と国境の写真載せました。今年・最初の講演会です。

2011年01月15日 | 赤道直下と陸路国境148か所

写真(上)道路の真ん中に赤道直下の標識:アフリカ・ウガンダ。ここではジョウゴを置いてありお金をとって水の渦巻きの実験を見せていました。北半球は右回り、南半球は左回り、赤道直下は渦巻きなしでした。

北半球の渦巻きは日本と同じ右回りしてバケツに落ちる

赤道から5m動いた南半球の水は左に回りながら落ちた

赤道直下でのジョウゴの水は渦巻きしないですーっと落ちた。ヘー不思議なことだこと。めずらしかったので二回もためしてみた、やっぱり同じ水の落ち方だった。

赤道直下に建っている家も珍しい、いながらにして北半球に行ったり、南半球に行ったり寝るときは赤道直下?地球の真ん中に住む人はもしかしたここだけかもしれない。

アマゾン川のジャングル100万人都市マナウスからベネゼェラに向かって走った。通り過ぎたあと、うん?もしかした赤道だったかもと引き返した。やっぱり赤道直下の標識だった。よかったー。静かなジャングルからかん高い「チョットこい」みたいな大きな鳥と思われる鳴き声だけが聞こえてくるところだった。標識はゼロゼロ000000と標識に打ち込んであり道路には黄色いペンキを塗ってある。自動シャッターで写真をいっぱい撮った。

アフリカ・ブルキナファソとマリの国境。踏切の遮断機見たいなものが見えるところからマリに入国しました。

以下づーっと国境の写真だらけです。

             

       今年・最初の講演会です

世界の果てを見て見たいオートバイの旅102カ国
第4回「赤道直下と国境物語」松尾清晴67歳

講演会内容
○赤道の国:南米エクアドルとブラジルアフリカ、ケニアとウガンダ
○148か所を超えてきた陸路国境物語。だいたい入国に1時間・出国に1時間ぐらい
 国境係官とのやり取り、押し問答などのはなしになりそうです。


1月31日・月曜・13:30~15:30
主催:さいたま市・シニアライフ研究会
参加費100円・申し込み先:048-859-4130
定員80名

場所
埼玉トヨペット株式会社:「はあねっと輪っふる」
埼京線:北与野駅 南口出て1分
さいたま新都心駅 徒歩10分
車の場合近くの有料駐車になります。

平日ですがよかったら申し込んでください。

 

以下国境物語です 

 

シベリア横断1万kmでモスクワまで行きUータンしてカザフスタンに入る、受付順番待ち待機中

中米ニカラグアに入ったばかりにの場所に案内看板が立っていた。日本でつかんだイメージは中米と聴いただけで「怖さを」身につけていたのでびくびくしながら国境を越えた。

ペルーとボリビアの国境ボリビアに入って手続き中。国境の写真はほとんど禁止のところが多いがここはOKだった。ここも腕木式のゲートだった。向こうの側ブルーの看板はペルー

ヨルダンとイラクの国境。ここの国境の写真はだめだったので少し走ったところで撮った。ヨルダンでようやくイラクビザがおりたのでアメリカのイラク攻撃反対でヨルダンからタクシー(バクダッド1万円)を飛ばして人間の盾としてイラクにはいった。

9.11事件を目の前に見た「ビル爆破事件」なんて「ひどいことを」と「うちひしがれた」。2003年3月「イラク攻撃に移った」アメリカの攻撃を「これは」「違う」とわたしは直感した。

日本では「すべてのマスコミ」は「イラク攻撃やむなし」の大合唱。またもや太平洋戦争とまったく同じく「だまされ」て戦争に巻き込まれる危機感を持った。

これまで「戦争反対」意思表示をつづけてきた「日本社会党員」「国鉄労働組合員」として自分史に汚点を残したくなかった。「イラク攻撃反対」に向かうことに家族も兄弟も反対したがイラクにひとりで向かった。2003年3月20日攻撃前3月11日の写真。

もちろんイラク・フセイン大統領はまだ生きていた。結果としてイラクには「大量破壊兵器はなかった」「ビンラデン氏との関係もなかった」とアメリカ自信が認めた。それじゃ犠牲になって死んだイラク国民やアメリカ兵隊はどうするんだ。

ビル爆破攻撃は「イラクの石油狙い」のアメリカの「自作自演」ではなかったのではないかとと「疑」わざるを得ない気がする。

さらにビンラデン氏はどこへ行って、どうしてるのか。「イラク攻撃やむなし」と報道してきた日本のマスコミはイラク報道は途絶えてしまった。これまでの垂れ流してきた日本のマスコミの責任問題はどうなってるのか。各報道各社は検証をしているのかどうか。知らん顔では許せない問題である。

もちろんブッシュ大統領、それに追随した元小泉首相の責任も問う。

い」

二機目が突っ込む瞬間(次の日ニューヨークの新聞)

搭乗していた9:15分発ユナイテッドサンフランシスコ行きからおろされた。避難命令で空港からからも追い出される。動き出した地下鉄は途中どまり。そこから警戒ロープが張られている現場まで歩いた。救急車、パトカーなど走りまわって、道路と車から降りて逃げたと思われる残されたマイカーの上にも白いプラスチックのような綿ほこりが10cmぐらい積っていた。TVスタッフも動きまわっていた。

消防士はガスボンベを背負って地下鉄に入っていく、線路を歩いて現場まで急ぐのだろうか

実はヨーロッパ、中東、東欧、北欧など42カ国走りアメリカに渡った、2001年9月11日ニューヨーク・マンハッタン。いわゆる9.11同時ビル爆破に遭遇した。9月11日当日ケネディ国際空港で飛行機ユナイテッドサンフランシスコ行9時15分発に搭乗していた。

ハイジャックの機内放送だけわかった。飛行機から全員おろされてロビーのテレビで事件のことを知った。すべとの空港、地下鉄も学校も閉鎖された。空港からマンハッタン爆破されたビル現場まで歩いた。一番安全と思っていたアメリカで身の危険を感じて恐ろしかった。

その時は戦争になると一瞬思った。一週間足止めされてから日本に一時帰国したが爆破の現場を見て打ちひしがれてしまいこれまで走ってきたことは吹っ飛んでしまい自慢話どころではなかった。ひどいことをするものだと犯人を恨んだ。

しかし逆算するとビル爆破事件は「最初にイラク石油ありき」のアメリカのシナリオではなかったのかと思わざるを得ない。犯人ビンラデンをいまでも追いかけているのだろうかアメリカを疑う。

イングランドに入るドーバー海峡国境。トンネルの中を列車で運ぶ。大型トラック、バスは別の貨車で運んでいた。30分ぐらいでイングランドに着いた。

ピレネー山脈の山の中にあるアンドラの国からフランスに向かう。途中から吹雪で滑って病院行きを覚悟した。そろそろと両足ついてどうにか降り切ったがこわかった。ここはスキー場になっている頂上のフランスとの国境。峠から雪のない場所についてからもしばらく震えが止まらなかった。 

エジプトからイスラエルに入るのだが。前日15時頃だったが入国することができずいったんエジプト国境から50km戻りホテルに泊まる。次の日再びアタック。朝一番で終了したのは13時トランクからすべて出して、ほんとすべて調べられた。ここでは写真を撮ることができないので、スケッチになった.一日半かかってようやくイスラエルに入ることができた。

トルクメニスタンの銀行でカードでおろそうとしたがどこの銀行でもだめだった。船でアゼルバイジャンに渡る予定だったが現金5000円しか手元に残ってなかったのでイランに向かう。

この写真はうしろの山の向こうはトルクメニスタンからイランに入ったばかりの国境、。イランでもすべてのカードが使えずビデオを2万5000円で売って現金に。

イラン、マシュハードからアゼルバイジャンまで2000km北海道から九州までの距離四泊五日走ってアゼルバイジャンの銀行でようやく現金を手にした。

パシャパシャとATMの紙幣を数える音がした時、からだはへなへなとなってしまったあーたすかった。

お金が下りなかったらどうしようと眠れぬ夜が続いたので現金を手にして心底ほっとした。アゼルバイジャンからグルジアに向かう。ここはアゼルバイジャンを出てグルジアに向かう緩衝地帯。自動車が並んでいる先頭がグルジア国境事務所。

ロシアで2時間ぐらいかかって手続き終わり、モロッコに入ろうとしたが「飯の時間」で国境入り口でストップ、ここは緩衝地帯。ウンコが見える掘立小屋トイレに行った帰りに撮った写真。2時間ぐらい待ってモンゴルに入った。

フェインランドを北へ北へ走ってノルウェイに入った。ここは橋の手前に国境事務所があったが人はいなかった。フェインランドからノルウェイの国境は川の真ん中に標識が建っていた。どこの国でも境界は川が多いな。後ろがフェインランドこれからノルウェイに向かう。

モザンビークからマラウイの緩衝地帯に着いたところ。両替の地元の人たちがワーッと集まってきた。マラウイでは歩いて旅行していた人ペアー二組を見た、治安がいいのだろうと思う。

スワジランドからモザンビークに入った。すべて手続きを終えてこれからモザンビークの首都マプト75kmに向かう。商売している人の写真は撮っては「だめだ」と地元の人に注意される。

海外で3回目の10月15日・60歳誕生日をイランの首都テヘランで迎えてパキスタンにはいった。イランでの手続きを終えてパキスタンに入ったばかりの国境。ここでは写真OKだった。この国では右か左かわからずしばらくセンターラインを走っていた。ここは左側通行だった。

中近東と聴いただけで「怖いイメージ」を持っていた。トルコからシリアに入ったばかり国境係官が写真OKと自分も入ってくれた。しかし「わいろ」らしき言葉を言って1時間ぐらい待たされた。わからないふりしてら払わずに済んだ。市内にはいってからもシリアの人は自分のオートバイで並走しながらわたしに「飴玉」をくれたりして人なつっこい人たちだった。知らない国を肌で知ることの大切さを知らされる。

ネパールと中国チベット国境トラックがとまっているところがゲート。こちら側はネパール。正面の山はチベットでジープでも苦戦する平均標高4000mまで一気に登る。ガレバや頭の上から滝の水が落ちてきたりチベットでは川に橋がなく、泥沼に転倒したりで必死の覚悟で毎日走った。チベットには一カ月滞在した。

ヨルダン・アカバからエジプト・ヌエバに向かう船の中。船の中はイスラムの人たちばかりである。写真はトルコからエジプトのわたる家族と仲良くなる。

モーりタニアから西サハラに入る国境。わからないだろうと写真を撮ったら国境係官がなにを撮っていると近寄ってきた。「NOー」自分のオートバイを撮ったと話してカメラは没収されずに済んだ。パンクさせるぼっちが付いている国境で待機中。50m先の右側国境事務所がある。砂嵐で道が消えてしまうので死ぬかもしれないと、こわかった。

モーリタニアから西サハラに入ったがクルマの足跡が消えてしまって道がわからなくなった。国境事務所で地雷が「ボン」と来るぞと言われていたのでこわくなって後ろから来るトラックを待った。トラックの後ろにピタッとついて走った。こわかった。

セネガルとモーリタニアの国境。川の向こうがモーリタニア。ここまで来るのに田舎道を走ってきた。途中でわいろを要求されたりして時間がかかった。

ここはマリとセネガルとこ国境。最初わからずこの国境を通り過ぎてT路地で止まっていたらポリスに呼び止められて入国のスタンプを「もらってこい」戻って路地裏にあるわからにくい事務所でスタンプをもらった。こんどはセネガルの入国スタンプだ。これまたくねくねした町の中を通りようやく見つけてスタンプをもらった。普通は道真ん中に国境事務所があるがココは町の隠れたようなところにあった。

マリに入り手続きを終えた。係官の「泊まる」場所はベッド一個で粗末な小屋の中にあった。写真は国境手続き荷をする事務所。終わったあと小便するために後ろに回ったところから写真を撮らせてもらった。ごめん。

ガーナからトーゴに入ったばかりの国境。どうしてこんなに人が集まるのだろうかと思うほどおおぜいの人だかりだった。

これからガーナからトーゴに入る国境

南アフリカに囲まれている「レソト」入る国境

ジンバブエからボツワナの国境に入るところこの辺の国境は人を見なかった。

ウガンダからブルンジに入る国境で地元の人たちと。

西アフリカベナンからニジェール川を渡り二ジェールに入る国境。本格的な砂漠地帯に入る。しらない砂漠のおそろしさを感じる。

うーんここの国境はどこだろうかおそらくジンバブエの国境でこれからボツワナに入るところだと思う。

南アフリカからスワジランドの国境。野生動物の看板を見てあーアフリカに来たんだなーと感じた。もっともここの国境にたどりつくのに行きすぎて地元の人に引っ張ってもらいようやくたどり着くことができた。

 

南アフリカ出国手続きを終えてスワジランドに入るゲート。


新年会のおしらせ

2011年01月11日 | お知らせです
みなさんあけましておめでとうございます。
挨拶がだいぶ遅くなりましてすみません。

新年会のお知らせです。畑の中の新年会でしたが事情により
場所が変更になりましたのできのう打ち合わせをしました。

日程と費用決まりましたのでお知らせいたします。
みなさんのお越し待っています。現在30人の参加者です。

2011年新年会 参加希望の皆様へ
WTN-J」と「あきらめない・なげださない・地球の旅人」共同開催

開催要領が一部変更となりましたので、連絡いたします。
■料金
・日帰の方:1,500円(入村料+施設使用料)
・宿泊の方:2,500円(入村料+施設使用料)
 ※主催者側でまとめて集金します。
 ※飲食代金は含まれていませんので、各自で持参してください。
 ※駐車料金は含まれていませんので、各自で支払ってして下さい。

■日程
・全般:1/22(土)14:00~1/23(日) 9:30
・主宴会を1/22(土)15:00~17:00に開催します。
※主宴会は屋外で開催します、充分な防寒対策をお願いします。

■寝具のレンタル
寝袋等を持参しない方は寝具のレンタルがあります、ご希望の方は事前に連絡ください。

・敷き布団 1 枚 630 (※キャンセル料 1枚320円)
・枕 1 個 170
・毛布 1 枚 350

■返信のお願い
お手数ですが、下記の返信をお願いします。
・宿泊、または、日帰りのどちらか。(連絡済みの方を除く)
・到着が1/22(土)15:00以降になる方
・寝具のレンタルが必要な方
・1/15までに連絡ください。

■開催概要
「あきらめない・なげださない・地球の旅人」と合同で新年会です
オートバイに乗らない方も多数参加します、色々なスタイルの旅人の懇親の場になれば幸いです。
■場所
千葉県野田市 清水公園内のバンガロー
http://www.shimizu-kouen.com/index.html
千葉県野田市清水906番地 TEL. 04-7125-3030

・4輪車
・日帰り:700円
・1泊 :1000円
・2輪車
・駐輪場に駐車できれば:無料
・駐輪場に駐車できない場合(大型車等):4輪車と同じ料金
・日帰り:700円
・1泊 :1000円
 ※第3駐車場が最寄になります。駐輪場はバンガロー近くにあるそうです、
詳細は施設の係員に確認してください。

■各自で持参いただくもの
・飲食物
・食器類
・寝具(宿泊希望の方)

■開催概要・注意事項等
・バンガロー内には暖房がありますが、寒い時期ですので暖かい服装で参加してください。
・宴会は一部屋外で開催する予定です。
・バンガロー外ではコンロ等による火(炭火)の使用は可能です。(焚き火は禁止です)

・宿泊はバンガロー内になります。(テント泊は不可です)
・駐車場(第3駐車場)とバンガローは若干距離が離れています。
・バンガロー前まで車両の乗り入れは出来ません。
・参加のキャンセル等は早めに連絡ください。
・宿泊希望の方は暖かいシュラフ(寝袋)等を持参して下さい。
・寝袋等を持参しない方は寝具のレンタルがあります、ご希望の方は事前に連絡ください。
  ・敷き布団 1 枚 630 (※キャンセル料 1枚320円)
  ・枕 1 個 170
  ・毛布 1 枚 350
・飲酒運転は厳禁です
・電車での参加も容易です:東武野田線「清水公園駅」下車西口より徒歩10分
・主宴会の食べ物は一部主催者側でも用意する予定です、充分な量ではありません。


よろしくお願いいたします
・・・‥‥……━━━━━━━━━……‥‥・・・
WTN-Jスタッフ:小口 隆士 (Koguchi Takashi)
E-mail ZVC03377@nifty.com

「あきらめない・なげださない・地球の旅人」
バイクの松尾 bikenomatsuo@hotmail.com