松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

オートバイひとり旅・シベリア横断~モスクワ~中央アジアの旅25 モスクワ

2012年10月26日 | 赤道直下と陸路国境148か所
オートバイ修理工場の近くにあったどでかい「公園①」はおそらく有名だと思う。

2003年8月2日土曜 はれ はれ
きょうホテルを変える予定だった。しかしタンニャさんから10時過ぎに「ビジネス」のため行けない」と電話が入った「OK」。ここを動くとタンニャさんに連絡が出来なくなってしまう。そのままホテルの予約をした。テレビが映らなくなったので部屋替えした。これで部屋替えは4回目、四角になっているホテルの四隅の部屋をすべて回ったことになる。今回はクレムリンが目の前に見える部屋になった。

タンニャさんに部屋が変わったことを電話した。なんと900円もかかった。ホテルからの電話だとこんなにも高い。一円でも安くとスーパーに行き二日分の食料を買い込んだ。午後からなんにもないからクレムリンをスケッチしてみた。

ホテルからクレムリンを暇つぶしにスケッチしてみたが、ピカソもおどろくうまさ(笑い)。

8月3日日曜 はれ はれ
づーっとホテルの部屋で昼もビール・・ごろごろして晩めしもビール21時に終わる。さーあしたオートバイは直っているのかどうか。ここまできたら一日二日伸びたところであせってもしょうがない、気持ちを入れ替えて覚悟してかかるしかないかとも思う。しかしなんと言ってもホテル一泊8000円(2000P)はもうふるえる金額だ。オートバイがあした直っていることを祈るばかりだ。

いつ出発できるか不安の日々
8月4日月曜 はれ はれ はれ
さて、どうなることやらオートバイの修理きょう午前中に終わっているのかどうかタンニャさんからも電話なし。きょう迎えに来なかったら直接修理工場まで行こう。前回の領収書をたよりに行くしかない。それとも工場に電話してからにするか。領収書と地図をにらめっこ。今9時、9時半になったらタンニャさんに電話した。オートバイのこと「オートバイサービス」に電話を入れてまた「14時頃コールする」と言って切る。

いつになることやら14時になっても「コール」なし。領収書にあるオートサービスに電話してみたが英語を話せる人がいなくて、わたしの英語も単語を並べるだけではなかなか通じない。「5日になるか6日になるか」「ベイビー」「わからない」とか言っている。ビッグバイクで大変なようすが少しはわかるような気がする。しかし「フィニッシュ」いつ終わるのかがわからない。

「カザフスタン、ビザ」「タイムリミット」を繰り返したのは「早くしてくれ」との意味だったのだ。「ツモーロー」あしたまた電話する。タンニャさんから電話が来た「あした11時」にホテルに「迎えに行く」とのこと。「O K」ありがとう.
オートバイ修理工場の近くにあった公園②

これまでロシア・ルーブル「×4」で計算してきた。ここのホテの両替屋で計算してもらったら1$120円=29ルーブルと書いてくれた。するとこのホテル2000ルーブル=6000円でいいのかな。じゃこれから「×3」で行こう。一日ホテル代8000円と思っていたが6000円だ。少しは救われたような感じになる。

ついでにビール(中)の値段ホテル120円・道ばた売店90円・地下鉄入り口66円・スーパマーケット80円

8月5日火曜 はれ はれ 一時雨 くもり 小雨 雨
11時にタンニャさんが来てくれることになっている。さて・・オートバイはどうなっているのか。きょう乗って帰れるのか。わたしの感じではエンジンをばらしたままそのままになって組み立てに入っていないのではないかと思う。はたしてどうか。11時前一階のレセプションまで下りて待つ。30分、40分待つがタンニャさんは現れない。どうしたんだろう。部屋に戻り昼めしにする。

オートバイやの近くにあった公園③モニューメント

することもないのでビールを買いに行くついでに16時頃からネットを打ちに行く。ここのネット屋は70ルーブル=210円と安いので助かっている。帰りに雨が降ってきた。オートバイの出来上がりが気になるところだ。オートバイサービススセンターに電話を入れて見た。よく通じないが「フライデー・サタデー」金曜か土曜?!お―どうしたんだろう。部品がないのかなー、仕方ない。

タンニャさんに2度、3度電話入れたが応答なし・・・。10Fのレストランでスパゲティと豚のステーキを注文した。200ルーブル=600円。笑っちゃうなー素人かいなこの料理おれでも出来るぞこれぐらい。


カーナビに「ひさし」をつけてみました

2012年10月25日 | 赤道直下と陸路国境148か所
自動車だとなんにも関係ないことだとおもいますが、オートバイに乗っていると「ナビ」に真上とか背中から太陽があたる時間になると見えなくなり困りものなんです。あのデジタル写真と同じで「画面」が見えなくなるのです。

手で覆っても見えづらい・・「いつかは使えそうだから」と「雑貨の引き出し」に持ったいないといろいろいっぱい「保管」している、何かいいものがないものかとさがしたらそのなかに手帳の表紙があったのでとりつけてみた。

10月29日から11月3日まで四国ツーリンに行ってきます。さてさてうまく「見る」「みえる」ことができるかどうか・・

オートバイひとり旅・シベリア横断~モスクワ~中央アジアの旅24 モスクワ

2012年10月20日 | 赤道直下と陸路国境148か所
セルモータの故障でカザフスタン行きは急きょ修理工場へ・・・。

「ガガー」「キー」といったきりエンジンがかからなくなって修理に出した。
「セルモーター」を動かす歯車がかけていたようだと思う(おそらく)このときは、どこが悪かったのか原因さえ知らなかった(このあとインドで同じ事が起こり暑い・暑いインドから逃げるようにネパール・カトマンズまでトラックで運んだ。そのとき日本から部品を取り寄せるのに・・日本のレッドバロン浦和店とFAXでのやり取りでセルをまわす「歯車」が欠けていることがはじめてわかり・・ようやくとりよせる部品がわかった)。

日本人女性がシベリア横断してモスクワに来た・・。
2003年8月1日 くもり 涼しい くもり 涼しい くもり くもり
11時頃タンニャさんから「電話する」と言われている。それまで近くのネット屋に行ってこよう。モスクワホテルの前地下の3階は24時間オープン。1時間40P=160円と安い。泊まっているロシアホテルは1時間360P=1440円。なんと9倍も高いのだ。ホテルに戻ってタンニャさんからの電話を待つ。昼間はきのうマーケットで買って来ていたものでビールを飲む。

3時半頃タンニャさんから電話が来た。「大阪のハ―レ」が「バイクセンターに来ている」と・。2,3日前ハーレでモスクワに向かっているらしいと聴いてはいた、あぁーM女史だな。タクシーで来るようにと。ホテルに停まっているタクシーは高いからと別のタクシー会社の電話番号を教えてもらっていた。フロントに頼んで電話してもらい25分ぐらい待ってタクシーが来た。

バイクセンターについたのは17時を過ぎていた320P=1280円とホテルのタクシーよりだいぶ安いようだ。やっぱりM女史だった。先ほど到着したらしい。5月のキャンプで見たバイクと違っている。汚れたバイクを見ると頑張ってシベリア横断してきたのがわかる。

バイクセンター

完全にばらしてのせるモータの修理。モスクワ市内

Mさんは別にオートバイのトラブルはないが点検してもらっているようだ。登山用のでかいバック、この他に小さいなバックが二つ。バイカル湖で会ったスカイさんの荷物もでかかったがこれでも平気なのだろうか。よくこの重さで走ってきたなーと感心する。M女史はオートバイセンターの人の車で泊まっているホテルに戻る。わたしはタクシーでホテルに戻ろうとしているところへタンニャさんがオートバイで来た。

修理に出しているオートバイは全部ばらすので出来上がりは8/4か8/5になるかもと話す。タクシーが来たのでホテルに戻る、200P=800円。ホテルでゆっくりしていたらM女史から電話。今バイクセンターの人の家にいる。これからわたしのホテルに来ると言う。まもなくアンドレ君の車でホテルに来た。部屋から見えるとんがった高層ビルが泊まっているマンションだと話す。

待ち合わせなので迎えに来るまでネットがある所をMさんに教えておこう。夜のクレムリンを散歩に出かける、が腹ぐあいがおかしい。二人でこれまでのこと話しながら歩いてきた。ショッピングセンターみたいな広い場所に来て「ガマン」できなくなった。トイレ、トイレは。「おー」「簡易トイレ」が並んでいるではないか。入り口におばさんが座っている有料だけれどそんな余裕がない。Mさんごめん。

簡易トイレに飛び込んだ。あーよかった。「あー」でもラッキーだったな簡易トイレがなかったらどうなっていたのか、おそらく漏らしていたに違いない。冷や汗ものだった。
自分のオートバイを直していたと12時頃になってアンドレ君がホテルに迎えに来た。Mさんは彼のマンションにいっしょに戻って行った。Mさんはシベリア横断してきて人の暖かさを感じて感謝していると話していた。

シベリアを走って「旅行しにくい国」だとわたしは思っていたのでずいぶん感じ方も人によって違うものだなー。忘れ物したとMさんから電話が入った。部屋に置いてあった荷物をフロントまで下りて渡した。

オートバイひとり旅・シベリア横断~モスクワ~中央アジアの旅23 モスクワ

2012年10月17日 | 赤道直下と陸路国境148か所
赤の広場「レーニン廟」に安置されているレーニン。30年ぐらい前に「労働大学」学習交流団として訪れた時のもの。現場の写真は禁止されているので写真はgoogleから撮ったもの。

「レーニン廟」の前で・・前回2001年6月来た時タンニャさんに撮ってもらった。

2003年7月29日 はれ はれ はれ
10時過ぎに久しぶりにインターネットをホテルで打つ。2時間720P=2900円。10分で240円と高いな。夕方クレムリンを散歩今回はずーっと赤の広場はロープが張られていて歩くことが出来ない。まさか「レーニン廟」撤去の話になっているじゃないだろうけど、赤の広場に沿って建っている重層なデパートに入る。デパートを出て夕食に食べる肉屋を探す。

探せばあるもんだな、肉屋もビールも他より安く手に入った。ビールは20P=60円とホテルの半額だった、地下鉄入口にある売店でも90円。一日中ゆったり過ごす。
日本のシティバンクに電話を入れる。定期口座から普通口座に移すための電話。なんと10分で1000ルーブル=4000円。どうなってんだろうか。相変わらずシティバンクはガイダンスとかの案内で人が出るまで時間がかかる。

シティバンクにかけると「暗証番号」は「米印と番号・・」を押して・・。「米目印とか・・ないんだって・・オイオイ、ここはまだプッシュポンじゃないんだよ。部屋の電話にかけ直してもらうようになった。電話するたびに金がかりいつもシティバンクに泣かされる。タンニャさんからの電話を待っていたがかかってこなかった。あしたカザフスタンに向かうのでお礼を言いたかったのだ。きょうホテルでめずらしく日本人夫婦とあった。

シベリアを走っている時寒くて真冬の格好して走ってきた時もあった。

さ―あしたはカザフスタンに・・・ところがエンジン故障
7月30日水曜 はれ はれ 午後夕立 はれ
ビールを買いに出かける。ミニスーパーでたまねぎも買う。一日中部屋で過ごす。夜10時頃タンニャさんから電話が入った。「あした来てくれるのか」「今夜来るのか」わからないまま着替えて下に降りてオートバイを出せる状態にしとこう。オートバイカバーを取りエンジンをかける。「ガ―」「キー」と音が・・。ニュートラにしてエンジンをかけて見るが「ジ―ジ―」の音だけ。エンジンはかからない。

「うん?どうしたんだ・・」初めてのことだ。どうしたものか心配になったタンニャさんが来てくれればなー。電話番号も聞いていないしなー。部屋に戻っていると電話が来た。タンニャさんからだった。「マイ、オートバイ、エンジン、クークー」「エンジンがかからない」と話す。あした9時にホテルに来るとの返事。ドアーをノックする人あり。出て見るとガードマン?「紙切れ」を渡された。

「あしたこのホテルに来る」と英語で書いてあるようだ。さっきホテルに来てくれていたんだ。早く気付いていればなー。タンニャさんすまん。


モスクワホテル一泊8000円に身が縮む思い・・早くモスクワから去りたい・・が・・

エンジンがかからない!!。
7月31日木曜 朝方ひんやり
5時30分頃目が覚めていた。9時までだからとベッドで待機。タンニャさんがオートバイセンターの仲間を連れてきてくれるのだろうか・・心配だな。8時20分になった。そろそろ下に降りて待っていよう。待つこと一時間。タンニャさんは現れない。どうなっているのだろうか不安で仕方がない。電話番号は聞いていないし、タンヤさんのお店もまだ開いてないだろうし。

そう言えばタンニャさんは自分の店を開いていた。今回オートバイ・タイヤ交換の終わったあとその「お店」に寄った。スノーボートを中心にスポーツの店だった。10時過ぎ「マツオー」タンニャさんがオートバでやってきた。ホッとする。さっそくエンジンをかけて見せる。「ジ―ジ―」となるだけ・・。ホテル前にいたタクシー運転手が「押しがけしてみろ」オートバイを押してくれた。ポトポト・・、しかし二回目にエンジンがかかった。

おー、かかった。よしよし。エンジンをかけたまま部屋に急いで荷物を取りにいく。タンニャさんのうしろについてタイヤ交換したオートバイ屋に向かう。さっそく工場で見たもらうとエンジンの「部品」が「折れている」と話す。日本から部品を取り寄せるのに「2,3日」かかるとも。まぁしょうがないモスクワでよかったのかもしれない。中央アジアで故障していたらお手上げになっていたのかもしれない。

ホテルに戻りとりあえず2日間の泊まりの7/31・8/1予約を入れた。ホテルに籠(こも)りっきり。タンニャさんから夜22時になったら「タクシーでオートバイセンターに来い」と言われていた。20時頃タンニャさんから「オートバイは土曜日に直る」との電話、くわしいことは8月1日11時頃話すとのこと。そして今夜の集まりは中止なったとのことも・・。このホテルに来てから廊下を歩いていると若いロシア女性が「声を」かけて来る。

そして部屋に電話もかかってくる。日本人とどうしてわかったのかな。「スケベの日本人」「今晩どうですか」とのおそらく「誘いの言葉」であろう。「ワンアワー100$」(12000円)と電話口で話す。「オ―ノ50$」すると女性も「オ―ノー」と言って電話を切る。それからも毎晩「ハロー」と電話がかかってくる。各階にいるカギを預かるおばさんとタイアップして「部屋にいる」ことをどうも教えているのではないかと勘ぐってしまう。

各階には鍵を預かるフロント・・そしてレストラン(軽食)も各階に付いているがそこで食べている人は少ない・・。わたしはスパゲティぐらいを注文していたかな・・。

ワッツ(WTN-J)キャンプ・蛇石(じゃいし)13日14日そして露天風呂

2012年10月15日 | 最近のこと
ワッツのキャンプは長野・辰野山の中でした・・<次の日の集合写真・・
起きてない人も・・いるのかなー.写真提供・相模のコンさん>


2012年10月13・14日ワッツ(WTN-J)主催キャンプに
行ってきました。
長野県・辰野・蛇石(じゃいし)キャンプ場。中央高速「伊北」で
下り約15キロ途中スーパーで食糧買って山の中へ・・。


これが「蛇石」です。<相模のコンさん撮影>

蛇石はキャンプ場のまわりの黒岩の中、小川に2,30mワニの背中
のような形・黄金色が横たわる・・ふーんなるほどこれが蛇石なんだー。

相模のコンさんキャンプに行く時は七輪・ナベなど大量の荷物を背負ってくる

コンさんのいつものような山のように積んできた荷物を下ろす、テント
場まで運ぶ。夜のたき火の大木は近くに転がっている・細木も集めて
さっそく火をつけたあと、宴会の準備もそこそこに4時前からカンパー
イ・・焼き肉、シシャモ、めざし、そうだ「すし」も買ってきた

少しづつ仲間がやってくる・・暗くなる。ようやく大木に火がついて燃
え上る。焚火のまわりで新しい人たちの「紹介」・・。遠い関西からも
そして海外イギリス・フランスライダーも参加全部で30人ぐらいにな
っただろうか・・のんで・・のんで12時頃テントに入るが若い人たち
はまだまだ元気・・おやすみ。



夕べは寒かった・・カイロをもってきてよかったなー、寒くて眠れなか
った人も・・コンさんはすでに起きてうどんの仕込み・いつもながら
「だしの味・うどん」はお代わりした。今回もうまかったー「うーん」

帰りは「山梨」ブドウの産地「勝沼・石和市内を一望できる「ほったら
かし温泉」に入って・コンさん吉岡さん、蘭丸さん談合坂でバイバイ。
みなさんおせわになりました。

冷たいビールを・・呑みたいねー。あぁーがまんできねーよしのもう
「ビールちょうだい」松尾は2本も呑んでくらった。まぁ気分だけでも・
「ノンアルコール」「ビール」でした。

オートバイ車検・無事終わりました・・けど。

2012年10月12日 | 最近のこと
2012年10月11日オートバイの車検に行ってきました。
午後「車検予約」(していたつもり)のため自宅マンションを
早目にと11時に出発・・。マンション自動車出入りシャッター
うんともすんともしない。おかしいなー?よく見ると「故障」
の張り紙・・。

ええーっつ。どうしたん。自転車の出口から出てみよう。ハンド
ルはどうにか抜けたが・・後ろのバックがつかえて出れない。
管理人「さっきから三度電話で要請している」と・・。しょうが
ない、後ろのバックをはずして自転車出入口へ。よし大丈夫だ。
バックをつけなおして車検場へ、30分はかかるだろう・・。

12時前について書類など早目に見ておきたかった・・なのについ
たのは12時15分・・すでに休憩時間になっておる。待合所に
は一人だけ若い人。A棟→書類申請するところ。C棟→申請書類
を売っているところがあって。

C棟に行ってみたらカウンターに女性がいる「車検」を受けにき
たんですが・・「申請書類」ですか「20円」です。もう休憩時
間が終わっていたのだろうか・・。それとも「保険・加入」促進
のため早めに終わらせていたのだろうか。まぁどうでもいいこと。

申請書類は3枚


書き方はA棟5番受付前のテーブルに「見本」が書いてあります。
そこの5番テーブルで書いて・・休憩時間は終わって12時45分。
おとなしくて感じがよさそう受付の男。3枚の書類を出した・・
走行距離28万kmになっているけど2万8千じゃないですか・・。

どう応えた方が有利なのか・・うむうむ。そのまま黙っていた。
「車検予約してますか」「ハイ」と予約コピー用紙を差しだした。
このあと「送信」をしないと「予約」にはならないですよ・・
といいながらきょうの「車検書類」を渡しながら二輪のレーンに行
ってください。

その前に重量税6100円
     保険14000円の支払いを済ませる。


案内板に2輪車と書いてあるがスタートのレーンには2輪とは書いてない・・。
ハ―レをおろしているオートバイ屋さんに聞くとずーっと走っていくと入口に
2輪車のレーンがあります。ありがとう。あったあった2,3台並んでいた。


どうしたもんか・・前のオートバイを見ながら・・白色のレーンに沿って検査が始まる。
①ウインカー前・後
②クラクション
③ブレーキ前、後
おっとと・・タイヤを載せぶれーを確かめるのだが左足で機械の踏み台を踏むと
タイヤが回転動輪にのせられて・・前ブレーキ・・今度は後ろブレーキを踏んで・・
係官はそばにいるがどうも要領がつかめない。

後ろブレーキ「×」のサイン

今度は前照灯(もしかしたらこれを軸光と呼ぶのかも)の検査・・何が何だか分
からないここでも動輪の上にタイヤを載せるとハンドルがとられ「オットト」と
言う不安定さ。もう一回「やり直し」のサインだ出る・・2回目も「×」右上
とか係官。

検査が終わったところに「総合検査場」小さい部屋(小屋)に行くと「車検場」
を出たとなりに「テスター」の修理工場がある。そこで直して・・20mもし
ないところに両サイドに2軒「テスター」があった。


二軒とも結構並んで直しているなー。わたしは「前照灯」の位置を頼んだ・・
車検場と「同じ機械」だから「無難ですよ」とさっきのオートバイ屋さんの
アドバイスを受けここにやってきた。ドライバーでちょこちょこいじくり
「終了」はい、「1050円」です。

再び車検場に・・14時15分から14時30分まで「全員休憩時間」ですと
わたしの前で待っている「オートバイ屋」さんが教えてくれた。休憩時間終了
わたしの番だ・・前照灯だけじゃなくて「最初」と同じ「検査」になるようだ。
さー「前照灯」おっととやっぱりハンドルをとられる・・一回目「×」だ出た

再び「テスター」に行って前照灯「軸光」「だめだったよ」・・右上38度と
か言われたと・・ちょこっとだけ直す・・あまり変わらないような感じだなー。
「お金いくら」とは聞かないで「すーっと」三度目の車検場へ。

最後の「前照灯」の検査の場所にきた・・かなりハンドルをとられる。一回目
また「×」のサイン・・えええーなぜだ??。「やり直します」のサイン・・
意識的に左にハンドルをほんのわずか動かした・サインは「○」おーよしよし。
これで「OK」だな・・胸をなでおろしホッとした。

総合判定所で書類を受け取ってA棟へ・・ここで「車検証」と「シール」を
受け取って無事終了。前照灯直し代1050円入れてトータル21000円
でした。


12時15分について15時ジャストに終わった。自宅に着いたのが16時
ちょっと前だった。

<感想>
車検場のラインに沿って進むのですが「オートバイ屋」さんが話すのは「ラ
インに」まっすぐタイヤを載せないといけないと・・。あなたのオートバイは
でかいからハンドルをとられてしまいがちとアドバイス。確かに動輪に載せる
と締め付けられるようハンドルに伝わってくる。直立させるのがむずかしい。
なれるとそうでもないでしょうが・・。

ラインの目の前に次の検査について「電光サイン」がでる。「進んでください」
「前ブレーキ」「うしろブレーキ」とかとか。よければ「○」ダメの時「×」
のサインが表示される。この「電光表示」さえよく見ることができなかった。

どうにか車検を終わらせることはできた。しかしなんとなく満足感と言うのが
なくて、なんか悪いことをしてしまったようなうしろめたさが残ってしまっ
た。なぜだろうかな・・。車検代7万円は高すぎるが・・車検の都度それな
りにオートバイ屋さんで診てもらって受けた方がいいのかな。車検代4,5
万円だったらいいのになー・・。次の時生きていたらどうするか・・
又気がかわっているかもしれない・・なぜかすっきりしない気持ちがありま
すね。





あっち・こっち行ってきました。10月6・7・8・9日

2012年10月09日 | 最近のこと
空気が違うと花の色が東京近辺とは違うなー。高山市近くのトマト5個100円を無人販売所で売っていた場所で・・


一日目・長野・松本~飛騨高山~・ゲストハウス・J/ホッパーズ2700円

写真ゲストハウス
上・自宅から持て来たおにぎり、おしんこ、缶詰、ビール
  トマトは地元近くので「無人売り場」5個入りで100円と格安
中・下・ゲストハウス・J・ホッパーズにいつも外人が来ている。

オーストラリアで出会ったここ地元・飛騨高山出身の女性がスタッフに加わっていた。テニスの「杉山愛」選手ににてる・・と思う。去年結婚した・ー美人だよ。写真には載ってないなー。

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二日目・飛騨高山~京都経由~和歌山・和歌山市~ビジネスホテル3700円

地元・和歌山で「冒険家}坪井伸吾さんがこれまでの旅の報告講演会・・応援ツアー
1・手造りイカダで「アマゾンを下る」
2・マラソンで北米を横断
3・オートバイで世界を走る
4・学生のころ人力車で歩く東京~京都
などなどの・・写真・旅で使った物展示&講演会


三日目・和歌山市~京都~新名神高速~伊勢湾岸高速~新東名高速~
沼津・内浦民宿・7500円

和歌山から帰りに新名神高速でたまたまSAによったら
「あーマツオさん」「じゃないですか?」と声をかけられた
「いつもブログを見てます」とまさかこんなところで・・・

初めて会う滋賀の「藤田顕一」さんと言う、人のよさそうな・
笑顔もいい青年だった。同じワルキューレ・オートバイに乗
っているとも話す。
仲間6,7人でツーリングしている・・。ほんとー思いも
しないところで「マツオ」さんと呼ばれて、なんだか
うれしくなりルンルン気分になった。

「滋賀のみなさん」ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします



四日目・沼津・内浦民宿~東名高速~自宅
一気に自宅まで楽勝だった・・がちょっと疲れてきた。
あと一泊しよう・・沼津で降りて「さかなセンター」で
マグロ寿司特大1000円買って・・ビールはあるし
素泊まり宿で喰って寝よう。

沼津で降りた・・あれーっつ「魚センター」がないなー。
降りるところが違っているのかな・・どうも違うなー。

「焼津じゃないですか」セブンイレブンの駐車で地元の
人は言う。そんなに「魚」を食べたかったら「内浦の民宿」
に行ってみたらどうですか・・。

電話番号もおしえていただいた、ナビに入れて民宿「美晴莊」
に向かう。3時半についた。目の前は海。
「夕食は6時からです」宿のおかみさん。

風呂に入って4時半・・がまんできない持ってきた缶ビール
缶詰2個を開けて呑む・500ミリ4本。

食事の時間6時になった、カニ・刺身の盛り合わせ・このあと
からも、カサゴの揚げ物、サザエの壺焼き、まだ出るの・・
最後はさななの煮つけた物、次から次と出てきて「もうー」
「ご飯は」いりません。あー缶詰など喰わなきゃよかったなー。

ちょっと我慢すればいいものを・・いやしいもんだから。
最後はメロンとぶどうのデザートでおしまい・・
満足・まんぷく。ご馳走さんでした。

あした「朝早く出ます」「それじゃ朝食分」500円差
し引いて7000円でいいですよと・・良心的。
すみませんです



やったー自分で車検・・・2万円で済みそう

2012年10月04日 | 最近のこと
車検代2万円で済みそうだ・・無事に済めばの話

いつも「車検」の時期なると「アー」また7万円とられるのか
ユウウツだな、年金の時代になると車検代7万円は一層辛い。

「車検」は自分で「申請する」と安く上がると聞いてはいた。

でもなんだか申請に行っても「一回だけじゃなくて」
「できないこと」「あれこれ」「言われて」結局「ダメ」
になるんじゃねーの・・と思っていた(考え過ぎていた)。

金には代えられない・・思いきって「おしえてください」
と車検事務所に電話した。申請は「パソコン」での「予約
になります」とまァ,意外と親切だ。

で、素人の私が申請すると「一回じゃなくて、2回、3回
通うことになりませんか」「そんなことはありませんよ」
とのこと

おぉッこれは「もしかした」「一回で済みそうだ」信用
できそうだなー。よしやってみよう。

で、「10月11日木曜午後」パソコンで「車検」予約した。
申請は意外と簡単といっても30分ぐらいかかった。

予約終わってから電話で聴いてみた。「いくら」かかりますかと。
重量税5000円(わたしのオートバイ1998年形式1500cc)
自賠責保険15000円ぐらいで・・
合計20000円ぐらです。

おおーっやったー5万円も安くできそうだ・・。

じゃー「用意するもの」は
①車検証
②軽自動車納税証明書
③自賠責保険証
④認め印
⑤半年、1年定期検査の証明
*わたしはなまけて半年も1年の定期検査
受けていませんが・・。

係官「それは車検・検査」が終わってから
提出してもらって構いませんとのことだ。
必要はない??ことだな、おそらく。
それ以上のこと聴かないことにした。

と言うことはとりあえず「車検」を終わら
せてからのことだ。事故が起きた時は「自分で
責任とれ」とのことだろうなー。
これは誰でも同じこと・・だ。

まぁ・10月11日木曜・車検を終わらせてから
又報告しましょう。

<取らぬ狸の皮算用・・さてどうなるか・・>

*参考
車検申請の仕方
①googleで「自動車検査インターネット予約システム」
クリック
②ID(自分のメールを入れるとすぐ「ID番号」が戻ってくる)
③自分のパスワードを書き込む
あとは「次」「次」とクリック最後に「カレンダー」を見て
空いている、自分の都合のいい「日」を入れると予約
「OK」ですべてオーライ


オートバイひとり旅・シベリア横断~モスクワ~中央アジアの旅22 モスクワ

2012年10月02日 | 赤道直下と陸路国境148か所
 
バルト三国のラトビアから2年前に来た時は「赤の広場」のここまではいることができた。今回は赤の広場そのものを歩くこともできなくなっている・・どうしたん?。

二年前もお世話になったロシア美人の「タンニャさん」今回もタイヤ交換してる「オートバイ屋」まで来てくれた。

2003年7月28日月曜 はれ はれ はれ
朝9時二年前お世話になった「タンニャ」さんに連絡してもらおうとフロントに行って電話してもらった。しかしタンニャさんに通じなかった。実はタンニャさんに「タイヤ交換」のお店を紹介してもらいたかったのだ。タンニャさんは大型オートバイに乗っているモスクワでは女性NO1のライダーかもしれない。前回ロシアオートバイの集まりにモスクワのメンバーを引き連れてサンクトペトロブルグまでに行くと話していた。仕方ないタクシーでオートバイ屋までの料金を聞くと1000P=4000円だと「ネーネー(ノーノー)」。

一人でオートバイ屋を探しに行く。まったくあてはない道なりに走ればどこかで見つかるだろう。途中でタクシーをつかまえて「オートバイ屋」まで引っ張ってもらう。一軒目タイヤなし二軒目かなり大きな修理工場。オートバイの修理もやっているようだ。タイヤ交換、ライト、スタンド直し、ベアリングの点検など見てもらい修理を頼んだ。その間近くの公園を散策。とてつもなく大きく有名な公園であるようだ。

散歩に行く前オーナーに「タンニャさん」名刺を見せていた。6時頃「誰かが」来るとオーナーが話す。だれだろうと思っていたら「タンニャさん」に連絡がとれたらしい。ちょうど6時頃来てくれた。「オ―」「タンニャさん」二年ぶりに会う。オートバイ雑誌の編集は辞めたとか。今は違った店を出しているとも話す。11時から6時頃までかかって修理が終わった。トータル53600円。

モスクワ郊外のライブなど開くことができそうな舞台などをこしらえたオートバイセンター

そのままタンニャさんといっしょに前回もお世話になった「オートバイセンター」に向かった。ここは舞台もつくり上げている。アウトドアーみたいな感じで設計はフランス人と聞いている。スケールが違い、創りが違う。二年前に来た時は「何を」造ろうとしているのか思いもつかなかった。今はなるほどこれを造っていたのかとわかるまで造り上げている。しかしまだまだ造り続けているオートバイセンターだ。

オートバイショップ。当然居酒屋でビールも飲める。階段式の鉄塔にはテーブルも備えてあリラックスして飲めるスペースもある。学校のグランドみたいな広場に自慢のバイクが並んでいる。タンニャさんの友だちはワルキューレ、BMWなど大型オートバイに乗っている。その7,8人の仲間達といっしょにビールを飲みながら夕食。終わったあといつものように例のモスクワ大学前に移動する。

前回二年前もそうだった。一段と高くなっているモスクワ大学前は展望台にもなっていてオリンピック会場などモスクワ市内をも見渡せる観光名所のひとつ。当然昼間はおみやげ屋さんがいくつも出店して観光客でにぎやかにな場所。この場所に夕方から自慢のオートバイに乗って集まってくる。10時過ぎには100台近くになる。オートバイを眺めるため一般の人たちも集まってくる。


昼間はおみやげやさんが店を出して賑やかなモスクワ大学前の展望台。夜にはオートバイがどーっと集まってくる。そのあとレストランに繰り出して朝方まで呑む。

自分のオートバイを見せる、見られることは「うれしいこと」わたしも同じ思いである。タンニャさんは大型オートバイの仲間を引き連れてレストランに向かって市内をパレード。メンバーは違うがこれも前回と同じ、レストランに着くとまずビールで乾杯。明け方まで呑んでホテルに戻る。

ホテルまでみなさんに送ってもっらた。「ありがとう」バイバイしようとオートバイカバーをかけていたらう仲間のひとりが「ホテル代」「4000ルーブル=16000円」二日分を払ってくれた。エー、ほんとうにいいんですか。「OK OK」と・・。へーお金がある人はあるんだな。そう言えば前回もこうゆうことがあったような気がする。実は「あしたホテル」を変えるから「安いホテル」を探しておいてくれとタンヤさんに頼んでいたのだった。

それにしても初対面のわたしにプレゼント?してくれてほんとありがたい。タンニャさんのお陰だろうな。ありがとう。1時をとっくに過ぎているきょうは早い方だ。
ホテルからのモスクワの・・なんとか川(忘れた)


タンニャさんは新しくお店を出したと連れてってもらった、お店の前。装飾品を扱っているような話しだった。