松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

12月21、22日 ナミビ砂漠への道 ⑥楽しかったレンタカーの旅

2007年12月26日 | ナミビア

いっしょに旅した左からとしさん、あきこさん、寺嶋せいじさん

2007年12月21日金曜 はれ
ポルトガル出身のオーナーの宿まで800kが今日の予
定。広大な平原、直線の道をひらすら走る。ひとり100
k走り交代交代、だいたい予定通り国境に着いた。出国、
入国手続き約30分。

南アフリカの国境はオフィスごとに大きく①②③④と
書いてあり、非常に分りやすい。もらった手続きの紙に
もナンバーが書いてあり必要なオフィスに行くように
なっていてわかりやすい。どこでも、このようにナンバ
ーを書いてもらっていると「助かるのになー」と思う。

三たびポルトガル出身の宿に着いた。今回も一人250
ランド=4300円を一人50ランド=850円と安くしても
らった。ほんとありがたい。4人で最後の晩餐会、ご苦
労さんでした。天気もよかったし、はじめてみるナミビ
砂漠はよかったなー。

自転車やオートバイでは「味わえない」「実に楽しいも
のになりました」松尾、寺嶋はとしさん、あきこさんに
お礼をのべる。

寺嶋さんは再び自転車にまたがり、あしたからギッチ
ラギッチラ走り出すことになる。風が吹かなければ一
日100kぐらい。ケープタウンに着くのは8日あとの「2
9日ごろになるだろう」と寺嶋さん。

12月22日金曜 はれ
店先にごろんごろん転がっている、スイカ、メロン、ジ
ャガイモ、トマト。スイカの「皮」を塩漬けしたのがわた
しは好きである。帰ってから「漬けよう」、スイカとトマ
トを買う。

寺嶋さんとは一時の別れ。としさん、あきこさん、松尾
は600k先のケープタウンに向って走る。予定より早く
ケープタウンに4時に着いた。

チェックポイントで荷物を調べられたりしたが、7日間の
ナミビ砂漠の旅は無事に終わった。あつかましく、口う
るさいわたしを連れてってくれた、としさん、あきこさん
どうもありがとうございました。ほんとに、なんとも楽
しい旅でした。

夜は3人で初めて宿の前にある「寿司」屋へ、今日は食
い放題の日、ひとり89ランド=1500円。店に入る前心配
した寿司の味だったが、つぎもいきたくなるほど「うま
かった」腹いっぱい喰った。めずらしく風のないケープ
タウンの夜だ。


ナミビ砂漠を走る


12月19日 ナミビ砂漠への旅 ④ ナミビ砂漠に着く

2007年12月26日 | ナミビア

白、赤。青の三段模様のナミビ砂漠

ソススプレイといわれる池?は干しあがって
水はなし、めずらしい景色だった。





一番古い砂漠といわれるナミビ砂漠

2007年12月19日火曜 はれ
暗いうちに起きてナミビ砂漠に向う。見てみたかった
ナミビ砂漠に入る、岩山の景色からガラッと風景が変
わり砂丘が続く。太陽の光の影はより砂丘を美しくし
てくれている。45?(ゲートからの距離だと思う)
一段と高い砂丘に観光客が集まっている。

この砂丘は頂上まで15分ぐらいで登れるだろうか。
歩いた足跡がくっきりとついている。もう、元気が無
いわたしだけ登るのはパスした。さらに走って砂漠の
メイーン、ソススプレイへはサファリーカーの乗って、
最後は歩く。

サファリーカーを下りて2kぐらい、わたしは30分ぐら
いかかってソススプレイについた。ソススプレとは何を
指しているのだろうかな。一番のみどころ砂漠の中の
池らしき所は白く干しあがっている。いつかは水がた
まるのだろうか。池の白、砂丘の赤、空の青三段景色
は初めてみる。

今日は19日は朝からジャリ道ばかり走ってきた。スケー
トの氷の上を走っているような感じである。ソススプレ
イから400k離れた海岸の町まで走る。



12月18日 ナミビアへの旅 ③テントなし地べたに寝る

2007年12月26日 | ナミビア

焚き火でバーベーキュはどんどんいくらでも
入ってしまう、うまかったばい。


夜空を見ながらテントなしで地べたに寝るのは
4人ともはじめてだった。朝は冷えた。

2007年12月18日 はれ
7時に宿を出発。100k走ったところの前回泊まった宿
に着いた。おかみさんはと笑いながらわたしのことを
「ココ、コケッココ」と言いながら顔を覚えていたくれ
ていた。ナミビ砂漠の情報をくわしく、としさんとあき
こさんが聴いてくれている。

わたしはポカーンと聞いているだけ。ナンビ砂漠のゲ
ート付近はホテルの料金が8500円から1万7千円ぐら
いもするらしいこともわかる。ゲートの手前70kのキャ
ンプ場に泊まることにした。

情報を聞いた宿を過ぎるとジャリ道になる。今までのよう
に100~120kのスピードは出せない。太陽が照りつ
ける砂漠の中を走る。キャンプ場についた、まだ13時だ。
ナミビ砂漠は太陽が上に昇らない午前中に行かないと魅力
が無くなるらしい。

今日はヤメてあした早めの出発をしよう。キャンプ場
に入った。ゲートの入り口付近に比べて120N$=
2000えんと安かったが、キャンプ場は野宿するの
に願ってもない静かなところであった。

晩飯は、まきを焚きバーベーキュを食った後、ミリオン
座や北斗七星の夜空を見ながら地べたの砂の上に寝袋だ
けで寝る。テントなしの寝袋だけで寝るのは始めてのこ
と、他の3人も同じである。朝方寒さを感じるほど冷えた。


ナミビ砂丘

12月17日ナミビア砂漠への旅 ②ガソリンがもれてるー

2007年12月26日 | ナミビア
2007年12月17日月曜 はれ
としさんはあまりアルコールは飲まない、あきこさん
は少し、寺嶋さんとわたしは何でも来い。夕べ遅くま
で飲んだ。朝7時にわたしたちは出発、寺嶋さんは俺
たちが出た後出発の予定だった。

ペトロールを満タンに入れる。アレーェ「ガソリンが漏
れている」あきこさん、ジャージャーもれているペトロ
ールをとしさんが手で臭いをかぐとやっぱりガソリン
だ、走っていて丸焦げになってしまいそう、これはや
ばいぞ。併設している修理工場で直してもらおう。

今7時半、修理工場は8時からだったが、工員の人は
出勤していた。さっそく見てもらう。あっちこっちもれ
ている原因を調べていたが、最後は座席をはずして
タンクごと取り外し溶接にかかった。もう12時に近い。

自転車の寺嶋さんは出発を見合わせて付き合ってく
れている。寺嶋さん「いっしょにナミビ砂漠に行こう」
彼は少し迷ったあと行くことを決めた。自転車は倉庫
に置いててかまわないと言ってくれたオーナーに感
謝。

修理を終えて13時ごろ4人でナミビアに向う。岩山の
カーブを走りナミビアの国境へ。入国手続きを終えて
だいぶロスしたので前回泊まったナミビ砂漠の入り口
までは走れず、途中の町に泊まる。一人120N$=200
0円とチト高かった。

ナミビアは南アフリカのお金一対一で南アフリカランド
のお金でもOKなのだ。道はいいしそれも直線道路が
続くので途中から4人でひとり100k走るごとに交代し
て運転した。運転できる人ばかりなのでこれは楽チン
だった。

12月15、16日 ナミビ砂漠への旅 ①レンタカーの旅

2007年12月26日 | ナミビア

左から寺嶋さん、松尾、ポルトガル出身のオーナー、あきこさん、としさん
親切なオーナーマナウルさんにはほんとお世話になりました。


自転車で旅を続ける寺嶋さんと最初の宿でばったり会う。

ナミビ砂漠への旅
2007年12月15日土曜 はれ
夜、日本人カップルにナミビア、ナミビ砂漠への
道の相談を受ける。としさん、あきこさんはナミビ
砂漠までレンタカーで走る計画。

もう、コピー屋は閉まっているので道路地図を手
書きで写してもらう。ベッドに入ってから、行きたく
て行けなかった「ナミビ砂漠」。そうだ、わたしも
連れってもらおう。

2007年12月16日日曜 雨
朝起きて、あつかましく「わたしもいっしょに連れ
てってくれませんか、おじゃまでなかったら、、」
としさん、あきこさんに頼んだ。二人は「いいです
よ」とこころよい返事。

さっそく、荷物をレセプションに預け出発準備。外
は雨が降っている。二人は久しく「運転してない」
のでと、私が運転することにしてホテルを10時過
ぎ出発する。クルマはフォルクスワーゲン。

一路ナミビアへ。しばらくして雨もやんだ。一度は
走った道、私のいつものクセ「知ったかぶり」の話
をとしさんあきこさんに聞かせる。聴く方はいい
迷惑だったろう。泊まったことのあるペトロール
スタンドについた。

ここは雑貨店、レストラン、自動車修理、ホテルを併
設していてオーナーはポルトガル出身である。ここ
に泊まることにする。前回泊まる時、日本人だから
と250ラン=4200円を100ランドに1700
円にまけてくれた宿。

オー「また来たか」とオーナーは喜んでくれた。宿
代一人50ランド=850円でいいと、今回もまけて
くれたのでうれしかった。前回と同じビールをご馳
走になりながら食事を始める。「自転車」がついた。

入り口に立っているわたしを見て「ア^松尾さん、ど
うしてこんなところにいるのー」と驚きの声。自転
車は寺嶋さんだった。彼と会ったのはケニア、ナイ
ロビ「ニューケニアロッジ」でしばらくいっしょだった。

ケニアを10月に出発、南に走り、今南アフリカに入っ
たばかりの70kのところで、出会ったのであるある。
彼は北アメリカ、南アメリカを自転車で縦断。今回は中
国から走り始めてチベット、パキスタン、イエメン、エチ
オピア、ケニアを走ってきたのだ。

ケニアから南に走っていることは知っていたが、まさ
かこんなところで会うとは思いもしなかった。真っ黒
な顔の寺嶋さん「オーオー」とお互いに笑いあう。再
びオーナーとは初めて会う、としさん、あきこさん5
人で乾杯。でかい部屋に4人で泊まらせてもらった。

11月26,27、28日 ナミビア ナンビ砂漠は行けなかった

2007年12月02日 | ナミビア

道ばたに咲く花


ナンビ砂漠の入り口の静かな町で

2007年11月26日月曜 はれ 朝20℃昼35℃
露天のおみやげやで最初に買った民芸品、
お金が足りずに10N$=170円払ってなか
ったので、土曜、日曜と払いに行ったが開
いていなかった。一泊延ばして今日そこへ
払いに行く。

2007年11月27日火曜 はれ朝20℃10時35℃
7日間いたウィンドフック、ゲストハウスをは
なれる。昨夜戻してもらうを忘れていた部
屋の鍵代。20N$=340円戻してもらうこと
になっているが7時にならなければレセプ
ションは開かない。

セキュリティのおじさんが立て替えて払って
くれたが、このおじさんはいつも笑顔で対応
してくれていたので一度受け取った20N$
=320円をお礼に渡した。お世話になりまし
た。

6時40分出発。ナンビアの砂漠ソススプレイ
によってケープタウンに向おう。ソススまで
400km。直線道路が続く気持ちのいい道だ。
ソススプレイの入り口マリタホハ?Malitahoha
に10時半予定どうりに到着。

テレビでよく見るテキサスの町に似ている、
200軒ぐらいだろうか、砂漠の丘に囲まれた
シーンとした静かな小さい町。ホテルを探す、
250N$=3800円二軒目320N$=9400円
三軒目100N$=1700円。

どこも高いなーホテルは三軒ぐらいしかない
ようだ。当然1700円もホテルに泊まることに
する。ここは雑貨店も営んでいる。さっそくナ
ンビ砂漠ソススプレイのツアーの値段を聞い
た。

ツアー会社の人が来た、ナンビ砂漠まで300
k往復3000N$=51000円「エー5万1千円」
これは高すぎる。半額に負けてくれと頼んだ
が「ノウ」とだめだった。ナンビ砂漠を見たく
はあるが、これじゃ高すぎる。

参加するにしても、持ち合わせのお金では全
然足りない。ここの町の銀行は「月曜」と「金
曜」だけしか開かない出張所みたいな所だ。
100k戻った町でお金をおろして、また舞い戻
ることになる。

一人のツアーだからしょうがない。ここにフ
リーで来る旅行者はまずいないだろう。来る
人たちはツアーで走りぬける人たちばかりで、
私みたいにオートバイで来る人はまずいない。
いても、砂漠を走れるオフロード車だろうから。
うーん、どうしようかなー。


ナンビ砂漠への道、私のオートバイでは
無理だった。


ナミビ砂漠に咲く花

2007年11月28日水曜 はれ
トイレに起きたとき月が出ている、静かな夜ゆ
っくり眠れる。10時過ぎダートの道を走ってみ
ることにする。ジャリ道にタイヤをとられる、5
kmぐらい走ったが「転倒」する前、走るのをや
めた。これ以上走るのは無理である。

あすから待望のケープタウンに向おう。

11月22、23,24,25日 ナミビアの首都ウィントフック

2007年12月02日 | ナミビア

この「イボシシ」街道?と「鹿」のマークが交互に
建っていた。あちこちにイボシシがちょろちょろ
走っていた。鹿?は見なかったなー。


ナミビアの首都 ウィントフックの町
この辺に露天のおみやげやが並んでいた

2007年11月22日木曜 はれ朝20℃昼35℃
青空が広がるいい天気。朝涼しい、昼間は暑
い陽ざしだけど、日陰に入るとスーッと涼し
くなる、しのぎやすいさわやかさ、昼寝はな
んとも気持ちがいい。

今日やらなければならないこと①オートバ
イのエンジンオイルの交換②日本に郵便物
を送る③カメラのチップスをCD化する。

オートバイのエンジンオイル交換は4軒目に
してようやく交換できる「ホンダ」店を見つ
けてオイル交換できた。ついでに高圧水で
洗車した。エンジン音も軽やかになったし、
洗車したのでオートバイも気持ちよさそう。

路上のおみやげやで民芸品を買い足して
郵便局に、そのまま持ち込んだ。ダンボール
に入れて「もってこい」といわれたが、年配
の女性が内からダンボールを差し出してく
れた。あーすみません。ありがとうございま
す。

航空便1万5千円。船便5000円。急ぐもので
はないので船便にする。1、2ヶ月ぐらいで着
くとの話、さて荷物がばらばらにならなくて
日本に到着することを祈る。

カメラのチップス?がいっぱいになったの
で新しく買い求めるより「まし」とマーケット
の前のプリント屋でCDをたのんだ。3枚の
チップそれぞれ2枚ずつCD化した。トータル
180N$=3060円ちょっと高いなー。

三つのこと、行ったり来たりして2,3日はか
かるだろうと、踏んでいたが意外にもすん
なりと一日で済んでしまった。終わったのは
午後2時、アー腹へったー。冷たいビールで
遅いひるめし。

ナミビアに来てから安い肉にありつけるよ
うになった。南アフリカとおなじ、わたしに
は上等な味のステーキ、100g=100円ちょっ
と、この上にないごちそう。今日もあしたも、
昼も夜も「肉、トマト、たまねぎ」まったく同
じメニューのくり返し。もちろんビールつき。


時には自分の姿をと思って
朝日を借りて撮る

2007年11月23日金曜 はれ
到着したその日はATMでカードを使えたが
きのうはどこの銀行もだめだった。ビザカ
ード、マスターカードともダメだった。今日も
ダメだったら困るので窓口に行こう。ここで
もシティバンクカードは使えない。

朝9時オープンにあわせて早めにいく。窓口
に行く前にビザカードを試したがやっぱりダ
メ、マスターカードで試したら現金が出てきた。
オーよかった。でもどうしてだろうかなー。

日本では東北地方は雪になった、東京でも冷
えてきたとのメールでの便りが届いた。ナミ
ビアは朝6時ごろ明るくなり日が沈むのは7
時ごろで暗くなるのは8時ごろである。


町に咲く、むらさきの「カルシャー?」の花

2007年11月24日土曜 はれ
朝、散歩に出かける。町の公園の周りに出て
いる露天のおみやげやで、民芸品をあとで
とりに来るからと夕方4時ごろとりに行った
ら片付ける寸前だった。

そういえば途中、人道りはなく、ひっそりとし
ていたなー。昼間は人どうりの多い商店街も
夕方になるとぴたっと人がいなくなる。土曜
日曜の夕方はいつもこうなのだろうか。

2007年11月25日日曜 はれ
ビールの買出しにマーケットに出かける。アル
コール売り場はロープを張っている。あーそ
うだ日曜日はアルコール販売は禁止されて
いる、ことをすっかり忘れていた。それに日
曜日は3時には閉店なのだ。


ゲストハウスのビールは8N$=135円、マー
ケットは3$=51円と一本80円近くも高い
のだ。ま、しょうがないホテルの高いビール
を飲む。

11月20,21日 ナミビアの国から

2007年12月02日 | ナミビア

ボツワナからナミビアに入ると民家の屋根が
水平になって少し違ってきた。


ナミビアの恥ずかしいそうにして
写真を撮らせてくれる女の子


ナミビアの民家


ナミビアの子供たち


ナミビの道は直線がほとんどだった。

2007年11月20日火曜 はれ20℃ 昼32℃
ナミビアに入ってすぐのbgani泊、Grootfonten
の町を通過Ojiwarongoでキャンプ泊。今日はナ
ミビアの首都ウィンドフットWindhoekまで250k、
10時半ごろまでに着きたい。

5時に起床6時半に出発。小さい丘や三角形の
山二つが並んでいる。ふーん、意外と山が続
いているなー。道端の道路標識は「イボブタ」
と「鹿」?の看板が限りなく交互に建っている。
鹿は見なかったがイノブタ?は至るところに
いた。

ウィンドフックの町に予定どうり10時半につく。
ペトロールスタンドで安宿「バックパーカー」を
聴くが「すぐそこ」「3分」と、おそわって走る
出すが分らなくなる。マイカーのj人が「オレ
」の後をついて来いと宿まで引っ張ってくれ
た。

ウィンドフックの町はあかぬけした明るい街だ。
宿も明るくてなんとも気持ちのいい、ゆっくり
出来そうな雰囲気でうれしい。ドミトリ65N$
=1100円、テント50N$=850円。テントも値段
はあまり変わらないし、これまで20日間テント
生活をしてきたのでドミトリの部屋に決めた。
4時ごろから雨になり夕方まで降り続く。

2007年11月21日水曜 はれ朝22℃昼32℃
きのう歩いてスーパーやネット屋を探した。
二軒ともネットカフェはコネクト「できない」
と断られる。宿にある一台のパソコンで「ナ
ミビア、ウィンドフック」についたことを知ら
せる。

ここの宿も欧米人がほとんどだ。40人ほど
泊まっていて夜、レストラン兼バーはいっぱ
いになる。カウンターの男女はイングランド、
トランプをしているテーブルの金髪の女性
はフランスだろうか。

そのとなりのテーブル男女7人はイングラ
ンドのグループ。その隣女性3人はオースト
ラリアとアメリカ、反対側のテーブルもヨ
ーロッパの男女8人、その隣女性3人はイス
ラエルみたいだなー。

一番手前の黒人女性二人地元の人なのだ
ろうか。雨が降ったのでレストランの隅の黒
人の隣、テーブルで食べさせてもらってい
る。肉、トマト、たまねぎ、ここに来て米を炊
いて食えるようになったので楽しみがふえ
た。

旅行している人たちで多いなーと感じてる
のはホーランド(オランダ)、ジャマニー(ドイ
ツ)、イングランド、フランス、アイランド(決し
てイングランドとは言わない)ナミビアに来
てフィンランド、ノルウェイの人も多く見かる。

日本人はタンザニア、ケニア、エチオピアな
どでオー「いるいる」と多く見かけたが他の
国ではあまり見かけなくなった。もっとも、
いいホテルに泊まってるから見かけないの
かも知れない。

11月18,19日 ナミビアに入る

2007年12月02日 | ナミビア

道を歩いていた親子連れ


駆けよった来た地元のこどもたち


ナミビアの山々南アフリカの国境付近で。

ナミビアNamibiaに入る

2007年11月18日日曜 はれ朝20℃昼32℃
6日間とどまったマウンのデルタ地帯のゲスト
ハウス「ブリッジ」、静かでい心地はよかった。
ただ、砂地なので食事の時などちょっと風が
あると気になるところだった。

夕べの雨も上がった。6時40分に出発。24時
間営業のペトロールスタンドで満タンに給油。
一路ナミビア、西の国境へ走る。晴れていて
も涼しい、デルタ地区のせいなのだろうか。
途中、ダチョウ4,5匹?頭?を見かける。

途中から右に入る。まっすぐ走ればナミビア
の首都、ウィンドフックに向う近道になるがち
ょっと遠回りに走ろう。ナミビアの国境シャカ
ウエに着いた。現地の親子連れの女性だけが
手続きしている、なんともさびしい国境。

「ボツワナよ」さようなら。ボツワナもそうだ
ったがビザなしOKのナミビアに入国。走行許
可証?代、1700円支払う。ここ国境から「23k
mはダート」の道、それを過ぎると「ナイスロ
ード」の道と国境の係官は話す。また、悪路の
道かと心配した。

広い平坦なダートで雨が降れば苦労しそうな
所だ。今は乾いてそれほど、心配するほどの
道ではなくホッとする。しかし慎重にスローで
走る。道はよくなった。ザンビアから続いてい
る道に突き当たる。もう少し走ってみてもよか
ったが4時になっているのでやめにする。

今日はここに泊まることにする。ここに来る
までキャンプサイトは4,5ヶ所看板が出てい
た。しかし本線から砂地を走ることになるの
で私は走れない。砂地を走らなくてもいいキ
ャンプ場があった。45N$=800円

芝生の上にテントを張りマーケットで晩飯と
ビールを買い込んで暗くなる前に食事を済
ませる。ナミビアで96カ国目。あとはレソト
を走り、最後のマダガスカルは行くとしても
飛行機になる。

2007年11月19日月曜 くもり朝22℃昼35℃
朝になってから「シャワー」は「ここ」とキャン
プ場の人は言う、なんで夕べおしえてくれな
かったんだー。トイレの洗面所で体を洗ってす
ませたのに。

どんより曇って今にも降りだしそうな雲行き、
走る方面の南の方は明るいので、そのまま走
る。ぱらぱらと雨が落ちてきたがすぐにやん
だ。今日は600kmちょっと走ってOtjiwarongo
(読めない)キャンプサイト50N$=850円泊
まり。