松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島~中東~東欧~アゼルバイジャン 6月21~24日 

2014年06月25日 | 赤道直下と陸路国境148か所
10年前・・アゼルバイジャンとジョージア国境・・緩衝地帯の・・写真と今回の写真の比較・・・
ジョージアの国境事務所は300mぐらい先にあったのが、すぐそこまでに移っていたので止まって
写真が撮れなかった。












アゼルバイジャンから・・ジョージアに戻る
2014年6月24日火曜    はれ   くもり    はれ
朝5時30分アゼルバイジャン・ゲストハウスを出発、ジョージアトビリシに戻る。来るとき
時間がかかったので少しでも早くと出発した。

きのうバクー市内からの郊外に出るM2に乗る幹線道路の下見は終わらせて・・いた。つもり
だったが「太陽が正面に出てきた」背中にあるべきなのに・・道が違っているな。

ガススタンドに入り道を確かめる。「戻って」「右へ」と教えてもらった。大きい商店が入って
いる・・場所に来た・・そこに入りこんで・・バスが止まっているところで再びM2・60Eの
道を聞いた。

「そこの道から右へ」地元だから「そこ」がわかるがわたしにはわからない。もうひとりの人が
「そこの見える橋」「くぐる」「手前から」「右に曲がって」あとは「づーっと真っすぐ、真っ
すぐだ」手ぶりだけど、わかりやすい・・ありがとうございました。

3車線のいい道が続く・・・デコボコ道が出てくるのは200キロぐらいだろうな・・疑いなが
らいい道を走り続ける。

10年前に来た時、たしかこの道だったはず・・カスピ海がすぐそばにあった・・今は埋め立て
られている。風が相変わらず強い。

10年前当時・・片側1車線でイランに向かう別れ道にきた・・今は立体交差になって右にう回
しながらまわりこみイランに向かう道になっている。

300キロを越えてもまだいい道が・・片側3車線から2車線になって続いている。来た時の道
と違って平原の道でほぼ直線の道が続き走りやすい、反対車線はひっきりなしに車が来る。

片側1車線になって・・いよいよデコボコ道に入るのか・・工事中で右に入ったり左に入ったり
しながらもいい道が続く・・。

前回10年前に走った時は塩みたいな白いものが両サイドにづーっと続いて見えてきたがいまは
ない。

分離帯の反対車線を走っている車が「こっちに来いと」合図している・・おれが間違って走って
いるのか・・タクシーが・・話ししたいために呼びよせているのだろう・・

いつものことだ・・無視して走る。ロータリに出たところでさっきの車が寄ってきた。なんだお
まわりじゃないか。

「パスポート」「さし出す」・・「車の座席に座れ」と・・無視する「おれが何をしたんだ」と
日本語で怒鳴り始めた。

パラパラとパスポート見ながら。オレに返した。なんだ反対車線を逆走しながらの不良警官・・。
そばにいた地元の人たちに「とんでもないポリスだ」と「鼻をちぎってすてる」しぐさをして見
せると・・

笑いながら「そうだそうだ」・・日本にもいるんだ制服を着ると偉くなったように錯覚する人間
が・・。地元の人が国境まで100キロと教えてもらった。「ウーウ」パトカーがうしろにきた。


続けて二回目だ・・止まると、、「右端に寄せろ」・・「スタンドが傾き過ぎるので」「寄せられ
ない」・・右に「寄せろ」アゼル?語と日本語のやり取り合戦。

おれは寄せられないから「あんた自分で動かせ」・・・「パスポート」をだせ・・渡すと「パトカ
ーの中にはいれ」、さーはじめよう「俺が何をしたのとゆうのか」日本語で怒鳴り始める・・

「マイジャニーズオンリ」・・相手はわからない・・こっちもパリスの言っていることがわからな
い、日本語で怒鳴り続ける。

潮時だな・・「パスポートいらない」「おまえにくれる」・・出発しようとヘルメットをかぶり始
めたら「持って行け」とパスポートを急ぎ足でもってきた。

まだ「ワイロ」ほしさの悪い警官がまだ横行しているのか・・「ヘっへへ」お前らの手には乗らな
いのだ・・ザマー見やがれ。

何事のなかったような顔してオレの出発を見送った。それにしてもいい加減な警官がお金を巻き上
げて庶民を困らせているのだろう。それにしても気分が悪い・・。










とうとう最後までいい道が続いた・・あーよかった。トラックが並んで待っている・国境だ、どこ
の国境も同じ光景だから国境とわかる。バクーから515キロの標識が立っている。

トラックを追い越して車を追い越して国境入口まできた。どこの国境でもオートバイは優先的通し
てくれる、ここでも係官が前に進めと・。国境事務所が新しくなっているようだ・・。

年配の国境係官に10年前は「階段を上がった右側にカスタム事務所があった・・「そうだ・そう
だ」と笑いながら応えくれる。

出国手続き・・10分で終わる。よし、よし次はジョージアへ・・ここの国境も新しく移って緩衝
地帯が短くなっている。すみやかにわからないように前回撮った同じ場所で写真を撮った。

ジョージア入国手続きもスムーズにすんだ。両方合わせて30分。今14時20分。国境を出たと
ころで年配のタクシー運転手に・・国境が移りましたね・・もっと向こうにあったような・・「そ
うだ・そうだ」トビリシまで60キロを教えてもらう。

前回国境をでてすぐの丘・・丸太の上で肉をナタで切ったいた食堂はなかった。地形はそんなに変
わっていないけど・・10年前の面影は国境近辺だけであとは記憶がなくなってしまっている。

ホテルに着いたは15時30分。帰りは10時間で来ることが出来た。行きと違って道路もよかった
ので疲れもそんなにはない。






2014年6月23日月曜      はれ       はれ
きょうは銀行で ①T/Cトラベルチェックカードを両替しに行く・  ②郵便局で切手を買いに行く・。
銀行の名前を書いたメモ・・ホテルのおばさんが連れていくと・・バスが来た・・いっしょに行くのか
と思ったら違った・・

運転手さんに何かを言っておばさんは引き返した。ええーッ帰りはどうするんだ。どこに行くのかわか
らないバス・・しばらく走って・タバコを吸いながら「ここだ」と運転手。

ここならまだあるいて帰れる距離でよかった。タクシーの運転手さんに「メモ」を見せて銀行にむかう、
大きい銀行が並んでいる一軒目だめ、旧い建物のメモの銀行に行くがやっぱりダメだった。

T/Cトラベルチェックはもう、どこでも扱っていないんじゃないかとも思うぐらい反応がない。T/Cを見
せても銀行員は見たことがないような顔になる。

しょうがない・・ホテルに戻ろう。カスピ海が見える範囲だから帰る道の見当はつく。大きい目印はヒ
ルトンホテル・・を目指して歩く・・

ポスト、郵便局のビルじゃないか・・ちょうどよかった、切手を買ってかえろう、オフィスの奥で切手
を売っていた。セットになっているのを5,6セット出してもらい・・

歴史のあるものがほしかったがなかった・・2セットを買った2400円。きょうの予定はすべて終了
した・・あとはビール飲むだけ・・。











2014年6月22日日曜   はれ・・強風    はれ強風   
朝からものすごい風が吹きまくっている・・10時にタクシーを予約している・・ガスが燃えている
「地獄谷」を見に行く。

どんな所なのか興味がある。実はアゼルバイジャンに来た目的は燃え盛る地獄を見たかったのだ。トルク
メニスタンでは地球の割れ目からガスが燃え続けているのをテレビで見たことがある。

一度見てみたものだと思っていた。アゼルバイジャンにも規模は小さいけどあるらしいと聞いた。どうゆう
ものなのか・・30分ぐらいで街から離れた丘に着いた・・入場料250円ぐらい。

丘の地面から炎が強風にあおられながら燃え盛っている・・が規模が小さい。黒くなっている岩の幅は5,
6m・・燃えているのは3mぐらいだった。規模は小さいけど・・何年も燃え続けていることが不思議で
ある。

ホテルに戻り・・オートバイのスタンドの修理・・止まったままにしていると・・どんどんアスファルト
でも突き刺さり倒れそうになる。下駄をはかせるためにタクシーに頼んで溶接屋に向かう。

溶接屋でちいさい鉄板の下駄をこしらえてもらいスタンドにはけた・・オーヨシヨシ・・これで喰い込ま
なくなって安心だ。次はフロント・シートを新しく継ぎ足した部分が目線と同じで気になるので中央部分
を3センチほどカットしてもらった。

これで走りやすくなった。全部で2500円。ホテルに戻ると・・アレーッオートバイのシートカバーが
ない・・どうしたことか・・溶接屋まではあったのに・・戻るとき・・強風で飛ばされてしまったようだ、

あぁーどこかに吹き飛んでしまったのだ。仕方がないどこかの国で手に入れよう。当面は荷物カバーに使
っている・使わなくなったテントをばらして作った防水カバーをシート代わりに使おう






2014年6月21日土曜   はれ    はれ
ジョージアとは1時間の時差、ジョージア12時・・アゼルバイジャン13時。7時市内の散歩に出かける
・・5,6分でカスピ海に出た。

茶色であまりきれいな海ではない。両サイド湾岸工事のせいだろうか。銀行カードが使えないでイラン・
マシュハドからアゼルバイジャンに2000キロ4泊5日かかってやってきたのが2003年10月だった。

なんとなくなつかしい。その時はアゼルバイジャンからジョージアにまわってトルコ・・そしてイランに戻
りパキスタンに向かった。

きょうは一日休養日。あした日曜日・・ガスが燃え続けてい「地獄谷」を見に行って・・オートバイスタン
ドに下駄をはかせに行くことにしている。




第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島~中東~東欧~アゼルバイジャン 6月18~20日 

2014年06月21日 | 赤道直下と陸路国境148か所






アゼルバイジャンにつきました
2014年6月20日金曜  朝くもり18℃ 小雨10℃   はれ23℃   はれ28℃
明け方ごろごろとカミナリの音・・雨の中を走る覚悟する・・5時に目が覚めた雨は上がっている
ようだ。6時ジャスト、アゼルバイジャンに向かってスタート。

東に雨雲が残っている・・とうとう雨雲に追いついた・・雨になる。用意していたジャンバーを着
こんだがすぐに雨はやんだ。山道の狭い道路はカーブが多いくふせこけたガタガタ道60キロがや
っと・・平均40~50キロで走行。

160キロでアゼルバイジャンの国境に着いた8時55分・・ジョージアの出国手続き10分でお
しまい、いいぞ・・いいぞ。

200mぐらいでアゼルバイジャン、入国手続き・・若い係官・・なんだかんだと・・話しかけて
くる・・その態度が気にくわない・・「マイ、ジャパニーズ、オンリー」と相手にしない。

年寄り係官に書類が渡った・・パソコン、扱う指先はわたしと同じ・・一本指。そろそろ潮時です
かね・・・といいたくなる仕事がのろい。ようやく手続きが終わったと思ったら・・荷物の検査。

ここにも横柄な若い係官・・。荷物の中身をみるのは「アゼルバイジャンだけだ」荷物をほどいて
また荷造りするのは大変なことなのだ・・「このくそったれめが」・・

日本語で怒鳴りながら 荷物を運ぶのを「手伝ったら」どうなんだ・・。検査を終えて荷造りを始
めたら雨が落ちてきた。

しょうがない濡れながら荷造りを終えた。10時13分ちょうど1時間アゼルバイジャンでかかって
しまった。すぐに晴れ渡ったいい天気に変わった。最初の街でカードを使ってATMでお金を下ろす。







あー簡単に下ろすことが出来た・・が現金が出てくるのが一呼吸、ふた呼吸遅い・・ダメなのかと
戻ろうとしたとき「現金が出てきた」文字がまったくわからないので・・あぁー危なかった。

オランダで「ダメなのかと」思ってとなりのATMに移ったとたんうしろにいた男に持ち逃げされた
ことを思い出す。レストランで食事を・・入ってケバフを注文・・ビールを・・ええー置いてないの。

注文をとりやめて別のコーヒ店へ・・ここではティとビールを飲む部屋が別れていた。つまみは卵を
割って・手のひらで・・ちゃちゃ・・ハンバーグを入れるらしい。

わたしと同じ・・年とったおじさん・・ゼスチャー・うまいもんんだ・・すぐに理解できた「OK」
それを注文。オートバイのまわりには人だかり・バクーまであと400キロ・・と教えてもらった。

相変わらずふせこけした道路が続く・・。時間がかかっているな・・。残り200キロになってどう
にかスピード100キロで走れる道に・・なる。

バクー市内に着いたのが19時・・市内でタクシーをつかまえてホテルのメモをわたす。あっちこっ
ち走りまわる・・走っている最中穴ぼこがある所に入りこんで転倒してしまった。

周りの車の人に手伝ってもらい起こした・・となりの車に接触しなくてよかったなー・・あぶないと
ころだった。







タクシは他のタクシーに聞きパトカーにも聞いたりしている「こいつわかってないんじゃないか」
「メモ用紙と金返せ」転倒したこともあってタクシーに八つ当たり。

地元の人が何事かとよってきた。人のよさそうな若い青年にメモ用紙を見てもらったが・・、わから
ない。パソコンから地図を撮っていた・・カメラを見せたら・・最後どうにかわかった。

地元の青年もいっしょにタクシーに乗り込んでもらってゲストハウスにたどりついた。ありがとうご
ざいました。

街の中心部にあるゲストハウスにしては安い3200円のゲストハウス・こぎれいで気持ちよさそう。
きょう二人ベッドにひとりだけ。あしたから4人ベッドに移るとか・・。きょうは約600キロ・・

きょうは13時間連続走行・・最後の200キロ・・いい景色の中を走ってきたが・・疲れて・・景
色など、・・もうどうでもよくなってしまった。











2014年6月19日木曜     はれ    はれ
サクランボを喰いながらの散歩が楽しい。きょうは風が強い。アゼルバイジャンのビザ10時に電話
するように言われている讃井さんアゼルバイジャン大使館に電話したがまだ出来てないとのこと・・。

午後オートバイのフロントプラスチックは割れているので・・新しくつぎたしに向かう。顔なじみに
なった溶接屋によって・・タクシーを止め溶接屋さんからフロントのお店まで行くように頼んでもら
った。

自動車部品・専門のお店が並ぶ・・部品商店街・・フロントのつぎたしを頼んだ。プラスチック台
2500円・・・修理代1200円・・思っていた以上に簡単に事が進んでうれしかった。

フロントプラスチックあと10センチ高くすればよかったかな・・と走りながらおもうがもう終わっ
たこと、これで良しとしよう。






ホテルに戻って晩飯を喰っていたら讃井さんが夕方4時過ぎに確認しに行ったがやっぱりダメだった
と・・。6時頃オートバイでわたしの泊まっているホテルにやってきた。

あとの日程がつかえているので・・あした20日仕方ないひとりでアゼルバイジャンまで行ってくる
ことにした。ビザが取れたらすぐにアゼルバイジャンまで向かうといいながら・・もうアゼルバイジ
ャンには行かなくても「いいや」と讃井さん。

クサル気持ちがわかる。「アゼルバイジャン・外務省」「許可」「来てない」と繰り返すアゼルバイ
ジャン大使館の話・・理由がわからないから余計に気になる。


2014年6月18日水曜       はれ    はれ16時28℃
いつもの朝の散歩・・夏に近づく陽気になりつつあるのだろうか・・半そでシャツで充分。ブログを
更新して夕方4時アゼルバイジャン、大使館で待ち合わせ。

ビザが下りない讃井さんときょうもアゼルバイジャンに確認に行くが・・「ダメだった」・・5時に
来るようにとのことらしいが・・。メールでとれたかどうか知らせてほしいとホテルへ戻る。

結果は「ダメ」ビザは下りなかったとのメールが6時頃はいった・・どうしてだろうかな・・本人に
してみれば気が気でない気持ちだろう。

第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島~イラン~アルメニア~ジョージア 6月14~17日 

2014年06月18日 | 赤道直下と陸路国境148か所





アゼルバイジャン・ビザ・・受け取る
2014年6月17日火曜     はれ     はれ28℃
アゼルバイジャンのビザ受け取りに大使館前10時讃井さんと待ち合わせ・・受け取り指定時間は
16時からになっているが・・もしかしたら受け取れるかも・・並んで待ったが・・やっぱり16
時からだとダメだった。

トビリシ市内から見える鉄塔まで走ってみよう・・アゼルバイジャン大使館前でルートを調べてい
たら・・ベンツの兄ちゃんが停まってくれて・・「どうした」・「鉄塔までいきたい」・・

「あの鉄塔か」と指さす「そうだ」・・。おれが案内する・・・「ついてこい」とベンツの青年・・
ハーレーオートバイに乗っているとも話す。

ありがたい・・複雑な街なかをグングンのぼっていく・・頂上パーキングに着いた。病院の食堂で
コックをしていると・・明るい青年は「アンドリア」さん、35才で子供さんひとり。

これから仕事だと・イヤーありがとうございました、握手して別れる。讃井さんと観覧車に乗った。
街から見える高原、いつかは走ってみたいと思っていた・・その高原を走ってみる・・結構山奥ま
で道が続いていた。






街に降りてアゼルバイジャンビザ受け取りまで時間があり・・二度目の天然温泉に入る。上がって
ビアーガーデンで休んでいると偶然にも讃井さんの友達二人が通りかかった、旅の途中讃井さんと
会った人らしい。

アゼルバイジャン・ビザをとりに来たと・話す。4時になったのでアゼルバイジャン大使館へ。20
数人入り口で待っており・・順番が来るまで待つ・・

申請する時あったサンフランシスコからやってきた日本人女性も見えていた・これで日本人5人にな
った。サンフランシスコ女性が入っていく・・「ダメだった」と戻ってきた・・松尾さんのは出来て
いると話す・・

讃井さんも「ダメだった」と戻ってきた。ダメだった原因はわからないと・・。さっき会った、ほり
かわさん、やまもとさんはしばらく待って「ビザ」スタンプをもらってきた。

わたしの番が来た・・「ジャパンマツオ」と呼ばれて・・「アゼルバイジャン・ビザ」を張り付けた
パスポートがかえってきた。ダメだった日本人二人はあした18日又来ることになった

。讃井さんとあした18日からアゼルバイジャンに行く予定をしていたが・・いたしかたない・・あ
したまで待とう。ホテルに讃井さんと戻ってこれからのこと・・打ち合わせしてあした16時にアゼ
ルバイジャン大使館で待ち合わせすることにした。






2014年6月16日月曜  はれ8時30分20℃   はれ
きょうはジョージアの「祭日」らしい。サクランボを喰いながらの朝の散歩・・ 3,4カ所サクラン
ボがある・・散歩よりもサクランボ目当てのほうが強くなってきた。

生まれ育った佐賀・嬉野・吉田・両岩で幼い時から木の実が大好きだった・・とゆうよりそれしか食い
ものがなかった。春先の「やまこぶ(黒と金色のクモ)」同士をケンカさせるためヤマコブをとりに出
かけた。

そのとき「野イチゴ」・・石垣イチゴなど見つけた時は嬉しかった。山奥におんぼしゃん(おばぁさん)
に連れられてワラビ取りにいった。赤い野イチゴが一面・・に、一回ではとりきれないで次の日も採り
に行った・・あぁーなつかしい思い出。

夏のきゅうり・・昔のきゅうりは種があって今より二倍ぐらいでかかった、なすび(なす)も喰った。
秋の柿・・ゴマが入った柿は甘柿・・どこの木(家)が渋柿・・






どこの木が甘柿か自然に覚えてくる・・だまって「ひっちぎる」喜び・・ようするに盗んで喰う知恵が
働いていた。秋の栗もたのしみだった・・よその栗の樹の下で拾っていたら「コラーッ」と怒られたこ
と二回ある。

同じ・・秋「しいのみ」椎の木の「実」・・さわさわと風が寒さを呼ぶころ・・・拾って歩いた、生
(なま)でも、もちろんうまい・・火にあぶって喰うと香ばしく一段とうまかったな。

「グミ」もなつかしい・・家には小さい「グミ」しかなかった・・ちょっと赤くなったぐらいで待ち切
れず喰っていた・・。渋が強いのでウンコがふんずまって出ないこともたびたびだった。

親戚の家には「朝鮮グミ」といって家のグミより2,3倍大きいグミの木があった。アルミの弁当箱を
もって毎年もらいに行く・・それを食べるのが楽しみだった。あぁあれから・もう60数年前のこと・
・はやいなー。

今ここはジョージア朝の散歩中、いまでも木の実があると・・自然に手が出る。幼いころ喰った、赤い
実をたべたい気持ちは変わらない・。

夕方讃井さんがコーカサスから戻ってきたとホテルにやってきた・・ロシア国境も2時間前・・開通し
ていたと・・話す、ついているなー。






2014年6月15日日曜      はれ      はれ26℃
朝の散歩・・いい天気が続いて気持ちがいい・・サクランボ・・歩きながら3カ所の場所でもぎって食
べながらの散歩は楽しみである。午後いい天気にさそわれて近くの湖までオートバイで走ってみた・・

日曜なので家族連れのマイカーが走っている。溶接屋のそばまで来て洗車しようとしたが・・並んで待
っている。溶接屋の顔なじみのおやじさんが顔をみせた。

日曜なのに仕事やっているんだ・・溶接してもらった時の写真をホテルに戻って届けた。喜んでもらえ
てよかった。


2014年6月14日土曜   はれ3℃    はれ23℃
ガザベキ村ゲストハウス7時に出発・・トビリシにひとりで向かう。讃井さんはあと一晩泊まる予定。
わたしもあと一泊してみたかったが・・ホテルのキャンセルをしてこなかったので戻ることにした。

朝3℃の温度・・今ジョージアとロシア国境は土砂崩壊で国境は閉まっていると聞く。ロシア国境まで
15キロと聞いたので行ってみようとしたが、橋のたもとにいたパトカーが「これから先」行けない。

「イヤ、土砂崩壊しているところまで」「行って戻って」くる・・イヤダメだ。これから先は走れないと
・・。トビリシに向かって出発した。帰りの道は来た時の景色が又違った景色に見える。

何回も停まって写真におさめる。山の中はスロースローで走る。ここは・・あぁーやっぱり、素晴らしい
景色だったなー・・。コーカサス山脈の素晴らしかった景色をしっかり焼きつけて・・ホテルに着いたの
は12時40分だった。







第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島~イラン~アルメニア~ジョージア 6月12・13日 

2014年06月15日 | 赤道直下と陸路国境148か所








コーカサス山脈にある「ガズベキ」まで讃井さんとツーリング
2014年6月13日金曜日   はれ18℃     はれ10℃   
きょうは、コーカサス山脈・有名らしいキリスト教会がある「ガズベキ」の村まで走る。約200キロ・・
きのう街の天然温泉にはいった・・近くの橋のたもとで讃井さんと8時に待ち合わせ。

その橋はきょうディスコ大会があるらしくパトカーが来て橋を交通止めにしていた。ちょっと離れた場所
で讃井さん待っていた・・地元のタクシー運転手さんがあそこにオートバイが待っていると教えてくれる。

気付いた讃井さんがやってきた・・さぁー出発。ナビに頼って走るがなかなか・・市内から出ることが出
来ない。あっちまわりこっちまわりしてどうにか本線に出ることが出来た、さすが讃井さんだ。

本線から右に入り・・いよいよ山の中に入ってい行く。川筋から離れるとだんだん上り坂・・湖を過ぎる
とカーブが多くなる・・車はそうんなに多く走っていない。標高があがり・・ひんやりした空気に変わっ
てきた。













リゾート地区らしくホテルなどが立ち並ぶ・・すばらしい雪山が出てきていい眺めが続く。半円形のでっか
いモニューメント・・乗り入れてみた。足元の谷底はぞーっとするほど落ち込んでいる。

観光バスからツアー客が歩いてきた・・歩く格好はどうも「日本人に似ているね」讃井さんと話す・・本当
に日本人観光ツアー男女14、5人の人たちだった。

「こんにちは」・・二人のオートバイを見て話がはずむ。お互いに「どこから来たんですか」「これからは
」・・いっしょに記念写真をとって・・いい旅を続けてください・・




パーキングには別々の日本人ツアー観光バスが偶然にも二台止まっている。へーこのあたり・・おそらく
「ガズベキ」のキリスト教会が目当てに訪れているのだろう。人気があるんだなー。

天気はいいし・・わたしたちも気持ちがいい。14時にガズベキの村に着いた。広場からこれから登るキ
リスト教会の建物が空高くそびえている。標高3500mぐらいと讃井さんから聴いている

ガタガタ道で「オートバイじゃいけないよ」地元のホテル、登山タクシー案内人が・・まくしたてる・・ま
ずホテルを探そうと讃井さんが一人で向かった。

人のよさそうなおじさんは40ラリでどうか・・シャワーもあるし、きれいだと・・話しているように聞こ
える。讃井さんが戻ってきた35ラリーの部屋はあった。







40ラリーの部屋を20ラリでいいとおじさんが言っているよ・・部屋を見せてもらって決めましょう。ゲス
トハウス・・一軒の民家が・ゲストハウスになっている。まずまずの部屋・・ここに決めましょう。


荷物をおいてオートバイを取りに戻る。登山タクシーひとり20ラリゲストハウスまで送り迎えしてくれたタ
クシーに乗り込む。これじゃマツオのオートバイじゃとても・とても走れない。

石ころの道にドロドロのぬかるんだ道・・讃井さんのオフロード車でも相当きつい。なれているとはいえ、タ
クシーも狭い道の悪路をよく走れるものだ。

ひどい揺れかたに運転手さんは「ジョージヤ、マーッサージ」と笑い飛ばして運転している。頂上に着いた・・
放牧された牛、旧いキリスト教会、、まわりは雪山に囲まれて建っている。

すばらしい・・なんとすばらしいながめだろう。気持ちまですっきりしてくる。あぁ気持ちがいい。教会に上
がって・・「こんにちわ」・・牧師さんに静かに「シー」口に人さし指とたてられた。

カメラ好きの讃井さん高額の一眼レフカメラで40分ほど写真をとっていた。村に降りてミニマーケットで今
晩の食料買い出し・・タクシー運転手さんに気持ちばかりのチップを上乗せして・・ありがとうございました。


ゲストハウスまで送ってもらった。オートバイにの温度はすでに5℃をきっていて・・風が冷たい。ご苦労さ
までした・・まずは、かんぱーい。晩飯は讃井さんの動画を見ながら・・写真スライドを見ながら過ごす。

寒いのでシャワーも浴びずに寒さをしのぐため重ね着して布団も3枚かけて寝る。







アゼルバイジャン・・ビザ申請・・街中の天然温泉
6月12日木曜    はれ18℃    はれ
アゼルバイジャン大使館9時30分に着いた・・讃井さんのオートバイはない、まだ来ていないようだ。50分
になっても讃井さんは見えない・・・ひとりでビザ書類代行の店で作ってもらう・・

「10ラリ」あれ上のお店では8リラと言っていた・・いいよ「8リラ」で・・10時頃讃井さんは見えた・・
9時半前に来ていた、きのう教えてもらったお店で申請書を頼んでいたと話す。

ビザ申請は提出するだけ・・で終わり。受け取りは月曜が祭日らしく・・17日火曜日になる。街の真ん中に温泉
があると聞いている・・アゼルバイジャン大使館の近く・・歩いて行けるとタクシーの運転手さん・・


オートバイを置いて歩いて温泉へ500mぐらい歩くと・川の崖っぷちに建つトビリシの象徴する場所のそばにあ
った。いくつのも釜が並んでいた・・天然の温泉らしい。値段の高い温泉場は60ラリ3000円個室貸し切りな
のだろうか。

地元の人に「安いのはどこ」「あそこだ」・・・1時間・・3ラリ150円とだいぶ違うな・・。入り口で・・銭
湯の番台にはおばさんが座っている・・でお金を払う。







タオルなども売っている。大衆浴場って言う感じ・・おー硫黄(イオウ)のにおいがする。ローっカーに荷物を入
れて脱いだ着物も入れる・・と鍵を閉め・・開ける時は番人の人がかぎを持ってくる仕組み。

歴史を感じさせる情緒ある温泉だ。浴槽に入る前に鉄管を通じて頭の上から落ちてくる、お湯と水は調整できる
仕組みになっている・・そのお湯で身体を洗ってから浴槽に入る。

身体を洗って浴槽に入ろうとすると地元のおじいさんが「もっとよく洗って」からと指摘される。あーいい湯だな
・・ちょっと熱めだが・久しぶりに湯船につかった。気持ち・・いい・・。

洗い場のまわりにはマッサージ台を設けてあり。マッサージのおじさんもいて、「ポンポン」と背中をたたく音を
させて・・何人かマッサージ台で受けている人もいた。

湯上りのあとは近くのガーデンへ・・ジョッキービール一杯飲んで・・ホテルに戻る。あした13日景色のいい、
コーカサス山脈の中にある村まで行くことにした・約200キロぐらいだが・標高は3500mぐらいと高いの
で気をつけて走ろう。






第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島~イラン~アルメニア~ジョージア 6月10・11日 

2014年06月12日 | 赤道直下と陸路国境148か所




2014年6月10日火曜  朝くもり、小雨 すぐにはれ .jpg" border="0">
朝方トルコからトビリシに着いたと日本人ライダー讃井孝廣(さぬいたかひろ)さんからホテルに電話が入った。
わたしが午後国際空港でトラベルチェックの両替を終わらせてから・・会う約束。

トラベルチェック先日行った時は「OK」といったくせにきょう行ったら「できないと」・・先日OKと書いた
メモ用紙を見せるが・・結局だめだった。ホテルに戻ってタクシーで讃井さんの泊まっているゲストホテルに向
かう。

讃井さんはオートバイでわたしが泊まっているホテルまでタクシーのうしろに着いてきてもらう。カレーを作る
と到着前から意気込んでいた讃井さん・・途中マーケットでカレー材料を手に入れてホテルへ。

とりあえずお互い・・の旅、ご苦労さまでしたとビールで「乾杯」。讃井さんはカリフォルニアでオートバイを
買って走り始めたいと考えていたので会社を辞めてオートバイで走りだしたのがサンフランシスコ。

アメリカ中南米をぐるっと走り・・アルゼンチンからヨーロッパ・スペインへ飛行機でオートバイを渡す。ヨー
ロッパを走りながら・・いったん日本に一時帰国。

その時原宿のワッツ主催・海外フェスタで讃井さんと出会ったのが昨年の7月・・メールでやり取りしながらジ
ョージア・トビリシで会うことになった。

カレーが出来上がった・・久しぶりに喰う白いごはんにカレーの味・・実にうまい。あれこれおもいつくまま互
いに旅の話・・仲間の話。久しぶりに日本語でしゃべれて楽しかった。

讃井さんは話しぶりも誠実の人だ。10時ごろだったろうか・・あした10時に会うことにして・・泊まってい
る宿に戻った。




ロシアビザ・・受け取りました

2014年6月9日月曜     はれ    はれ
散歩のルート探しを兼ねてきょうも違った道を歩く・・・車の往来が結構あるし歩道が少ないから車に気をつけて
」・・・歩くのに気が気でない。1時間半かかってホテルに戻る・・クラクションを鳴らす・・だれだろう・・

酒屋のお店のおばさん二人乗った車、これから出勤だ。8時を過ぎている「遅いよ」「GOGO」と言ったら笑っ
て走り去った。

午後ロシアビザ受け取りに行く。受け取り時間18時になっている・・近くの人や、溶接屋の人たちを撮った写真
・・プリントして渡すため3時に出かける。

30分で市内中心に着いた。写真プリント注文・・10分ぐらいで終わる・・日本のように自分で選んで自動機械
でプリントではなくて・・パソコンで取り込んだあと・・プリンターで印刷する。

今4時前・・ナビで「ロシア大使館」が入力できなかった。タクシーを頼んでロシア大使館まで引っ張ってもらう
ことにした(500円)。

帰りはホテルまでナビがある、ロシア大使館に着いたのが4時・・ダメでもともとと思ってきたのだ大使館前には
20人以上ビザ申請で待っている人たちがいる。

係官が出てきた「カラテ、カタナ、ジュウドウ」目立つことばで呼びかける・・通じない。受け取り「交換書」を
見ながら周りの人が受け取りは「18時」だと教えてくれる。

いやいやわかってきたのだ・・日本語でしゃべる。これから「2時間」待つのかなー・・入り口の警備員に「ソーリ
・ビザ」「受け取りに来た」・・なんと「中に入れ」とうまくいきそうだ。

荷物検査のところで「いったん待って」と指示されたあとカメラを預けてオフィスの中へ・・空手をやっているとゆ
う青年がいた・・「ビザ受け取り」窓口に案内してくれた・・一言二言なにか話したあと窓口「女性」がわたしの顔
を見て「うなずく」

よし「合唱ポーズだ」・・前回と窓口女性とは違ってふとった人だったが笑って応える・・パスポートを青年に渡し
た。おおーかえってきた・・。

青年は「チェック・チェック」パスポートの「期限を確かめよ」とたしなめる。6月27日から7月26まで30日
ビザ・・あのー40ドルお金はどこで払うのか・・「ノー」青年はいらないと話す。そうなの・・ありがたい・・。

アーよかった・・空手の青年に・・ありがとうございました。今4時20分・・6時まで待たなくて、ビザパスポート
早く受け取ることが出来てよかったなー・・ゆっくりホテルに戻ることができる。

幹線道路から降りるのを間違った・・のではなくて、左折専用に入ったら幹線に出て逆方向に走るはめに・・・いった
ん降りてガードをくぐったところに露天八百屋・・サクランボ 1キロ150円を買ってホテルに戻る。

きょうロシア・ビザがとれたし、よかった、よかった、まずはビールで乾杯・。

これまでロシアビザ申請してから受け取りまでの流れ
○5月29日木曜 ビザ代行にドキュウメントを頼む。300ドル・3万円
○6月4日水曜 ドキュウメント作成終了、20ドル2000円。
 ビザ申請・申請料40ドル4000円
○6月9日月曜 ビザ受け取り・40ドル・4000円→受け取りのきょう9日
  いらなかったので、ロシア・ビザ代・・トータル3万6000円







第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島~イラン~アルメニア~ジョージア 6月6~9日

2014年06月10日 | 赤道直下と陸路国境148か所



ロシアビザ・・受け取りました

2014年6月9日月曜     はれ    はれ
散歩のルート探しを兼ねてきょうも違った道を歩く・・・車の往来が結構あるし歩道が少ないから
車に気をつけて・・・歩くのに気が気でない。

1時間半かかってホテルに戻る・・クラクションを鳴らす・・だれだろう・・酒屋のお店のおばさ
ん二人乗った車、これから出勤だ。8時を過ぎている「遅いよ」「GOGO」と言ったら笑って走
り去った。




午後ロシアビザ受け取りに行く。
受け取りは18時になっている・・近くの人や、溶接屋の人たちを撮った写真・・プリントして渡
すため3時に出かける。30分で市内中心に着いた。

写真プリント注文・・10分ぐらいで終わる・・日本のように自分で選んで自動機械でプリントで
はなくて・・パソコンで取り込んだあと・・プリンターで印刷する。

今4時前・・ナビで「ロシア大使館」が入力できなかった。タクシーを頼んでロシア大使館まで引
っ張ってもらうことにした(500円)。

帰りはホテルまでナビがある、ロシア大使館に着いたのが4時・・ダメでもともとと思ってきたの
だ大使館前には20人以上ビザ申請で待っている人たちがいる。

係官が出てきた「カラテ、カタナ、ジュウドウ」目立つことばで呼びかける・・通じない。受け取
り「交換書」を見ながら周りの人が受け取りは「18時」だと教えてくれる。

いやいやわかってきたのだ・・日本語でしゃべる。これから「2時間」待つのかなー・・入り口の
警備員に「ソーリ」「ビザ」「受け取りに来た」と日本語・・なんと「中に入れ」とうまくいきそ
うだ。

レントゲン?X線、荷物検査のところで「いったん待って」と指示されたあとカメラを預けてオフ
ィスの中へ・・空手をやっているとゆう青年がいた・・。

「ビザ受け取り」窓口に案内してくれた・・一言二言なにか話したあと窓口「女性」がわたしの顔
を見て「うなずく」よし「合唱ポーズだ」・・。

前回いた窓口女性とは違ってふとった人だったが笑って応える・・パスポートを青年に渡した。お
おーかえってきた・・。

青年は「チェック・チェック」パスポートの「期限を確かめよ」とたしなめる。6月27日から7
月26まで30日ビザ・・。

あのー40ドルお金はどこで払うのか・・「ノー」青年はいらないと話す。そうなの・・ありがた
い・・。アーよかった・・空手の青年に・・ありがとうございました。

今4時20分・・6時まで待たなくて、ビザパスポート早く受け取ることが出来てよかったなー・・
ゆっくりホテルに戻ることができる。

幹線道路から降りるのを間違った・・のではなくて、左折専用に入ったら幹線に乗って逆方向に走
るはめに・・・いったん降りてガードをくぐったところに露天八百屋・・サクランボ 1キロ15
0円を買ってホテルに戻る。

ロシアビザがとれたし・・・よかった、よかった、まずはビールで乾杯・・・。気持ちもはれた。

これまでロシアビザ申請してから受け取りまでの流れ
○5月29日木曜 ビザ代行にドキュウメントを頼む。300ドル・3万円
○6月4日水曜 ドキュウメント作成終了、20ドル2000円。
ビザ申請・申請料40ドル4000円
○6月9日月曜 ビザ受け取り・40ドル・4000円→これは入らなかった
ロシア・ビザ代・・トータル3万6000円







2014年6月8日日曜     はれ    はれ13時28℃
7時過ぎから散歩・・のルートを探す。これまで西の方、南の方、東の方、北の方へと歩いてみた。
きのう歩いた東の方から北へ歩いた高原はよかった。

きょうもそのルートを歩いてみよう・・近道だろうと歩いてみたら・・行きどまりだったが草むら
狭い農道を長い時間歩いたらどうにか道路に出た。朝から4人で呑んでいる、わたしと同じアル中
の仲間がいる。

「ちょっとこっちに来い」とテキラーの入ったビールみたいなものを差し出された。ありがとう・・
ウヘィ・・ちょっときつすぎて・・あまりうまくない。

コップでちょこっと呑んで隣の爺さんのコップに注いだ。8時だけど好きなんだろうね・・朝から
テキラー。朝からオレも呑むけどビールでないと入っていかないなー。

家づくりか・・ツルハシを使って境界線の柵作り。モンゴリア出身43歳と話す。まわりは草高原
・・モンゴル草原出身にはここしかない環境・・わかるような気がする。









朝から飲んでいたおじいさん仲間のひとりは馬に乗って牛、ヤギを引き連れて牧草に放していた・・
馬に乗ったおじいさんはかっこいいな。テキラーをすすめた,仲間にまた交差点で会った。

地元の人たち7,8人といっしょ・・少しでいいからテキラーを呑めと・・酔っ払ったふりして・ふ
らふらした姿を見せて・・ありがとう。

また行きどまりの道に入った。基の道まで戻りきょうは2時間歩いてきたことになった。午後きょう
もトビリシ市内に出かける。きのうバザールをやっているところに着いた。

鉄塔のある所・・どこから登るのか,聞いていたら・・バスで行けと話す。彼がバス運転手だと・・。
オートバイはタクシーが止まっている横に「ここに停めても」大丈夫か、と聞き駐車。

バスに乗って高台の鉄塔まで登った。バス代は乗客の人が払ってくれたようだ・・6とか言ってたから
30円ぐらいかな。すみません、ありがとうございます。

いつかは行ってみたいと思っていた山の高台にある鉄塔。今は展望台は使われていないようだ。日曜日
なので子供の家族連れでにぎわっている。

しばし休憩・・泊まっているホテルの方向の写真など撮り・・この辺だったら町より住みたい環境だろ
う・・別荘地のような感じをうけた。

ここまではオートバイで走れることがわかったので次は山の途中から別れている別の道の方を走ってみ
たい。












2014年6月7日土曜  はれ    はれ13時21℃
トビリシに来て12日を過ぎて気持ちもだいぶ落ち着いてきた。午後から初めてトビリシ市内へ。気が
気でないデコボコと穴ぼこを用心しながら市内の中を走った。

要所・要所でオートバイを止めて写真を撮りながら・・中心部へ。きょうは土曜でバザールがあっちこ
っちで開かれている。

美術・絵画・展示。街なかではビルの一角で実際に絵筆を動かして製作中・実物展示・など興味ある人
にはおもしろそう。わたしにわからない。

市内バザールで写真を撮らせてもらった人には近くでプリントして絵描きさんに渡した。ホテルの近く
のパン屋さんにも帰る時渡した・、おやじさんの写真を見てオレも撮ってくれと・・頼まれる。


2014年6月6日金曜  朝パラパラ小雨  午後はれ
ホテルの近くを散歩・・午後国際空港まで走ってみた・・15分ぐらいで到着・・意外と近かった空港
の中の銀行でT/Cの両替ができるのかどうか確かめに来た。

ひとつの銀行だけ両替「OK」だった。9日にロシア・ビザが下りてパスポートが戻ってきたら両替し
てみよう。アァ・・両替できそうで・・よかったぁ。


















第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島~イラン~アルメニア~ジョージア 6月4・5日

2014年06月06日 | 赤道直下と陸路国境148か所

ロシアビザ・・受取り交換書・・すべて手続きが終わった・・6月9日受け取り。



「ロシアビザ」・・6月9日に受け取れそう

6月4日水曜   朝小雨   くもり    くもり
これまでいい天気が続いていたが、きのう、今日とぐずついた天気・・。きょうロシアビザ申請
にいくため10時にセルゴさんと待ち合わせ・・遅いな10時20分。

ようやく来た・・セルゴさん宅におとうさんの兄弟が亡くなったとかで代わりのタクシーといっ
しょに来た。代わりのタクシーでロシア・ビザ代行社でドキュウメントを20ドルで受け取り、
ロシア大使館へ・・

今回も受付番号がない。セルゴさんはビザ申請はあしたと言ってたが・・ビザ代行の人が今日で
もかまわないと話す。一日でも早い方がいいと・・ロシア大使館へ。

なぜか今回も優先的に中に入れた。そこに座って待つように・・即、そのまま便所座りしている
と・・そうじゃなくって・・椅子に座って待つように・・館員が笑いながらやってきた。

待っている先客7,8人が笑っている。しばらくして大使館員が呼びに来た。前回申請はダメだ
ったが今回も丁寧に説明してくれる日本大好きってゆう感じの若い館員。申請書にロシア語で
マツオキヨハルと書きこんでくれる。

順番がきた・・ビザ受付窓口女性に向かって「よろしくお願いします」の気持ちで長い合唱ポー
ズ・・つられて受付女性も合唱ポーズをして笑っている・・。

受け付けが終わった、と思ったら最後の最後・・。今度会計へ40ドル(4000円)払ってす
べてビザ申請終了。

受け取りは6月9日18時「ビザ交換書と40USドル」を持ってくるように説明を受ける。
館員に受け取りの日、時間を何回も聞く。

18時って大使館閉まっているんじゃないの・・19時まで開いているから「大丈夫」・・9日
にこれを持ってくれば「OK」か。

そうだ・・「一カ月ビザ・スタンプ」を押した「パスポート」を渡すのでそれでおしまいと・・
笑顔でこたえる若い館員。ありがとう・・・すべて手続きは終わった。

日本に興味があるらしく・・説明しながらも柔道、剣道、空手、カタナ・・「たまごっち」も子
供ころ使っていたと・・話す・。

となりの若い青年・・そのとなりの青年も空手を習っていると得意げに話す。3人とも帰り際に
日本式「おじき」をしながら握手して別れる。これでロシアビザめどがついて気が楽になった。




2014年6月5日木曜     はれ      はれ21℃
朝ホテルの近くを散歩・・・時間が出来たので過去の動画を引っ張り出してyou tubeでアップして
みました。

この貼り付けでいいのだろうか・・うまくいかなかったら・・またあした、あさってやり直し・・

○14・5・16イランから・・もうすぐアルメニア国境  http://youtu.be/-wRslTTOHlQ・

○14・3・22アラビアン砂漠MVI     https://www.youtube.com/watch?v=IAtaXH6Bgq0





第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島~イラン~アルメニア~ジョージア 6月1・2・3日

2014年06月03日 | 赤道直下と陸路国境148か所


2014年6月3日火曜   朝から雨・・・午前中・・小雨     午後くもり・・
きのう終わらなかった「ナビ」ガーミンのお店に・・10時にタクシーセルゴさんと打ち合わせ・・
ジョージア・セントラル中央駅・・のそばにガーミンの店、セルゴさんの友達なのか・

ガーミン片手繰り返し説明している・・よくはわからないが・・ロシア語から日本語転換・・出来る
こと、なんとはなしにわかったような・・わからない話し・・。

事前にジョージアとロシアの地図はアルメニアで買って入れてあります・・と話していたのにガー
ミンのこと・なんで彼に、なにを頼んだのか・なにか新しいことが出来たのかどうか・・。

あとから自分で出来るのかどうかためしてみよう。・「お金は」・・「いらない」と・・セルゴさ
んのお友達らしかった・・ありがとうございました。今日はこれでおしまい・・ホテルに戻る。



ジョージア・ビールがホテルにない・・近くの小さいお店に買い行く・・・ホテルではビンビール
1本500ml25ラリ・・125円・・ここでは75円と50円も安いではないか・。

こんなにも違うのか・・これからはここまで買いに来よう。朝から雨だったが・・でかけるころに
はお目も上がっていた。あした・・ロシアビザ・・申請に行く。








2014年6月2日月曜     はれ10時18℃        はれ
どこででも止まれるようにきのうおととい直してもらったスタンド、きのう穴ぼこでガツーンとや
ってスタンドがダメになった・・朝一番溶接屋によってタクシーのセルゴさんを交えて説明する・・。

土台のスタンドそのものが使い物にならない程に曲がってしまっている・・土台そっくり交換してもら
うようにお願いした。とり替えたあとどうなっているのか楽しみだ。

オートバイにつけてるガーミン社の「ナビ」・・・・・ジョージアの中央駅まで来た。これからすす
む町の名前を「登録」してもらうように頼みにきたつもり・・・・








ガーミンの店の人・・と会って「ナビを預ける」・・「あのー、ジョージアとロシアの地図は入っ
ている」んです・・日本語で話したが通じたのかどうかわからない・・。

とにかく自分の言いたいことは日本語でもなんでもいいから言わないとわからない。意外と日本語
でも通じる時もある。

1時間かかるとのこと・・前回来た時切手を買う気持ちの余裕はなかった。今は時間もある・・待っ
ているその間、ジョージアの切手を買いにセルゴさんに頼んで郵便局へ。気にいった切手を選んで
買った。思ったより安く買えた。

ナビのあるお店に戻るが・・きょうは出来ないあした・・と電話が入る。バザールできゅうり、トマ
ト、さくらんぼを買いホテルに戻る・・。

オートバイスタンド・・直っているか・・自信ある顔で待っていてくれた・・溶接屋さん・・・・
スタンドの傾きかげんを最後に調整・・無事に終わった・・修理代100ラリ・・5000円
ありがとうございました。




腹へったので早いが晩飯の支度・・支度と言っても・・きゅうり、トマト、玉ねぎを切るだけ。呑み
終わったころ・・突然タクシーのセルゴさんが部屋に入ってきた・・「どうした」・・

「ロンドンから電話が入って「1000ドーラ」10万円受け取っているのではないかと」言われた。
(日本人のわたしの友達ジョージア出身がロンドンにいる、親族はジョージアにいる)その友達が
ロンドンから電話をしてきたのだ。

疑われるようなことはしていない・「マツオに話してもらうために来た」と・・よしわかった。
憤慨しているセルゴさんの顔色を見ながらセルゴさんの携帯でロンドンに電話を入れた。

事情を知らないで、どうしていやな思いをさせるような「言い方をするんです」・・日本語で怒鳴
った。相手には通訳の人が電話に出た・・事情を話して・・

「そうであればあやまる」と言っているようだ・・人を疑ってしまったらおしまい。ジョージア滞
在中・・松尾に対してお世話をしようと思ってのことだろうが・・紹介してくれた日本人の方には
申し訳ないと思うけど・お断りした。



























2014年6月1日日曜        はれ         はれ
夜も朝方も・・寒くもなく・暑くもないし、もしかしたら一番いい気候かもしれない・・寝るとき
半そでシャツにパンツ一枚ですごせるようになった。地元の人にいい天気ですねと言っても・・
「???」わからない。

アラビア半島からイラン・アルメニアと北に上がってきたとき・・山にはまだ雪が残っている、北
に上がってきたのはちょっと早すぎたのかと思ったがここジョージア・トビリシについてからだい
ぶ気候も落ちついて・・いい天気が続いている・・このままいい天気が続いてほしい。

すませなければならないロシアビザも一段落、あとは手続きだけ・・気持ちもゆったりしてきたので
朝ホテルの近くを散歩・・。









午前中、オートバイでマーケットまで買い物に行く。ホテルに戻るとき・・穴ぼこにどすーんとはい
りこんで・・カラカラとスタンドを引きづっている。

足でけり上げても・・ちょっとした振動で止まった状態のスタンドになってカラカラ地面をこする、
まずいことになってきたな・・あした溶接屋で見てもらおう。

すこしづつティビリシ市内を走れるようになればいいと思う。14年前にもなるがフランス・パリに
着いたときも1週間は怖くて走れなかった・・

ただ、じーっとしているだけで不思議なことに・・走りまわらなくてもまわりが見えてくる感じがし
てきたことを思い出す。

これまでも同じような感覚をあっちこっちの大都市で何回もしてきたので気持ちが落ち着き・・まわ
りが見えるようになるまで動くのは控えておこう。

きょう家内の誕生日だった、70才にもなってしまったんだ・・もうおめでとうとは言えない年齢(と
し)・・あとのない人生を感じて素直に恐ろしくわたしは感じる。「死んじゃったらおしまいだからねー」
一応メールは送った。











第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島~イラン~アルメニア~ジョージア③ 5月30・31日

2014年06月01日 | 赤道直下と陸路国境148か所

国境越えて・・アルメニアのタクシーに乗って20キロ先の町の銀行まで行って、お金をおろして戻ってきた・・
よくもここまでやってくれるものだとタクシーのセルゴさんに感謝。国境に一軒あるレストラン30日のこと。

2014年5月31日土曜      はれ       はれ
オートバイの「ナビ」まだ自信もって自分では入力出来ないでいる・きょうナビの会社「ガーミン」
にいってこれから走る設定を頼みに行く予定だった。

10時に来たタクシー、セルゴさん「きょうは土曜、あした日曜」あさって月曜でないと開いてない
と・・わかった。きょうは・・かねてからキッチン付きで自炊ができるホテルをネットで探していた
・・そのホテルまで走ってもらうように頼んだ。

静かで環境のいい場所だ・・地元の人、何人かにホテルを聞くがわからない・・。セルゴさんによる
と・・夜はマリファナの常連たちが集まり・・いいところではないと話す。

タクシーもここには行きたがらないと・・。別の道を通りホテルに戻る、4日間セルゴさんにトレビ
シ市内を走りまわってもらったがまだひとりでは走る自信はない。



セルゴさんに頼んで・・ひとりで走って行けるマーケットまでの道のりを確かめる。ホテルに戻った
・・12時を回っている、さっそくオートバイでスーパーマーケットまで買い物・まずは無事に買い
ものをすませることが出来た。

さて、きのう国境まで行ってさらにアルメニアの町までセルゴさんに両替してもらった。ここは正確
に伝えておかねばなるまい。30日の報告・・国境で「出入り自由」と書いたが正確にはアルメニア
入国20ラリ1000円払う。無料ではなかった。

アルメニアに入るとき20ラリかかるからと言われていた。セルゴさんのおかげで・・ロシアビザ
(どうなるかわからないが)・・申請をすませることが出来た。

このあとの心配は・今持っている現金であと20日分持ちこたえることができるのか・・残っている、
現金がたらなくなった場合・・また国境・アルメニアまで行ってタクシーのセルゴさんに頼んでカード
を使いATMで下ろすことになるのか・・。










お金おろしに国境越えてアルメニアへ行ってもらった

2014年5月30日金曜
きょうはアルメニアとジョージア国境までお金降ろしに行った。ジョージアではシティバンクカードが
使えないのだ・・。

アルメニア国境にATM(があるのかどうかもわからない)で降ろしてもらうために・・90キロ先の
アルメニアの国境まで行ってタクシー運転手セルゴさんに下ろしてもらいます・・。

当然わたしの銀行カードの暗証番号はセルゴさんにおしえてあります。これは信頼するしかありません・
・セルゴさんは国境自由に出入り出来ます・・。

11時半、セルゴさんはアルメニアに入って行った。アルメニアまで行って帰ってくるまで2,30分
ぐらいだろうとわたしは思っていたのですが違ってた。

国境往復1時間ぐらいで戻ってくる・・と国境で待機しているタクシー運転手が親切に教えてくれた・・
そんなにかかるのか・・。なかなか戻ってこない・・どうしたんだろ。

もしかして国境から20キロ先の町まで行ってATMでおろしているのではないか・・。わたしがジョー
ジアにくるとき町の人に「国境まで何キロ」と聴いたとき「20キロ」と教えてもらった町だ。

でかけてから2時間たった・・1時を過ぎた・・腹も減ったし国境の簡易食堂でビール飲んで待っていよ
う・・国境職員が買っていったうまそうなソーセージを焼いてもらっていた。

ビールを一口飲んだころ汗だくでタクシーのセルゴさんが国境から出てきた、スターローレンに似た顔。
話しを聴くと国境にATM機械は2台あった、しかし停電で使えなかったと・・。

仕方ない・・タクシーを使って・・20キロ先の町まで走って「お金をおろして」・・戻ってきたと・・
ほんとすみませんでした。

しかも・・一回で下ろせる限度額が1日「500ドル・5万円」と決まっていてそれ以上は下ろせなかっ
たと説明してくれた。

シティバンク「カード」とともに手元に500ドルをテーブルに広げた。いやーすみませんでした・・
ありがとうございました。

さっき注文したソーセージ「どうした」・・ここも停電のため焼き上がらないとレストラン、冷たいソー
セージを食べる。まぁ・ビールを・・進めるが彼は運転中は呑まない。冷たい水で我慢している。

ホテルに戻ろう・・地元の人たちがとりたて農産物・・路上で売っている・・トマト、サクランボを買
った。トマト1K100円・1K100円だよ・セルゴさん4、5キロ買ったわたしはサクランボだけ。

タクシー代いくら払えばいいのかのだろうか・・待っている間に国境のタクシーに聞いたらテビリシまで
40ラリ・・片道2000円・・往復4000円と教えてもらった。

国境越えたアルメニアでのタクシー代もある・・あとは気持ちの問題・・少ないかもしれないが100ドル
1万円で勘弁してもらおう。

普通は運転するだけの商売・・セルゴさんは観光ガイド以上の親切さで接してもらっている。きょうも9時
から15時半まで・・約7時間付き合ってくれた。

仮に・・もし彼が日本に来た時・ここまで親切にできるだろうかと考えた時、半分もできないかも・・。
ただの旅人なのに「どうしてここまでできるのか」・・セルゴさんにはおどろくばかり。

タクシーの運転手セルゴさん40才・・よく面倒見てくれる人だなー・・申し訳ないほどに・感心する。普
通はここまではしてくれないだろう・・セルゴさんありがとうございました。