松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

オートバイひとり旅・シベリア横断~中央アジア  64 アゼルバイジャン~グルジア

2013年10月24日 | 赤道直下と陸路国境148か所

トルクメニスタンで残金5000円イランに入ってカード使えずビデオカメラを手放して現金を手にした
イラン・マシュハドから2000キロお金降ろしにとなりの国アゼルバイジャンまで4泊5日走った。


バイク仲間にもお世話になったグルジア(ジョウジア)からトルコに向かって朝出発

2003年10月10日金曜 はれ20℃ はれ30℃ 昼間は暑い
朝8時になってもうす暗い・・なのでベッドに引っ込む。11時頃になって下でやっている
レストランにビールを買いに行く1本1$=120円3本買って部屋で昼飯。夕べバイク仲
間がレストランで残りものさかな、ニワトリ、ニワトリの煮込み、トマトキュウリ、サラダ
がたっぷりある。

晩飯まで持ちそうだ。12時半頃アルメニア大使館にビザ申請にタクシーで行く。申請用紙に
書き込み。書き込みしながら聴いた・・発給は「いつ」「10月15日」になると話す。
あーやっぱりなーそれじゃいらね―。アルメニアが悪いわけじゃないけどあと5日間は待てない。



ちょっと華やいだ観光名所みたいなところを通ってトルコは・・・こっちでいいのかな・・


ホテル代5日間×25ドル=100ドル12000円泊まるだけで100ドルもかかる。食費
を入れると倍以上になってしまう。トルコは「ノービザ」で入国できる、申請をやめにしてトル
コから回ることにしよう。ホテルに戻ろう、タクシーに乗ってからホテルの名刺を失くしている
ことに気付いた・・探してもない。

乗る前に運ちゃんは「OK」と言っていたが自信なさそう、エーわからないの。大体の方向を
指さして走ってもらう。覚えていたホテルの名前を途中おまわりに聞いて「あっちの方」と
教えてくれたのでわかったようだ。ホテルでオートバイのボックスの補強をさらに強いロープ
でしめ直していた。


右の方面はロシア方面。左はトルコかな・・・おれは左かな、又聴かなきゃならない。

ホテルの若い従業員が手伝ってくれた。わたしが常日頃考えていた三角形の鉄板で補強したいと
思っていたことを話したら鉄板2枚を持ってきて穴をあけて切断して固定してくれた。きのうの
修理工場の人よりも手っ取り早くあっとゆうまに直してくれた。お―ありがたかった。これで心
配のタネがやわらいだ。ホテル前でお巡りさんと地元の人2,3人が話し込んでいた。

よし聞いておこう。割り込んでトルコ方面への道のりを聞いてみた。その中の一人がくわしく
地名を教えてくれる。あーよかった、あした走りだすので不安もなくなった。グルジアのみなさ
んお世話になりましたありがとうございました。


道路の真ん中に溝ができて極端に道が悪くなってきた・・。

ラストラン・70才・オートバイの旅・先が見えてきた・・・さーどうする

2013年10月21日 | 赤道直下と陸路国境148か所
「まだまだ大丈夫」は「そろそろあぶない!」


70才になった・・見えてきた、のこりの人生・・さぁどうするか
これからのこと(10月15日70才)

①10月末から7日間・・四国ツーリング

②これまでの「地球の旅・日記」約6年分を今年中パソコンに移
 しかえるのを終わらせる。
 2000年10月から2013年10月15日まで現在、
 走行距離31万kmを越えた。

③来年2014年ラストランになるでしょう・・前回2003年
 シベリア・モスクワ1万キロの内ハバロフスク~チタ間、じゃり
 みちで500キロ列車にオートバイを載せた。

今は道路も整備されているようなので再挑戦 
シベリア ⇔ ドバイ・オマーン・イエメン方面へ・・どっち周り
にするか思案中

そして生きてたら・・・
④5年間ぐらい京都、奈良をじっくり見て回りたい
⑤寝たきり50年・・床ずれしないように身体をきたえる

以上80才までに終わらせたい・・どうなるか夢物語

わたしの準備体操いまはトレーニングとゆう・・公園で顔なじみの仲間に記念写真撮ってもらいました。

歩きながら持ち替えて・・5キロの鉄アレイ・いまはダンベルってゆうんだとか

腹筋20回・背筋60回・・・トコヤ代浮かせるため2000円のバリカン買って自分で刈り取る。

片足あげ・・1分づつ・・これは長く感じる

バランスとるため片足あげ

腕立てふせ・・充分には曲げないで・・ちょこっと曲げて100回


ステップ運動・・高さ60センチ上がって下りて。左脚が弱いので右より少し多めに。わたしには体つくりの基本
になっている

脚あげ・・両脚交互・・1分づつ2回これも長く感じる

最後は1周1キロ×3周・・ときどき5キロ・・・1キロ平均6分30秒

家を出てから2時間半ぐらい・・8時半ごろ帰って、にがいビールロング缶3本・・これが一番つらい(笑)

オートバイひとり旅・シベリア横断~中央アジア  63 アゼルバイジャンからグルジアに入る

2013年10月15日 | 赤道直下と陸路国境148か所

アゼルバイジャン出国手続きを終わりこれからグルジアへ・・ここは緩衝地帯・・300m先がグルジアの
国境事務所。見つからないようにトラックの陰に隠れて写真を撮った

グルジア(ジョージア)に入国・・・35歳で孫がいると・・

2003年10月9日木曜 はれ20℃
アゼルバイジャンの安ホテルを8時45分元の道に戻り130km走ってアゼルバイジャンとグルジアの国境
に着いた11時9分。狭い国境の一段高い国境事務所で出国手続き。やっぱりせわしい雰囲気を感じる。
アゼルバイジャンは20分ぐらいで手続きを終える。緩衝地帯で国境の写真を隠れて取りグルジア側に入った。
グルジア側に並んでいるトラックを追い越して一番前に並んだ。どこでもオートバイは一番前まで通してくれる。

グルジア(ジョージアと地元の人は呼んでいる)も20分ぐらいで入国手続きを済ませる。意外とこの国境は
スムーズで気持ちがよかった。国境を出てすぐに食堂があった。道ばたでなんと大木の切株をテーブルにして
肉をさばいている。獲りたて?ヒツジみたいだ。これは寄らなければならないうまそうな雰囲気。分厚い肉を
焼いてもらう。生ビール2杯、3$=360円だった。



国境を越えてグルジアに入ったばかり・・紅葉が始まっている・・後方が国境

国境を出てすぐに道端で大木を切り取ったマナ板で肉を切っている小さい食堂があった。さっそく肉を焼いてもらった

首都トビリシまで50キロ。途中市内に入る手前でホテルを聞くためオートバイから降りた。なんとオートバイ
のボックスが外れている。これまで大きくバウンドしながら走ってきたために外れたのだろう。外れたボックス
はウィンカーにあたりウィンカーが折れてぶら下がっている。若い青年3人にホテルを聞ききながら、オートバ
イ修理屋も聞いた。500m先に自動車修理工場があった。

今電気が来ていないから電動を使う修理はダメと・・。仕方ないネジの部分だけ直して。ウィンカーは持っていた
チュウブを切りロープにしていたものでウィンカーをトランクバックにあたらないように縛り上げた。頼りないが
どうにか走れしそうだ。17時を過ぎている。市内に入るとビック・オートバイにうしろから二台走ってきた。停
まってもらってホテルまで案内してくれと頼む。

「ソーリ」「ビッグホテル」「ノー」「スモール・スモール」「デスカウントホテル」。ヤマハ750cc、ホンダ
1300ccのオートバイに乗っている。ドイツで買ったとか話していた。うしろについて走り出す。「スロースロー」で頼むと言ってたがうれしいのか飛ばして走りだす。ボックスのことが心配もあってついてゆけない。セントラル・・とかあっちこっち停まってはホテルに電話してくれている。わたしは5$~10$ぐらいのホテルを頼んでいた。

しかし、そんな安いホテルはないと言われた。着いたホテル50$=6000円。そのうちオートバイの仲間が電話で
連絡したのか3台になり19時頃6台になった。全員でレストランでの食事を誘われる。わたしはホテルに荷物をいったん置いて再びみんながいるレストランに行く。ホテルに着いたときここまで引っ張ってくれた一人がホテルでお金を払っている。立て替えてもらっているのだなー・・あとで払えばいいかと思っていた。


グルジアの首都トビリシについた

35歳で「孫」がいる!!自家製ワイン今までで一番うまかった・・。

小さい地元の老舗らしいレストランに入った。一人だけ用事があって帰った、残り5人でワインは自家製。飲み物も
3種類ほどあった。肉、魚、ピザ、などご馳走である。一人は医者の息子、ホンダ1300cc、スズキ、ヤマハ、
ホンダと750cc以上の大型バイクばかり集まってくれた。いろんな家族の話の中で35歳で孫がいる話しにな
った。「本人18才奥さん15歳」の時結婚したと・・とゆうことは子供も17歳で子供を産んだ・・みんなで大笑い。

日本で40歳でおじさんになって人は知っているがなんと35歳で孫がいるとはビックリだった。ワイン特大ジョッキーで2杯飲んだ。いやはやここのワインのうまいこと、うまいこと。ブドウのぶつぶつが残っていてなんとも味わいのある「造りたてのワイン」こんなワインは初めてだ、最高。ここらあたりはワインの産地なのだろう。そう言えば昔アルメニア・コニャックを飲んだ時こんなうまいコニャックがあるのかと今でも味を忘れない。

となりの国がアルメニアだもんな。ブドウ酒もうまいわけだ。なるほどと思った。料理はだいぶ残っていたが8時になってホテルまで送ってもらった。残った料理はわたしだけ持ち帰る。そしてホテル代二日分はみんながプレゼントしてくれるとゆう「いやいやお金だけは払います」と言ったが「ノ―ノ―」「いいからいいから」みたいな言葉を残してぶっ飛ばしてホテルをあとにした、いやーすみませんでした。ありがとうございました


グルジア・トビリシ中央駅

きょう、さっき出会ったばかりなのに・・すぐにレストランでお世話になった。バイク仲間はどこでも気持ちが通じるんだなー。言葉は話せなくても会話になるんだもん。ホテル代までプレゼントしてもらってほんとおありがたかった。
新築なのか気持ちのいいきれいな3階建てのホテル。両サイドに部屋があり真ん中の奥にステージのレストランがあり
朝3時頃までプロの歌声が聞こえていた。

ちょっとうるさいけどバイク仲間が泊めてくれたホテルだものガマンしなくちゃ罰が当たる。ここ首都トビリシにアル
メニアの大使館があるかどうかもつかんでいない。あしたはその確認とカードが使えたら銀行で少し下ろしておこう。
あとフイルムもなくなってきたので買おう。アルメニアがダメだったらトルコに抜けてイランに向かおう・・・と思う。

そこまでの道がどうなっているのか・・またまた心配になってきた。オートバイのボックスもトルコで直すか、イラン
で直すか・・うるさい音楽と重なって夜もうつらうつら寝付かれなかった。


地元のオートバイ仲間が紹介してくれて・・宿代までプレゼントしてもらったホテルとスタッフ女性

ちょっとー・・これは犯罪じゃねーのか・・災害復興予算の横流し

2013年10月11日 | 最近のこと
みなさんもご存じだと思いますが・・東北復興予算が関係ないところで使われている(NHK)

コンタクト民間会社3000億円
北海道・埼玉・刑務所・・教育費
公安庁・テロ対策費
クジラとる団体に対策費
被災地以外の道路工事費
国立競技場補修費・・・などなど
経済産業省認可しただけでも510件9割以上は被災地以外に使われているらしい。

ちょっと待ってくれよ・・被災地・復興と関係あるのか。これらの予算はその担当省
で予算とるべきじゃないのかね。

「絆」なんてぬかすな・・・これじゃ、「ハイエナ」集団じゃないか。
腹たつなー復興予算はちゃんと被災地で使えよ・・・「オレオレ詐欺」以上だ・・。

知らないところでいいかげんに国家予算が使われている。消費税値上げだってなにに使
わるのかわかりゃしない・・いまの政治は。

うーん、ちょっとひどすぎるなー。

オートバイひとり旅・シベリア横断中央アジア 62 アゼルバイジャンからグルジア

2013年10月04日 | 赤道直下と陸路国境148か所


お金降ろしにイラン・マシュハドからとなりの国アゼルバイジャン・バクーまで4泊5日2000キロ北海道
から九州までの距離を走ったことになった。今度はアゼルバイジャンからグルジアに向かう、村の老人にあった。

2003年10月7日火曜 はれ はれ はれ 15時過ぎて暑くなる
9時過ぎにイラン大使館へビザを取りに行く。再びイランに戻らなければならないからだ。最初大使館へタクシーでいく2$=240円。ビザ発行は別のところへと警備員の書いてくれたアドレスの紙を持って再びタクシーで行く、2$。手続きの場所にはアドバイスしてくれるおじさんがいて親切に教えてくれた。用紙を提出したがなにを言っているかわからない。

7日~10日間かかる?。「エー」「そんなにかかる」日本にも来たことがあると言う申請に来た男の人が通訳してくれた。係官からパスポートを受け取り銀行に行って50$を振り込めと教えてもらう。通訳してくれた男とその銀行に向かう。イランの男の人はここアゼルバイジャンでツーリストの仕事をしているらしい。「ミリ―バンク」で50$振込。ふたたびイランビザ発給事務所に戻る。

あした10月8日13時にここに来いビザを渡すと。イラン人は12時に来た方がいい、13時にはクローズと教えてくれた。ありがとう。しかし、あしたビザが下りるとはよかったなー。タクシーでホテルに戻った11時、2$。ホテルから近くのマガジン(酒屋)に行きコニャック2本(1本1$500ml=120円)、ウォッカー1本0、5$(500m)=60円。べらぼうに安な―これじゃアル中が増えるぞよ。

ホテルでペットポトルに入れ替える。これでイランでのアルコールなしの生活ともお別れだ。さてグルジア、アルメニアに行くことにするが高い山で寒く、道も悪いと聞いている。トルクメニスタン、イランでも聞いているがどうなっているか不安がある。あまり道が悪かったたら国境を越える前に引き返そう。でもタクシーの運ちゃんから聞くところよるとそうでもないような顔していたなーだから行く気になったのだ。最初はお金が降りたらすぐにイランに引き返そうと考えていたが落ち着いてきたら少しづつ考えが変わってきた。


「ザクロ」収穫の季節なのだろう、、マイカーも座席にいっぱい積みこんで走っているのを見かける。
道路ではお店を出して売っていた。

10月8日水曜はれ 20℃はれ 30℃はれ 30℃
イランビザ13時に渡すと言われているが早目に出かける。切手を買いもとめたあと11時タクシーでイラン大使館ではなくイランビザ発給事務所に向かった。係官は13時とそっけない。しょうがないしばらく座って待っていた。早目に発給してくれるかもしれないと思ってきたが甘かった。近くの食堂でビール、焼き肉(シャクリク)喰って12時過ぎに行く。

係官は待ってたとばかりにすぐさま「イランビザ」を貼ったパスポートを渡してくれた。外に出るときのう乗った同じタクシーがいてホテルに戻る。少しでもグルジアに近づきたい13時前にホテルをチェックアウト。グルジアに向かう。聞いていた話では高い山を越えていくらしい・・グルジアは・・。イランから来た道70キロ戻ってトラックの運ちゃんに道を聞く。ここまでは道は素晴らしい。郊外に出たとたんアップダウンの道になる。


道が悪と聴いている・・今度はアゼルバイジャンからグルジアに向かって走る・・左に行くとイラン方面・・
まっすぐ行くとグルジアへ・・不安の中走る。

聞いていた山は、なんか遠いところにあるだけで山には入っていかない。道は平坦が続く。白い塩みたいなものが土から浮き出て雑草も生えないような畑が続く、もしかしたらカスピ海から黒海まで続いているのではないかとさえ思う。そう言えばカスピ海の水を「黒海」にそそいで「白海」にしてみようとペットポトルに入れて持って来た。


家族でやっていたアゼルバイジャンの食堂・・。

作物は作られていないとゆうより育たないから作らないのだろう。家はさっぱりした造りでひさしが日本より長く見える。裕福にも見える。約6時間300キロ走ってきた。道は平たんでもやっぱり飛び上がるほどの道が出てくるのでスピードは出せず時間がかかってしまった。町に着いた静かなこぎれいな落ち着いた街。なんと言う町なのかはわからないが小都市。ホテルを探す一軒目30$、2軒目25$。

3軒目大きなホテルだったが6$=720円に泊まる、ことにしたがエレベーターは上がるときだけ、シャワーなし。部屋は古びてカギ穴は二つあるが「頼りないひとつ」だけ使うようだ。ベランダの窓も閉まらない。まァ安いからガマンガマン。少し離れたレストランに行くと結構にぎわっている。生ビール3杯、チキン半分、牛のシャクリク(焼き肉)トマト、キュウリ全部で6$=720円。うまくて安い料金だった。

寒いと聞いていたがシャツだけでいいようだ。ザクロの最盛期なのか乗用車の中のも詰めるだけ積んんで運んでいた。路上には露店を出してザクロだけを売っていた。そう言えばザクロはアゼルバイジャンだけでしか見なかった。