松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島・イラン行きフェリーチケット・とれた4月28日

2014年04月29日 | 赤道直下と陸路国境148か所
シャルジャ→バンダハル  ドバイ→レンゲ フェリー運賃表




イラン行きフェリーチケットとれる シャルジャ港→イラン・バンダバル港
2014年4月28日月曜   はれ   はれ9時31℃  ガスって高いビルは見えない
8時の約束だったが早い方がいいだろうとフェリー乗り場に7時半についた。きのうと同じ事務所
に直接入りこんだ・・きのうのメンバーと違うようだ・・

きのうと同じ説明をしていたら「きのうのおじさんが入ってきて説明してくれた。責任者らしい人
がタクシーの運転手さんにチケット売り場の場所を教えてくれている。

チケット売り場は8時オープンらしい・・今7時5分・・チケット売り場で待っていればいいや。
すぐについたが・・チケット売り場がわからない。ポストオフィスの向かい側・・らしい、まだ
整地されていない砂地の道一カ所、二カ所、ここじゃないんじゃないのと思っても言葉が通じない。

アスファルトの道に出て・・ゴミの収集している人に「ソーリ・マリン・サービス」オフィスは・。
そこの道を入ったところが「そうだ」と指さす。エエッー裏側から入って・・表に回って探したら
「あったー」ここだ!。

大きなビルの一階に「HiLi Marine service」の看板があった。タクシーに戻り「見つかった」か
ら・・わたしはここでオープンまで待っているからと少し多く支払って帰ってもらう。


ここだった・・イラン行きフェリーチケット売り場オフィス。チケット売り場はドバイにはなくて
ここ一か所だけらしい。

8時10分に開いた。「モーニング」「マイ・イランフェリーチケット」を買いに来た。二番目に
出勤してきた少し若いスタッフ・・シャツに意味のわからない「ひらがな」が印刷されているのを
着ている。「オージャパン」と冗談をいいながら・・

マネー1560dr・・47000円とパスポートが必要とのこと・・イラン・ビザ「スタンプ」
のあるものを・・持ってきてほしい。タクシーでホテルに戻る。

リュックをタクシーに置いたままレセプションに預けているパスポートをもってタクシーにもどっ
た・すると、オープンになっているリュックの外ポケットのケースに入れている「マイ箸(はし)」
に手をつけようとする瞬間だった。

そのとなりは「筆入れ」を入れている「落ちていた」からと言い訳する・・。「こいつは泥棒なの
か」・あらわに「ノー」このタクシーでは「戻らない」。気分が悪い・・盗みはしていないが手
を出している、こんなこと旅していて二回目だ。

支払いをすませ・・「この泥棒メ」ドアーをドーンと閉めた。よし自分のオートバイでチケット売
り場まで走ろう。スーパーの中にある「ATM」でお金を下ろしてチケット売り場へ。これからの
旅人のためにと思って、ブログに載せるためにまわりの写真を撮っている。

イラン行きフェリー5月4日
その建物を目指して走ると意外や意外すんなりとチケット売り場についた。お金を払い、書類を作
ってもらい本物の書類は4日朝に渡すとのこと。フェリー乗船チケット5月4日になった。

最初5月1日に決めたが2日金曜イランは休みになってオートバイの受け取りが3日になるらしい
ことから、面倒になるため5月4日乗船、5日イラン港受け取りに変更した。

これでイラン行きフェリーチケットもすべて終了した。オマーンでどうしたものかと苦労していた
ものが解決した。スワーダさん、マリヤムさんこれまでのご苦労ありがとうございました。

あとは5月4日朝8時に書類を受け取り・・その書類をそのままフェリー乗り場に11時までにオ
ートバイといっしょに持って行く。そのあと本人の乗船は午後4時までに再びフェリー乗り場に向
かうことになると説明を受けた。

あれほど・・チケット売り場の場所がどこにあるのか・・不安だったわかるまで1週間ぐらいはか
かるだろうと覚悟していたのが二日で解決した、なんだか身を気持ちも軽くなった気分である。


ちなみにイラン行きフェリー・・参考
シャルジャ夜9時出発 → 10時間 イラン・バンダハル港 朝7時到着
ドバイ  夜9時出発 → 10時間 イラン・レンゲ港   朝7時到着 
この二か所だけで、以外には運航していないと話していた。

チケット売り場・オフィス・電話番号・FAX
AL HILI marine service tel 06-5288575 fax 06-5288574


第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島 オマーンよさようなら 4月26・27日

2014年04月29日 | 赤道直下と陸路国境148か所



オマーンよ・・さようなら

2014年4月27日月曜      はれ       はれ
50日間滞在した離れがたいオマーン。朝3時前に起きて暑くならないうちにシャルジャ(ドバイ
のとなり)に着こうと3時半に出発した。

5時には明るくなる・・やっぱり暗い道は前方が確認しずらいな・・気をつけて用心しながら高
速を走る。

ガーミンナビ何回か試している内に「地図の位置」に触れるとそこが行き先になり使えそうだ。
シャルジャに前回泊まった時に覚えていたアルコールショップ「ビーチ・ホテル」が到着地に入
力。

ホテル以外にもここオマーンに働きに来ている人はインド、パキスタン、フィリッピン、東南ア
ジアがほとんど・・一年に一回ふるさとに帰ると話していた。ゆうべ毎日毎日静かにもくもくと
仕事していたフィリピンから来ているレセプションの女性にお礼の気持ちで少しばかり封筒に入
れて渡した。

「なに・・」とゆう顔だったが中をのぞいて「ありがとう」と日本語で返してくれた。笑顔を
見れてうれしかった・・スタッフのみんなも握手してくれた。




突然渋滞になっている・・事故なのか・・狭い脇道にう回している・・続いてついて行く。すん
なりとはいつもいかないものだ。オマーン国境7時45分に到着だいたい予想どうり。

出国手続きスタンプを押すだけ・・前回のようにビザが切れて罰金など払ったから時間がかかっ
たがきょうは2,3分。10キロ走って今度はアラブ首長国連邦入国手続き・・朝が早いせいか
だれも並んでいなかった。8時終了。

よしこれですべて終わりだ。約450キロの内あと残り100キロ足らず。ドバイ、ドバイと走
ってきた・・今度はシャルジャに向かう。あと50キロ足らずとゆうのにまだ砂漠が現れるが
・・44号線から幹線611を越えて~311号に入ったら高速道路の車もいっきに多くなって
きた。

シャルジャの標識はひっきりなしにでてくるナビに頼って走ろう・・目的地についたようだ。
10時半。ロータリを出たところにタクシーが2,3台止まっている。大きなホテル・・の前
である。

このホテルには到底泊まれない。この近くにアルコールショップの「ビーチ・ホテル」はと聞く
と二つ目のロータリーと・・タクシー運転手さん、ついでに「ソーリ・デスカウントホテル」
を教えてほしい・・。

この先まっすぐ走ってひとつめロータリでUターンしてくると右側にある、とパキスタンの運
転手。「サンキュウ」

右は海、海岸通りを走りUターしてガススタンドのとなりと教えてくれたがその名前の「ホテ
ル」店員は知らない・・。走りながら一軒目、250・・二軒目220、3軒目220を15
0に負けてくれたが部屋が暗い・・

4軒目「グリーンハウス・リゾート」220・・「150にならないの」3連泊するから・・
フランス人かイギリス人品のいい女性オーナにレセプション女性が聞く。そうねー165dr・
・だったらいいみたいなことをゆう。

一泊4500円ぐらいか。部屋を見せてもらって止まることにした。6棟建っていて中庭には
プール二つ。部屋に荷物を入れえて汗でぬれていたシャツなど全て洗たくして昼飯。

さっそくタクシーでアルコールショップ・・あったあった・・前回来た店ここだ。イラン行き
のフェリー知っているかい・・知っている。

なにか脈がありそうだ。ビールロング缶ワンケース24本、スコッチウイスキー1本。130
dr・・4000円ぐらい。

ホテルに戻るタクシーを待つ・・うしろのトランクにビール。ウィスキーを積み込んだ。人の
よさそうなインドの運転手さん。

「イランのフェリー乗り場知ってる」「知っている」じゃそこまで・・ホテルに行かないで、
このまま走ってほしい。

海岸通りをづーっと走って・・小さい船が見えてきた。「あそこだ」あそこまで回り込んで行
ってくれ。小さい船がついている場所、積み込みの仕事をしている。

「ソーリ・イラン行き・フェリーは」おれたちゃアラビック・・知らない。タクシー運ちゃん
はそこの大きいビルが警察署とゆう。

そこに行ってみた。「ソーリ・イラン行きフェリー」は「このビルの角にある」2,3分と話
す「OK・・サンキュウ」その角に入っていく。セキュリティがいて出口のようだ。

「ソーリ・イランフェリー」部屋で食事しているもう一人の人が・・どこにオートバイがあるの
か。「ノーノー」きょうはタクシーで来ている。そのタクシーをここに呼べとゆう。タクシーを
乗り付けると食事を終わらせて係官がタクシー運転手に説明している。

運転手さんわかったようだ。「サンキュウ」。警察署で教えてくれたカドの所はここではなか
ったようだゲートがある場所ついた。

入口出口の真ん中にある事務所に入っていった。「ソーリ・マイジャパン・イラン行きフェリ
ーを探している」。

4,5人いた人たちが何者だろうかといった目でめている。リュックから手書きの地図を出し
て説明する。

ここから「イランフェリーは出ている」「チケットはここで売っているのか」・・「ノーノー
」年配の人がチケット売り場の電話番号・FAXを書いて渡してくれた。

きょうはもうチケット売り場は終わっている。「あした8時にここに来い」チケット売り場を
教える。あーどうにかチケット売り場がわかりそうだ。

そうですか・・あした8時にきますから・・ありがとうございました。タクシーの運転手さん
はここの「Port khalid Main Gato」とメモしてタクシーに見せろと渡してくれた。長い時間
ありがとう・・63drだったが少し多い70dr2100円支払った。






誰でもははいれないオマーン「外交官クラブ」で食事をごちそうになり最後までスワーダさん・マリヤムさんにはお世話になりました。

4月26日土曜      はれ       はれ
スワーダさんに10時頃電話を入れた。「ごくろうさんでした・・つかれたでしょう」「ゆう
べ12時頃マスカット空港について寝たのは朝3時頃だった」と元気な声。

4月9日から選抜されたオマーンの学生14人を引率して日本の学生との交流・・友好の旅を
2週間広島、奈良、京都、東京、筑波、新潟と忙しいスケジュールを中心になって進めてきて
25日にオマーンに戻られたばかり。

お疲れでしょうから・・電話で失礼とは思いましたがあした27日ドバイ方面に向かう前にお
礼を言ってからオマーンを離れようと思って電話しました。

「そうですか」きょうの午後御食事でもどうですか」「マリヤムさんに電話してあとでまた
電話します」・・・マリヤムさんからすぐ見電が入って、スワーダさんのお抱え運転手さんが
ホテルまで1時頃迎えに来るとのこと、ありがとうございます。

マリヤムさんの話では・・その「外交官クラブ」・・普通の人は入れない特別のレストランに
ついた。ぞうりで5本指の入る靴下を履いたまま来てしまった。

願ってもないスワーダさんの日本でのみやげ話を聞けるのは楽しい・・筑波に行ったときひと
りが迷子になってしまった・・・その学生はIpadで自分のいる駅を仲間に知らせて戻って
・・・事なきを得たと・・・。

見知らぬ、はじめてきた日本ですぐに対応してくることに、たいしたのもだなーと聞きながら
ひとり感心した。聴けないと思っていたオマーンの学生を日本に連れて行かれた交流の聴くこ
とが出来てうれしかった。

日本に戻った時はいつも寄って帰えられるが・・今回は忙しくてスワーダんさんは実家にも寄
れず帰国されたと聞く。

「わたしは日本の名前はもうありません」にドキッとした。「オマーンの人間ですから」と初
めて会った時話されていたのでオマーンは戻るのではなくて「帰国」になるのだろうな。

その決心された心境にドキッとして戸惑いおろおろするばかり。出された食事を喰いきれず残り
をおみやげにしてもらいスワーダさんのBMでお抱え運転手さんにホテルまで送ってもらった。

スワーダさん、マリヤムさんありがとうございました。

第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島・オマーンでイランビザとれました 4月22~25日

2014年04月29日 | 赤道直下と陸路国境148か所

オマーンの国旗

4月25日金曜      はれ       はれ
散歩のあと5階のレストランで朝食・・・目の前には大きな岩山が立ちはだかっている。その岩山
のふもとには大きなLuLuとゆうスーパーマーケット、日本のイオンといったところかな。

朝から行き交う人が多いなーと思ったら、今日は金曜日・・「フライデー広場」と呼ばれている屋
根付き会場にお店を出し始めているようだ。朝からパソコンに取り込む。終わったらフライデー広
場にも行ってみようと思っていたがパソコンが動かず夜になってしまい行けなかった。



オマーンの新聞の掲載された・・以下新聞記事をマリヤムさんに翻訳してもらった。
記事タイトル『人生は60から始まる』

(サジニさん、松尾さんが早期退職ではなく、60歳で退職したものだと思っているみたいですね。
確かに、退職の2年前の57歳の時に旅に出ることを考え始めたとは言ったけど、その時に退職した
とはいってないし、何歳で退職したか?と向こうも聞いてきませんでしたから。そんな感じで記事
の中にもちょっと変な箇所や勘違いがありましたけど、少し細くして大体の訳をしてみました)


71歳の僅かな日本人男性はリクライニングチェアに座り、退職した友人と話しをしたり、孫と遊
んだりするはずです。しかしもう一方で、マスカットにいる日本人、松尾清晴さんは、どうのよう
にして健康であるのかと考えるのも不思議ではないはず。世界をバイクで周る途中、ゴールデンオ
アシスホテルでお喋りをした。


車掌として働いていた日本の鉄道会社を定年退職する2年前の57歳の時に、松尾さんは、世界を
見てみたいと決心した。約30年前に東ドイツと中国へ旅行して以来、日本国外に出ることはなかっ
た。妻の幸子は彼のアイデアに喜んではいなかった。彼は彼女に「日記であり、旅行者のへの考え
やヒントを書いているブログを毎日朝晩確認するように」と言いました。

彼が『くま』(日本語で熊の意)と呼ぶ1500ccのホンダワルキューレで武装し、3つのボックスに
はそれぞれ、水のボトル、キャンプ用具と非常食(注:新鮮な野菜、缶詰ではない)が詰められて
いる。彼は最初、ヨーロッパに着手した。 彼は再びそこで衝動を感じた。続いて 北米、その後中
央・南.アジア、そしてアジアとアフリカに行った。

7番目の今回の旅は以前に訪問できなかった国々を周るためでした。 ドバイに空路で入り、オマ
ーンにバイクで入った後、彼はバイクをエチオピアに運べるようにシャルジャからイランへ旅をし
ようとしています。(これ違いますよね!) 彼の当初の計画は、イエメンを訪問でしたが、ビザ
の問題に遭遇し回り道をしなければいけなくなりました。

これは松尾が愛するこの柔軟性です。 翻訳者マリヤム・アルシャラフィを通してて、彼は彼の妻
を一緒に連れて来ることは選択肢になかったという。なぜなら、「彼女は文字通り私の後ろにずっ
といるだけの時間になるでしょう。彼女は私の毎日のブログを通じて安全でいることを知ることが
出来るので大丈夫です。」


旅行中、彼自身のいくつかのトラブルに遭遇しました。アラスカではキャンピングカーに当てられ
投げ出された後、傷を縫う必要性と肋骨を折ったためにヘリコプターで救出されました。 シベリ
アの岩だらけの道で立ち往した時は、初めてどうして(この旅を)始めてしまったのかと彼は思い
ました。

サハラ砂漠に沿って(バイクに)乗っている時は砂が顔に、そしてチベットの橋のない場所では流
れの低い所を運転したことなどが、彼の最も記憶に残 ​​る経験です。 「私は人生の大半を日本で生
きてきたが、外国人を信頼できなかった。 しかし今は、その信頼なしで生き残ることはできません。


松尾は日本語だけを話し、彼のユーモアの感覚が殆ど(コミュニケーションの)砕氷船になってい
ます。 彼は5フィート2インチ立ち上がり、コケコッコと鳴き、モーと鳴いた。 "それは彼がレス
トランに行った時に、彼が料理を注文する方法です」とマリヤムは言いました。

ドバイとオマーン国境でビザ申請書を手渡した時、彼は笑顔で「申し訳ありません、私は英語が分
かりません」とそれに日本語で書きました。

彼の旅行は、松尾さんの目を見張らせる事実もあります。 彼はポーズをとっているマサイ族戦士
のカップルの写真を指して言いました、「ビジネススーツの人には、これらの人々のように愛情
を感じませんでした。」同じ理由で、アフリカと南米は、彼の心の中に特別な場所を持っています。


彼は運動には妥協はありません。1時間のストレッチ、ウォーキング、ジョギングは清晴の足を軽
くします。 彼の友人からは羨望の的、カッコいいおじいちゃんと彼の孫は誇り、日本ものを殆ど
恋しがることなく、現地で手に入る食事をし、そして熱心にもっと知りたいと思っている。

「ほとんどの人は、自分が退職た後に世界を旅すると言うだけ、でも私は旅をしています。」
彼はサラーラを愛し、彼はそれを「異なる種類の砂漠」と呼ぶ、そして優しい人々を見つけました。
松尾の夢、世界の国々の端を見てみたいという想いから旅が始まった。それにはエベレストや死
海の底も含まれます。バイクで訪問しなかった10カ国を除いて、オマーンの訪問は114カ国目、
清晴の(旅は)まだ終わっていない。

以上・・翻訳はオマーン・マスカット在住・マリヤムさんでした。(名古屋出身)

4月24日木曜      はれ    はれ
きのうマネージャーが朝まで雨かもと言っていたが朝から晴れている。いつものように散歩を終え
て、朝食のあと部屋にいると先日取材を受けたオマーンの「ニュースペーパー」「the week」ホテ
ルのスタッフが大きく載ってるよと部屋まで4部持ってきて。

ほんとだ・・写真入りで出ている・が英語なので内容はわからない。また自慢話ができるな・・。
さっそく写真に撮ってパソコンに取り込んだ。

パスポートの写真をブログに貼りつけていたのを悪用されかねないので「よしたほうがいいのでは」
とアドバイスをメールでうけたので削除したりして時間をつぶす。


4月23日水曜     はれ      はれくもり 31℃   
青い空ではなくて白の入った青空・・曇ったように感じる青空。だんだん陽ざしは弱弱しくなって
きたように感じる。夕方ホテルのマネージャーはこれから雨になりそうだ・・あしたの朝まで・・
とか言っているようだった。気温は上がっていない。

ついでに水の話・・
雨が一カ月以上も降らないオマーン・マスカット・・ホテルの水は勢いよく出てくるし
道路わきの植え込みの植物,木樹にも自動的に埋め込んだホースで補給しているようだ。いったい
水カメはどうなっているのか知りたくなる。地元のマリヤスさんにメールで聞いてみた。

雨が降らないオマーンの水事情・・・マリヤムさんにメールで聞いてみました。

ニズワに行ったときに灌漑システムを見てほしかったなぁ、綺麗な透き通った水が流れているんで
すよ。生活用水や農業につかわれています。

オマーンには河川とゆうものがありませんが3000級の山もあるので(禿山ばかりでなく、ちゃ
んと植物の茂っている山もあります)一部地域では地下水のようなものがあり、それを利用して灌
漑システムは作られています。

いわゆるオアシスもあるし・・まぁ、それはごく一部ですけどね。殆どの飲み水は海水をろ過して
塩分をとって淡水化。(一部、日本の技術がつかわれています)意外に思われるかもしれませんが、
ダムもあるんですよ!時間があればワデェ・ダイカとゆう所を見に行ってもらいたいです。

ダムとゆうより湖にみえちゃいます。農業の盛んな平野部では地下水のくみ上げもしていますが、
そういったところは塩害の被害や地盤沈下もあるようです。

道路の脇に植えてある植物には淡水化した水ではなく、ビュアなお水です。残った僅かな塩分でお
花が枯れたりしないように。(笑)

お水はどこの家や建物もまずは屋上に送ってタンクの貯めて、高低差を利用して水圧を上げている
のです。なので普通の家庭では2階よりも1階の方が水圧が高い。

でも最近ではプレッシャーマシンとゆう水圧を高くする機械を取り付けているところが多いので
(ホテルは勿論でしょうけど)水圧はいい感じに高くなっています。

イスラムではお水で洗浄する文化習慣ですからね。日本のウォッシュレットもマスカットに進出
していますが、思うようには売り込めないはず!普通に使っているハンドシャワーで十分ですし、
電気も必要ないし、自分で角度や水加減もかえられますものね。これでおしりを洗うとやめられ
なくなりますね。(笑)マリヤム

以上オマーンの水事情をわかりやすく説明してくれました。ありがとうございました。

「コップ一杯」の水で歯みがきしてひげそって顔を洗った(濡らした)こともある。<タンザニア>

ケニア、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジと走って行き詰まった。タンガニーカ湖を貨物船でザンビ
アに・行かず・・途中タンザニアの山の中、小さい船着き場に下ろされた。誰も通らない・・ころ
んだら終わりのダートの山道をタンザニアとザンビアの国境まで必死で走った。

途中でうしろのバックが抜け落ちていた・・戻って探す気力なし。集落についたときバックを探し
て来てほしいと頼んで国境に向かった。

タンザニア国境にたどりついたとたん冷たいタイルの上に寝転んだ。動けないほど疲れ切っていた。
係官も見逃してしばらく寝かせてくれた。

一軒あった宿に泊り次の朝起きるとオートバイに乗った地元の人がバックを持ってきてくれた「こ
れか」そうだ「これだよ」よく探してくれたねー・・ありがとう。お礼にお金を渡した。そばには
女の人たちがポンプで水汲みをしている。

コップ一杯水をわけてもらった・・歯みがきして、ひげをそり、顔を洗った(ぬらした)アフリカ
では貴重な水なのだ。

トイレの中の一筋の水できゅうり、トマトを洗う<西サハラ>
右から左から・・前からさざ波のごとく砂がおそってくる。首振り人形みたいに風にあおられる、
ヘルメットの中にも、目にも入ってくる。

朝から晩まで砂嵐の中走り続ける。今日だけは絶対生き
よう蛍の光を歌いながら・・・「アーこれは人間がつくったものだ」「タイヤの切れ端」に励まさ
れる。

まわりは砂ばかりのサハラ砂漠。道がない・・砂で道が消えている。道が見えるまで立ち止まる。
風に磨かれた、割れたガラスのようにとがった小さい石だけがまわりに見える・・地獄。

おそろしいところに来たものだ。10日間2000キロほうほうの体でサハラ砂漠を抜けだした。
夕涼みしている地元の人たちがのんびり座っている中をホテルに入った。

水道がない・・どうした、トイレの中にある。一筋の水が出てくる、その水できゅうり、トマト
を洗った。ここが一番苦労しているところだった。しかしビールはあった、地元の人に頼んで買
って来てもらった。




オマーン・新聞社取材を受ける
4月22日火曜    はれ30℃     はれ13時・・31℃
ホテルのマネージャーがゆうべ9時頃部屋にやってきた。あしたニュースペーパーの取材が来ます
・・どうしますか。

わたしはいつでもフリーです。じゃ、「ツモーローモーニング・ナインオクロック・で返事します」
朝9時OKです。返事してからどんな新聞なのか・・わたし一人よりもマリヤムさんに通訳を頼ん
だ方がよかったかもと・・

朝すぐにマリヤムさんに「実は・・新聞取材をしたいときています」「時間があれば通訳をお願い
します」朝一番にメールを入れた。ほんとうはマリヤムさんの時間に合わせる方が先だったのに逆
になってしまった。

連日「すみません」と電話も入れた・・新聞社といっても「いろいろあるのでねー」一般の新聞で
はないかもしれないとマリヤムさん。わたしにはまったくわからない。9時半だったら行けるとの
こだった。ホテル・マネージャー9時30分に取材時刻変更をおねがいした。

部屋のネットが遅いのでフロントに下りて打っていたら・・女性の新聞記者が見えた
「この女性は仕事が出来る女性」と直感(よくはずれる)。カメラマンもいっしょ・・マリヤムさ
んも時間どうり9時30分に来てくれた。


新聞記者
なぜに旅を思いたたったのか、これまでの旅のこと、これから先の旅のこと、恐かったこと・家族
のことなど1時間ほどマリヤムさんの通訳で無事に終わった。

オマーンの人たちにはお世話になっているのでていねいに自分のことを伝えてほしい・・・通訳な
しでは、とても・とても不十分な説明で終わったことだろう・・やっぱりマリヤムさんに通訳して
もらってよかった。

カメラマンはホテルのこの場所ではなくてロケーションのいい場所にオートバイを移動して撮りた
いと・・午後1時に再び来ることになった。記者サジニさん、マリヤムさん、マツオ3人で記念写
真を撮った。

最後のところで実は選抜されたオマーンの学生14人は4月9日から日本の学生と広島・奈良・京都
・東京・新潟などでさまざまなテーマでデスカッションしながら友好の旅を続けて25日にオマーン
に戻ってくる。

その引率はスワーダさん。戻ってきた時は親会社の新聞「muskat dairyマスカットデイリー」に話
して取材をお願いしたいと話すと・・興味がありそう。

親会社の本紙よりこっちの週刊新聞「ザ・ウイーク the week」の方が発行部数は多いんですよと笑
いながら・・「わたしが取材」しますとマリヤムさんに話した。


きょうの取材・あさって24日発行を楽しみに待とう。ジャスト1時だよといったん引き上げる時念
を押した・・午後1時前にカメラマンがホテルに来た。スピード出したらついていけないからスロ
ースロー両手の甲を前後にふたつならべて・・。

「ユーが前・・うしろがマイ・オートバイ」サッサッと動かして「ノー」・・・そうではなくて・・
ゆっくり甲を動かしてみせる・・「OK OK」暑くなると覚悟していたがきょうは31℃と低い温
度にホッとする。

もう二回も走って見たことがあるロータリーから見える宮殿みたいな場所についた。入口の柵ギリギ
リまでオートバイを乗り入れて撮影が始まった。貸し切りバスで下りてくる観光ツアー客が次々に声
をかけてくる。

ジャーマン・・ドイツ人が多いな。オートバイトいっしょに撮る人も結構いる・・うれしいもんだ。
「ジャパンから来た・・」「・・・・」「そう・・泳いできたの・・と水泳の格好で笑わせる」オー
トバイの位置を動かしたりして20分ほどで撮影は終わった。

出来上がりの写真も「くれる」とカメラマン・・楽しみだ、バイバイ・・ありがとうございました。
海岸を走りホテルに戻る途中青い海に豪華客船二隻が停泊している。

ははーん・・・さっきの観光客たちはこの客船から降りて来たのだろう。「松尾さんが昨日撮影さ
れた場所は、アラムパレスですね。

カブース国王はいくつかのパレスをお持ちですが、マスカット市内にあるあのアラムパレスは主に
執務、接見などに使かわれることが多いです。

パーティーとかでも使われることがあるし、花火を打ち上げることもあります。あのパレスの裏は
海なんですよ。また「写真撮影しているところをうちの娘が学校帰りに見たと話していた」ことも
マリヤムさんのメールに書き添えてあった、うれしいことだ。

メールで撮影場所の名前がわかった・・ありがとうございました。帰りにスーパーによって鳥肉と
玉ねぎ、キュウリ、トマト買って今晩とあしたのぶんまで作っておこう、全部で500円ぐらい。

ブログの記事「投稿」しても・・「開けません」にがっくり。一からやり直してきょう3回目
「またかよー」9時過ぎに「投稿」もうやけくそ・・どうでもいいや・・おおー「入っていった」。
しかし今回も写真掲載はごくごく少ないがやむをえないなー。


第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島・オマーンでイランビザとれました 4月22~25日

2014年04月29日 | 赤道直下と陸路国境148か所




2014年4月25日金曜      はれ       はれ
散歩のあと5階のレストランで朝食・・・目の前には大きな岩山が立ちはだかっている。その岩山
のふもとには24時間営業の大きなLuLuとゆうスーパーマーケット、日本のイオンといったところ
かな。

朝から行き交う人が多いなーと思ったら、今日は金曜日・・「フライデー広場」と呼ばれている屋
根付き会場にお店を出し始めているようだ。朝からパソコンに取り込む。

終わったらフライデー広場にも行ってみようと思っていたがパソコンが動かず夜になってしまい行
けなかった。


2014年4月24日木曜      はれ    はれ
きのうマネージャーが朝まで雨かもと言っていたが朝から晴れている。いつものように散歩を終え
て、朝食のあと部屋にいると先日取材を受けたオマーンの「ニュースペーパー」「the week」ホテ
ルのスタッフが大きく載ってるよと部屋まで4部持ってきて。

ほんとだ・・写真入りで出ている・が英語なので内容はわからない。また自慢話ができるな・・。
さっそく写真に撮ってパソコンに取り込んだ。

パスポートの写真をブログに貼りつけていたのを悪用されかねないので「よしたほうがいいのでは
」とアドバイスをメールでうけたので削除したりして時間をつぶす。


2014年4月23日水曜     はれ      はれくもり 31℃   
青い空ではなくて白の入った青空・・曇ったように感じる青空。だんだん陽ざしは弱弱しくなって
きたように感じる。夕方ホテルのマネージャーはこれから雨になりそうだ・・あしたの朝まで・・
とか言っているようだった。気温は上がっていない。

ついでに水の話・・
雨が一カ月以上も降らないオマーン・マスカット・・ホテルの水は勢いよく出てくるし
道路わきの植え込みの植物,木樹にも自動的に埋め込んだホースで補給しているようだ。いったい
水カメはどうなっているのか知りたくなる。地元のマリヤスさんにメールで聞いてみた。

雨が降らないオマーンの水事情・・・マリヤムさんにメールで聞いてみました。

ニズワに行ったときに灌漑システムを見てほしかったなぁ、綺麗な透き通った水が流れているん
ですよ。生活用水や農業につかわれています。

オマーンには河川とゆうものがありませんが3000級の山もあるので(禿山ばかりでなく、ち
ゃんと植物の茂っている山もあります)一部地域では地下水のようなものがあり、それを利用して
灌漑システムは作られています。

いわゆるオアシスもあるし・・まぁ、それはごく一部ですけどね。殆どの飲み水は海水をろ過して
塩分をとって淡水化。(一部、日本の技術がつかわれています)意外に思われるかもしれませんが、
ダムもあるんですよ!時間があればワデェ・ダイカとゆう所を見に行ってもらいたいです。

ダムとゆうより湖にみえちゃいます。農業の盛んな平野部では地下水のくみ上げもしていますが、
そういったところは塩害の被害や地盤沈下もあるようです。

道路の脇に植えてある植物には淡水化した水ではなく、ビュアなお水です。残った僅かな塩分で
お花が枯れたりしないように。(笑)

お水はどこの家や建物もまずは屋上に送ってタンクの貯めて、高低差を利用して水圧を上げてい
るのです。なので普通の家庭では2階よりも1階の方が水圧が高い。

でも最近ではプレッシャーマシンとゆう水圧を高くする機械を取り付けているところが多いので
(ホテルは勿論でしょうけど)水圧はいい感じに高くなっています。

イスラムではお水で洗浄する文化習慣ですからね。日本のウォッシュレットもマスカットに進出
していますが、思うようには売り込めないはず!普通に使っているハンドシャワーで十分ですし、
電気も必要ないし、自分で角度や水加減もかえられますものね。

これでおしりを洗うとやめられなくなりますね。(笑)マリヤム以上オマーンの水事情をわかり
やすく説明してくれました。ありがとうございました。

旅先での貴重な水

「コップ一杯」の水で歯みがきしてひげそって顔を洗った(濡らした)こともある。<タンザニア>

ケニア、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジと走って行き詰まった。タンガニーカ湖を貨物船でザン
ビアに・行かず・・途中タンザニアの山の中、小さい船着き場に下ろされた。誰も通らない・・

ころんだら終わりのダートの山道をタンザニアとザンビアの国境まで必死で走った。途中でうし
ろのバックが抜け落ちていた・・戻って探す気力なし。

集落についたときバックを探して来てほしいと頼んで国境に向かった。戻ってはこないことであき
らめてタンザニア国境にたどりついたとたん冷たいタイルの上に寝転んだ。

動けないほど疲れ切っていた。係官も見逃してしばらく寝かせてくれた。一軒あった宿に泊り次の
朝起きるとオートバイに乗った地元の人がバックを持ってきてくれた「これか」そうだ「これだよ」
よく探してくれたねー・・ありがとう。

お礼にお金を渡した。そばには女の人たちがポンプで水汲みをしている。コップ一杯水をわけて
もらった・・歯みがきして、ひげをそり、顔を洗った(ぬらした)アフリカでは貴重な水なのだ。

トイレの中の一筋の水できゅうり、トマトを洗う<西サハラ>

右から左から・・前からさざ波のごとく砂がおそってくる。首振り人形みたいに風にあおられる、
ヘルメットの中にも、目にも入ってくる。

朝から晩まで砂嵐の中走り続ける。今日だけは絶対生きよう蛍の光を歌いながら・・・「アーこ
れは人間がつくったものだ」「タイヤの切れ端」に励まされる。まわりは砂ばかりのサハラ砂漠。

道がない・・砂で道が消えている。道が見えるまで立ち止まる。風に磨かれた、割れたガラスの
ようにとがった小さい石だけがまわりに見える・・地獄。

おそろしいところに来たものだ。10日間2000キロほうほうの体でサハラ砂漠を抜けだした。
夕涼みしている地元の人たちがのんびり座っている中をホテルに入った。

水道がない・・どうした、トイレの中にある。一筋の水が出てくる、その水できゅうり、トマ
トを洗った。ここが一番苦労しているところだった。しかしビールはあった、地元の人に頼んで
買って来てもらった。以上水の話し、おわり。



オマーン・新聞社取材を受ける

4月22日火曜    はれ30℃     はれ13時・・31℃
ホテルのマネージャーがゆうべ9時頃部屋にやってきた。あしたニュースペーパーの取材が来ま
す・・どうしますか。

わたしはいつでもフリーです。じゃ、「ツモーローモーニング・ナインオクロック・で返事しま
す」朝9時OKです。返事してからどんな新聞なのか・・わたし一人よりもマリヤムさんに通訳
を頼んだ方がよかったかもと・・

朝すぐにマリヤムさんに「実は・・新聞取材をしたいときています」「時間があれば通訳をお願
いします」朝一番にメールを入れた。

ほんとうはマリヤムさんの時間に合わせる方が先だったのに逆になってしまった。連日「すみま
せん」と電話も入れた・・新聞社といっても「いろいろあるのでねー」一般の新聞ではないかも
しれないとマリヤムさん。




わたしにはまったくわからない。9時半だったら行けるとのこだった。ホテル・マネージャー
9時30分に取材時刻変更をおねがいした。

部屋のネットが遅いのでフロントに下りて打っていたら・・女性の新聞記者が見えた「この女性
は仕事が出来る女性」と直感(よくはずれる)。カメラマンもいっしょ・・マリヤムさんも時間
どうり9時30分に来てくれた。

なぜに旅を思いたたったのか、これまでの旅のこと、これから先の旅のこと、恐かったこと・家
族のことなど1時間ほどマリヤムさんの通訳で無事に終わった。

オマーンの人たちにはお世話になっているのでていねいに自分のことを伝えてほしい・・・通訳
なしでは、とても・とても不十分な説明で終わったことだろう・・やっぱりマリヤムさんに通訳
してもらってよかった。

カメラマンはホテルのこの場所ではなくてロケーションのいい場所にオートバイを移動して撮り
たいと・・午後1時に再び来ることになった。記者サジニさん、マリヤムさん、マツオ3人で記
念写真を撮った。



最後のところで実は選抜されたオマーンの学生14人は4月9日から日本の学生と広島・奈良・
京都・東京・新潟などでさまざまなテーマでデスカッションしながら友好の旅を続けて25日
にオマーンに戻ってくる。

その引率はスワーダさん。戻ってきた時は親会社の新聞「muskat dairyマスカットデイリー」
に話して取材をお願いしたいと話すと・・興味がありそう。

親会社の本紙よりこっちの新聞「ザ・ウイーク the week」の方が発行部数は多いんですよと笑
いながら・・「わたしが取材」しますとマリヤムさんに話した。

きょうの取材・あさって24日発行を楽しみに待とう。ジャスト1時だよといったん引き上げ
る時念を押した・・午後1時前にカメラマンがホテルに来た。スピード出したらついていけな
いからスロースロー両手の甲を前後にふたつならべて・・。

「ユーが前・・うしろがマイ・オートバイ」サッサッと動かして「ノー」・・・そうではなくて
・・ゆっくり甲を動かしてみせる・・「OK OK」暑くなると覚悟していたがきょうは31℃
と低い温度にホッとする。

もう二回も走って見たことがあるロータリーから見える宮殿みたいな場所についた。入口の柵ギ
リギリまでオートバイを乗り入れて撮影が始まった。貸し切りバスで下りてくる観光ツアー客
が次々に声をかけてくる。

ジャーマン・・ドイツ人が多いな。オートバイトいっしょに撮る人も結構いる・・うれしいも
んだ。「ジャパンから来た・・」「・・・・」「そう・・泳いできたの・・と水泳の格好で笑
わせる」オートバイの位置を動かしたりして20分ほどで撮影は終わった。

出来上がりの写真も「くれる」とカメラマン・・楽しみだ、バイバイ・・ありがとうございま
した。海岸を走りホテルに戻る途中青い海に豪華客船二隻が停泊している。



ははーん・・・さっきの観光客たちはこの客船から降りて来たのだろう。「松尾さんが昨日撮影
された場所は、アラムパレスですね。カブース国王はいくつかのパレスをお持ちですが、マスカ
ット市内にあるあのアラムパレスは主に執務、接見などに使かわれることが多いです。

パーティーとかでも使われることがあるし、花火を打ち上げることもあります。あのパレスの
裏は海なんですよ。また「写真撮影しているところをうちの娘が学校帰りに見たと話していた」
こともマリヤムさんのメールに書き添えてあった、うれしいことだ。

メールで撮影場所の名前がわかった・・ありがとうございました。帰りにスーパーによって鳥肉
と玉ねぎ、キュウリ、トマト買って今晩とあしたのぶんまで作っておこう、全部で500円ぐら
い。

ブログの記事「投稿」しても・・「開けません」にがっくり。一からやり直してきょう3回目
「またかよー」9時過ぎに「投稿」もうやけくそ・・どうでもいいや・・おおー「入っていった」

しかし今回も写真掲載はごくごく少ないがやむをえないなー。

第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島・オマーンでイランビザとれました 4月18~21日

2014年04月22日 | 赤道直下と陸路国境148か所
パスポート・イラン・ビザ・・「悪用されかねない」とのアドバイスがあり、削除させていただきました・・あしからず。


手元の着いたイランビザ&イラン保険証

「イラン・ビザ」とれました、よかったー。

4月21日月曜     はれ29℃   はれ
なんとなくさわやかな風のなか散歩を終わらせて朝食・・電話が入った。レセプションに戻ると
同時にマリヤムさんがホテルに入ってきた。

アハメッドさんがどこにいるのかわからないが電話で打ち合わせしてどこかで落ち合い「イラン
、ビザ」を受け取ってくる。

今日「夜までスケジュールが混んでいるのでパスポートを届けるのは夜遅くなる」アハメッドさ
んへの「赤ちゃんのプレゼントもいっしょに持って行く」から・・。

前から用意していたプレゼントを部屋にとりに戻りマリヤムさんにお願いした。直接マリヤムさ
んが動いてくれるのは申し訳ない気持ちだ、しかしこれで安心できる。

忙しい中ほんとすみませんです。電話が入った第2のアハメッドさんが「イランビザ」「保険証」
持ってホテルに向かっている・・10分か15分ぐらいでつくからホテルのロビーで待っている
ようにとマリヤムさんからだった。

11時前ほどなくアハメッドさんが現れた。待ちに待った「イラン・ビザ」パスポートを受け取
った、保険証もいっしょ、ありがとうございました。

3カ月の内にイランに入国してそこから「1カ月の有効」ビザになっている・・・。アハメッド
さんにペトロール代として渡して。第1のアハメッドさんにも渡してとお金の入った封筒を渡した、
よろしくお伝えください。

ビザ代・保険料・手数料込みで17500円。100リアル・25000円渡してある。ビザ代の
おつりもあったようだがそれはこれまでの手数料・ペトロール代として使ってくださいとマリヤム
さんを通じてアハメッドさんに話した。

ほんとうにありがとうございました。朝起きてきょうは長い一日になるなーと思っていたのがあっ
とゆうまに午前中で終わった。アーよかったなー。しみじみとパスポートのイラン・ビザを眺める。

どうなるのかなーと心配していた気持ちがガラッと変わった・・晴れ晴れになっている。23日に
フェリーの出るシャルジャ(ドバイのとなりの町)に向かおうと考えていたが、25日にスワーダ
さんが日本から戻ってくる。お世話になったのでお礼のあいさつをしてからオマーンを離れようと
考えている。

イランビザ・・まだ届かず・・。
4月20日日曜   はれ    はれ
マリヤムさん・・イランビザ、まだ手続きをしてもらっているのだろうか・・今日中に届くのでし
ょうかね・・。連絡をしていただきますか。マツオ

こんにちは、
イランのビザ手続きは終わっていますよ。今はフェリーの情報収集中なんですが、生憎今日はイー
スターで旅行会社でもクリスチャンの人は休暇中なんです。実際、フェリーはオマーンから出ては
いないので、なかなか情報収集はむずかしいのかもしれません。

こうなったらシャルジャに行って、情報収集したほうが早いかも?アハメッドさんはアジュマンっ
ていうけど、私がネットで見る限りではアジュマンは出てこないんですよね。

UAEからだとドバイ、シャルジャから・・・。高速フェリーだと4時間半くらいで普通だと7~9
時間のようですが、シャルジャから出ているのは高速船のようです。

シャルジャからのフェリー・・・スケジュールの変更がなければ週に2回(木・日)の午前10時
ごろ。料金は100ドルくらい、バイクは大きさなどにもよるようで100~250ドル。

荷物は50Kgまでただで、追加料金は1Kgにつき2Dh(UAEの通貨でオマーンでいう200バイサ
ですけど、そんなに安いのかな?)チケットはシャルジャのオフィスにて購入。

バイクは前日までに出港する港に行き、書類の手続きを終わらせなければいけない。チケット購入
もバイクの手続きに港に行くのも午前中が望ましいようです。

以上がネットから見つけた情報ですが、新しいものではないので変更があったり、料金の値上げは
当然のようにあると思います。取りあえずシャルジャに行って、情報収集した方が時間の無駄にも
ならず確実かも?

もしもまだオマーンで情報収集を待てるのなら、引き続きお待ちください。もしも現地で情報収集
するならば、アハメッドさんにパスポート、保険、お釣りを渡してもらうように言います。

フェリーの情報がなければ次に動けないので、今日、パスポートなどを松尾さんに届けてもまた旅
行会社に一緒に行くことになると二度手間になりますからね。
マリヤム

マリヤムさん
これだけの情報でもすごいことだとわたしは思います。ありがとうございます。イランビザを受け
とり・・フェリーのチケット売り場がわかったらそのチケット売り場の近くのホテルをとります。

2,3日余裕を見てまずチケット売り場・出港の場所を確認したいと思っています。ここのところ連
絡待ちで・・自宅で毎日足止めをさせてすみませんでした。ご迷惑をおかけしました。ではきょう
次のアハメッドさんの連絡楽しみに待っています。マツオ






50℃の暑さ・・なんともない・・地元の人

4月19日土曜    はれ朝30℃       はれ午後3時52℃
ほんとうにこんなに暑いのだろうか・・ホテルのスタッフに温度のことについて聞いてみた。いま
12時・いま温度34℃と話す・・レセプションは冷房が利いていてのこと・・。

外の温度は「50℃だけど」間違いないのか・・「ダイレクト」だからそのくらいだと平然とした
顔。なれているから当然な温度に感じているのだろうな・・

50℃を越える暑さ、不思議でもなんでもないことなのだ。驚いている自分がおかしいのだろう。




世界遺産の町・・ニズワへいってきました

4月18日金曜  はれ6時30℃   はれ12時40℃   15時30府52℃
5時に起きて明るくなったら出発しよう・・きょうはオマーンの世界遺産のあるニズワまで。前回
サラーラとゆう町まで走ったときにその途中Nizwaの文字は何回か道路標識に出てくるので見て覚え
ているが「ニズワ」と読むとはしらなかった。

6時にホテルを出発・・40キロで「サラーラ」の標識が出てきた・・ここから回り込んで左に入る。
ニズワまで140キロの道路標識・・意外と近いのだ。

8時半にニズワについた。パーキングには駐車出来ないほど込み合っている・・さすが世界遺産だ
からなのかと・・思ったらきょうは金曜日でバザールでにぎわっているようだ。





地元の若い集団にパーキングは・・みんなが「止めている場所」にまわれ。ありがとう・・。門を
くぐりぬけて日陰に停めた。これからは歩いてまわろう。ニズワの町が世界遺産ではないと聞いて
きた。

それはわかるが・・どこに城があるのか・・灌漑遺産がるのか見当もつかないし・・地元の人に
言葉がわからないので聞きようもない。パンプレッドの写真を見せて聞く・・この写真は「それだ」
と指さしてくれた。

場内とゆうか城内・・に入ってみた。うん・・いきなり肉のかたまりのお店に出くわす・・バザー
ルなのか。野菜から日常品などエリアごとにわかれている。

外国人の観光客も家族連れで・・けっこう訪れている。一時間程見て回って・・行くところがない。
午後の暑くならないうちにホテルに戻ろう。10時にニズワをはなれてホテルにむかう。








前回走ったこともあるので難なくマスカット方面に走りホテルに12時過ぎについた。往復360
キロのメーターだった。40℃をさしていた温度計走っている時は38℃ぐらいに落ちていた。

2,3日前からヒジから先の腕にかゆみを感じていた・・この前暑い日中むきだしで走っていたの
でその影響なのかと気にせずにいた。

両腕とも朝起きると異様にかゆい・・それでも気にしないで掻いていた。いつのも掃除のスタッフ
が来たので「かゆいんだよ」と両腕を見せると・・ベッドの頭のところにボタンが数個ついている
・・そこをはじくと黒い動き始めた「小さい虫」をつかまえた。

もしかしたら「ダニ」?・・アフリカ・エチオピアで同じホテルに泊った日本人旅行者が刺された
と「腹のまわりがかゆくて」「血が出るほど」掻いたと話しを直接聞いたことはあった。

9月の時期エチオピアは雨の続く季節で布団も重くなるほどだった。しかしわたしは喰われたこと
はなかった。つらの顔と同じでどこの皮も刺されないような厚いからだろう。子供のころ「ノミ」
にはしょうちゅう喰われていたが。

これまで、わたしはダニに刺されたことがない、見たこともない。ケニア・ウガンダ・ルワンダと
走ってブルンジに泊った時カメに似た5ミリほどの5角形の虫3,4匹シーツの下に隠れていたの
は見たことはある。この時もかゆかった。

その虫を思い出すたびに気持ちが悪くなる。ダニはそんなにでかくはないのでないか・・ほんとう
に見たことがない。すぐにとなりの部屋に移った、かゆみの原因がようやくわかったのだ。






第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島・オマーンでイランビザ申請中4月14~17日

2014年04月17日 | 赤道直下と陸路国境148か所


上の90192のナンバーはオマーンのナンバーではなくてアラブ首長国連邦・アブダビんのナンバーだと教えてくれた・・車にもくわしいマリヤムさん



オマーンのナンバープレート

イラン・ビザとれた・・はずだったが・・

2014年4月17日金曜    はれ     はれ
日本の自宅からマリヤムさん宅宛てに送った「海外旅行傷害保険証」きのう届いたと連絡を
受けていた。いつものように散歩1時間・・けさはいつもより暑いような感じがする。

7時半ごろマリヤムさんは自分で運転するジャガーでホテルに来てもらった。まず日本から
送ってきた封筒を受けとる。ありがとうございました。イラン・ビザ・・もしかしたら・・
きょうできるかもしれないとマリヤムさん。

アハメッドさんには①10日のビザを1カ月に出来たら直してほしい②フェリーの出港曜日
の確認・・時刻も③フェリーの出港・UAE・アジャマンのアドレス④イランのホテルのこ
とも⑤オートバイであることも ・・・メールで伝えているとマリヤムさん。

これからのことなど確認する。なにからなにまですみませんです。そのあとしばらくしてマ
リヤムさんから「ビザがとれたと」電話が入った。

「ビザも1カ月に直っている」とのこと・・・アハメッドさんはホテルに持ってくるのは何
時になるかわからないので出かけないで待っているようにとのこと・・・ほんとうにありが
とうございます。

もしも最悪の場合イランビザがとれなかったらどうするか・・・・あれ、これ不安が頭をよ
ぎっていた。これで安心できる。再びマリヤムさんから電話が入る・・「10日間のビザ」
を「1カ月に直した」のだが一カ所だけまだ「10日」になっているところがある。

そこの訂正をするので20日になるとの連絡であった。まったくかまいません、2、3日延
びたからといってなんの支障もありません、わたしはビザがとれればいいことの話しだから
・・と返事する



楠田昭徳さんはフルマラソン42,195キロ×52日間・・連続走行、世界ギネスに。
その記念にもらったシャツを着て朝の散歩・・オマーン・マスカット


イランビザ・申請のため、ホテルに朝7時に来てもらったアハメッドさん

2014年4月16日水曜     はれ・・7時・・30℃
7時に来るアハメッドさん・・早めにレセプションに降りて待つ。A4用紙に①イランビザ
10日を→1カ月に ②アジュマン港・チケット売り場のアドレス、出港日・日程・時刻
③イランのホテルの名前・アドレスなど箇条書きしてコピーした。

遅れるだろうなと思っていたら・・あれーっと思うほど・・7時ジャストにアハメッドさんが
やってきた。「ハロージャパン・マツオ」・・マリヤムさんに電話入れてもらってきょうのこ
と通訳してもらった。

ここは100%信用して地元の人にお願いするしかないとゆうべから決めていた・・。パス
ポート、写真、現金100リアル(25000円)を渡した。

ペトロール代をアハメッドさんに渡そうとレセプションで10リアルに両替しておこうとした
が、レセプションもまわりの人も両替するお金は持っていなかった。

仕方ない持ち合わせの7リアル(1750円)を「ソーリ・・ペトロールマネー」と言って渡
した。申し訳なさそうに受け取ってくれた。

アハメッドさんはわたしのオートバイを見せてくれと・・オートバイカバーをとって写真を
撮ったあと車でもどった・・よろしくお願いします。

ビザ発行・・エクスプレスだと早いから・・ときのうアハメッドさんがマリヤムさんに言って
いたようなのでもしかしたらきょうにも出来上がるかもしれない。

夕方日本の松尾さん宅からの「郵便」さっき着きましたとマリヤムさんから電話、あしたの朝
子供を学校に送っていくのでその時にホテルまで持って行きます。それで結構です、よろしく
お願いします。


3,11東北大震災を伝えるビデオテレビ・・

いつもの豪華なばんめし・・

 
イラン・ビザ明るい兆し・・

2014年4月15日火曜       はれ      はれ
だんだん暑くなってくるのだろう・・ゆうべも寝る時冷房を入れて・・途中止めた。1時間
の散歩も最後には汗が出てくるようになってきた。

相変わらずネットの環境が悪い・・
ブログを書きあげて「投稿」を押して・・は「開けません」の繰り返し・・きのうだけで始
めからやり直したのは4回・・「ふー」まいった。ホテルを変えようかと思ったがいまは
替えられない・・イランビザを頼んであるので動けないのだ。

午後になって一時停電・・すぐに直ったが・・ネットは完全にダメになる。ホテルのエレク
トロエンジニアがコンピューター室に入って・・直してくれた。そのためなのか、今までよ
り動くようになった。

今度こそはタノムから「入ってくれ―い」と祈る思いでブログの「投稿」。出来た・・「よ
し」気持ちが晴れ晴れ。4日ぶりにブログの更新が出来た・・しかし写真を思いどうり張り
付けること出来なかった、まぁ・・よしとしよう。

14日にはイランビザのことがわかるはずだったのに・・連絡がない。いったいどうなるの
かイランビザ・・もしダメになった時最悪の場合を考えての対応も考え始めていた。

夕方4時半電話は入った。マリヤムさんから、第一段階のイラン「アプルブ・許可証」
(Approval(アプローヴァル)というのは、許可とか承認という意味とマリヤムさん)がと
れたので、あした16日ビザ申請に行けると・・。

いっしょに行く人名前は同じアハメッドさんだけど前回のアハメッドさんとは違うらしいが
ホテルまで迎えに来てくれるとの電話だった。何か気持ちがスーッとなった。①パスポート
 ②写真2枚 ③カルネなどあらゆる持っている書類を全部持って行くようにとマリヤムさ
んのアドバイス。

あしたは最初に「イランの保険」の加入を終わらせたあと「ビザ代行」旅行会社に向かうと
のことだった。フェリーの出港(運航)場所と時刻表、チケット売り場とその場所のアドレ
スなど確認しなければならない。

とにかく、あしたじっくり確認しよう。あぁ・・ホッとした・・よかったなー。再びマリヤ
ムさんから電話が入った。あしたは「申請だけ」だからマツオさんはいっしょに行かなくて
もいいとのこと。

ホテルに来たアハメッドさんに①パスポート ②写真2枚 ③保険加入金100リアル
(25000円)を渡すようにと電話だった。

大事なパスポートなので本人かどうか確かめてから渡すようにと忠告してくれたマリヤムさん。





太陽の陽射しが強い午後のオマーン

2014年4月14日月曜        はれ       はれ温度計見られず
きょう14日イランビザのメドがわかる日だ。連絡はマリヤムさんを通じてくることになって
いる・・交渉役のアハメッドさんも旅行代理店からの連絡を待っているのでしょうと・・マリ
アムさんもメールを送ってくれる。

ビザのことがはっきり決まればなんのことでもないが・・わかるまではいったいどうなるのか
不安がつのる。ダメになることはないだろうが・・もしダメになった場合のことも頭に入れ始
めた。わたしにとっては大きな山場。

その場合はオートバイをドバイで受け取った運送会社に頼んで一番近い港まで頼むしか方法は
ないな・・。まぁあした15日にははっきりするだろうと思う。

ここのホテル午後になるととたんにネットがストップしてしまうのが悩みの種だ。ブログにと
り込む写真3枚で4,5分かかる。ブログ完成に丸一日かかるときもある。近くにネットカフ
ェがないのかな。マスカット市内のホテルはすべてWiFi・・のワイヤレスであるようだ。

ゆうべ初めて夜中に冷房を入れた・・昼間は40℃を越える暑さでが続いている、これからど
んどんさらに熱くなってくるのだろう。

その国にひとつづつあるように思う満月の月




第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島・オマーンでイランビザ申請中 4月10~13日

2014年04月15日 | 赤道直下と陸路国境148か所



2014年4月13日日曜   はれ30℃    はれ35℃     はれ40℃
8時半温度計30℃をさしている、銀行にお金おろしに行った帰りにオマーンの古い「ナンバー
プレート」がほしかったので前回行った3,4軒集まっているオートバイ修理店に寄った。

どこの店もスクラップのナンバーはないと言われる。ポリスに行けばもらえる・・「写真2枚」
となんとかを用意してと言われたポリスの場所は知っている。ホテルに戻って場所を確認して
いたらくわしい人が出てきて・・そこではナンバーはダメだと。

12キロ過ぎたところクルムの街のポリス・オフィス・・自信なかったがとりあえず走ってみた、
ペトロールスタンドで確認・・ホテルで書いてもらったメモを見せる・・高速から降りて左、
左へとドライバー。

道路に落ちているゴミなどをひろって走っていおるグリーンの服を着た清掃員は「ポリスオフィ
ス」は指さして「あそこ」だ。ぐるっと回って・・違った方向に向かっている。

ぐるぐる回っているとパトカーが来た・・クラクションを鳴らして「ちょっと止まってくれ」右
に寄せるので止まってくれるのかと思ったが違った。ゲートのあるビルに入った、うしろからつ
いて行く。警備員がパーキングに「停めてこい」ここに停めてはダメ。

出口に戻ってタクシーにメモを見せると「OK」とうしろについてこい、と走りだした。ところ
にシマウマ・マークの路上教習車が止まって・・「オレのこと知っている」と。




見習い運転手は女性・・教官は車から降りて話しかけてきた。サラーラに行く時あったカワサキ・
バルカンライダーから聞いたと・・。ともかくわたしは「ポリスオフィス」へとメモを見せる。

さっきのタクシーはついて行かないのでしばらく待っていてくれたが走りだした・・すみませんで
す。路上教官のうしろについて走る・・・「メモ」の場所についたポリスではナンバーはダメらしい。

又走りだした、着いたところは免許更新所みたいな場所に結構な人が集まっている。そこの係りが
オフィスの偉い人の部屋に案内してくれた。あいさつしながら「ここではナンバー」渡せない・・
理由はわからないが自分の走るオートバイに着けるナンバーであることが条件なのだろうか・・・

よくはわからない。9時半に35℃だった温度計は40℃をさしている。走っている時は39℃に
なってそんなに暑さは感じない。信号で止まる・・結構ながく止まるので強烈に暑さを感じる・・

すぐにホテルに戻れるだろうと軽く見て半そでシャツで出てきたのでむきだしの腕に強烈な暑さを
もろに感じる。これからはちょっとの間の時間でも長袖で走るように気をつけよう。3時間かかっ
て結局ナンバーはもらえず「成果なし」・・・ホテルに11時半に戻る。

夕方、ホテルの近く縫製屋さんに行く。ポケットの入れたとき「がさばらない」ようにタオルを4分
の一に切ってほころびないように縫ってもらう・・。もう顔なじみになった・・きょうば5リアル
(100円)でと値切りながら頼んだ。

一枚のタオルとハンカチで6枚分のハンカチが出来上がった。これですべてのポケットに忍ばせるこ
とができる。200円を置いてホテルに戻る。イランビザを頼んでいる交渉役のアハメッドさんの赤
ちゃんのプレゼントを買いに行く。

アハメッドさんがお金を受け取らないようだったら・・赤ちゃんのプレゼントだったら受け取るので
はないか・・日本からお嫁さんに来ているマリヤムさんからありがたいアドバイスを受けていた。

ホテル前のLuLuマーケット二階で赤ちゃんのかわいい洋服3点を買いプレゼント用にラッピングして
もらった。


黒い岩の上に月が出てきた・・あしたあたりが一六夜で大きな満月になる。満月の想い・・・ピレネ
ー山脈の中にあるアンドラから途中吹雪の中を走る、峠はスキー場・・を越えてフランス側に・・・
すべって病院行きを覚悟してそろそろ雪の道を足をつきながら下りきった・・

恐くて怖くて身も気持ちも縮こまりしばらく震えが止まらなかった。ホテルを探しながら走っている
と目の前に満月が出てきたのが最初の満月。

お互い仲が悪いシリアとイスラエル、イスラエルに入ると陸路で国境を越えられない。そのため船で
ギリシャに向かった、地中海の真上に満月が出て・・船跡の波を照らしていた。

グランドキャニオンについたとき・・大きな満月・・はるか下の方にかすかに見える川を照らしていた。
テントを張ってすみませんでした。

桃源郷と言われるパキスタン・カリマバードは6,7千メートル級の山岳地帯の中にある。黒い岩の周
りの外側には白い峰が囲む・・なべ底にいるような感じ・・初めて見る満月の美しさだった。

その国にひとつずつあるように思う満月の月。



 50℃を越した温度計
2014年4月12日土曜    はれ9時31℃    はれ   はれ50℃を越し52℃
オマーン・マスカットで有名なグランド・モスクに行く。レセプションでモスクのオープンは「何時」
かな・・「ナインオクロック~テンオクロック?」ここのホテルは観光案内のことに興味がないようだ。

「それもよし・・」観光地の押しつけがましい案内より・・自分が行きたいところを自分で探していく
のもよし。しかし初めて来た人間には多少の案内は必要だよ。

前の日マリヤムさんからメールで教えてもらったとうり走った。途中手をあげてくる車・・こっちも
「ハーイ」と手をあげてこたえる。追い越しかけないでついてくる。モスクに近づいた・・手を上げな
がら道路の端によせて止まった。

ついてきた車も止まった。「ハロー」「ソーリ・・グランドモスクは」「二つ目のブリッジ」を越した
ら「右に入れ」と教えてもらう。インド人2家族・・子供づれ、写真をとってありがとう。

言われた通り右に降りて左へまた左へ・・ついたところは有名な「グランド・モスク」。駐車場には車
が結構止まっている。入場は無料。9時から11時オープンとなっている。午後の時間は忘れた。

タクシーの運ちゃんに日陰に止めたいなーと言ったら「OK」自分たちの止めている日陰の場所・・そ
こに止めろ。おおー「サンキュウ」。すべては白い大理石で造られている2万人は収容できるらしいモ
スク。

ヨーロッパから来たと思われる外人もイスラム衣装を買って身につけて中に入っていく・・あぁこれが
礼儀なのか。すみません・・普段着のかっこうで・・それも目立つ赤シャツ・赤ズボンの赤ニホンザル。

厳装なたたづまいの部屋・・サッカー場の半分ほどあるじゅうたんは世界一だったらしい。最近となり
の国アラブ首長国が新たに大きなものを造ったらしい。

2時間程靴を脱いで見て回った・・青空に映えるモスクのドーム・・外は肌をさす暑さだが部屋は暑さ
を感じない。やっぱり来てよかったグランドモスク。

11時半にホテルに戻る。暑さはあまり感じなかったのに・・下着は汗でぬれていた。洗たくして昼めし
・・といってもビール呑んで終わり。さっそく写真をとり込んだ。きのう4時20分50℃を越していた。

100円ショップで買いオートバイにとりつけている温度計は最高52℃の計時になっている。きのう
52℃になっていたのでいったい何℃になっているのか見に行った。15時半オートバイカバーをはず
してみたら50℃を越えて最高52℃で針がきのうと同じく止まっていた。

これまで暑かった経験は2004年5月パキスタンからインドに入った時が一番暑かった。ペットポトル
の水は30分しないうちにお湯になった。

「内また」がガソリンタンクで赤くなるやけどになった。この時ガソリンタンクが爆発するのではないか
と心配もした。この暑さに負けてなるものかと「暑さ」に「挑戦」する気持ちで走っていたことを思い出
す。

しかしあまりの暑さのため山登りのときの「ハーハー」と言うオートバイに乗っていて苦しい「息づかい」
になってきたこともあった。あまりの暑さにむしろのベッドで休ませてもらった、とにかく暑かった。


インドは湿気がある、それで余計に暑く感じるのではないかと思う。パキスタンやアフリカなど42,3
度のところはざらにあった。しかし日陰や部屋に入るとそんなに暑さは感じなかった。

今いるオマーンもそんな感じだが50℃を越えてくるのは初めてだ。ほんとうにこんな50℃を越える温度
なのだろうか・・正式な温度をつかみたい。

2014年4月11日金曜
金曜はお休みの日・・車もめっきり動かない・・休みを大事にしているんだかどうかはわからないが・・
まぁ日本よりは気持ちが豊かに感じる。なぜか散歩する人も少ない。マリヤムさんからグランド・モスク
と世界遺産のある場所をメールで知らせてもらった。

goole地図で確かめるとモスクは近いのであした12日でも行ってみよう。今回の旅にも持ってきている
「地図本」・・・ひまなときは退屈しなくてすむ。

アラビア半島に来てから気持ちが落ち着かないので読む気がしなかったがときどき世界地図は開いて見て
いた。「地図で訪ねる歴史の舞台・世界編」(帝国書院)時間が出来たので国別の比較年表など久しぶり
にのぞいてみた。

中国、エジプトは5000年古くてやっぱり歴史があるんだな・・。それに比べてアメリカが生まれたの
は200数十年前、出来立てのほやほやっていったところか。日本も比較的新しい方だけどアメリカより
は歴史があるほうだな。

夕方ホテル前のスーパーのそばで金曜市場が開かれていた。野菜を買ったあと路上の焼鳥屋で4本200円
買う、あと野菜とパンがあるのできょうはこれで我慢しよう。


2014年4月10日木曜       はれ      はれ
朝10時までネットはメンテナンスとかでパソコンは使えない。それまではワードを使って日記を書く。
メンテナンスが終わったあと・ブログの編集でおわり。



第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島・オマーンでイラン・ビザ申請 4月7・8・9日 

2014年04月10日 | 赤道直下と陸路国境148か所

アラブ首長国連邦からイランに向かうフェリーの航路・・・


4月9日水曜      はれ        はれ
スワーダさんがきょうから日本に向かう。選抜されたオマーンの学生14,5人といっしょに
広島、奈良、京都、東京そして新潟で・・学生同士のデスカッション両国の友好のイベント各
地で行い25日に戻ってくる。

選抜された学生たちとスワーダさんのおだやかなパワーに期待する。日本のみなさん・・オマ
ーンの人はおだやかです、白い衣装とオマーンの帽子をかぶった学生一行を見かけたら「よう
こそ、オマーン」と歓迎の声をかけてください。

スワーダさんの留守の間、通訳にマリヤムにお願いしたいものだ・・最後のイランビザの詰め
の段階だから余計にそう思う。

電話でぜひとお願いした。それに日本で入った「海外旅行傷害保険」証書を忘れてきた・自宅
からオマーンに送ってもらうため宛先はマリヤムさん宅をお願いした。

1週間ぐらいで着くようなので大丈夫だろうと思う。これまでも家内もポーランド、ネパール、
アフリカ・ガーナまで郵便物を送ってもらった。今回も経験があるので大丈夫だろうと思う。

冬に着る皮ジャンバーの襟(えり)がほころびてきているので時間がある今の内にと思い縫製
さんに持ってゆき直してもらった。2リアル500円。

行き帰りホテルのまわりの写真をとった。昼間はかなり暑くなってきている2時~3時あたり
には40℃近くになっていると思う。しかし日陰に入るとスーッと涼しい,部屋では冷房は一日
に2回ほどかけるかけるだけ。」

パソコンの動きが遅くて・・ブログ更新にワンクリック4,5分かかってしまう。あぁ忍耐が
必要だ。


「イラン・ホテルを予約・・・イランビザ申請のため」

4月8日火曜      はれ        はれ
散歩をやめて8時前からフロントでドライバーを待つ・・きのう7日からサワーダさんが手配
してくれたドライバーアハメッダさん。8時15分にホテルに来てくれた。

自分の家を6時半に出てきた・・ラッシュで時間がかかったと・・「すみませんね」そんなに
早く家を出てきてくれたんですかと日本語であやまる。「ユーのファミリー」は・・女の赤ち
ゃん6カ月だと・・・アイホンで撮った写真を見せてくれた。


アハメッダさんはかわいくてしょうがないとゆう笑顔を見せる。道路で手をあげていた老人が
いた・・道路の端に車を止めて白いあごひげの老人を乗せる。

途中「左に見えるビルがトラベル会社]と指さしながら通過。老人は信号で止まった時「ここ
でいいよ」・・アハメッダさんは「イヤイヤもう少し先まで」おそらくそんな感じのやりとり
・・かなりの距離を走って途中で下ろした。やさしいアハメッダさんだ。


そこからUターンして旅行会社に向った。小さいビルの3階に旅行会社はあった。ひとりで営
業しているようだ。アハメッダさんが説明をしてくわしく聞いた。

アラブ首長国の港はシャルジャsharjahではなくてとなりの町アジュマンAjmanから出ていると
・・・イランまでは二つの港から出ていると話したがもうひとつの港は聞きそびれた。



きょう8日火曜、申請して14日月曜に外務省の許可おりて、15日火曜、16日水曜「ビザ
行旅行会社」でイランのホテル(インシュラン)、イラン保険など審査、確認して17日にビザ
が下りることになる話しだった。

ビザ申請から受け取りまでの流れ
4月8日火曜ビザ申請
 9日水曜○イラン外務省
10日木曜×
11日金曜×
12日土曜○イラン外務省
13日日曜○イラン外務省
14日月曜○イラン外務省
15日火曜曜○ビザ代行旅行店がホテル・保険など確認
16日水曜○  〃    〃
17日木曜○ イランビザ発行
18日金曜×

以上が日程の説明だった。スムーズに進むことを望むだけ。とりあえずメドがついた感じだが
まだまだわからない。

港の場所のアドレスも教えてもらわなければならないしフェリーのチケット売り場、のアドレ
スのこともある。

できればイランのホテルとフェリーのチケットもいっしょに予約してしまおうと考えているが
・・どうなるのかわからない。

パキスタンに渡ろうかとも考えていたが2,3年前からパキスタンのビザは「日本」でしか発
行しないらしく第3国つまり日本人は日本以外ではビザをとれない・・とネットで知った。

10年前4カ月・滞在したのに変わってきているんだなー。とゆうことは近場にはイランしか
航路はないとゆうことになるのかな。

4月7日月曜       はれ      はれ
散歩を終えて朝食・・MHKラジオの中継も終わった。スワーダさんから電話が入った。これ
からイランビザの申請をするため旅行会社に頼んでイランのホテルをとってもらう・・頼んだ
ドライバーが旅行会社で待っているので来てほしい・・と。

タクシーを止めて「旅行会社」の場所をタクシーの運転手さんと電話を替わる。相手のドライ
バーが待っている旅行会社の場所がわかったようだ。

着いたところは前回イラン大使館でもらった「名刺」を頼りにひとりで来たことのある旅行会
社だった。


前回ここに来た時イランのホテルを予約して「予約したホテル」の「承諾証明書」が必要・・
その「インシュラン」を持ってくるように・・と言われたオフィスだ。「飲酒乱」ならすぐわ
かるが、最後までその「インシュラン」がわからなかった。

いまその意味がようやくわかってきた・・。イラン国内のホテルを三泊予約するのがビザ発行
の条件。

そのホテルを予約した予約番号だけじゃダメ、「OKしたホテルの証明書」が必要とのこと。
スワーダさんの知り合いの旅行会社にイランのホテルの予約&証明書を今回お願いすることに
した。

待っていたドライバーは「何かを話して」次の旅行会社に向かおうとする・・がきょうはすで
に終わっているらしい・・あした8時にホテルに迎えに行くから・・きょうはフィニッシュだ
と、途中でタクシーをひろってもらいホテルに戻る。

ここは流れに乗って頼むしかない・・スワーダさんが手配してくれたドライバーもその一人、
名前はアハメッダさん。






第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島・NHKオマーンから生中継 4月4・5・6日 

2014年04月07日 | 赤道直下と陸路国境148か所






金曜市場でオマーン帽子を買った・750円。これはボケ「防止(帽子)」わたしにぴったりの帽子だ。

NHK地球ラジオ出演

2014年4月6日日曜      はれ18℃       はれ23℃
朝の遊歩道往復1300m散歩・・・日本の春のようなさわやかな風、気持ちがいい。
NHKちきゅうラジオ・・・送られてきている簡単な台本を見ながら自分の話す言葉を
整理して本番にそなえる。

11時半NHKからテストの電話が来た、時差5時間の確認。本番、日本18時19分
・オマーン時間13時19分から始まります、本番前5分ごろ電話を入れます・そのま
ま本番に入ります、簡単な打ち合わせも終わった。

自分の話す言葉もだいたいととのった。13時15分電話が入る。前の番組の音楽が流
れているのを聴きながら待つ。「旅人は見た」コーナーまず倉益女性アナウンサーから
「マツオさん」と呼びかけられて本番が始まった。

内多アナウンサーと交互に質問が出て来る。これまでの旅のこと、オマーンの印象、こ
れからのことなどQ&A・・6分はあっとゆうまに終わった。

70才の身体のこと、放送本番の中でも話したが「具体的にはっきり目標をたてると自
分のからだもそれに反応するかのようにとエネルギー・パワーが身体の中に生まれてく
る」そんな実感がすると。

まぁそんなおおそれたことではないかもしれないがもしかしたら本当かもしれない、笑
われるかもしれないがわたしはつくづくそう思う。

質問は台本とチト違うようだったが、あわてなくて・・・自分の言葉で応えることがで
きた・・かな。80点ぐらいだろうと相変わらず自分に甘い自己満足採点。聴いてくれ
たみなさんはどう判断されるか。

ラジオを持ってきょう6日ふるさと佐賀・嬉野では中学校の同級生達が、東京では旅人
の仲間たちが花見をやっている最中、そしてオマーンにお嫁に来ている人もネットで聴
くと聞いている・・・わたしの声が届いていたらうれしいな。

NHKラジオ出演、旅の途中、自分の中での大きな出来事が終わった。さてこれから次
に進む国のことを検討しなければならない。朝方地元のスワーダさんから電話が入る。

「イランビザ」について旅行会社に問い合わせてみるとのことだったのでぜひ「おねが
いします」と頼んだ。イランへの船の発着所の住所も知りたい。早くわかればいいな。


4月5日土曜      はれ       はれ
ホテル前の遊歩道・・・散歩約1時間・・・パソコンの動きがにぶく部屋から一階のフ
ロントに降りて打ったがやっぱり遅い・・ブログ用写真とり込みワンクリック3分~4
分・がまんして、ガマンして打つしかない。

3時間・・・かかっても終わらない・・目がショボショボ疲れた。きょうはこれでおしまい。




4月4日金曜   くもり・・風強い    
先日下ろした5万円の内4万円を罰金代そしてホテル代などで無くなってしまった。散
歩のあと朝食・・・雨が降り出しそうな雲行き・・早めにオートバイで銀行へ・・最近
は近道を覚えたのでスムーズに行って戻ってこられた。

もっとも、きょうは金曜で休みのため道もすいていた。ホテル前スーパーマーケットの
横の広場、通称「金曜マーケット」と呼ばれる市場には地元の人たちが集まり朝からに
ぎわっている。

きょうは洋服の生地・・日用品、雑貨、が出ていたが・・ヤギとか牛なども売られる時
もあると・・聞いている。

これから次に向かう国、イランビザをとり・・ホテルの予約などむずかしい場面になっ
た時。パキスタンに向かうことも考えておきたい。パキスタン行きの船もあるのか、
ないのかも確かめなければならない。

夕方金曜市場の店をひとまわり・・オマーン帽子を買った750円・・なかなかいいぞ。
帽子、帽子、ボケ防止・・松尾にぴったりのボウシを買った。

日本のスーパーと同じ

























第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島・再びオマーンに入国できた・・ 4月3日 ④

2014年04月05日 | 赤道直下と陸路国境148か所

オマーン国境・・

お世話になったアブさん

再びオマーンに入国できた
2014年4月3日木曜          はれ        はれ
ドバイのホテルで朝から2時ごろまで写真やブログの作成・・部屋でのろのろだったパソコンが・・レセプションの一階に降りたらパッパッと早いこと早いこと・・気持ちがいい、これでなくっちゃなー。2時の約束だったが3時過ぎてもアブさん戻ってこない・・レセプションの女性は電話が入った「4時頃」になるらしいと伝えに来た。ようやくさっき、日記とか写真の撮り込みだとか・・ブログの更新も終わった。

腹へったホテルのレストランで軽く食事・・ビールも注文。ロビーでそのうち来るだろうからと・・いつの間にか眠っていた。肩をたたかれて気付いた・・いっしょに乗って来たアルメニア出身の人だ。「ソーリ、ミーティング」で遅くなったとアブさん。5時半に出発。1時間で国境UAE出国・・10分走ってオマーン入国オフィスで手続き・・「いいか、ワンマンス(1カ月)」と「書けよ」二度も三度もアドバイス。

行く時ほど混んではない・・それでも5.6人づつ3列に並んでいる。アブさんが車をパーキングに停めて・・窓口にきた。申請書を見ながら・・「OK」と言いながら係官と何か話している。ビザ代20リアル・5000円払ってスタンプを押してもらった・・あぁ何事もなく入国出来た、アブさんありがとうございました。帽子をかぶっているアブさんはオマーン出身・・まわりを見渡しても同じような帽子をかぶった人はいない。

ドバイに向かう時もUAE国境オフィスに入り込んであいさつをしていた。アブさんの帽子は特別の意味があるのだろう・・一目おかれた存在に見えてくる。これで心配事がおさまった、ありがとうございました、合唱ポーズで改めてアブさんにお礼を言った。マスコット市内でアルメニア人を下ろして11時ちょっと前・・・泊っているホテルに着いた。シャワーを浴びて・・すっきりした気持ちで休める。アブさん・・・そしてお嫁さんのマリヤムさんありがとうございました。