松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

オートバイひとり旅・シベリア横断~モスクワ~中央アジアの旅52 ウズベキスタンからトルクメニスタンへ

2013年06月27日 | 赤道直下と陸路国境148か所

今日でウズベキスタンのビザが切れる・・ウズベキスタン・ハドラを離れ・・トルクメニスタンに向かう。
車も通らないさみしいこの道は国境につながっているのだろうかと・・不安が出てきた。トラックが並んでいる
ところまでようやくきた・・国境だ。

トルクメニスタンに丸一日、かかってようやく入れた
2003年9月25日水曜 18℃はれ 28℃はれ 28℃はれ
ハドラの宿を7時30分に出てトルクメニスタンのマリーと言う街まで走る予定である。ハドラの街から郊外にただ広い野原に出た。まずまずの道だけれどこの道、本当に国境に向かうのか心配になるほど車が前からもうしろからも一台も通らない。へんぴな畑みたいな所が続くので間違って走っているのではないか不安になってきた。ようやく1台の車がやってきた。

手を上げて「ソーリ」「トルクメニスタン」「ボーダー」「OK」か。「OKOK」安心した。1時間ぐらいで国境についた。ホッとする。ウズベキスタン側出国は30分もかからない。これは調子いいぞ。10時にトルクメニスタン入国手続きにはいる。ツーリストの場合ホテルの「紹介状」は「あるのか」とか・・言われる。「そんなものない!」「ない!」2時間ぐらい押し問答した。英語の出来る人と交代通訳してくれる。

トランジット5日間「ビザ」ならホテルの「所在地証明は入らない」と通訳者。エーほんとにダメなのか。タシケントに戻ってトランジット「ビザ」の取り直し。それは出来ないな。きょうでウズベキスタンの「ビザ」は切れてしまう。進めない・戻れないいったいどうなるんだ。ウズベキスタン側に戻りテレホンセンターに行き地元のおばさんがトルクメニスタンに事情を説明してくれたがこれもダメ。


見張り「やぐら」の見えるところから先が「トルクメニスタン」の国境事務所


国境を行ったり来たり・・地元のおばさんたちは国境・緩衝地帯でで穀物を売っているのかおおらかに笑って過ごしていた。

日本大使館に電話する。「旅行会社」に電話してみたらと言われて「あっ」気がついた。インビテーションの「控え」を「旅行会社」から「渡され」ていたのをすっかり忘れていた。日記帳に挟んだままだったのだ。あーそうだ、そうだこれだったんだ・・。さっそくそれを持って3時頃再びトルクメニスタン側に「インビテーション」の「控えの紙」を持って行く。すぐにOKだろうと思いきや1時間2時間を過ぎてゆく。

この間「国境地帯」800mぐらいを行ったり来たり朝から何も喰ってない。その国境では地元のおばさん達5,6人は白い布に入った穀物らしいものを国境地帯の真ん中に積んでおしゃべりしながら休んでいる。同じ国境地帯でお菓子屋タバコをばら売りしている。ばら売りのタバコで気を落ち着けよう。5時を過ぎてもパスポートが戻ってこない「ワイロ」ほしさかなーと一瞬頭をよぎるが、どうもそうでもないようだ。

国境係官はあっちこっち電話を入れてくれているようだ。そのうち「ツアー会社」の人が「こっち」に向かっているからもう少し待ってと話す。おかしいなー首都アシガバードからくる??英語の出来る3人目の人が説明してくれる。しかし相当時間がかかるだろうにどうなることやら。また「きょう18時30分にOK」だと話す。でもこのボーダーは18時で閉まるとのこと。あまり信用できないので国境に寝る覚悟をする。時たま警備隊が見回りに来ているのでテント泊は無理かもしれない。


トラックの運転手はきょうは国境で泊まるようだ・・トラックのサイドにはプロパンガスなど炊事用具は万全だ

大型トラックの運転手2,3台はすでにここで泊まる用意をしている。国境ではどこでも、いつものことのようだトラックの荷台下に炊事用具、ガスから食料まで特製に作られていつでも炊事場になるすぐれものだ、感心する造りである。さっそくゆで卵をごちそうになる。18時半になって係官が来た。「こっちに向かっているが」「途中「橋」が壊れて1時間2時間遅くなると伝えてくれる。

橋が壊れた?ってなんの関係があるのだろうか。橋が壊れたら数時間で直るはずがない。よしここに泊まるしかないなと覚悟。まわりにいた行商のおばさん達もだんだん少なくなってくる。トラックの運転手は運転台の寝台付だから安心した顔であせりなどみじんもない。とうとう19時半になって暗くなった。トラックの運転手さんからもらったメロンとパン、そしてプロパンガスを使って温めたあずきをいただいた。

国境係官ではない女性が来た。その女性の話しを聞くと紹介状を書いたツーリスト会社の女性だとわかった。国境は閉鎖になった。しかし係官は書類の手続きをしてくれている。他の国境係官はウォカー呑みながら楽しそうに夕食をしている。喰いたい顔して「うまそうだ」とひやかしながら・・「頂いた」肉片一個をほうばる腹へっているので最高にうまい。ありがとう。どうもお世話になりました。

手続きは終わった20時30分。ツーリストの女性はあせっている。その車のあとについて走る。暗がりの中ボコボコした道、ちがう鉄板をつないでいる橋のようだ。その上を慎重に走りきる。先の「橋が壊れて」との話はこの橋のことだったのかもしれない。40キロぐらい走った街についた。30$のホテルは高いのであなたの家に「10$」でどうか・・泊めてほしいと言うと「OK」になった。

食料を買いに大きなバザールはにぎわっている。ビール、にわとりブロイラー漬けものを買っったあと保育園へ迎えに行きツーリストの家につく。広い屋敷になっている。おばあさんとご主人、弟さん5人で住んでいると話す。弟さんはいなかったが家族で12時頃までおしゃべりしてすごす。壁にはトルクメニスタン大統領の写真が飾ってある。


ツーリストの家に泊めてもらう・・おばあさんと息子夫婦子供一人の家族

「サマーフラワープレジデント・・ひまわり大統領なのか」と言うとおばあさんが「シー」と口に指をあてそんなこと言ったら「ダメ」みたいなしぐさをした。どこの家庭でも写真飾らなければいけないことになっているようだ。「告げ口」されるのをこわがっているようすだった、そうなのかこの国は。子どもも腹へっているようだブロイラーをおいしそうにたべている。あーでもきょうはどうなるのかと一時思った。

タシケントまで戻ってまた「ビザ」20日間待って取り直して、その前にウズベキスタンのビザが切れている・・ので、どうなるかのと心配した一日になった。ところでこの町はなんと言う町なのだろうか。


元CIA職員・スノーデンさんを守ろう・・・逮捕されるのはブッシュ元大統領ほかCIA長官だろう

2013年06月22日 | 最近のこと
ホワイトハウスとCIAは他の人が知らないと思って・・世界をごまかし続けてきた。
最近では「大量兵器がある」「アルカイダと関係がある」とイラク攻撃を続けた・・
フセイン大統領・・イラク国民・イラク兵士など全部で10万人以上死んだ。

アメリカ兵士も4千人以上死んだんだよ・・。他の事柄も詳しく述べたいが
今日は時間がない・・。本当のことを告発した「スノーデン」さんを守ることが第一。

アメリカにすり寄って生き残ろうとしているマスメデアによると「ネットの大手」が
CIAに要請されて確実情報を流したと「本当のことをのべた」スノーデンさん
のどこが悪いのか・・マスコミは守ろうとしていないではないか・・どうしたのだ。

逮捕されるべきはCIA長官・うそつき元ブッシュ大統領ではないのか・・
全世界のみなさん・・横暴限りないアメリカをこれ以上許すわけにいかないと考え
ます・・スノーデンさんを守りましょう。

8000m峰14座・登山家・竹内洋岳(ひろたか)さん・植村直己冒険受賞・記念講演にいってきました

2013年06月17日 | 赤道直下と陸路国境148か所

世界8000m峰日本人初めての14座完登した竹内洋岳(たけうちひろあき)さん・・講演中の写真

植村冒険賞授賞式・・と記念講演。

すごい人がいるもんだ・・。


植村冒険館で一緒になった竹内洋岳さん・・。

「一緒にいいですよ」と気さくに声をかけてくれた竹内さんと記念写真


世界8000m峰14座・日本人として初めて完登された竹内洋岳さん
今回17回植村直己冒険賞を受賞された。その記念講演でした。
6月15日・兵庫県・豊岡市、植村冒険館の近く日高文化体育館

14日あさ5時オートバイで雨の中出発・途中からいい陽ざしで腕が痛く
なるほどの暑さ・・京都で安宿「J-ホッパーズ」2200円泊まり
オーナーの飯田さんとも久しぶりに会った。

15日6時出発植村冒険館に9時到着。冒険館に一番乗り・・映像を見終わって
ガイドの人に案内しもらっているとNHKで見た「竹内洋岳」さんが見えられて
いた。植村さんの拡大写真の前で「一緒にいいですよ」と気さくなプロ登山家
竹内さんと一緒に記念写真を撮らせてもらった。

一番に来たかいがあったなー・・うれしかったです。午後から授賞式・記念講演
を聴きに行く。地元の、小・中学校の生徒・・一般の人たちで会場は満杯。


特別賞受賞者村口さん左・渡辺さん左二人目と竹内さん右二人目・一番右は豊岡市長

授賞式「植村直己冒険賞」を受ける武内洋岳さん


満員の会場

特別賞・村口徳行(むらぐちのりゆき)さん。1956年生57歳。エベレストに7回登頂
    日本人で最多

特別賞・渡辺玉枝(わたねべたまえ)さん。1938年11月生・2012年73歳で
    チョモランマ(エベレスト)8000m峰ほか6座登頂・・女性世界最高齢登頂記録更新。

「植村直己冒険賞」竹内洋岳1971年1月生・43歳。1995年マカル山から2012年
ダウギリで14座目登頂を果たす。(世界では29人目と本人の話)

1、足元からつづく山をめざす 2、 山登りの・・途中を楽しむ 3、 これまでは好きな
  山を登っていただけだった・・4、「プロ」の「登山家」として活動することに決めた。
  聴きながら大まかにわたしがメモったものです。

竹内さんの身体は・・極端に足が細いなーと思える・・筋肉だけなのかな?・・
プロ登山家の身体ってこんなものだろうかなー・・。



中西大輔さんも自転車で見えた・・

14回植村直己冒険賞を受賞した中西大輔さんが見えた。自転車で朝4時に自宅出てきたと話す。
「イヤー久しぶり」講演会が終わったあとは近くの山に登るとゆう・・。雨のテントはやめて
一緒に飲みましょう・。駅前のホテルは高い・・小、中学生を載せてきたバスの運転手さんから
もっと安いホテルがあると紹介してくれた。

10キロ以上狭い道を走り安いホテルにつく、2980円・・。コンビニで買ってきたつまみと
アルコールを部屋で・・これまでのこと・・これからのこと話しながら・・夜遅くまで呑む.


次の朝はお互いに5時に起床して中西さんは山に・・わたし松尾は北陸・富山・氷見に向かっ
て走る・・。氷見ではスーパーで安い魚を手にれた。うまかったー。
ズワイカニ1000円・刺身450円ふたつ・・ぶりになる前の魚とか・.
きのうからきょう・・ちょっときつかったけど・・以外の人たちと会えて・・よかった・・なー。
話だけでもと・・思い切って・会えるとは思ってなかったが・動いたら・・いい思い出になってよかったなー。

オートバイひとり旅・シベリア横断~モスクワ~中央アジアの旅51 ふたたび・ウズベキスタン

2013年06月13日 | 赤道直下と陸路国境148か所

幼い妹・弟ほうきをもって家の手伝いをしていた。

ここハドラにくるとき途中から軽自動車でオートバイの後ろについてきた・・2,3日たってからホテル
まで遊びに来てくれた大学生

2003年9月22日月曜 あつい あつい とにかく暑い
午前中T/Cトラベルチェックを使って両替しようとTUBウズベキスタン銀行へ行くがやっぱりダメだ。国境で書いてもらった用紙を持って行ったがだめ・・。200$と書いてあり300$だからダメなのかな??。ビール飲んで夕方まで宿にいる。ここは旧い宿なのかフランスのスチーブンソンが泊まっていたと記録がある。どんな人だったっけな。


ホテルのとなりの家は建て直しているようだ・・かなり古い家の「土塀」が珍しかったので撮ってみた。



このハドラ修道院は世界遺産らしい

9月23日火曜 涼しい 寒い 涼しい 風涼しい
朝7時過ぎて写真を取りに出る。なんだかぐーっと寒さを感じる、いままでは半そででよかったのになー。8時半宿に戻るが手がかじかんできた。9時過ぎ両替200$だと「OK」とこのホテルに来ているガイドの人といっしょに銀行にいくがやっぱりダメだ。ここの泊まっている外国人は一泊二泊ぐらいで出るようだ。ガイドの話だと①ドイツ人②フランス人③イタリア人④日本人とツーリストの多さの順と話してくれた。

宿から歩いて世界遺産になっている修道院を見て回る。朝が早いから地元の人もパラパラと歩いているだけ。観光の物売りの女性は一人で店開きの準備をしているだけ「おはよう」。見るからに歴史を感じる土色の寺院。すこし離れた場所にどでかい塀をめぐらせた要塞の寺院に入場料を払って入ってみた。市内を一望できる高台になっている。2時間ぐらい散策して宿に戻る。


この寺院の上に登ってみた・・市内を一望できる場所だった

9月24日火曜 はれ はれ
午前中ネット屋を探して歩く2軒あったが英語(ローマ字)も打てずダメ。結局宿のネット2時間打った=6$=720円。夕方初日に途中からここハドラまでいっしょに走ってきた大学生3人が訪ねてきてくれた。しばらくホテルのロビーで片言日本語英語で話をしたあと飲み屋に行くことになった。タクシーで彼らの案内で2,3キロ離れた市内のはずれの飲み屋「バー」に行く。

店は開いているが電気がついてない。ローソクで営業していた。電気は中心部だけで毎日停電らしい。へー停電なんだー。ローソクは常時用意されているようだ。なれれば何とも不便は感じない。2,3時間呑んで宿に戻る。

オートバイひとり旅・シベリア横断~モスクワ~中央アジアの旅50 タジキスタン~ウズベキスタン

2013年06月06日 | 赤道直下と陸路国境148か所
この先はタジキスタンとウズベキスタンの国境・・右のやぐらはチェックポイント

トルクメニスタンのビザの期日が迫っている・・ウズベキスタンにとりあえず戻ろう・・朝早く人どうりは少ないがおじいさんが声かけてきた・・「マイ・ジャパン」とだけ話すだけ・・もっと何か言ってみたいような顔だった・・言葉がわからずごめん

2003年9月21日日曜 あつい 35℃ 40℃ あつい あつい
ウズベキスタンに戻ろう。朝6時30分にホテルを出発。市内を出るとワタ畑が広がる。写真撮っていると地元のおじいさんが話しかけて来た。「ジャパン、ジャパン」と繰り返すだけ。国境についた。タジキスタン、ウズベキスタンともスムーズ30分ぐらいで通過で来た。朝が早いので人も少ない。木の生えてない灰色の岩山はなぜかかすんで見える。
行くとき入れたベンジンスタンドに寄る。ベンジンは「ない」と言う。「少しだけ」すると裏の倉庫に隠していた緑色の鉄製タンクからベンジン5リッターだけ高い値段で手に入れることが出来た。ワタ畑~砂漠~岩山~ワタ畑~砂漠と繰り返して3つか4つの山を越えて来た。道が荒れて不気味に感じる岩山の崩れそうなそばを慎重に走る。小さい村が出て来た。

土塀の集落を見渡せる小高い丘に上がる。ロバがじ―と動かずに二頭立っている。山を越えてサマルカンドとハドラに別れる道につく。ここは交差点のベンジンスタンドもある。行くとき入れたスタンド「ベンジン」「今日はない」と言う。「空っぽ」だと言うとロータリーの曲がり角にあると教えてくれた。ベンジン・スタンドではないその場所に行く。家族で出て来てポリタンクを持ってきてくれる。

タジキスタンからウズベキスタンに戻ろう・・さびしい砂漠の山をこえて・・ロバのいる農村の写真を撮らせてもらって・・通り過ぎる

残ったタジキスタンのお金・・国境近くの町で両替屋を探す・・地元の人は「こっちだ」と教えてくれた・・しかし両替「単価」がわからない・・まぁいいや地元の人を信用して両替するしかない・・

ガソリン10ℓ=3000ソンが4000ソンとだいぶ高いがしょうがない。15リッター入れる。ハドラまでどうにかたどり着ける量だ。家族の写真を撮らせてもらう。小学一年生ぐらいの女の子はうれしくてたまらないと言うような輝いている顔がなんともかわいらしい。なんだか自分でもうれしくなってくる。その子のヘルメットをかぶったままの写真を撮った。それにしても300キロ近くベンジンスタンドは全部閉まっていた。

ベンジンスタンドは閉まっていた・・そのスタンドの人が「街角」にあると教えてくれた・・家族が出てきた。何とも嬉しそうな女の子の顔・・ヘルメットをかぶって記念写真

ハドラまでの道は平たんで走りやすく助かった。今のところボックスも外れていない、このまま大丈夫だろう。ハドラの手前100キロぐらいのところから軽自動車二人連れがづーっとついてくる。ハドラの街までいっしょ走ってきた。彼らは学生であると話す。サマルカンド「B&Bバハディール」で教わったホテルに電話してもらうように二人に頼んでみた。すると電話したあとホテルの近くまで案内してくれた。

わたしについて走ったばかりに学生達はいい迷惑だったろう。ありがとうございました。池の周りについた、レストランなど商店もありだいぶにぎやかなところである。ホテルの人が迎えに来てくれる。B&Bホテルに18時頃着いた。この宿はサマルカンドの宿とお互いに連絡して助け合ってあるのだろう。外人客も多く見かける。シャワーを浴びて先の池のあるほとりのレストランまで出かける。

サマルカンドやタシケントのつもりで呑んでいたら倍の値段なのだ。池の周りにレストランがグル―と建ち並んでいる。焼とりを注文ビールを一気飲みして昼間暑かったので元気を取り戻す。勘定いくら、エ―8000ソン=約1000円サマルカンドやタシケントのつもりで呑んでいたら倍の値段なのだ。「お金が足りない」店員さんとホテルまでお金を取りに戻る。すみませんでした。冷や汗もんだった。ホテルの3,4才ぐらいのおんなの子は手伝っているつもりだろう。ほうきでいつも掃(は)き掃除している,よく気がつくおさない兄妹・・。

昼飯を途中の食堂で・・うどんをたべる。食べ終わってから従業員もお客さんも一緒に記念写真

お知らせ・・ふたつ・・どちらも植村直己冒険館。

2013年06月02日 | 赤道直下と陸路国境148か所
ひとつめ

2013年6月15日日曜:12時30分
「第17回「植村直己冒険賞」・授賞式記念講演会
竹内洋岳(たけうちひろたか)氏42歳
世界の8000m峰・14座完登・日本人初豊岡市日高文化体育館  入場無料
http://www3.city.toyooka.lg.jp/boukenkan/index_img/2012 授賞式案内



ふたつめ
植村直己冒険館→東京都板橋区・
こっちの冒険館は奥様公子さんの実家が板橋区出身だとか。

6月30日まで植村直己登山家・展示会及び足跡の記録
エベレスト登頂1970年日本人初登頂のほか
大型テレビで随時放映約1時間30分 入場無料
http://www.uemura-museum-tokyo.jp/

見る聞くだけで迫力を感じました(松尾)


植村冒険館
〒174-0046
東京都板橋区蓮根2-21-5
TEL 03-3969-7421
FAX 03-5994-4916
mail@uemura-museum-tokyo.jp
●開館時間
10:00~18:00
●休館日
月曜休館・12/29~1/4
施設図/バリアフリー案内

よかったら行ってみてください。
竹内さんの講演会にも行く予定です。

写真は5月板橋の冒険館に行った時のものです