松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

オートバイひとり旅・シベリア横断~モスクワ~中央アジア36・カザフスタン

2012年12月28日 | 赤道直下と陸路国境148か所
2003年8月20日水曜 はれ はれ 暑さもおだやかになった
朝9時過ぎに再びウズベキスタン大使館を確かめに走ってみた。今度はスムーズについた。帰りに前回出来なかったネット屋に寄ってみた。イングリッシュ「OK」?。
「OK・OK」とスタッフ。約1時間半ぐらい打ってホテルに戻る。夕方テレビの取材があるからと昼飯のときに聞いていた。

それなりの準備をして昼寝。18時頃テレビ局の人が来た。オートバイでホテル前を走り道路に出て走ったりしたあとホテルでインタビュウをうける。
①タクシー代を法外にとられたことについての質問
②いままでオートバイの旅、期間、訪問した国は何カ国かとか
③カザフスタンの印象についてなど
通訳はここのホテルで事務をしているお母さんの娘さん大学5年生。二時間ぐらいかかった。NTKTV局で放映されるのは8月21日18:30~20:30のあいだらしい。

これまでのカザフスタンの道は工事部分の一部100kmぐらいを除いて「いい方だった」・・走っていて気持ちがよかった。さーてこれからは・・自分の中では未知の世界・・考えもつかなかった秘境の町にはいる・・。

オートバイひとり旅・シベリア横断~モスクワ~中央アジアの旅35 カザフスタン

2012年12月24日 | 赤道直下と陸路国境148か所

昼休みに・・若い女性が食事に出かけるのか・・公園に向かうのだろうか・・ビザ申請にウズベキスタン大使館に行ってホテルに戻る途中・アルマティ市内

2003年8月18日月曜 くもり 一時雨 うすぐもり づーーと涼しくなった くもり
8時40分ホテルを出ようとすると「ちょっと待て」とレセプションの人。ウズベキスタンの「ビザ」を取りに行くのに「二人がついて」行ってくれるとゆう・・。どうなることやら、まぁまかせておくことにしよう。ザーッと雨が夕立並みに降ってすぐにやんだ。今9時40分になっても戻ってこない・・どうなってるのだろうか。

彼女はもう少し待って・・・。10時半もうダメだエンバシーが閉まってしまう。タクシーを呼んでくれ。ようやくタクシーが来た。3000テンゲ=2700円とゆう。大使館に11時30に着いた。大使館は12時30までらしい。すでに10人ぐらい並んで待っている。大丈夫かいな。ひとりづつ扉を開けて入りそして出てくる。ようやく12時10分に入れた

申請用紙に名前とパスポートナンバーは書ける。Dousiteiika Wakaranai Dousitemo Wakarimasen Sumimasen Yorosiku Onegaisimasuと書きこんで係官に渡した。係官は「どうしていいか」「わからない」「よろしく」「おねがいします」と口に出して読みながら・・「ツーリスト」「ワイフ」などと書き直してくれている。よし大丈夫だ。手続きは意外と早く終わった。

8月21日9時30分以降「ビザ」は出来上がるとのこと。申請日含めて4日目の朝出来受け取ることが出来そうだ。料金10$=1200円。先ほどのアメリカ人は150$=1万8千円と言っていたのでお―ラッキー。そう言えばわたしの前にいたフランス人はム―っとして帰っていった。タクシーを待たせていたのでホテルに戻る。2時間かかった。タクシー代トータル10000テンゲ=9000円そんなにするのか。

タクシーは返して帰る時また拾えばいいのだが、はじめてだったのでどこで拾うのかもわからず心配だったのでそのまま待ってもらっていた。

小さい事件になった
「づーっと待って」いたからと・・」ぼられたのかな。まぁきょうの仕事は終わったことだし、まーいいか「ビザ」代と思えば・・・。ホテルに戻ってレセプションの女性にタクシー代10000円とられたと話した。すぐにタクシー会社に電話をしてくれたらしい。「ガーガー」手招きして話ししてくれる。あしたタクシーの会社の人がホテルまで来るらしい。

(19日18時~19時タクシー会社の人が来ることになっていたが20日19時になったらしい。結局わたしがキルギスに向かうまでタクシー代は戻ってこなかった)

8月19日火曜 はれ はれ 暑さもうすれる
ラフメ –「ありがとう」 ハロー「サーレン」 ドスドスラ「友達」9時過ぎにオートバイを出してきのう行った来たウズベキスタン・大使館を確かめてこようと出発した。一回目左に曲がるのを間違った。戻った所から入り直して左に入るがまた一つ手前で曲がったらしい。かなりの渋滞になっている。戻りたいが戻れない、そのまま右にそしてまた右に、うん?ここは通ったことがある、ウズベキスタン「大使館」に向かう道に出た。


ここでもパトカーに追いかけられて・・なんのことはない・・ただオートバイ見たさのようで最後はボックスにサインして終わり。

行けども行けども旧い「宮殿」みたいな目印にしている建物が出てこない。間違ったのかな。さらに走ると宮殿が出て来た、道路の真ん中に見えて来た。よし、その手前で右に入りウズベキスタン大使館に着いた。帰り道にネット屋を探す。オートバイを停めたところからすぐ近くにあった。しかし一軒目は画面が出てこない、そのお店で別のネット屋を聞くと大きな円型のビルの中に40台はあるネット屋。

画面は出る、しかしイングリッシュ「OK」と言ってたけどダメ、係の人に操作してもらったがダメだった、あーあ。しょうがないあきらめてホテルに戻った。帰りはスムーズに帰ることが出来た。これで21日の「ビザ」受け取りに行く時は大丈夫だろう。ホテルで食事していると「ジャパン」と言って部屋に迎えに来た。ホテルの一階が事務所そこに行くと日本語を勉強している娘さんとその事務をしているお母さんがいた

「きのうは大変でしたね」「タクシー代すみませんでしたね」いやいや「あなたがあやまることではないですよ」「でもわたしはカザフスタンの人間だから」と娘さんのはっきりした日本語通訳で会話が出来た。

オートバイひとり旅・シベリア横断~モスクワ~中央アジアの旅34 カザフスタン

2012年12月18日 | 赤道直下と陸路国境148か所
新しいパソコンで打てるようになりました。パソコンの先生森山さんにネットで見つけてもらいあたらしくパソコンに買い換えました。容量がなんと400GM・・外付け倉庫弁当箱HD200GMよりまだ大きい。安心して使えます。42300円


空色のハルハシ湖を過ぎたあたり・・雲かと思ったら・・だいぶ高いところに浮かんでいる白い山だった。大きく手を広げて行く手をさえぎるように・・これが天に浮かぶ山、天山山脈なのか。


水の色は変わった「空色」のハルハシ湖

アルマティに到着
2003年8月16日土曜 はれ22℃ はれ22℃ はれ30℃ はれ暑い 40℃暑い
あったかい太陽の陽うけて7時20分スタート。素晴らしい道路がきょうも続く。100~120キロで飛ばす。これだと650kのアルマティには2時か3時には着きそうだと計算。麦畑から水色、若草色が見えて来た・・。これがバルハシ湖なんだー。湖に沿って沿岸を走る。

バルハシ湖を回りきった場所の浅瀬では地元の人たちが車を洗っている。そばでは子供たちが水遊びをしている。オートバイを停めて湖畔でひと休み。昼過ぎに30℃を越えた。暑い、暑い、そして3時過ぎにはついに40℃を温度計がさした。お昼は家族でやっていた食堂、おやじさんが作っていた「うどん」より太めのみたいな麺を喰った。麦がいっぱい獲れるのでパンのほかに麺を造っているのだろうか。

もしかして中国から来た料理かもしれないと思った。ベンジンスタンドでも木陰で休んだ。これまで平原みたいで木陰などなかったので15分ぐらい休んだあと出発。アルマティに17時に着いた。その前100キロぐらい手前から「雲が浮かんで」いると・・よく見ると雪の山が横一列に空の中にぽっかり浮かんでいる、あれー山だ・。これ以上東には進めないと両手を広げて立ちはだかっているかのように見えた。


家族でやっている食堂・・太めのうどん「めん」でうまかった。


ハルハシ湖の浅瀬で遊んでいた地元の人たち

でっかい高い山、これは天山山脈であることを地図で知る。アルマティ市内に入るとき本線は工事中で迂回道路になって複雑な道路だった。慎重に走って市内に着く。市内入り口のベンジン・スタンドで給油。ホテルを聞くと「ほら、あそこ」と反対側を指さした。一旦セントラルまで走ってホテルを探したが高そうだったのでさっきのホテルまで引き返して泊まることにした。1200はトイレ、シャワー共同だったので1700テンゲ=1530円の部屋に決めた。


アルマティ市内入口にあったホテル「777」に泊まる

8月17日日曜 はれ はれ 暑い 暑い 39℃
朝から強い日差しが窓から入る。きょうも暑い日か。朝から外には出たくない気持ちにさせる太陽の日差し。でも久しぶりに朝からゆっくり出来る。きょうは走らなくていいのだ。とうとう来たんだなー。地図でも想像すらできなかった場所の国。中央アジアの入り口だ。となりはキルギス、ウズベキスタン、タジキスタン。道路事情はどうかな。不安も又生まれて来た。

きょうは日曜日あすウズベキスタン大使館に行って「ビザ」をとらなければならない。「ビザ」についてホテルの人に聞いてもなんだかちんぷんかんぷん。午後ホテルの料理担当の女性をオートバイに乗せて1kmぐらいのところにあるバザー(市場)に行き牛、魚、にわとり、きゅうり、トマト、たまねぎなどたっぷり買ってくる。これらをホテルの冷蔵庫に入れてもらった。全部で2000円ぐらいだった。

これらの材料を使って料理担当者が毎日作ってくれると言う。持ち込みの材料をレストランで使ってもらうのは初めてだ。ほんとうに大丈夫かいな。まぁいいや。信用してまかせておこう。いつも持っている「マツオ・メニューメモ」を見せて今晩は「牛ステーキ」「にわとり」「サラダ」を注文した。食べながら「いくら」とられるかな・・。手間賃270円でOKだった。天山山脈は昼間見ることが出来なかった。

きょうも暑いオートバイのグリップがぐにゃぐにゃになりそう、エジプトで味わったちくちく刺すようなあの暑さ並みだ。夜半にザーッと雨が来た。レストランでは大きなミュージックの音は部屋まで響き渡る。あした出発ではないから別にかまわないが・・夜中1時過ぎに静かになった。二階ではレセプションの女性たちが日本の大きな「碁盤」ににたものを前にカチカチと鳴らしながら遊んでいる。

講演会・・あさって15日・決まりました・・。

2012年12月13日 | 赤道直下と陸路国境148か所
「東京海外旅行研究会」主催
話の中身はパキスタンの北部「コルコラムハイウェイ」
とは名ばかりの難所・・話。

「あきらめない・なげださない・地球の旅人」の話にな
ります

講演会会場
目黒区中小企業センター5階会議室 (50名収容)
 住所:目黒区目黒二丁目4番36号
 電話 03-3711-1135

よかったらきてください。

ちょっとまってて・・パソコンが・・

2012年12月11日 | 赤道直下と陸路国境148か所
12月10日午後12時ごろ息を引きとりました・・。
朝まで動いてたんですが・・午後になってスイッチは
入るんですが画面がでてこなくなって・・救急自転車
で修理屋にもっていきました。

やっぱりだめ・・享年5~6歳だったかな。意外と寿
命が短いですなー。これで4代目・・。

いつもいつもお世話になっているパソコンの先生・
森山さんに探してもっらてます・・。
うーんまたまたお金が飛んでいくー。

おそろしい・家内のパソコンでそっと今、打ってる
ところです。


写真
12月9日忘年会でした。
「あきらめない・なげださない・地球の旅人」
錦糸町「星宿飯店」飲み放題、食い放題、たのみ放題・・
18時から21時まで3時間。2880円

全部で22名うち聴障者7人手話はできなくても気持ち
があれば通じる、韓国の人も・・。自己紹介は事前にA4
に名前を書いて作っていましたのでお互いにそれをかざ
して話しました。

まさに呑んで・呑んで・喰って・喰って満腹、満足でした。
参加された皆さんごくろうさまでした。

「東京海外旅行研究会」講演会について打ち合わせに来た
スタッフもいっしょに入ってもらいました。
なお12月15日13時から目黒で講演することになりま
した。くわしくはあとで・・。



オートバイひとり旅・シベリア横断~モスクワ~中央アジアの旅33 カザフスタン

2012年12月07日 | 赤道直下と陸路国境148か所

アルマティに向かって・・・


2003年8月15日金曜 はれ20℃ はれ25℃ 25℃はれ 30℃ 32℃
お世話になったサーさんの自宅。8時にサーさんの友人が迎えに来てくれた。駐車場までオートバイを取りに乗っけてもらう。アスタナ市内をSさんの友だちに案内してもらった。東京タワーみたいな鉄塔なども出来つつあった。うん、ロシアから別れて自分たちで国を造り上げる意気込みみたいな活気を感じる。友人はベンツに乗って来ていた。

これから進むカラカンダ方面の入り口まで引っ張って「ここから真っすぐ」一本道だから「右も左もなし」と教えてくれる。奥さんも赤ちゃんを保育園に送っていったあと仕事に行く途中なのかいっしょに送ってくれた。ご主人はあさ7時からホテルの仕事だと夕べ話していたので目ざまし時計をかけて早朝出かけた。一路アルマティに向かって走る。新しい道を造っているのだろうか。


毎日・毎日麦畑ばかりが続く

エカテリンブルグ(イカ天ブルグと覚えてた)方面じゃなくて・・アルマティに向かう

話しに聞いていたガタガタ道、くねっている道に入る。イヤイヤ聞いていた以上の悪路だ。小さい上り下り、あれーっ道がない?道はどっちだ。走った足跡を見つけて走る。泥道もある転ばないように必死。20~30kで走らざるをえない。大型トラックも四苦八苦「歩く速さ」超スロースロー。それでも土ぼこりがすごい、しばらく停まってほこりがおさまるのを待つ。転ばないように慎重に慎重に走る。

シベリア道路も顔負けだ。悪路を抜けだした、3時間半かかっている。暑いのと息を留めて走ってきたので汗びっしょり。あぁーひと休み。いい道になった、なんだか天国の道に感じる。車も少ない。120キロのスピードでも平気、平気である。ベンジンスタンドで給油、ついでにここでオイル交換もしてもらおう。その間に近くの食堂で昼飯をすませた。調子よく走る走る。麦畑ばっかりの中を気持ちよく走ってきた。

しかしベンジンスタンドがでてこない。リザーブに切り替えた。リザーブにして75kmぐらいと計算している。もしかしたら50キロかもしれない。90~100kにスピードを落とす。ガス欠になったらどうしようとせっぱ詰まった気持ちは不安で不安でたまらない。予備のタンクからベンジンを入れているワゴン車が停まっている。拝(おが)む気持ちで「少し分けてもらえませんかねー」すると「ネーネー(ノーノー)」。「冷たいなー」と思っても口には出せない。

「こまったなー」相手はベンジンがなければ俺だって不安なのだとゆう顔。あと50k走ればベンジン・スタンドがあると教えてくれた。どうにか持ちそうだが心配で心配で仕方がない。さらにスピードを落として走る。あったー40キロ走った所にスタンドがあったあった。あーよかった。気持ちも落ちついた。ホテルは10キロ先と160キロ先にあるとスタンドにいた人達が教えてくれた。10キロ先のホテルに泊まろう。


広大な麦畑のつづく・・なかにホテルがあった。近くにでかい工場もあるようで白い煙と強い刺激臭もただよっていた。

なんだろう煙みたいなガスがかかった霧みたいな白いものがおおってきた。突然麦畑の中にレンガ造りのホテルらしい建物。ホテル500T+シャワー200T=700テンゲ=全部で630円。ホテルの人たちも人なつっこい。メニューは自分で「絵」を「書いた紙」を手帳にいつも挟んでいる、うし、にわとり、ひつじ、きゅうり、たまねぎを見せてビール、にわとり、トマトを注文。さっきの白い煙は近くのコンビナートの煙突から出ていると教えてくれた。かなりの煙・強烈な刺激臭もしていたな。


NO32のコメント(青い稲妻)
どっちが人懐こいの?
どこでもビ~ル有りついているようだけど
ビ~ルってそのとちとちで大分ちがうんじゃないの?
冷たかったりそうじゃなかったり?
でもどこに行ってもび~るはび~るかな?
うまいビール・・

バイクの松尾ひとりごと
ビールはどこの国でもありました地ビールも。
禁酒のイスラムの国でもあるんですよ。外国人用
のレストランにはいつも置いてありました。
民家に泊めてもらったときも・・ありました?。
とゆうより、どこからか買ってきてもらいました。

見つかったら「100回ムチの刑」とのこと。
その時はビンに入った白い酒でした。一合ビン
500円と高かった。ガソリンワンリッター6円
10リッター60円・・100リッター分ぐらいの値段
ペットボトルに移しかえたあと酒瓶を割ると話し
てました。(イラン)

ちなみに安いガソリン・ワンリッター
イラク→1円40銭
イラン→6円
ベネゼェーラ→26円・・・だった。

ビール・・ドイツ・ベルギーやっぱりうまかった
・・そしてアフリカでは常温でもうまかったですよ。
なれれば常温のビールにうまさ・コク・がある
ように感じましたが。馴れですかねー。

最初は生ぬるいビールかって思っていたけれど
冷やしたのがないとなれば・・身体の方が受け入
れます・・。また冷蔵庫で冷やしたものより水で
冷やしたビールがうまいように感じますけど・。

でもやっぱり冷えたビールが一番って言う人が多
いですかね。日本のビールはなんだか「硬い」感
じがするようにわたしはおもいます。

そう言われれば100カ国以上の国でアルコール
飲んできましたね・・酔えばいいんですよ。

ちなみにいま呑んでいるビールは「バーリアル
BarreaL」アルコール4%。500ミリ×24缶
2680円・・一本111円と安い。
けっこううまいですよ・わたしには。うぃーい。

9日には「あきらめない・なげださない・地球の旅人」の忘年会
錦糸町の中華「星宿飯店」呑み放題・食い放題・たのみ放題
3時間2880円。去年大好評だったので同じところで今年もやります。

オートバイひとり旅・シベリア横断~モスクワ~中央アジアの旅32 カザフスタン

2012年12月03日 | 赤道直下と陸路国境148か所

またまたおまわりさんじゃない・・地元の人に追いかけられて写真だけ撮る。

カザフスタンのアスタナイに着いた・・「コンチネンタルホテル」3万円・ぎゃー。このホテルのボーイさん宅に30$3600円で泊めてもらった。

シベリア横断~中央アジアを走る・・計画をしていたが道路がどうなっているのか全く情報がつかめない。テレビ・デスカバリーチャンネルでウズベキスタンを見ただけで道路が舗装しているのかどうかなどはつかめない。いつも近くの飲み屋で一緒になる埼玉大学の地理の先生は中央アジアは行ったことがないと言いながらキルギスあたりの地図を手書きで示してくれたのはさすが地理の先生だ。しかし不安で不安で仕方がなかった。これからはそのキルギス近くまで走っていく。わたしには地球の奥深い秘境に見えていた中央アジア。


気持ちが安らぐカザフスタン
2003年8月14日木曜 くもり20℃ くもり20℃ 32℃蒸し暑い 32℃ 30℃
首都アスタナの手前で泊まる。蒸し暑いのでなぜか眠つけない・・トイレ・・下痢気味で真夜中に2,3回起きる。最後は2時50分。いつのまにか朝に・・まだ早いだろう。起きてトイレに行くと8時04分もうこんな時間なのか。トイレは屋外の小屋。づーっと昔わたしの佐賀・嬉野吉田の実家のトイレと同じ板をくりぬいただけの便所だった。おれたちは便所のことを「セッチン」と言っていた、フランス語なのかな(笑)。

昨夜のホテル代1400Tテンゲはどうなっているのかな。わたしは800紙幣とコイン全部を渡しただけで、そのあと請求はこなかった。あれでOKだったんだろうか。この宿はサウナがあった。誰もいないと思って下着を洗ってからサウナに入ろうとしたら女性がサウナから顔だけ出して「オー」・・「キューズミー」あわてて洗ったばかりのパンツをはいて外に出る。入り口から中まですべてオープンになっていたんだ。

支度してベンジンスタンドの倉庫に入れてもらっていたオートバイを出す。8時50分に出発。道路はきのうに比べりゃずーっといい道。デコボコがまずないから安心して走れる。首都アスタナに13時に着く。さすが高層ビルばかりが建ち並んでいる。ホテルを探そう、アウディの車の人がホテルまで引っ張ってもらった。すみませんでした。一軒目は満杯でダメ。その一軒目のホテルの階段で地元の人に会った。(アスタナイは首都とばかり思っていたが違った)


ガソリンスタンドの皆さんと地元の人たち

コンチネンタルホテルとボーイさん。このボーイさんの自宅アパートに泊めてもらった

同じ顔していたので「オオ」とあいさつする。立ち止まって「マイジャパン」するとその男はパパ、ママ、コウリャンと言った。ホテルで断られてオートバイに戻る。さっきの男も立っている。エンジンをかけよう「あれーっ」「カギ」がない。ポケットを探すがない。これまでほとんどつけっぱなしにしているカギ。しばらくしてその男は「手に隠し持っていた」「カギ」を差し出した。こいつ金欲しさに抜いていたのか。

抜きとられたのは今までで初めてだ。抜き取る勇気とゆうかその気持ちがわからない。そのホテルで紹介してもっらたホテルに向かう。そのホテル「アダム」もダメ。しょうがない「コンチネンタル・ホテル」に行ってみた。なんと260$=3万円・・ぎょっー!。まいった、これじゃ泊まれない。フロントの女性があっちこっち電話を入れてくれている。ホテルのドアーボーイさんが来た「うちに泊まれ」と言う。


今日も麦畑を走る。各国の「牛の標識」を撮って(集めて)あとで比べてみよう。これは「犬っころ」に見えてしまいそうな・・貧弱な牛の絵。

そしてレセプションの女性もすすめる。「いくらで」「30$=3600円で「OK」16時にここに来るように言われる。ボーイさんの仕事が16時で終わるらしい。まだ1時間半ある、レジストレーチャー(所在証明書)を取りに警察署まで行く。30分かかってスタンプOKになった。3000TCテンゲ=2700円もとられる。エ―仕方ないのかな。すべて吐き出したので金なしになった。となりの銀行で150$ドルを両替。

カザフスタン「通貨」の計算がようやくわかった。×9とすればいいようだ。100テンゲ=90円と計算しやすくていいぞ。16時前にコンチネンタルホテルに戻り約束の時間に間に合わせる。わたしはオートバイでボーイさんはタクシーで自宅に向うのでうしろにつけていく。駐車場はアパートから離れたところにあるのでそのままタクシーで誘導してもらった。5階建てのアパートがボーイさんの自宅。

階段入口には地元の人がイスに座って談笑している。「こんにちは」あいさつして上がっていく。3階のアパートには奥さんと赤ちゃんの3人家族。シャワーを浴びて17:00になった。はじめて泊まるアパートだ。これまでアパートはどうなってんだろうかとづーっと眺めながら走ってきた。ついに中に入った、があまり広いとは言えない。台所3畳、リビング10畳ぐらい、あと6畳、3畳ぐらいの部屋。ここでも水回りが悪いようだな。主人はビールを買いに行ってくれた。


ボーイさんのアパートについた。「こんにちは・・」アパートの人たちが夕涼みしていた



ビールを買って来たあと赤ちゃんを保育園かどこかに迎えに行って帰ってきた。2歳の赤ちゃん。すぐに夕食の買い出しに一家で出かけた。30分ぐらいで戻ってくると言ったがなかなか戻ってこない。ここカザフスタンに入ってからなんとなくなごやかで気持ちもゆったりさせてくれる。街を走っていると「どこから来たんだ」と次から次と話しかけてくる。聞かれても素直になれる雰囲気でもある。

それにしても腹へった―。早く喰い物食べたいな、その前にビールをと催促してしまう。つまみはせんべいを揚げたようなもから「とどん、どどん」と大きな皿が並ぶ。中華料理に近いものだ。うまい、うまい。しばらくして盛装した若い女性二人が入ってきた。うん、いとこかな。きれいな衣装は地元の伝統的なものだろうか。若い女性二人と奥さんも日本人の顔に近いなと思う。いや日本人女性が似てるのか。さっそく写真を撮らせてもらった。ロシア語と日本語でもどうにか通じるもんだな。ごちそうさまでした。