松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

第8次・71才・オートバイひとり旅・レバノン走行中・・今度はわたしが警察に連行される6月6日

2015年06月08日 | 119カ国・35万km・国境181カ所走
レバノンから日本への便り・・中学校同級生中心に100枚送る・・日本まで一枚175円











2015年6月4日木曜   はれ   はれ
16時頃・・絵葉書100枚書き終わった・・ふーっつ。10分ぐらいと聞いているポスト
オフィスを歩きながら・・聴きながら・・あった郵便局。

若い女性3人気楽な3人だ。一枚いくら・・175円100枚で17500円、お金が足り
ない。銀行まで行ってATMで下ろし戻って切手を買う。

切手を張るのは女性3人がやってくれた・・これは助かる。一枚づつ貼るのは、結構面倒な
んだ。トリポリでおみやげの切手は買っている・・旧い切手がほしかったがこの郵便局にも
なかった。

あと10分・・5時で郵便局は閉まると・・日本と同じ・・今日本は24時間やっていると
ころもあるが・・・。宿に戻る途中前回の「SATOすし屋」に寄った。

見るからに赤身のおいしそうな赤身・・わたしにとっては最上等品に見える。赤身まぐろだ
け6巻注文・・握っているのは女性・・フィリッピンの人なのかな・・「大きく握って」と
注文。

握っているのを「いいぞ・いいぞ」「ベイルート寿司屋」写真を取りながら応援した。数え
てみたら10巻入っている。13ドル1500円。

はがき書き終わったお祝いだ・・急いで帰って・さっそく食べ始める・・。日本でもあまり
見かけない「ようかん」ににた赤身・・いや―インドマグロににた赤身はうまいなー。まん
ぞく満足。

2015年6月5日金曜   はれ     はれ28℃
はがきを書き終えて気持ちも楽になった。午後ベイルートに来てはじめてオートバイで市内
を走ってみる。地図で見た市内一周・・1時間もあれば戻ってこれるだろうと思って走りだ
す。

あれれー行きたい方向と逆方向・・まーいいや。市内の中に入って渋滞にはまってなかなか
動かない・・。もう帰りたくなった。1時間かかって10キロ、進まない。ようやく海岸に
出た。写真で見た海に岩が二つある。海水浴の人たちでにぎわっている。

宿に戻ったのは4時になっている・・2時間半もかかっていた。まぁベイルート市内をとり
あえず走れたことでよしとしよう。アメリカ人がきのう出ていって、きょうシリア人が出て
いったわたしひとりになった。シリアの人のいびきがものすごかったので今晩はゆっくり休
める。


「警察に連行される」・・帰りはチェックポイントで・・

2015年6月6日土曜 はれ     はれ
バールビックbaal beek遺跡に今日は行ってみよう。ホテルの近くから10時前にミニバスに
乗って・・乗りかえる・・場所について市内の写真を二枚撮った。

そこえ制服ポリスがやってきた。無線で本署と連絡を取っているのだろう。警察の白い車が来
た・・車に載せられて警察署に連行。

いったいどうなっているのか・車の中で今日中に戻れるの不安になる。まぁ「なるようにしか
ならない」成り行きを見守るしかない。

まずカメラの専門家ポリスが調べる。繰り返し過去の写真も見ている。「今日わたしはバール
ビックまで行って戻るのだ」日本語で自分のいいたいことを言う。

年配の私服が来てパスポートの点検・・写真を撮っている。「わたしはレバノンでラストカン
トリー120カ国目自分のオートバイで走ってきた」まったく関係ないことばを佐賀弁を入れ
てはったりをかます。

カメラの点検はおわった・・問題なかったようだ・・警察の白い車でバス乗り場まで戻る・・
10時4分から10時38分まで拘束された。

観光客はわたしひとり・・カメラをまわしていると目立つのだろう・・とにかくピリピリして
るレバノンだ。写真撮るのも注意しなければならない。こっちまでピリピリする心境だ。

バールビック行きのミニバス11時10分に出発。ふたつの高い山を越えてバールビックに着
いたのは13時半。

ローマ、ギリシャの遺跡よりしっかり残っているようにわたしには見える。アメリカ、マレー
シアの人たち10人ぐらいの観光客が来ていた。入場料10ドーラ1200円。

1時間程見学ミニバスで宿に向かう15時。峠にはいった・・写真を撮り続けていた・・
「あーっ」チェックポイントの兵隊の「顔写真」がばっちり写っている。

「ヤバいぞ」これは。退避所にミニバス「ストップ」バスから降りてカメラのチェック・・
すぐに削除すればよかったのに・・そのまま兵隊に見せた。

「景色を撮っていたら・・偶然に兵隊の顔が・・入ってしまった」いいわけが通じるのかどう
か・・日本語でしゃべりまくる。

兵隊待機所から係官・・「いいよ・いいよ」行かせろと言ってるようだ。もしかしたら「逮捕
される」・・一瞬どうなるのかと思ったが事なきを得てホッとする・・。

バスに戻って・・年配のバス・ドライバー「ノーピクチャー」と笑いながら注意された。ベイ
ルートについた、また乗り換える・・ホテルに戻ったのは17時15分・・意外と帰りは早く
ついた。

レバノンを出るまで逮捕されないで過ごせるのか・・心配になってきた。

2015年6月7日日曜   はれ    はれ
トロポリのオートバイ屋・・モンザンがベイルートまで来る・・そのあとツーリイングに行く
予定だった。12時になっても来ない・・きょう用事が出来たのだろうか・・。

実はきのうポリスに連行されたので・・気分がどうしても乗らないだ・・わたしも走りたく
なかったのでかえってよかった。ブログの更新などすませる。

















第8次・71才・オートバイひとり旅・地球走行中・泊まっているホテルでテロリスト容疑を逮捕・ベイルート

2015年06月05日 | 119カ国・35万km・国境181カ所走














2015年5月31日日曜    はれ     はれ
ベイルート市内・・朝の散歩・・2,3分で海の見える場所から山手の方へ歩く・・。
ベイルートは平地はないと言ってもいいかもしれない・・海岸からそのまま・・
山の方へ上がっていく地形だ。

2015年6月1日月曜     はれ     はれ
下痢が始まってなかなかおさまらない・・。朝の散歩、官庁街みたいなビル群・・8時
半なのにオープンしている店が薬屋さん。

おなかを押さえて「イテテ」両手でお尻をおさえて小走りで「トイレ」に座って・・
「シャ―」「ワタ・・水」・・と説明した。

さすがだ・・彼女はすぐにわかった・・お尻から「ワタ・水」ですね・・下痢止めクス
リを説明・・一回に2錠・・3回分のクスリを渡した。

500円ぐらいだろうか。1時間散歩して宿に戻る。食事のあとさっそく下痢止めを飲
む。

晩飯は暖かいものを喰いたくなった・・小さい雑貨店でチャイナヌードル・・ラーメン
二個を買って・・卵3個入れて久しぶりにラーメンうまかった。

南に来たのに・・いままでいたトリポリと違って少し涼しいような感じ。今日は71才
かあさんの誕生日。

2015年6月2日火曜  はれ     はれ
けさも散歩に出かけたが・・歩道は極端に狭い・・散歩するにもかなり注意が必要だ・・
へたすると高速に上がってしまいそうな道になる・・やばいぞ・・歩くのに気が気でない。

どうにか一般道に戻れた。街にはいたるところに昔からの小さい八百屋さんがそのまま残
って新しいお店は出てきていない。

きのうから絵葉書、書き入れ、100枚。住所は後回しにして本文だけ先に書きだしたが
中々進まない。あと2,3日はかかりそうだ。下痢も少しおさまったようだ。







ホテルレセプション・・イスの中ほど・・右手に泊っていたフランス人の3人部屋


テロリスト容疑か?・・フランス人逮捕され連行される
2015年6月3日水曜      はれ     はれ
レセプションのフロアーで絵葉書を今日も続いて書いていた。午後、2時前に突然・・
ポリスがやってきた・・「パスポートを」4,5人の私服ポリス。

部屋からパスポートを持ってきて見せる。いつもあることなのだろうと気にせずにいた。
オーナーやスタッフちょっと緊張している顔だ。

1号室3人部屋・・ベッドを上げて調べている。階段でも何かやっていると思って・・ベ
ランダから外を見ると手錠を掛けられて車に載せられて行く青年。

マネージャーの話によると17日間予約しているフランス人あしたが最後の日、この三日
間トリポリ(これまでわたしがに泊まっていた港街)に出かけて・・

ベイルートのこのホテルには戻っていなかった・・警察がマークしてあとを追っていたら
しく・・今日ホテルに戻ったところを、捜査逮捕されたようだ。

テロリストの疑いと見ていたのだろう・・。レバノンには青年ばかりではなく・・きょう
も家族でシリアからやってきた、きのうは家族連れでイラクからやってきた。

シリアもイラクも混乱が続いているようだ。そのような中でレバノン当局も気が気でない
ことだろう・・。

TVでの報道は日本ほど取り上げてはいないとゆうか報道そのもの・言葉もわからないの
でどうなっているのかわからない。

絵葉書はあとは住所だけ書けばおしまいになる・・あした中には終わるだろう。







第8次・71才・オートバイひとり旅・地球走行中・緊張感感じる、レバノンの首都ベイルートに到着

2015年05月31日 | 119カ国・35万km・国境181カ所走

フェリー船・・トルコ~レバノン、港町・トリポリから首都ベイルートに向かう・・30日









緊張感を感じる「レバノン」
2015年5月27日水曜  はれ    はれ
15分ぐらいか歯医者さんに11時歩いて行く・・青果市場はにぎわいを見せている。市場の
先にあるビルの二階、治療してもらった前歯がぐらぐらしてきた・・患者さん5,6人待って
いる、となりの部屋が入れ歯など造っている。

すぐに治療してもらった・・今日は前回よりもがっちりセメダイン見たいもので固めてもらっ
た。5分ぐらいでおしまい「お金は」いらないと・・すみません、ありがとうございました。
60才ぐらいの人のよさそうな歯医者さん。

歯医者さんに来るまでの間にも街の中を二人ひと組で見回る兵士、野菜市場の一角には戦車が
待機、ジープで市内を見回っている兵士の姿、ハイウェイにもチェックポイントがあり・・

ツーリングに行ったときは山岳地帯にもチェックポイント、シリアの混乱、さらにはイスラエ
ルとの衝突もいつ起こるかわからない中での警戒態勢なのだろう・・

レバノンに到着してから今までの国とは違った緊張感を感じている。





2015年5月28日木曜   はれ    はれ
朝の散歩のほかは・・なにもしない。ネットを見ながら食事・・。午後・・自分トコヤさん、
いつもは月初めにバリカンで坊主に刈り上げている。今回はベイルート30日移動するので今
のうちに刈り上げた。すっきりして気分がいい。

2015年5月29日金曜   雨    はれ
朝起きたら雨がやんだあと・・路面がぬれている。めずらしいことだ。もう何か月も雨は見た
ことはなかったが・・すぐに青空が広がっていく。あした首都ベイルートに移動する。

こっちにきてからオートバイを預かってもらっているので助かっている・・・10時にホテル
に来てもらうようにモンザンのオートバイ屋まで。

バイク屋は閉まっている?・・となりに人に聞くと13時半には戻ってくると・・お祈りに行
っているらしい。

時間つぶしに近くをぶらぶら・・喫茶店でコーヒを飲みながら・・モンゼンに電話してもらっ
た。14時に家族が戻ってきてお店を開けた。あした10時にホテルまで来てもらうようにた
のんだ。












2015年5月30日土曜   あめ    はれ   
ゆうべから雨になっている・・今朝がたまで小雨が続いていた。今日は移動日なので晴れてく
れ―い。8時過ぎには青空になってきたので安心だ・・ところが10時前になってまた雨だ。

あーきょうは雨の中の走りになるのかと覚悟した。荷物をまとめてモンゼンを待つ、自分のオ
ートバイの音だ・・10時前にモンゼンが来てくれた。

歩道に乗り上げて荷物を積み込むのを手伝ってくれるので大助かり。青空が広がってきた雨の
心配はなさそう。

友だちのオートバイを借りでハイウェイに乗るまで誘導してくれると・・・友だちのお店まで
2人乗り・・。市内渋滞の中をくねくね曲がってすり抜けはたいしたものだ・・わたしには出
来ない芸当・・

モンゼンの誘導で10時半にトリポリを出発。すぐにハイウェイに乗ることができた。5キロ
走ってバイバイ・・モンゼンありがとう。

首都ベイルートまで約80キロ・・右手に地中海・・左はすぐに高原になっている。車の流れ
に乗ってベイルートへ・・気持ちのいい天候だ。今日は80キロと短い距離なので気持ちも楽
ちん。

12時ベイルートに思ったより早くついた・・ホテルのまわりは複雑で探すのが大変だろうと
・・思っていたが・・意外と簡単にホテルは見つかった。ホテルの人に荷物を上げてもらった。

ベイルートで一泊1800円はこのホテルだけ、「女性用」ドミトリーしか開いてなかったけれ
ど「女性専用」じゃないからいいだろうと自分勝手に解釈して予約していた。

どうなるのか心配していたが・・親切なオーナーはちゃんと男の部屋を割り当ててくれた。部屋
に入れるのは14時。







10日間で18000円。一泊1800円はベイルートではこのホテルだけ、他は5000円以
上するホテルばかり。

オートバイを止めて探していたホテルを聞いたときにポルトガルの人に日本人食堂があると聞い
たので歩いて行ってみた。すし屋さんだった。立派なとてもすし屋とは思えないしゃれた造りの
お店。

マグロだけ注文・・味は日本で食べるのより違うが久しぶりに食えるうれしさ・・おなかの調子
も悪かった・・これで少しは落ち着くだろう。日本ビール・・お茶代500円も入って2500
円。

まぁいたしかたない。ホテルの戻り部屋に入る・・3人部屋。シリアの人たちが多いな・・前回
ツーリングに行った時も家族で避難していたし・・ホテルにはシリアの人たちが・・避難のため
だろうか・・多く見かける。

夕方スーパーに買い物・・これまでのトリポリの街とはガラッと変わって街なみ。さすがに首都
だなー。マーケットも日本の百貨店並み、ここには回転すしがまわっていた。

子供連れなど座っているので高くはないのだろうけど・・店員は一皿5ドル600円と話すが・
・そんなには高くないはず。マグロの刺身だけ買ったが値段がまだ分からない。







第8次・71才・オートバイひとり旅・つきましたレバノン・イスラエル国境近くまで走る

2015年05月27日 | 119カ国・35万km・国境181カ所走











2015年5月23日土曜   はれ    はれ
ホテルでバイク屋のお兄さんと10時に約束していた・・ビールを買いに・・ぴったり
10時に部屋のドアーを開けるとバイクのお兄さんがいた。

10時前に来ていたらいし・・ノックしないで10時と約束していたので部屋の前で待
っていてくれたのだろうう。すみませんありがとう。

すみません、ネットの仕事が残っているので15時に変更してくれませんか・・。OK
OK彼は戻っていった。二日間の写真の取り込み・・ブログの仕事がまだまだ残ってい
る。

ホテルまで再び15時に彼が来てくれた市内をスクーターで案内してくれる・・14年
前に来たことがあるシリア、アレッポの街なみに似ているなーと・・つくづく思う。

最後はバイク屋通りを走って4,5軒まわってあいさつした。ホテルに戻ったのが19
・・あしたは朝7時半ホテルで待ち合わせ・・8時にツーリイングに出かけるらしい。

宿に戻ってニワトリ焼き・ビールを買って今日はおしまい。いまは一日中半そでで過ご
せる気候。

レバノン端から端までツーリング体験
2015年5月24日日曜    はれ    はれ
モンゼン君が7時半に迎えに来てくれた・・きょうはトリポリのオートバイ仲間のツー
リングに連れて行ってくれるときのう言われていた。

8時に出発・・どこに行くのかもちろんわからない。親しい仲間5,6人で行くのだろ
うと想像していた。トリポリ、集まったのは5,6人。

モンザンが運転する自分のオートバイ二人乗りで走る。途中でっかいショッピングモー
ルに立ち寄った。ここが集合場所になっているようだ。

30人~40人それぞれの自慢のオートバイ、スクーターでやってきた。キャプテンの
紹介でわたしも「よろしくお願いします」と日本語であいさつ。

ツーリングのグループのバッジ、2個をプレゼントしてくれる。ありがとうございます。
記念写真を撮って走り始める。

クラクションを鳴らして先頭はキャプテン・・の指示で他の自動車を規制する役割の人
2,3人。渋滞でも止まらずに走りぬけていく。

ベイルートまでは地中海を見ながら走行・・ベイルートを過ぎたら山の中に入っていく
・・狭い高原道路が続く、かなり高い山に感じられる・・12時に目的地についたよう
だ。

オートバイが増えたようだ・・モニューメントの建物に入っていく。ここで食事するの
かな・・。

違った・・ここはイスラエルの攻撃で戦車などひっくり返っている・・トンネルの地下
道には無線機部屋、寝室、トイレなど・・のそのままを保存している場所だった。

わたしがわかるのは1985年の文字だけ。

ここは要塞だったのだろうか・・国境でもないのにどうして攻撃されたのだろうか、く
わしいことはわからない。

イスラエルの歴史のことはもっと調べることが必要だと感じる。ここでも記念館の責任
者といっしょに記念写真。

残念ながらわつぃのカメラは途中でバッテリー切れ・・肝心なところで使えなくなって
いる。14時に街のはずれで食事。

かなり広い大衆レストランはにぎわっている。さっきの屋外展示館では50人以上いた
仲間が30人ぐらいになっている。

トリポリからここまで180キロ走ってきている・・トロポリ・ホテルに戻ったのは2
1時半になっていた。

お店は閉まっている・・かろうじてビールショップ一軒だけ開いていたのでホッとする。
今日のツーリングはすごかったなーとてもひとりじゃこんな場所まではとても走れなか
った・・

レバノンを一日だけで・・・一か月分走ったように感じたとてもよかった「ツーリング
体験」の一日だった。うしろに乗っているだけでもけっこう疲れた。モンゼンありがと
う。



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2015年5月25日月曜  はれ    はれ
10時半にモンゼンが迎えに来てくれた・・きょうは歯医者さんに行くことにしていた。
前歯がぐらぐらしてきた、上の歯が欠けて穴が開いてしまった・・二カ所直してもらう
こと・・土曜日に来て予約してかえった。

11時について15分もかからないで二カ所直してもらった・・1900円。日本だと
一カ所づつで2,3日はかかるだろう。午後ブログの更新・・など・・

きょうはゆっくりできた。歯医者さんの通院どのくらいかかるのかわからなかったので
29日まで延長・・。このホテルに泊まることにした。




2015年5月26日火曜  はれ   はれ
朝の散歩・・久しぶりにゆっくり散歩ができる。野菜市場まで歩いて・・歯医者さんの
場所を確かめる。前歯がまだぐらぐらしているのであした、また行ってみよう。

夕方モンゼンのバイク屋まで歩いてみた・・わかるかなー・・方角的にはこっちの方だ
・・30分かかって一発でモンゼンバイク屋についた。

モンゼン=日本語で書いてくれと頼まれ「門前」と書きいれた。モンゼンが歯医者さん
に電話を入れてくれたのであした11時行くことになった。














第8次・71才・オートバイひとり旅・トルコ・アンカラからレバノンへ

2015年05月24日 | 119カ国・35万km・国境181カ所走
トルコ・アンカラからレバノンへ










2015年5月21日木曜   はれ20℃    はれ20℃   はれ33℃
夜が開けようとしている5時前に起きてゲストハウス、ジャスト6時出発。レバノンに
向かうフェリーが出ている港「シリフケ」sirifkeに向かって走る。

尻ふけ?・・トルコは面白い名前が多い、今夜konyaあだ名adana,バトマンbatman,カッ
パドキアなど覚えやすい地名があるきょうはコンヤの街を通って530キロぐらいの距
離。

100~120キロのスピードで走ってきたが残り150キロは高原に入って山岳道路
になって道も狭くなり細かいカーブが続き40~60キロ。

地中海シリフケ・タスジュtasucuに着いた・・13時半・・まずまず予定通り。すぐに
フェリーのチケット売り場に・・地元の人が「すぐそこ100m」・・いつものように
その「すぐそこ」がわからない」・・

2,3人に聞きながらチケット売り場についた。レバノン行きのフェリーは「きょう2
0時に出る」と・・おーよかった。月曜・木曜、週二回出ているとチケット売り場の女
性。

へたするとこの出港までここのホテルに3泊するはめになるところだった、ラッキー。
トルコ・シリフケ・タスジュ港からレバノン・トリポリ港・12時間→片道本人125
ドル・・13000円、オートバイ135ドル・14000円。トータル27000円。

近くの食堂で遅い昼飯・・4時にチケット売り場に来るように言われていた・・フェリ
ー乗り場がわからない・・「地図を書いてよ」・・「パソコンでも出せない」と話す。

仕方ないタクシーを呼んでフェリー乗り場に向かう。「すぐ近い」と話していたが着い
たところはわかりにくい場所・・タクシーに来てもらってよかった。

20時出港・・のはず・・21時になっても乗りこめない・・暗くなってくる。22時
になった・・ようやくトラックが乗り込み始めた。

いまのうちに食事をすませておこう・・昼めしで残ったニワトリ・ビールですませる。
乗りこんだのは12時を過ぎていた。

その間レバノンの人たちと・・船に乗り込んでからシリア人たちと話をして過ごす・・
と言ってもお互いにわかるのは・・・ごくわずかだけ。それでもお互いに親しみを感じ
る話しになる。

「シリア」とは発音しない。こっちの人たちの発音は「スリエ」「スリア」




2015年5月22日金曜・・・フェリー船の中・・いろんな人が・・
港を出たのはわからなかった・・おそらく2時か3時頃になったのではないか。寝袋・
洗面道具を持ち込んで・・軽レストランの長イスをベッド代わりに横になる。

冷房が入っているのか、明け方寒くて目が覚める。レバノン到着は午後2時か3時に
なるらしい・・時間があるのでオートバイのところまでパソコンコードを取りに降り
る。









パソコンを使っていると、おじいさんがUSBを持って近づいてきた・・なにをしに
きたのだろうか・・。

なにかわからないが・・USBを入れて彼に見せた・・説明は「イングランド・クウ
ィーンエリザベス」の結婚式のウェデングドレスを着た写真・・そのウィデングドレ
スを造っているビデオだった。

世界で一つだけのシルクの作シリアで職人Ibrahim Ayoubi  61才←(名前
は本人が書きこんでくれた)・・1948年お父さんから引き継いでいる。

今もエリザベスク・ウィーンにプレゼントで贈っている。「お金はもらえない」「フ
リー」だと本人は話す。

オール・デザイン&デファレン・デザイン・・こうゆうデザインを造っていると・・
シルクの女性バックを見せてくれた(80ドル1万円)・・別れ際、財布(袋)の中
身を全部出しわたしが持っている残りのお金はこれしかない、30リラ1500円を
見せて、これで売ってくれませんか・・こまった顔したが、うーん「いいよ」とOK
になった。




それにしても、すごい人と知り合ったのもだ・・このほかにきのうフェリーに乗る前
に話した、建築現場の責任者・バイクショップのオーナー達・・なにをやっているか
わからないがいろんな人がやってきた・・いっしょに写真も撮った。

1時間程シルク造りのおじさんと話して別れる。フェリーは15時レバノン・タスジ
ュ港についた。それから1時間16時なってフェリーから下りることができたが・・
これからが長かった。

乗船前に知り合ったトリポリのお兄さんはいったんに家に戻ってくるから1時間ぐら
いカスタムの前で待つように・・OKお互いに場所を確認した。

わたしは、いったんフェリーに戻された。船内フロアーにはシリアの人たち、一般
旅行者たちが残されている。名前と国籍を聞かれて「どこに行くのか」「ホテルの名
前は」など聴かれる。

わたしは「これからホテルは探すんだ」なにをゆうかと喰ってかかった。しかし相手
にならない。なんとかカスタムに入ることができた。

そこへ乗船前に知り合ったレバノンの二人連れが入ってきた・・「ソーリ」「レバノ
ンのホテルの名前を教えてくれ」彼はホテルの名前を「自分の名刺に書いてくれた。

乗船前に知り合って名刺をもらっててよかったなー。どこの国もカスタムの人間は偉
そうな態度を示す係官がいるものだ、ここにもいた。

横柄な口を利く係官、人を待たせておいて不届きなリンゴなどかじっている若い係官
もいた。このカスタムは21時で終わりと張り紙が出ている。

その時間には終わるだろうと・・たかをくくって・・出来ない場合は不届き係官に「
どこの時点で」開き直り怒鳴り上げるかなど・・考えていた。

窓口に呼ばれて、なんとかパスポート入国スタンプの手続きが終わった。もう18時
になっている。

最後はオートバイに積んでいる荷物を「開けろ」きた、きた。荷物をほどいて積み直
すことがどんなに大変ことか・・いやだなーと言う顔で「これをほどいて見せるのか」
これはすべて洋服などが入っていると話した。

荷物は程なくてすみ・・ホッとした。すべて、すべて終わったカスタムに「バイバイ」
と手をあげたら、スクーターで2人連れがやってきた。

2時間もたっているので来ないだろうと思っていた・・バイク屋のお兄さんだ。あと
一人は知らない年寄り。





「ソーリ」疲れたのできょうホテルまで案内してくれと頼んだ「OK・OK」。走り
だしてどこかの建物に入っていく・・ここはまだカスタムの中なのだ・・お金「15
0ドル」いるとバイク屋のお兄さん。

「ノ―マネー」彼はカスタムの自動車を借りて銀行へ・・400ドル下ろし・戻った。
手続きはすべて彼がやってくれたので助かった。通関料150ドル支払ってすべて終了。

彼が来なかったら銀行を探し・・カスタムに戻り・・大変な作業になっていたに違いな
い。スクーターに乗っていた人は彼のお父さんだった。

バイク屋に寄って彼の母、家族、仲間たちの歓迎受け。スクーターでホテルを探す・・
立派なホテル一泊115ドル安くしても95ドルとホテルマン・・たけ―。

次は繁華街にある二階に上がる・・旧いホテルだ。3泊100ドル・・食べ物など買い
物がなんとか便利のようだ・・ここに泊まることにした。

オートバイを取りにバイク屋に帰り・・スクーターに若い人を乗せてホテルに戻った。
階段を上がるのにひと苦労、荷物を運ぶのを手伝ってもらいオートバイはバイク屋で預
かってもらうことにした。

きのうの朝5時に起きて・・フェリーであまり眠れなかった。もうくたくた、下着を洗
たくをすませてシャワーを浴びる。

これで呑めるぞ・・商店街でニワトリの丸焼き半分を買ってビールはバイク屋さんが途
中買っておいてくれた21時になっている。

旧いホテルでネット出来ないかもと・・思っていたが10時から出来ると・・おーよか
った。ガツガツ喰いながら・・アーレバノンに着いたぞ、訪問国120カ国目・・オー
トバイで走った国は110カ国目。



第8次71才・オートバイひとり旅・地球走行中・・トルコからレバノンへの道が開けた

2015年05月20日 | 119カ国・35万km・国境181カ所走

これから進む道・・自分の足で探してみた・・レバノンへの道が開けた









レバノンへの道が開けた・・
2015年5月18日月曜   はれ    はれ    5時・29℃
泊まっている、ホテル玄関にとりつけてあるタクシー「TAKUSI」ブザーを押すとタク
シー会社に通じるようになっていると・・

タクシー2,3分でやってきた・・8時半レバノン大使館、エジプト大使館に向かう。
ネットでアドレスを控えたメモを運転手さんに見せる。

8時30分にレバノン大使館についたが9時に開く。次のエジプト大使館に向かう・・
10分で到着。エジプト大使館は9時30分に開くと言う、しかたがない・・

レバノン大使館に戻る・・10分前大使館員が出てきた。レバノン行きのフェリー、
トルコから「出ていますか」日本語で話す。

トルコの「メルシンMersinの近く・・タッシウジュTasucの港からレバノン・トリポリ
Tripoli行きが出ています」と大使館員

「ソーリ・・港の名前」トルコ側・レバノン側のアドレスをお願いします。さっそく
メモを書いて渡してくれた。

フェリーは出ていないんじゃないかと思っていたのでホッとした・・レバノンに行
ける・・道が開けた・・おーうれしい。

いっしょに大使館スタッフの人たちと写真を撮って別れる。エジプト大使館でフェリ
ーのことは聞かなくてもすんだのでエジプト大使館には寄らなかった。

実は最悪の場合・・陸路でレバノンへ検討していたが、シリア大使館のビザはありえ
ないだろうし・・シリアで今捕まってモノ笑いにされるばかりでなく皆さんにご迷惑
をかけるモ。

モスクワには8月始めまでに上がればいいので・・これから一カ月どこの国を走ろう
かと・・考えるところだったのだ。

21日レバノン行きが出ているトルコの港まで向かってみよう・・・まぁ、とりあ
えずレバノンに向かって・・。

それから先のことはまた別途考えることにしよう。レバノンへの道が開けて気持ちが
明るくなってうれしくなった。

夕方になって日本人女性が泊まりにやってきた・・4カ月ぶりに初めて会うあう日本
人・・。北海道出身・東京在中、ひとり旅バックパーカーの人らしい。






2015年5月19日火曜  はれ    はれ
朝の散歩を終わらせて・・スーパーで買い物・・ネットでメールを確認・・これから
進むレバノンの道をナビに入れて・・とりあえず・・今日は終了。







2015年5月20日水曜    はれ    はれ
今日は30℃を軽く超えているのではないか・・と思える暑さ。カバーをめくってオ
ートバイの温度計を見るのが面倒・・正確な温度はわからない。

朝の散歩で近くの公園を歩く・・浦和・別所沼公園で今開催している「チャレンジ2
020」は東京オリンピックまで毎日日替わりでフルマラソン42,195kmを走
る。イ

ベントが進んでいる・・10人ぐらいでわたしも走った、その時のシャツを着て応援
しようと・・訪れた国で写真を撮っている。

今日はその写真を撮るため近くの公園を歩く。写真を撮ってもらおうと頼んだ若者た
ちはアフガニスタンから来ている青年たちだった。そしてイラクからの来ている青年
もいる。

おそらく仕事探しに来ていると思われる。あしたレバノンに向かって走る。そのトル
コの港まで530kmぐらいだろう。







第8次・71才・オートバイひとり旅・いまトルコイスタンブルからアンカラ・・走行中

2015年05月18日 | 119カ国・35万km・国境181カ所走
イスタンブル・ホテルのそばのオリジナル靴屋さんはオートバイ乗りだった・・







2015年5月13日水曜  はれ     はれ
イスタンブル・・朝は思っている以上に寒くはない、半そでだけで大丈夫だった。
昼間は暑さを感じる午後は30℃近くに上がっているかもしれない。

「タクシン・通り」正式な名前はまだ知らないが平日にもかかわらず1キロの広い
街まっ直ぐには歩けない。

これほどの歩行者天国最近は見たことがない・・「なに通り」と呼ぶのだろうか。こ
れだけの混雑だとフィッシュセンターがあるはず。

魚レストラン」は・・500mのところにある。やっぱりあった。本道りから右に
入ると右も左も魚のお店ばかりが軒を連ねている。

魚屋さんでは焼いた魚を食べるだけ・・ビールなどアルコールはここでも出してな
い。レストランに入れば魚もあるしビールも飲める。

いま夕方5時・・時間的にまだ早いのかお客はまばら。朝9時からオープンしてい
るが昼の12時にならないとアルコールは出さないらしい。

中には24時間オープンのお店もあった。あしたアルコールが飲める12時頃食べ
に来よう。


















イスタンブルに着いた日にシティバンク・カードを使ってATMでお金を下ろそう
としたが・・何回やってもダメだった。マスターカードでもダメだった。

ホテルの支払い「キャッシュ」と言ってたがレセプションの人が替わって「カード」
でOkだった。銀行はいっぱいあると聞いて歩いてきた所がショッピング街だった。

いくつもの銀行がありATMでシティバンク・カードで下ろすことができた。下
ろせなかったら「米ドル」を両替するしかないかと思案中だったので下ろすことが
出来てホッとした。

ようやくチュニジア買い物計算ができるよいになったのに・・トルコ通貨・・わか
るまでしばらくかかるだろうな・・。

2015年5月14日木曜   はれ  はれ
さかなレストラン街・・12時過ぎに行く・・きのう下見をしていたので気分よさ
そうなお店に入った。

ビールがうまいー・・魚が出てきた白身の魚・・当たり前だけどチュニジアで食べ
た魚と同じ値段も同じぐらいかな。







2015年5月15日金曜    はれ  はれ
きのう靴屋さんに靴底を張り替えてもらうよぷに頼んでいる・・12時頃お店に寄
って・・靴造りの作業を見学させてもらい時間をつぶす。

わたしは71才こども3人・ガール、ボーイ、ボーイ・・兄弟でやっている54才、
子供さん3人・・と52才は子供4人いると話す・・

二人とも、うそのつけない人柄のよさそうな顔立ち・・入れ替わり立ち替わり個人
客がやってくる・・お得意さんなのだろうか。

靴、ジャンバーはすべてオリジナル・・手造りでいま造っている男性用ワニ皮で2
万円と安いような気がする。

きのうジャンバーを他の人に見せていたのを出してもらい袖を通してみたら・・ち
ょうどよかった・・皮チョッキーも軽くて気にいったのでオリジナル45000円
を靴の張り替え入れて15000円で売ってくれた。

あした靴底張り替えた靴はいて皮ジャンバー着てアンカラに向かおう。

2015年5月16日土曜  はれ18℃    はれ20℃    はれ30℃
アンカラに向かって・・今日は450キロ。イスタンブル・ホテルを7時前に出る。
簡単に高速に乗れるだろうときのう地図を見ながら思っていたが走りだしてみると

・・複雑市内の道路・・ナビに従ってゆっくり走っているのだが細かい道の入れ乱
れに混乱してしまった。

これじゃ、ホテルに戻っているぞ・・地元の人やタクシーに聞いても彼らは知りす
ぎているのであてにならない、上に言葉がまったくわからないのだ。

30分もかかってようやく高速に乗ることができた。これまでの高速と違ってアン
カラ方面だからなのか・・車が多い。追い越し車線からばかりでなく、右の走行車
線からも走って追いぬいてゆく車もある。

運転が乱暴に感じるがトルコ人の性格なのだろう200キロを過ぎて車の流れに乗
れるようになってきた。

ここの高速道路はガソリンスタンドが高速道にあって、これまでのようにいったん
一般道まで下りる必要はない。アンカラ市内に入って渋滞になってきた。

30℃を越えて暑くなってきた・・止まってジャンバー、ジャケットを脱いでゲス
トハウスに着いたのが12時30分。予定より1時間以上早い。

スムーズについてよかった・・静かな住宅街にあるゲストハウス・1300円受け
付けを終わらせさっそく・・近くのケバフ店でおかずを買って冷たいビールで昼飯。

こじんまりとしたこぎれいなゲストホテル・・は今日は満員らしい。平ベッド4個、
二段ベッド・・6人部屋に泊まることになった。

フランスに留学中・中国人。インド人、あとはヨーロッパ人。あしたは日曜日大使
館も休みだから・・ゆっくりしよう。

夕方カミナリガ鳴って夕立になるザ―っと降るのかと期待したがパラパラと来ただ
けですぐにやんでしまった。2カ月近く本降りの雨を見ていない。

2015年5月17日日曜   はれ   はれ
朝の散歩・・宿の近くは車の販売店が軒を並べている、レストランも多い。パソコ
ン、ナビ、Ipadなどにつなぐ・・チュニジアで買ったソケットが合わなくなっ
た。

小さい電気屋さんで現物を持って行き・・トルコのソケットを買った100円・・
・その前に別の電気屋で見せてもらった時・・10リラ500円と言う・・口には
出さなかったが「そんなに高くするもんか・・」バイバイしたばかり。

第8次・71才・オートバイひとり旅・アフリカ・チュジニアからイタリア~ギリシャ~トルコへ、一気走り

2015年05月13日 | 119カ国・35万km・国境181カ所走
5月7日チュニジアを出発・・イタリア~ギリシャを通過・・トルコまで


ギリシャとトルコの国境




お世話になったチュニジア・ホテルを出発・・






チュニジアのみなさんお世話になりました
2015年5月6日水曜   はれ     はれ
朝の軽い体操をすませて・・出発準備を終えているのでのんびりと一日過ごす。あした
ホテル代支払いのため銀行でおろす。

2月23日入国・・着いたときはどうしてこんなに寒いのだろうかと・・震えていた・
・今は暑い日が続くようになってきた。

それから2か月半・・チュニジアにお世話になった。エジプトとは違う、モロッコとも
違う・他のアフリカの国とも違う・・ヨーロッパに近い感じなのかな・・もちろんヨー
ロッパの人たちよりひと当たりが良くて人間的な感じがする。

もっと素朴さを感じたのは隣のアルジェリアの人たち・・親しみのあるなんとも言えな
い日本的以上、田舎のとなりのおばさんみたいな人たちだったなー子供たちや赤ちゃん
連れの家族旅行の多かったのもアルジェリアの人たちだった。











アルジェリアに行きたかったがビザがとれなくて残念。一カ月泊った最初のホテルに療
養に来ていた車イスや松葉杖で過ごしていたリビアの人たちも非常に親しみを感じてい
た。

いま振りかえってみると内戦の影響なのだろう・・チュウニジア、アルジェリアの人た
ちに比べると陰の部分を感じざるを得ないかな・・。わたしの独断的感想。

2015年5月7日木曜  はれ20℃   はれ30℃
早めのフェリー乗り場にいっておこう・・。ホテルを12時半に出発・・お世話になり
ました。

ホテルのスタッフが見送りに出てくれた。あれれ・・ナビの案内はチュニス市内手前か
ら右に入っていく・・近道だろか・・安いだろうから最後の給油しておこう。

スタンドのみなさんと写真におさまる。フェリー乗り場じゃなくてコンテナの倉庫群
に迷い込んで・・ナビも迷っている。コンテナ従業員の人に目の前を走っている道に出
て・・「フェリー乗り場に行きたい」

「ぐるーっと回って」行け・・一人が「そこの」・・地元の人たちが細い抜け道を作っ
ている道に入って行け・・ありがとう。転倒しないようにオートバイの後ろについてき
てもらってハイウェイの道に出ることができた。

2時前に着くだろうと思ってきたがとっくに2時を過ぎている。あせってっ来る。フェ
リー乗り場と思っていた場所・・「ここではない」右に回って1キロ・・・着くことが
できるだろう不安がつのる。東京の広い「晴海ふ頭」みたいな場所である。

ロータリーで止まってふたたび「イタリア・フェリー乗り場」は・・真っすぐ行ったとこ
ろだ。それらしき場所についた・・「こっち・こっち」手招きしている・・「イタリア・
シシリトウ」ここでいいのか・・「OK」ここだ。

例の国境にもいる「指南役」の人らしい。指示に従って中フェリー乗り場に入って待ち
合わせ駐車場に止める。

指南役が「こっちへ」・・「チケット」はある・・「違う」控えを見せると・・この控
えを見せて「チケットを発行してもらえ」ついて行くと「チェックイン」窓口。

あれー・・前回下見をしに来た時入ったオフィスだ。ボディチェックを受け「チェック
イン」窓口へ。

チケット販売所で発行してもらったコピー控えを出して・・本物の「フェリーチケット」
はここで発行しているのだった。チケット販売所の女性が話した言葉がここに来て初め
わかった。

指南役に10デナ650円を渡した・ありがとうございました。15時を過ぎた・・出
発は17時。出発を待つ・・出発の17時を過ぎた・・19時なってようやく門が開い
た。

出国手続き・・1時間かかって終了と思いきや・今度は荷物の点検、積み込んだ荷物を
開けて・・再び積み返す、わたしにとってはなんとも時間がかかる面倒この上なしの作
業だ。

すべて終わった・・あともパスポート・・点検・・点検・・点検・・乗船したのは20
時前・・。ベッド寝室はもったいないので・・船内のレストランで食事代にした。

床に寝ていたがどうも硬すぎて身体が痛い・・3っつのイスひじ掛けをあげてイスに寝
る。チュウニジアに来て二ヶ月半・・とうとう日本人(日本大使館員以外)会うことが
なかった









2015年5月8日金曜    」はれ   はれ
出発が3時間遅れたので到着も遅れるだろうと・・思っていたが・・他の人たちが下船
の準備をはじめている・・スタッフに聞くと「もうすぐ到着だ」歯みがきだけ終わらせ
て急いでオートバイの場所に降りて行く。


時間どうり7時の到着・・イタリア入国手続きは船内レセプションに係官が来て・・ス
タンプを押す。イタリア・シシリ島に8時前に下船。走りだして銀行でお金おろすのを
忘れていた。地元の人にATMを聞き出す・・市内まで戻って・・サンキュウ。

走りだした元のところに舞い戻り・・一軒目・・ダメ、二軒目もダメ・・「シティバン
カード」銀行の中に入って「どうして」ダメなのか・・言葉がわからないらしい。

仕方ない「クレジットカードで現金を手にする。銀行まで歩くのに観光客相手の馬車馬、
リキシャ・・呼び込みの若者がたむろしている・・チュニジアに比べて一目でわかる「ガ
ラの悪そうな顔つき」あまりにしつこいので「うれせー」。

きょうはメッシーナ(messina)イタリア本土へのフェリーが出ている港まで・・約250
キロ。山の中を走る・・トンネルが出てくる・・トンネルの連続・・ほとんど左に出て
る地中海。

12時15分についた。この港は15時の出港らしい・・ひんぱんに出ている・港は3
キロの場所と教えてくれる。その場所についた・・13時出港。船内のスタッフに到着
港の先まで走って・・泊りたいが。「6キロ走ったところにいい場所がある」ありがとう。

イタリア・本土・・つま先の港・ビラ・サンジョパニ港港についた。6キロ走ってホテ
ルに泊ってもしょうがない、すぐ近くにあった駅前ホテル・・きょうはここに泊ってあ
したに備えよう。

「朝めし」いらないから50ユーロを40ユーロ6500円にまけてもらって・・やっ
ぱりたけ―なー。マーケットで食料の買い出し・・8ユーロ1000円。

ゆうべからゆっくり寝てないのでメールは見ただけ・・返事は出来ないほど疲れた。あ
した朝6時に出るからとホテルに話して寝る。

あした雨が降らなければいいがな。

2015年5月9日土曜  くもり15℃    くもり・・はれ 20℃
5時に起きてジャスト8時に駅前ホテルを出発。イタリアのつま先(ビラ・サンジョパニ)
から・・かかとのアキレスケンあたりの港(ブリンデイィジ)まで450キロ走る。

狭い山のカーブ多いハイウェイ・・左にいつまでも出てくる青い海地中海、足の甲あた
りから山越えて今度は足の土ふまずに沿岸に渡る、今度は右手に地中海が出てきた。

前回走って覚えていた、頭が「足らんとTaranto」の標識が出てきた。ブリンディジの
港についた。13時20分。

かすかに覚えているフェリー乗り場に行くが前回チケットを買った売り場はない・・
地元の人に聞くがわらない。

パトカーが来た「ソーリ」ギリシャに行く「フェリー乗り場を教えてほしい」・・両手
の甲を動かして、パトーカーの「うしろについてこい」ありがたい・・途中で止まった


・・二人降りてきたちょっとまて「あと一台のパトカー」がすぐに来た・・あのパトカ
ーについて行け・・どうしてかわからないが替わったパトカーについて行く。

2,3分でフェリー乗り場についた。ありがとうございました。わかりにくい場所にフ
ェリー乗り場はあった。前回と違ってチケット売り場もすぐ近くにあって便利になって
いる。

ギリシャ・イゴウメニツァ(Igoumenitsa)までのチケット。今日の20時出港(4時
到着)を買って朝からなにも喰ってないのでマーケットに買い物に・・市内に戻って行
く途中また別のパトカーに「マーケット」を聞く・・

マーケット前まで引っ張ってもらった・・すみませんでした、ありがとうございました。
フェリー乗り場の近くのロータリー芝生で食事今14時だ・・フェリー集合時刻18時
までまだまだ時間がある。

靴を脱いでゆっくりできる。再びフェリー売り場に戻って横になる。18時になってフ
ェリー乗り場に行くとすでに乗り込んでいるトラック、マイカーなど・・出国手続きは
「無し」だ・・これは楽でいい。

このフェリーも寝室はない・・イスを使って寝ることになる・・イスはどこも空いてい
る。四つ並んイスに横になって休む。

常連の人たちだろう・・は布団を持ち込んでフロアーで休む人たちもいる。この港から
は毎日運航していて土曜は二回運航している。

ギリシャ行きは何日か待つのかと思ってきたが・・前回と違って毎日運航しているので
助かった。







2015年5月10日日曜   はれ5℃   はれ15℃
時刻通り4時に到着・・駐車場でナビを入れる・・こんなにスムーズに走れるとは思っ
ていなかったので「ナビ」入れるのも間に合わない早さでギリシャについた。

入国手続きもなし・・そのまま・・高速道路に出て走ることができた。お月さんが出
ている。

夜走るのは久しぶりで怖さを感じる・・そろそろと走り始める。ようやく明るくなっ
て100キロ~120キロで速度を上げる。

イタリアと違って道幅が広いので走りやすい。日曜だからなのか・・車は走ってない
のかと思うほど少ない・・。

それにしても寒い・寒いジャンバーは着こんでいるのだがそれでもまだ寒い・・雨が
っぱを着こんで走る。

どうにか寒さをふさげる。100キロ走ってもガソリンスタンドが出てこない・・こ
んな山の中にあるのかな・・不安になってきた。

マイカーを止めて「スタンドの場所を聞く」「10キロ先にある」ありがとう・・助
かった。しかし10キロ走ってもない・・料金所に来た。ガソリンスタンドは「30
キロ先」に・・。

反対側にはあるがこっちの道路にはない「じゃないか」スタンドの標識が出てきた・・
いったん高速から下りて給油する仕組みになっているようだ。

2000キロ走って、ぎりぎりでリもうすぐザーブを使うところだった。リザーブ入
れて総体では270キロ~最高で300キロぐらでガス欠になる。

これはオーストラリアで予備タンクを積んで2度テストしたことがある。最近はテス
トする時間もないでどのくらい走れるのか、実際はつかめていない。これまで世界を
走ってきてガス欠になったことは一度もない。

朝の内パラパラと雨が来たがそのあとは晴れて気持ちがいい・・道は広いし・・車
はまったく少ない。

三度目の早めに給油・・すべてのスタンドはいったん高速から下りて給油する。ナ
ビに正式に入れて変えて出発・・料金所で「バック・バック」と叫んでいる・・

なんとスタンドにリックを忘れて来たのだ・・あーしまったぁ。「7キロ先でUター
ンして戻れ」と料金所の女性・・ここまで22キロ走っている。+7キロ・・29
キロ地点がスタンドだ。

スタンドについたスタンドから料金所に電話を入れてもらったようだった、気付か
ずに走っていたら大変なことになった。ありがとうございました。

22キロでよかった。今日も朝からコーラだけで走ってきた・・食事休憩12時・
・昼寝。

これまで450キロ走ってきた・・。120キロイーブンで走ってきた・・いつの
間にか自然に100キロに落ちてきた。

これは疲れている証拠だ・・120キロにいったん戻してもいつの間にか100キ
ロに落ちてくる・・自分も限界を感じる・・もう走りたくない・・気持ちが強い。
・・・
4回目のガソリンスタンドに寄った・・田舎の静かんところだ・・この近くに宿な
んかないかな。

スタンドのおやじさんに「ホテルありませんかね」10キロ先アレキサンドリア
にある。

3軒も4軒もあると・・田舎の町だと思っていたらちょっとした街に入った、や
たらにガススタンドが多い町、地元の人に「ホテル」は・・オレのあとについて
こい・・すぐについた。

○○ホテル・・疲れた高くてもいいこのホテルに泊ろう30ユーロを25ユーロ
に負けてもらった。

こぎれいなホテル、エレベーターがついていてよかったぁー荷物をあげるのが辛
いんだ・・・洗たくをすませて・・出前のスパゲティを注文・・ビールの買い置
きを飲む。

シャワーを浴びて・・早めに寝る。あしたの移動はしたくない・・あと一泊しよ
う。今日は600キロぐらい走ってきたろう(あとで調べてみたら678キロ)。























2015年5月11日月曜    はれ    はれ
朝方寒い寒い・・毛布を押し入れから出してかけた・・シュラフを使っているが
それでも寒さを感じた。

せっかく暖かくなってきたと思っていたのに、ギリシャ、トルコ地方のこれが普
通の気候なのかな。朝がた、地中海・・沿岸まで散歩2,3分の距離・・スーパー
を確かめてホテルに戻る。ネットに写真の取り込み、メモから日記書き込み4日分。

2015年5月12日火曜   はれ15℃   はれ20℃
きのうの朝と違って寒さは感じなかった・・6時半に起きて出発準備・・トルコ・
イスタンブルに向けて8時にホテルを出発・・

いきなり道に迷う・・細い田舎道に入りこんでしまった。高速道路に入った・・
どうも違う感じだ。地中海が右に見えなくてはならないのに左に・・反対車線に入
っていいるようだ、19キロは行ってUターン本線に戻った。

トラックが止まっている・ずらーっと並んで停まっている・国境についたようだ。
ギリシャ側はパスポートを見せて出国スタンプでおしまい。

次はトルコ側へ・・橋を渡って、あぁーこの橋は見覚えがある・・国境の橋だ。
2001年2月通ったことがある。

その時はトラックの陰に隠れて国境のはしを撮った、そのころはユーロ圏が出来た
ばかり。

今回は国境警備隊はいても写真を簡単に撮らせてもらい・・なおかつ警備隊の人
に写真を撮ってもらうことができた。

なんとなく緊張感は解けていく感じだ。トルコ側で「グリーンカード」(ユーロ圏
の自動車保険)を持っていなかったので買わる・・38ユーロ4300円ぐらいか
な・・

トルコ入国手続きに1時間程かかった。朝から強い風が続いている中車の少ない
高速道を走る。工事中のため片側車線がひんぱんにでてくる。

途中から道路も走りやすくなった。これまでガラガラだった高速・・イスタンブ
ル・市内に入ったとたん大渋滞・・今1時。

魚センターで昼めしを予定していた・・海岸を走っても、走っても前回来た魚セ
ンターが出てこない。

タクシーの運転手さんに聞くと・・ありそうな説明だったがとうとう海岸には
なくて、アヤ寺院が見えるイスタンブル・中心まで来た。

橋のたもとにオートバイを止めて橋の下にあった鮮魚センターで遅い昼飯。観光
客が結構きている・・にぎやかな雰囲気。

地元の人が安いホテルが集まっている・・タクシンとか言ってた地区を教えても
らった。30ユーロ値切って20ユーロ・2600円のホテルに泊まることにし
た。

第8次・71才・オートバイひとり旅・・アフリカ・チュニジアからイタリア~ギリシャ~トルコへ一気走り

2015年05月13日 | 119カ国・35万km・国境181カ所走


チュニジアのみなさんお世話になりました
2015年5月6日水曜   はれ     はれ
朝の軽い体操をすませて・・出発準備を終えているのでのんびりと一日過ごす。あした
ホテル代支払いのため銀行でおろす。

2月23日入国・・着いたときはどうしてこんなに寒いのだろうかと・・震えていた・
・今は暑い日が続くようになってきた。それから2か月半・・チュニジアにお世話にな
った。

エジプトとは違う、モロッコとも違う・他のアフリカの国とも違う・・ヨーロッパに近
い感じなのかな・・もちろんヨーロッパの人たちよりひと当たりが良くて人間的な感じ
がする。

もっと素朴さを感じたのは隣のアルジェリアの人たち・・親しみのあるなんとも言えな
い日本的以上、田舎のとなりのおばさんみたいな人たちだったなー子供たちや赤ちゃん
連れの家族旅行の多かったのもアルジェリアの人たちだった。

アルジェリアに行きたかったがビザがとれなくて残念。一カ月泊った最初のホテルに療
養に来ていた車イスや松葉杖で過ごしていたリビアの人たちも非常に親しみを感じてい
た。

いま振りかえってみると内戦の影響なのだろう・・チュウニジア、アルジェリアの人た
ちに比べると陰の部分を感じざるを得ないかな・・わたしの独断的感想。

2015年5月7日木曜  はれ20℃   はれ30℃
早めのフェリー乗り場にいっておこう・・。ホテルを12時半に出発・・お世話になり
ました。ホテルのスタッフが見送りに出てくれた。

あれれ・・ナビの案内はチュニス市内手前から右に入っていく・・近道だろか・・安い
だろうから最後の給油しておこう。

スタンドのみなさんと写真におさまる。フェリー乗り場じゃなくてコンテナの倉庫群に
迷い込んで・・ナビも迷っている。

コンテナ従業員の人に目の前を走っている道に出て・・「フェリー乗り場に行きたい」
「ぐるーっと回って」行け・・一人が「そこの」・・地元の人たちが細い抜け道を作っ
ている道に入って行け・・ありがとう。

転倒しないようにオートバイの後ろについてきてもらってハイウェイの道に出ることが
できた。2時前に着くだろうと思ってきたがとっくに2時を過ぎている。あせってっ来。
東京の広い「晴海ふ頭」みたいな場所である。

ロータリーで止まってふたたび「イタリア・フェリー乗り場」は・・真っすぐ行ったとこ
ろだ。それらしき場所についた・・「こっち・こっち」手招きしている・・「イタリア・
シシリトウ」ここでいいのか・・「OK」ここだ。

例の国境にもいる「指南役」の人らしい。指示に従って中フェリー乗り場に入って待ち
合わせ駐車場に止める。

指南役が「こっちへ」・・「チケット」はある・・「違う」控えを見せると・・この控
えを見せて「チケットを発行してもらえ」ついて行くと「チェックイン」窓口。

あれー・・前回下見をしに来た時入ったオフィスだ。ボディチェックを受け「チェック
イン」窓口へ。

チケット販売所で発行してもらったコピー控えを出して・・本物の「フェリーチケット
」はここで発行しているのだった。チケット販売所の女性が話した言葉がここに来て初
めわかった。

指南役に10デナ650円を渡した・ありがとうございました。15時を過ぎた・・出
発は17時。出発を待つ・・出発の17時を過ぎた・・19時なってようやく門が開いた。

出国手続き・・1時間かかって終了と思いきや・今度は荷物の点検、積み込んだ荷物を開
けて・・再び積み返す、わたしにとってはなんとも時間がかかる面倒この上なしの作業だ。

すべて終わった・・あともパスポート・・点検・・点検・・点検・・乗船したのは20時
前・・。ベッド寝室はもったいないので・・船内のレストランで食事代にした。

床に寝ていたがどうも硬すぎて身体が痛い・・3っつのイスひじ掛けをあげてイスに寝る。
チュウニジアに来て二ヶ月半・・とうとう日本人(日本大使館員以外)会うことがなかっ
た。

2015年5月8日金曜    」はれ   はれ
出発が3時間遅れたので到着も遅れるだろうと・・思っていたが・・他の人たちが下船の
準備をはじめている・・スタッフに聞くと「もうすぐ到着だ」歯みがきだけ終わらせて急
いでオートバイの場所に降りて行く。

時間どうり7時の到着・・イタリア入国手続きは船内レセプションに係官が来て・・スタ
ンプを押す。イタリア・シシリ島に8時前に下船。

走りだして銀行でお金おろすのを忘れていた。地元の人にATMを聞き出す・・市内まで戻って・・サンキュウ。

走りだした元のところに舞い戻り・・一軒目・・ダメ、二軒目もダメ・・「シティバンカード」銀行の中に入って「どうして」ダメなのか・・言葉がわからないらしい。仕方ない「クレジットカードで現金を手にする。銀行まで歩くのに観光客相手の馬車馬、リキシャ・・呼び込みの若者がたむろしている・・チュニジアに比べて一目でわかる「ガラの悪そうな顔つき」あまりにしつこいので「うれせー」。

きょうはメッシーナ(messina)イタリア本土へのフェリーが出ている港まで・・約250キロ。山の中を走る・・トンネルが出てくる・・トンネルの連続・・ほとんど左に出てくる地中海。12時15分についた。この港は15時の出港らしい・・ひんぱんに出ている・港は3キロの場所と教えてくれる。その場所についた・・13時出港。船内のスタッフに到着港の先まで走って・・泊りたいが。「6キロ走ったところにいい場所がある」ありがとう。

イタリア・本土・・つま先の港・ビラ・サンジョパニ港港についた。6キロ走ってホテルに泊ってもしょうがない、すぐ近くにあった駅前ホテル・・きょうはここに泊ってあしたに備えよう。「朝めし」いらないから50ユーロを40ユーロ6500円にまけてもらって・・やっぱりたけ―なー。マーケットで食料の買い出し・・8ユーロ1000円。ゆうべからゆっくり寝てないのでメールは見ただけ・・返事は出来ないほど疲れた。あした朝6時に出るからとホテルに話して寝る。

あした雨が降らなければいいがな。

2015年5月9日土曜  くもり15℃    くもり・・はれ 20℃
5時に起きてジャスト8時に駅前ホテルを出発。イタリアのつま先(ビラ・サンジョパニ)から・・かかとのアキレスケンあたりの港(ブリンデイィジ)まで450キロ走る。狭い山のカーブ多いハイウェイ・・左にいつまでも出てくる青い海地中海、足の甲あたりから山越えて今度は足の土ふまずに沿岸に渡る、今度は右手に地中海が出てきた。前回走って覚えていた、頭が「足らんとTaranto」の標識が出てきた。

ブリンディジの港についた。13時20分。かすかに覚えているフェリー乗り場に行くが前回チケットを買った売り場はない・・地元の人に聞くがわらない。パトカーが来た「ソーリ」ギリシャに行く「フェリー乗り場を教えてほしい」・・両手の甲を動かして、パトーカーの「うしろについてこい」ありがたい・・途中で止まった・・二人降りてきたちょっとまて「あと一台のパトカー」がすぐに来た・・あのパトカーについて行け・・どうしてかわからないが替わったパトカーについて行く。

2,3分でフェリー乗り場についた。ありがとうございました。わかりにくい場所にフェリー乗り場はあった。前回と違ってチケット売り場もすぐ近くにあって便利になっている。ギリシャ・イゴウメニツァ(Igoumenitsa)までのチケット。今日の20時出港(4時到着)を買って朝からなにも喰ってないのでマーケットに買い物に・・市内に戻って行く途中また別のパトカーに「マーケット」を聞く・・マーケット前まで引っ張ってもらった・・すみませんでした、ありがとうございました。

フェリー乗り場の近くのロータリー芝生で食事今14時だ・・フェリー集合時刻18時までまだまだ時間がある。靴を脱いでゆっくりできる。再びフェリー売り場に戻って横になる。18時になってフェリー乗り場に行くとすでに乗り込んでいるトラック、マイカーなど・・出国手続きは「無し」だ・・これは楽でいい。このフェリーも寝室はない・・イスを使って寝ることになる・・イスはどこも空いている。四つ並んイスに横になって休む。

常連の人たちは布団を持ち込んでフロアーで休む人たちもいる。この港からは毎日運航していて土曜は二回運航している。ギリシャ行きは何日か待つのかと思ってきたが・・前回と違って毎日運航しているので助かった。

2015年5月10日日曜   はれ5℃   はれ15℃
時刻通り4時に到着・・駐車場でナビを入れる・・こんなにスムーズに走れるとは思っていなかったので「ナビ」入れるのも間に合わない早さでギリシャについた。入国手続きもなし・・そのまま・・高速道路に出て走ることができた。お月さんが出ている。夜走るのは久しぶり・・そろそろと走り始める。ようやく明るくなって100キロ~120キロで速度を上げる。イタリアと違って道幅が広いので走りやすい。日曜だからなのか・・車は走ってないのかと思うほど少ない・・。

それにしても寒い・寒いジャンバーは着こんでいるのだがそれでもまだ寒い・・雨がっぱを着こんで走る。どうにか寒さをふさげる。100キロ走ってもガソリンスタンドが出てこない・・こんな山の中にあるのかな・・不安になってきた。マイカーを止めて「スタンドの場所を聞く」「10キロ先にある」ありがとう・・助かった。しかし10キロ走ってもない・・料金所に来た。ガソリンスタンドは「30キロ先」に・・。反対側にはあるがこっちの道路にはない「じゃないか」

スタンドの標識が出てきた・・いったん高速から下りて給油する仕組みになっているようだ。2000キロ走って、ぎりぎりでリもうすぐザーブを使うところだった。リザーブ入れて総体では270キロ~最高で300キロぐらでガス欠になる。これはオーストラリアで予備タンクを積んで2度テストしたことがある。最近はテストする時間もないでどのくらい走れるのか、実際はつかめていない。これまで世界を走ってきてガス欠になったことは一度もない。

朝の内パラパラと雨が来たがそのあとは晴れて気持ちがいい・・道は広いし・・車はまったく少ない。三度目の早めに給油・・すべてのスタンドはいったん高速から下りて給油する。ナビに正式に入れて変えて出発・・料金所「バック・バック」なんとスタンドにリックを忘れて来たのだ・・あーしまったぁ。「7キロ先でUターンして戻れ」と料金所の女性・・ここまで22キロ走っている。+7キロ・・29キロ地点がスタンドだ。

スタンドについたスタンドから料金所に電話を入れてもらったようだ、気付かずに走っていたら大変なことになった。22キロでよかった。今日も朝からコーラだけで走ってきた・・食事休憩12時・・昼寝。これまで450キロ走ってきた・・。120キロイーブンで走ってきた・・いつの間にか自然に100キロに落ちてきた。これは疲れている証拠だ・・120キロにいったん戻してもいつの間にか100キロに落ちてくる・・自分も限界を感じるもう走りたくない。

4回目のガソリンスタンドに寄った・・田舎の静かんところだ・・この近くに宿なんかないかな。
スタンドのおやじさんに「ホテルありませんかね」10キロ先アレキサンドリアにある。3軒も4軒もあると・・田舎の町だと思っていたらちょっとした街に入った、やたらにガススタンドが多い町、地元の人に「ホテル」は・・オレのあとについてこい・・すぐについた。○○ホテル・・疲れた高くてもいいこのホテルに泊ろう30ユーロを25ユーロに負けてもらった。

こぎれいなホテル、エレベーターがついていてよかったぁー荷物をあげるのが辛いんだ・・・洗たくをすませて・・出前のスパゲティを注文・・ビールの買い置きを飲む。シャワーを浴びて・・早めに寝る。あしたの移動はしたくない・・あと一泊しよう。今日は600キロぐらい走ってきたろう(あとで調べてら678キロ)。

2015年5月11日月曜    はれ    はれ
朝方寒い寒い・・毛布を押し入れから出してかけた・・シュラフを使っているがそれでも寒さを感じた。せっかく暖かくなってきたと思っていたのに、ギリシャ、トルコ地方のこれが普通の気候なのかな。朝がた、地中海・・沿岸まで散歩2,3分の距離・・スーパーを確かめてホテルに戻る。ネットに写真の取り込み、メモから日記書き込み4日分。

2015年5月12日火曜   はれ15℃   はれ20℃
きのうの朝と違って寒さは感じなかった・・6時半に起きて出発準備・・トルコ・イスタンブルに向けて8時にホテルを出発・・いきなり道に迷う・・細い田舎道に入りこんでしまった。高速道路に入った・・どうも違う感じだ。地中海が右に見えなくてはならないのに左に・・反対車線に入って走っているようだ。10キロ走って本来高速に乗ることができた。トラックが並んでいる・・国境についた。ギリシャ側はパスポートを見せて出国スタンプでおしまい。

次はトルコ側へ・・橋を渡って、あぁーこの橋は見覚えがある・・国境の橋だ。2001年2月通ったことがある。その時はトラックの陰に隠れて国境のはしを撮った、そのころはユーロ圏が出来たばかり。今回は国境警備隊はいても写真を簡単に撮らせてもらい・・なおかつ警備隊の人に写真を撮ってもらうことができた。なんとなく緊張感は解けていく感じだ。トルコ側で「グリーンカード」(ユーロ圏の自動車保険)を持っていなかったので38ユーロ4300円ぐらいかな・・

買わされてトルコ入国手続きに1時間程かかった。朝から強い風が続いている中車の少ない高速道を走る。工事中のため片側車線がひんぱんにでてくる。途中から道路も走りやすくなった。これまでガラガラだった高速・・イスタンブル・市内に入ったとたん大渋滞・・今1時。魚センターで昼めしを予定していた・・海岸を走っても、走っても前回来た魚センターが出てこない。

タクシーの運転手さんに聞くと・・ありそうな説明だったがとうとう海岸にはなくて、アヤ寺院が見えるイスタンブル・中心まで来た。橋のたもとにオートバイを止めて橋の下にあった鮮魚センターで遅い昼飯。観光客が結構きている・・にぎやかな雰囲気。地元の人が安いホテルがる・・タクシンとか言ってた地区を教えてもらった。30ユーロ値切って20ユーロ・2600円のホテルに泊まることにした。