松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

エチオピアは雨あめ、寒かったー

2007年09月22日 | エチオピア

        首都アジスアベベ市内 エチオピア


         アジスアベベ市内 エチオピア


2007年9月15日土曜 
朝から雨。同じホテルに泊まっている日本人三重出身Nさんが
ホットシャワーを借りに部屋に来た。どこかのホテルで食われ
た南京虫の痕が赤ぐろくなっていてかゆい、かゆいとなげい
ていた。

2007年9月16日日曜17日
アジスアベベから南の方300kmアワサ湖に移動する。づーっと
雨続きで毛布がだんだん重くなってくるようで憂鬱だった。朝
4時半起き雨の中バスターミナルへ。一番バスは6時出発。暗い
うちからターミナルはごったがえすにぎわい。

バス代300km=31S=片道450円と安い。だんだん晴れてきた、
アワサ湖に12時到着。Nさんと三日間ここで過ごすことにした。
一泊20S=300円Nさんは別のホテル30S=450円。朝から太陽
が出て晴れたホテルのベット、毛布は軽くて気持ちいい、やっ
ぱり晴れてないと気持ちも優れない。来てよかった。

ホテルの裏方、帳場で毎日朝のコーヒーから昼飯、晩飯と小さ
なイスをテーブル代わりに帳場の仕事をながめながら裏方さ
ん5,6人としゃべりビールをご馳走したりして楽しんだ。表のレ
ストランやバーで働く人がひっきりなしに食事の注文を持って
くる。ただ夜半1時過ぎまで大音響のもとで寝ることになった。

最初洗っていたのは麦かなんかだろうと思っていたのは、コー
ヒー豆だった。洗い終わったあと干して二日目に平たい釜で炒
り豆引き機で挽いて店に出していた。ふだんうまいと感じない
コーヒーの味はうまかったー。ビールの中でもドイツビールのう
まさのごとくである。コーヒー2S=35円 小ビンビール5S=75
円。何とかランチ10=150円

          コーヒー豆を干す


          コーヒー豆を平たい釜で炒る


コーヒー挽き機で挽く、左の赤いのはトウガラシ、あとで石でこすってつぶしていた。


 こんなにコーヒーがうまいとは知らなかった。一日中調理場にたむろして過ごす
 この奥はかまど三つ1mぐらいの高さでまきをくべていた


2007年9月19日水曜
ゆううつなアジスアベベに戻る。着いたとたんに大雨になった。
Nさんはそのままケニアに向うと話していた。

2007年9月20日木曜雨くもり
あした21日ケニアに戻る飛行機の確認に朝一番エチオピア航
空に行く。エー「午後発15時15分」は「午前発9時45分」に変更
になっているのだ。アー確認に来てよかったー。横着してその
まま空港に行くと「飛んだあとに」なってしまう所だった。

「カラスは黒い」のが常識と思っていたら「灰色」や「首が周り
が真っ白」のカラスもいるように飛行機の変更はここらあたり
では普通なのかも知れません。自分の常識だけが世界の常識
とはならないことをあらためて思い知らされました。

2007年9月21日木曜 エチオピアくもり ケニアはれ
うつらうつらしている間に朝になった。6時すぎにエチオピア
空港へタクシーで向う。約30分で到着。途中の道路では未来
のオリンピックを目指しての早朝練習は集団、あるいは個人で
走り抜けていました。

1時間遅れでケニアに飛んだ。待ってる間レバノン出身、ルワ
ンダ在住の男性と話をした。ルワンダの隣ブルンジからザン
ビアへタンザニカ湖を「船で行きたい」と思っている「船は
運航」してだろうかと聴いた。あー「大丈夫」の返事。ルワン
ダにきたら電話せよと電話番号を教えてくれる。

マラソン はだしのアベベ選手のお墓参り

2007年09月22日 | エチオピア

オリンピックではだしのアベベ選手に驚き、衝撃的な感動を受けたアベベ選手に感謝をこめて
ご冥福をお祈りしました。何者かによって倒されていましたが近いうちに修復されるとのこと、
よかったです。


2007年9月13日木曜 朝曇り 雨 夕方曇り 夜雨
薬を飲んで寝たせいかぐっすりと眠れた。起きたら
10時を過ぎていた。朝から雨だ雷もなっている。洗濯し
て干していると晴れ間も見えてきた。がすぐに大雨に
変わった。ホテルの人は雨だろうがなんら関係ないよ
うにシーツを洗濯して干し続けている。いつ乾くのだ
ろうかなー。

風もだいぶ良くなったようなので4日ぶりにシャワーを
浴びろう。ホットシャワーの部屋90ブル=1200円に部
屋換えする。あったかいシャワーは気持ちがいい。夕べ
ここで喰ったひつじはどうも俺には合わないようだ。
自分で「うまい」と思う「食い物」でないと体力が落ちて
しまうように感じる。


レストランのことをスタッフに聞いていると二階の窓から
近くにうまいレストランがあるとイギリス人が教えてくれ
る。同じ2階の別の窓から「ちょっと待って」と下りてきて
少し離れた場所にステーキのうまい店があると地図を
見ながらイタリア人は教えてくれる。

夜は近くのレストランに行きビーフステーキを注文。おそ
らく固いだろうなー期待してなかったが量といい、味は
「うまい」範囲に上、中、下があるとすれば中に当てはま
る味だった。値段は15ブル=200円ぐらい。

パン2個と小さいジャガイモ2個が残った。ここに歩いて
来るとき道路石垣の脇にビニールシートだけで過ごして
いるルンペン2,3人を思い出したので店の人にビニール
袋をもらい帰りに彼らに渡した。

10時近くホテルに戻るが、ホテルのバー、レストランはま
だまだこれからといった感じの賑わいを見せている。

オリンピックマラソン アベベ選手の墓参り

エチオピアの英雄 マラソンのアベベ選手のお墓はアジスアベベから30分ぐらい車で走った
所にありました。花束をささげてきました。


2007年9月14日金曜 雨 曇り 雨 曇り
エチオピア首都アジスアベベ 肌寒い三日目の朝を迎え
る。朝からどんよりの空模様の中から太陽がのぞいてい
る。湿気が多いせいかのどの具合は軽くなった。夜中に
口がからからになり2度、3度水を飲んでいたがそれもな
くなった。

朝から晩まで同じ服装で寝起きしているほど肌寒い。雨が
上がった午後ホテルスタッフが車に誘う、どこに行くのか
知らないが乗る。スタッフの友人も一緒だ。アベベ市内を
あっちこっちと説明しながら走り、最後小さなレストランで
ビールをご馳走にな(りそこなった)

3人でビールを飲みながらオリンピック2連覇アベベ選手
の話になる。出来れば行ってみたいと漠然と思っていた。
「アベベ選手の実家を知っているか」と二人に切り出して
みた。「知っている30分ぐらいでいける」じゃ「明日連れて
行ってくれ」

二人は今日しか時間がない「今から行こう」となった。今5
時前だ。ホテルにカメラを取りに戻り車を走らせる。「アベベ
はイスラム」か、いや「キリストだ」。途中花屋で花束を買う。
黄色いバラの花。なるほど30分ほどで実家ではなくてお墓
に着いた。

門構えの霊園に入り真ん中にアベベ選手のお墓が立ってい
た。ゼッケンナンバー⑪のランニングを着けて走っているモ
ニューメント像。東京オリンピックの時のナンバーなのだろう
か。残念なからその像は何者かによって倒され横倒しになっ
ている。

43年前(昭和39年1964年)東京オリンピック、マラソンランナ
ーは、はだしでトップを走っている。その姿を見た時の驚きと
興奮をいまでも忘れない。ゴールした後も余裕しゃくしゃくの
アベベ選手に度肝を抜かれる思いだった。晩年は車椅子で過
ごしていることは知っていた。感動を与えてくれたアベベ選手
のお墓に花束をささげ、ご冥福をお祈りする。

最初写真撮影はダメだと言っていた見張り番は撮影を許可し
てくれる。ホテルスタッフが交渉してくれたのだろうか。10ブ
ル150円払った。モニューメントを倒した男はすぐに捕まった、
モニューメントを近いうちに元どうりに直すことも決まってい
るようだ。

ちょっとした話のきっかけでとんとん拍子に話が進み、漠然と
思っていたことが今日あっけなく実現出来て何か不思議な感
じのする一日だった。思っていることは話してみるもんだなー
としみじみ思う。

エチオピアに入りました

2007年09月22日 | エチオピア
 
        首都アジスアベベ市内 雨ばかりで寒かった。

9月12日エチオピアに入りました。

2007年9月12日水曜 朝ケニアはれ 午後エチオピア雨
泊まっているナイロビ「ニューケニアロッジ」をタクシーで
朝8時20分に出発。8時にとホテルスタッフの知人に頼んだ
タクシーは来なかったので別のタクシーを呼んでもらう。

朝のラッシュを考えて早めに頼んでいたのだ。走行中私に
運転手がポリスに聞かれたら「フレンド」と答えるようにと検
問のポリスを前に話しかける。ハハーンこの車は日本でゆう
白タクなんだー。「OK OK」と応える。ポリスの検問もなくナイ
ロビ空港に9時前に着いた。

飛行機の出発は12時15分。搭乗手続きカウンターもまだあい
てない一番乗りである。10時前に始まった搭乗手続きカウン
ターの前にカーゴに荷物を載せて一番前に並んでいたのに
平気で3人が搭乗手続きをすませている。これも国柄で順番
待ちが出来ずわれ先にとの考えなのだろう。

日本でもバス、電車、列車など着いたとたん入り口にドッと流
れ込んでいた時代は昭和40年代(1970)前半まで続いていた
ように思う。飛行機の席はいつも一番後ろの窓際を取るため
にいつも3時間前に空港に着くようにしている。飛行機から景
色を見るのが楽しみだから。

いつか翼の上の席で何にも見えないで悔しい思いをした。そ
れ以降は間違いなく景色を見れる一番後ろに決めている。
座席を取るとき飛行機を描き一番後ろの窓印を見せながら
行く先によって左側を取ったり右側を取ったりしている。きょう
も一番うしろ左窓際A席を取った。

ビールが有料(ユナイテッド)やアルコールのない機内食が出始
めた中でエチオピア航空はビールが出た。搭乗するときスチュー
ワデスさんに「ビールOK」と聞くと「OK」の返事。「マイ2」と伝える。
水平飛行になって機内食が来た、ビールを2本忘れずに置いてい
ってくれる。うれしかったー。

赤道を越えて北半球へ二時間、エチオピア、アジスアベベ空港に
14時17分2分送れのほぼ定時刻に着いた。エチオピアの上空は曇
りで楽しみの景色は見られなかった。空港は雨模様。入国手続き
も問題なし。ここでも後ろから割り込んでくる者あり「順番順番」
と日本語でさとす。

アジスアベベ、セントラル市内までタクシー。空港内で両替屋、係官
など2,3人に市内までのタクシー料金を聞く。100、40、50、とまち
まちだったが大体の相場はわかった。タクシーの運転手が近寄って
きた。セントロまで60.私は「50」といいながら次のタクシーに向う
さっきの運転手は負けて「50」「OK」ときた。

パークホテルと告げるとOKの返事。30分ぐらいだろうかわき道の
ガタガタ道に入るエーッと思ったが確かに「perk hotel」の看板。
雰囲気はいいが入り口にはにぎやかなバーと右手にレストラン、と
りあえず宿泊手続きシングル共同水シャワー  45ブル=600円
        シングルホットシャワー付  90ブル=1200円
ぐらいか(まだエチオピア通貨がわかっていない)。風邪気味でシャ
ワーを教は使わないのでシングル45ブル=600円に決める。

荷物をレセプションに置いたまま他のホテルをあたってみる。正月だ
からだろうか、きらきらぴかぴかのネオンに大音響、日本の昔のキャバ
レーみたいだ、店内は正月らしく着飾った男女がいっぱいでビール
などを飲んでいる。部屋はその店内を通り奥の方にあったり、裏手に
まわったところにあったり、それにしてもこの大騒音じゃ慣れないと眠
れそうにもない。

4,5軒見て回る、どこもバーとホテルが併設されていて同じにぎや
かさである。正月だからなのか4軒はいっぱいで断られる。これに比
べると最初のパークホテルがまだ静かな方で落ち着きがある。もっ
といい雰囲気があるホテルがあったら替えようと思ったがこのパー
クホテルに泊まることにした。

荷物を部屋に運んで落ち着いた後、満杯のお客で大賑わいのバーに
はいる。ビール、隣のレストランにひつじの肉(しかない)を注文。ビー
ル小瓶5ブル=65円 ランチ15ブル=200円。こちらから話しかけな
いとあまり向こうから話しかけては来ない、にぎやかなのは嫌いじゃ
ないが風邪気味なのでビール2本と持ち込みのウィスキーを飲みな
がら8時過ぎに部屋に戻る。

きのう9月11日はエチオピア暦2000年1月1日にあたるらしい。きょうは
1月2日。63歳の私は56歳になった。正月のしきたりだろうか、ゴザを
作る井草を4,50cmに切り落とし、どこのホテルでも玄関から店内まで
巻き散らかしてある。さしずめ松飾りにあたるのだろうか。

ここアジスアベベは標高2400mもあるらしい。寒い寒い上着5枚下ジ
ャージーの上にジャージーの重ね着、風邪薬を飲んでベッドに入る。
今年もいい年でありますように祈ろう。
2000年新年を迎えた90カ国目のエチオピアでした。