松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

モザンビークに着きました

2007年07月29日 | モザンビーク
モザンビークにつきました。

2007年7月25日 水曜 晴れ 快晴 朝16℃ 昼30℃
スワジランド、ゲストハウス8時に出発。
一路モザンビークに向かって走る。途中の町や村の名前
を調べなかった。、右、左に行かないでとにかくまっすぐ
走ればいいと聴いていた。

    途中国立サファリ^パークをを走る

スワジランド新聞に載っているスワジの道路を見ながら、
ここらあたりがサファリーパークの真ん中あたりだろうか。
と思いながら走る。ライオンの標識が立っている原野の写
真を撮る、1,2回「マプトは」を聴きながらすんなり国境に着
いた。10時半。

             村で暮らす人たち

国境の手続きする前に個人の両替屋で南アフリカ「ランド」
をモザンビークに両替。モザンビーク通貨ははたしてなん
と呼ぶのだろうか、わからないまま受け取る。「ランド」の
通貨を逆算して大体の値段を頭で計算する。


スワジランドは2,3分で出国。モザンビーク入国も簡単に手
続き終了。どこの国境でもお助けマン、案内役がいて手続
きの場所、申請書の書き方など教えて最後にお金を要求
する。ここでもその手の男がついてきた。日本語で「自分
でやる」「オーノーサンキュウ」とことわる。入国11時10分

           モザンビークに入ったところ

国境で現地の人たちと話?しながら写真を撮る。(普通
国境の写真は禁止されている、写真を撮るときは撮ってい
いかどうか確かめないと没収されることもある)ここでは
物売りのおばさんたちを撮ったらだめと言われる。看板だけ
を取るからと許可してもらった。

気配りの細やかだったスワジランドに比べてモザンビークは
活気があると言うか、悪く言えば荒っぽい感じがするなー。
風のある原野を走りマプト市内についた。「マプート」と発音
するらしい。今度は宿を探さなければならない。これがやっ
かいだ。

モザンビークの晩飯450円チキン、ソーセージとメデソン(くすり)ビール

市内のにぎやかなバザール市場を写真に収め市内のセント
ラル、インフォメーションを目指す。オートバイが通りかかった
、手を上げて停まってもらい「ビッグホテル、ノウ」「スモール
スモール」と指を縮めてディスカウント「安いゲストハウス」ま
で引っ張ってくれとお願いする。

いつものように両手の甲を出して「右手はあなた」左は私」
あなたが前で私が後ろからついてゆくと両手を動かすと、
オートバイのお兄ちゃんは「OK]の返事。途中中ぐらいのホテ
ルがあったがここは高いと、次へと走る。

大通りに面した所のゲストハウスについた。ここでいいかと
オートバイのお兄ちゃん。OKOKサンキュウ、お礼を言った。
シングル350、いくらになるのだろう。国境で両替したとき
の計算で5000円?高いなー、レセプションの人はここはど
こよりも安いホテルだと言う。とりあえず3日分予約した。

(三日たった今、計算すると一泊1600円、ようやく通貨単位
はメデカスとわかった。10メデカス=45円)

           マプート市内に到着


ゲストハウス、テラス兼食堂にオートバイを入れると人だかり、
ここは2,3日たったら次に進もうと思った。なんだか雰囲気が
よくない感じを持った。入ったことはないが暗い牢屋のよう
な2メートルもない狭い部屋にベッドがひとつだけ。

裸電球の天井に扇風機がついているだけ。トイレ、シャワーは
共同、お湯のシャワーはちょろちょろ。トイレ臭いも、設備もスワ
ジランドとは強烈の大差だ。

それにオーナーはお金は部屋においてはダメ、レセプション
のおばさんに預けるようにきつく言われる。よけいに物騒な
所に来たとおじけついていまう。US$700ドルを預けようとした
が、逆に盗られてしまうかもと考え直して500ドルだけ預ける
ことにした。

地下にあるレストランで昼はスパゲテェ。夜はチキン、ライスつき
をくった。ビールロング缶30=135円
夜近くのネットカフェに行ったが文字化けでまったくダメだった
が、ローマ字でHPに打ち込んだがどうなったかなー。

85カ国目のモザンビークに着き最初の夜を迎えました。

2007年7月26日 木曜 晴れ、朝曇り 昼晴れ 快晴

           モザンビークで暮らす人たち

モザンビーク初日の朝。9時前タンザニア大使館、ジンバブエ大
使館、別のゲストハウスの宿、3箇所を歩いて探しに行く。

タンザニア大使館9時半、3ヶ月ビザ 写真2枚、受け取り中二日
で月曜の30日になる。 ビザ代 US50$=約6000円。

ジンバブエ大使館 ここ大使館ではビザの発行はしていない。
すべて空港か国境で発行しているとのこと。せっかくきたがしょ
うがない。

    靴屋さん?病院の前で売っていた、片方は箱の中だと思う

バックパーカーゲストハウスは静かで、こぎれいであった。
ここに宿を変えよう。ドミトリ 200M=900円。
         シングル400M=1800円。

宿に戻ったのは11時を過ぎていた。さっそくビザが取れたので
二泊でおしまいと申し訳なかったがうそついて残り一泊分「お
金返してもらえるか」OKの返事をもらえる。

タンザニア大使館にジンバブエのビザも取るのでとパスポート
を預けてこなかったので午後再びオートバイで届けた。そのあ
と市内をぐるっと回って帰ろうとしたが迷ってしまい、あっち、
こっちぐるぐる回りに回ってようやく宿に着いた。

いつもそうだがすぐに戻るつもりで出かけて戻るに戻れない
ことがままある。いつでもホテルの住所を持って出かけないと
「私の戻る所はどこでしょう」と泣くはめになる。


2007年7月27日金曜 晴れ 快晴 朝20℃つく
あさ8時過ぎ新しいゲストハウスに移るため出発。預けた500$
と一泊分350メデカスを受け取る。5分でつくゲストハウスにすん
なりにつかなくて、元に戻って再びアタック、ようやくついた。

ゲストハウスFATIMASファチマス、ローマ字読みでいいらしい。
部屋の掃除なのか、すぐには入れない。その間パソコンに写真を
取り込む。電源は持って来ているコンセントでOK.南アフリカ、スワ
ジランドは3本コンセント250ワットだった。ここはいくつだろうか。
2本コンセントになっている。同じ二本日本のコンセントとは違い丸
い差込コンセント。

昼飯のためスーパーへ歩いて5分。
ソフトだよ、と主婦の人に聞いて牛のステーキ100g=26メデカス
=225円を300g700円を買った。南アフリカ、スワジランドに比べる
と2倍近く高くなった。

ビーフステーキ100g=220円味はスワジランドよりおちる。
ビール500ml   =100円
トマト1個     =33円
たまねぎ     =忘れた 
キッコウマンしょうゆ=小さいボトル600円、買わなかった。
肉は高くなったがビールは安い。

ここは自炊が出来るのでマイペースで過ごせるのがいい、
たまねぎ半分切って、トマト切って肉を焼くだけ、米は食べ
ながら飲みながら忘れたりしながら
炊き上がるのを待つだけ。

蚊帳付の12人部屋のドミトリー荷物はベッドのそばに。蚊はいなかった。
どこでもこんな感じの部屋。オナラを飛ばせないのが苦痛 ここは一人900円

ヨーロッパの人たちは夏休みなのだろう。一ヶ月以上の長
期の休みを取ってバカンスを楽しむ習慣があるからうらや
ましい。親子家族で来ていたベルギー人4人は車、オートバ
イの販売会社で二人の従業員を雇っている、小さい会社と
自分で言っていた。

その主人は一ヶ月店を閉めて旅をしていると話してくれた。
日本じゃ、とても考えられないなー。それどころか日本では
自分のこと棚に上げて「勤め人はいいなー」と言い放ち、
他人をうらやむ暗く悪い習慣が続く。

泊まっている人はヨーロッパの人たちが多い、いやほとんど
がそうだ。特に多いのはホーランド(オランダ)ジャーマニー
(ドイツ)ここのゲストハウスでノルウェイとスペインの旅人と
逢ったからほとんどのヨーロッパの人と逢ったことになる。
ゲストハウスには20人以上の人たちが泊まっている。

旅人たちと話しながら晩飯を食う。夜8時過ぎて歩いて10分
のネットカフェに行く、昼間日本語で読めて打てると聞いて
いた、しかし日本語では打つことが出来なかった。読むだけに
してあすゆっくり返事を書くことにする。1時間25メデカス
115円?と安いな。宿に戻ったのは10時過ぎていた。

山に囲まれたスワジランドは穏やかでほとんど風はなかったが
モザンビーク、マプートは強い風が時おり吹く。しばらくすると
パソコンの上も少しざらつく。

あした30日朝タンザニアのビザを受け取りそのまま海岸沿いを
北に走ります。時間があれば地名を書きますが、、。

あした25日モザンビークに向かいます

2007年07月24日 | スワジランド
2007年7月22日 日曜 はれ 快晴 4時ごろ25℃


いつものように8時ごろ起きて、いつも晴れわたった青空、いつものようにコーヒ
(ただ)を飲みながら日記を書く。写真の取り込みや、ネットに打ち込む下書きを済
ませる。

ドミトリー(相部屋)8人ベッドに荷物はベッドのそばにお互いが置いて歩けないほど
の時もある。貴重品も置きっぱなしである。最初慣れないと物騒な感じもするが慣
れてくると平気になってくる。どこの国でも同じようなもので今まで盗まれたのは
アメリカ、フロリダ、キーウェスト、ユースホステルでデジタルカメラだけを盗まれた
ことがある。それ以外はない。ドミトリーでも意外と安全ではないだろうかなーと
思う。ただテント泊のときのようにオナラの快音を飛ばせないのが苦しい。

午後ネット屋に行く。あー「くるくるパー」ときた。一番最初にジャパン、マウンテング
「くるくるパー」と自己紹介した。一回で覚えた彼女である。大学生でアルバイトして
る。行くたびに「くるくるパー」と意味はわかってないと思うが笑いながら呼ぶ。
その彼女たちを写真に撮っていたら、きのういっしょに走ったオイル、エージェント、
チュースさん家族が来ていた。


プレゼントがあると奥さんがデザインしたTシャツをもらった。そのTシャツに皆のサ
インもしてもらった。パソコンを2時間した後、家族のテーブルに呼ばれる。知人友人
だろうか、10人ぐらい集まっていた。自己紹介したあと、年配の女性が「あなたはい
くつ?}ときた。「エイテーン18」とこたえて、しらばっくれる。一瞬考えて「オーノウ
ノウ」と冗談とわかり、大笑いされた。63歳と応えなおしたら納得したような顔で笑
っている。


夜も、宿のオーナー、ショーンさん、チュースさんの家族7,8人でレストランでご馳走に
なった。12時過ぎまで飲んだのは何年ぶりーだろうか。


2007年7月23日 晴れ 快晴 2時ごろ27℃
宿のオーナー、シェーンさんが前回は西側を走ったので今日は首都mbabaneの西側
のツーリングに行こうとゲストハウスにやってきた。何時から!いまから支度してと。
オイル、エージェント、チュースさんの自宅には前回も走ったサンさん(水槽製造)も来
ていた。チュースさんの屋敷は野球場を作れる広さである、プールもある。

チュースさんの奥さん、娘さんも後ろに乗り6人で出発。アーストラリア、エアーズロック
に次いで二番目に大きい一枚岩といわれる側を通る。赤土の久しぶりのダートは怖い
が慎重に走る。ダムサイトに到着。今日はスワジランドの休日とかで家族連れや若い
グループも来ていた。

レストランで食事しながらチュースさんの奥さんは同じキャノンのカメラだ。奥さんから
Pマークで部屋のときiso100か200,屋外で撮る時は1600で撮るといいと教わった。

今まですべてオートで撮っていたので、うれしくなった。奥さんはグラフィックデザイ
ナーで、今日のツーリングをオートバイ雑誌に載せるため同行してくれている。

スワジランドの人たちは腕時計をしてないんだよ、全員が腕をまくり「ほらーっ」と見
せ合う。時間にしばられないことを言いたかったのだろうか。ダムの周辺を登ったり
下ったり、ここから南アフリカの国境が近いなど説明を受けながら4時半に宿に戻った。

もうすぐ、つぎのモザンビークへ

2007年07月21日 | スワジランド
2007年7月19日木 はれ 快晴 半そででも暑いぐらい。

左からチュースさん、サンさん、宿のオーナー、ショーンさん、ジャパン松尾



ほころびたジャンバーに接着剤で貼り付けた皮が剥げ落ちそうなので、糸で
縫い付ける。黒と白の糸を持って歩いているので、時々裁縫をする。
結構時間はかかるが、これもたのしいひとときになる。

南アフリカ、ダーバンの「ゲストハウスに泊まった」でしょう。そこで赤い服を
着てた私を見たとヨーいよー」。すると彼女は「チャイナ、コウリャン、ジャパ
ニーズ」私もみーんな同じに見えると。自分じゃ違うんだけどなーと思って
はいるがヨーロッパの人はアジアの人の顔はやっぱり同じに見えるのだろう
な~と納得した。

メデソン、メーデソン(くすり)と私の顔を見ながら飲んでるビールをかざして
冗談を言う。アフリカに来てからも。「メデソンビール、昼間2本 ナイト2本」
「マイ、ドクターカルテ」と笑いながら冗談。にがい顔を作って「こん
なつらいことはない」と日本語で言うと、みんなそうかそうかと笑う。
冗談の通じる愉快なアフリカである。 

2007.7月20日金曜 晴れ 快晴 きょうもおだやかいい天気
ババネMbabane(首都)にライダーが集まる。いっしょにオートバイでツーリング
に行こう。宿のオーナー、ショーンさんが迎えに来た。ネット屋に行こうと思って
いたが支度してついて行った。


BMW650、とDAKER9002台と友達が来た。山の稜線を4台5人で走る。中腹で
はショーンさんの奥さんの実家でコーヒー、春巻きをご馳走になる。ほんとにお
いしかったので「うまかー」と言うとスワジランドでは「ナンジ」何時と言うらしい
く覚えやすい。広々とした芝生の中のアパートに住んでいる。実家の父親はミシ
シッピ出身60歳、母親は聴かなかったが地元ではないかな。

3台のオートバイはオフロード車で道を外れた原野を楽しそうに突っ走って走る。
私はのろのろと走る。松なのか杉なのか似ているがわからない、そのきれいに
植林された広大な稜線を走る。さっき田植えの格好して説明してくれたのはこの
植林のことだったんだ。

村の中に入った、バーベーキューの場所だ。2m×3mのでかい金網の下に丸太
を燃やしている。隣で肉やソーセージを買ってきて焼いてもらう仕組みのようだ。
サラダ、野菜もある。もちろんビールもある。何人かの地元の人も、入れ替わり焼
いて食べている。うまそうに見えたがちょっと牛は硬かったなー。ソーセージは
まずまずの味だった。

スワジランドの子供たち。うしろの風景はどこでもこんな感じ。

山から下りてネットカフェに寄る。いつもネットに来ているところである。レストラン
は内も外もくつろげる雰囲気のいいレストランバーである。別棟はデェスコバーで
夜遅くまで賑わっているらしい。えーこんなとこに?と日本では想像できないポ
ツンと村の中にある。もっとも密集している町はごくわずかのように思える。

ギネスビールを飲む。ダカールオートバイのサンさんは大きい水槽製作販売。BMW
のチュースさんはオイル(ガソリン、ここではペテロール)の輸入業。もう一人はアー
チスト。そしてゲストハウスのオーナーは牛も飼っているようだ。私は電車の車掌を
していたこと、家族は子供3人、「ワイフは一人だけ」と笑わせ、両手の人差し指を
頭にかざして、マイワイフ、モウ、モウ、カウ、カウと牛のごとく頭を動かしおどけて
見せると「オーセム、セム」と大笑い。どこの国でも奥さんは怖い存在なんだなー。



モザンビークのビザ取りました。

2007年07月18日 | スワジランド
学校帰りのスワジランドのこどもたち

7月17日火曜日 今日も晴れ 快晴の青空
入れ替わり立ち代り旅行者はやってくる。
きのうはドミトリー8人部屋で一人だけだった。
今夜は新たに3人が泊まっている。

午前中ネット屋に行こうと思っていたら8時過ぎになってオーナー
がやってきた。モザンビークのビザを取りに行くのにその場所
エンバシーを教えてもらった。

9時過ぎに出て30分ぐらいで一発でついた。わかりやすかった。
申請書は名前ぐらいしか書けない。わからない所は「わかりません」
とローマ字で書き込む。しょうがないなーと言う顔で空白の所を係
りの人が記入してくれた。

いつもの調子で大使館の人を笑わせる。
その場で待つようにと言われた。そのままウンこする格好でしゃがんだ。
周りの人は笑い出し赤ちゃんを抱えた母親は口を押さえて笑っている。

モザンビークは広いので3ヶ月のマルチビザ出入り何回でも自由のビザ
を申請した。285ランド=約5000円。国境でもビザを取ることが出来る
と聴いていたが面倒なのでここ、スワジランドでとることにした。

で、申請は10時前に終わり、ビザの受け取りの午後2時に来るようにと
言われる。帰りにブリキの水入れ?を作って道端で売っている場所に着
いた。マフラーの穴があきそうだったので2,3日前ブリキでふさいでも
らったばかりである。きょうはフロントタイヤカバーが裂けていて危な
いので、そこもふさいでもらおうと立ち寄った。

30分ぐらいで終わった。仕上がりはもう少しうまく出来そうなのになー
と。思いながら、ビスで留めてくれているので、ま、いいやと腹も減って
いたので帰ることにした。前回と同じ30ランド=500円。
<泊まっている所はこんな感じの風景、こんな所にと思う所にネットやがあった>


ひるめし?メデソンビールを飲んで午後にそなえる。2時にモザンビーク
大使館につく。門の外でパスポートを受け取る。そのままオイルフェイルター
をたのんでいたオートバイ屋に行く。フェイルター交換オイル交換、ラジエター
の水を足したりしてもらった。しばらくは安心だ。

帰りにスーパーによって肉の塊とパンを買って宿に戻る。17時ちょっと過ぎ
ていた。中味のある充実した一日だったなー。

泊まっているゲストハウス。ドミトリ(相部屋8人)80ランド=1200円ぐらい




 



























スワジランドにつきました。

2007年07月16日 | スワジランド
7月12日スワジランドにつきました。

南アフリカ&スワジランドの国境

三人の清晴
A.きょうも、動くのヤメヤメ、朝からビール飲んで
ゆっくりしよう。いつもぐうたらの清晴

B.まー、どうでもいいけど行けるところまで行っ
たら、いつも中途半端な清晴

C,決めたことだから目的まで走るべきだ。いつも
強硬派の清晴。

3人の清晴が同居している。私の一番すきなのはA。
今回はいつまでもたもたしてるんだーとCにうな
がされて、しぶしぶ出発することになった。

居心地のよかった南アフリカ、ダーバンを7月12日
朝出発する。事前にハイウエイに乗るため地図で
教えてもらっていたが走り出して5分もたたない
のに間違ってしまった。

ぐるっと回って元の宿近くに戻りガススタンドで聞
き直す。交差点をひとつ先まで進みすぎたらしい。
今度はスムーズにハイウェイに乗れた。4車線、2車
線片側一車線になっていく。ハイウェイは200kmで
終わった。120kの標識は出ているがマイペース90kの
スピードで走る。

上空から見たアフリカの大地を今走っているのだ。
道路に出ている標識が何を意味しているのかわか
らない。「給油のマーク」を見たのでテストのつもり
でガソリンを入れてみよう。

幹線から外れた3kmの所にガススタンド(ここでは
ペトロール)があった。給油2基の小さいスタンドだ
った。2回目のガススタンドでスワジランドの国境まで
94kmと教えてくれる。今12時だ。

ウン?100kmを越してる。国境がない。道路端に
止めてに後ろの車に聞こう。トラックは止まらない。
反対からきた空色のマイカーを止めて「スワジランド」
を聴くと20kmバックと。

両手の甲を差し出して「右手はあなた、左は私」あな
たの後ろについてゆくからと両手を動かして見せる
と「OK、OK」と言ってくれた。20kmぐらいも戻った所
に「スワジランド」の標識が立っている。

標識を写真に収めている間、空色の家族の乗った
マイカーは先のほうで待っててくれている。国境
はすぐだった。キリンとか象とか大きな看板に
描いてアフリカらしさを表わしていた。


空色のマイカーの人たちもスワジランの手続きを
している。家族にどうもありがとうございました、
と合唱のポーズ。それにしてもラッキーだったなー
南アフリカの出国手続きはパスポートにスタンプ。
カルネにはサインをするだけで簡単におわる。

次はスワジランド入国
テレビの飲み物のコマーシャルなのか、かさだかで
ないが南アフリカではわたしを見ると「オシー」
と言ってくるのでここでも「オシー」とゆうと「オ
シー」と返ってきてトタンになごやかになった。

スワジランドの入国手続きは、パスポートにスタンプ
カルネ(オートバイのパスポート)の代わりに50ランド
800円払って証明書を発行するだけのごく簡単に終
わった。入出国30分ぐらいですんだ。

国境はこうでなくっちゃ。どこでもこうであればいい
けどなー。入国1時間、出国1時間、普通二時間ぐらい
かかるから。

今3時10分、安ホテルは30km先にあると国境の人たち
が教えてくれた。サファリーパーク、キャンピングに着い
た。自分のテント泊まり50ランド(800円)緑の芝生にテ
ントを張る。

すさまじいライオンの雄たけびだった。

タンクを持った近くの住民の人たちが芝生に撒く水道
水をもらいに行ったり来たり。シャワーの水が出なかっ
たのでコップ一杯の水で顔と手を洗った。寝るまでとう
とう水が出なかったのでこれが助かった。

にわとり半分、ライス、ポテト付30ランド(480円)。
ビール7,5ランド120円これは安い。朝からパン2切れと
トマト一個しかくってなかったが、にわとり半分はさすが
に、くいおけがあった。うまかった。
(84カ国目。2007.7.12.今日も快晴のことでした.)

ライオンの轟きの歓迎

ゆうべはカミナリのとどろき音にのようなものすごい
おののきの声が響いた。ラクダだろうか、カバだろうかな
(カバは聞いたことはないが)と考えもつかない。なんだ
ろうか。

のどが渇いたようなその声は一分ぐらい続き終わりに
発する「ハフハフ」息づかいが耳元まで聞こえる。
水道の水の所まできているのだろうか。すごいおののき
は明け方まで5,6回はつづいただろうか。そのたびに目
が覚めた。

朝、掃除の女の人に、「グァーグヲウ グウアー」と言った
らライオンだとゆう。指さしたところは50m先のサクの中
エー、カメラを持って近づいた。いたいた、ふさふさの立て
髪つけたでかいライオンが。野生のライオンをはじめて見る。
それにしても、うったまげる声を出すもんだ。

テントをたたんでスワジランド、首都mbabaneババネ?に着
いた。ここまではどんどん山を上がって着いた高原。
ガススタンドで近くの安宿を聞いた。地図を描いて一生懸命に教
えてくれるが、どうもよくわからない。

給油に来た人が「俺の車でおしえてやる」みたいなことで
ニッサンクルーザーの後をついていく。10分ぐらいでついた。
ありがとう。握手して分かれる。ホテルは一泊390ランド
6400円。高すぎる、最後は4800円まで下げてきたが、時間
はまだ2時。別のホテルを探すことにした。

バス停みたいなとこで停まって、ゲストハウスの本を見てい
たら、アウディの車が停まってくれた。ゲストハウスの本を見
せて、指差したら、「OK,OK]と後をついてくるように言って
くれる。その車は早くて、ついていけない。途中テールンプを
つけて待っててくれた。「スワジランド、バックパーカーズ」の
看板のゲストハウスについた。ここがダーバンのノマズ、
ゲストハウス オーナーが紹介してくれた所だった。

アウディのお兄さんはチラッとbookを見ただけでどうして、
ここがわかったのだろうかな。次の日ここの、オーナーにもら
った名刺を見せたけど知らないと首をひねる。それにしても
ありがたかった。

ついたとたん、気に入った、明るくて居心地はよさそう。早め
にシャワーを浴びてくつろぐ。イタリア、フランス、オーストリア、
オランダ、アメリカ、ドイツ、イングランド、カナダなど12,3人泊
まってその中には日本人カップルも泊まっている。日本人は
ダーバンで留学生の青年についで3人目。

夜、食事しながら、みんなと話しているうちにアメリカの女性
が今、南アフリカはブームなのだろうか、と話していることが
日本人女性の通訳でわかった。「イヤ、違うのでは。ブッシュ大
統領の横暴さでアメリカ人は海外に行ける所は限られてしま
った。で、安全と思われる南アフリカが溜まり場になっているの
では」と答えた。彼女も納得してくれたように思えたが、私の
独りよがりかもしれない。(2007.7.13のこと)


ゲストハウス、オーナー、ショーンさん。何回も名前を聞き返すも
んだから映画俳優ショーンコネリーと覚えてと教えてくれた。
次の朝、「こんにちは」と入ってきた。ヘルメットつけて上から下まで
ライダーばっちりの姿で決めている。

うん、日本人ライダーが来たのかとかなと思ったらオーナーの
ショーンさんだった。きのう、ネットカフェの場所を教えてくれと
たのんでいたのでいっしょに走ろうとオートバイで来てくれた。
彼はオートバイのライトを付け替えるため部品の店に寄った。

私もオイルフェイルターをほしかったのでたのんで見たが、サイ
ズが合わず取り寄せになった。ネットカフィは日本語が出来るよ
うなので安心、ただ日本語が打てるかどうかはテストしなかった。


午後、スワジランド、一大イベント、女性群だけの集まり、踊りの
イベントに行った。ただっぴろい広場に1万人以上がそれぞれの
自慢の衣装は迫力があり見事なものだった。キング、マザーキ
ングの前で伝統的な踊りの披露して踊りはおしまいのようだ。

私もショーンさんに貸してもらった上半身裸の上に布を巻きつけ、
下にもマジョー?と呼ばれる布をつけて見物した。夕方4時ごろ
になると布一枚だけなので肌寒くなった。帰りにネットカフェに
寄った。部屋の中、広いテラスもなんとも優雅な雰囲気で落ちつ
いてゆっくり、ビールなど飲める所でもある。

ゲストハウスの安宿でも、こきれいに毎日掃除しされ、シャワーの
ほかに日本の浴槽のタブルーム。バスタオル、石鹸も浴槽、洗面所
においてある、トイレットペーパーはおいてない国が多いのに二つ
以上いつも用意してある。これまで高いホテルに泊まった時など
ペーパーを失敬していたがその気にもさせないものがある。


わたしが持っていた貧困で貧しいと思っていたアフリカのイメージ
は、貧しい気持ちは自分にあることをきずかされ、反省させられた
スワルランドの一日でした。

標高が高いので寒いと聞いていたが、朝方冷え込み、部屋にいると
寒く感じる。しかし外に出sると暖かく過ごしやすい。昼間は20℃cを
超えてるのではないだろうか。

(2007。7。14.今日も快晴青空 スワジランド、ゲストハウスにて)


 






出発します

2007年07月12日 | 南アフリカ
いよいよ出発します。
暖かくていごこちよかったので動きたくなかったんだけど
ふんぎりをつけることにしました。

あした7月12日(木)スワジランドに向かって走ります。
やく400kmで国境だけど、手続きにどのくらい時間を
とられるか。遅くなって夜にならなければいいがー。

スムーズに走ることが出来るだろうかとひやひやどきどきです。
通信事情によって次のメールいつになるかわかりませんね。

テントで寝ました。

2007年07月10日 | 南アフリカ

なぜか安宿はこの近辺は満員状態。
仕方ないのでゲストハウスの中庭に
テントを張って寝ることに。

ま、日本のオークションで買った新しい
テントのテストにもなって好都合。
これからの予行演習にもなる。

入り口が二つでメッシュの二重扉など
なかなか使い勝手はよかった。
2007.7.7のことでした。

トコヤさんにいきました

2007年07月10日 | 南アフリカ

トコヤさんに行ってきました。

近くのショッピングのトコヤは100ランド=1600えんもするので
最初泊まったホテルの近くまでオートバイで行った。50ランド=800円
を10ランド負けてもらって40ランド=640円にしてもらった。

日本人はケチと思われるかなー。もともとせこいからだまってよう。


先入観はやっぱりだめです。

2007年07月09日 | 南アフリカ
7月9日 はれ、青空の快晴
昼間は半そででも暑すぎるほどの暑さ。
明け方から陽が出るまで肌寒い。

半月ほどたったいま、ダーバンの市内を
走れるようになった。来たばっかりのときは
強盗とか悪いうわさばかりの先入観で怖さばかり
が先立っていた。

今は、心から明るい、そして親切さはどこの国より
も信頼できます。どこの国でもそうですが自分の目
で確かめることの大切さをあらためて感じています。

計画変更
ここダーバンから南、ケープタウンに向かって走ろうと
かんがえていました。
しかし途中の国レソトはかなり標高が高く寒いと
レソトのふもとから来ている青年から聞きました。

またスイスから来ている二人はマイカーをガーナから
ここダーバンに船で輸送中とのこと。
西アフリカヘ行くのにアンゴラは南からはむずかしいと
聴いているし、北のほうからはリビアが通れないので
どうして西アフリカへ行こうかと思案中だった。

船で西アフリカへ渡すことができそうなので
安心しました。が今度はガーナのビザをどこで取るか
の問題も出てきた。ま、ずーと先のことだけど。

で、ケープタウンの方は最後にして、スワジランド
ーモザンビークと北に上がって行くことにしました。
海岸どうりをケニアかエチオピアまで行って折り返して
内陸部を下ってケープタウンにしようと。考えています。

ま、どうなるかわかりませんが、、。

体の方はアフリカになれつつあります。うんこはすでに
アフリカ仕様になっていますのであと少しでスタートします。