松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

1月25,26日 オートバイもわたしもガーナへ

2008年01月26日 | 南アフリカ

2008年1月25日金曜 はれ
きのう船会社の人が8時半にホテルの前に「来る」
と聞いていた。9時になってようやく迎えに来てく
れた。オートバイで倉庫まで走り、そこで梱包する。
手伝いの二人はどうも素人だ一向に梱包が進まな
い。

わたしも素人だが見ているわけに行かなくなった。
こころもとない細いロープで「そっちじゃねー」と
いいながら、どうにか固定できた。あー腹へったー
13時になっている、検量を済ませて船会社に。無
事に「ガーナについてくれー」

輸送代7900ランド=約12万円。支払いは現金
とゆう。ATMでは一日1000ランド=1万70
00円までと話を聞く。えー「どうすんだよー」し
ょうがない窓口に並んで使いたくない「マスターカ
ード」でようやく現金を手にして支払いを済ませた
ときは4時になっていた。

2008年1月26日土曜 はれ
1月28日ケープタウン発ガーナ行きのチケットを買
った。ケープタウン~ヨハネスブルグ~ケニア経
由29日ガーナ着。約9000ランド=約13万円ぐらい。
チケットを買ってそのままネットカフェに来ていま
す。帰りにチケットを受け取ります。

1月23,24日 マラリアの薬

2008年01月26日 | 南アフリカ
2008年1月23日水曜 くもり
以前からマフラーの継ぎ目から空気が漏れていたの
でちょうどいい硬いゴムを巻き金具でとめる。「割れ
る音」がこれでなくなった。

2008年1月24日木曜 はれ
ケニアで買っていたマラリアの薬の処方箋がわから
なかったのでウォーターフロントにあるクリニックま
で聞きにいく。初日4錠、8時間後4錠、次の日4錠飲
めば「OK]とわかった。12錠だけで別に買い足す必
要はなかった。

場所を探して、クリニックを探した後、処方箋のこと
を説明するのに四苦八苦、相手のお医者さんも、ど
う返答していいやら困っていた。日本語と英語のや
り取り、最後はメモ用紙に書いてようやくわかった。
気持ちの上ですっきり安心した。

本当は予防薬をほしかった。メロロフキントとかゆう
マラリアの予防薬を買おうかなーと思っていたら日
本人旅行者から、あれは胃腸など悪くする「副作用
がでる」と聞いたので、今回は「かかったら」「飲む」
薬にした。

1月20,21,22日 もうすぐガーナに飛びます

2008年01月24日 | 南アフリカ
2008年1月20日日曜 はれ
西アフリカの一部区間「砂地」と外人から聞いて走るの
が怖くてあきらめていた。しかし日本人ライダーが「そ
の区間」を走って来た。彼の話では「砂地」ではなく「
硬いダート」だったとおしえてくれた。二転三転したが
確かな情報なので西アフリカを走ることにした。

船会社に頼んでいた見積もりが届いた。
船輸送ケープタウン→ガーナ(アクラ)=7000ランド約
12万円(25日間)。飛行機29万円(5日間)

ちなみに
ケープタウン→セネガル、船輸送15万円(50日)飛行機
43万円(5日間)

ケープタウン→アルゼンチン、ブエノスアイレス約5万
5千円。(佐藤ライダーはここに送った)

わたしは、やはり一番安いガーナに送ることに決めた。

2008年1月21日月曜 はれ
今日やらなければならないこと①プラグの点検②オイ
ルフィルターを買う③オイルの交換。

①グリップを絞った時パワー不足を感じていたのでプ
ラグをあけてもらった。やっぱり劣化していたので新品
と交換、6本で1700円だった。

②オイル交換500ml、8本×370円=2960円

③オイルフィルターはホンダ店で2個買う。交換は次の
オイル交換のとき。

以上、気になっていたことをすませる。

2008年1月22日火曜 はれ
ここケープタウンで東アフリカは一区切りついたので、
ひとまず写真をCDに取り込んだ。用心のため同じもの
二組つくり自宅ともりやまさん宅に送った。道で拾った
ダンボールでがっちり梱包。2個で2400円2週間ぐらいで
日本に着くとのこと。

朝、船会社にオートバイ輸送について「いつ送る」か
を電話で聞いた。23日か24日になるとの返事。早くは
っきりしてほしいなー。

船輸送に伴いオートバイに荷物を積み込むため、どう
するか、靴、ジャンバー、ヘルメット、シュラフなど、
ためしに積み込んでみた。うん、これでだいたい大丈
夫だろう。

「走行距離と訪問国」(2008年1月22日現在)
走行距離27万3000キロ(アフリカは、あと50kmで
約2万kmになる)。アフリカに入る前、飛行機乗り換
えのため寄った「モリブジ」と東アフリカ15カ国で訪
問国は98カ国。


パソコン直りました。

2008年01月23日 | 南アフリカ
19日、レソト王国からケープタウンに戻りました。

パソコンのことが心配で、心配で、、いつもの
ネットカフェで恐る恐るつないでもらって、、
セッテングしてもらったら、、すべての項目の
画面が見られるようになりました。

あーよかったー、直ったようです。
で、これからたまっているブログ
更新していきます。

もりやまさん、マケドニアさん、いまいさん、
そして見ていただいている皆さん、ご心配と
ご迷惑おかけしました。

どうもすみませんでした。

1月17,18,19,20日 レソト王国に着く

2008年01月20日 | レソト王国

もうすぐレソト王国


レソト国境の手続きはスタンプを押すだけ
で簡単だった。東アフリカこれで15カ国目
でおしまい。

レソト側国境

レソトの人たち思ったより明るく陽気。
路上でパンやお菓子を売っていた女性
と地元の人たち。

2008年1月17日木曜 はれ
レソト最初の朝、静かだ。宿から山を見ようと見渡すが
それらしきものが見えない。標高2000mを越える山岳
地帯と聞いていたのになんかちがうなー。もっと遠く
へ移動しなければ見えないのかも、、?。

昼にネットカフェに行ってみた。日本語で読めたが日本
語を打つことは出来なかった。街は一本道の両側に、ビ
ルや商店、青空市場が集まっているようだ。日本の田
舎の街ぐらいだろうか。レソトのよさを知るためには一
ヶ月ぐらいかかりそうだ。


マセル市内はこれからの街なのだろうか。

レソト、マセルの市内を一回り、あしたケープタウンに
向うのにペトロールスタンドへ。ここはペトロールがない
ときた、タウンに行けと。ハイエースのタクシーに聞きい
てペトロールスタンドまで行く、もし、ペトロールがない
ときはどうしようと、いやーあわててたなー。

これからオートバイの船輸送のことが気になるので、あ
したケープタウンに向おう。


マセル市内に珍しい建築かやぶきの屋根?

2008年1月18日金曜 朝20℃ 昼30℃
ケープタウンまで1200km。朝5時過ぎに起きて出発準
備、夕べの激しい雨もやんでいた。2kmですぐに国境の手
続きレソト、南アフリカ出入国30分ですむ。最初の街を予
定通り過ぎてハイウェイにはいる。

一回目の給油の時ATMでお金を下ろそうとしたが、現
金が「ない」と張り紙。仕方ない次の小さい街でいった
ん高速を下りてATMでようやく現金を手に入れた、こ
れで安心だ、ほっとする。直線道路が続き走りやすい。

ケープタウンまであと250kのところで泊まることに
する、今日は900kmぐらい走ってきた。また、25
0ランド=4000円近くとられるのかと宿代を心配し
たが、ここの宿は90ランド=1500円と安くてほっ
とした。トマト2個とパンのみで走ってきたので、シャ
ワーを浴びるや一気に、ビールを流し込んだ。


ケープタウンに戻る途中に珍しい王冠の山?

高原を走る

2008年1月19日土曜 はれ 朝20℃ 昼30℃
ジャスト6時にスタート、ケープタウンまで250k。
途中岩山がはだかっている。どこを通っていくのだろう
かと走りながら考えていたら、トンネルがあった。アフ
リカで初めての「トンネル」を走った。950mとか標
識をチット見た。

意外と早く9時にケープタウンに着いた。そのままオー
トバイ屋で前輪のタイヤが片方だけ磨り減っていたの
で右、左入れ替えてもらおうとしたが「入れ替えてもダ
メだ」といわれる。新しくタイヤ交換交換することにし
た。1万7千円と思ったより安かった。

午後オートバイを取りに行ったが店が閉まっている、土
曜は午後から休みなんだ、とゆうことはあしたも休み。
いつも通っているネットカフェ、恐る恐る自分のパソコン
をつないで見るが「やっぱりダメだ」。

店の人がセッテングしなおしてくれたら、おー「つなが
ったー」よかったーよかった。一気に気分が晴れてきた。


この山を越えるときアフリカで初めてトンネルを走った。

1月15,16日 プレトリア、ガーナ大使館でビザをとる

2008年01月20日 | 南アフリカ

ガーナ大使館でビザ申請、普通は三日後だったけれど
日本語のできる(しかできない)私は翌日に発行して
もらった。ガーナ大使館。


アフリカでよく見られるめずらしい鳥の巣

2008年1月15日火曜 はれのちくもり
夜ちょっと動かしただけで足が「つって」しまいそうに
なる、疲れているんだろうかなー。朝8時にレセプション
で「ガーナ大使館」の場所を聞く、歩いていける距離
だ。オー助かった。ガーナ大使館へ9時前に着く。

受付は9時30分、その間申請書は同じもの4枚を書い
た。写真も4枚、ここでは「ひらがな」では通用しない
ようだ。説明書に「大文字」で書くように「注意書き」
してあると係官がおしえてくれる。申請者は10人ぐら
い来ている1番で受付をしたが「何かが?」必要、、
と受け付け嬢。

そのうち大使館が内(うち)からやってきた、名刺を見せる。
ここは「粘るしかない」日本を出て5年たつ、証明書な
ど「持ってる」はずがないと、日本語ができる私は思い
っきり日本語英語でまくし立てる。最後は「OK]にな
った。ビザ代は郵便局振込みとゆう「エー」。

「郵便局はどこだ」地図で見ると近くにあり、よしよし
今日中に申請できそうだ。申請に来ていた男の人と一緒
に郵便局へ。ビザ代250ランド=4250円振込み郵
便局から10時半に戻り書類を提出。受け取りは「三日
後の18日金曜」と受け付け嬢。「ノー」「ノー」大使
館員は「ツモローと言った」

すると再び電話で大使館員に確認してもらって「あした
16日10時」OKになった。普通は大使「館内」で受付
するのだが、ここの受付けは玄関脇にある守衛所だ、用
心のために中へはいれないようだ。

2008年1月16日水曜 はれ朝25℃昼雨20℃夕方35℃

ビザを受け取ったあと10時には出発できるだろうと
思ってガーナ大使館へ。なかなかビザを渡さないので
「どうした」ちょっと待て「館内に」行くように指示さ
れる。館員は上司と相談したあと親指をかかげOKの合図。

オーよかったー。ジャスト10時にパスポートが戻ってきた。
普通みんなは三日後の受け取りになっているのに翌日受
け取りにしてもらってありがたかった。感謝して帰ろう
「ありがとうございました」日本語でお礼を述べる。

レソトに向って走る、やく600km。途中大雨にあったが
すぐにやんだ。レソト国境には18時に着いた。出入国は
面倒な申請用紙はなくてスタンプを押すだけ、ごく簡
単にすんだ。東アフリカ最後の国レソトにはいった。

レソトに入る前、オーすばらしい「景色だ」とうならせる
ものの高原を走った。しかしレソト、首都マセルに入って
みたら、周りに山らしきものがない。ちょっと拍子抜け
た。

1月11,12,13,14日ダーバンから首都プレトリアへ

2008年01月20日 | 南アフリカ


他のアフリカでは屋根はカヤみたいなもので
葺いてあるが、南アフリカはそれがほとんど
消えて文化住宅?に変わっている。これも時
代の流れなのかな。それとも裕福の表れなの
だろうかなー。「上下」

2008年1月11日金曜 はれ
ネットカフェ2軒回ったが、自分のパソコンつなぐこと
が出来なかった。普段なんでもないことが使えなく
なると心細くなってくる。NHKへのレポートはファック
スですませよう。

2008年1月12日土曜 はれ
近くのファックス店でNHKへのレポートを送ろうとした
がなかなかうまくいかない。0081-03は0081-3
とゼロははぶいてようやく送信できた。

2008年1月13日日曜 くもり 小雨
パソコンがつながらないので、これからのこと不安に
なってきた。パソコンの画面に「ロック」状態です、「パ
スワード」を入力するようにとのメッセージがでてい
る。パソコンを譲ってもらった人にどうやって連絡しよ
うかな。

2008年1月14日月曜 朝雨22℃どしゃ降り 昼30℃
プレトリアに向って6時半に宿を出る。ハイウェイに乗
ってからどしゃ降りの雨、スピードダウンして走る。20
分ぐらいで雨はやんだ。結構カーブの多い道になる
濡れたジャンバーも乾いてきた。

500k走って残り100kでオーバーズボンとジャンバー
を脱ぐ。ヨハネスブルグを通過、南アフリカの首都プ
レトリアに14時30分に着く。決めていた宿の近くまで
来ているのに、あっちこっち探すがまったくわからな
い。近くの人に電話してもらって最後はスーパーまで
迎えに来てもらった。

なんと3時間も宿探しにかかってしまった。ここら辺り
の人たちはバックパーカーのことは、あまり知らない
ようだ。泊まるのはホテルと思ってか、ホテルを教え
てくれた人が多かった。あすは「ガーナ大使館」を「探
さなければ」ならない。ゆううつだなー。

ダーバンからプレトリアへの道は
カーブの多い山道だった。

1月8,9,10日 こいつが泥棒!の朝出発

2008年01月20日 | 南アフリカ

こいつが捕まった泥棒、25歳ぐらいだろうか、
顔をとられたくない、度胸のなさ。

泥棒の朝
2008年1月8日火曜 はれ朝20℃ 昼22℃
ダーバンに向って朝7時半に出発。少し寝不足だ。昨夜
は夜中3時過ぎまで男女の声がうるさくて寝付かれな
かった。我慢できず「うるさいぞ^」と三人の側まで行っ
て「静かにしろ」と日本語でどやしつけた。

静かになって寝ついた頃、「チェック」の声。なんだろう
と外に下りてみたら、ポリスが7,8人いる。「泥棒らしい」
手錠をかけられた男は後ろに手を回されている。エー
ッ「俺のカメラバック」じゃないか。「この野郎」思わず泥
棒の頭をなぐった。

同じ部屋の3人も時計、小物入れ、電子手帳など盗られ
ていた。泥棒が捕まってよかった、朝出発する時、カメ
ラが「ない」と「大騒ぎに」なり、泊まってる人を疑いか
ねないことになっていたかもしれないのだ。幸い盗ら
れた物は全員に戻った。あー危なかったなー。

と言うわけで朝5時半に起きて寝不足のまま海岸線を
北に向って約800km走ったところに泊まる。ここはポ
ルト、エリザベスPort Elizabeth.宿はどこも250ランド
=4000円、350ランド=6000円と高い、2軒3軒と安い
所を探したが結局250ランド=4000円のB&Bの民宿
に泊まった。


二日目は一日中高原を走る、こんな長い高原ははじめて走る。

2008年1月9日水曜 はれのちくもり 朝20℃昼22℃
きのうもそうだったが、けさも肌寒さを感じる。朝から
づーッと高原の中、登っては下りのカーブが続く。緑
のきれいな長い高原を走ったことは始めてだ。宿が
高いのでいっきにダーバンまで走りきろうと考えた。

しかし、あまりにも美しい高原を走り抜けるのはもった
いないと考えてダーバンまで残り250kmを残してペ
トロールスタンドと併設している宿に泊まった。今日も
800kmぐらい走っただろうか。

宿はやっぱり250ランド=4000円だった。今日は宿を
探さなくて済み助かった。夕日が周りの高原を照らし
て一層きれいだ。早めの晩飯を食って8時過ぎにベッ
ドに入る。つかれたなー。

2008年1月10日木曜 くもり朝18℃ 昼25℃
朝もやで周りの高原は真っ白で何も見えない。オート
バイカバーはびっしょりと朝露がついている。6時30
分宿をスタート。しばらく走ると太陽に照らされた雲
のかかった山と高原がうつくしい。停めるところが
なくて残念ながら走る過ぎるしかない。

あと、100kmでダーバンに着く。給油したあと細い道
から本線に戻る時、対向車が入ってきた。相手が急ブ
レーキをかける。おっと「危ない」。なんとすぐうしろ
にポリスのクルマがいた。そのまま走り過ぎようとし
たら「停めれ」のクラクション。

このクルマに「ついて来い」と、すぐ近くの警察署で
「パスポート」「国際免許書」を見せる。これは長くか
かりそうだ。「11時にダーバンで友達と「待ち合わせ」
している、帰ろうとした、これが気に障ったのか。パス
ポートにスタンプがないと言い出す。

そんなことはない、ナミビアから2回も出入りしてい
る。なんだかんだといちゃもんをつける「君は右側を
走った」とボードに書いて説明する。あーそうだ「キュ
ウーズミー」と謝って30分ぐらいかかって「注意だけ
で」すんだ。最初から謝っておけばよかったのだ。

ダーバン市内に着いた、11時だ。前回泊まったゲスト
ハウスはすぐにわかるだろうと思って市内にはいる。
ところが、自分のいる場所がどこだかわからなくな
った。聞いて聴いてようやく2時間かかって前回泊ま
ったノマズ、バックパーカーに着いた、13時に10分前。

1月3,4,5,6,7日ケープタウンから

2008年01月20日 | 南アフリカ
008年1月3日木曜 はれ
午前中パソコンへネットの下書き。午後オートバイを送る
船会社に見積もりを聞きに佐藤ライダーと行く。アルゼ
ンチン、ブエノスアイレス1300$=15万円。ガーナ23万円
~38万円。ウーン高すぎるな。

2008年1月4日金曜 はれ
おだやかな天気。ためていた正月分、ブログの更新を済
ませる。1月6日放送、ケープタウンの正月の模様をNHKへ
レポートする。

晩飯は日本人10人で宿の中庭でバーベーキュ。まきを焚
いて自転車、オートバイ、新婚旅行、あとは一人旅の人な
ど。自己紹介しながら11時近くまで過ごす。

2008年1月5日土曜 はれ
きょうもおだやかな、よすぎる天気。パソコンの容量がい
っぱいになり、マイピクチャーが開かなくなった。コンピュ
ウーター、ハードの専門、自転車の寺島さんに教わりなが
ら写真の削除、動画もUSBに取り込む。

午後からネット屋でCDにコピーしてもらう。これで容量は
半分までになりだいぶ軽くなったようだ。これからの写
真を取り込むのに「どうしようか」と心配したが、これで
安心した。CDは同じもの2組作った。1枚=420円

2008年1月6日日曜 朝雨
夜半から雨の音、朝も降ったりやんだり。きのうあまりに
もいい天気だったのでやっぱり雨になった。これからの
行く先について、ガーナから西サハラ方面は砂の道が
あると聞いたのであきらめて東南アジアへ送ろうと、考
えていた。

西サハラからガーナ経由をオートバイで走ってきた佐藤
ライダーは「砂の道」ではなく「固いダート」で走るのに
は問題ないとおしえてくれる。二転三転したがガーナに
向おう。あした7日船会社の人が宿まで「運賃」のことなど
の説明に来てくれることになっている。

2008年1月7日月曜 くもり
お昼に船会社の人が輸送の事について宿まで来てくれ
た。オートバイの体積を調べて運賃、輸送期間とか「あと
で」連絡するとの事。

pasocon S O S Makedonia san

2008年01月17日 | 南アフリカ
Makedonia san

paswa-do wo siri tai no desu.

pasokon no gamen ni kanrisha no
[pasuwa-do]wo nyu-ryoku site kudasai
to mess-ji ga dete imasu.

Pasocon wo yuzutte moratta
[i ma i san]no [pasuwa-do]wo
siritai no desu.

mon ga-san ni [i ma i]san no
denwa ka mail wo kiite kudasai.
so si te [pasuwa-do]wo kikidasite
E;mail ka burogu he sousinn sitekudasai.

su mi ma se n ga yo ro si ku
o ne ga i si ma su