松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

ジンバブエに向かう 8/1

2007年08月05日 | モザンビーク
テント泊まりの晩飯は日が暮れる前にすませる。ビールがうまーい



2007年8月1日 水曜 朝曇り朝15℃ 昼ごろから晴れ
疲れていたのだろう、久しぶりの長距離ツーリング、それでもきのう
は450km。いつもは2,3時ごろ目がさめてしばらく寝付けないこと
があるが朝までぐっすりだった。けさは朝露はない。

80が出て次は60のスピード表示は繰り返し出てくる、村がある、屋
台みたいなバザールなどがあることを知らせている。そこを過ぎ
ると100の表示になる。ひっきりなしに歩いている人、自転車で走っ
ている人を見かけるので退屈しなくてさびしくもない。足の長いア
フリカの人に自転車はほんとよく似合うと思う。



      2250円宿代を節約するためテント泊まりにする



        バザールで野菜を売りに来ている親子 


すし屋さんがアフリカまで出前に来ている。看板は消さないで日本車であることを
自慢するためなのか、安心を売るためなのかそのまま使ってるのを、あっちこっちの国で見かける。


大きな川を渡り突き当たりに出た右はbeiraベイラ左はジンバブエの
国境。左に進む。突然すしの出前だ!日本のワゴン車の「すし活魚」そ
のままミニバスの代わりに使っているのだ。モザンビーク最後の村
マニカに着く。マプートゲストハウスでマラウイ出身からジンバブエ
は「ペトロールがない」と聴いていた。


右はベイラ、左は国境マニカ私は左へ。元気いっぱいの地元の人たち

私のオートバイは満タン20リッターで300kmが精一杯。ジンバブエ、
ハラレまではどうにか持ちそうだ。問題はハラレから再びモザンビー
クに入るのには400kmあるのでさらに30リッターが必要だ。あれこれ
話しているうちにジンバブエ、ハラレの男性が日本車四輪駆動でスタンド
に来ていた。

あなたはあした「ハラレに戻るんですか」と聴くと「そうだ」の返事。
今日は「どこに泊まるんですか」近くの「ゲストハウス」。それじゃ私も
そこに泊まります、連れて行ったください。そして「私のペトロールを
ハラレまで運んでもらえませんか」とたのむ。「OKOK]と気持ちのい
い返事をしてくれる。

彼の後をついてゲストハウスに、すぐ近くだった。ゲストハウスは750
メデカルを500メデカル=2250円まで負けてくれたがテントを張らせ
てと頼み込んで200メデカル=900円でテント泊まりにした。一日、二日
シャワーなど使わなくても平気。浮いたお金でビール食事代使っても
お釣りがくる。ありがとう。ジンバブエの男性は車で外に出かけていた。
今日は国境の村 Manikaマニカ泊まり。


ジンバブエに向かう 7/31

2007年08月05日 | モザンビーク
トマトを買おうとバザールに停まった。小学前ぐらいの女の子は私の手を引いて
お母さんの店までつれて行ったかわいい、かしこい女の子

2007年7月31日 火曜 はれ 快晴 朝15℃
びっしょり露で濡れたオートバイカバーを取り込んで、タイヤを砂に
取られながら本線に出る。太陽が左に見える、南に戻ってる!そんな
ことはないはずだ。シカゴで同じような感じで走っていたら戻ってい
たこともあった。今日は大丈夫だった。

きのうまではすばらしい道だったがアスファルトを直し直しで伏せこ
けたゴトゴト道になる。原野が続く中を走るに走る4時近い。ガススタ
ンドでここに「テント張ってもいいだろうか」「全然かまわない」と返事
両サイドにあったスタンドは片方は廃業になっている。

宿はそこにした。
屋台みたいなものが並んでいる2,3km先でビールとニワトリの
煮込んだもの、つぶした米を練ったものいっしょたくに、ビニール袋
に入れてテントに戻る。夜は静かで丸いお月さんが出ていた。日本の
月も同じ月なのだろうかなー。その国その国にひとつずつ月がある
ような気がする。まったく静かな夜。あれが南十字星かなー。
Maxixo泊まり

       にぎやかなバザールで働くおしゃべりの女性たち

ジンバブエにむかう 7/30

2007年08月04日 | モザンビーク
ジンバブエに向かって走る



          モザンビークからジンバブエの道


モザンビークMapotoマプートからXaixaiシャイシャイーMaxixo
ーManikaマニカ3箇所泊まってジンバブエ、ハラレに着きました。

8月30日月曜 はれ 快晴 12時30℃ 走っていると28℃
早めにタンザニアのビザ受け取りをと考えて8時半に大使館に
行く。9時からだと思っていたが中に入れてくれたので早く出発
できそうだ。係官は「14時」と書く、エーとゆうと「12時」に帰り際
10時じゃだめかと指で書くと「OK」に。

いったん宿に戻り出直そう、最悪の場合は後一泊の覚悟を決める。
これからビールだけじゃ高くつくのでアルコールのジンを買って再
びタンザニア大使館へ。9時半「ビザOK」か。OKOKの返事。最初か
ら9時半と言ってほしかった。初日の申請書出したときからチップを
くれ見たいな事を言っていたがしらばっくれていたが今日はコイン
をあげた。


何キロぐらいまで頭で運ぶのだろうか。きたえると首も丈夫になるのかなー


いつも都会から出て目指す幹線道路に乗るのが一苦労するがシャ
イシャイと地名を聴きながら市内をスムーズに出ることが出来た。
郊外に出てしまうとほとんど車も少なくなった。頭に載せて歩く人
たちが行きかう。いつかは写真に撮りたいものだ。道路は整備されて
気持ちのいい走り、昭和30年代歌謡曲が自然に出てくるが今何を
歌ったのか忘れた。


モザンビークの人たちは写真を撮られるのは嫌う、見世物じゃない
見たいな考えだろうかな?だから、当たり前だろうけどその人を
撮る時は許しを得て撮るようにしている。シャイシャイに3時に着く。
200km足らず。以外に時間がかかったなー疲れた、今日はもう走る
気力なし泊まろう。宿代350メデカル1570円離れのシングルベッド。
お湯はバケツで持ってきてくれる。
きょうはシャイシャイXaixai泊まり



  快く写真を撮らせてくれた働く女性たち。慣れると頭も痛くないのだろうか



モザンビークに着きました

2007年07月29日 | モザンビーク
モザンビークにつきました。

2007年7月25日 水曜 晴れ 快晴 朝16℃ 昼30℃
スワジランド、ゲストハウス8時に出発。
一路モザンビークに向かって走る。途中の町や村の名前
を調べなかった。、右、左に行かないでとにかくまっすぐ
走ればいいと聴いていた。

    途中国立サファリ^パークをを走る

スワジランド新聞に載っているスワジの道路を見ながら、
ここらあたりがサファリーパークの真ん中あたりだろうか。
と思いながら走る。ライオンの標識が立っている原野の写
真を撮る、1,2回「マプトは」を聴きながらすんなり国境に着
いた。10時半。

             村で暮らす人たち

国境の手続きする前に個人の両替屋で南アフリカ「ランド」
をモザンビークに両替。モザンビーク通貨ははたしてなん
と呼ぶのだろうか、わからないまま受け取る。「ランド」の
通貨を逆算して大体の値段を頭で計算する。


スワジランドは2,3分で出国。モザンビーク入国も簡単に手
続き終了。どこの国境でもお助けマン、案内役がいて手続
きの場所、申請書の書き方など教えて最後にお金を要求
する。ここでもその手の男がついてきた。日本語で「自分
でやる」「オーノーサンキュウ」とことわる。入国11時10分

           モザンビークに入ったところ

国境で現地の人たちと話?しながら写真を撮る。(普通
国境の写真は禁止されている、写真を撮るときは撮ってい
いかどうか確かめないと没収されることもある)ここでは
物売りのおばさんたちを撮ったらだめと言われる。看板だけ
を取るからと許可してもらった。

気配りの細やかだったスワジランドに比べてモザンビークは
活気があると言うか、悪く言えば荒っぽい感じがするなー。
風のある原野を走りマプト市内についた。「マプート」と発音
するらしい。今度は宿を探さなければならない。これがやっ
かいだ。

モザンビークの晩飯450円チキン、ソーセージとメデソン(くすり)ビール

市内のにぎやかなバザール市場を写真に収め市内のセント
ラル、インフォメーションを目指す。オートバイが通りかかった
、手を上げて停まってもらい「ビッグホテル、ノウ」「スモール
スモール」と指を縮めてディスカウント「安いゲストハウス」ま
で引っ張ってくれとお願いする。

いつものように両手の甲を出して「右手はあなた」左は私」
あなたが前で私が後ろからついてゆくと両手を動かすと、
オートバイのお兄ちゃんは「OK]の返事。途中中ぐらいのホテ
ルがあったがここは高いと、次へと走る。

大通りに面した所のゲストハウスについた。ここでいいかと
オートバイのお兄ちゃん。OKOKサンキュウ、お礼を言った。
シングル350、いくらになるのだろう。国境で両替したとき
の計算で5000円?高いなー、レセプションの人はここはど
こよりも安いホテルだと言う。とりあえず3日分予約した。

(三日たった今、計算すると一泊1600円、ようやく通貨単位
はメデカスとわかった。10メデカス=45円)

           マプート市内に到着


ゲストハウス、テラス兼食堂にオートバイを入れると人だかり、
ここは2,3日たったら次に進もうと思った。なんだか雰囲気が
よくない感じを持った。入ったことはないが暗い牢屋のよう
な2メートルもない狭い部屋にベッドがひとつだけ。

裸電球の天井に扇風機がついているだけ。トイレ、シャワーは
共同、お湯のシャワーはちょろちょろ。トイレ臭いも、設備もスワ
ジランドとは強烈の大差だ。

それにオーナーはお金は部屋においてはダメ、レセプション
のおばさんに預けるようにきつく言われる。よけいに物騒な
所に来たとおじけついていまう。US$700ドルを預けようとした
が、逆に盗られてしまうかもと考え直して500ドルだけ預ける
ことにした。

地下にあるレストランで昼はスパゲテェ。夜はチキン、ライスつき
をくった。ビールロング缶30=135円
夜近くのネットカフェに行ったが文字化けでまったくダメだった
が、ローマ字でHPに打ち込んだがどうなったかなー。

85カ国目のモザンビークに着き最初の夜を迎えました。

2007年7月26日 木曜 晴れ、朝曇り 昼晴れ 快晴

           モザンビークで暮らす人たち

モザンビーク初日の朝。9時前タンザニア大使館、ジンバブエ大
使館、別のゲストハウスの宿、3箇所を歩いて探しに行く。

タンザニア大使館9時半、3ヶ月ビザ 写真2枚、受け取り中二日
で月曜の30日になる。 ビザ代 US50$=約6000円。

ジンバブエ大使館 ここ大使館ではビザの発行はしていない。
すべて空港か国境で発行しているとのこと。せっかくきたがしょ
うがない。

    靴屋さん?病院の前で売っていた、片方は箱の中だと思う

バックパーカーゲストハウスは静かで、こぎれいであった。
ここに宿を変えよう。ドミトリ 200M=900円。
         シングル400M=1800円。

宿に戻ったのは11時を過ぎていた。さっそくビザが取れたので
二泊でおしまいと申し訳なかったがうそついて残り一泊分「お
金返してもらえるか」OKの返事をもらえる。

タンザニア大使館にジンバブエのビザも取るのでとパスポート
を預けてこなかったので午後再びオートバイで届けた。そのあ
と市内をぐるっと回って帰ろうとしたが迷ってしまい、あっち、
こっちぐるぐる回りに回ってようやく宿に着いた。

いつもそうだがすぐに戻るつもりで出かけて戻るに戻れない
ことがままある。いつでもホテルの住所を持って出かけないと
「私の戻る所はどこでしょう」と泣くはめになる。


2007年7月27日金曜 晴れ 快晴 朝20℃つく
あさ8時過ぎ新しいゲストハウスに移るため出発。預けた500$
と一泊分350メデカスを受け取る。5分でつくゲストハウスにすん
なりにつかなくて、元に戻って再びアタック、ようやくついた。

ゲストハウスFATIMASファチマス、ローマ字読みでいいらしい。
部屋の掃除なのか、すぐには入れない。その間パソコンに写真を
取り込む。電源は持って来ているコンセントでOK.南アフリカ、スワ
ジランドは3本コンセント250ワットだった。ここはいくつだろうか。
2本コンセントになっている。同じ二本日本のコンセントとは違い丸
い差込コンセント。

昼飯のためスーパーへ歩いて5分。
ソフトだよ、と主婦の人に聞いて牛のステーキ100g=26メデカス
=225円を300g700円を買った。南アフリカ、スワジランドに比べる
と2倍近く高くなった。

ビーフステーキ100g=220円味はスワジランドよりおちる。
ビール500ml   =100円
トマト1個     =33円
たまねぎ     =忘れた 
キッコウマンしょうゆ=小さいボトル600円、買わなかった。
肉は高くなったがビールは安い。

ここは自炊が出来るのでマイペースで過ごせるのがいい、
たまねぎ半分切って、トマト切って肉を焼くだけ、米は食べ
ながら飲みながら忘れたりしながら
炊き上がるのを待つだけ。

蚊帳付の12人部屋のドミトリー荷物はベッドのそばに。蚊はいなかった。
どこでもこんな感じの部屋。オナラを飛ばせないのが苦痛 ここは一人900円

ヨーロッパの人たちは夏休みなのだろう。一ヶ月以上の長
期の休みを取ってバカンスを楽しむ習慣があるからうらや
ましい。親子家族で来ていたベルギー人4人は車、オートバ
イの販売会社で二人の従業員を雇っている、小さい会社と
自分で言っていた。

その主人は一ヶ月店を閉めて旅をしていると話してくれた。
日本じゃ、とても考えられないなー。それどころか日本では
自分のこと棚に上げて「勤め人はいいなー」と言い放ち、
他人をうらやむ暗く悪い習慣が続く。

泊まっている人はヨーロッパの人たちが多い、いやほとんど
がそうだ。特に多いのはホーランド(オランダ)ジャーマニー
(ドイツ)ここのゲストハウスでノルウェイとスペインの旅人と
逢ったからほとんどのヨーロッパの人と逢ったことになる。
ゲストハウスには20人以上の人たちが泊まっている。

旅人たちと話しながら晩飯を食う。夜8時過ぎて歩いて10分
のネットカフェに行く、昼間日本語で読めて打てると聞いて
いた、しかし日本語では打つことが出来なかった。読むだけに
してあすゆっくり返事を書くことにする。1時間25メデカス
115円?と安いな。宿に戻ったのは10時過ぎていた。

山に囲まれたスワジランドは穏やかでほとんど風はなかったが
モザンビーク、マプートは強い風が時おり吹く。しばらくすると
パソコンの上も少しざらつく。

あした30日朝タンザニアのビザを受け取りそのまま海岸沿いを
北に走ります。時間があれば地名を書きますが、、。