松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

4月7,8日 マリ 首都バコマ

2008年04月20日 | マリ

丸い家から四角の家に変ってきた マリ

2008年4月7日月曜 はれ
ニジェール、ブルキナファソに比べると暑さがやわらい
だように感じる。陽が落ちた夕方宿の周りを歩く、土壁
家の軒先には仕事を終えたおやじさん、おばさん達、そ
して若い人たちは5,6人集まってしゃべりながらくつろ
いでいるのどかな雰囲気だ。

これまで炎天下を走ってきた。走っていて気がついた
のはロバ馬車が多いこと、トラックのスタックが多いこ
とだ。あの小さいロバが薪(まき)を積んだ荷車を一頭、
あるいは2頭立てで活躍していた。クルマよりロバ馬車
の方が目についた。そのロバ馬車に追突しているライト
バンも見かけた、考えられないことだ、まったく、ロバは
大丈夫だったのだろうか。

運んでいるのは薪(まき)ばかり、時には自転車に山の
ように積んで運んでいる、見ているだけで今にも倒れ
そうだがハンドルを木で固定して押していた。女性も
同じようにして運んでいた大変なことだろう。

またこれまで走ってきた中で目につくのは道路の脇に
停めて修理しているトラックが多いことだ。走っている
と草や、木の枝をトラックの前後、道路にまきちらして
注意をうながしている。

一日に5,6台は道路際に停めて修理しているのを見
た。中にはトラックの下にベッド敷いて長期戦に備えて
いたドライバーもいた。また同じトラック同士気持ちが
通じ合うのだろう自分のトラックを停めて手伝ってい
るトラックも見受けた。なにせ炎天下の下大変なこと
だ。

ガーナを除いてこれまで走ってきた、トーゴ、ベニン、
ニジェール、ブルキナファソ、マリは元フランス領なの
でフランス語だけで英語はまったくと言っていいほど
通じない、若い人は少し話す人もいる。そこへわたし
がいるのだが人々は親切なのでどうにか過ごすこと
が出来ている。

一度は直したスタンド、道のデコボコでスタンドが落ち
てガガーを引きずってきたこともあり停車する時オー
トバイのスタンドの座りが悪い。この前はペトロールス
タンドで転んだ、自分もいっしょに崩れ落ちるので危
ないのだ。転んだ時は胸を打ったり腰を打ったりして
今も痛い。

オートバイ屋に来てもらい、スタンドをはずして溶接屋
で思い切って曲げた。これでスタンドの軸が「突飛」と
かに当たっても当分は心配しなくてすみそうだ。溶接代
手間賃込み1200円。

2008年5月8日火曜 はれ
これから進むセネガル方面への道を調べる。ガイドブ
ックの市内地図、道路地図を広げてホテルのスタッフ
にどっちの方面かを聞いた。地図ではホテルの位置
がわからないので分岐点まで歩いて行った。500m
ぐらいで右に大きな道路が続いている。この道を真
っすぐに行けば「いい」と教えてくれた。

バコマ市内から出るのに厄介なことになりそうだと
気がかりだった。市内から出るのは意外と簡単でホ
ッとした。その曲がり角ロータリーにはモニューメント
が建っていてマリ国旗がなびいていた。

ホテルに戻る。オートバイの両サイドのボックスをつ
ないでいる布がシートからずれ落ちてくる。そのず
れ「落ちる」のを防ぐため後ろのボックスとシートの
間にL字型のアルミを探しに行く。ホテルのスタッフ
にマルシェについて行く。

古本、ノート、釘、ツルハシ、ホース、洋服、布、食器、
便器、サンダル、はみがき「木」、ピーナツ、ゴムひも
何に使うのかわからない金具、工具、くさり、建築材
鉄棒、鉄板、オートバイ修理、販売、部品、溶接屋、薬
草何から何まで売っている。西アフリカの国でのマ
ルシェ(バザール)はどこの国でも50年100年たっ
ても変ることがないのではと思う。

鉄骨屋の棚に捨ててあった空のかんかんを切り落と
してL字型に直してもらう40円。これでも金取るの
か、これじゃ拾ったほうが安くて済んだなー。ホテ
ルに戻りボックスをつなぐ布の下にL字アルミ缶を
組み込んだ。

前ブレーキのオイルもれ、スタンドの座りも直した、
とりあえず気になるところは今のところはなくなっ
た。これでいつでも出発できる。

アフリカを旅している青年Iさんがホテルに来たと
ゆうより戻ってきた。ギニアかどこかへ行って戻っ
てきたらしい。そのIさんとネットカフェに行き、日本語
で打てる「方法」を習った。彼はこれから3年かけて
旅を続けると話す北海道出身。日本人女性はNGO
の活動を続けているようだ。

昼はセネガル料理200円と高い、夜はマリ料理120
円と安い。それぞれ持ち帰り、宿でトマト、たまねぎ、
きゅうりを添えて毎日同じパターンの食事が続く。












4月4,5,6日 ニジェール川沿いからマリへ

2008年04月20日 | マリ

砂漠を流れるニジェール川、大きいなー。幅2kmはあるとホテルの兄ちゃんが話す。マリ


砂漠地帯で暮す人々 マリ

アフリカの旅 マリ
マリに入る
2008年4月4日金曜 はれ 朝25℃ 昼40℃

きのうの朝と同じ6時30分にルネッサンスホテルを出発。
北の国境を越えてマリに入る予定だ。クリーム色のシャツ
を着たハイスクールの生徒達が自転車で歩きで登校して
いる。朝もやの中ぼやーッとした道をゆっくり走る。天気
のせいもあるがだいぶ目の視力も悪くなったようだなー。

アレーッ突然あたり一面みどりのじゅうたんになる、なん
だろう、ん水田なのかな。道そばをよく見ると水を張って
苗を植えている、稲作なんだー。田園地帯は4~5k続いた。
温度も22度に下がり0以下で昼間死んでいるかのような
湿度計が5%をさしている。壊れてはないんだ湿度計。

不思議だなー砂漠地帯の一部に水張って稲を作っている。
すぐに畑から原野の平原に戻る、温度計30℃、湿度計はい
つものごとくゼロ以下に戻りストップ止めで停まっている。
今度は一変してさえぎるものがない平原の乾燥地帯を走
る。踏み切りの腕木遮断を通り過ぎようとしたらピピーと
笛の音。呼ばれた所はブルキナファソの国境だった。思った
より早く着いた。

ブルキナファソ出国手続きはすぐに終わった。わたし以外
には誰も周りにはいない。5kぐらい走ってマリの国境で入
国手続き終わり40m先のオートバイのカルネ手続きもすぐ
に終わった。きのうベンツの男性に教わった新しい道、クラ
ッチャーと言う町を通っても「大丈夫」かと地図を開いて聞
く「OK]ナイスロードと返ってきた。

途中の村の入り口出口でスピードを落とすための「突飛」
にここんとこやられっぱなし。気をつけているんだけど標
識がないから飛び上がってから気がつくのだ。村に入ると
スロースローで走っているがそれでも時々引っかかってし
まう。途中の小さい町で給油、そこのスタンドのお兄ちゃん
が引っ張ってくれた中庭の広いレストランで昼飯のビール。

14時前今日の予定地セグーSegouと云う町つく、ホテル
はペトロールスタンドのすぐ先にあった。時間は早いが無
理をしないでここに泊まることにする。クーラー付4000
円ファン付のみ2400円と高いなー。クーラー付に泊まり
たいが2400円のファン付で我慢する。ガイドブックをひ
ろげていたら、ニジェール川が一番近いことを知った。
ホテルのスタッフがオートバイで乗せて行くと話す。

600円とタクシー代より安くしてもらいニジェール川まで
見物に行く。10分ぐらいでニジェール川についた。大きな
川だなー、砂漠の中にある川、ナイル川に続いて二番目の
川ではないかなー運搬船に積み込む人々、渡し舟なのか
遊覧船なのかわからないが一杯乗せた細長いボートがは
しっている。

川岸では魚とる人、洗濯する人、水遊びする子どもたち。
川岸には大きな遊覧船も停泊している。川幅は2kmぐら
いあるとホテルスタッフは話す。じーっと眺めているだけ
で気持ちが安らぐ。

2008年4月5日土曜 はれ 朝22℃ 昼40℃

昼間の暑さに慣れてきたので22度の朝は涼しいぐらい。
けさも朝の早いセグーのホテルを出発。今日は首都バコマ
まで230k。アスファルトではあるがゴトゴトと振動で走りづら
い。白いマリの空、思ったより暑さを感じなくなった。狭い道
路の両サイドの赤土が続く。対向車がくると路肩に入り込ま
ないように注意がしなければならない。

大きなニジェール川を渡ってバマコ市内中心街に着いた。
地球儀のモニューメントのある大きな通りをタクシーで目
的のホテルを探すが、「わかる」と話したタクシーはあっち
こっちで聞きながら走る。これじゃ仕方ない大きなホテル
に入ってみる。一泊9000円と目玉がとびだす値段。わたし
は一泊2000円ぐらいのホテルを「探している」とホテルス
タッフに話す。

すると、スタッフは歩いてすぐのホテルまで案内してくれた。
ありがたかった。一泊2000円天井にファンじゃなく扇風機が
着いてるだけ。安宿のスタッフと話していると日本人女性の
旅行者が出てきて地元語で通訳してくれた、久しぶりに会う
日本人、何かと情報とか聞けそうだ。11時を過ぎたばかりだ。

部屋が空くのは12時過ぎ、それまで昼飯はビールだけ売っ
ている場所にピーナツを持って出かける。夜は日本人女性
の案内でセネガル料理を作っている店とゆうか普通の家ま
で買いに出かけて部屋で食事する。日本人女性の話だと最
近まで多い時は5,6人がこの安ホテルに泊まっていたと話す。

2008年4月6日日曜 はれ
今いるマリの首都、バコマはどのくらい大きな町なのか
なー。泊まっているホテルの周りは静かである。午前中
日本人Nさんはマシェル(バザール)に買い物に行くの
で見物方々ついて行く。狭い路地にはぎっしりあらゆろ
物を売っている。アメ横より数十倍の規模でとても一人
じゃ歩けない。

その歩けないマシェルの帰りにNさんを見失ってしまっ
た。ウーン困った、ホテルの名前も覚えてない。マリ?大
きなホテルの名前を近くの人に訪ねるがわからない。
タクシーを拾ってメイン通りのホテル、マリと言っても通
じない。若い人の前で車を停めてわたしに話せと言った。
わかったのかわからないのか走り出す、行く先のわから
ない客を乗せたタクシーもいい迷惑だ。

あっちこっち走り回る、大きなメインどおりに出てきた、
地球儀のあるモニュメントは見覚えがある、真っすぐ行っ
た所だ。大きなホテル前についた。ようやくたどり着く
ことが出来た、この間一時間かかった。Nさんは「探した」
んですと話す。大きなホテルの名前はマリではなかった、
MIUGUだった。

出かけるときホテルの名刺や住所を書いていけばよかっ
たのだがうっかりしていた。以前イングランドの小さい町
ですぐに戻るつもりで出かけ、2時間も探しても戻れなく
なりそうになったことがある。このときは夜なっていた
のであせったなー。

オートバイの前ブレーキからオイル漏れがある。きのう
ホテルのスタッフにメカニックを呼んでくれるように頼
んでいた。メカニックの人はブレーキ板と部品を交換し
てオイル漏れも直した。1万円以上はかかるだろうと覚
悟していたがブレーキ板、部品代2000円、手数料1000
円、トータル3000円で済み助かった。

夕方ネットカフェでスタッフが一時間以上かけてもコネ
クト出来なくてダメだった。ガーナ、トーゴ、ベニン、ニジ
ェールとどこでもコネクトで来たのにどうしたんだ。エ
チオピア、ウガンダに次いでコネクト出来ない国になっ
た。日本へのメールも送れない。

食堂の看板もない普通の家で作っているマリ料理を今
晩も買いに行く。6時半ごろ行った時はカマドにマキを
燃やして煮込んでいる最中だった。8時ごろ「来い」と
云われてホテルに戻る。腹減ったので7時半ごろ再び
セネガル家庭料理屋へ。カマドから下ろした出来立ての
大きな釜は土間に並べてある。

料理は愛情と聞いたことがある。豊かな表情のおかみ
さんの座った周りに釜が取り囲む。スパゲティの釜、炊
き込みご飯の釜、豆の釜、肉の釜、内臓の釜、スープ釜、
ジャガイモの釜など見るからにおいしそう。地元の人た
ちが鍋や、容器を持って出来上がるのを待っている。