松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島・中東・東欧・ハンガリー 8月21日~25日

2014年08月26日 | 赤道直下と陸路国境148か所
2014年2月から走ってきただいたいのルート





ハンガリー・ブダペスト市内・・






2014年8月25日月曜     はれ15℃     はれ19℃
ナビ・ガーミン店へ・・ホテルでコピーしたのを見せてタクシーに頼んで引っ張ってもらった
・・その場所についたようだが・・タクシーの運ちゃん・・このへんだと・・。

通りがかった地元のおじさんにタクシーが聞いている。おじいさんは美容院で聞いて・・「真
っすぐだ」・・あった

「ガーミン」店。地元のおじぃさん、ありがとうございました。ナビについて「うまくつなが
らなくて・・充電できてないようだ・・接触を見てほしいい」

配線のことはわからないと・・自動車修理工場に向かってスクーターのうしろについてゆく・。
配線をやり直してもらってガーミンに戻る。

テストして・・わたしのガーミンは「充電できない」ダメだ。結局交換してもらった「ナビ」
無料でいいとスタッフ。すみませんね・・。

妹さんが日本に・・日本人と結婚して千葉に住んでいると・・片言の日本語をしゃべるスタ
ッフだった。

彼も2才の子供がいて来年あたりに「日本に行く」と話していた。とりあえずブダペストで
「オートバイの整備」・「ナビの修理」を終わらせたいと考えていたので・・とりあえずす
べて終わらせることが出来た。

あしたオーストリア・ウィンをめざす。今回はルーマニアからはいったが前回13年前ハンガ
リー来た時はウクライナから入って・・バラトン湖の近くにあった・・でっかい露天風呂に
ってクロアチア~スロベニアに抜けた。


2014年8月24日日曜       はれ     はれ
ゆうべ雨が降っているような・・雨音を聞いた。朝になって晴れて・・すっかり秋の気配・・
いつもこうなんだろうか・・長そでシャツ、ジャンバー二枚着て散歩・・

寒さを感じる日本の11月の風だ・・。天気予想をみるとブダぺスト・・朝11℃昼間でも
20℃前後の気温になっている、朝は寒いわけだ。

散歩がてらにバックの店をスタッフに聞いていたのでまわってみた。個人商店のお店だろう
と歩いて行くと違った。

しゃれた大きなビルが商店モールになっている・・ハハーン・・この中に入っているカバン屋
さんなのだ。今8時、10時オープンなのでまた来てみよう。昼過ぎに再びカバン屋を探した。

大きさのちょうどいいのがあった・・「いくら」ですか・・500ドーラ・・5万円・・エー
ッ。踏みつけても壊れない強度の強いプラスチックでできているようだ・・それにしても高す
ぎる、バイバイ。

地下にあるスーパーマーケットに寄ってみた・・・布製品のおおきなバック・・おおこれなら
いいぞ。棚の一番上には、売れ残りのほこりをかぶったキャスター付きのバックがあった。

よしこれなら大きさもいい。ハンガリー通貨まだ計算できないでいる。320h⇔1ユーロ・・
5700H・・2000円ぐらいだろう。

ホテルに戻って荷物を入れ替えてみたらちょうど「いいあんばい」におさまったのでうれしく
なる。




これまでは使わない冬ものだったので袋に詰めてチューブでしばって持ち歩いてきた。これ
からはひんぱんに開けたり閉めたりしなければならないので・・持ち運びに便利なキャスタ
ー付きバックを買った。

これで大きなバックと二台になった。ハンガリーに来てビールはどのビールを飲んでもうまく
感じる。観光客が多く訪れるのと比例してビールの味もいいものが入ってくるようになって
くるのだろうか。

値段は東欧の他の国と変わらない・・500ミリ缶一本80円ぐらい・・日本は高すぎるのだ。


2014年8月23日土曜    朝パラパラの雨・・はれ      はれ
モスクワからハンガリーまで走ってきて冷房を使ったのはモルドバのホテルだけ、こんなに涼
しくていいのだろうか、涼しいとゆうより寒さを感じる東欧。

ルーマニアの山越えしたときは震えるほど、ジャンバーを着ていても寒かった。今朝も寒かった
・・ホテルのスタッフも長そでシャツを着こんでいる。

きのうホンダオートバイ店の場所をコピーしてもらった。タクシーに頼んでホンダ店まで誘導し
てもらう約4キロ。

土曜は10時から14時までの営業になっている。早めに出かけて10時前についた。①オイル
&オイルフィルターの交換 ②エアーフィルターのチェック・・③フロントのブレーキパットの
チェック以上の3点を頼んだ。

チェックして②と③は交換「しなくてもいい」と整備士・・①のオイル&オイルフィルターの交
換だけでよかった。ついでに「ナビ」の接触が悪くなっているようなので・・はずれないように
してもらった。

11時半、一時間程ですべて終了。8000円ぐらいだった。ホテルに戻るとき・・きのうの帰
り道と同じに走っていたが・・きょうは途中から一通になって・・わからなくなってしまった。

土曜日とあって道も混んでいて・・結局グルーと大回りしてきのうは30分ですんだのに2時間
もかかってしまった。気になっていたオイル交換など点検を終わらせた。

あとは「ナビ・ガーミン社」は土曜・日曜休み・・月曜に行って見てもらおう。ナビ」が早く使
えるようになって・・気持ちも楽になりたい。











2014年8月22日金曜     はれ       はれ
はじめてオートバイを持ち出してブタペスト市内へ・・・ホテルまで戻ってこれるかどうか不安
だったが思いきって走ってみた。世界一美しいと言われる「国会議事堂」・・をバックに撮った。

邪魔にならないコーナーを見つけ出して、地元の人、フランス人に撮ってもらった。大きな橋を
4つ見ながら・・ブタ側から橋を渡ってペスト側に回る。きれいな街並み・・観光客が多いなー、
どこを走ってもにぎやかな街に感じる。

ホテルの戻ろう・・大体の見当をつけて・・最後ガススタンドで聞くとホテルの近くまで来ていた
のでひと安心。

東欧の最後の国・・ハンガリー・・出来ればこの国でオートバイの点検・オイル交換など全て終わ
らせたいと考えて走ってきた。

①ホンダ店でオートバイのオイル交換など全て点検してもらおう・・②地図が出てこなくなったナ
ビ「ガーミン」社に行って相談してみよう・・。

ユーロになって実際はわからないが・・ヨーロッパに入ると点検の値段も高くなっているだろうか
ら・・出来ればこの国ですませたい。

フロントで①「ホンダ・オートバイ店」を探してもらい、②ナビ「ガーミン」の店もあったので地
図をコピーしてもらった。あとはその店に行って相談するだけだ。


2014年8月21日木曜    朝から雨    くもり
泊っているゲストハウス・・駐車場がない、となりにある駐車場わたしの泊りよりたかい4500h
・1500円・これじゃ泊っていられない。

さっそくPC、ブッキング、ドットコムで探してタクシーのうしろについて向かった。こんなに遠い
のか15キロも走った。ついたところは誰もいないどうなってんだろう。

となりの人もわからないと。仕方がないゲストハウスに戻って再びホテルを探す。今度は近い「ブダ」
エリアにある。日本のユースホステルに、感じが似ている2000円。

14時まで待って個室・部屋に入る。静かなところである。マーケットに買い物に行っているあいだ
キッチン道具の入った布バックを柱の陰において出かけた。戻って見るとバックがなくなっている。

フロントに聞いてもわからない、ナイフに、フォーク、スプーン、塩、せん抜き、それにガスバーナ
ー、ナベ、皿3枚、キッチン道具一式。

近くにあるごみ捨てタンクをのぞいたら、荷物カバー兼オートバイカバーが投げ捨てられていた、キ
ッチン道具はなかった。あーやっぱり持って行かれたんだ。よっぽど困っているんだなー。

トマト、しょうが、も入っていたな。まぁこれから少しづつ揃えていこう。モスクワで頂いたナイフ
は別にしまっていたので野菜ソーセージは切ることができた。ホテルのキッチン道具はフロントで借
りることになっているので面倒なのだ。






第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島~中東~東欧・横断・縦断8月15日~20日

2014年08月22日 | 赤道直下と陸路国境148か所
モルドバからルーマニア横断・・ハンガリーブダペスト・まで来ました。ここはハンガリー入国手続き・・






2014年8月20日水曜    はれ18℃    ハンガリー20℃     雨20℃
朝6時に出発・・となりの国ハンガリー・ブタペストを目指す・・きょうは行けるところまで・・。
ネット環境が悪くキロ程がわからない・・500キロ以上はあるだろう。

片側一車線のカーブの多い道路が続く・・街に入ると50キロ・・街を過ぎると80キロ100キロ
で走れるいい道路・・国境の街についた・・

ハーレーのオートバイに「ソーリ・ブタペスト・・」オレの「あとについてこい」「サンキュウ」・。

走っていたE60とは違って・・途中から左に入った。ここから真っすぐ走ると「カスタム・国境」
に突きあたるからと・・停まってていねいに説明してくれた。

ありがとう・・泊ったホテルから300キロぐらいで国境についた。ルーマニア国境・・もぬけの殻
・今まで使っていたカスタム事務所はガラガラでだれもいない。









写真を取りながら素通り・・ハンガリーの国境についた。ここでは車が並んでいる。車の荷物を調べ
てすぐにおしまいの車・・中にはパーキングで荷物を調べられている車もある。

オレも荷物を開けられるのかと心配したが20分ぐらいで入国出来た。昼飯休憩・・いま12時。レ
ストランの人にブタペストまでのルートを聞く。

案内地図にアウトバン・高速道路までのキロ程を書いてくれた・・ここからあと300キロだ。途中
ガススタンドで子供、家族連れライダー集団と会った。

ブタベスト・これから雨・・あしたも雨とありがたくないが・・アドバイス情報ありがとう。アウト
バンの道に入るのにトラック、マイカーに聞く・・。最後オートバイの人に入口までひっぱてもらっ
た。

きょうもついていたな・・国境の手で・・ハイウェイの手前で偶然にオートバイ仲間に2回も助けら
れた。案の定雨が降ってきた・・ハイウェイのパーキングに入りカッパに着替える・・完全装備終わ
った・・さー雨よー来い

こんなものだ・・すぐに雨があがった。120キロ平均で走る・・車が少ないなー。ブタベスト市内
に16時半についた・・予想どうりの時間。

途中のレストランで予約したゲストハウスのアドレスを見せてタクシーに案内してもらう。街の中心
にあるホテル。駐車場がない・・となりの駐車場・・一日4500・・まだ通貨の計算はできないが
・・高すぎだ・・無料の駐車場のある別のホテルを探そう。

とりあえず一泊してあした移ることにした、2000円。今のゲストハウスドミトリー1300円・・
若い人ばかりで雰囲気はいいが・・キッチン・食堂なし・金がかかる。

中国系の人かと思った食堂はベトナム出身だった。アメリカを唯一倒した世界一強い国ベトナムだね、
・・・笑ってそうだそうだ・・。中華料理は久しぶり・・でうまかった。

夜9時を過ぎたら花火があがっている・・ぞろぞろ歩いて行く・・川に向かっているのだろうか。相部
屋6人・・イングランド男女3人、戻ってこないうちに早めに電気を消してベッドに入る。







8月19日火曜       はれ       はれ
朝9時半ホテルのレセプションから部屋に電話・・フロントの下りてみると「ジョーブ」さんが来ていた。
きのうホテルまで案内してくれた大学生。

「スタンド・フィニッシュ」・・「OK・フィニッシュ」・・着替えて彼のオートバイで「ペーターさん」
宅に向かう。すでにスタンドは取り付けが終わっていた。

「おーこんなに早く修理が出来たんだ」ありがとうございます。無理にスタンドに負担をかけないように
・・いつものようにしていれば大丈夫とペーターさん。

「お金はいくらですか」「ノー、いらないと」それにペーターさんのオートバイクラブのTシャツまでい
ただいた。イヤーほんとうにありがとうございました。

ジョーブさんとホテルに戻る・・彼は二日間も世話するとは思ってもいなかったでしょう。ホテルに案内
したばっかりに・・迷惑をかけてしまった。

ガソリン代を受け取ってとほしいと金を渡そうとしたが「ノーノー」と受け取ってもらえなかった。それじ
ゃ・・きょうの夕方飲もう・・5時にホテルで待っていますから。

ありがとうございました。スタンドが折れて・・一瞬・・頭が真っ白になったのに・・次の日にスタンドが
直っていた。

イヤーどうなっているのだろうか・・見知らぬ国で見知らぬ「人」同士・・助けてもらって感謝・感謝・申
し訳ない気持ちである。

フロントで待っていると・・ぴったり5時に大学生のジョーブさんがホテルに見えた。となりのレストラン
へ。あなたの顔・・「ヨーロッパ」だね。

パパ、ママハンガリー・ブタペスト出身とか・・両親60才・・妹21才・・。彼のメールでパソコンのフ
ェースブックに入れてもらった・・ペーターさんのも、いっしょに登録してお気に入りに入れた。7時頃こ
れからもよろしくと・・・別れる。ありがとうございました。








オートバイのスタンド本体の根元が「パキーン」と折れてしまった
8月18日月曜   朝はれ    山越え霧・寒いさむい     午後はれ
ルーマニア二日目・・どっちの道を走るのだろうか・ネット環境が悪くて地図が出てこない・・手書きで書
き込んで聞きながら走ろう。

ホテルのガードマンに地図を見せるとそこの道から南の方へと教えてくれた。ひとまず安心・・5時45分
に出発。とりあえず「ブラショウBrasov」180キロ・・きょうは暑くなりそうだ・・

真っ青の空。山の中に入っていく・・狭いカーブが続く・・しかし道路はいい。イヤー寒い寒い・・霧がか
かって前が真っ白・・5℃を温度計がさしている・・寒いわけだ。








街に降りても寒さはおさまらない、次のガススタンドでカッパを着こもう。目標のブラショウの街に入った。
ここまで180キロを4時間かかっている。

地図を見せて次の目標の街「ツルグモレスTarg Mures」・・そのあとの「オラデアOradea」まで・・。スタ
ンドのおじさんしばらくして・・自分で地図を書き込んでくれた。

近くのロータリーはこまかくわかりやすい・・一目瞭然・・遠いところは「次の街で聞けと」さすがだ。あり
がとうございました。安心して走れる・・感覚としては元の道に戻っているような感じ・・。

二度も三度も聞き直す「ツルグ・・」この道をまっすぐ・・OKだ。ここまでは南に走ってきた今度は北に向
かって走ることになる。

南北の道はあるが東西の道はないルーマニア。カッパは着なくてもいい・・いい天気になってきた。片側一車
線だが道路はいいし晴れて気持ちよい。

途中食事休憩・・ツルグモレスまで100キロ・・到着は2時になる、きょうはここまでにしよう。天気は
いいが温度が上がらない・・高原だからだろうかジャンバーは脱げない。「ツルグ・・」の市内についた
14時だ。

いつものように・・・初めて見たスズキ・オートバイの青年を止めてホテルを教えてほしい。彼はOKと走
りだした。一軒目高そうなホテルだな・・「ソーリ、スモール、デスカウント」もっと小さいホテルは・・

二軒目ここならよさそうだ・・ホテルの駐車場に入れ直そうとしたとたん「パキーン」とスタンドが折れて
しまった・・ありゃ・・。

ホテルのパーキング、スタッフとオートバイの彼に手伝ってもらい起こす、とりあえず壁にハンドルをあて
て駐車。スタッフに溶接屋まで・・行くからタクシーを呼んでくれ。

荷物をフロントに預けて・・宿泊手続きの最中にタクシーが来たとスタッフが呼びに来た。14時30分に
ついて・・15分しか経ってない・・早いなー。

タクシーのうしろについて「メカニック」へ・・自動車修理工場だ。いろいろ検討してもらっているようだが、
パソコンの「翻訳・・音声」を「ここでは」「溶接できない」と聴かされる。

会社の知り合いに「メカニック」がいる・・もうすぐ来るから・・。スクーターでその知り合いがやってきた。
さっきひっぱてくれたオートバイのお兄ちゃんもやってきた、メカニックとは知り合いではなさそうだ。

ホンダの会社はこの街にはない・・首都ブカレストまでいかないとないと・・。メカニックの自宅までついて行
く。スタンドの本体をはずして・・「きょう、溶接は無理だ」と・・「溶接屋しても大丈夫」と聞く・・「ノン
プレグラム・・」大丈夫らしい・。

メカニックの名前が「ペーター」オートバイのお兄ちゃんは「ジョウブ」と・・。「ワイフ・チルドレン」は・・
ペーターさんはまだ結婚してなくてひとり者・・ここは両親の家だと・・

話しながら・・折れた「スタンド・本体を」溶接屋に持って行くのだろうかスクーターで出かけた。直ったら
ペーターさんがオートバイのお兄ちゃんに電話してホテルまで迎えに来てもらうようだ・・。

わたしはオートバイのお兄ちゃんに乗せてもらいホテルまで戻った。いやーありがとうございました。最悪
の場合日本に連絡して「スタンド本体」を取り寄せる・・するとしばらくここにとどまることになるのか
・・など考えた・・。

まぁ・・どうなるか・・あしたを待つことにしよう。ホテルの名前は「コンチネンタル・ホテル」部屋に戻
ってわかった。一泊29ユーロ・・・いくらだろうか・・今120円ぐらいか、だとすると4000円?










ルーマニアに入る
8月17日日曜   はれ    くもり  雨  くもり  肌寒いルーマニア
5時45分モルドバ・キシナウのホテルを出発・・ルーマニアに向かう・・きょうは行けるところまで・・。
キシナウ市内から出る道・・

「この道・ルーマニア」・・違う・・「Uターンして左へ」きのう確認したグーグル地図・・違って
いるようだ。タクシーに「ルーマニア」は・・オレの「あとについてこい」・・朝が早い・・日曜日・・
車少ない。

10キロ以上もひっぱてもらった・・。・「ハウ・マネー」「ノーノー」と受け取らない・ありがとう
ございました。

片側一車線・・道は狭い・・道路の状態はいい方。70~80キロで走れる・・ガタガタがないので気
持ちよく走れる。

道はこうでなくちゃなー。7時40分・・国境についた。モルドバ出国手続き・・15分。次ルーマニ
ア国境・・結構車が並んでいるのだが・・係官が一番目前に出てこいの指図・・みなさんに悪い気持ち
があるが・・言われままトップに。

手続き終了・・と思ったのに年とった係官が・・オートバイの荷物を「開けろ」ときた・これが一番面
倒なのだ・・おれと同じで「くそったれおやじ」しょうがない・・

ぶつぶつ言いながら荷造りのチューブをはずして「見せた」荷物に手を突っ込んで・・「検査」なのか
・・たったそれだけで終わり・・荷造りは・・一旦ほどいたら・・・

これからがまた大変なのだ時間がかかるのだ「このくそったれめが」・・でかい声で荷造りを始める・・。
係官が「シー・シー」静かに・・くちびるにあてるすぐさ・・かまうことなんかあるもんか・・「このく
そったれめ」・・・

係官が近づいてきた・「ルーマニア」ボーダー・・「ワールド、ワーストナンバーワン最低」だ・・

自分が気にくわないと「いつも使う」言葉「このばかすけが・・「捨てゼリフ」を日本語で吐き出して
・・バイバイ。ルーマニア手続きが終わったのが2時間もかかっていた。

ここから先はヨーロパヘ・・全く予定していない、どこの国どの場所を通ることになるか、きょうは
「バカウ」覚えやすい街に泊ることにした。

「バカウ」についてあわてたのなんだって・・ホテルについて・・「カメラバック」がない・・どこに
置き忘れてきたのだろう・・ホテルの清算もそこそこに・・気が気じゃない・・

前回入れた・トイレを借りて・・おそらくあのときだろう・・ガソリンスタンドまで戻ろう・。あわて
て・・走り始めたらこけてしまった。

ダメだ、あしたゆっくりもどろう・・これまでのこと思い出す・・・レストランでカメラを見た・途中
・・雨が降ってきた・・そう・・だー。

カッパに着替える時に濡れないようにボックスに入れた・・ことを、すっかり忘れていたのだ・・。ホ
テルについて・・どうするか・・どうなるのか・・あわてるも・・なにも・・引きかえす気持ちだけ

・・先走って .あーでもよかった、ひと安心。ここは30ユーロ・最近ちょくちょくある兆候・・
・・痴呆症ありあり、自分でも怖い。


8月16日土曜    はれ     はれ
新しいカメラを持って朝の散歩・・あたらしいデジタルカメラ使い勝手がよさそうだ・。7時だとゆう
のにバザールが始まっている。

狭い通路にぎっしりお店が入っている・・靴屋で靴の修理をやっているところはないですか・・若い
人に修理専門の場所まで連れてもらった。ホテルに戻りオートバイのブーツがほころびてきているの
で修理を頼んだ。

35MD250円ぐらいですんだ。ありがとうございました。「早起きは三文の徳」あした移動しよう
・・ルーマニアに向かうことにした。


8月15日金曜     はれ          はれ
朝から強い陽ざしがつよい・・冷房の部屋でゆっくり、ぐっすり眠れた。朝の散歩を終え・・近くの
スーパーで買いもをすませたあと・・部屋にこもりっきり・・ブログの更新・・

デジタルカメラをなくしたので安いカメラがあったら・・午後ホテルと同じビルのお店へ。デザイン
も気にいった・・値段も1万4千円と安いかったので買った。

歩きながら肩からぶら下げている・・海外ではキャノンの大型カメラが目立ってほとんどキャノンだ
った今回はあっちの国でこっちの国で「ニコン・カメラ」をさげて歩いている人が目につくようにな
った。

わたしも今回はニコンに変えてみた。手軽に写せる小型カメラがわたしにはあっている、気持ちまで
明るくなった。












第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島~東欧・チェルノブイリ~モルドバ 8月13~14日

2014年08月17日 | 赤道直下と陸路国境148か所







8月14日木曜    はれ        はれ
冷房がなくて夜中に汗びっしょりになった・・水洗の水の出もよくない。朝起きてすぐに
ブッキングカム(booking com)でホテルを探して移ることにした。

途中タクシーにアドレスを見せて引っ張ってもらう。直線に走ってすぐについた。ホテル
の入り口パーキングがわからない・・・地元の人に教えてもらい・・

歩いて確認してはいることが出来た、22階の大きなホテル一泊4000円と高い。これ
までゲストハウス・相部屋で気を使い・・すごしてきたので冷房の部屋でひとりゆっくり
休みたい。

モスクワからウクライナまでゲストハウス・相部屋・ドミトリに泊ってきた1000円~7
00円と安かった。物価もビール70~80円・・一日2000円でも過ごせた。

ガソリンワンリッター120円前後だった。ガソリン代入れても一日5000円で収まる。
東欧は物価が安いので助かっている。











モルドバに入る
8月13日水曜    朝小雨 20℃   もり       はれ 29℃
パラパラ小雨が降っている・・出発準備したので走ることにする。きょうはモルドバ・キシ
ナウまで約500キロ・・。

南のオデッサー方面を目指し・・途中右に入るルートだ。キエフ市内で「オデッサ・オデッ
サー」3回ほど聞いて本線に乗ることが出来たが・・北に走っている感じ・・

太陽が出てないので方角をつかめない。執拗に「オデッサー」「オデッサー」と聞く、だれ
もが「プリャーマ・プリャーマ」「この道を真っ直ぐ走れ」

これでいいのか・・「ODECA」の標識も出てきた・よしよしこれでいいのだ。道路がよくない
・・アスファルトでも・・フセコケタ・・デコボコななっている。

うしろの荷物が左にずれてきている。荷造りのし直しついでにバックミラーを硬く締め直した。
雨はやんでいる。

モルドバに曲がる手前で昼飯を終えて・・いよいよモルドバに向かう道に入った。道は狭くな
りガタガタ道がひどくなった。ひっきりなしにハンドルに伝わってくる。

国境まであと80キロ・・登り下りの直線道路がどこまでも続く・・ほとんどは平坦と言って
いい。そう言えばモスクワ、ベラルーシ、リトアニア、ポーランド、ウクライナを走ってきて、
山を見たことがない。

一帯は平原になっているのだろう。ブロックをジグザグにおいてある・・国境についた14時
20分・・ウクライナは15分で出国手続き終わる。100mほどでモルドバの国境。

並んでいる車は3,4台と少ない。カスタムでカルネの名前が「MAT(S)UO」・・「S」が抜
けているのだ・・・いちゃもんをつけてくるのか・・これまでこれで各国を走ってきた実績カ
ルネに残っているので・・心配することはないだろう。

最後・・ルミネーション?代30$3000円払ってモルドバに入国・・16時30分。手続
き仕事がスローで・・時間がかかってしまうのだ。お客はもう誰もいない。

もっとも走っている時トラック4台、乗用車など対向車いれても数えるぐらいだった。水を分
けてくれ・・ここには「水がない」係官・・25キロ先にお店があると。

水もないめずらしい国境だ。相変わらずガタガタ道。25キロ走って小さいお店で水を買って
一気に飲む。

走り始めた工事現場みたいな騒々しい場所・・通りすぎた・。ゲートがある「キシナウ」と言
ってもUターンして・・

Uターンすると・・なんとチェックポイントであった。普通は入国手続きが終わると出口の門
で「手続きの終了の紙」を渡すのだが・・ここでは25キロは走った場所にあったのだ。

暑い暑いあと50キロでキシナウに着くと地元の人。キシナウ市内に入ってようやく道がよくな
った。市内に入りタクシーにたのんで「安いホテル」までひっぱてもらった。1

165MD・・いくらなのか計算が出来ない。ATMでシティバンクカードでお金を下ろすこと
が出来た。マーケットで食料を買い込んで部屋で食べる。

うーん疲れた・・モルドバで117カ国目になった。ヨーロッパで走っていない国はアイランド
だけになった。



第7次・70才・オートバイひとり旅・アウシュビッツ~ウクライナ・原発・チェルノブイリ 8月6~12日

2014年08月12日 | 赤道直下と陸路国境148か所
チェリノブイリ原発爆発・・事故あれから28年(1986・4)・・今は


















8月12日火曜  
カメラ探しに朝5時半に出る・・盗られたとは思いたくないので・・きのう走った、まず休憩した場所へ・・
そしてレストランへ・・二カ所に寄ったがカメラはなかった・・

そのまま一眼レフカメラを持って再び「チェリノブイリ原発爆発現場へ」・・ゲートではきのうと同じように
放射能係官も愛想よく・・検査室など写真を撮らせてもらった。ホテルの戻ったのは12時。


4月11日月曜     はれ         はれ
6時に出発・・チェルノブイリ原発・・爆発現場へ。あれから28年(1986年4月)もうすぐ30年・・
になる。人の住めない土地になってしまったようだ。

大きい川を渡る・・違うような気がする。きのうの地図で見たら川沿いを北に走る・・ナビにまかせて川を渡
って北へガソリンがなくなってきた・・ガススタンドで「チェリノブイリ」このまま進んでいいの。

違う違うこっちじゃない・30キロ戻って・・右に走れ。地図を書いてくれた、ありがとう。役に立たないナビ
はしまった。きょうはたどりつけないかも・・不安になる。

来た道を戻って・・何回も聞いて走る。どうにか本線に戻れたようだ・・ガススタンドで再び道を訪ねた・・。
マイカーの人が「チェリノブイリ」に向かう・・オレのあとについてこい・・あーありがたい。静かな広大な土
地を走るに走る。

10時前についた。道路の真ん中にストップのゲート。原発爆発の場所から30キロの地点・・。ゲートにつく
前畑仕事をしている地元の人たち・・







写真を撮っていると地元の女性が話しかけてきた・・タバコを持ってないか・・「ノー」ゲートを前に写真を撮
った・・。

「マイジャパン・ヒロシマ、ナガサキ、チェリノブイリ、フクシマ、原爆爆発、四つのうち三つは被爆先進国・
日本」から来ました・・日本語で話す。「フクシマ」を知っていた。

そう言えばここに来るまであちこちの国で「フクシマ」の名前を何度か聞いた、悲しいことだ。ゲートの係官が
「被ばく線量」検査室まで連れて行ってもらった・・例のガーガーの機械。

部屋の中にはレントゲン写真を撮るような機械が備えてあった。まもなく30年になる・・原発30キロ内に住
んでいる人は強制移住・・

残された土地には残された家畜の他にイノシシ、オオカミ、など住人のいない住みかを寝どころに増えているとか。
目に見えない放射能・








日本・・福島原発から20キロ圏内・・チェリノブイリの状況から考えると、生涯戻れないのではないか・・と思
わざるを得ない。

一回爆発すると人間はすめないだ・それでも原発を進める人たちがいる、どうなっているのか
・・。

途中から「ナビ」が消えてしまい使えない・・キエフ市内のホテルに戻れるか・・キエフ・セントロ・・と何回も
聞きながら意外とすんなりホテルに戻ることが出来た15時だった。








8月10日日曜    はれ        はれ
ホテルを変えてみよう・・ときのう地図で確認・・ナビを持って探してみた・・場所はわかったがホテルがどこ
にあるのかわからない。

話し中のおばさんに聞くとそこだと入口まで10mほど歩いて案内してくれた。ブザーを押しても出てこない。
に戻ってキャンセルだ・・。

あしたチェルノブイリまで走ってこよう・・30キロ範囲は立ち入り禁止になっている。まぁ走れるところまで
いってみよう。

原発が爆発したのが1986年4月あれからあと2年で30年になる

8月9日土曜       はれ           はれ夕方一雨
さわやかな朝いつもの朝の散歩・・きょうは大きな川の流れる橋まで歩いてみたい・・橋まではとどりつけなかっ
たが高台の展望のところまで行くことが出来た。

きのうブログの更新も終えたので気持ちもなんとなくすっきり。チェイリノブ原発・・の場所まで行けるのどうか
・・調べてみたらツアー申込だと・・10人でひとり25000円から一人だと15万円だと・・わたしには無理だ。


8月8日金曜       はれ      はれ
6時20分・・泊っているホテルのまわり朝の散歩・・でっかいスーパーまで歩いてみた。7時からオープンとか・・
歩いている人、通勤の人、商店街の人など見ていても普段と変わらないようすだ。

日本や世界でも緊迫しているような報道をしているのだろうか・・「気をつけて」との言葉をメールで聞くことが多
いな。きょうはパソコンの更新に一日かかりそうだ。スーパーで買ったステーキ晩飯に焼いて食べたらうまかった。

「ガガーリン・ゲストハウス」には近隣諸国の旅人達が多い・・東欧ではめずらししくアフリカのナイジェリアの青
年2,3人泊っている。わたしの部屋にはウクライナ、フランス人わたしの3人。













8月7日木曜    はれ18℃      はれ24℃
きょうも5時30分出発。きのうの道路の状況から考えて・・きょうは500キロ10時間到着夕方5時頃を予想・・
気合を入れて走る。

ひんやりとした空気・・肌寒いぐらいだ。朝早いこともあり、車は少ないとゆうより2,3台しか見かけない。道路は
きのうより広く走りやすい。

そろそろ片側一車線が出てくるのではと思っていたが・・違ってハイウェイ並みの道になってきた。あー出てきたふせ
こけのごとごと道。

ガソリン給油・・「キエフ」このまままっすぐでいい・「違う」3キロ戻って左に入れ。あー聞いてよかった。戻った
道路は一段と良くなった・・もしかしたらキエフまで続いているのかも。

12時前にキエフにつきそうだ・・ほんとうに最後までいい道路が続き12時前にキエフ市内についた・・ホテルの場
所・・ナビにたよって走るが・・狭い裏道に入って飛び上がるほどの穴ぼこの道へ、考えられない「ナビ」誘導。

走っては行き止まり・・もうダメだ・・タクシーに頼んでホテルまでひっぱてもらった・800円。13時を過ぎてい
る、街の中心に近い・・

きのう予約を入れていた「ガガーリン、ゲストハウス」6人部屋・一泊800円・格安ゲストハウスだ。このホテルも
行き止まりの場所にあった。

「ガガーリン」って知っている人が少なくなったのではないか・・人類初の宇宙船、飛行士・・すごいなーって驚いた
ことを思い出す。室内には宇宙飛行士が撮った写真を飾ってある。

炊事場でアルコールはダメだと・・めずらしいゲストハウス。仕方ないさっそくビールを買いに・・部屋で飲む。きの
うもそうだった・・メールは使えるようだが・「フェイスブック」はブロックされているようだ・・

まわりからは「危ない」ウクライナ・と言われているが・まだ雰囲気はわからない・・いまのところなんの変りもない
ように感じられる。










8月6日水曜    雨くもり 20℃     雨くもり     はれ24℃
5時半ホテルを出発、ウクライナ・キエフに向かう約800キロ。走り始め1時間でどしゃ降りの雨・・晴れてきたので
カッパを脱いだら・・又雨になった。

ハイウエイかと思うと片側一車線の繰り返し.ポーランドとウクライナ国境に10時20分についた。ポーランド側10
分ぐらいで出国手続き終わり・・ウクライナ入国30分ぐらいですべて終了。

11時3分ウクライナに入る。普通2時間程かかるが手続きは早い方だった。きょうは行けるところまでと宿は決めてい
ない・・400キロを過ぎた・・最初から4時をめどに早目に宿に泊まることにしている・・1800円。

残りあとウクライナの首都・キエフまで500キロぐらい・となりのレストランで食事しながらパソコンの取り込み・・
9時ベッドに入る。






第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島~中東~東欧~ポーランド・アウシュビッツ8月3~5日

2014年08月09日 | 赤道直下と陸路国境148か所
 「アウシュビッツ・強制収容所」


 思想が人格をつかむと人は変わる・・




















































 世紀の大悪党・ナチス・ヒトラー「アウシュビッツ・強制収容所」

8月5日火曜       くもり       はれ
中央駅からアウシュビッツまでバスで行く。8時半についた、見学者はまばら・・日本人女性2人・・東京出身、名古屋出身。
ガイドを頼んでいると話す・・わたしもいっしょに見学させてもらえますかね・・費用は参加者全員で頭割りなので・・大丈
夫でしょう。

日本人9時半に参加者、小学生二人含めて・・12人集まった。通訳は日本人中谷剛(なかたにたけし)さん。ポーランド国
立博物館所属のガイドである。

第一強制収容所・・約3時間・・第二強制収容所(ビルケナ)約1時間半。最初のゲート・・電流が流れる・・入ったら出て
こられない・・ヒトラーは「世の中がうまくいかないのは」ユダヤ人のせいだと・・

最初はポーランド人だったが大多数は標的にされたユダヤ人・・それに経済にまったく関係ない赤ちゃん、こども、障害者な
ど収容された。 ナチス・ヒトラーは選挙で民主的に選ばれた・30%台で元首に。

女性の髪の毛、カバン、子どの靴、ベッドには何十人も寝かされ、ガス室、この収容所では見られなかったのですが、ドイツ
の収容所では背中の皮膚をはがして、また切りとった女性の髪の毛を・・イスの台座に使った話しを聞きました。

ヒトラーはなぜそこまで凶暴な・・ことを指示してきたのか・・生まれてからの彼の生涯・・をみるとわかるような気がします。
(ナチス・ヒトラーgoogle→検索)

「思想が人格をつかむと人は変わる」
10時を過ぎると見学者は行列が出来て入場するのに相当時間がかかりそう。しかし午後3時以降になると自由にはいれるとか
・・しかし説明してくれる「ガイド」がいないと・・よくわからないかも・・

わたしはたまたま・・日本人の人が頼んだ日本人のガイド通訳で見学できてラッキーだった。第一収容所の見学約3時間、が終
わると広大な敷地にある第2収容所へ・・無料バスで移動10分・・ここは1時間程で終った。

アウシュビッツへの行き方
クラクフ中央駅から電車又はバスで「アウシュビッツ」とゆう駅はなく、「オシフェエンチム」駅。アウシュビッツはドイツ語・
オシフェエンチムはポーランド語とワルシャワの宿で教えてもらっていた。

電車の場合は下りてから15分ぐらい歩きます。バスはアウシュビッツ強制収容所のすぐそばに停まる。電車もバスもひんぱん
に出ている。両方とも片道1時間半~2時間。見学だけで4時間ぐらい・。

電車、バスの移動を入れると全部で8~10時間かかる・。中央駅のバス乗り場もわかりにくいので早目に出かけて行った方が
いいでしょう。















8月4日月曜     はれ20℃        はれ24℃
5時30分ゲストハウスを出発・アウシュビッツ強制収容所まで250キロ・・きのうの予想では雨だった。あしたはカッパ着て
の走行になるのか・・覚悟を決めていた。朝起きると雨ではなくて晴れになっている・・「太陽さんありがとう」。

しかしいつ降り出すのかわからないので上着はカッパを着た。ナビに従って走るが小さい道を選んでいるように思える・・きの
う試した時は思っていた道を示していたはずだが・・。

本線を走るような道ではなくて・・まったく違う道を示している・・ナビは農道を走り続ける。ダメだ、こりゃ、停まって地元
の人に聞くと・・ナビが示している右ではなくて、真っすぐ走れば「ハイウェイ・クラクフ」方面にでる・・と教えてくれた。

なるほどハイウェイに出た。「クラクフ」はアウシュビッツから60キロとなりの街だ。だいぶロスした感じだが・・普段走れ
ない農道を走れただけ「よし」としよう。

最初アウシュビッツに向かうはずだったが・・よく考えてみると・・見学3時間ぐらいだろうか・・ついてから思いリュックを
背負っての見学はきつい・・ホテルに荷物を置いて軽装でアウシュビッツに向かおうと考え直した。

ハイウェイがこのまま続くと思っていたが・・・すぐに片側一車線になってきた。クラクフに11時についた。ナビにきのう入
れたホテルがわからない・・走っているうちに突然見たことのある広場に出た。

前回・・何回か訪れたことのあるメイン広場だ。写真撮って・・・再びホテルを探すがわからない。メモを見せてタクシーに頼ん
でホテルについたのが12時過ぎだった。








きょうはアウシュビッツは無理だ・・昼めし食って昼寝・・15時頃雨が降ってきたゴロゴロ、ドドーンと近くでカミナリが落ち
ている。早めについて良かった。フロントでアウシュビッツのツアーバスについて聞く。

駅まで行くと電車の他にバスの運行がひんぱんに出ていると教えてもらった。あしたは約1時間半バスに乗ってアウシュビッツに
行くことにした。

バスに乗ると・・道のり・信号・ガススタンドなどまったく気にしなくてすむのでこんな気楽なものはない、こんな楽しいものは
ない。駅までのタクシー代往復・・バス代往復・・全部で2100円ぐらいだろうか。

晩飯はホテルと併設しているレストランにスパゲティを注文・・部屋には持って「行けないです」とウェイトレスとコックが出て
きた・・。自分のお皿を持ってとりに来るからと・・特別におねがいした。

「寿司」・「ラーメン」などと・・日本に興味があるらしいコックさん・・出来上がってきたスパゲティは皿いっぱいの大盛り・・
普通の二倍はありそうだ、コックさんがサービスしてくれたのかな・・ありがとう、出来たてはうまい。

昼間買ったビールぬるくなったので酒屋に持って行って・・「すみません」・・冷たいビールと交換してくれませんか、日本語が
通じる。図々しいってこのことなのかな・・こころよく交換してくれた・イヤな顔せずに・・ほんとに快く応じてくれた。

ついでに・・日本だと静岡県の人がこうゆう気持ちの人が多い。世界の中で純粋に気持ちのいい人が多いのはオーストラリアの人
ではないかとわたしは思う。

ビール2本追加して帰った。ゲストハウスはキッチン・冷蔵庫が備わっているのでビールなど大めに買っても平気だが・・。普通
のホテルは冷蔵庫がないのでそうゆうわけにはいかないのが欠点だなー。このホテル2660円。









8月3日日曜      はれ         はれ
わたしの中で世界で一番の凶悪ヒットラー、最後は自殺・・・なんとも情けない卑怯者だった。生きている人間の背中の皮をはぎ
とり、イスに使ったり、女性に髪をイスにつかったり・・その悪行には思い出すたびに鳥肌が立つ。

そのアウシュビッツ強制収容所までのルート作成・・と予約した泊るホテルの場所を「ナビ」に同時進行・・まだ、「名前で」入
力できないため「地図上」で確認して「印を入れる」・・。

結構時間がかかる。6時から9時頃までかかった・・とりあえずアウシュビッツまでは行けそうな気がする。「アウシュビッツ」は
ドイツ語でポーランド語では「オシフィエンチム」と言うと宿のおやじさんに教えてもらった。

近くのマーケットのいくとぞろぞろと水着を着たまま歩いている・・近くにプールでもあるのか・・荷物をホテルにおいてついて
行ったら・・大きな池が海水浴場になって楽しんでいる。

あした雨なのかと思わせる・・一時曇ってきたがいま3時は晴れ渡っている。天気予報をみるとあした雨になっている・・60%だ
から・・大雨でなければ走ることにしよう。





第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島~中東~東欧~ポーランド・ワルシャワ7月31~2日

2014年08月03日 | 赤道直下と陸路国境148か所













8月2日土曜      午前中くもり      午後はれ
午後きのう行って雨のため・・戻った、観光地のメッカと思われるところに行く。ゆうべ晩ご飯を
食べていたとき・宿のおやじさんが「きょうは・・1944・70年・フィスティバル・」と説明
に来てくれた。

そうだったのか。広場に人が集まっている・・何かの抗議行動なのかなと思った・・そんなには多
くはなかったが集まっていたのは・・70周年記念の集まりだったのだろう・・か。

途中、きのう約束していた自転車屋さんに寄ってチューブをもらった、小・中・大それぞれのチュ
ーブ3本・・ゴミバケツから引っ張り出して・・きょうはこれだけ。ありがとうございます。

いつ荷崩れを起こすのか・・心配して走っていたので、これだけあれば・・しばらくは大丈夫だ・・
うれしい・・気楽な気持ちになった。

観光地見るのもすごくいいけれど地元の人と出来ない言葉で話しが出来る方がわたしはうれしい、た
のしい。

晴れわたった青空観光名所についた。きのうとかわって太陽の陽ざしが強い。建物の日陰には暑さを
避けて休んでいる人達が多い。

ワルシャワ―に来た記念写真をとりたい・年配の女性に頼むと・・海なのか、山なのか、外国なのか
・自宅なのか・・「顔だけアップ」の「写真」は・もう「こりごり」・・この人なら大丈夫だろうと
思われる・・悪いけど今回も年配の女性を避けて、写真をとってもらった。

市内観光は今日でおしまい・・あしたはこれから進むルートの作成・・ナビに入れて安心して走れる
ようにしたい。

14年前、11年前、9年前、7年前まで中学生が使うような「世界地図帳」からノートに写し走ってきた。
今回はじめて「ナビ」(ガーミン)を使っている・・なんとも心強い「ナビだ」。

今考えるとよく「地図」だけで走ってきたのもだと・・自分ながら感心してしまう。もちろん今回も
世界地図冊子はもってきた。








8月1日金曜    朝小雨      午後曇ったり雨になったり
ワルシャワ市内観光に11時頃オートバイで出かける。ナビに①から④の順番を入れて見てまわろう。
途中自転車屋さんを見つける。

オートバイ荷造りにつかっている自転車のチューブが切れそうになっていて・・そろそろ替えどき。
旧いチューブ分けてもらえませんか。なんのことだか「わからない」らしい。オートバイのところま
で来てもらって・・「これをとり替えたいんです」

今はない、きょうの夕方にならないと「ない」・・。そうですか、では「あした」来ますのでよろし
くと日本語でお願いした。

一番目の観光名所・・公園の中にある「ショパン」の銅像・・ここは前回2001年に来たことのあ
る所だった。ショパンの銅像とは知らなかった・・ゆうべ宿のオーナーに聞いて初めて知った。

次、前回来た時も写真を撮ったとがったワルシャワ・ビルの前で再び記念写真、なつかしい気持ちに
なる。

メインと思われる観光名所についた・・カメラの電池が切れた、予備を持ってきていない、一眼レフ
をだすがどうも広角できないレンズ・・しっくりこない。広角のレンズがほしくなる。

日本女性と結婚されている夫婦と会った・・雨が降ってきたので急いでカッパを着てホテルに戻る。
またあした来てみよう。


7月31日木曜      はれ      はれ
しずかな住宅街の中にある・・ゲストハウス・・久しぶりに一人部屋でゆっくりできた。朝の散歩・・
買い物を兼ねて近くを散策。

宿でブログの更新にかかる・・時間があるのでと「表紙」の「変更」をクリックしたら、とんでもな
いことになって・・どうしたらいいのか・・元の画面に戻れなくなった。

これでも「いいや」とあきらめていたら・・以前の画像が出てきたの・事なきを得た。日本では甲子
園出場高校がでそろったのかな・。