松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

10月27日 悪夢の悪路でバックを落とす

2007年11月02日 | タンザニア

カサンガ港のひとびと


タンザニア終点の港に集まってきた地元の人たち


タンザニアに陸揚げされたオートバイ、このあと
映っているオートバイの後ろについて行くつもり
が見失ってしまった。


ザンビアに向う途中の村を走る


こうゆう道もあったがすぐにがたがた悪路になってしまう


ザンビア国境に向う途中の村、1$でトマトを
売ってもらって助かった。


ザンビアに向う途中のむらで


ここの村、突き当たりの道マタイでくくり
なおしたのでバックはまだあった


このぐらいの道はまだいいほうの道だった
悪い道では写真撮る暇はないもんねー


タンザニア最後の村ここでバックが
ないことに気がつく


2007年10月27日土曜 はれ 
昨夜はパタパタとはげしいテントの音、強い
風だったのだろう。エンジンの音が止まる。
カラカラーと碇を下ろす激しい音に目がさ
める。4時だ。停泊するようだ。うつらうつら
6時目がさめる。目の前に小さい港、カサン
ガ港らしい。

汽笛を鳴らしたあと7時過ぎに港に近づく。こ
の船の半分ぐらいしかない埠頭だ。タンザニア
入国のため税関の来るのを待つ。最初オートバ
イで来たのは黄熱病「イエローカード」の確認
だった。保健省の人?だったのだろう。


再びタンザニアに入る

イミグレの係官が来たのは10時近くだった。オ
ートバイは荷物を滑らせて船内に下ろす滑り台
を使って7,8人で陸上に陸揚げされている。ここ
の港からザンビアへは船に乗り換える予定だっ
たが小さいボートしかない。


何が怖いって道が怖い、横転したら起こせない

ここから陸路を走ることになった。船長や船員
に道のことなど聞くがはっきりしない、もっと
も走ったことがないので仕方ないのかも。地元
の青年に道路の状態を聞く、がたがたの悪道ら
しい。この時は天国から地獄への道になるとは
思いもよらなかった。

イミグレで入国手続きを係官の後をついて行く
はずがさっきトラックから降ろしたバラスにタイ
ヤをとられて立ち往生。係官のあとを追うが見
失ってしまう、先の方で待っているのだろうと
そのまま走る。

石ころ、砂道、ジャリ、カーブではパウダーのよ
うなふかふかの道。石の道はタイヤで磨かれて
つるつる光っている。いやはや聞きしに勝る恐
ろしい道だ。そして狭い道だ。いきなり地獄の道
になった。

村を何箇所か通ったが税関の姿はない。もしか
して最初のカーブで別の道だったのかも。まだ
5k足らずだが引き返す余裕も勇気もない。その
まま息を呑みながら慎重に走る。朝から水とコ
ーラーの残りを飲んで走ってきた。


走るのが怖い、雨が降らなくてよかった!

緊張の連続と日差しが強いのでのどが渇く。水
も残り少なくなった。店らしい所で水を買おうと
するがタンザニアのマネーは一銭もない。一ドル
紙幣をだすが「だめ」と売ってくれなかった。も
う水がほしい。

トマトを村の路上で売っていた、「お願い」「ドー
ラー」でトマトを売ってくれと頼み込む。見たこ
ともないのだろう、1ドル紙幣を眺めながら「う
ん」みたいな返事。5個のトマトをその場でほう
ばる。のどの渇きは少しおさまった。

これじゃ雨でも降ったら生きるか死ぬかだ、大
げさでなくてほんとにそう思う。雨でなくて
よかった。途中一台だけ止まっていたトラック
の運転手に国境までの距離を聞く。「35k」で
突き当たり、そこから「右に走れ」と教わる。

とっくに35kは過ぎている、ちょっとした集落で
停まった。国境に行く道まで「なんキロ」か。そ
こを「曲がれ」と指さす。ここが突き当たりの
道なのか。「水がほしい」「ドーラー」チェンジし
てくれるとこはないか。

ちょっと待てと青年が走った。「OK」だった。
40$を両替して待望の水2本を買うことが
出来た、あー少しは安心できる。ずれていた
オートバイの荷物をがっちりくくりなおす。
これからブルンジから続いているいわゆる
本線を走ることになる。

少しは良くなるだろうと走り始めた。まった
く同じ、イヤ今まで以上の道だ。わだちに砂
がたまり、タイヤをとられる。石ころ、突然道
の半分が裂けている、これじゃマイカーやト
ラックは通過できないだろう。心臓は鳴る。

直したバックがまたずれている。道と村の
境のないところに停める。ア「バックがない」
大型バックと中型バッグ二個を積んで走って
いる。その中型バックが抜け落ちているのだ。
目の前にオフロードオートバイが停まってい
る。

20,30人ぐらい集まってきた人の中からオー
トバイの持ち主を探す。そしてその「彼」にバ
ックを探してくれるようにたのむ。マネー
「100$」出してくれ、イヤ「50$」を払うから。
私は引き返す気力はない。彼は探しに走って
くれた。

バックには寝袋、アフリカの資料の入ったファ
イル、先週書き終わった日記のノートが入って
いる、現金は入ってない。日記はパソコンに移
しているが寝袋は大事なものだ。残っていた
トマト一個をほうばる。

めずらしい人類、はじめてみる顔だったのだろ
う、集まった現地の人はしみじみと私の顔をみ
つめている。中年の男が英語が出来る、国境ま
で5kと教えてくれる。アーあと少しだ、その場
に座り込んだ。

探しに走ってくれた「彼」は30分ぐらいで戻っ
てきた。バックはオートバイに積んでいない。
「なかった」と彼は言う。自転車や歩いている
人が何人かいたから拾って帰ったのだろう。
50$渡そうとすると「タンザニア、マネー」と
言う。

いっしょに5k先の国境まで行って両替して渡
そうといっしょに走る。相変わらずはげしい
デコボコの道は続く、今は「彼」が後ろからつ
いて来てくれているので安心だ。30分かか
って国境に着いた。16時半だ。

150kmに道を6時間かかったことになる。国境
は閑散とした静かで、のどかな村の国境だ。メ
ガネをかけた税関は30歳ぐらいだろうか、他
に二人の係官がいる。「コンニチハ」と日本語
も少し話す。落とした「バックの」ことを話す。

メガネの税関は落とした「バック」の型、色、入
っている物など聞く。地図を描き「どの辺から
走ってきたのかも聞く。その地図をオートバイ
の「彼」と「あと一人の男」に見せたあと、二
人で再びバックを探しに走ってくれた。


もうグロッキー動けない!

帰ってくるまで2時間はかかるだろうとメガネ
の税関。彼らが戻ってきてからパスポートの手
続きはするからと税関事務所の中に案内され
た。白いタイル張りの床はきれいだ。イスに座
れと促されるがそのまま床に寝そべった。

「もーグロッキー」言葉も出ない。すみません。
探しに行ってくれた彼たちが戻ってくるのは
6時半ぐらいになる。それからザンビアに入り
ホテルのある町まで21km、30分で着くとめが
ねの係官は話してくれるが「ここに泊まる」こ
と決めた。

係官たちの人柄そしてなんともなごやかな
雰囲気を感じるこの村は心休まるような気が
した。しかしタンザニアのビザは今日「27日限
り」で切れてしまうが。メガネの係官に今日は
ここに泊まりたい「ホテル」はあるか。

「かまわない」「ホテル」はそばにゲストハウス
がある。ビザもあした朝出発だったら「問題な
い」とも話してくれる。あーよかった。でも船か
ら下りてオートバイの税関とはぐれてしまい
「入国」の手続きをしてないことは黙っていた。

心配していた入国手続きのことは問題なく「
パスポート」に出国のスタンプを押して手続き
を済ませてくれた。係官はホテルに案内して
くれる。。一泊2$=240円晩飯はビール、さか
な、ライス3$=360円小さな食堂、彼が連れて
行って話をつけてくれた。

税関事務所で横になって休ませてもらったあ
と少し楽になった。遊びに来ていた地元の子
供たち、最初はこわごわとしてみていたが、
うちとけてきて、なんともいとおしい子供たち。

のどかな風景の村、芝生の上に座って小さい
7,8人の子供たちに五木の子守唄、さくらさくら、
春の小川、などを唄った。今度はあなたたち「
歌って」とたのむとはにかみながら「タンザニア
」の歌を唄ってくれた。

青空の下、白い花の咲く木下で心やすらぐひ
とときであった。ホテルでお湯をバケツで運ん
でもらった。久しぶりにお湯を使って体を洗う。
さっぱりしたあと、食堂に晩飯に行く。電気は
来ているのだろうけどランプの下で、常温の
ビールを飲む。

バックを探しに言ってくれた彼ら二人が戻っ
てきた。7時だ。もうあたりは暗い。バックは
持っていない。探したが「なかった」とのこと
どうもありがとうございました。お礼のお金
はあした国境事務所で渡しますからとお礼を
のべる。

いっしょに探しに行ってくれたもう一人の男
の人はいっしょに唄ってくれた女の子のお父
さんだった。思い出すだけで心が震える、悪
い道を乗り越えてきた。これじゃブルンジか
ら700kmの陸路越えは到底無理だった。

トラックの運転手さえ行くのをいやがる道な
のだ。オートバイが持たなかっただろうとも
思う。夜に閉まった国境事務所にオートバイ
を保管させてもらった。星空がきれい。

10月26日 タンガニカ湖上は気持ちいい

2007年11月02日 | タンザニア

船の上にテントを張って朝日を迎えるタンガニカ湖


赤いお月さんは初めて見た、日本と同じお月さんなのだろうかなー


右にコンゴ、左にタンザニアを眺めながらタンガニカ湖上をはしる
ほとんどゆれない船上のオートバイとテント


終点タンザニア、カサンガ港


カサンガ港の人々

2007年10月26日金曜 はれ 昼は暑い
エンジンの音が船上を揺さぶる、波のうねりは
ないので船の揺れもほとんどない。これじゃオ
ートバイにロープをかけなくてもいいわけだ。
夕べはこころおきなくゆっくり休めた。

6時前に日の出を見て、昼には冷えたビール
で昼飯、船は休むことなく進んで行く。左にタ
ンザニア右にコンゴの国が見えたり隠れたり。
日中は日差しが強いが風があるので暑さは
感じない。二日目の夕方オー「赤いお月さん
」だ、めずらしい。

待望のサファリーツアー

2007年08月30日 | タンザニア

           11頭キリンの大行進見ごたえあった

200年8月27日月曜 はれ 
     28日火曜  はれ 

いつの「マニヤラManyara」「ゴロンゴロMgorongoro」
これは国立公園の名前

正式は「マニャラ」「ンゴロンゴロ」

一泊二日260$=約3万円でサファリーパークの出かける。
あこがれていたアフリカ平原ではじめて間近で見る、野
生の象、キリン、シマウマ、チーターなどに圧倒される。
写真をいっぱい撮りました。写真見てください。


          なんともいえないシマウマの親子


         森から出たり入ったりやっぱり主役は象だろうかねー


ペリカンの群れが湖の中に、緑のオアシスを感じる周りにはワニ、シマウマ
キリン、バッファローなどいっぱい


      嫌われ横取りハンターハイエナは自分での狩がうまいんだー


「獲物に逃げられたじゃないか」「邪魔すんでじゃーねー」とでも言いたい顔
サファリーカー5,6台に見られながらのハンター失敗


寝るときは横になって寝るのだろうかねー、ほかの動物の骨は見たことあるけど
キリンの死体の後の骨も見てみたいもんだ。罰が当たるかなー

キリマンジャロにつく

2007年08月30日 | タンザニア

  かっこいいマサイ族の男たち、耳たぶは切り取って大きな穴になっている
  お金を払って撮らせてもらいました。キリマンジャロの麓で

2007年8月26日日曜 曇り 18℃ はれ
キリマンジャロはきのうも今日も雲で見えない。帰り道
が怖いなー、ホテルのオーナーが歩いて道の誘導をし
てくれる。夕べ激しい雨のため固めの道ダートは滑りや
すい、案の定タイヤをとられ土手にはまる。馬の騎手み
たいな格好立ち運転でようやくアスファルトに出る。

天気は晴れに戻った。キリマンジャロ山からふもとの村
50kmは観光地らしく人々の動きも活発に見える。道路
はスピードを押さえる「突飛」が小さいものから大きい
ものまでひっきりなしに出てくる。注意していてもなれ
ないのでどうしてもドンと乗り上げショックを受ける。

この「突飛」たしか中米のガァテマラかどこかでTOPPI?
と書いてあったように思う。走っていてガクンガクンと
くるので最初はなんだろうと思っていたら、この突飛
だった。一番でかい突飛はパキスタン、クエッターで
オートバイの真ん中が引っかかってしまい転んでしまっ
たことがある。

スタンドの軸が動きスタンドが立ちすぎて止まるのに止
まれないこともあり閉口した。そのたびにハンマーで
叩いてみたり、溶接屋でしょっちゅうお世話になった。
今でも突飛を見ると怖さがあるなーとくにかまぼこ型の
切れ落ちのを見るとオートバイの腹が使えるので怖いの
だ。

キリマンジャロを出てからアルシャーに着いたのは13時
だった。ホテルを聞いた男がサファリーパークのことを
聞きに来た。キリマンジャロで予約を入れていたので、
そこに電話してもらい、「サファリー会社」に来てもらった。
いよいよ待望のの日が来た。明日9時にサファリーツアー出発。

ケニアに近いアルシャーArushaに向う

2007年08月30日 | タンザニア

お土産の飾りを売っていたかっこいいマサイ族の女性たち。お金を払って撮らせてもらいました。コインではだめみたいでお札4人で400円ぐらい渡しました。

2007年8月25日土曜 はれ朝25℃ 一時雨 はれ32℃
夜中に2回もトイレに起きた。まだ少し腹の痛みが残っ
ている。少し下痢気味だ。

きょうはケニアに近いアルシャーArushaに向う。7時前
と言うのに隣のビル工事で働く青年はもう集まっている。
出発して100kmを過ぎると右折、とたんに道幅が狭くなる。
観光地キリマンジャロ山、サファリーパークの観光地ら
しく観光バス、ミニバスなどひんぱんに走っている。

前方の追い越し車に気をつけ、バックミラーで後ろの
車に気をつけながら走る。大型観光バスはかなり強引
に追越をかけてくるので特に要注意だ。前方に黒い
車二つ見えるとどちらかが追越をかけているので、ス
ピードを落としながらようすを見る。

ケニアではオートバイ仲間が交通事故でなくなった。
今でも信じられない事故だ。連続5時間走行で350km、
平均80kのスピードで途中写真を撮りながらの走行に
なる。途中雨に降られたがすぐにやんだ。

一日中右手の方は山が続いている。もうすぐキリマン
ジャロにつく。両サイドパイナップル畑になってきた。
きれいに植え込まれたパイナップル畑は美しい。久し
ぶりに出てきたトマト露天売店で赤いトマト、まだ青い
トマト、たまねぎ混ぜて2,30個仕入れる400円。

キリマンジャロに泊まることにする。道路の終点から
山道に入る、ホテルのジープについて行く。熱帯雨林
の山奥にゲストハウスに着いた。一泊7$。夜は急に
冷えてきた。周りは民家なのか牛の鳴き声、ニワトリの
鳴き声が聞こえる。夜はまったく静かである。


    マサイ族の集落から駆け寄ってきた子供にももちろんお金を渡しました

ダルエス サラーム

2007年08月30日 | タンザニア
2007年8月24日金曜 はれ 昼25℃一時雨 はれ32℃
オートバイのスタンドの軸がずれてたちすぎてしまっ
ている。停まる時に苦労するので直しに行く。ホテル
の駐車場係りに案内してもらう。

溶接屋で着地する部分を曲げてもらい、スタンドも補
助一本を足して溶接してもらいどうにか安心して止め
られるようになった。溶接屋の周りには地元見物で人
だかり。

最初移動するとき、一人の男が後ろに乗ろう
としたため転んでしまった。「このやろう」と殴るしぐ
さをすると一目散に逃げた。デコボコ道でさっきも停
まる瞬間たちゴケしたばかりだったのでよけいに腹
が立った。修理代1500シリンダー=1500円

ダルエスサラーム

2007年08月30日 | タンザニア
2007年8月23日木曜 はれ 昼25℃
昼前に隣のYMCAのネットに行く。そのまま昼飯
焼き魚ー1000シリンダー=100円
ビール 1100シリンダー=110円

夜はチキンライス2000S=200円
腹の痛みは少しやわらいだ、いつもはトイレに行くと
大体直るのにしつっこい痛みが残っている。薬一日
3回ものむ。

ダルエス サラーム

2007年08月30日 | タンザニア
2007年8月22日水曜 はれ 朝25昼30℃
お腹がちくちく痛くなった。アフリカに慣れようと
今まで水を買わなくて2ヶ月過ぎた、もしかして水
のせいだろうかなー。薬を飲むため水を買った。

メキシコで猛烈な下痢にあったとき、現地の水と正
露丸どっちが勝つか試したら正露丸は負けたので今
回は水を買って早く直そう。

正露丸と胃腸薬飲んでも夜また痛む。ひどくはないが
気になる痛み、夜中に再び薬飲んで少しおさまった感
じだ。

タンザニア ダルエスサラームの町

2007年08月21日 | タンザニア

   

   タンザニア バザールで集まってきた信用できる地元の人たち 2007年8月20日 朝22℃ はれ 昼32℃ 晴れたり曇ったり 夜中にどしゃ降りの雨も朝にはやんだ。値段の高いホテルを8時半に出て安いホテルを探す。YMCA,(キリスト教青年会)YWCA(女子青年会)どちらも男女泊まれる。YWCAにつきレセプションのおばさんに「泊まれますか、5日間」日程表を見ながら「OK]の返事。安いホテルはどこも満杯だったので心配したがこれで安心して過ごすことが出来る。一泊1000円と安い。 部屋は掃除中で入れない。その間T/Cトラベルチェックの両替を銀行に行く。シティバンクのT/cなのにここのシチィバンクで両替できなかった。でかい銀行、高級ホテルの中にある両替所でもT/cの両替はすべてだめだった。戻ろうとしたら昨日のサファリーパークで会った黒人の運転手にばったり、「T/Cの両替ができないんだ」仲間と何か話して彼のタクシーで別の両替所、銀行へ行くがやっぱりだめだった。仕方なくカードで現金を下ろす。 しゃーない、ケニア大使館まで行ってくれと頼みビザ申請を終わらせよう。受け取りは2時間後とのこと。申請書には名前だけ書いて「私は目が見えないから」後はお願いしますとパスポートにはさんで女性係官に渡す。しょうがないみたいな顔して笑って受け取ってくれた。オートバイで午後2時に受け取りに行く。3ヶ月ビザ63000シリンダー6300円だった。              国立公園のキリン ホテルの前のペトロールスタンドで給油したあと、地元の人の質問に答えながら過ごしながらこの近くにオートバイの「シート」を補修してくれるとこ「ありますか」「OK]と言うなり靴の修理屋を呼んでくれてさっそく直してもらった。ついでにオートバイの「フロントの補修」もと頼んだら近くいた職人を呼んでくれて手動の穴あけで3箇所補修してもらった。シート縫込み代200円 フロント修理250円 へー「聞いてはみるもんだなー」アット言う間に気になっていた所の補修は直してもらった。職人を呼んでくれた親分はペトロールスタンドに併設しているレストランのオーナーだった。もうひとつついでにオートバイの後ろのテールランプ2個のうち一個がつかなくなっていたので、これは明日直すことになった。 YMCA青年会は100mの所にある。ここはビールも売っている。昼と夕方ここで食事してYWCAに戻る。きのう高いホテルで朝、食事でいっしょになった日本人女性はYMCAに移ってきていた。東京のW大学生で一人旅をしているようだ。そういえば昨日の夜町のビールショップ屋でもモザンビークに住んでるとか言っていた日本人女性とも会った。 とりあえずゆっくり出来る環境になった。あとはインターネットで下書きして日本に送信するだけになり楽しみだ。当分ダルエスサラームで過ごす。(8月21日)