松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

どうして・・アメリカはラオスに爆弾を落したんだろう・・はじめて知った

2013年04月26日 | 赤道直下と陸路国境148か所

家の柱の代わりに半分に割った爆弾をつかっている民家・・余裕とゆうか・・おおらかとゆうか・・相手をあざむくとゆうか・・しかしベトナムだけじゃなくて関係ないラオスにもアメリカは「爆弾を落としていた」とは今まで知らなかったなー・・はじめて知りびっくり・・ひでーな・・。






ラオスのあちこちに今も爆弾が残っているとのこと

ラオスはベトナム戦争の隠れた激戦地でした。アメリカ軍は、ラオス全土に200万トンの爆弾を落としたようです。(ラオスの人口1人当たりに落とされた爆弾の量は、世界1とのことです(ラオスを旅されたMUGAKUさん談話)

旧正月でにぎあうラオスの写真(2013年4月)(写真はすべてMUGAKUさん提供)
穏やかで温かい農民の姿に接すると、戦争はしてはいけないと心に念じました。(写真はシェンクワンの街角で撮ったもの)

ムアンゴイ、ここは、川船でしか行けません。大晦日、僧侶を御輿に担ぎ、一本のメインストりートを練り歩いていました。「ネオン」も無く、「赤土の道」のみの素朴な世界に感動。
世界遺産・ルアンパバンの正月「水かけ」祭り。「こころ」の重みを全て洗い流してくれる気がする、この祭りは、実に気持ちのイイお祭りでした。(MUGAKU)

世界のライダー・藤原浩子さん講演会・・終わる

2013年04月21日 | 赤道直下と陸路国境148か所



2時間いっぱい身を乗りだして・・・聴かせる世界の旅の話しでした。

ありのまま・・話しはヨーロッパ・・北アメリカ・・と中南米・・
そしてオーストラリア・・アフリカへ最後は東南アジア。
若い人たちは「いい話を聞けて」「よかったー」と話していましたよ。

「一人でも」いいから旅に「行きたいな」「参考になる」「話しを」
したいと・言ってましたよね・・。目的を果たせる・・いい話しでし
た。

浩子さへの「感謝」をのべる・・夫寛一さんのむせぶ姿に
わたしのほか・・あっちこっちっで涙をふく人たちでした。
満足できる・・イヤーいい話だった・・ありがとうございました。

終わったあと浩子さんを囲んでの懇親会は40人ぐらい・・ほぼ半分
なかなか席を立つ人がいなくて最後は午前1時まで・・・うーん
楽しかった・・嬉しかった・・飲んだねー。 もう帰れないので
泊まりました。

遠い四国から・・広島からも出席していただき嬉しかったです
ありがとうございました。


トンネルで世界・大陸とつながって・・日本もかわったねー50年前とは

2013年04月17日 | 赤道直下と陸路国境148か所

このころには朝鮮問題も二国間ですっきり解決して・・唯一日本の生きる道・・トンネルを造って世界の各地に向かうことが実現した。

一番手っ取り早いのは一つ目トンネルは朝鮮半島にわたって・・あとは、中国、東南アジア・・このころには中国、ミャンマーも通過できます、きっと・・あとはどこえでもいけそうだ。あなたはどこへゆく。


北海道からサハリンへの二つ目のトンネルもいいねー。厳寒の地だから冬は通行が無理かもしれない・・それに工事は困難になりそう。でもできないことではないでしょう。


九州から北海道から大陸に渡れることはいいこと・・すばらしいことです。
九州から北海道からどんどん人も荷物も入ってくる・・そして日本からも出ていく。
あらそいもなく・・今まで以上に仲良く世界の人と話しもできます。

わたしと同じようにずーっと貧乏の原因をもわかろうとしないで・・働くだけ働いて封建時代からつづいていた・・強いものに負け続け「死んでもわからない」日本人の考え方そのものも・・ガラッと変わることではないでしょうか・・。

日本の生きる道・・トンネル二本で世界につながり・・生き生きとしてきました。

今こそ日本は「北朝鮮」と国交正常化を・・

2013年04月11日 | 赤道直下と陸路国境148か所
韓国と北朝鮮・同じ民族・・「国境」はない・・あるのは「軍事境界線」


北朝鮮と韓国のここは「軍事境界線」です。「国境」では「ないよ」と・・言われてあーっそうなのか・・はじめて気がついた・・。北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)側から軍事境界線の部屋に向かう・・青い平屋の建物・・軍事境界線38度線・白い線は松尾が書いたもの。正面のビル建物は韓国側展望台。写っていないが写真の後ろには同じような朝鮮側の展望台もある。

45年前はロシア・・35年前は中国・・このころ・・この国は「なにを
しでかすか」「わからない」・・・「恐ろしい国だ」と政府と日本のメデ
ィアは報道してきた・・いつも日本は「仮想・敵国」を想定してきたこれ
まで日本の歴史であった。

戦争に使う「武器」を造る会社から「あの国」「この国」があぶないと
言われるままに進めた政権政治の歴史だったのであろう。

「恐ろしい敵だ」と言ってきたロシア・中国にたいしては今どうしたのだ
ろう・・・。いつのまにか仲良くなっている・おかしなことだなー・わか
らないことばかり

中国とは田中角栄首相が「国交樹立」を成立させた。で・敵ではなくなっ
たが・・ロシアはそのずーっとまえだった。いやだった「仮想敵国」と
国交樹立してしまった。

しかし現在は敵国は北朝鮮に移ってきた・・。「何をしでかすかわからない
恐ろしい国」ロシア・中国に対してとってきたこととまったく同じ・・

アメリカ・日本は仮想敵国つくりををやめなさい・・いまに「ばれる」から。
アメリカのゆうとうり行動することを日本はやめて見直したほうがいい。

なにせ話しができる状態にしなければ話にならない・・したがって今こそ
「北朝鮮」と国交正常化することが最優先だ。

韓国側から軍事境界線の部屋に入る・・観光客のひとたち


ブルーの平屋の部屋。真ん中の机が38度線の軍事境界線がある・・。この部屋だけは38度線をこえてお互いに行き来することができる。机の真ん中にあるものはマイク。白の点線は松尾が書きいれたもの。

*北朝鮮は「飢え死」にしているとマスメデァは報道してきたことがある。ちょろちょろとトイレに中にある水道でトマトをなど洗って・・コップ一杯で歯を磨き・ひげをそって・顔をぬらすだけで過ごしてきたアフリカなどに比べると北朝鮮は緑と水がたっぷりある。普通に暮らしている国だった。112カ国を旅してきて死ぬことはないだろうと思った。

ところで海外から日本はどゆう国なのか、どう見られているのか・・ある国では日本の紹介なのだろう・・正月の皇居参賀日、日の丸をはげしく振っている人々に手をあげている皇族の姿をテレビで流していた・・一日に何回も。

その時は「違うよ」と思わず言葉を出してしまったが・・よく考えるとそうなんだなーと納得せざるをえなかった。テレビ放映していた国はたしか中近東の国だったと思う。こうゆう国もあるってことです。言いたいのは「マスメデァ」「など」「など」によってその国のイメージが作られるって・・こと。

*北朝鮮の写真を見るのには・・画面左の・・国別に出ている「カテゴリー」の「北朝鮮」をクリックしてみてください。

アメリカは戦争ばらまきやめよ・・・今度は朝鮮半島か

2013年04月03日 | 最近のこと
うそつきアメリカは今度アジア・朝鮮半島に戦争をもちこもうとしている。


イラク戦争について言い訳している元国防長官(2012年12月朝日新聞)
「個人の情報」を信じたと・・パキスタンには土足で入り込んでビンデランを
殺害した時は顔までわかる精巧な衛星があったのにだ・・・個人の情報で動く
アメリカ・国防省ではないはずだ。

アフガニスタン・イラク・リビアなど直接アメリカとは関係ないのにつぎつぎと
戦争をまき散らし殺してきた・・アフガニスタンもイラクもリビアも荒らしに荒
らして終息もできないのに・・アメリカこそがテロ国家ではないか・・・。
今度は朝鮮半島なのですか。挑戦的な行動はあなたたちアメリカではないですか
・・やめなさい。

イラクには大量破壊兵器もアルカイダーとも関係もなかった・・とアメリカ自身
が認めたではないですか・・。

戦争で亡くなったイラクの人10万人以上・・アメリカの兵士も4千人以上では
ないですか・・亡くなった人の責任は誰が取ったのですか。だれもいない・・。
責任者は平然とそ知らぬ顔して生きてる(日本にもいる)・・これでいいのか。

飛行機はすべてアメリカから飛んだ9・11ビル爆破事件は自作自演ではないか
・・アフガニスタンから急にイラク戦争に移ったことから逆算すると・・わたし
にはそう思えてならない。

元ブッシュ大統領・国防長官・CIA・FBI・ホワイトハウスののみなさん
正面に顔を向けて世界に向かって話せますか。もう世界を「だます」やり方は
やめなさい。

話しは違いますが「銃社会」のあなたたちのアメリカは幼稚園児にランドセル
の代わりに「防弾チョッキ」など着せるなど考えられないことをおかしいと
思っていないのですか・・狂っていると思いませんか。世界で一番野蛮の国に
なっていませんか。笑えない恐ろしい話です。

世界にちょっかい出すようことしないで自分自身住んでいるアメリカことを考
えられたらいかがでしょう。

その反省もないまま兵器を売るため使うため新たに戦争・朝鮮半島に向かおう
としている。戦争をまき散らすのをやめなさい。孤立するのはアメリカです。


マンハッタン9・11に遭遇して打ちひしがれて一時帰国。再び走り始めたがアメリカのやっていることは「絶対違うと」ひとり「戦争反対」でイラクに飛んだ。イラク・バクダッド市内学生たちと「戦争反対」「ノーホワイトハウス」「ノーブッシュ」を叫んだ.爆撃10日前(2003年3月10日)


「イラク戦争反対」バクダッドでの写真を掲載した朝日新聞