松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

あした25日モザンビークに向かいます

2007年07月24日 | スワジランド
2007年7月22日 日曜 はれ 快晴 4時ごろ25℃


いつものように8時ごろ起きて、いつも晴れわたった青空、いつものようにコーヒ
(ただ)を飲みながら日記を書く。写真の取り込みや、ネットに打ち込む下書きを済
ませる。

ドミトリー(相部屋)8人ベッドに荷物はベッドのそばにお互いが置いて歩けないほど
の時もある。貴重品も置きっぱなしである。最初慣れないと物騒な感じもするが慣
れてくると平気になってくる。どこの国でも同じようなもので今まで盗まれたのは
アメリカ、フロリダ、キーウェスト、ユースホステルでデジタルカメラだけを盗まれた
ことがある。それ以外はない。ドミトリーでも意外と安全ではないだろうかなーと
思う。ただテント泊のときのようにオナラの快音を飛ばせないのが苦しい。

午後ネット屋に行く。あー「くるくるパー」ときた。一番最初にジャパン、マウンテング
「くるくるパー」と自己紹介した。一回で覚えた彼女である。大学生でアルバイトして
る。行くたびに「くるくるパー」と意味はわかってないと思うが笑いながら呼ぶ。
その彼女たちを写真に撮っていたら、きのういっしょに走ったオイル、エージェント、
チュースさん家族が来ていた。


プレゼントがあると奥さんがデザインしたTシャツをもらった。そのTシャツに皆のサ
インもしてもらった。パソコンを2時間した後、家族のテーブルに呼ばれる。知人友人
だろうか、10人ぐらい集まっていた。自己紹介したあと、年配の女性が「あなたはい
くつ?}ときた。「エイテーン18」とこたえて、しらばっくれる。一瞬考えて「オーノウ
ノウ」と冗談とわかり、大笑いされた。63歳と応えなおしたら納得したような顔で笑
っている。


夜も、宿のオーナー、ショーンさん、チュースさんの家族7,8人でレストランでご馳走に
なった。12時過ぎまで飲んだのは何年ぶりーだろうか。


2007年7月23日 晴れ 快晴 2時ごろ27℃
宿のオーナー、シェーンさんが前回は西側を走ったので今日は首都mbabaneの西側
のツーリングに行こうとゲストハウスにやってきた。何時から!いまから支度してと。
オイル、エージェント、チュースさんの自宅には前回も走ったサンさん(水槽製造)も来
ていた。チュースさんの屋敷は野球場を作れる広さである、プールもある。

チュースさんの奥さん、娘さんも後ろに乗り6人で出発。アーストラリア、エアーズロック
に次いで二番目に大きい一枚岩といわれる側を通る。赤土の久しぶりのダートは怖い
が慎重に走る。ダムサイトに到着。今日はスワジランドの休日とかで家族連れや若い
グループも来ていた。

レストランで食事しながらチュースさんの奥さんは同じキャノンのカメラだ。奥さんから
Pマークで部屋のときiso100か200,屋外で撮る時は1600で撮るといいと教わった。

今まですべてオートで撮っていたので、うれしくなった。奥さんはグラフィックデザイ
ナーで、今日のツーリングをオートバイ雑誌に載せるため同行してくれている。

スワジランドの人たちは腕時計をしてないんだよ、全員が腕をまくり「ほらーっ」と見
せ合う。時間にしばられないことを言いたかったのだろうか。ダムの周辺を登ったり
下ったり、ここから南アフリカの国境が近いなど説明を受けながら4時半に宿に戻った。

もうすぐ、つぎのモザンビークへ

2007年07月21日 | スワジランド
2007年7月19日木 はれ 快晴 半そででも暑いぐらい。

左からチュースさん、サンさん、宿のオーナー、ショーンさん、ジャパン松尾



ほころびたジャンバーに接着剤で貼り付けた皮が剥げ落ちそうなので、糸で
縫い付ける。黒と白の糸を持って歩いているので、時々裁縫をする。
結構時間はかかるが、これもたのしいひとときになる。

南アフリカ、ダーバンの「ゲストハウスに泊まった」でしょう。そこで赤い服を
着てた私を見たとヨーいよー」。すると彼女は「チャイナ、コウリャン、ジャパ
ニーズ」私もみーんな同じに見えると。自分じゃ違うんだけどなーと思って
はいるがヨーロッパの人はアジアの人の顔はやっぱり同じに見えるのだろう
な~と納得した。

メデソン、メーデソン(くすり)と私の顔を見ながら飲んでるビールをかざして
冗談を言う。アフリカに来てからも。「メデソンビール、昼間2本 ナイト2本」
「マイ、ドクターカルテ」と笑いながら冗談。にがい顔を作って「こん
なつらいことはない」と日本語で言うと、みんなそうかそうかと笑う。
冗談の通じる愉快なアフリカである。 

2007.7月20日金曜 晴れ 快晴 きょうもおだやかいい天気
ババネMbabane(首都)にライダーが集まる。いっしょにオートバイでツーリング
に行こう。宿のオーナー、ショーンさんが迎えに来た。ネット屋に行こうと思って
いたが支度してついて行った。


BMW650、とDAKER9002台と友達が来た。山の稜線を4台5人で走る。中腹で
はショーンさんの奥さんの実家でコーヒー、春巻きをご馳走になる。ほんとにお
いしかったので「うまかー」と言うとスワジランドでは「ナンジ」何時と言うらしい
く覚えやすい。広々とした芝生の中のアパートに住んでいる。実家の父親はミシ
シッピ出身60歳、母親は聴かなかったが地元ではないかな。

3台のオートバイはオフロード車で道を外れた原野を楽しそうに突っ走って走る。
私はのろのろと走る。松なのか杉なのか似ているがわからない、そのきれいに
植林された広大な稜線を走る。さっき田植えの格好して説明してくれたのはこの
植林のことだったんだ。

村の中に入った、バーベーキューの場所だ。2m×3mのでかい金網の下に丸太
を燃やしている。隣で肉やソーセージを買ってきて焼いてもらう仕組みのようだ。
サラダ、野菜もある。もちろんビールもある。何人かの地元の人も、入れ替わり焼
いて食べている。うまそうに見えたがちょっと牛は硬かったなー。ソーセージは
まずまずの味だった。

スワジランドの子供たち。うしろの風景はどこでもこんな感じ。

山から下りてネットカフェに寄る。いつもネットに来ているところである。レストラン
は内も外もくつろげる雰囲気のいいレストランバーである。別棟はデェスコバーで
夜遅くまで賑わっているらしい。えーこんなとこに?と日本では想像できないポ
ツンと村の中にある。もっとも密集している町はごくわずかのように思える。

ギネスビールを飲む。ダカールオートバイのサンさんは大きい水槽製作販売。BMW
のチュースさんはオイル(ガソリン、ここではペテロール)の輸入業。もう一人はアー
チスト。そしてゲストハウスのオーナーは牛も飼っているようだ。私は電車の車掌を
していたこと、家族は子供3人、「ワイフは一人だけ」と笑わせ、両手の人差し指を
頭にかざして、マイワイフ、モウ、モウ、カウ、カウと牛のごとく頭を動かしおどけて
見せると「オーセム、セム」と大笑い。どこの国でも奥さんは怖い存在なんだなー。



モザンビークのビザ取りました。

2007年07月18日 | スワジランド
学校帰りのスワジランドのこどもたち

7月17日火曜日 今日も晴れ 快晴の青空
入れ替わり立ち代り旅行者はやってくる。
きのうはドミトリー8人部屋で一人だけだった。
今夜は新たに3人が泊まっている。

午前中ネット屋に行こうと思っていたら8時過ぎになってオーナー
がやってきた。モザンビークのビザを取りに行くのにその場所
エンバシーを教えてもらった。

9時過ぎに出て30分ぐらいで一発でついた。わかりやすかった。
申請書は名前ぐらいしか書けない。わからない所は「わかりません」
とローマ字で書き込む。しょうがないなーと言う顔で空白の所を係
りの人が記入してくれた。

いつもの調子で大使館の人を笑わせる。
その場で待つようにと言われた。そのままウンこする格好でしゃがんだ。
周りの人は笑い出し赤ちゃんを抱えた母親は口を押さえて笑っている。

モザンビークは広いので3ヶ月のマルチビザ出入り何回でも自由のビザ
を申請した。285ランド=約5000円。国境でもビザを取ることが出来る
と聴いていたが面倒なのでここ、スワジランドでとることにした。

で、申請は10時前に終わり、ビザの受け取りの午後2時に来るようにと
言われる。帰りにブリキの水入れ?を作って道端で売っている場所に着
いた。マフラーの穴があきそうだったので2,3日前ブリキでふさいでも
らったばかりである。きょうはフロントタイヤカバーが裂けていて危な
いので、そこもふさいでもらおうと立ち寄った。

30分ぐらいで終わった。仕上がりはもう少しうまく出来そうなのになー
と。思いながら、ビスで留めてくれているので、ま、いいやと腹も減って
いたので帰ることにした。前回と同じ30ランド=500円。
<泊まっている所はこんな感じの風景、こんな所にと思う所にネットやがあった>


ひるめし?メデソンビールを飲んで午後にそなえる。2時にモザンビーク
大使館につく。門の外でパスポートを受け取る。そのままオイルフェイルター
をたのんでいたオートバイ屋に行く。フェイルター交換オイル交換、ラジエター
の水を足したりしてもらった。しばらくは安心だ。

帰りにスーパーによって肉の塊とパンを買って宿に戻る。17時ちょっと過ぎ
ていた。中味のある充実した一日だったなー。

泊まっているゲストハウス。ドミトリ(相部屋8人)80ランド=1200円ぐらい




 



























スワジランドにつきました。

2007年07月16日 | スワジランド
7月12日スワジランドにつきました。

南アフリカ&スワジランドの国境

三人の清晴
A.きょうも、動くのヤメヤメ、朝からビール飲んで
ゆっくりしよう。いつもぐうたらの清晴

B.まー、どうでもいいけど行けるところまで行っ
たら、いつも中途半端な清晴

C,決めたことだから目的まで走るべきだ。いつも
強硬派の清晴。

3人の清晴が同居している。私の一番すきなのはA。
今回はいつまでもたもたしてるんだーとCにうな
がされて、しぶしぶ出発することになった。

居心地のよかった南アフリカ、ダーバンを7月12日
朝出発する。事前にハイウエイに乗るため地図で
教えてもらっていたが走り出して5分もたたない
のに間違ってしまった。

ぐるっと回って元の宿近くに戻りガススタンドで聞
き直す。交差点をひとつ先まで進みすぎたらしい。
今度はスムーズにハイウェイに乗れた。4車線、2車
線片側一車線になっていく。ハイウェイは200kmで
終わった。120kの標識は出ているがマイペース90kの
スピードで走る。

上空から見たアフリカの大地を今走っているのだ。
道路に出ている標識が何を意味しているのかわか
らない。「給油のマーク」を見たのでテストのつもり
でガソリンを入れてみよう。

幹線から外れた3kmの所にガススタンド(ここでは
ペトロール)があった。給油2基の小さいスタンドだ
った。2回目のガススタンドでスワジランドの国境まで
94kmと教えてくれる。今12時だ。

ウン?100kmを越してる。国境がない。道路端に
止めてに後ろの車に聞こう。トラックは止まらない。
反対からきた空色のマイカーを止めて「スワジランド」
を聴くと20kmバックと。

両手の甲を差し出して「右手はあなた、左は私」あな
たの後ろについてゆくからと両手を動かして見せる
と「OK、OK」と言ってくれた。20kmぐらいも戻った所
に「スワジランド」の標識が立っている。

標識を写真に収めている間、空色の家族の乗った
マイカーは先のほうで待っててくれている。国境
はすぐだった。キリンとか象とか大きな看板に
描いてアフリカらしさを表わしていた。


空色のマイカーの人たちもスワジランの手続きを
している。家族にどうもありがとうございました、
と合唱のポーズ。それにしてもラッキーだったなー
南アフリカの出国手続きはパスポートにスタンプ。
カルネにはサインをするだけで簡単におわる。

次はスワジランド入国
テレビの飲み物のコマーシャルなのか、かさだかで
ないが南アフリカではわたしを見ると「オシー」
と言ってくるのでここでも「オシー」とゆうと「オ
シー」と返ってきてトタンになごやかになった。

スワジランドの入国手続きは、パスポートにスタンプ
カルネ(オートバイのパスポート)の代わりに50ランド
800円払って証明書を発行するだけのごく簡単に終
わった。入出国30分ぐらいですんだ。

国境はこうでなくっちゃ。どこでもこうであればいい
けどなー。入国1時間、出国1時間、普通二時間ぐらい
かかるから。

今3時10分、安ホテルは30km先にあると国境の人たち
が教えてくれた。サファリーパーク、キャンピングに着い
た。自分のテント泊まり50ランド(800円)緑の芝生にテ
ントを張る。

すさまじいライオンの雄たけびだった。

タンクを持った近くの住民の人たちが芝生に撒く水道
水をもらいに行ったり来たり。シャワーの水が出なかっ
たのでコップ一杯の水で顔と手を洗った。寝るまでとう
とう水が出なかったのでこれが助かった。

にわとり半分、ライス、ポテト付30ランド(480円)。
ビール7,5ランド120円これは安い。朝からパン2切れと
トマト一個しかくってなかったが、にわとり半分はさすが
に、くいおけがあった。うまかった。
(84カ国目。2007.7.12.今日も快晴のことでした.)

ライオンの轟きの歓迎

ゆうべはカミナリのとどろき音にのようなものすごい
おののきの声が響いた。ラクダだろうか、カバだろうかな
(カバは聞いたことはないが)と考えもつかない。なんだ
ろうか。

のどが渇いたようなその声は一分ぐらい続き終わりに
発する「ハフハフ」息づかいが耳元まで聞こえる。
水道の水の所まできているのだろうか。すごいおののき
は明け方まで5,6回はつづいただろうか。そのたびに目
が覚めた。

朝、掃除の女の人に、「グァーグヲウ グウアー」と言った
らライオンだとゆう。指さしたところは50m先のサクの中
エー、カメラを持って近づいた。いたいた、ふさふさの立て
髪つけたでかいライオンが。野生のライオンをはじめて見る。
それにしても、うったまげる声を出すもんだ。

テントをたたんでスワジランド、首都mbabaneババネ?に着
いた。ここまではどんどん山を上がって着いた高原。
ガススタンドで近くの安宿を聞いた。地図を描いて一生懸命に教
えてくれるが、どうもよくわからない。

給油に来た人が「俺の車でおしえてやる」みたいなことで
ニッサンクルーザーの後をついていく。10分ぐらいでついた。
ありがとう。握手して分かれる。ホテルは一泊390ランド
6400円。高すぎる、最後は4800円まで下げてきたが、時間
はまだ2時。別のホテルを探すことにした。

バス停みたいなとこで停まって、ゲストハウスの本を見てい
たら、アウディの車が停まってくれた。ゲストハウスの本を見
せて、指差したら、「OK,OK]と後をついてくるように言って
くれる。その車は早くて、ついていけない。途中テールンプを
つけて待っててくれた。「スワジランド、バックパーカーズ」の
看板のゲストハウスについた。ここがダーバンのノマズ、
ゲストハウス オーナーが紹介してくれた所だった。

アウディのお兄さんはチラッとbookを見ただけでどうして、
ここがわかったのだろうかな。次の日ここの、オーナーにもら
った名刺を見せたけど知らないと首をひねる。それにしても
ありがたかった。

ついたとたん、気に入った、明るくて居心地はよさそう。早め
にシャワーを浴びてくつろぐ。イタリア、フランス、オーストリア、
オランダ、アメリカ、ドイツ、イングランド、カナダなど12,3人泊
まってその中には日本人カップルも泊まっている。日本人は
ダーバンで留学生の青年についで3人目。

夜、食事しながら、みんなと話しているうちにアメリカの女性
が今、南アフリカはブームなのだろうか、と話していることが
日本人女性の通訳でわかった。「イヤ、違うのでは。ブッシュ大
統領の横暴さでアメリカ人は海外に行ける所は限られてしま
った。で、安全と思われる南アフリカが溜まり場になっているの
では」と答えた。彼女も納得してくれたように思えたが、私の
独りよがりかもしれない。(2007.7.13のこと)


ゲストハウス、オーナー、ショーンさん。何回も名前を聞き返すも
んだから映画俳優ショーンコネリーと覚えてと教えてくれた。
次の朝、「こんにちは」と入ってきた。ヘルメットつけて上から下まで
ライダーばっちりの姿で決めている。

うん、日本人ライダーが来たのかとかなと思ったらオーナーの
ショーンさんだった。きのう、ネットカフェの場所を教えてくれと
たのんでいたのでいっしょに走ろうとオートバイで来てくれた。
彼はオートバイのライトを付け替えるため部品の店に寄った。

私もオイルフェイルターをほしかったのでたのんで見たが、サイ
ズが合わず取り寄せになった。ネットカフィは日本語が出来るよ
うなので安心、ただ日本語が打てるかどうかはテストしなかった。


午後、スワジランド、一大イベント、女性群だけの集まり、踊りの
イベントに行った。ただっぴろい広場に1万人以上がそれぞれの
自慢の衣装は迫力があり見事なものだった。キング、マザーキ
ングの前で伝統的な踊りの披露して踊りはおしまいのようだ。

私もショーンさんに貸してもらった上半身裸の上に布を巻きつけ、
下にもマジョー?と呼ばれる布をつけて見物した。夕方4時ごろ
になると布一枚だけなので肌寒くなった。帰りにネットカフェに
寄った。部屋の中、広いテラスもなんとも優雅な雰囲気で落ちつ
いてゆっくり、ビールなど飲める所でもある。

ゲストハウスの安宿でも、こきれいに毎日掃除しされ、シャワーの
ほかに日本の浴槽のタブルーム。バスタオル、石鹸も浴槽、洗面所
においてある、トイレットペーパーはおいてない国が多いのに二つ
以上いつも用意してある。これまで高いホテルに泊まった時など
ペーパーを失敬していたがその気にもさせないものがある。


わたしが持っていた貧困で貧しいと思っていたアフリカのイメージ
は、貧しい気持ちは自分にあることをきずかされ、反省させられた
スワルランドの一日でした。

標高が高いので寒いと聞いていたが、朝方冷え込み、部屋にいると
寒く感じる。しかし外に出sると暖かく過ごしやすい。昼間は20℃cを
超えてるのではないだろうか。

(2007。7。14.今日も快晴青空 スワジランド、ゲストハウスにて)