松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島・ドバイから・・④ 

2014年02月27日 | 赤道直下と陸路国境148か所

落ち着かない・・2万円のホテルの部屋、2泊してバイバイ


ドバイに来てから初めてオートバイで移動する

2014年2月25日火曜  はれ朝方肌寒い  昼オートバイの温度計22℃

2万円のホテルの朝6時半に起床・・お湯を沸かして、ただの紅茶を2杯。いよいよ
オートバイでの初めての移動だ。92号で東に走り93号で南にはしる・・ゆうべ頭
に入れた。

ユースホステルのあるメトロ・スタジアム駅を目指す。でかいトランク25キロ・・
ビールもワンケース12缶も大事に詰め込む。積み込み終了。

テントの床の部分を切り取ってでかいトランクの雨よけに自分でこしらえてきた・・。
よく「出来た」もんだと自画自賛のカバーをかぶせてテスト・よし使える。2万円のホ
テルよ、バイバイ・・。

8時ジャストに出発。92号にすんなりはいれて・・・ゴーゴー。オートバイに興味が
あるのだろうか・・何台か手をあげて合図してくれる車やオートバイに得意げにわたし
も左手で合図を送る「サンキュウ」。

93号が出てきた・・標識もわかりやすく、なんとなく安心して走れる。それに無理を
しないし運転マナーも大人の感じ。運転マナー「ドバイは模範的」ではないだろうかと
さえ思う。

運転マナーもいい、ドバイ市内を走る・・標識もわかりやすかった

それに比べて狭い山道のハイウェイのカーブをグングン走るイタリアは、腕がいいのか、
性格なのか。こっちもゆっくり走ってはいられなかった、笑っちゃうね。それに、わた
しのオートバイに興味があっても「見てみないふり」は国民性なのだろうか。

フランス・パリ市内ではわたしのオートバイをみると「ナイス」と親指をあげて「合図」
してくれた。クラクションの音に最初「違反」してるのかと思っていたが、違った・・
「ナイス」の反応だった、うれしかった・・。

交差点やバスの人たちから視線を感じ注目されることがこんなに気持ちがいいものかと
はじめて経験した。凱旋門でも一発で目的の道路にはいれることができた。運転マナー
も意外とおとなしかったフランス。

93号を南に走る、見えてきた、メトロの高架・・電車から見ていた場所の道路だ。赤い
旗も見えてきたサッカースタジアムだ。浦和のレッズといい勝負の赤色の旗だ。ユースホ
ステルの入り口も見えてきた。最初タクシーに乗ったときユースにはいるのを見ていた。

その時と同じ左に寄せてUターンして本線からさらに右に入りユースホステルにつくこと
ができた。すんなり30分で着いて今8時半。


ユースホステルに向かってドバイ市内を走る

「いやだーな」一番相想のよくないフロントマンだ。「ユースの予約出来ますかね」まず
は下手に・・相変わらず「とぼけて」「ノー」案の定の返事だ。日本にも必ずいるんだよ
この手の人間。顔も見たくないような・・ぶっきらぼうで横柄で。

2万円を考えればば待つしかない。さらに「ワン・オクロック」午後1時に来るように・・
スーパーマーケットに出かけてAYMお金を下ろす、きょうはすんなり3回でおしまい。

両替屋で日本円1万円を両替した。250ディハムかえってきた・・おかしいなーと首をひ
ねっていると・・ワンコイン・・と言いながら50ディハムを渡した。「おい」おかしいじ
ゃないか「最初からなぜ出さない」

窓口5人の前で「こいつ・ねこばば」しようとしているじゃないか「ノーグッドの男だ」
「どうした、どうした」と他の係・・事情を説明する。最後にプラス50を出したんだ・・
おかしいだろ。

責任者らしい人が「ソーリ・ソーリ」とあやまる。オートバイでドバイ市内の運送会社に舞
い戻る。道は来た道を引き返すだけ・・暑くなってきたオートバイにつけている温度計22
℃。運送会社が入っているビルの前に止めた。

とたんにビルから出てきたおやじさんがちょっとカメラを持ってくるからと待っててくれ、
珍しいのだろう。4,5人集まってきた。「いいよ・・オートバイにまたがって」笑いなが
ら話す。

またがって写真を撮っている地元の人たち・・さっきのおやじさんも戻ってきた。いっしょ
に並んでおさまる。受け取り手数料含めてムクミさんに6000ディハム(18万円ぐらい
か)渡す(港でなんとか代・・カスタムで2万5000円)。運送費日本で約30万円+約
20万円・・トータル約50万円。

これまでの船の運送
①日本からオランダへ約30万円 ②オランダからニューヨークへ、約20万円ぐらいかな
(データーは自宅にある} ③日本からロシアウラジオストックへ、フェリー代4万円 ④
インドからオーストラリアへ、(忘れたデータ自宅にある) ⑤オーストラリアから日本へ
、(7万円以下) ⑥日本からアフリカ・ダーバンへ、(30万円) ⑦今回日本からアラ
ビア半島・ドバイへ(50万円)・・7回目の船輸送になる。

富山・伏木港からのウラジオストックへのフェリー船が最も安かった4万円以下だったと思う、
今は運航していない。いちばん安かったのはオーストラリアから日本への輸送費が安かった、
たしか7万円ぐらいだったと思う。ロシアには、いま島根・境港~韓国~ウラジオストックに
運航している。

支払いをすませ、ふたたびオートバイでドバイユースホステルにやってきたもしかすると・・
泊れるかも。案の定例の愛想のない男は・・「ノー」とそっけない。ネットを管理しているバ
ングラデシュの青年に安いホテル・・ドバイのとなりの町こと聞きながら・・

そこに行く覚悟を決めた。でないと2,30キロとはいえ夜になってしまうと戸惑ってしまう
ので明るいうちにつきたい・・・13時前に突然「ワンナイト」きょうだけ「OK」と言って
きた。

2万円を考えると一泊だけでも「いいや」「OK」「泊る」手続き終わらせる。困るんだなー
宿は「あしたは・あした」のことだと言われると・・。ゆうべ28日分はネットで予約したば
かり・・26日とつなげてほしいものだ。こま切れだとやりくりがつかない・・のだよ。

1週間~10日間同じところに泊ってひとつひとつずつすませたいことがある。サウジアラビの
ビザも再挑戦したい。

イエメンのビザのこともあるし(オマーンのビザは国境でOK)、ガーミンのGPSも必要だし
・・。荷物を部屋に運んで洗たくをすませる。

これまでドミトリー相部屋にはオーストリアの青年は6カ月の休暇を撮ってアジアなどまわり日
本にも立ち寄るとか話していた。そのあとイラク、アラブ、マレーシア、今度の部屋にはスリラ
ンカ、アルジェリアの人たちだった。

テニスの大会をやっているようでフロントにはハンガリーの人が審判で来ていると話していた、
背の高いアルジェリアの人もテニスの代表としてきているようだった。入れ替わり立ち替わり
、一泊、二泊して出ていく人が多い。



ネットで調べて・・地図を写真とって隣町のユースへ・・意外に簡単・・と思いきや・・なんのなんの
・・白バイにお世話になったり・・地元の人に案内してもらい・・ようやくたどり着いた。

高いドバイから離れた町・・・安ホテルに移る
2月26日水曜  はれ  昼間22℃  23℃

10時まで待って部屋をとれるか・・ネットを打ちながら待ったが「ツデイ、ノー」との返事。
きのうから決心はついていた。となりの町Sharjah/シャールジャと読むらしい町のユースホステ
ルを目指す。

ゆうべネットで調べた・・意外とわかりやすい。ユースホステルを出てすぐのマーケットでタ
クシーのドライバーに確認してみよう。地元の人が歩いてきたので手書きの地図をみせて
Sharjahへの道を「聞いてみた」。

ハイウェイに乗るにはUターンして南に向かって・・と教えてくれた。わたしの調べたのとは
違うようだ。マーケット・パーキングセキリューティに二人にも聞いてみた「その道をまっす
ぐに行って」「レフトに曲がれ」・・OKサンキュウ。走りだしてみると、どうも違うようだ。

信号で止まった時タクシーに聞く・・「左にはしってブリッジの手前で右にと・・そのとうり
走ってみたが違うな・・行きどまりだ。

白バイが来た・・「ソーリ」地図を見せる・・もう少し走ったところから「右に入れ」・・
「右手はあなた」「左手はマイ」両手を動かして・・途中まで引っ張って行ってくれ・・「O
K」白バイのうしろについて走る。

すぐに標識「シャルージャ」が出てきた。ピピーと鳴らして追い越しざま、わかった「サンキ
ュウ・OKOK」と別れる。白バイさんありがとう。

二重丸の標識・・サルージャ市内セントラルについたようだ。地元商店街の人に地図を見せる。
ふたたび商店街に止めて教えてもらう・・くわしく聞きだす。

ネックス・レフト。シグナル・ワン・ライト・・入れ替わり立ち替わり説明してくれる。「OK」
とは言わず・・わかるまで聞こう。若い青年が「わたしが車で案内する」「ノーマネー」でOKか
・・「もちろんだよ・・」MITSUBISIの四駆でやってきた。はぐれないようについて走る。

かなり走ってもわからないようだ。渡した電話番号でいったん路肩に止めて電話で確認してくれた。
ようやくユースホステルにつくことができた。ありがとうございました。

ユースホステルの中庭にオートバイを入れた。一泊70ディハム2100円と安い。ネットはない
と・・マーケットの近くにあるらしい。荷物を4人部屋に入れる。ヒフィティーン50人泊れる
いつも満杯だともゆう。

着替えてネットを探しに歩いて行ってみた。かなりのスピードで車は走っている。大きなロータリ
ーに来たが横断道路がない。走って渡る・・女性や老人はまず渡れないろうな・・と思いながら
進む。

30分ぐらい歩いたところにスーパーマーケットがあった。「インターネットカフェ」は・・まっ
すぐ行って「右側にある」と。歩き始めたらネット屋にたどりつかない左にホテルがある。

料金を聞いてみよう「250ディハム・7500円」もう少し安くならないか「600ディハム
に」「ノー」。で・インターネット「OK」か・・「OKルームでもOK」・・じぁ「部屋を見
せてくれ」

部屋にはキッチンもついてガスも使えるようになっている。洗濯ものも外に干せるようになってい
る。70ディハムとユースは安くていいのだけれど・・ネット屋まで毎日歩いて30分はきつい・
・ヘルメット・靴はいてオートバイで毎日は面倒だ。 

となりのマーケットで買い物して自由に食事が出来る。値段は高いが・・これだとこれまでの従来
の旅の姿に戻れるなー。よし泊ることに決める。2万円に比べたら・・苦しいがどうにか「許せる
範囲」としよう。


ドバイの隣町・・シャルージャ市内

タクシーでさっそくユースに戻って「ソーリ」ホテルに移るから・・きょうの泊りキャンセルして
もらった。荷物を積み替えて「Hotel・Frats・ホテルフラッツ」につく。

あーこれで少しは気持ちが落ちつける。マーケットで約500g・500円のステーキを買った
、半分だけ今晩食べよう、さっそくステーキを焼く、2万円のホテルではなかなか焼けなかったが
きょうは強力なガス火力ですぐに焼くことができた。

晩飯が楽しくなる。トマト、オリーバー(オリーブの塩漬け)も買った。オリーバーは初めてスペイ
ン・カウンターの飲み屋で喰ってからはまってしまった味、ビールのつまみには最高、わたしは一番
好きである。日本では高いが海外にでると安いので助かる

ネットも部屋で出来ると・・気が楽だ。しかしフロントではネットは大丈夫だけど部屋では遅いし
・・つながらないときもある・・直してもらおう。いまはこのホテルで気持ちが落ち着いてきた。

第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島・ドバイから・・オートバイ受け取りました

2014年02月24日 | 赤道直下と陸路国境148か所

上・メトロ駅・ 中・下・メトロ電車は無人列車で走っています。止まるとき・・初めて運転する人のように
グーグーっとブレーキを踏みすぎて止まる・・感じです。

オートバイを受け取った
2014年2月23日日曜 はれ  昼間は暑かった温度わからず
①23日バイク受け取った。②ホテル一泊215$22000円で震えてる。

23日10時から運送会社の2人と40キロ離れたドバイ埠頭へ書類申請は1番目・2番目
・3番目から2番目に戻って4番目へ4時ごろオートバイの着いた倉庫へ・・オートバイが
あった。



ドバイ埠頭にについた・・オートバイ

さらにトラックでカスタムへ運んで戻って木枠を開けてようやく受け取ることができた・・
オートバイの引き取りは、あしたかあさってになる話していたが意外にスムーズに進んだよ
うだ。

運送会社の人がわたしが世界を走って来たと「話す」たびに日本からん持ってきたパンフを
「よろしくお願いします」と「合唱ポーズ」をしながら自慢げに渡した。

いっしょに来た運送会社のムクミさん・・インド出身。ファイセルさんもインド出身

ヨシヨシエンジンをかけたがうんともすんとも云わない・・バッテリーがあがったのか・・。
さっきから見ていた地元の人がコードを持ってきてバッテリーにつなぐとパチパチと火花が
でる,バッテリーは大丈夫だと言う。


いかめしいメガネをかけたカスタムの係官もオートバイにおどろいて・・写真をとっていた。
両サイド男の人はいっしょに来た運送会社の人、ムクミさんとファイセルさん。


無事にオート場を受け取ることができた。よしよし・・不安は残るが少しは元気がでてきたぞ。

ガソリンのこと、ここではペトロールをリザーブにしてしてエンジンをかけてみたら・・バ
ババー・・・オーエンジンがかかった。アーよかった。帰りに運送カ社の車のうしろについ
て走っていたがはぐれてしまった。帰ることができるか・・とりあえず市内まで走ろう。

途中渋滞して停まっていた車の人に声をかけた・・「ソーリ」「ナンバーワン・ビルモール」
ささーっと「Dubai・Mool・NO44」を走れと書いたメモ用紙を渡してくれた「できる女性
ドライバー」だ。ありがとう。

夕陽の太陽を背に東に44号線をひた走る。左にドバイモールビルが見えてきた、しかしだい
ぶ離れてるな・・一本南を走っているのだろう。途中から左に入ろう・・右側からまわりこむ
のだろうから右側車線に入る・・

暗くなってドバイ市内に入ったが道がわからない。車も走らない道に入って・・同じ道に戻っ
てきた。ネオンのついたホンダデーラーに入ってタクシーを呼んでもらおう。10数台のホン
ダカー展示場・テーブル3,4か所で商談が進んでいる。

日本より買いたい気持ちの方の真剣さが伝わってくる。タクシードライバーに「ソーリ」わた
しがついてゆくから「50・60のスロースピード」でお願い。

「50キロ!」「ノーノー」「流れに乗って走るので」「80キロ」「ネイビ」・・「わかっ
た」人柄はよさそうな年取った運転手さん。今度ははぐれなくて渡したホテルの名刺まで誘導
してもらい無事215ドルのホテルについた。タクシー代50ディハル1500円。運転手さ
んはパキスタン人だった。

シャワーを浴びて・・2万円のホテルにしては熱いお湯がでないなー浴槽にたっぷりお湯を張
ってゆっくり入ろうと思ったがぬるくて駄目だ・・シャワーだけにする。洗濯機もあるがスイ
ッチを入れてもまわらない・・。フロントに電話した来てもらった、なんだ電源が入ってなか
ったのだ。

となりに持ち帰りの食堂があった・・チキンと野菜盛り合わせ自分の好みパック10ディハル
300円トータル600円。

どうしてこんなにも「ホテル代」高いのか・・

震えるホテルの高さユースホステルは3日間づつの予約になっていて・・更新しようとしたが
満室で更新できなかった基本はメールで予約するようになっているようだ・・安いホテルオを
探さがそう・安いホテル一泊・600ディハル・・×3=18000円・・2軒とも満室だっ
た。

30000円のホテルは一つだけあいていると・・とんでもない。三軒目のアパートメントホ
テル750ディハル21500円・・仕方ないとりあえず二日分4万3000円予約した。
身体が震えてくる・・ばんめしものどがっとらない気持ちだ。

どうしてこんなに高いのか・・それでもどこのホテルも満室。だから3600円のユースホス
テルに集まってくるわけだ・・。パソコンで格安ホテルを検索してみるがどこも同じで20キ
ロ30キロ離れた場所にはユースホステルと同じぐらい安いのがある。しかし今はそこまでは
を延ばす気持ちはとても余裕がない。

オートバイを受け取ったがこのありさま喜んでいられない。
①これからサウジアラビアのビザを再申請してみようと考えている
②ナビ「ガーミン」のgpsカードを手に入れたいが店を探すのも一苦労・・どうなるか。

さあー寝よう・・いくつもある電燈・・消し方がわからない。フロントに電話して・・あっち
の電燈は反対側の壁にスイッチが・スタンドのスイッチはコードにつながっている・・わから
ないわけだ。スタッフだけわかっても仕方ないだろう。

いっそのことまとめておいた方がいいのになー。2万円の部屋にぶつぶつひとりごと、おやすみ。

第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島・ドバイから

2014年02月22日 | 赤道直下と陸路国境148か所

ドバイユースホステル・・フロント・部屋・プール・朝食だけはこの食堂で

2014年2月19日木曜はれ
初めてのドバイの朝・・シャワーを浴びて「やらなければならない」避けて通れないものの「一番」
「イヤなものから」先に、これはわたしの旅の決めごと、大げさにゆうものではないが・・下着、
パンツ、靴下の洗たくをすませた。パソコンでドバイについたことを写真つけて皆さんに伝える

ここのユースホステルはキッチンがない・・ので自分で調理することができない・・仕方ないので
晩飯部屋のベッドでくっていいる。一日二食。


ばんめしは部屋のベッドの上で・・キューり1本40円と高けー

歩いて5分近くのスーパー

2月20金曜 21℃ぐらいだろうか  はれ   はれ
ドバイの夜明けは6時半ごろ・・日本いたころの生活に戻そう・・4人部屋なので寝ている人に気
づかれないように7時前に起きて歯みがき・・洗顔。フロントには初日出ていた人のよさそうなス
タッフがいた。「ソーリ」と合唱ポーズをつくり「お願い」があると日本語で頼んでみた。

「マイ・オートバイ」港につく「事務所」の「場所の」メトロの電車で降りる「駅名」はなんとゆ
う「駅名」なのか・・教えてほしい。パソコンのアドレスを見せて頼んだ。今はもうすぐ8時なる
・・会社に電話を入れて駅名を確かめているようだ。

メモっていた駅名「○○○○」を書いて渡してくれた。ありがとう。朝食をとろう・・キッチンは
ないがテーブルとイスはしっかりした木製でこしらえているバイキング食堂。9時を過ぎて二つの
グループが残っている。急いで残っているパンとサラダをとる。

食堂の食事風景写真をとっているとグループの一人がポーズをとっていた。そのグループは「どこ
からきた」「マイ・ジャパン」すると仲間を紹介した。リビア・アルジェリア・エジプト・などか
ら6人来ている仲間らしい・・これはいいぞー。アルジェリア・リビアの情報を聞きだしたい「ジ
ャストモーメント・ちょっと待って」部屋に戻ってこれまで走ってきたパンフを皆さんに渡して・
・写真の説明をした。

アルジェリア・リビアの「ビザOK」か。二人は「OK」と言ったが自信なさそうな顔と受け取る。
サンキュウ、バイバイ。きょうオートバイ受け取りの会社を確かめてみよう。ユースから5分ぐら
いのところにある「スタジアム」駅。そばにサッカー場があるから着いた名前なんだろう。

初めて乗るメトロ電車。朝フロントで書いてもらった降りる駅名「○○○」までの切符じゃないす
べてカードになっているようだ。「ワンウェイ」か「ノー戻ってくる」「リターン」か「そうだ」
「じゃ10ディルハム」とカードを渡される。300円ぐらいか。日本のJRスイカと同じだ。

UAE(アラブ首長国連邦)の通貨・・・いくらになるかゆうべ1万円を両替して確かめてみた。
320ディハムで戻ってきた。現地の価格に3倍かけると大体の計算ができる。当面は3倍で行こ
う。電車に乗り込んですぐ「すみません」写真を撮らせてくださいと「頭を下げて」お願いした。




初めて乗るメトロ電車・・立派な車両は大阪でつくった車両だった・・・もしかした無人電車なのかもしれない。
すみませんと写真を撮らせてもらった。

手をあげてポーズを撮っている人もいる。「すみません」「ありがとうございました」帽子をとっ
て日本語でお礼を言った。ちょうどいい混み具合だった。わたしの降りる駅をとなりの人に「メモ
を見せる」と電車のドアーにある駅名を指さして教えてくれた。

25分から30分ぐらいで着くとipadを使って説明してくれた中年の男の人も・・ありがとう。
乗り換えないで大丈夫のようだ。

扉が少し開いた感じ・・
駅に着いた、となりに座っていた人が目をしょぼしょぼさせながらいっしょに駅で降りた「疲れて
る目だ・グロッキー」なんだね「そうだ、コンピューターの仕事をしている」と苦笑いながら話す
。タクシー乗り場は「ここ」だ。一台タクシ-が停まっていた・・会社のアドレスを見せると・・

「OK」わかってくれたようだ。アーよかった。この運転手さんもバングラデシュ出身だった。会
社を通り越して停まった、うしろの茶色ビルだと・・。10ディルハム300円。ビル受付で「カ
メラに写っている「会社名」を見せると「そうだ」3階へ・・。三階の受付の女性・・ジャパンマ
ツオ。


意外と簡単にドバイの運送会社につくことが出来ホッとした、うれしかったのでさっそく写真を。

すぐに中年の男性が来てくれた。すんなりとこれたのでうれしかった、のですぐ男の人と写真をと
る。別室に通されてこれからのことを・・と思ったが「パスポートを出してほしい」と・・オーノ
ー「ホテルに預けてある」・・手続きには必要とのこと。「ホテルに戻って取ってきます・・・」

リュックを置いてホテルに戻る・・タクシーでメトロ駅まで。この運転手もバングラデシュ出身だ
った。ドバイ・タクシー全部「オール・バングラデシュ」そうだ「バングラデシュ・スリランカ・
パキスタン出身が多い」と運転手。ホテルについてパスポートを受け取り再び船会社へ14時ちょ
っと前に着いた。

今の時間は食事の時間・・14時に戻ってくると。部屋で待たせてもらった。そういえばスペイン
でもお昼に行っても2時頃いってもお店は閉まっていることが多かった・・・今日も休みなのかと
思っていたらここら辺の習慣でお昼寝の時間だとか聞かされたこともある(2000年12月)。

手続きを終えたあと23日日曜10時に来るように説明を受けた(イスラム圏は金曜・土曜が休み
らしい)40キロ離れたカスタムに行くのでこの会社に来るようにとのこと。わかりました。

オートバイの受け取りは24日か25日になるらしい。でも受け取るめどがついてまずはめでたし
めでたしだ。2000年10月オランダからオートバイで走り始めるときもまったく港の住所がつ
かめなくて・・苦労した。港のアドレスを現地の人に見せたら・・チンチン電車に乗って行け。

港に行くのに山に向かって電車は走っていく・・おかしいなー、運転手がここで降りろと・・。降
りたあと地元の人にアドレスを見せて歩きまわるが「わからない」人ばかり。やっぱり違うようだ
町に戻りタクシー運転手にアドレスを見せる。

どうにかわかったようだ、「クロネコヤマト」の日本語の看板を見つけたときほっとした思いがあ
る。タクシー代1万円ぐらいかかっていた。イヤーがっくり・・「ソーリ・マイ・ノーマネー」と
帰りは会社の人に送ってもらった。

この時も八方ふさがりの状態だった。今回も思い切って動いてみたらなんとか明るい兆しが見えて
きた。オートバイを受け取ったあとのことも・・ナビに新たに入れるの中東地図のSDカードを買
う ②Ipadにグーグルとグーグルアースを入れたい、要するに使い方がわかっていないのである。

駅からおりた場所にあるマーケットでハムだけ買ってきのうの残りで夕食とする。オートバイを受
け取るめどがついたのでホテルに戻り少しは気持ちが落ち着いた。 イエメン人が出たあとメキシ
コ人が入ってきて・・日本人が出て行ったあとマレーシア人が入ってきた。


世界一高いと言われるなんとかモール・・上がるのに1万2千円ぐらいするとか・・予約すると
少し安くなるらしいがとても手を出せない

2月21日金曜   はれ 21℃
少しずつ扉が開いてきた

きょうは金曜日は日本で日曜にあたる休みの日。ドバイでは金曜・土曜休むらしい。電車で世界一
高いといわれるモール街に行ってみる。モール駅から歩く歩く飛行場と同じ動く歩道も付いている、
結構駅から離れている。どでかいショッピングモール街には多くの人が行き交ってにぎわいを見せ
ている。

オー「紀伊国屋」書店だ。アラブ首長国の地図・ドバイ市内地図・オマーン地図があった。これさ
えあれば鬼に金棒だ・・心強い。なんか気持ちに余裕ができホッとした気持ちになる。Ipadにゴー
グル・アースを途中のアイホンの店で入れてもらった。

動いてみると自分に必要な成果を得ることができるもんだ。八方ふさがりだったものが少しずつ扉
が開いてきた。いちばん最初走り始めた2000年11月パリに着いたとき、パリ市内を走るのが
恐くてしばらくユースホステルですごしたことを思い出す。

一週間ほどホテルでじーっとしているだけで気持ちが落ち着いてまわりの状況もつかむことが出来
てパリ市内を走れるようになった。今回も同じように過ごしてみようと思う。

世界一高いビルを見るため外に出る。ここも観光客がいっぱい。わたしのカメラではおさめること
ができない。づーっと離れた一番奥からどうにか全体をとらえることができた。まわりには建設中
のビルがどんどん増えている。


ユースホステルの4人部屋・・トイレの横にホースが付いている、ジェットシャワーこれはいい。
シャツ・靴下・パンツはシャワーを浴びるときにさっつさっつ さーと洗う。

疲れたなー電車に乗って帰っているつもりが反対に向かって走っている電車だった。乗り換えて6
時ごろ宿ユースホステルにつく。出かける前午前中に床屋に行った15デルと聞いていたが25請
求されたホテルで15出ると聴いてきた・・すると20デルでいいと・・(ぼるなよ)。

実はいつも使っている「バリカン」を日本から持ってきた・・到着した二日目にさっそく頭を刈ろ
うと電源を入れたら・・バーンとアダプタが吹っ飛んでしまったのだ「アリャー・・」。ここらあ
たりはおそらく200ボルトだからなのだろう。

夜パソコンをいじっていると日本から旅行者65才のおじさんがきのうも、今日も話に来た。ひと
り旅の人で朝からあっちこっちとエネルギッシュに動き回っているタフな滋賀県出身大西さん、こ
れからレンターカーを借りて走る予定だとか話していた、すごいもんだと思う。

第7次・オートバイひとり旅・アラビア半島・ドバイからあらたに走り出します

2014年02月19日 | 赤道直下と陸路国境148か所

宿探しに苦労した南京市内で・・写真の日付が2013年になっているは14年の間違いです。

第7次「オートバイひとり旅」出発

2014年2月16日日曜 成田・はれ  中国南京・雨

南京に定刻17時に到着。雨が降っている。飛行機の中で空港から南京市内まで4
5分から60分ぐらいと、となりの席の女性から聞いていた。しかしどこで降りる
のかまったく見当がつかない。

空港の案内所でホテルの値段を聞く・・176元ぐらい。ちょっと高そうだな・・
自分で宿は探します

その前に案内所女性に「ATM」までついて来てもらってお金を引き出す「操作仕
方」をおしえてもらった。

とりあえずカードで現地のお金を引き出すテストした。・・OKだ。

暗証番号が見えないように鉄柵があり数字の「1・2・3」は見えにくくなってい
た。とりあえず5000元おろした・・日本円でいくらなのか、まだ分からない。
ホテルは自分で探すからとバスに乗る市内まで30元。


空港内の案内所の女性

いちばん前に座るととなりの女性は「日本人ですか」と話しかけてきた。昆明出身
で大学2年生日本語を勉強しているらしい。これはラッキー・・助かった。

南京市内のどこで降りればいいのかまったく見当がつかなかったのでホッとした。
これまで空港で話しかけてもほとんど言葉が通じないだ。彼女もホテルのあるバス
停で降りてくれると話してくれた、安心だ。

市内につく間・・南京でのアルバイト8時間で60元、アパート代1500元家か
ら仕送りしてもらっている。日本は住みやすいですか、北海道やおもしろい大阪弁
の大阪にも行ってみたいと。

南京市内までの1時間話した。「ありがとうございました」ついた場所からタクシ
ーを拾ってホテルまで・・。ついたホテルは300元・・高い。「あっちにもある」
とあごでしゃくる。25キロの荷物を置きっぱなしにして探す。

うん・・すぐとなりにも「住宿」の看板200元・・・そのとなりは130元よし
よしここに決めよう

若い女性と青年が受付。荷物を取りに戻ると230元と言う。荷物を置いてまたほ
かのところを探しに出かける。となりは200元・・しかし「カードあるか」「ネ
ー」「泊れない」・・「カード」(中国人身分証明書)が必要だと。

二番目の200元に再び行く・・込んどは300元だと・・オーナーは200でOK
と言ってるじゃないかと日本語でまくしたてるがなにを言ってるかさっぱり分からない。

荷物を置いてあるホテルに戻り230元でも仕方ない。古い建物だが仕方あるまい、
泊れるだけ辛抱しなければなるまい、ここに泊まることにした。

寒くてシャワーを浴びる元気などない・・9時を過ぎている食堂に行って晩飯ビー
ルを呑もう。あれれ・・出口がわからない・・裏口から出て三軒目にあたったホテルは
食堂もやっていたのその店に行く。

ニワトリのモモ野菜炒めとビール2本注文。お客もいたが従業員のおばさんたちの
食事になったようだひとつのテーブルに7,8人わいわいがやがやごはんも大もり
のお代わりをしている。


食堂の従業員の食事・・風景

鍋から湯気が上がっているみそ汁、炒め物、ジャーに入っているご飯・・食べ終わ
るとイスを動かすときギギーギギーまったく気にしない・・かっての日本もそうだ
った。

宿屋に戻ると受付の青年が230元の内「あしたの朝」宿を出るときに「100元
はあなたに返す」と手ぶりで何回も説明してくれた。あーそうだったのか・・。
日本でも時々みかけるが今はほとんどないなー。

じゃ・・となりの宿でもそう話していたのかもしれないなー・・それにしても宿代
の二倍を一時的とはいえ高すぎる。普通は「鍵代とか」「カード」の「保証金」と
して1000円ぐらいのお金を預かっているところがある。これでまたひとつ勉強
になった。

部屋の暖房を30℃にしたが中々あったかくならない・・上着を着こんで寝ること
にする。11時30分。現地時間は10時30分。

あしたの空港に行くバスターミナルがどこにあるのか不安だ。「あしたもここに来
るんですよ」とバスでいっしょだった彼女の話が耳に残っている。まぁーあしたの
朝早めに出かければどうにかなるだろう。


中国ではすべて電気オートバイやスクーター・・音がなくすーっと近づいてくる女性も颯爽と乗り回していた

2014年2月17日月曜 雨
受付カウンターの中に布団しいて寝ているスタッフ・・「ソーリ」チェックアウト。
布団の中から携帯電話して「100元」を確認しているようだ。

「100元」を受け取ってバイバイ・・・小雨の中ホテルを出る。スタッフも英語
はまるっきり伝わらない・・。階段を下りて紙に書いた「南京市内」→「南京空港」
を見せてバスステーションを通りかかりの人に聞くが「わからない」と手を振るば
かり

お店の人に聞いてもわからない・・あっちと言われた方向にとりあえず歩きだす。
旅行のトランクを引いてくる人がある。聴いてみるがわからない。長身のお若い青
年が同じ方向に歩いてきた。

「ソーリ エアーポート・バスターミナルは」青年はわかったらしく同じ方向にいっ
しょに歩いて行く。南京の駅らしいところを過ぎたところにあると・・過ぎたあと
別れた。ありがとうございました、助かりました。

歩いているとトランクを引いて歩いている女性に「バスターミナルは」バス発着所
までいっしょに歩いてついてきてくれてチケット売り場まで教えてくれた。

「オーここですか」「あーよかった」助かりました。「ほらすぐそこ」と指さして
「見えてるじゃない」と海外で「すぐそこ」がわからないのだ・・何度困ったこと
か、教えている人は地元だから分かっている・・しかしわたしにはわからないのだ。

わたしは日本で外国人の人が駅ホームにいるとき「となりの3番線」と「指さす」
のではなくていっしょにそのホームまで着いていくようにして「ここに」電車が来
ますとおしえるようにしている。

今歩いた30分ぐらいの距離だけ・・きのうタクシー代130元2000円を払っ
たのを考えると1000円ぐらいだったのでは。タクシーの運ちゃんボッタなー。
雨の中少し待って大型バスに乗り込む30元210円ぐらいか。

バスは満席になった。南京空港に1時間でついた。いま10時30分搭乗13時3
0分までたっぷり時間がある。昆明行きの手続きをすませてバイキング・レストラ
ンでビールを呑もう。

ここでも言葉が通じない・・いつもの手ぶりやジェスチャーで「ひとつづつ・ワン
・ワン・ワン」レストランの女性も大笑い。

途中うつらうつらしていたら・・座席の「背もたれを起こして」とスチューワデス
・・うん「もうクンミン」違うらしい。よく聞くと「長沙空港」にいったん降りて
客の入れ替えをする。

1時間ぐらいで飛び立つとのこと。昆明空港に18時到着。日本人男性とあったが
話をする暇もなかった。

きのうのようにホテルのことで時間をとられたくないのでバスに乗る前にバスの案
内人にホテル前でおろしてもらうように頼んでみた。

わたしの英語でもここのバス女性は英語が少し通じるらしく「OK」と乗車券の裏
に二つのホテルの名前を書いてくれた。よしこれで迷わなくていいぞ。

40分もしないうちに昆明市内ついて・・ついたところはバスターミナルの前がホ
テルになっていた。

しかし見るとだいぶ高そうなホテルだ・・ついてきたバスの案内女性にわたしは
「ノーマネーだから」もっと小さなホテルはないのかと・・玄関でちゅうちょした。

フロントに入って聞いてみると「800元・2万円」やっぱりとんでもない高さだ。
彼女にもういいから自分で見つけるからと二軒目に行って聴くと「500元・80
00円」うーん高いけど、きょうはこのホテルに泊まることにした。

9時を過ぎている・・。きのうのホテルとは段違い・・じゅうたんもふかふか気持
ちがいい。バスタブにはお湯が張れる。きのう2000円だったから合わせると一
晩は5000円になるので許せる範囲になると自分を慰めて納得させた。

バスタブにお湯を張ってゆっくり身体を洗い食事に出かける。レストランがないな
ーどしたのだろう・・路上の屋台のおばさんに聞くとそこをまっすぐ行ってあると
教えてくれた。

あった、ショウロンポウ専門店「ビールはない」がとなりは酒屋さん・・2本買っ
て腹減っているのでうまーい。輪っか10個入り100円ショウロンポもあったか
くてうまかった。


ドバイにつきました・・・ドバイ空港

2月18日火曜 朝雨  くもり
8000円と高いホテルはいごごちがよかった・・がゆうべからトイレに紙が詰ま
って流れないのだ。朝フロントに電話してきてもらいつまりを直してもらった。

きのう南京でも同じような状態になった・・水まわりは先進国でも苦戦している。
ある国では二階からぽとぽと落ちてくる国も何カ国かあった。朝食はバイキング・
・「ビール」「ビラ」「チンタオ」でも通じない・・

せん抜きの「ポン」とビールを言ったつもりで言ったら「せん抜き」だけを持っ
てきた。フロントに行ってスタッフ一同話し合っている・・・ようやく本物ビール
を持ってきた。

空港行きのバスはホテル前から出ているのできょうは心配ない。夕方の航空便なの
で時間はある。フロントに近くの見所はありますか、聴いてみた。

10分ぐらいのところに広―い公園がると教えてもらった。よし行ってみよう・
・公園ではウミネコがえさをもらいに公園いっぱいに飛び回っている。

エサを与える子供たちを写真におさめている家族連れが多い。帰ろう・・うん違う
な。戻って確かめる・・たしかにこの道だ・又歩き出すがどうも違う。再び戻って
確かめるが同じ道になる、気持ちがあせってくる。

売店のおばさんにホテルのカードをもっていたので見せるとあっちの方だと・・そ
うか一本道が違っていたのだった。タクシーに乗ろうと一時考える程あせっていた
のでホッとする。

ホテルのカードを持っていてよかったなー。そう言えばイギリスやフランス地方の
町など他の国でもすぐに戻るつもりで近くに出かけて・・宿に戻れないときもたび
たびあった。

足が棒になるほど歩き探した時もあった。出かけるときはホテルの名刺、カードも
持って出かけけないとひどい目にあう。昆明空港は街から近かった。ドバイ行きの
チケットカウンターに並んで一番うしろの席を確保。

中国の「ドバイ観光ツアー」旅行業者が数人パスポートを束にして持って並んである。
20人から30人ぐらいのパスポートをかかえている。食堂では家族連れがトランプ
に講じている。

店員もなにも言わないからここではそれが普通なのだろうか。わたしはパソコンに
日記を書き込んでいたらプツンと電源が切れた。時計を見るとオー搭乗時間が迫って
いる。

あわてて「海外」搭乗口を探すが見つからない・・一か所だけはずれにあった。荷
物検査・・も並んでいて早くしてくれとあせってきた。ギリギリの30分前に搭乗
乗り場についた、やばかったなー。

ところが雨からあられになって雪に変わってきた。裏の植木は白くなってくる。み
ぞれまじりの冷たい強風の中バスで飛行機に乗りこむ。久しぶりに乗るジャンボ機だ。


ドバイ空港

ドバイ観光ツアーは中国の人・・女性が多いなー。機上の雪下ろしをすませて一時間
遅れで出発。これだけの人を乗せたジャンボ機飛び立つのに大丈夫かいなと怖さを感
じる。

時間を計ると普通の飛行機より10秒ほど離陸が遅く40秒ぐらいか。ネットでコピ
ーした時刻はドバイ着21時なっているが時差の関係で18日19時30分とスチュ
ーワデスは話す。

うとうとしていると席の背もたれを元に「戻して」とスチューワデス・・・うんもう
ドバイか・・違う「長沙」に一時降りて客の入れ替えをするらしい。1時間位機内で
待つことになる。遅れないで1時間で飛び立つ。

東方航空は食事のときビールはないとのこと。機内の中国の男を見ているとわたしと
同じでお酒が入ると態度はでかくなりそうな感じ・・そう考えればいた仕方ないこと
かもしれないと自分に納得させる。

そうでなくても機内ではでかい声で女性も男もしゃべり続けている。幸いとなりには
人がいなく空席だ。今ごろはインド上空あたりを飛んでいるのだろうか・・時おり民
家らしい明かりが見えて・・街の明かりも出てくる。

昼間この景色を上空から見てみたかったなー。もう二度はみられないことだろうから
・・疲れたので足を曲げて寝ころんだ・・・アー楽チンらくちん・・いつのまにか眠
っていた。ドバイについた。


入国審査・・右も左も行列ができていた・・さすがドバイだ

20時54分日本時間2時24分か・・。昆明から7時間かかったことになる。入国審
査には右も左もいっぱい並んでいる。航空の職員が握手に来た地元らしい人が前に並ん
でいる・・昆明は雪だった・・ドバイ「今何℃」ぐらい・・「21℃だ」。

「ソーリ」すみません・・・とユースホステルのアドレスを見せてタクシーで行けるか
聴いてみた。「OK・OK」ヒフテーン、ミニッツ15分ぐらいだと教えれくれた。

アーよかった。うしろに並んでいるのはヨルダンの二人・・わたしも「二度行ったこと
があります」よ・・言ったつもりが通じてないようだ。

こんなに並んでいるのに子ども二人連れ夫婦が「審査官」の前に割り込んできた・・な
にかの書類をかざしている。係官は「順番だ」「並んで待て」と言ってるように感じら
れた。列の一番うしろに回された。民主主義のお手本だろう。

自分は「ビザ申請」を空港でやらなければと思いこんでいた。通路にいた空港係官「ビ
ザ申請場所」はと聞くと日本人は「ノービザ」ビザなしで入国できるとのこと・・アー
そうなんだ、ビザ申請に時間がかかるだろうなと思っていたが助かった。

アルコール売り場は出口の手前にあるから「買っとけ」とメールでアドバイスを受けて
いた。あったここ何だアルコール売り場。

市内にはいるとアルコールは手にできなくて・・あってもすごく高いと聞いている。ト
ランクを受け取ったあと残った中国紙幣の両替を済ませアルコールショップへ。ウィス
キー大びん2本ビール3ケース18本。レジに並ぶとひとり4点までとレジの女性。


ドバイのユースホステル・・一泊2500円と思っていたが・・3000円ぐらいと泊まっている人が話している

残念ビールワンケースを戻す。ウィスキー2本ビール2ケースを荷車に載せてタクシー
乗り場へ直行。

ホテル泊まり2,3泊ならいいが長期の泊りはユースホステルがベストだと話好きのバ
ングラデシュ出身の運転するタクシーで「ユースホステル」についた。レセプションで
はネット予約していたので簡単だった。

支払いもカードですませていたのを忘れていたが・・お金を出そうとしたら「NO」「
カード」ですんでいると・・。部屋には日本人が一人・・近くにスーパーがあると教え
てくれた。さっそく買い出しにでかけるが閉店間際戻って来た時は12時を過ぎていた。


ドバイにつきました・・ユースホステルのマークを指さして・・

第7次オートバイひとり旅・アラビア半島・ドバイからあらたに走り出します

2014年02月17日 | 赤道直下と陸路国境148か所

オートバイ仲間の見送りを受けて・・屋上の見学ロビー

片道チケットがありました・・普通は往復チケットですが・・
それもおどろくほど安い料金でした。
ドバイ(アラブ中国連邦)には18日着きます。

成田~南京~昆明~ドバイ (中国東方航空)

飛行運賃20000円オイルチャージ18290円 トータル38290円

出発2月16日日曜・成田空港13時→中国・南京空港15時30分到着

2月17日月曜・南京空港13時30分出発→昆明空港17時45分到着

2月18日火曜・昆明空港16時55分出発→ドバイ空港21時到着


相模のコンさん、中澤さん、蘭丸(小島)さん・・・二階に横断幕が・・屋上で壮行会
皆さんの見送りを受けて成田からドバイに向けて出発しました。

成田北ウイング「出発電光掲示板」まえ10時に集合・・
すでに相模のコンさん、蘭丸(小島)さんはは到着していた。すぐに中澤さんも、すみませんねー
カウンター搭乗手続きを終えると山崎ふー女史の姿も・・先週四国に行くとき確か
めていた回転すし屋で5人前を二つ、調達してもらった(みなさんすみませんでした)

屋上の「見学ロビー」で生き別れ会、ビールでカンパーイ(コンさんごちそうさまでした)
横断幕は「張っちゃー」だめと警備員に注意される。風もあったので屋内入口のロビー移動
したら西岡女史も駆けつけてくれた・・すみませんねー

それでは「入ってきます」・・列に並んで・・「アー忘れてた」携帯電話の「解約手続き」
北のはずれまで走って手続きは5分ぐらいで終った。あー間にあってよかった。再び「行っ
てきまーす」・・・お見送りありがとうございました。



2月16日から1年半・・・オートバイでアラビア半島・ドバイからあらたに走り始めます。

2014年02月14日 | 赤道直下と陸路国境148か所

写真は1月6日横浜港からアラビア半島・ドバイ(アラブ首長国連邦)にオートバイを送りました。

16日アラビア半島・ドバイから・・あらたにオートバイで走り始めます。

サウジアラビアのビザがとれそうにないからドバイ~オマーン~イエメン~アフリカに
わたって エチオピア~南スーダン~スーダン~エジプト・・ビザが取れれば北アフリカ、
リビア~アルジェリアを走り、ねばってもとれなければ・・ヨルダン~シリアになる・・

ヨーロッパに抜けてシベリア横断・・最後はサハリンから日本に戻る予定です。
1年半の期間を見ています。

帰ってきたらまたよろしくお願いします。ご自愛ください。


オートバイひとり旅・シベリア横断~中央アジア  76 パキスタン・ラワルビンディ~ペシャワール 

2014年02月14日 | 赤道直下と陸路国境148か所

アフガニスタンに入国しようと2回アタックしたがオートバイではダメだと断られた。パキスタン近くの国境
のバザール。地元の人たち集まってきた。

2003年10月29日水曜 はれ 朝8時20℃ はれ

さてさて、あとはインドビザ、ネパールビザを取りさえすればネパールでゆっくり出来るぞ。
どうなるか・・夜に考えていた。夜に突然スピーカーを通じて長―い長―いあのイスラムの
音楽が容赦(ようしゃ)なく流れる!。

朝歯みがき、顔を洗って下のレセプションにいってインド、ネパールのエンバシーのアドレ
スを聞いてタクシーを拾う。タクシーの運転手はわからないらしく停まるたびにドライバー
に聞いている。

イスラマバードに入りようやく公園の中へ・・。エ―ここがエンバシ?・・タクシー150
ルピー(300円)払った。どうしてこんなに人が集まっているのかと思った。この場所か
ら各国の大使館にバスで向かうようになっているようだ。

乗る前にバス代125ルピー(250円)払って、並んだ順番に次々にバスに乗る。エンバ
シー村とゆうか大使館が集まっているエリアにバスは入っていく。

区画整理さている道に沿ってグルぐる周り自分のビザ申請する大使館の前で降りる。インド
大使館に近い停留所で降りる。なるほどこんな風に一ヵ所に大使館が集まっているとビザの
申請もしやすくていいな。申請用紙を事前に受け取って開館を待つ。

10時から11時頃までかかって手続きだけ済ませる。ビザの受け取りは7日後11月5日
らしい。受け取りの紙には11月5日9時から11時と書いてある。

ラワルビンディのホテル「リーゼント」の部屋600円から長期滞在のため500円に値下げしてくれた

10月30日木曜 はれ20℃ まっ白のスモッグ? 昼30℃

きょうアフガニスタン国境に近いペシャワ(ペシャワール)に向かう。夕べはなかなか寝付かれ
ずうとうと・・いったん寝込んだあと・・1時2時とすぎていく。7時に起きてホテルのフロント
でペシャワールに行く道を確認して9時に出発。

アフガニスタンに向かうためラワルビンディのホテルを出発

郊外に出てから一本道のペシャワールの標識が見つかった。ここまで2,3回ドライバーに聞
いた。途中まっ白になったところに入るスモッグ?か、ガスってきているが大丈夫かいな・・。

60キロイーブンで走り続ける。きょうはたっぷり時間がある。ペシャワールに着けばいいだけ。
約170kmなので午前中で走り終わるので気は楽だ。途中でバザールでトマト、たまねぎ、小
さい葉っぱ付のダイコン、を買ってペシャワー(ペシャワール)に12時ジャストに着いた。

セントラルのホテルに入る。ここでビールを買ってレセプションに入っていくと一泊170$
(2万円)負けてもらっても80$(1万円)だとゆう。

そんな・・泊まれない高さだ。途中で見つけ確かめていたいたホテルに戻る。ここは500ルピ
ー8,5$約1000円なのだ。このホテルに泊まる。12時半。買ってきたトマト、ダイコン
で昼食。葉っぱ付の大根は塩漬けにした。キュウリも塩でもんでビニール袋に入れる。

ビニール袋に大根と葉っぱを入れて塩漬け・・これがうまい。地元の人にメヘヘーン・・ヤギが食べるもの
だと笑われる。

2時頃から外に出て靴の修理屋さんで手袋の修理をして・・と靴の修理屋さんにもって行き
直してもらった、10ルピー20円別の手袋を洗って電燈の上で乾かしていたらこげてバリバリ
になってしまった。それではと焦げた右の手袋を再び持って行った。

くすり指の付け根をどうして直すのだろうか・・。見てる間にいとも簡単に縫いつけて直してく
れた。10ルピー20円。靴修理屋の前はトコヤさん・・。そのままトコヤさんに入るアルコー
ルが効いてきたのだろうか・・いつのまにか眠ってしまっていた。

何回も頭を押さえてらていることは覚えている。いやーもうー眠くて眠くて・・すみませんでし
た。主人は笑っている。トコヤは1時間ぐらいで終わった。30ルピー60円。柿2個買う10
ルピ―20円。さてさて不安に不安の残るアフガニスタンにあしたは入れるのか・・。

本当に大丈夫・・。イランやその前の国から危ない危ないと話しは聞いている、どうなることや
ら。市内をぐるーっと走ってみた、市内入り口に城壁みたいなところを抜けてセントラルへ高層
ビルはないが4,5階建てが並んでいる。


床屋さんのご主人

10月31日金曜日 朝方冷える はれ20℃ 昼33℃

7時30分ホテルを出てアフガニスタンに向かって走る。約16km走った所で検問所。ポリスの
小屋に入っていつもの車両ナンバーなど書いて終わりかと思ったら・紙に何か書いている「なに、
なに!」よく聞くと「なんかの証明書」が必要らしいことがわった。

市内戻って「もらってこい」エエー、また戻るのかいな・。紙に書いていたのは「ポリスオフィス」
のアドレスだったのだ。うーん仕方ない。戻るしかないのかー。市内地図だってわからないのに・・。
戻ってもわからないだろうな・・困ったな。

市内に戻りドライバーや通行人に見せるがわからない・・・。街中に立っているポリスに聞くこと2
回・3回・・。最後にポリスの横で聞いていた自転車で通りすがりの地元の人。おれに「ついて来い」
と・・5,6分自転車のあとをついて行くとここが「オフィス」だと教えてくれる。

ありがとうございました。今8時半、玄関入口のポリスに聞くと9時からだと話す。ここで待たせて
くれとそのまま居座る。しばらくすると9時前だけど2階のオフィスに「上がって行け」と・・。
事務所には年輩の二人がいた。

パスポート・カルネを出してアフガニスタン「カプール」に「行くんだけれど」・・日本語まじりの英語。
アフガニスタンは「オートバイはダメだ」係官はセキュリティのこととか「オートバイはダメ」と。
アドレスだけじゃわからないだろうと思ってきたのに・・せっかくポリス事務所を見つけて来たのだ。

何回も聞き直すが「オートバイはダメ」「走行を認めていない」とのこと。アーアそうなのか。しかし
これであきらめもつく。「そうかダメなのか」と「うなづく」と係官もそうの方がいいみたいな顔になっ
ている。正直時間のかかる山越えをしなくてすむし・・内心ホッとする気持ちにもなった。

それではと「オートバイ抜きで」自分だけではアフガニスタンには入れるだろう。オートバイをホテル
に預けてバスかタクシーでアフガニスタンに一人旅で行くか・・。ホテルに「オートバイを預かってほ
しい」のだが・・と頼んでみた。

ホテルは宿泊者のみの駐車なので「ダメ」とことわられてしまう。アフガニスタンに入るのはダメにな
ったよし戻ろうラワルビンディへ・・来た道なので少しは安心して走れる。途中「ギルギット」方面の
標識も見つけた。


日本のパチンコ景品交換所ではない・・パキスタンではアルコールを売っている酒屋はない。大きなホテルで
売っている・・裏に回ってここがアルコール売り場

ラワルビンディに13時前に着いた。ビールを買ってからホテルに戻ろう。有名なホテルでしか売って
いない。裏側の一角でアルコールを売っている。ビール中瓶10本160ルピー320円。ウォッカー
450ルピ900円を買ってホテルに戻った。

途中市内では追突した車5台が停まって渋滞していた。しばらくここラワルビンディでゆっくりしよう。
ホテルでは一泊600円を500円にするとうれしい話。ギルギットの山の方にでも行って見ようかとも
思う。

ただムスタンを出たあたりからエンジンが一気に吹かなくなった。パワーが出なくて追い越しがおもうよ
うに行かない。

*おわび・・2月16日からアラビア半島・ドバイから新たに走り始めるため・・パキスタンのブログの
つづきは更新できないかもしれません。これからもよろしくお願いします。

新たに世界を走るわたしのために・・・佐賀・葉隠れフォーラム主催・・壮行会

2014年02月12日 | 赤道直下と陸路国境148か所




2月16日アラビア半島・ドバイから新たに走り始めるわたし「バイクの松尾」のために
2月11日新宿さくら水産甲州街道店で壮行会を開いていただきました。

ふるさと佐賀・「葉隠れフォーラム」主幸・嘉村孝さん(佐賀県人会会長)の呼びかけで
一週間もない期間であっとゆう間に40人も集まってくれました。

今回のオートバイの旅はアラビア半島からオマーン~イエメン~アフリカにわたってエチオピア~南スーダン
~スーダン~エジプト~リビア~アルジェリア・・・ヨーロッパ抜けて最後はシベリア横断
~サハリンから日本に戻る予定です・・1年半ぐらいの期間を見ています。オートバイはすでに1月6日に
横浜埠頭から送っています。

わたしは四国で写真展&講演会を終えて10日に帰ったばかりで恐縮するばかりでした。
ほんとありがたいことでした。

参加されたみなさんありがとうございました。

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四国・香川高松「海外フェスタ IN KAGAWA」 その2

2014年02月11日 | 赤道直下と陸路国境148か所



講演会場はあふれんばかり・・・いっぱい来てくれました・・








出展者の5人・・画面左から地元多田宏さん、東京からの小口隆士さん、バイクの松尾、坪井伸吾さん
地元の中島厚さん

2月6・7・8・9日「海外ツーリングフェスタ IN KAGAWA」
雪降る悪天候の中・・「アイパル香川」会場にはたくさんの人がきてく
れました。

8日・9日の講演会にはイスを出しても出しても足らないくらい大盛況
会場いっぱいになりました。

地元の多田宏さん、中島厚さんの取り組みは・・最初どうなるか?
最初どうなるのかと心配していましたが開けてみるとその苦労した成果
が実を結びましたね・・。

事前準備など3カ月間・・・多田さん中島さんご苦労様でした

東京から出かけて出展した坪井伸吾さん、小口隆士さん、バイクの松尾
たちもうれしかったです。


5日間・・昼は讃岐うどん・・うまかった・・。

四国・「海外フェスタ IN KAGAWA」・・

2014年02月07日 | 赤道直下と陸路国境148か所


いま四国・香川に来ています。
第1回「海外ツーリングフェスタ IN KAGAWA」
2月6・7・8・9日 アイパル香川

5人で写真展・講演会(8日・9日)を行っています。
地元香川から多田宏さん。中島厚さん
東京から坪井伸吾さん。小口隆士さん。バイクの松尾。

初日は雪でした・・二日目は愛知。広島。愛媛など遠い
ところからも来ていただいてにぎわっています。

NHKTV・新聞などの取材もきています。


讃岐うどんは・・うまい・・夜はいつものようにお酒をのんでいます。

10日に戻ります。

11日16時から19時まで新宿「さくら水産甲州街道店」で壮行会です。
3000円。よかったら来てください