松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

韓国の旅終わる。無事自宅につきました。 

2008年11月26日 | 北朝鮮「朝鮮民主主義人民共和国」の旅
下関港に到着したあとすぐに広島に住んでいる高校の同級生に電話を入れる。
ナビにI君の電話番号を入力。

ナビに従い走る「へー便利なもんだなー」。12時前に同級生の家に到着。
何年ぶりだろう、、30年ぶりぐらいだろうか。I君は船員として船に長く乗っていた。
周りは自然豊かで立派な家である。

昼飯にビールを飲んだあと、ちかくの温泉センターに連れて行ってもらう。同じ高校
生のY君も近くに住んでいる。電話してIさんの家に来てもらった。IさんもYさんも
お互いに近くに住んでいることを知らなかったと話す。夜11時ごろまで3人で昔のこ
とで話が尽きなかった。久しぶりに会ったので充実した一日になった。

ひさしぶりに会った高校の同級生

2008年11月23日日曜
夕べはゆっくりやすんだ。気持ちもすっきりした朝だ。10時前に同級生のうちをあとに
走る。安い京都の宿はいっぱいで「泊まれない」と電話で知る。ま、行けるところまで
走ろう。京都を過ぎて「亀山」のインターで降りた。降りたところんにあった5000円の
大浴場併設のホテルに泊まる。

併設されているコンビニでビール、つまみや弁当を買い込んで部屋で飲む。これは
安くてすむ。

2008年11月24日祭日(月曜)
天気予報は午後から雨と伝えている。よし、7時に出発する。雨が降ってきたら途中で
泊まろう。焼津で降りる10時だ。ホテルに入ろう。しかしチェックインは15時以降となる
と受付。そばの魚センターに行ってマグロを食おう。安いなー。センターの食堂でにぎ
り寿司1000円を注文。あーうまいなー。


9巻で1000円の寿司 焼津インターを降りたところにある「魚センター」

15時まで待てないなー、自宅到着ナビは14時15分を示している。自宅まで走ろう。
雨は自宅に着くまで降られなくてすんだ。家に着いたのは14時20分だった。
洗濯を済ませビールとつまみをスーパーに買いに行く。家内にはあしたかあさ
ってに帰ると伝えてある。仕事が遅番で10時過ぎの帰宅になるようだ。

韓国の旅を思い出しながらビールを飲む、しばらくは海外もお預けだなー。

韓国ありがとう。また来ます

2008年11月26日 | 北朝鮮「朝鮮民主主義人民共和国」の旅

韓国ブサンにぎあう魚市場、屋台の食堂でもたべれる。

2008年11月22日
きのう22日夕方16時までに船の国際ターミナルに来て手続きを済ませるように
と説明を受ける。三原荘のチェックアウトしたあと、荷物をロビーに置かせてもらい
昼飯に出かける。魚市場の近くで生き作りの魚をビニールで囲んだ屋台でたる。
ひらめ一匹,貝など注文1600円

夕方早めに船のターミナルに向かい手続きを終える。二階に上がり出発手続きま
で待つ。6時半に通関を終えて一旦船に入り、オートバイを船内に乗り入れる。
乗用車一台と私のオートバイ以外は大型トラックばかり積み込まれていた。通関
を待つ間にお土産やで白酒など買う。

船内に入り部屋に自分のマットを敷いて場所を確保したあと、船内の漢字で「男湯」
と書いたのれんが下がっている風呂に入る。日本の銭湯と同じで気持ちがいい。
ゆっくり入る。船内は暖房が入っていて寒くはない。部屋は11人部屋に8人の泊り
客。日本人4人、韓国人4人。

館内放送で7時30分発が11時30分発に遅れるが下関港8時到着は変わりない
と伝えている。買い込んだつまみと自動販売機220円の缶ビールをロビーのテ
ーブルで呑みつづける。晴れた下関港に着いた。定時の8時半に到着。


韓国の旅 ぐるっと韓国一周しました。

2008年11月19日 | 北朝鮮「朝鮮民主主義人民共和国」の旅
韓国の道 標識はどこに行ってもわかりやすかった。地方の小さい道にも必ず
標識は立っていた。ただ大きな街に入り込んだとき見逃さないように注意が
必要。




2008年11月17日月曜 はれ
7時20分モッコのモーテルを出発。トラックの運転手に「釜山」「ブサン」と叫ぶと
まっすぐ行って「右に入れ」サンキュウ。すぐに②号線に出た。町を出るまでラッシュにあう。
しかしすぐにがらがらの道に。手が冷たく感じるなー。ハンドルカバーをつけるかと思
ったがガソリンスタンドで給油する頃は太陽が出てきてカバーはつけなくともよくな
った。

日本の風景と同じ

220km走って12リッター給油、1リッター18kmぐらい走ることになる。ほー意外とまだ
まだ走れるもんだなーと思う。今までもそうだったのだが韓国の全体的の距離をつ
かんでいる人は少ないように思える。モッコからブサンまでも何キロあるのかわからな
い。地図を見たところ350kmぐらいかとつかんでいるが果たしてどうなのか。②号線も
狭い道広い道の繰り返しだが狭い道のほうが多い(長い)ような感じを受ける。

ブサンBusan100kmの標識が出て来た、今12時だ。遅くとも2時ごろにはブサンに着
きそうだ。二度目の給油今回も220km走って12リッターの給油。1リッターで18km走っ
た。給油したあと町に入りこんでまたも2号線を見失った。2度、3度ドライバーに聞き
ようやく幹線に乗ることが出来た。

ここからは14号線がブサンに向う幹線になっていた。あと4kmでブサンにつくはず。
どこをどう走ったらブサンの街に入れるのかわからなくなった。大きな橋が何本も
架かっている。土手伝いに走りオートバイを停めて道を聞く。どうも要領をえない。
そこにタクシーが来た。名刺を見せてここモーテルに行きたい。

ナビを見ながらここから20kmぐらいある「20000ウォン=1600円」ぐらいと運転手。
そんな距離はないはずと思いながらも頼むことにした。タクシーのあとについて走
る走るほんとに20kmを終えたところで見慣れたホテル街についた。メーターは150
00ウォンだったがお礼のつもりで2000ウォンを渡す。ケチだなー。

三原荘の若い従業員「社長」(ニックネーム)が出迎えてくれる。狭い路地にオート
バイを止めてオンドルの部屋を頼んだ。一泊27000ウォン=2160円とりあえず4泊
予約する。あーよかった。無事に韓国一周したことになった。いつもそうだが、きのう
もきょうも朝からコーヒだけで走ってきた。早めの晩飯はカニ料理店へ。

ここは冷凍カニを出している店だ。ズワイかに500g=10000ウォン=800円を注文
(ちなみにタラバカニ1kg=30000ウォン=2400円)
ビール、白にごり酒合計1800円。

無事韓国一周終わる。韓国のみなさんお世話になりました。
ありがとうございました。

「参考」
韓国一周 時計と逆周り
釜山Busan→東海岸7号線→北朝鮮国境7号線  ー約500km
北朝鮮国境→44号線ソールSeoul        ー約250km
ソールSeoul→39号線→1号線→モッコMokpo   -約550km
モッコMokpo→2号線→14号線→釜山Busan    -約470km

給油10回=約2万円(一回15リッター約2000円ぐらいかな)
わたしが走った距離は全部で1800kmぐらいでしょう。

泊まっているブサンの宿三原荘は魚市場のそばホルモン焼き通りにある。
一泊27000ウォン=2160円





韓国の旅 オートバイ仲間とキャンプ交流

2008年11月19日 | 北朝鮮「朝鮮民主主義人民共和国」の旅

オートバイ仲間とのキャンプ バーベーキュはうまかった。

オンドルのあったかい部屋で自己紹介のあと呑み会は続く、進行役のファンさん。


韓国出身の吉岡さんも日本からわざわざ参加してくれた。


2008年11月15日土曜 くもり ごご小雨
オムさんが8時半ごろ迎えに来てくれる。荷物を積み終えたばかりだった。「夕べ
はどうもすみませんでした」。クスリで風邪は治まったようだ。オムさんの勤め先
BMWオートバイを扱っているお店に行く。社長さんたちのグループは別のツーリ
ングに出かけるようだ。

わたしたちのツーリングはオムさんの友達ファンさんのクラブの人たちとキャンプ
するらしい。野球場のある公園が待ち合わせ場所。2時ごろさんさんゴウゴウ全部
で10人。車の人も二人。ファンさんは車、奥さんはオートバイできた。ファンさんは片
足を引きずっている。オートバイで事故をおこしたようだ。

オムさんはあした仕事なのでと途中でバイバイと「Uターン」、他の一人も自宅
に帰った。キャンプ場に着いたの暗くなった7時になってしまった。ロッジに入るとあ
ったかい。そこに日本で出会った韓国出身の吉岡さんがいる。えーどうしたんです
か。「実家の近くなのでお墓参りをかねて里帰りしたのです」と話す。
吉岡さんは飛行機できのう14日着いて16日には日本に戻るとも話される。わたしが
一人なのでわざわざ来てもらったのかもしれない。実際日本語がわかる人がいな
かったのでそのあとの交流では大変助かった。

野外でバーベーキュで腹を満たしたあと、あったかいオンドルの部屋で交流会が始ま
った、総勢12人。自己紹介から始まる、わたしも世界地図を開いてあまり長くならない
ように世界の旅を話したが質問も結構出て来た。いちいち吉岡さんはみなさんの話
を通訳してくれたので楽しく過ごすことが出来た。

インドのガンジーみたいに顔も似ている心優しい吉岡さんだ。わたしはシャワーを浴
びて、年輩の人と先にやすませてもらった。若い人たちは夜遅くまで過ごしていたよ
うだ。それにしてもオンドルの床暖房はあったかくていいなー気持ちがいい。やっぱ
りキャンプに来てよかったなー。

2008年11月16日日曜 はれ
朝9時半にキャンプ場を出る。今日は南西の果てモッコを目指して走る予定だ。ラー
メンをご馳走になったあとパクさんがわかりやすい①号線まで引っ張ってくれると
言う。皆さんにお礼を言って二人で出発。約1時間ぐらい走ったところでパクさんと
別れる。わかりにくい道で一人では苦労するところだったので助かった。パクさん
ありがとうございました。

道路は片側2車線がつづく、街に入ってから国道①号がわからなくなる。おかしいな
と思いながら標識に従って走る。ガススタンドで道を聞く。どうにか①号線に戻ること
が出来た。広い道から狭い道へ再び広い道狭い道と繰りかえす。モッコの町についた。
行き止まりの港まで走ってみる。

海岸通りのお店の人に安い「モーテル」を訪ねる。店の若い青年は紙にわかりやす
く書いて説明してくれた。その通りのところにモーテルがあった「35000ウォン」です。
30000ウォン=2400円でどうか「OK」の返事。オンドリの部屋にしてもらう。オートバ
イは地下駐車場。荷物を部屋に入れ終わったとき4時半になっていた。

きょうは350kmぐらいを7時間走ったことになる。ソールからモッコまで西側の道は
550kmぐらいの距離になる。近くの漁港の町の食堂に入る。ここでも最初の店で一
人ではダメと断られた。次の店で20000ウォン=1800円の魚の鍋を注文、つまみに
出て来た小さめのカニの生漬け?は味が濃厚でうまかった。おかわりを出してくれた。


南西のモッコの漁港町に到着。


モッコのモーテル一泊30000ウォン=2400円


韓国の旅 ソールで過ごす 2008・11/10・11・12・13・14

2008年11月19日 | 北朝鮮「朝鮮民主主義人民共和国」の旅

ソール市内


オムさんの勤めている同僚といっしょに。右端がオムさん、BMWの販売店にて

2008年11月13日木曜 はれ
午後からオートバイでソール市内をひとまわり走ってきた。途中オートバイ屋
が並ぶお店で荷物ネット2個を買う。ソール市のセントラルを目指して走る。ここ
ら辺が中心街なのだろうか。車の人が「ここがセントラル」と教えてくれる。出
発して気がついた、市内地図を持ってきてないのだ。あーやばいな、宿に帰り
着くことが出来るかな。

帰りには右へ、左へ走りながら「オリンピック」「オリンピック」と信号で停まるた
びにとなりの車に聞き出す。オリンピック会場跡までたどりつけば宿までは、何
とかわかるだろうと思い何回も聞き出した。幸いにも最初渡った橋を走ってい
る。よしこれでOKだ。すんなりと宿についた。

2008年11月14日金曜 はれ
今日の夕方ホテルに伺うとオムさんが昨夜電話があった。昼間に床屋に行った
あと、部屋にいてもさむけがしてきた。オムさんが夕方7時半にホテルに来てく
れる。同じ職場の友達もいっしょだった。

近くのおでん屋に入ってあしたの打ち合わせなど話しながら過ごす。どうも身体
、腰が痛くなってきた。風邪のようだ。「申し訳ない」ホテルに戻って寝るからとオ
ムさんたちに謝って先に帰らせてもらった。宿で風邪クスリを飲み床に入る。


一人では食堂に行くのにもったいない、近くのほっかほか弁当240円~320円で充分 
缶ビール180円


自分に合っている「ちゃんぽんメン」をホテルまで配達してもらった。
5000ウォン=400円。ビールはOBBlueがうまかった。


どこのモーテルにも水は飲み放題?大きなタンクをそなえられていた。


韓国の旅 北朝鮮との国境に着く そしてソールへ

2008年11月12日 | 北朝鮮「朝鮮民主主義人民共和国」の旅

もうすぐGanseongから30kmぐらいで北朝鮮の国境だ。

2008年11月10日月曜 くもり はれ 午後くもり はれ 
夜中にはげしい雨が降っていた。雨であればあと一泊しようと決めていた。
朝になると雲は厚いが雨は上がっている。8時10分前にモーテルを出発。
ガソリンを給油。一リットル1330フォン&1530フォンと看板が出ている。
110円から120円ぐらいだろうか。どこのガススタンドでもカードで
支払っている。

きのうの後半から7号線を北上している。づーっと一本道なので助かる。別
れ道や走行中もいたるところに7号線の標識があり見逃すことがないので
安心して走ることが出来る。ヨーロッパもそうだったが走行中も曲がったと
たんの道にも「○○○」と標識が立てられていたので安心して走ったことを
思い出した。

ついでに、、海外では高速道路のガススタンドの給油地点を「次○○km」「次
の次○○km」と標識が出ていた。これもやさしいサービスで助かった。日本
でもぜひ実現してほしいものだと思う。

ガンセオン(Ganseong)が北のはずれの国境かと思っていたらさらに30km近
く、くねくねと曲がりくねった道幅の狭い道を走ったところに行き止まりの国
境があった。車やバスはさらに先に進んで展望台まで行けると隊員の人が
おしえてくれる。申し訳ないがオートバイではダメだとていねいな言葉で
ことわられた。釜山から国境まで500kmぐらいだろうか。

普通国境の写真はどこでの国でも写真はダメのところが多いので、ここ
もダメだろうと思っていたが隊の建物は写真に撮ってはダメだけどゲー
トだけなら写真にとってもいいよとオートバイといっしょの写真を隊員に
撮ってもらった。これで一番目の目的を果たせて気持ちがすっきりした。
隊員さんありがとうございました。


国境に着くことが出来るだろうかと不安だった。ここが行き止まりの
東海岸の北のはずれが北朝鮮との国境。国境警備隊の人に写真を撮っ
てもらった。ありがとうございました。

今日中にソールにつくのは無理だろう途中で泊まることを考えていた。
給油したついでにソールまでの距離と時間を聞く。主人は200kちょっと
で3時間でソールに着くと話す。自分では到底無理だろう。ま、いける所
まで行って泊まろう、無理することはないからと自分に言い聞かせる。

これから向う方面は山々が連なっている。あの山を越えるのにはかな
りけわしい道になっていることだろう。コーヒをご馳走になって出発す
る。いま、12時10分。わたしの田舎の風景に似たところを走る、予想どう
り山道に入りカーブの連続がつづく。日本と同じ紅葉がきれいだ、紅葉
と言うより黄橙色で真っ赤の木の葉っぱはないようだ。

ゆっくりゆっくりカーブを走る。車はあまり走っていない。後ろからくる
車もない。お茶屋らしきお店が並ぶ峠らしきところを過ぎる、また雨だ。
ハンドルには雨と寒さ防止のためハンドルカバーを取り付けて、着物も
冬用のズボン下をはき上着も5枚重ね着して走っている。それでも寒さ
を感じる。

峠から下り切った所からきのうもそうだったが立派なハイウェイみたい
な道になった。あーこの道が続くようであればソールには早く着くなー
210kmと聞いていたソールまでは3時間で着いた。今15時だ。ガススタ
ンドで給油あと5kでセントラルに着く。

最初大きな湖かと思って走ってきたがソール市内で川であることがわか
った。川を挟んで左側にビル群の都心がそびえている。ハンガリーの首都
似にてるな。大きな川を挟んで何本もの橋で結ばれているブタとベスト
の街が首都ブタベスト。この辺でいいかと右にぐるーっと一回りして川を
渡る。

オートバイのお兄ちゃんをつかまえて「モーテル」「モーテル」と聞く「右
の方」と指さす。大通りに出て適当な場所の歩道に乗り上げてモーテルを
探そう。並んでいるタクシーの運転手に「安い」「スモール」「モーテル」と
聞くがなんとも要領を得ない。

二台目、三台目の運転手に聞いてまわるやっぱりだめだ。すると一台目
のタクシー運転手が「あった」「あった」ナビで見つけたと駆け寄ってきた。
タクシーのうしろについてモーテルに向う。10分ぐらいで着いた。入り口は
狭いが駐車場はあった。モーテルは一泊料金40000フォン=3200円。ま、
いいだろう。タクシーの運転手に4000フォン=320円支払い「ありがとう」。

モーテル探しは困難だろうと覚悟していたのでスムーズに探すことが出来
てほっとする。部屋に荷物を運び込み時計を見たら16時だった。きょうも朝
から水とコーヒで8時間走り続けてきた。ちと早いが食事に出かける。酒屋、
ほっかほか弁当や、おでんや、など歩きながら焼肉屋を探す。焼肉屋に入る

韓国に来てはじめて入る焼肉や。店の人は「一人」ではだめ、二人か三人で
ないと「ダメ」とことわられた。へーどうしてなのだ。ここもセットで大量の
量をだすのだろうかなー。しかたないほかを探そう。となりに定食屋があっ
た。うまそうなカレーみたいなものを写真で載せている。入ってビールを飲
んでから注文しようとしたら「うち」はアルコールは置いてないしお店では
飲んでいけないと。

焼肉は食えないしビールも飲めない。うーんまいった、どうすりゃいいんだ。
アメリカでもレストラン以外食堂ではアルコールをおいてないのでことわっ
て紙袋に入れたままビールを持ち込んで呑んでいたこともある。おでん屋
に寄って日本ではあまりくわない「おでん」でビール二本のむ。

おでん屋に一人いた隣のおじさんは日本の国民学校第一期生だと話してく
れた。おそらくつらい思いが気持ちの中に詰まっているのだろうと思う。そ
のおじさんは5000フォンから3000フォンのおつりを貰っていたので2000
フォン=160円支払って帰っていった。

韓国は焼肉の国でいつでも焼肉を食べれると思って釜山では食べずに魚
を食べた。いつでも食えると思っていたが店にも入れない自分がいる。み
じめとは思わないがなにかこっけいとゆうか不思議な国だなーと思う。最
初のほっかほか弁当屋で弁当3000フォン=240円とコンビニストアーでビ
ールを買って部屋で飲み直そう。聴いてもわからない大型のテレビをみな
がらソールの夜をすごす。


韓国の旅 釜山(ブサン)から東海岸を北上 

2008年11月12日 | 北朝鮮「朝鮮民主主義人民共和国」の旅

韓国料理はセットで出てくるので食いきれないな。もったいない。
これにアナゴの塩焼きを注文。

2008年11月9日日曜 朝くもり はれたり小雨
4日間釜山にいた。夕べの雨も上がったようだ。空の一部は青空も出て来た。
8時12分東海岸を走って北上北朝鮮の国境を目指す。7号線、7号線と信号
で停まるたびにドライバーに聞きながら走る。なかなか7号線に乗れない。

あーヤバイ!高速のゲートに入ったようだ。韓国はオートバイで高速道路
を走ることが出来ないのだ、Uターンは出来ない。右端にオートバイが来た
あ、走れるのか?。あとをつけるオートバイが通り過ぎようとしたらゲート
が閉まって、腕木が折れてしまった。ゲート内で停まる。係官が怒って何
とか言っていた。そしてわたしに「行け」と手で合図。

料金はいらないのかな、ありがとう。ここは高速道路ではなかった。安心した。
でもなぜに料金ゲートがあるのだろうかなー。高速道路の標識をはっきり
区別できないがそれらしき標識を見るとさけて走り続ける。高層住宅地に
入り込んだ。ゆるやかな突飛がありスローで走る。


海の上長大な橋を架けてその上は高速道路だろうか。

海岸に出た。サンフランシスコのゴールデンブリッジのような立派な長い橋だ。
その橋は高速になってるのだろう。その橋を見渡せる遊歩道ではジョッキング
する人、散歩する人、まだ酒の抜け切れない若者達が遊んでいる。地図を開き
現在地を聞く。だいぶ走ってきたようだがまだ、釜山市内を抜け切れていない
ようだ。

どうも7号線に乗れない。大きな交差点でオートバイを停める。タクシーを止
めて「7号」を聴く。そこを右に折れてまっすぐ「どこまでも行け」と教えてく
れた。北の方面に向って走っていることはなんとなくわかる。いつのまにか
7号線を走っていた。あーよかった、よかった。


ようやく7号線に乗ることが出来た。


日本海の見える東海岸べりを走っているが海は時たましか見えない。三時間
で120km。GSスタンドでだいたいの距離を聴く。もっている地図には距離は
書いてないので助かった。北朝鮮国境まであと350kmぐらいか。ここらあた
りまでくると道幅が狭くなり海岸どうり特有の小さいカーブがつづく。

また雨が降ってきた。ここまで晴れたり、小雨になったりと繰り返していた。
カニの産地なのだろうかカニの看板が掲げられている港を過ぎる。カニを
食いたいがまだ1時と泊まるには、ちと早い時間だ。

突然ハイウェイのような道に出た。時々このような高速道路のような道に出る。
韓国では高速ではなくとも一般道路も立派な道を建設している。泊まる予定
をしていた街チャムソンに着いた。海岸通りに回り「安い小さいモーテル」を
聴く「デスカウント、スモール、スモールモーテル」

地元の人なのだろうか三軒並んでいるモーテルの中から「そこがいい」と
指さしておしえてくれた。一階二階はレストラン3階以上が部屋になってい
る。一泊30000フォン=2400円、泊まることにする。部屋からは目
の前が海だ。いつも走るときは朝からなにも食わずに水だけで走ることが多い。
今日も朝から食わず、途中寒かったのでコーヒーを飲んだだけで腹ペコに
なっている。



泊まったモーテルとオンドルの部屋。あったかくて気持ちがいい。


泊まっているホテルの二階のレストランに行くと「一人」では「ダメ」とこと
わられる。韓国のひとり旅はつらいなー。となりのレストランに行った。
なにかけげんな顔をみせたが「OK」となった。水槽の魚、ひらめを10000
フォン(800円)かと紙幣を見せたら「おーNO」「50000フォン(4000円)
だと大笑いされる。

じゃ10000フォン=800円の魚をお願いしますと注文する。いやな顔を見せ
ず「OK」とこころよい返事。隣は子供たちも4,5人いる三家族がテーブル
を囲んで食事中でにぎやかだ。出て来た注文のビールに小皿9皿といつも
のセットらしい。サンマの塩焼きと800円の刺身は大どんぶりに入っている。
床暖房なので座っていて気持ちがいい。


11月5日 韓国 釜山につきました

2008年11月08日 | 北朝鮮「朝鮮民主主義人民共和国」の旅

韓国人一家ではありません。兄福市プロパン(鹿島)宅です。
いつもお世話になりました。

2008年11月4日(火曜)から韓国に渡り走り始める。

11月4日火曜 嬉野吉田の実家を10時出る。兄福市宅に
寄って嬉野インターから11時30分高速に乗る。博多港
に1時半ごろ到着。ここの国際ターミナル港ブサン行きは
一週間前の予約制になっていると言う。運賃はオートバイ
&本人往復5万円と聴いた。

ここで教えてもらった下関港、国際ターミナルに電話する。
きょう、あしたはいっぱいだが6日には乗船できると聞く。
受付は毎日15時半まで。よし、行ってみようもしかした
らキャンセルが出るかもしれないと思いながら走る。

高速を二回も間違えて降りてしまった。ぎりぎりの15時30分
チョット前に下関国際ターミナル到着、受付に行く。受付貨
物係りに電話してくれた。「きょう大丈夫乗れます」と受け嬢。
おーよかったよかった。手続きを終えた。

①パスポート ②オートバイ車検証 ③オートバイ登録証
④みとめ印鑑、なければ捺印

往復運賃 本人とオートバイ48000円(船室相部屋)
フェリー使用料        1400円
通関手数料          6000円
トータル          55400円

出港19時発 オートバイの検査は17時40分までにターミナル
に来ているように言われる。
オートバイの検査はすぐに済んだ。韓国に渡るときはくわしく調べませんが
帰国されるときは「検査を行います」と係官。

乗用車、オートバイの乗り込みは他には見当たらず一台自分だけだった。大型
トラックのすき間に駐車して船室に入る。11人部屋に今日は4人だけだったが
満杯になるとちょっと窮屈になるなー。

日本の銭湯にそっくりの船内風呂に入る。ビールを船内自動販売機で買った。
500mlが220円と安い。門司駅の売店で買ってきたちくわとピーナツでビール
三本。そのあとレストランでちゃんぽん780円?だったかなー。

定時の19時出航したあとも、ときどきかすかにゆれてるなーと感じる程度の
船のゆれ。所要時間は普通5時間ぐらいだろうが、税関の開くまで韓国ブサ
ンの港外に停泊しているようだ。目の前にはブサン市内が見えている。

朝8時半頃動き出しブサン港に接岸した。ブサン港で通関手続きを始める。
えーなんでそんなに高いのー。持ち込み車両代手数料240000ウォン&保
険代150000ウォンで31800円。うわー世界で一番高いよー。アーしょうが
ない係官といっしょに銀行に行って払いを済ませる。いきなり強烈なパンチ
を食らった感じだ。

「参考」   オートバイ持ち込み通関手数料
500cc以下=120000ウォン=9600円
500CC~1100cc=160000ウォン=12800円
1100cc以上   =240000ウォン=19200円
      これにプラス保険料を支払う


下関から出港した船の中、銭湯とまったく同じで気持ちよかった。


釜山港から始めてみる韓国


船から下りてドキドキしながら走り、初めての信号でした。

ターミナルのインフォメーションで宿を探す。受付嬢は日本語も通じる宿で
「安いのがありますよ」と日本語で教えてくれる。一泊2500円ぐらい。さっ
そく予約してもらう。初めて韓国を走る、ウィンカーをつけないで急に曲が
る車もあるので気をつけてとアドバイスを受けホテルに向う。

道路わきに停まっている乗用車がいきなり発進、走行車線に入ってくる。お
ー危ない。走りながらホテルを聴く、Uーターンして入ろうとすると一通の
出口になっている。二回目右折の道を通り過ぎる。三回目ホテルの近くに
オートバイを停めて薬屋でたずねる、チョット待ってと「電話」してもらいホ
テルの人が迎えに来てくれた。ありがとう。とりあえず4泊することにした。

ホテルはブサン港の魚市場のそばにある繁華街にあった。トイレもシャワーも
中についている小ぎれいな部屋で気持ちがいい。テレビも大型。昼飯は豚の
スープみたいなものセットで何種類かの食いきれない量が出て来た。キムチ
だけでも大盛りの食いきれなかった。あーもったいないなー。

午後ホテル周辺をぶらぶら。晩飯はホテルのそばのホルモン焼き屋、いやいや
昼の食事よりもっとボリューウムのあるホルモン、つけもの、野菜など。ここは
一人で来るところではないようだ。セットなので一人前の少な目のものはな
い。せめて二人か三人ぐらいで来ないともったいない量だ。四台のテレビは
巨人対西武、日本シリーズを流していた。

ビール、焼酎飲んでホルモン焼き勘定3千ウォンだった2400円ぐらいだろうか
なー。まだウォンの計算が出来てない。韓国は日本人が訪れている人が一番
多い国だろうから、みなさんに笑われるかも、、、食いもののことなど知ってる
こと情報ください。

2008年11月6日木曜
魚市場周辺を散歩

2008年11月7日金曜
ホテルの近くの銀行ではカードが使えない。フェリーターミナルまで歩いて
現金を下ろす。地下鉄の上を地下道がターミナルまで続いていた。ひるめし
は魚市場の食堂街、一人前でも食べれるやすい食堂に入った。5000ウォン
=400円。これでも食べきれないほどつけもの、つくだになど出て来た。
ビンビール=3000ウォン=240円。

ごごから泊まっている三原荘ホテルの受付で持ってきたパソコンにつない
でもらった。あーよかったー。づーっと写真などためていたのでブログに取
り込むのに五時間夕方7時ぐらいまでかかってしまう。

晩飯を食いに出かける。安そうな食堂に入る。きのうの晩もそうだったが、
きょうもとなりで飲んでいた地元の人に最後はからまれてしまった。自分
に対してなのか、それとも日本人だからなのかわからない。言葉はまった
くわからないが、話してる口調から普通じゃないなーと感じる。・99


ふるさと佐賀 バルーンフェステーバル

2008年11月08日 | お知らせです




29回にもなると言うのに見たことがなかったバルーン大会。
チャンスだったので見に行った嬉野吉田から40分ぐらいの河川敷
わくわくさせる気球、迷子対策も身障者の人たちにも最大限配慮して
五日間行われ、2日日曜3日祭日の夜は全気球に灯をともして幻想的
とテレビが流していた。夜も見てみたかったなー。






佐賀ふるさと鹿島実業高校

2008年11月08日 | お知らせです

赤門は東京大学と鹿島高校だけらしい。


大昔をしのばせる大手門、鹿島実業高校、鹿島高校の入り口 鹿島市


鹿島実業高校は城内の中にある・写真は校門。春は桜の名所で有名。

昭和34年から38年まで四年間鹿島実業高校定時制(夜間)として
通った鹿島城内を久しぶりに見てまわった。11月28日は同窓生が
集まってくれて夜遅くまで呑んで話はつきなかった。

二次会まで付き合ってくれた同窓生。苦労して学校に通っていたのでいつまでも仲間を思う
気持ちはかわらない。

オートバイで帰るときはいつも泊まらせてもらっている同窓生の家。
遠賀川でガラス店経営のEさん一家。