松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

いごごちのいいナイロビ 2 ケニア

2007年09月28日 | ケニア

ナイロビ宿「ニューケニアロッジ」4人部屋800円私は貴重品も置きっぱなし
つりカヤがベッド別についているが蚊はいないようだ。


ホテル前はバス乗り場で朝から行き先を告げる声でさわがしい


オートバイは裏口の狭い通路から倉庫で待機、ここから出すのが一苦労


ナイロビ市内、ビジネス街は5時、食堂は6時に閉める店、24時間の店など
危ない町と聴くが、そんな感じはいまんとこないようである。


2007年9月24日月曜 はれ
土曜、日曜と休みだったザンビア大使館に朝一番オ
ートバイで出かける。久しぶりにオートバイを狭い倉
庫から引っ張り出して朝のラッシュの中混んでいるナ
イロビ市内を走る。

マイカー、ミニバス、トラックはどんどん突っ込んでく
る。ちょっと隙間があるとどんどん寄せてくる。びび
ってはいられない。オートバイにまたがるとこっちの
もの上り下りの車の流れに真横から突っ込んで一台
ずつ止めて横切る。

その後すいている道路をこれ幸いとユーターンした
ところにポリスが二人。「ア、まずいな」止められた。
「ユーターンはだめだ」「免許書を出せ」聞こえない、
わからないふりして「今日始めて」「わからんばい」
などと日本語でしゃべり続けた。「よし行け」と許して
もらった。ありがとう。

これだけ混んでいるケニア市内で今まで接触、追突
の現場は目にしたことはないケニア人の「運転技術」
はへたじゃない。

9時にすんなりザンビア大使館に着いた。申請書を渡
されたが私は「字が読めない」まして細かい文字は見
えないから「代わって」書いてもらうよう返した。しょ
うがないなー」見たいな顔して受け取って記入して
もらった。写真2枚提出。すみませんねーありがとう。

受け取りはあした25日朝10時。3ヶ月ビザ代25$=
3000円。思ってたより安く助かった。

晩飯は日本人男女6人で食べる。自転車でアフリカ
縦断中のTさんの手作り煮込みご飯、みんなで食べ
た、うまかった。エチオピアであったN君も今日着いた。

2007年9月25日火曜 はれ
ここナイロビの天気は今までと違った一段とカラッと
晴れわたり午後に出ていた入道雲を見なくなった。
ザンビアのビザ受け取りにオートバイで出かける。10
時前につく。

受け取った後ウガンダ大使館にビザ申請する。場所は
きのう確かめていたのですんなり大使館へ。申請書は
きのうと同じように係官に記入してもらった。ビザ当日
午後4時受け取り。3ヶ月ビザ代も50$=6000円。

同じ宿に泊まっているウガンダ人に今は雨雨で洪水に
なっている新聞を見せてもらう。10月になれば「雨もお
さまる」と教えてくれた。ビザが取れたらすぐに走ろう
と思っていたがこれから進むウガンダは10月に入って
からにした。

今日も晩飯はみんなでたべる。今日はカップルの作っ
たスパゲティ、うまかった。90S=180円で作ってもらった。

2006年9月26日水曜 はれ
ウガンダへは10月にはいってから進むことにしたので。
きょうルワンダのビザを取りに行く。ホテルから歩いて
いける近い所。立派なビルの中にある。入り口で身体検
査「マイ、ピストル、スモール」「ときどきビッグ」と股を指
差す。男女の係ニヤニヤ笑って通してくれる。

ここルワンダのビザ申請書も「むずかしい」「文字は読
めない」と係り人に返す。けわしい、冷たい顔で「イング
リッシュ」じゃないか、英語もわからないのか。「マイ 
ジャパニーズ オンリ」とやりとり最後は合唱ポーズで
お願いした。

受け取り当日午後4時、ここルワンダは一ヶ月のみのビ
ザしか発給してくて、一日でも一ヶ月でも同じ値段と言
われる。一ヶ月ビザ代60$=7200円オー高けーなー。

今日の晩飯当番は女性二人組。焼き飯、サラダはうま
かった。


いごごちのいいナイロビ 1 ケニア

2007年09月28日 | ケニア
再びケニアナイロビに戻る

ナイロビ市内は朝が早い信号はあってもなくても同じ、車をよけながら通り抜ける。お年よりは
あるきずらいだろうなー。ここらあたりはビジネス中心街かなー。ビザを取りにいった時撮った。


宿ケニアロッジで晩飯は当番制で作ってもらっている、口ばっかりのわたしは、
でしゃばりでいつもご馳走さまだけ。きょうのスパゲティもビールもうまかった。
今晩の食事代一人90シリング=180円ぐらいかな


宿の通路と屋上洗濯物は屋上に干し場、トイレ、シャワーはすべて共同、トイレは
洋式と手桶水でお尻を洗う二通り。紙も節約できてすっきりする私は手桶派

2007年9月22日土曜 はれ
きのうケニアナイロビ宿「ニューケニアロッジ」にもどる。
エチオピアと違って朝からからっと晴れてきもちいい。
ネット屋でパソコンをつないでもらい日本に送信。

ナイロビ物価
宿「ニューケニアロッジ」
4人部屋一人400シリング=800円
シングル500S=1000円

ビール500ml85S=150円
ニワトリ半分200S=400円
ニワトリ四分の一100s=200円
トマト中10個=100円
玉ねぎ中10個=100円

2007年9月23日日曜 はれ
日曜でナイロビ市内は一段とにぎやか。
全部で30人ぐらい泊まれるここ「ニュケニアロッジ」
宿には日本人旅行者が10人近く泊まっていて今まで
多かった欧米人の姿はめっきり少なくなった。

日本人旅行者は北から来た人南から来た人、近くの
観光地やサファリーツアーに出て行く人、戻ってくる
人と入れ替わり立ち代りのにぎわい。ただ毎日出て
いたサファリーツアーは一週間に一回と少なくなっ
た。

づーっと先の話になるがこれから南アフリカまで走
ったあとガーナーにオートバイを送るつもりでいる。
オートバイは送れるが本人のガーナーのビザをどこ
で取ればいいのか探していたが日本人旅行者がガ
ーナー大使館は南アフリカにあり、ビザが取れそう
なのでひとまずホッとした。


うれしくなった

2007年09月26日 | ケニア


弱肉強食の世界 ケニアサファリにて

2007年9月25日火曜 はれ
9時半にビザ受け取りにザンビア大使館へ、
女性係官3人ザンビアに入るのにタンザニカ
湖から船で入りたいが「船は運航」してます
かと聴くルワンダの人から「運行しているか
ら大丈夫」と聴いてはいたが確認のため聞い
た。「OKOK」の返事。

年配の一人の女性はブスーッとしていたの
で頭の上に「人差し指を突き出し」て怒っ
てるか「マイワイフ セムセム」とおどけ
て見せるとその女性は声を上げて大笑いした。
3ヶ月ビザ代 25$=約3000円

その足でウガンダ大使館へ。ここは先日場
所を確かめにきていたのですんなりとわか
った。ここでも申請書は男性係官に代わっ
て記入しもらう。ここは当日受け取り午後
4時から。3ヶ月ビザ代 50$=6千円
うーん高いなー。

ルワンダ、ブルンジビザはウガンダについ
てからとろう。

うれしいこと
これまで国境での申請書は「自分の名前」
と「パスポートナンバー」以外はローマ
字で丁寧に「わかりません」「すみませ
ん」「よろしく」「お願いします」など
と書いていた。

最近はそれも面倒になりローマ字ではなく
て「ひらがな」で書いて提出してきている。
これでも何の問題もなく国境を越えられて
きた。

さすがアフリカだ、英語だけじゃないん
だよねーその国の文化、その国の文字を
「尊重してくれている」んだなーといい
ほうに取っている。何かうれしくなった。
アフリカは偉い。

ナイロビは今はれ、ザンビアビザ

2007年09月26日 | ケニア
2007年9月24日月曜はれ
月曜になるのを待ってザンビア大使館へ
ビザ申請、久しぶりに宿からオートバイ
を引っ張り出して走る。

狭い宿の倉庫から引っ張り出すのに苦労
する。ここナイロビ市内は車がどんどん
突っ込んでくる。びびっていては走れな
い。

オートバイにまたがったらこっちのもの
横断中の車の中に真横から突っ込んでい
く、一台一台止めながら横切る、根は優
しいケニア人、片手を挙げてありがとう。

すんなりとザンビア大使館に着いた。ビ
ザ申請書を渡される「私は字が読めない」
からと係官に話すとすんなり受け取りかわ
りに書き込んでもらった。受け取りは明
日25日10時。










ナクル湖のフラミンゴ

2007年09月10日 | ケニア

    ナクル湖のフラミンゴ、ほんとにすごい数のフラミンゴでした。


9月5,6,7,8日ケニア サファリー
に行きました。4日間300$=3万6千円
キャンプ地テント泊まり、もちろん食事つき
ではありますがちょっとちゅうちょする金額
です。入場料が高いので致し方ないことなの
でしょうか。

そろそろ雨期に入りますので少しは参加者は
減ってきているようでした。それでも毎日毎日
ツアーが続く人気のサファリなのです。ナクル
湖のフラミンゴはすごいものでした。

移動に丸二日間かかりましたので実質二日間
です。タンザニア、マニャラ、ゴロンゴロに
比べると身近に見られる動物の姿、数も少な
いように感じました。もっともその日によって
い違いはあるのでしょうが。

それにしても移動の道は前がまったく見えない
ほこりの道でした。昼間でもライトをつけて走っ
た区間もありました。よく事故が起きないもの
だと思いました。四日間ほこりを吸ったおかげ
でのどがががらがらで風邪気味です。

エチオピアのビザを取りました。ケニア、エチ
オピアの道が悪くて私のオートバイでは無理の
ようです。このあとオートバイはナイロビにお
いてエチオピアに向います。

ナイロビ スラム街を歩く

2007年09月09日 | ケニア

          ナイロビ スラム街の子供たち

2007年9月3日月曜 はれ
タツさんの案内でナイロビ、スラム街を歩く。マコトさん
ヨウコさん、ユウ君の5人。ナイロビ一番のスラム街に
ミニバスで9時に出発。狭い路地、スラム街特有のすっ
ぱい臭いが鼻をつく。

子供たちの「ハウ ズウユウズ」あっちこっちからひん
ぱんに声がかかる。ナイロビのごみが集まる場所には
何を拾ってるのだろうか親子の姿、豚もいる。2時間程
歩いてスラム街のはずれに来た。


           ナイロビ スラム街のトコヤさん

途中には小さな小屋に学校らしき所では、地元で育った
先生にも会った。タツさんが引き継いだ学校に着く。学
校と言っても小さい掘っ立て小屋に小さい庭にブラン
コと滑り台があるだけ、どちらも手作りのもの。机など
あるはずがない。

タツさんの話によると7年前に立ち上げた日本人から
タツさんが引き継いで3年あまりたった。4ヶ月前に誰か
が放火したらしく小屋の焼け跡が残っていた。何の「恨
みがあるか知らない」がこれまでもいろいろあったと。

いいことをしていることだけどなかなか理解を得るの
がむずかしいようだ。優しい顔の40代,50代、60代の
3人の女性の先生に「学校を閉めますから」と長い時間
をかけて話していた。

途中で煮ていたなべを下ろしに来た先生の顔は曇って
いる。最後に別れのあいさつをした時先生の目には涙が
たまっていた。庭のブランコには小さい子供たちがはし
ゃいで遊んでいる。


           ナイロビ スラム街を歩く

子供たちや先生たちのことを考えると「何とかしてやり
たい」気持ちはあるが何にも出来ない「旅びと」のむな
しさ。学校を立ち上げることも難しい、しかし続けること
の方がいかに難しいことかも思い知らされた。

23歳で引き継ぎ今27歳のタツさんも顔には出さないが
やはりやるせない思いは後姿から察することが出来る。
5人はうちひさがれたようにスラム街をあとにした。私
には到底出来ないこと。出来ることを精一杯やったタツ
さんに感謝。

すごい人がいるもんだ。

2007年09月02日 | ケニア
2007年9月1日土曜 はれ
暑くもなし、寒くもなし快適な朝をナイロビで迎
える。4人部屋ドミトリー400ケニアシリング800円
日本人だけである。全部で日本人10にぐらい泊まってる
ようである。

昼飯は夕べいっしょに飲みに連れてもらった「たつ
さん」の経営するレストランに同じ部屋のマコトさん
ヨウコさん3人で出かける。さっそくビールを注文し
た。待ち合わせはしてなかったのにいっしょに夕べ
飲みに行ったコウさんも入ってきた。お互いに「アレ
ーッ」。コウさんはジャーナリストカメラマン。

すごい人がいるもんだ!
そこへ男女二人が入ってきた。タツさんの紹介によ
ると「アイハラ」さんと現地の奥さん「ジャシンタ」さ
ん。アイハラさんはタンザニアとケニアの国境ナマ
ンガで小さい子供たちの面倒を見る「キラキラ」と
言う施設を立ち上げている方だった。

孤児の世話もしていることもアイハラさんから伺っ
た。日本では医者の資格を持ってることも分った。
世界を走っているといつも自慢話している自分は
恥ずかしくみじめに感じる。そこへ中年の男と若い
人たちがぞろぞろ入ってきた、小さい食堂はいっぱ
いになる。

中年の男の人は「旅行人」発行「アフリカ」編に執筆
されているケニア研究のカンベ先生だった。先生の
話によるといっしょに来たのは東京の医学生の研修
生たちで、これからあっちこっちを案内して回ると説
明を受ける。

学生は男女9人、その中の一人は私の名刺を渡すと
ブログでチベットを走っていることを知っていたので
うれしかった。これからもブログを見てくださいとお
願いした。

わたしみたいに旅だけを続けているだけじゃなくて誰
も知らぬ土地で現地の人たちのためにつくしている人
たちがいることを知り、あらためて感心する。チキン
カレーを食って宿に戻る。

ここナイロビにしばらく滞在して、気が変われば予定
してないエチオピアへは道が悪いのでオートバイを
置いてバスかなんかで行くかもしれない。ま、もう少し
落ち着いてからの話になるが。

ケニア ナイロビにつきました。

2007年09月02日 | ケニア
ケニア、ナイロビにつきました。

2007年8月31日金曜 はれ朝20℃昼22℃

タンザニア、アルシャー、ゲストハウスの宿を
7時前に出発。一路ケニア、ナイロビに向う。
自分がイメージした道路とは「エー」「逆方
向である」ことをガススタンドで聞く。

ほんとにナイロビに向ってるのだろうか、不安
になり、ミニバスの運転手、歩いている現地の
人に何回も確かめて走る。それにしても大都会
ナイロビに向ってるのに道幅は狭く穴ぼこの
道になっている。交通量も極端に少ないなー。

右手にキリマンジャロ山だろうか、頂上に雲が
かかっている。穴ぼこの道スピードは40kmしか
出せない。サバンナのアカシアの並木道が続
く、道路の真ん中で獲物を突っついていたハ
ゲワシ2羽の内1羽は逃げ遅れてハンドル、ミラ
ーにぶつかる、重みを感じる衝撃を受けた。

9時ジャスト国境に着く。「目が見えない」と申
請書を返すとそのままパスポートにスタンプ
を押してもらう親切さだ。オートバイのカルネ
の手続きもすぐに終わる。タンザニア出国10分
で終了。あっと言うまに済んだ。おーうれしい
なー。

ケニア側に入る。オートバイ走行代?20$払う。
タンザニアで100$で買った許可書を見せたが
それとは違うらしい。なんの金だろうかなー
3ヶ月は50$といわれたので1ヶ月にした。

ケニアの手続きを終えて10時に走り出す。相変
わらずデコボコ道は続く。ようやくナイロビ市内
に着いた。ガススタンドでホテルの位置を確認す
るために寄る。併設しているレストランで食事し
ていた若年の夫婦に誘導してもらえるかどうか
聞くと快く「あーいいよ」の返事。

夫婦のベンツ車の後ろについてホテルに着いた
のは3時ごろだった。日本人旅行者も5,6人泊ま
っているようだ。夕飯の後、日本人5人とバーに
のみに出かける。久しぶりに日本語で話が出来た。

Nさんの冥福を祈る

ケニアに入った、10km、110kmの地点でNさんの
冥福を祈る。2年ぐらい前に交通事故で亡くなら
れたのは今でも信じられない出来事である。

ケニア89カ国になりました。