松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島~イラン~アルメニア~ジョージア②5月27日~29日

2014年05月30日 | 赤道直下と陸路国境148か所






2014年5月29日木曜   はれ12℃        はれ26℃       
10時前に支度してタクシーのセルゴさんを待つ。きょうも10時前に来てくれた・・きのうオート
バイのスタンドを直しもらったが・・まだ「切り取れる」部分がある・・あと少しを「切り取って」
もらうようにたのんだ。

次のロシア大使館・「ロシア・ビザ」申請に行く。40,50人並んで待っている・・すぐに中に
入れたが・・まわりは番号札を持っている・・わたしには「番号」がない・・が、とにかく待つし
かあるまい・・。電光掲示板に番号が打ちだされる。

係官がわたしに話しかけてきた・・言葉はていねいだが・・まったくわからない・・。「ソーリ」
「マイ、ジャパンオンリ」・・タクシーのセルゴさんを交えて・・次の・・ツーリスト会社に向か
った。






ツーリスト会社では「ロシア」・・すべてのツーリスト会社は「ロシアビザ」は「出していない」
とのことらしい。またロシアエンバシイの場所に戻って・・別の手をを使うしか方法はないようだ
と話す。

最初この場所に着いたとき・・この近くで事務所を構えている人と・・細かいことを聴いていた・・
おそらくそのことだったのだろうと思う。

ビザ折衝の相手にトタール300ドーラ3万円を渡してセルゴさんからビザをお願いしたようだ。
出来上がりが同じ木曜・・これで行くと6月5日になるのだろうか。

よくはわからないが・・いまでもこうした手続きでないとビザがとれないと言うことは情けないこ
とだ。いったん決めたことをくつがえすのは何十年もかかることなのだろうか。

とりあえず・・ロシアビザの手続きが終わった。今度は銀行に両替・・T/Cトラベルチェック・・
の両替。どこの窓口にいっても「ネー」「出来ない」と返事ばかりがかえってくる。

持っているカードでATM機械から引き出そうとするが・・「シティバンクカード」も使えない
「ビザカード」「マスターカード」・・どのカードでも「下ろせない」さて困ったぞ。

セルゴさんが汗かきながら精力的に数か所銀行を回ってマスターカードを使って窓口でかろうじ
て1000ドル10万円ようやく下ろすことが出来ほっとした。ドルも使い果たしてあといくらもな
かった・・。

誰かに似ているなーと・・よく見るとスターローレンに似ている・・「よく言われるでしょう」
と・・言うと照れたような顔になった。

ガスボンベのお店に行くがわたしの持っている器具にはあわなかった。ホテルに帰りぎわ知り合
いに寄って・・セルゴさんから「ワイン」のプレゼント・・それもでっかいボトル入り。すみま
せんですありがとうございます

スターローレンによく似たタクシー運転手セイゴさんからワインをいただいた・・イヤーうまかった・・。

ホテルに帰り際セルゴさんの息子4才を乗せて溶接屋へ・・スタンド本体の切り取りは終わって
いた・・料金は入らないと・・ありがとうございました。

きょうのも朝10時から4時まで6時間タクシーのセルゴさんにはお世話になった。連続三日間
1日中かかりっぱなしで世話してくれるめずらしいタクシー運転手。きょうは100ドル1万円
お礼に差し上げた。

ホテル朝9時に待ち合わせして、ATM機会があるかどうかわからないが・・あしたはアルメニア
国境まで約90キロ走ってシティバンクのカードを使って現金を下ろしに行くことにした。







2014年5月28日水曜  はれ     はれ
朝10時にタクシーにホテルまで来てくれるように頼んでした・・10時前にタクシーが来てくれた。
約束の時間前に来てもらったことがめずらしいことだと・・思う。きのう予約したホテルに10分ぐ
らいでついた。

きのうからきょうのこと ①オートバイのスタンドを直す  ②ロシアビザをとる  ③T/C・トラ
ベルチェックの両替  ④ガスボンベを買う  ⑤タクシードライバーの電話番号・以上5個のこと
を頼んだ。

タクシーの運転手さんは「セルゴ」と言う名前らしい。近くに溶接屋があったので最初・・溶接屋に
行く、むずかし顔・・ここでは出来ない。

次にの溶接屋に向かった2,3分・・むずかしい顔した職人の顔・・スタンドの「基」を思い切って
切り取って腹が使えないように・・と頼む。







次のT/Cの両替・・銀行に向かう・1軒目だめ、2軒目、3軒目もダメ5軒目もダメ・・。昼飯も食わ
ずに2時を過ぎている。

タクシーのセルゴさん・・精力的にあっちこっち動いてくれる・・。わたしはついて回るだけ・・。
バスボンベをみつけに・・あらゆる・・ほんとうにすべてがそろ総合雑貨街・・に向かった。

工具から洗面器、板ガラス、小さいもから大きいものまでパーキングはごったがえしている。ガスボ
ンベはわたしが持っている器具にはあわなかった。






いっそのことオートバイの腹がつかえないように本体・土台を切り取ってもらった・・あらたに穴を
造ってスタンドの位置を上に移してもらったこれはロシア風・・たよりになる技術。これなら大丈夫だろう


タクシーセルゴさん・・・いやー朝10時から4時まで・・とこトン付き合ってもらってありがとう
ございました。少ないと思ったが・・これでいいと100DM・・5000円支払う。ロシアビザ申
請のためあしたも10時にホテルに来てもらうようにお願いした。


5月27日火曜   はれ
ゆうべの雨もやんで朝からいい天気になっている。午前中写真の取り込みを終えて安宿探しにタクシ
ーでいった。目的の場所に着いたがホテルがない、ブテック洋品店の人に聞いても知らないわからな
いと・・。

通りかかったタクシーに乗り換えて再び聞いてみるがわからない。ホテルに戻って確認しようとタク
シーの運転手さんが話す。ところが泊まっているホテルの場所がわからない。

ホテルの名刺を部屋においてきてしまったのだ。又、やらかしてしまった・・戻れない、帰れない
「アノー、アッチの方」と言ってもわからない。

そうだ、カメラにホテルを撮ったものがある。写真を見せるが・・最初に撮った川岸に建っている
近代的な建築を見せて・川の向こう側「トンネル」を走ったと・・・そのトンネルに向かって走って
もらう。どうにかホテルにたどり着くことが出来た。

タクシーの運転手が知っている「安宿を案内」したあとゲストハウスに向うと。「OK」一軒目、見
晴らしのいい場所・・「いいじゃない」ここは・・。

ところが「ジャパン」はダメだとことわられた。タクシーの運しゃんが粘っているようだがダメだった。
二軒目こじんまりしたモーテル、オートバイが置きやすいパーキングもある。

またダメだとか言われているようだと思ったが・・違った20ドルじゃなくて25ドルだと・・。一旦
引き返して走り始めたがわたしが「25ドル」2500円でもいいからそこに泊まると。

タクシーはモーテルに戻ってとりあえず、4日分予約してあした28日10時に移ることにした。今度
はさっきネットで探した安宿にいってみようとタクシーの運転手。アドレスを持って再び探しに行く。

ゲストハウス場所に着いた・・入り口が閉まっている「やってないのかな」ゲストハウス。洋品店にタ
クシー運転手が聞いてドアーを開けた。

ここがゲストハウス?、階段を上っていく一番上まで登った旧い建物だからエレベーターはついてない。
汗を流しながら運転手さんがブザーを押した。


男が出てきてなにか話している。中に入って見るが・・部屋はひとつのようだ。きょうはいっぱいで泊
まれないとか男の人が言う。

これじゃ安くても階段を荷物持って上がることは出来ない・・「ノーノー」ホテルに戻る。4時頃から
走って今7時になっている3時間もあっちこっち走りまわってもらってタクシー代5000円・・すみ
ませんでした。タクシーセルゴさんにあした10時に来てくれるように頼んで別れる。


第7次・オートバイひとり旅・アラビア半島からイラン~アルメニア~ジョージアに入国 5月26日

2014年05月29日 | 赤道直下と陸路国境148か所




ジョージア・トビリシに入国・・
2014年5月26日月曜    はれ12℃  はれ28℃   (メーター50074km・・トータル33万km) 5月16日アルメニアに入国、走り始めの山岳道路から・・エレバンまで、いい天気に恵まれた・・
太陽に感謝しなければならない。

ところが首都エレバンについてから曇ったり雨だったりとここんとこ、づーっとぐずついてはっきりし
ない天気が続きていた。

きょうは朝から真っ青の青空。きょうは70キロ先のセバン湖まで行ってみる。近いので9時出発・・。
気持ちのいい道路・・そろそろセバン湖・・

ネットで予約しているホテルはセバン湖から20キロ離れていた・・戻って村の人たちに聞く・・ここ
にはホテルなどないよとゆうような顔。

かってはにぎやかだったろうと想像できる街だがいまは寂れてしまっている。風が出てきたセバン湖ま
で走ってみる。ホテルらしいホテルは山の上に一軒あるだけ・・違うなー。ネットではもっといっぱい
あったホテル街。きれいなセバン湖のほとりを走ってみる。







セバン湖のほとりにホテルらしい建物はあるが・・すべて廃墟になっている。ロケーションがよかった
っ連泊でもしてもいいかと考えてきたが・・ホテルが見つからないし、特別に美しい湖でもない・・
どこにでもある湖に見える。

11時前・・これじゃ前に進むしかないな・・ジョージアまで200キロ・・走っていくか。この先山
岳道路と聞いているので不安はある。風が冷たく感じてきた。

ベンジンスタンドで山の道路「寒いだろうか」と身体を震わせる・・若い人たちに聞くと半そで姿の若
者は「大丈夫」と応える。

よし寒くなったら途中で着替えよう。どんどん登っていよいよ山岳道路になっていくと思ったらトンネ
ルが出てきた・・結構長いトンネルだった。それを過ぎると暖かくなって下りにはいる。

まだこの先山岳道路が出てくるのだろう。カーブの道が続き距離が伸びない・・。まぁあわてることは
ないだろう・・きょう中にジョージアに着けばいい。

時どき町が出てきたり村が出てきたり、、山岳道路ではなく高原の道といった方がいい景色のいい道が
続く、このまま続いてほしいものだ。

高原の中にお花畑が出てきて気持ちをなごませてくれる。通りすぎるわけにはいかない・・自然の花がいっぱいだ、オートバイを止めて写真をとる。アルメニアの高原とまたちがったおもむきの高原に感じる。







14時ごろ国境についた。エレバンからここでまで200キロ。アルメニアの出国手続き・・ホーラ
ンド(オランダ)のツアーお客さんといっしょになった・・オートバイの写真を撮ったり・・話しか
けてくる・・

最初走りだしたのは「ホーランド、アムステルダム」だったんですよ・・と喜ばせる。アルメニアの
残った紙幣をジョージアのお金に両替もすませアルメニア出国手続き終了






次は「ジョージア」入国手続きパスポート、オートバイのパスポート「カルネ」を出しながら・・国境
係官もオートバイに興味があるらしく3,4人集まって誠実に質問してくる。

こちらも誠実に応える。国境に芝生の上にでかい文字が書いてあるあの「GEORGIA」文字だけ写真
に撮りたいと頼んでみたら「OK」の許可が出た。国境からトビリシまで70キロ・・40分でつく・・
道はいいぞ・と係官。



「ありがとう」・・15時を過ぎている。走りだすと自転車で走る二人・・アレーッ韓国人か日本人の顔
だ・・。Uターンして会って見ると日本人の二人だった。今回ははじめて会う自転車の旅の人。

神奈川の昼間さん夫婦と自己紹介してくれた。これからイランまで走り・・中央アジアに入り中国にもち
ょこっと入っていく予定だと・・あと1年ぐらいはかかりそうと笑いながら話す・・お互いにいい旅を続
けましょうと別れる。








トビリシに市内についた17時ちょっと前・・2003年10月に来たので今回で2回目になる。目を見
張るような近代的な建築が川のそばに建っている・・。

ホテルを探すためタクシーに4000円以下のホテルを頼み・・うしろからついてゆく・・。ホテルにつ
いた、若夫婦でやっているようだがホテル人の対応じゃないな・・仕方ないとりあえず2泊して他に移ろう。

近くのスーパーで食料を買い込んで昼飯抜き・・途中路上売り場で買ったサクランボを喰った・・腹へったの
でさっそく晩飯にする。

スーパーから戻るとき鉄塔が見えて・・あーあれだ・・あの鉄塔を写真に撮ってトルコに向かったことを思
い出した。

ジョージアにはしばらく滞在する予定である・・あした・・じっくり安宿を探してからゆっくりしよう。夜
9時なって雨が降ってきたようだ。ところでウィスキーは片手で持てる小型瓶から直接呑むのが一番うまい
のかなーって・・自分は思う。

第7次・オートバイひとり旅・アラビア半島~イラン~アルメニア・エレバン ④5月19日~25日

2014年05月26日 | 赤道直下と陸路国境148か所

          これからジョージアに向かって走るルート

      赤は今回走ってきたルート・・黄色、2001年中東・2003年中央アジア走ったルート





2014年5月25日日曜  朝小雨    10時晴れてきた
あした月曜雨でなければ、きれいといわれている70キロ先のセバン湖まで行って泊まっ
てみよう・・それからジョージア・首都トヴェレシに向かおう。







2014年5月24日土曜  朝方くもり 18℃・・   はれ
きのうオートバイを出して乗ったのに温度計を見るのを忘れていた・・けさはわざわざシ
ートカバーをとって確認した・・10時18℃だった。

これまでのこと少しまとめておこう・・パソコンと向き合う。10年間につかっている
「正露丸」持ってきている・・その正露丸きのうから飲みっぱなし、効いているいるの
かなー・・下痢は直ったようだが・・体調が戻るまでもう少しだ。

朝からビール飲むのをガマン。ビール・・うまいけど・・アルコール「℃数」・・わたし
は飲んだ中で・今まで一番℃数が高かったのは8%、これは強すぎて・・ウィスキーで割
って飲んでるみたいな感じ・ビールの味に、わたしはなじめない。

ビール少なくてオマーンではウィスキーで割って飲んでた時のように感じる・・それはそ
れでよかった。しかしビールだけでも何十種類もあるアルメニアで特別8%を選ぶ必要は
ないなー8%は「きつ」過ぎる。







しかし10年前・・・ホーランド(オランダ)、フランスでは喜んで飲んでいた記憶があ
る・・年とった証拠だろうね・・今のわたしにはやっぱり5%~ぐらいがわたしには口に
合っているなー・。

日本では4%500m缶110円のバーリアルを呑んでいた・・これぐらいがうまい。ア
ル中は口数が多くて困ったもんだ、度数なんか、どうでもいいから・・「だまって呑め」
と遠い国から聴こえてきそう・・。

でも怖かった、国境越えて・・ここエレバンまで来るのに400キロ山岳道路を走ってく
るのがどんなにかこわかった。

だから生きてるうち・・に好きなアルコール呑まないと・体調戻ったのかな・・・500
ミリ缶3本飲み終わってしまった。戻ったのかな体調・・。







2014年5月23日金曜  朝小雨・・すぐやんで  午後はれ
ゆうべから食欲が出ないビール1本だけで・・呑む気がしなくなった・・お湯を沸かして
アルメニアコニャックをお湯割りで・・飲むと・・身体は受けつけた・・。

それもグラス一杯だけ。ゆうべは早めにベッドに入った。歯の痛みも出てきた・・疲れて
いるのだろうか。朝、散歩がてら町を歩いてみる・・ぽつぽつ雨が落ちてきた、今日は雨
なのだろうか・・歩いていているうちにすぐにやんだ。

同じ場所にパトーカーがきのうから停まっている・・おまわりさんがピピーと鳴らして・
他の車に注意・・前のビルの扉が開き車が入っていく・・ははーん・・このビルは警察署
の建物だったのだ。

おまわりさんに聞くと「エレバンのセンター」と言う。警察本部だったのだ。そうだきょ
うは忘れないうちに郵便切手を買っておこう。

セントラルロータリーに向かってコーナーにあるオートバイ仲間が集まる喫茶店&居酒屋
を過ぎた。

大きなセントラルロータリーに出た・・「ソーリ・・ポストオフィス」年配のビジネスマ
ンに聞くとあのビルだと指さして教えてくれた、サンキュウ。9時からだといっていたが
玄関は開いている。

中に入っていく・・カウンターにだれもいないのかと思っていたらひとり・・いや・・二人
座っている女性がいた。切手を「べろ」につけて「封筒に張る」しぐさをする・・切手をく
ださい。

「いくらの」ですか・・いやいや・・いっぱい。ノートをめくるしぐさ・・「これこれ」,
さらにめくって「これ」「これ」いっぱい見せて・・今売っている切手を全部出した。

たったこれだけ・・ノーノーもっといっぱい。するともう一人の女性が出てきた・・奥ま
った倉庫みたいなところの中にはいってリーズリーフを持ってきた。

そうだ、そうだこれですよ。旧い切手が挟まっている。気にいった切手を選び出した。若い
女性がチェックし終わった。アゲイン・・チェック二人でやり直してみてください・。


書き出したものをふたりでチェックのやり直し・・二回目も一回目と同じ金額だった。あり
がとう・・全部で569910Dr・・138ドル・・13800円。

切手を入れた封筒にきょうの「消印」と二人のサインをもらってバイバイ。ホテルの戻る朝
ブレークファーストも食わないでいるが腹がすかない・・。

喰う気がしないのだから喰いたくなるまでまとう・・。塩をまぶしたサクランボだけガツガ
ツくった、好きなものは腹に入っていく。







午後オートバイ仲間の兄弟がやっている喫茶店&居酒屋に行く。下痢気味で食欲がない・・
など日本語が少しわかる兄さんとはしながらグリーンティ(アルメニア産)を注文。

弟さんはVマックのオートバイをいま「ガギグ」さんのメカニックのところで改造中。「ソー
リ」わたしのオートバイに乗って「ベンジン」を満タンにしてきてくれませんか・・場所がわ
からないので・・弟さんに10リッター分の5000DR渡して頼んだ。

大丈夫・・OK大丈夫とお兄さん。さっそくオートバイにまたがり出ていった、よし、あの
運転はわたしよりうまい・・大丈夫だ。

しばらくして戻ってきた・・ありがとうございました。ところでわたしは「歯茎」が痛いので
[歯医者]さんへ行きたい。

ちょっと考えて・・そうだあんたの「ホテルの近くにある」きのうデンタル・クリニックの
看板を見つけていた、そこらしい。ホテルにオートバイを置いて「歩いて行け」と・・「OK」

あーそうだ・・グリーンティ代2杯分・・払いに行くと・・「いいからいいから」と受け取ら
なかった・・すみません、ごちそうさまでした。じゃ歯医者さんに行ってみます・・ばいばい。

歩いて歯医者さんに入った。受付の女性・「どうしました」の顔・・。歯ぐきが痛くて痛くて
・・先生らしき人が出てきた。きょうはおしまいと両手を×にして見せる・・・ドクターがい
ないんですか。

「ノーノー」この人が「ドクター」です・・受付名簿を見せてきょうは「予約でいっぱい」と
言いたかったのだろう・・言葉がわからない。

別の歯医者さんを紹介するからと・・受付女性が外に出て歩きだした・・わたしは「メデソン」
をほしいんです・・・歩きながら「クスリ」を呑むしぐさを見せた。

頭が痛い時メデソン呑むと・・すー―と直る。腹が痛い時メデソンを呑むとすーーと直るでしょ。
「セム・セム」歯の痛みがなくなればいい・。

「そうなんですか」と言うような顔で「メデソン」でよかったらと、舞い戻った。錠剤にしては
でかいグリーン色の錠剤4個を差し出してこれを飲みなさい。





何時間おきに飲むの・・紙に時刻を書いて・・見せたら・・「ノーノー」痛くなった時飲むんだ
・・と。おそらくそうゆう意味だったのだろう。

「いくらですか」・・「マネー」は「いらない」と受けつけ女性。ありがとうございました。
夕方になってビールを飲んでもいいような気持ちが出てきた・・まずきのう買っているステーキ
・・背中の肉だから柔らかくてうまです。

肉屋さんがすすめてくれた肉を焼いて・・食欲がなくてゆうべ残したとり肉2個を平らげること
が出来た・・ビールも2本目も飲めた・・よし、よし・・身体、復活してきているな・・完全復
活まであとすこしだ。

クスリを飲んだら歯ぐきの痛みもおさまった。わたしはビールのことをあっちこっちの国で「ア
ルコール」じゃない「マツオ・メデソン」と食事のとき・・言いふらしながら飲んでいる。

「クスリ」のこと英語で「メデソン」と知ったのはオーストラリアのゲストハウス「東京ビレッ
ジ」で韓国の女性に教えてもったのが最初だった。

今回とっさに「クスリ」と言えば「マツオ・メデソン」と・・まさかこんな時に役に立つとは思
いもしなかった。






2014年5月22日木曜  うすくもり  
朝10時にホテルに迎えにきてくれることになっている・・荷物をフロントにおろして・・しば
らくして10時前にきのう会った迎えの人が来てくれた。

車のあとについて行く・・本線から細い路地裏に入っていく・・10分足らずでホテルについた。
ホテルは木造と思わせる新築したばかりの建物・・小さいホテル・・きのう約束した5000円。

日本人に似ている感じのいいフロント女性。さっそく近くのスーパーに買い物。夕方市内をひと
まわりして前のホテルに泊まっている時見つけていた「洗車屋」に持って行く。



2000dr・・500円ちょっ高い・計算違いかな・・。知っ買うの人が集まってワイワイガ
ヤガヤ・・・「このオートバイ」「いくらだ」・・「あなたの車と同じ」・「じゃぁ交換しよう」

「OKOK」冗談言いながらばいばい・・。止まっているホテルに通じる奥まった路地裏でサクラ
ンボとイチゴを売っているおじさん夫婦・・。

サクランボ1キロ750円・・日本じゃこんなに安くはないからたっぷり買って食べよう。サク
ランボを塩をまぶして・・冷蔵庫に。サクランボを喰いながら・・

やわらかいステーキを焼いて晩飯とする。どこの国でもホテルのシャワー室・・が狭いなーわたし
はまだ小さい方だけど・・それでも洗いにくい・・やっぱり効率を優先なのだから仕方ないのか。
どこの国にいってもシャワー室は狭く感じるな。







5月21日水曜      はれ          はれ
きのう約束した10時ロシアビザとりにロシア大使館に向かう・・受付で「ジャパン・マツオ」
と確認されて・・中に入る。

ドキューメントがどうのこうの・・最後は旅行会社のアドレスを書いてくれた。そのアドレスを
タクシーに見せて・・旅行会社へ。

アルメニアビザが21日だからダメ・・フォーマンス4カ月のビザがないと受け付けられないと
・・なにがなんだか理由がわからない。

ビジネスビザじゃあるまいし・・4か月も滞在する旅行者がいるもんか・。ツーリストビザなの
に・・まったくり理由がわからないままホテルに戻る。

4カ月滞在ビザとは・・どうしてもわからない。次のグルジアでとるしかないのか・・まぁいい
や。午後オートバイのスタンド・・少し斜めになっている場所を選んでしか止められない。

不自由気まわりない・・溶接屋をホテルのスタッフに聞いた場所に歩いて行ってみたがなかった。
ホテルに戻りながらそういえばオートバイ一1台も見てないなと・・とたんに宅急便が走ってき
た。







あーオートバイはあるんだ。ふたつの大きな水槽で魚を生かして売っている鮮魚屋さん1キロ2
00円ぐらい・・2,3キロはありそうなマスみたいな魚を奥さんたちが買っていく。

泊まっているホテルの角にオートバイが止まっている・・ホンダ1300cc。コーヒでも飲ん
でいるのだろうか。これはあなたのですか・・持主は中にいると・・。

男の人が出てきた・・わたしのオートバイは「あれです」・・困っていることがある「スタンド
がたちすきて」止められないんです。

ちょっと説明しただけでわかった・・さすがオートバイ乗りだ。「溶接屋」で直したいあなたの
知っている溶接屋までひっぱてくれませんか。

「ツモロー」じゃダメか・・イヤこれから直したい。「OK」15分ぐらいのところにある・・。
靴を履き替えて彼のあとについて走る・・「ソーリゆっくり走って」信号で待ちで頼む。

ついたところは大きな工場の中・・に入り込んでいく。知り合いなのか責任者みたいな人に事情
を説明・・頼りになる職人さん達が4,5人集まってきた。年配のひとがバーナーであたため・
・二度三度焼き直して「どこの場所」でも止められる角度にしてもらった。

あー助かった・・。お金はいらないと・・ありがとうございました。工場を出てすぐ隣に停まっ
た・・大きな扉を開けると彼の工場・・車、オートバイ数台・・彼は工場のメカニック・オーナ
だったのだ。

日本でも根強い人気のある修理中らしいVマック・オートバイもあった。彼はホテルの近くの居
酒屋に寄った。彼の友達らしい仲間が4,5人テーブルに座っている。

彼が呼んだのか次から次と仲間がやってくる。ここのお店のオーナーも同じ仲間らしい。その中
の一人は日本からトラックを輸入しているとかで日本語が少しできるおとなしい人。

その人が教えてくれた・・ここまでひっぱてくれたメカニック・のオーナー名前は「ガギグ」さ
んと・・自分は「ニシデ」と紹介してくれた。日本語みたいで覚えやすい名前だ。

ナビの話になった・・・ホテルのオーナーとゆう人「ガーミン・ナビ」のことについて電話して
くれている。「グルジア、ロシアエリア地区」「ヨーロッパエリア」全部で50ドルで買えると

・・さっそくお願いした。目の前の「Ipad・ショップ店に・・しばらく待っていると出来上
がったと手にすることが出来た。アルメニア・ナビはあといくらもない距離だから・・それにオ
リジナルで80ドルと高かったので「いらない」とことわった。

それにしてもメカニック・オーナのオートバイを見つけたところから・・とんとん拍子に話が進ん
だ。あしたホテルのオーナの経営するホテルに移動することにした。


2014年5月20日火曜    朝から小雨  本降り  午後やんではれる
朝から雨・・本降りになってきた・・オマーンで夕立みたいな雨を見たあと・・久しぶりの雨
の音。タクシーを使ってビザ申請に向かう。

まずグルジア(ジョージア)大使館9時についたら10時からと警備員・・ホテルに戻ろうとタ
クシーの運転手は戻りかけたが・・グルジア大使館に舞い戻った。「どうした」・・今戻っても
又来ることになる・・ここで「待っていた方がいい」と路上で1時間待つことになった。

10時になって大使館に行くと11時だと話す・・なーんだ・・最初からそう言えよ・。タクシ
ー運転手に「ホテルまで戻ろう」・・「証明写真」も忘れてきたのでもってこよう・・。

ホテルに戻るが渋滞で一向に進まない・・そうか最初戻らなかったのは渋滞を予想して路上で
待っていた方が得と考えてのことだったんだ。

ホテルについてすぐにグルジア(ジョージア)大使館へ向かい11時15分に到着。女性係官ひ
とり・・「マイ・ジャパン」「グルジア・ビザ」をとりに来た。

「・・・」けげんな顔で「ノービザ」ここじゃ「発行しない」の・・「ノージャパン」「ノービ
ザ」と話す・・そうだったのか「ビザは入らない」ってこと・・。

ボーダー(国境)でパスポート見せればそれで「OK」なんだ・・。2度も3度も聴くもんだから
・・イヤな顔をされてしまった。それにしてもなんだか不安だな・・。

ビザがあった方が安心して国境を越えられる気がしてならない。不機嫌な顔の女性に「ほんと
うに大丈夫なの」とは・・もう聞けなかった。

今度はウクライナ大使館へ行く・・。ウクライナ大使館は反対方向だ・・タクシー運転手戻る
ときに話していた5分ぐらいでついた。

「ハロー」「マイジャパン・ウクライナ・ビザ」スタンプを・・女性係官がパスポートを持っ
て奥に引っ込む・・「ジャパン・ビザ・ノー」「ジャパン・ノービザ」

「日本人はビザはいらない」ってことらしい。本当に大丈夫・・。ここでも何回も聞き直した
ので男の係官が出てきた。



「フリーノービザ」心配だから「証明するするメモを書いて」ほしい頼んだら「go Days 
Free!・No visa」ura」サインしてくれと言ったら裏に「ukraine cousul of ukraiine」と
メモ用紙に書いて渡してくれた・・。これで安心できた。ありがとうございました。

女性係官はさっきから笑いこけていた。恥はかいても自分が納得するまで確実に聞いていた方
が国境で立ち往生するよりましだから聴き直したまでのことである。

さて、今度はロシアビザだ。その前にわたしが持っている「イラン紙幣」をきのう両替にいっ
たがどこの銀行もダメだったと紙幣を見せたら・・マーケットうんぬん・・。

狭い路地に入っていって「両替」して戻ってきた。あーよかった・・無駄になるところだった
のに助かった。ありがとう・・。ロシア大使館についた。

本館の入り口ではなく脇の通用門に人がいて「こっちに来い」・・「ロシアビザ」申請に来た。

「OK・OK」青年ロシア人とアルマニア警備員・・2,3人たむろしていた。オレに携帯を
渡して話せと・・「ハロー・マイジャパン、ロシアビザ」とりに来た・・。

だれだろうか通訳であろうか・・5分待てと係官。しばらくして女性が現れた・・旅行会社
の女性だった。あした10時にここに来るようにと・・。

思い出したロシアビザは大使館では発行しなくてだいぶ前から旅行会社エージェントが肩代
わりして取り扱っているのだ。

とりあえず、となりのグルジア、ウクライナのビザが解決した・・思ってもみなかった早く
片付いて気持ちが楽になった。

あとモルドバのビザをどこでとるかだ・・前回ルーマニアから入ろうとしたがビザがなくて
モルドバの国境で追い返されたことがある。

9時から13時までタクシー運転手さんにお世話になった。無駄になるところだったイラ
ン紙幣を両替してもらった金額10000ドラム・2500円ぐらい・・をお礼に渡した。


2014年5月19日月曜      はれ           はれ
白いアララト山がホテルの窓から見える。午前中現金を手にしようとT/Cトラベルチェック
を持って銀行にいった。アルメニア銀行・・ダメ。

「アルメニア」じゃない「アメリア銀行」だと教わりながら次の銀行「HSBK」へ・・
ここでもダメ・・向かいにある銀行を教えてくれた、そこの銀行もダメ。

その銀行が教えてくれた銀行へ・・ここもダメ。5軒目の銀行へ・・やっぱり交換できなか
った。

シティバンクカードが使えるかどうか・・銀行で聞くと「OK」・・そばに来てもらって
「操作」の仕方を教わりながら・・100ドル・1万円は約40000ドラム・・4をかけ
ればだいたいの買い物の計算が出来るようだ。

シティバンクカードでとりあえず2万円分80000ドラム下ろした。11時から1時まで
2時間かかって収穫なし。

T/Cは現在発行してないとの情報・・どこで両替できるのか不安になってきた。










第7次・オートバイひとり旅・アラビア半島~イラン~アルメニア・首都エレバン③ 5月18日

2014年05月24日 | 赤道直下と陸路国境148か所



2014年5月18日日曜   はれ7時10℃    はれ10時21℃    はれ11時23℃
温度計10℃ひんやりした空気のなかホテルを7時に出発。ホテルの兄ちゃんにエレバンまで
山の道なのか・・指1本をさしたので一回だけなのだろう、少し安心。

エレバンまで150キロと話す。きょうも早めに給油しとこう。ベンジン専用と軽油専用のス
タンドに別れていることがなんとなくわかってきた。

スタンドを過ぎるとエレバンまで「111k」の標識が出てきた。ごとごとタイヤの振動がハ
ンドルにひびく。

道路が悪いのか・・オートバイのスプリングが悪いのか・・もしかしたらスプリングかもしれ
ないと不安になってきた。スロースローで衝撃をなるだけ避けて無理しないで走ろう。

30キロ~40キロに落とした。そういえば、スプリングを「強める、弱める」ことが出来
るようになっている・・どっちに回せばいいのかこれまでスプリングの道具を使ったことが
ない、などと考えながら走り続ける。

山に入っていく・・これまでの山岳道路と違って高原の道に感じの山道。標高もそんなには
上がっていかないようなので気持ちもやすらぐ。

正面に富士山に似た雪をかぶった山が二つ出てきた。もしかしたら「アララト山」かも・・
それにしてもだいぶ高い山に見える。写真におさめようとベンジンスタンドの前の空き地に
止めた。

おじさんが出てきた・・「アララト山」ですか「そうだ」。アララト山はこれで3回見たこと
になる。

2001年2月トルコからイランに向かって走っている時アララトを見ながら走って・・峠の
雪道で転倒・・恐くなって引き返したのが1回目。

前にも話したけれどトルクメニスタンからイランに入り・マシュハドから隣のアゼルバイジャ
ンまでお金おろしに走った時、グルジアを回ってトルコに入り・・ふたたびイランに入るとき
見たのが2回目。

これで3回目になる。となりの雪山・・高さは同じでも細い山が二つ並んでいるのは初めて見
る。エレバン市内に入った・・これまで途中の町で見かけたアパートの建築・・かってのロシ
ア時代の面影が残っている・・。

このエレバンにもまだその面影があちこちに見ることができる。ロータリーに止まっているタ
クシーに「ホテル」「寝んね」まで連れて行ってくれ「オテル」か「そうだ・寝んね」タクシ
ー代・・指2本立てた運転手、2000dr400円ぐらい。

「OK」運転手さんは静かに走ってくれるので助かる。公園脇の立派なホテル・・についた。
公園前ではなにかのフェステーバルで音楽がにぎやか・・自転車が多く集まっている。

ホテルのレセプション「ワンナイト」12000円・あしたは空きがなくて19000円。タ
クシーがこことあすこにもあると・・話したので荷物を預けて別のホテルに歩いて行ってみた。

5日からワンウィーク泊まります・・電算機を打ちなおして62$6200円・・。さっきの
高級ホテルの半額だ・・OK泊まります。部屋でネットも使える・・Wifi・・「OK」。

オートバイのパーキングは玄関前で{OK」とのこと。荷物を部屋に入れた。ビール・食料は
100mのところにスーパーがある。




さっそくビール数種類・ステーキ用牛肉・トマト、キュウリ・タマネギ、オリーバーなど酒の
つまみを買い入れて部屋の冷蔵庫に・・。問題はネットが使えるかどうか・・パスワードを入
れなくともつながってくれた、ひと」まず安心。

メール、ブログを出して打って見る・・掲示板も・・パッ・・パッと気持ちよい速さで吸いこ
んでいく・・アァ・ネットが使えてよかったなー。

アルメニアに入ってからきのうまで山岳道路を緊張しながら走ってきた・・きょうも山岳道路
を走るのかと心配しながら覚悟はしていたが最後は高い山は出てこなかったのでホッとした。

しかし400キロの道のりを三日間かかって首都・エレバンについた、ついた。よし・・まず
はビールを呑んでからだ。気持ちまですっきりした・。


第7次・オートバイひとり旅・アラビア半島・フェリーでイランへ・・そしてアルメニアに入国②・5月17日

2014年05月23日 | 赤道直下と陸路国境148か所


2014年5月17日土曜     はれ朝12℃    はれ12時30℃
久しぶりにのびのびと呑めたアルコール・・朝がたまで起きなかった。きのうから朝方グー
っと寒さを感じたので・・冬用のジャンバーを出して・・ズボン下もはいて、手袋も冬用
に替えた、寒さ対策は万全だ。

6時半に宿屋を出る。エンジンがかかりにくくなっている・・やっぱり寒いせいだろう、
空は青空・・空気は冷たい。これから先の街のイメージは山間地帯の中に町が点在して・・
首都エレバンまで続くのだろうか・・。

国境でオートバイで走るかと聞かれた時・・そんなに道が悪いのかと一瞬「ドキー」とした。
指をぐるぐるまわしてらせん状にあげた宿屋の兄ちゃんが話していたようにだんだんと高度
があがっていく。

ただ、ダートの道が続いていたらどうしようか国境を出たときから不安だったがそれはなさ
そうで気持ちの不安はなくなった。思ってもいない坂道が続いてカーブが続く・・緊張して
走る。

向こうの山に雪山が出てきた・・。素晴らしい景色だけど・・止まって写真をとる余裕がな
い・・アスファルトではあるがふせこけたガタガタが続いている。

カーブが多くガタガタのため40キロのスピード・・二回目の峠でやっと休憩する気持ちに
なった。ゆうべの宿屋の残りを詰め込んできた。



国境から首都エレバンまで400キロ5,6時間と地元の人は話すが・・わたしにはとても
とても走れない・・100キロを3時間かかっている山岳道路。

普通は200キロ前後で給油だが80キロで早めにベンジンを入れておいてよかった・・途
中100キロほどスタンドなど出てこない山間地帯なのだった。

ガス欠にもなったらどうなるか・・考えたくもない。中間の街アリゴについた。給油してエ
レバンまでの220キロ・・3,4時間とスタンドの人は話す。

この街からグィ一と上がった山岳道路・・これまでと違った、素晴らしい景色が目の前に出
てきた・・。

思わず「これはすごい」と叫びたくなる光景だ。この素晴らしい景色は70キロほど続いた。
あぁこのあたりにテント泊すれば最高のロケーションなのになー、しかし食料の確保をして
いないし寒そうだしその勇気が出てこない。



ライダーが走ってきた・・手を上げてストップするように・・Uターンしてきたライダーは
女性だった。ベルギー出身・・これからイランまで走って・・。

そのあとはバイクを手放してバックパーカーで旅をすると話していた。エレバンにつく前に
ロケーションにいい場所がある・・そこでキャンプしてきたからあなたもキャンプしたらど
うですかとアドバイを受けた。

ありがとう。しかしイランからここまで地図帳から「町の名前」を手書きで写して走ってきた
ので細かいことはわからない。都市の名前だけを頼りに走ってきたのである。

づーっと続いた素晴らしい・・ほんとうに素晴らしい景色、チベットやパキスタン山岳道路
以来の景色だ。いま13時を過ぎたころ・・首都エレバンまで残り120キロぐらいだろう
か・・すぐそこだが・・

これから先どんな道になっているのか、わらないので無理をせず・・ホテルに泊ろう・・高
原からどんどんと急に降りる道・・聴いていたホテルの手前にもホテルがあった、きのうと
同じ・・7000・・2800円ぐらいか・・・。

こぎれいで森の中・・水は森の中からホースで引いているようだ・・時間は早いが、泊まる
ことにした。




さっそく屋外のテーブルで焼きたてのケバフ・・骨付きステーキ・・もちろんビールはアル
メニアビール・・いただきまーす。

穴を掘った特別の地下釜で焼くケバフの味がいい・・・うまい。結構入れ替わり立ち替わり
家族連れでのお客さんが来ているのは人気のお店なのだろうか。

4時前についてすぐに晩御飯を喰った・・パソコンのワードで日記の書き込みを続けていた
ら・・腹が減ってきた、アルメニアのビール、小瓶2本買って腹の足しにしよう・・

すぐに呑んでしまって2本追加した。地ビールだけになかなか味わいのあるビール・・つい
でにうまかったケバフも焼いてもらうように注文。

さてさて・・首都エレバンの街はどうなっているのだろうか・・そこまでの道のりはどうな
っているのか不安でもある。

第7次・オートバイひとり旅・アラビア半島・フェリーでイランへ・・そしてアルメニアに入国・5月16日

2014年05月23日 | 赤道直下と陸路国境148か所


アルメニアに入国
2014年5月16日金曜
ゆうべからアルメニアに向かう道のことでレセプションにしつっこく聞いた。ホテルのすぐ目の
前の交差点を右に走って・・確認していたが朝になってどうも不安があった。

交差点でドライバーに聞くが・・「NO-」・・言葉がわからないので敬遠される。ホテルのス
タッフに再確認「OK」7時10分出発。

二度目スタンドのに給油していた人に聞くと・・「俺のあとについてこい」と・・本線に乗る
ことが出来た。

250キロぐらい入った走ったロータリー標識に「boder」がちらっと見えた・・行きすぎて2,
3台止まっている車の人に「アルメニア」を聞くが・・通じないようだ・・近くなのに知らない
のかな。



ロータリーをグルーっとひと回りしたところに停めるとタクシーが止まった。「アルメニア」
はどっち・・お客が「こっちだ」来た方向から右に指をさす。

タクシー運転手は仲間に聞き直しこの道をまっすぐに走れ。走った・・走ったまだかまだか・・
狭い道になってきて・・ほんとうにこの道で大丈夫かいな・・ボーダーらしき門が見えてきた・
・「ボーダー」か・・ちがうらしい。

まだ先にある60キロだ・・両サイド高い山に挟まれた道になる・・川には赤黒い水が流れてる。
雪山が両サイドに出てきた・・ボーダーかな・・ちょっと広々とした空間。通り過ぎて走ってい
ると・・右上から走ってくる車・・左にも車が走っている。

交差点で待って車の人に「アルメニア」はどっち・・「あっち」だ・・「ソーリ・・そこまで連
れて行ってくれ」2,3台家族と思われるグループの一人が国境の入り口まで引っ張ってくれた
・・「なーんだ」「この広場だったのか」さっき通り過ぎた所だった。


ありがとうございました。イランの出国手続き・・今11時。カスタムでは荷物を開かられて再
び荷づくりが大変だったが・・ウィスキーボトルを見つけられなくてよかった。

12時ちょうどに手続き終わり・・橋を渡って・・ここが「アルメニア」国境なのか、わからな
いように走りながら写真をとる。



手続きは「ビザ」発給から・・イランではネットが使えなくなっていたのだ・・。アルメニアの
「ビザ」はオマーンのマリヤムさんから国境でとれると情報を得ていたので助かった。

ビザ代10ドル・・・カスタムへ・・人間のレントゲン?・・すべて終わりかと思いきや・・オ
ートバイのレントゲンは初めてだ・・。

これで終わりだ・・ゲートに入ろうとしたとたん・・ガッガっーオートバイの腹が使えて・・ま
たもやスタンドがうしろにずれてしまい止まることができるが下りられない。

腹いせに、突飛があって「下りられないのだ」・・手伝ってもらい最後の関門でオートバイを壁
に横づけ手続きを終えたのが13時を過ぎている。約2時間出国入国にかかった。




溶接屋は10キロ先にあると聞き出していたのでとりあえず走ってみる。走り始めてアルメニア・
首都エレバンの標識は左方向になっている。

教えてくれたその角に溶接屋があった。この溶接屋では出来ない2キロ先にいってくれと・・。
イヤーまいったな・・いったいどうするんだ・・きょうは近くのホテルに止まることになるが一
体ホテルがあるのかどうかさえ分からない。

最悪の場合はテント泊だな。もう心配と不安が入り混じりのどが乾く・地元の人たちは平気な顔
である。1キロちょっと走ったところに個人でやっている自動車修理屋さんがあった・・スタン
ドのこと地面に書いて説明する。

スタンドを確認して・・土台が裂けているのを見つけオートバイを横倒しにして溶接が始まった。
この溶接は初めて見る。多少まだ立ちすぎる感じが残るが場所を選べば止まられるようになった
・・どうしたものかと不安があったがどうにか走れるようになった。

溶接屋さんありがとうございました。お札をならべたら10000アルメニア=1250円・・
これでいいと受け取ってもらった。

近くに「ホテル」がありますか・・5キロ先にある・・地面に書いて教えてもらった。きょうは
これで終わりにしよう・・疲れたし・アルコール解禁の国に来たのだ呑もう。

本線から左に入ったところに「B&B」日本の民宿だろうか・・泊まることにした。でかい一抱え
もあるビンが並んでいる・・これがワインなのか。

シャワーを浴びてさっそく4時からのみ始める・・アルメニアビール、ワイン。気がねすること
なく今からおおっぴらに呑める。なんだか開放感を感じるいっしゅんだ。

約3カ月禁酒の国で過ごしてきたのだ・・もっとも一日も切らしたことはなかったが・・それで
もやっぱり気がねして飲んでいた。

きょうから・・呑める・・忘れかけていたビールの味、そして、でっかい樽ビンからワインをつ
いでもらっていただきまーす、「う・・おぉー」。


第7次・70才・オートバイの旅・アラビア半島からイフェリーでイランへ・・5月10~15日

2014年05月21日 | 赤道直下と陸路国境148か所




2014年5月15日木曜       小雨     くもり     雨  はれ
4時前に起きて出発準備・・5時レセプションの二人はロビーで寝ている最中・・オートバイのパーキング・・
きのう夕方聞いたとき紙に書いて「朝5時大丈夫だ」と言っていたが・・通じてなったようだ。

パーキングにやってきたマイカ^-若者は6時オープンだとゆう・・。雨が落ちてきた・・きょうはの出発やめ
よう・・・ホテルの部屋に戻ってベッドへ・・いつのまにか寝入っていた。

7時雨が降りそうで落ちてこない・・よし・・出発しよう。くもり空の中タブリーズに向かう。きのう何回も聞
いているが・・さてさて・・走りながら進もう。行きどまりの手前でタクシー・・「バブリース」・・オレの車
のあとについてこい・・地下に入っていく・・上がってループ線に入る・・・これはわかりずらいわ・・。

タクシーは止まって・・これからまっすぐだ・・。ありがとうございました。あと一歩で間違えるところでタク
シーに助けられた。郊外に出るまで結構車は多かったが・途中から・・・消えるようにいなくなった。

雨が降ってきた横風も吹いて来た
風上にオートバイを倒しながら走る。いつのまにか雨はやんでいた。高原の中に入っていく・・寒い、風が冷た
い・・空気が冷たくなってきた。長袖を着こんでその上にカッパを着こんで来たがそれでも寒い。

これじゃ冬支度・・長袖を二枚重ねる。12時になっても温度10℃から上がらない。ころころかわる・・めず
らしい高原の山の模様をながめながら目的地についた。

タブリースの町・・オートバイがいない・いつもはバイクが走りながら話しかけてくるがついてこない・・地元
の人に「ホテル」を聞く・・停まっていると・・「どうした」と聞いてくるマイカークルーザー車

「ホテル」を探している・・電話は知り合いにだろうか、「ホテル」までタクシーで誘導してくれた。タクシー
代まで出してもらった・・、ありがとうございました。繁華街の中にあったホテル。

さっそく晩飯の買い出しは・・きゅうり、トマト、玉ねぎ、小梅ににたのも買った・・ライスを喰いたくなった
のでチキンカレーライスはホテルのレストランに頼んだ。ご飯にチキンの汁(スープじゃない)をかけた・・う
まかった。



2014年5月14日水曜     はれ         はれ
10時にシュハランムさん事務所へ・・そこの近く・・オイル交換、オイルフィルター交換へ・・お店に前に止
まるとバイクの人たちが集まってくる。オイル交換とオイルフィルター2個2500円ぐらいか・・。

雨でなかったらあしたアルメニアに向かいます・またまたお世話になりましたとシュハランムさんにお別れの挨
拶をした。すぐに着れる雨のときのカッパをプレゼントしてもらった。日本に来るときはぜひ連絡してください。

ホテル前に日本に来たことのある日本語がわかる人にテヘラン市内からタフリーズに向かう道ノリを聞くが・・
よくわからなかった。

まぁ走りながら聞くしかないだろう・・あした出発の準備を整えて晩飯は近くの焼鳥屋でライスをつけてもらっ
た。はっきりしない空模様・・焼鳥屋のおやじさんは雨は降らないと言う・・アラビアにきてからカッパ着て走
ってきたことがない・・ほんとうに雨が降らなければいいな・・。





2014年5月13日火曜    朝曇っていたがはれ          はれ
きょうはなんの祭日なのか・・お休みで商店街もガラーンとして静かな市内になっている。きのうシュハランム
さんのお店がわからなくなったので朝散歩がてら確認してわかった。

川の流れのようにとめどなくやってくる通りはきょうは車、バイクが少ない。いつもバイクなど逆走して走って
いるのを見かけるがよく事故が起きないものだ。昼間方焼き鳥を焼いているお店を発見・・昼飯に買って帰る。

夕方ホメニイ広場へ散歩・・カメラ屋があった。今使っているキャノンIOS望遠レンズ28-300は本体をデ
ジタルに替えたため広角で撮れなくなり使っていなかった・・せっかくだから安いレンズがあったらと一旦ホテ
ルに戻りカメラと1万円だけ持ってお店に。

ほしいのは18000円だったが・・他のこれなら1万円でいいと言う。安いかどうかわからないがせっかく持っ
てきた一眼レフこれから使えるようにと思い切って買った。


ホメニイ広場をグルーっと回って地下鉄乗り場まで行って乗りたかったが・・カメラ2台持っていたので乗る気
がしなかった。シラズで仕入れたアルコール・早く飲んでしまわないと、これからウィスキーのうまいコニャッ
クが待っているアルメニアに向かう予定である。あぁれー・・ウィスキーとコニャックは違うのかな・・。










2014年5月12日月曜  はれ12時30℃   はれ17時35℃
ネットを借りに行く前に編集できるようにワードに日記を書き終えて13時過ぎにシュハランムさんのお店に行く
が・・ホテルから一本道の左側すぐのはずだ。

違うのか・・Uターンしてお店のある反対側へ回る。歩いて探すが見つからない。オートバイのまわりにオート
バイが集まってきた。名刺を見せてこの店に行きたい。こっちじゃない向こうの道だと。イヤ・・たしかこの道
のはずだけど・・、電話してくれた。

ここに来るから待っているようにと電話してくれた男。再び歩いてみるが見つからないバイクの人迎えに来てく
れた・・初めての顔「お店の人」「そうだ」集まっている人に合唱ポーズですみませんでしたとあいさつ。

バイクについて走る2,3分でついた。オーナーは出かけていたがすぐに戻ってきた。以前のお店に寄ったライ
ダーの写真を見せてくれた。

ポタラ宮をバックの写真はやっぱりエベレストまでいっしょに走った「粥川陽平君」だった。アフリカを走った
女性の写真には・・「RiKO 2006 MAY Nambia」とサインしてあった。予想していた鉄馬B女さんとは違う
女性のようだ。

二階の事務所でWiFiネットはつながらず・・持ち歩いているコードでつないでメールとHP掲示板はOKに
なった。ゆっくりとメールを見て返信でき、掲示板も更新することが出来た。

気になっていたメールの返信が出来て気持ちが落ち着きホッとした。ネットがないとさびしい気持ちになるって
ことは・・ネット人間になってしまった悲しさを感じるなー。

シュハランムのお店はあした休みらしい・・どこのお店も休みなのかは分からないが・・・あさって14日オー
トバイのオイル交換とオイルフィルターをの交換を近くのお店でやることにしてホテルに戻る。いま8時近く
まで明るい・・テヘランだ。





2014年5月11日日曜    はれ6時18℃    はれ10時28℃  はれ
残りビール1本になったので荷物ケースはだいぶ楽にしまえるようになった。6時30分イスファーファン・
ホテルを出る・・地下のパーキングに停めていたオートバイの上にチャパティをどっさり置いてくれている・・


レストランのスタッフの気持ちがありがたい。テヘランまで約450キロ・・きのう何回もテヘランへの道は
確かめた。どこまでも一本道、イランは運転は荒いがスピードはアラビア程は出さない。

ハイウェイを走っている車は少ないな・・。料金所で「OK」と「ただ」で走れるようだ・・シラズからイス
ファーファンに来た時と同じような西に向かって走り、東に向かって又西へとジグザグにハイウェイの道・・
相変わらず左に右の岩山・・

そして高原の中に道が続く。写真の電池交換・・ホテルの近くで買った安い電池、交換したが使い物にならな
かった・・相当期間がたってしまった電池だったのだろうか。

充電式の電池を用心のため持ってきていたので事なきを得る。これまでもそうだったように走りながらトラッ
クはでかいクラクションを鳴らして走り去る、こっちもクラクションで応える。

オートバイを写真におさめながら走っていくマイカ―・・子供が一生懸命に手をふる姿に元気をもらう。最後
の給油・・まだはっきりつかんでいないイラン通貨、リッター30円ぐらいだろうか・・10年前6円だった
が30~35円に値上げしたのだろうか。




高速料金所を過ぎてテヘラン市内についたようだ。ハイウェイでは一台も見なかったバイク・・市内にはいっ
たとたんバイクが増えてきた。二人乗り若夫婦?脇に停めて「ソーリ・ホメニイ広場」・「Uターンして・・」
と話しているようだ。

次にちょっと大きめのバイク・元気ありそうな若者二人乗りを脇に停めて「ソーリ・ホメニイ広場」この「道
を進め」わたしをそこまで「引っ張ってくれ」「右手はユー・左手はマイ」同時に動かして頼んでみた。

「OK」走る、走るジグザグにすり抜けて走る・・負けずについてゆく。兄ちゃんのバイクはすり抜けられる
がわたしはストップ。青年バイクは持っていてくれる・・相当走った来たがまだつかない・・何回かバイクの
人に聞きながらっ走っている。

裏小路の狭い道に何回か入っていく・・大丈夫かいな・・ホメニイ広場を知っている別のバイクが前について
走ってくれているようだ。

まだつかない・・ロータリーに出たがこれじゃない・・。ホメニイ広場はもっと大きい。20キロ近く走って
きている。車もバイクも入り乱れた道の混雑は10年前と変わらない。ぶつからないでよく走れるものだ。

ついたようだ大きいロータリー・・ここがホメニイ広場だ。高速を降りて1時間近く走ってきた。ロータリー
の周りにバイクをいっぱい止めている。少し手前に停めた・・わーっと人だかりになる。

一生けん命に引っ張ってくれた青年に「長かったねー・・ありがとう」ベンジン代払うから・・お札を出した。
ノーノー「いらない」とゆうしぐさ・・イヤーすみませんでした。

写真をお互いに撮って・・別れる。ありがとうございました。しばし休憩今12時半・・今度はホテルまで引
っ張ってくれるバイクの青年を見つける。さっきから興味深々にオートバイを見ていた好青年にあんたの「
バイクはどれだ」

「これだ」と青年。悪いけど「ホテル」まで引っ張ってくれないか・・「ホテル?」「そう寝んね・」両手を耳に
当てて「スリーピング・ホテル」と頼んでみた。ちょっと考えて場所をつかんだのか「ついてこい」・・

オートバイのまわりの人に合唱ポーズでありがとうと言って走りだそうとした瞬間わたしのうしろに乗り込ん
だものがいた。すぐに停めて「ふざけやがって」本気で蹴飛ばしてやろうと降りたが・・男は走り去る。

追いかけるまねをするとさらに逃げだして行った。青年のオートバイについて走る・・5,6分でホテル前に
ついた、周りは忙しそうに感じる騒然とした商店街・・道幅は広い

オートバイのまわりに人が集まってきた・・・大きいバイクだから興味があるのだろう。荷物をホテルに運ん
でオートバイは別のパーキングへ。さっきの青年にパーキングまで運転を頼んだ。青年にありがとうございま
した。

ホテル30ドル・・3000円、オマーンのホテルのように目の前が岩山ではないが5階の部屋から見晴らし
はいい、許せる範囲の値段・・とりあえずここに泊って別のホテルを探せばいいか。

昼飯・・昼寝して4時過ぎ別のホテルがあったらと・・近くを散歩する。車につかうベルト、水道金具、電気
工具、ロープ、さまざまな工業用品、小さい八百屋、ジュース屋、焼鳥屋も表通り裏通りも混雑して活気があ
る。

製品は最近のものとゆうより以前から使っているような品物が多い。うん・少し坂道になっている・・車もバ
イクも川の流れのようにひっきりなしに流れ出してくる道路に突きあたった。

10年前に来た時この流れを見たことがある。まさかその「通りでは」あるまい・・そういえば部品店が並ん
でいたなーもしかしたらその時の道かもしれない。工具店など見てまわり・・あの時とは違う道だろう思いな
がら歩き続けた。

当時持ち帰りの晩飯を買いに行ってた時レストランには「ろう」の人が働いていてうらやましそうな顔でわた
しの「オートバイ見たよ」と言ってくれた青年を思い出す。

レストランはわからなったが、もしかしたらこの辺から入った狭い裏道右側に安いゲストハウスがあってその
前に工具屋さん。その工具屋さん店を閉めてから夜だけオートバイを入れてもらってお世話になっていた。

車の流れを渡って裏道に入っていく。こんな道じゃなかったのでは・・おおーっホテルがある。ここだ・・こ
こだ・・手前にオートバイを置いた空き地もある・・ここだ。ホテルに入って見ると中の様子は似ている。

肝心な工具屋さんのあったビルは建て直し工事中で青いビニールがかかっている。ホテルの人や工具屋さんの
となりのお店に、10年前「この角にあったお店」にお世話になったんですと日本語で話した。

どこに移られましたか知らないですか。「50m先に移った」と、そこに行ってみると違う人の顔・・実は
「今工事中のビルの角の店」メモ用紙に書いて見せると・・「あぁ太った人か」「そうだ・・」オートバイの
うしろに乗れと狭い道を走り・・

大きな通りに出たところに止まった。ドアーを開けると・・「いた」当時お世話になった人だ・・名前はす
っかり忘れている。向こうも覚えていてくれた。「その時はお世話になりました」握手する。

名刺冊子をめくり当時渡したわたしの名刺も保存してくれていて見せてくれた。ありがたい。あの時60才そ
れから10年もったってしまい70才になりました。なんとも感慨深い・・。



日本に数年いたとゆう日本語を話せる人を電話で呼び出したようだ・・すぐ見えた「アリー」さんとゆう人。
わたしの他にエベレストまで走ったライダー、アフリカを走ってきた女性ライダーも当時の店にやってきたと
話す。



アリーさんがオーナーの名前は「シュハランム」さんと教えてくれた。イランはネットが使えなくて困ってい
ると話したら「うちの事務所で使っていい」と。ではあしたパソコンを持ってきますからよろしくおねがいしま
す。

いい「おみやげ」までいただいて戻る、途中今晩のおかず焼き鶏を買ってホテルへ。だれだろうエベレストま
で走ったライダー・・なーんだ・・いっしょに入った「粥川陽平君」じゃないか。

当時チベットをいっしょに走って彼はそれからヨーロッパ~アフリカ向かった・・イランではゲストハウスの
アドレスとホテル前の工具店で店を閉めた夜オートバイを入れさせてもらったと話したから彼も寄ったのだろ
う。

アフリカを走ってきて寄った女性?・・もしかした「鉄馬B女」さんじゃないかと思う、インド・バラナシで
5人顔も知らない同士ネットで打ち合わせしてインドで落ち合うことになった。

2004年11月。大阪の「クロのおやじ」さんこと岡崎さんもアフリカを回ってきた、「鉄馬B女」さん
(滋賀)もアフリカを走ってきた。「ぽこ&けん」さんこと荒木健一郎・優子(滝野沢)夫婦もアフリカを走
ってきた。

それぞれ期日・ルートは別々に走ってきた。それに松尾の5人で落ち合った。その時の鉄馬B女さんだったの
かもしれない。あした写真を見せるとのことなので楽しみである。
 
工具屋さんと再会できてよかったー、世界の人々にお世話になりっぱなし・・こうしてお世話になった人にひ
とりでもお礼を言えることは・・こんなにうれしいことはない。大相撲の魁皇関に顔が似てる・・シュハラン
ムさん49才になったと日本語のできるアリーさんが言う。








2014年5月10日土曜       はれ      はれ
ホテルの近くを散歩がてらカメラの電池を確保しておこう・・一軒目電池2個入り120円・・こんなものかな
・・二軒目2個入り60円と安いが3個で品切れ。

お昼前・・世界遺産の橋までオートバイで出かかける、真っすぐ走ったところが、行き止まりの「橋」である。
ほかのオートバイも歩道に乗り上げて止めている・・わたしも邪魔にならないよう歩道に停めた。

2003年10月に来たことがある。その時は中央アジア・トルクメニスタンから入ったが残金4000円し
かない・・どこの銀行に行っても・・マスターカード、ビザカード、もちろんシティバンクカードも使えない、
大きな街マシュハドまで行けば大丈夫だろうと行ってみたがやっぱりダメ。

アメリカ・キーウェストでデジカメラを盗まれたのでフロリダ近くの電気ショップ店で10万円ぐらいで買った
JVCビデオ・・使い勝手がよくなくて一眼レフのカメラを使っていた。



そのビデオカメラ、最初3万5千円だったがのぞき窓が壊れていたので仕方ない2万5千円でカメラ店で手放し
た。マシュハドからそのお金を持ってお金おろしに国境越えて隣の国アゼルバイジャン・バクーの銀行まで4
泊5日走った。ベンジン当時リッター6円だったので助かった。

バクーの銀行でATMの機械がお札を数えるシャシャシャ音を聞いてアー大丈夫だったと・・・身体がへなへな
となった。それまで眠れない夜が続いたのでお金が降りて身体のチカラが抜けてしまったのだ。

アゼルバイジャンはウィスキーが安かったのでボトル2本買ってイランのビザを取り直してグルジア~トルコと
走る。今度は誕生日のためトルコでビールをどっさり仕入れてイランに入った。2003年10月15日60才
の誕生日はテヘラン・・ひとり盛大に静かに祝った。

イラン・テヘランからパキスタンに抜ける時イスファーファンに寄ったのが10年前。前回より人通りが多いよ
うな気がする、橋の向こう岸まで歩いて前回と同じような場所から写真をとる。

地元の高校生に自分のも撮ってもらう。オートバイに戻ると地元の人たちが写真をとっている・・いっしょに
わたしも入れてもらいとってもらった。ホテルに戻りネットを試すが使えない。

一回もネット使えないじゃないか「ホテル代返せ」レセプションに言ってどなった。何事かとスタッフが集まっ
てくる・・適当にそれまであしらっていたスタッフの男がパソコンにとりかかりどうにかメールだけは見られる
ようになったが・・返事(返信)が出来ない、

すぐに「ネットワークにつながっていません」のメッセージ画面ににがっくり・・あしたテヘランに移動しよう。





第7次・70才・オートバイの旅・アラビア半島から中東イラン・首都テヘランへ 5月7・8・9・日

2014年05月18日 | 赤道直下と陸路国境148か所


<イランではネットがブロックされて更新できませんでした。18日アルメニアにつきました。
アルメニア・首都エレバン・ネット環境いいですね・・順次更新してゆきます>


2014年5月7日火曜       はれ地下パーキング 23℃        はれ
朝からネット作業・・・二日間だけできなかったネットだけど・・だいぶ長い間空いていたように感じた。かなしいかな、
ネット人間になったのだなーなどと言いながら・・毎日朝起きてビール飲んで寝ました。

たぐいの「くだらない」の日記を書きあげた。文章がうまいとか下手だとか・・だれが何と言おうと自分の生き方だから
おれにしか書けないものもあると開き直らないと日記なんて書けやしない。

「老いぼれ」に「うぬぼれ」重なったんじゃ話しにならない。アラブのホテルもすべてそうだったがここのネットもWiFi
・・早い早い・・イランについたことをメールを送り・・写真の取り込み。

ここのネットは写真の取り込みもすーっと取り込んでくれるのでブログに編集もずーっと楽になった。HP掲示板を編
集しているうちに夜の9時になってしまった。まぁこれが終われば気持ちが楽になる。

ああぁ・・シャルジャーで仕入れビールは残り少なくなった、スコッチ、ウィスキーはまだまだ残っている。ちびちびと
呑まざるを得ないのがつらい。また近いうちにどこかで仕入れよう。アルコールがあればゆうことなしなんだけどな。

贅沢と思ったけど疲れが出てきたようなのでホテルのレストランできのうに続いてステーキを注文した。まずまずの味だ
った。自分で買って焼いて食うのがうまいけど肉屋さんがないからなー。

(7日まではホテルのネットプロがブロックを解いて打てるようにしてもらった)



2014年5月8日水曜   はれ      はれ23℃日陰    
久しぶりに朝の散歩に出かけたとゆうより・・イスファーファン~テヘランに向かう道路の確認のため歩いてみた。歩い
ている人、マイカーの人に聞くが、いまイチわたしの言葉が通じない。

交通整理のおまわりさんに聞こうとしたら白バイがやってきた。「テヘラン方面はどの道」・・・・「マイ・オートバイ
で来ている」「ホテル」においてある・・・どうにか通じたようだがよくわtからなかった。・

だれかをまっている男の人が立っていた・・「ソーリ・・イスファーファン・テヘラン」への道は・・一つ目のロータリ
ーを左へ、二つ目のロータリを右へ・・英語だったのでだいたいわかった。ありがとう。

帰りぎわにホテルがあった「値段を聞いて」みよう・・「30$=3000円」と安い・実は今のホテルにあと一泊しよ
うと考えていたのだ。受付は12時だと・・「OK」ホテルに戻って来ますから。

今のホテルの半分だ・・さっそく荷造りをして移動の準備を終えてチェックアウト。一泊65ドルと思っていたが・二泊
で80ドル・・ステーキも二回食べてだから3500円ぐらいだったのかな。

しかし決めたことだ・・12時前に移動した。オートバイもすぐに出せるようにパーキングの入り口に置いた。安いのは
いいがネットがつながらない・・あー。4時頃からオートバイのスタンドがまた、ずれているようだ。

市内の溶接屋を探そう・・ホテルを出たらバイクがついてきた・・止まってスタンドを直したい・・知っているところを
教えてほしい。しばらく考えて・・走りだして2,3分でついた。

バスなどのが止まっている広場の奥に溶接屋があった。親子でやっているようだ・・スタンドを上げたり下げたりして足
に引っ掛からないようにと頼んだ。連れて来たもっら青年に・・どうもありがとうございました。






跳ねあげたときの位置、下ろしたときの位置の調整が難しいそう。最後はサブスタンドを切り落とし、、そして新たに足
して溶接・・うまくいった、さすがだ。あれこれ30分ぐらいかかった・・お金はいらない・いらないとやさしい親子。

気になっていたことが直せて気が楽になった。ありがとうございましたと・・手話では「安心」の意味で使うようだが・・
相手も喜んでくれるので、わたしはどこの国でも使っている。

特にトイレを借りたときなど・・手のひらを上にして両手を胸からおへその方にゆっくりおろすと「すっきりしました」
と受け止められているようで使わせてもらっている。

今回も手のひらを上にして両手を胸からおへその方にゆっくりおろすと「ありがとうございました」・・相手もニコニコ
顔になり・・気持ちが伝わったようでうれしかった。きれいなモスクの写真をとってホテルに戻る。

買えなくても元もと・・アルコールを買いに出かけた。一流ホテルにあるだろう・・五つ星のホテル・・シラズのホテル
ナンバーワンまで走ってくれと三度目に止まったタクシーに乗った、信頼できる顔だ。

ナンバーワンホテルに「アルコールがあるだろう」と言うとタクシの運転手は「ウィスキー、ワイン、ウオッカー・・」
知らないウィスキーの種類べらべらしゃべっている。ホテルにアルコールがありそうだ。

立派なホテルについた。レセプション「ソーリ、アルコールショップ」「バー&レストラン」女性と男性意味がわからな
いようだ。「ホテルにアルコール・ドリンク」ありませんか・・「ないと言ってる」ようだ。

そのやり取りを見ていたとき男が近づいてアルコールショップはある。だれだろうと思っていたらタクシーの運転手だった。
タクシーで自宅に向かうと言う・・・ウィスキー・ウオッカ類の種類もいっぱいあるようなことを話す。

そしてエブリディ毎日毎日飲んでいるとたのしそうな顔で話を続ける。この運転手はイラン人じゃないな・・・パキスタン、
トルクメニスタン、アゼルバイジャン、アルメニア周りの国を思い出しながら・・・あーそうだトルコ人だ。

「ユートルキー」か「イエス」・・トルコからから運んできているんだな。自宅アパートについた・・部屋に上がらせても
らう。さっそくボトルの数本、出してきた。よく見ると「0,0%」のラベルになっている。

なーんだ「0,0%」じゃないか・・「それでいいんだ」・・そうかラベルを張り替えて運んでいるのか・・・なるほど、
グラスについで呑んでみる。たしかにアルコールだが片方はなじめのない味だ、こっちの方がいい。

台所テーブルにはスイカのとなりに日本の小青梅に似たのを塩でまぶしたのが容器に入っている。シラズで買った青梅をわ
たしも塩をまぶして持ち歩いているのだ。

塩をまぶして食べるのは間違いではなかったのだ。これをつまみに飲んでいると・・・わたしも同じだ、思わず笑う。ウィ
スキーはどうした。別のところにいかないとない・・シャープ?と聞こえる。

イラン小梅を半分分けてもらって・・ショップのことだろうか。奥さんもいっしょに乗り込んだ。電気器具のとなり?閉ま
っている。奥さんの携帯を借りて電話しているが通じない。






「OK」ホテルに戻ろう・・シャープが開いてから買ってホテルまで持ってきてくれと「言われた現金」を渡した日本円で
6000円ぐらいだろうか。ホテルについた、じゃーあとからウオッカーを持ってきてくれと別れる、8時になっている。

あと一泊しようと考えていたがネットが全くつながらない・・あしたイスファーファンに移動しよう・・食事を終えて9時
を過ぎてもウオッカが戻ってこない。

彼は持ち逃げはしないだろう・・でも遅すぎる。ホテルから彼が渡した名刺に電話してもらった・・あと20分ぐらいで着
くとのこと、部屋で待つからコールしてくれ。

「おーい・・ウオッカー」と「大きな声」でホテルに持ってきてくれとタクシーの中で冗談で話したら「ノーノー」手で首
を切るしぐさを見せる。彼がやってきた・・タクシーの中に入り「ウオッカー」は売り切れてなかった代わりに「ウィスキ
ー」を持ってきた。

「ウオッカー」を頼んだ・・話しが違うじゃないか・・お金を返せ・・「ノーノー」こっちのウィスキーが「高いのだ」と。
どっちが高いのかわからないが・・・それにもらった小梅を彼の家に忘れてきたので新たに「イラン小梅」もいっしょに買
って来てくれた、のに「金返せ」といったものだから彼は憤慨している顔になった。

誠意でアルコールを持ってきてくれたのだろうに・・彼に悪い気分にさせてしまったのを後悔している。それにしても数あ
るタクシーの中で偶然にも止まってくれたのはアルコールを知っている運転手だった。悪は悪を呼ぶ・・類は類を呼ぶとゆ
うが・・わたしにとってはまさに幸運だった。


2014年5月9日金曜  はれ朝10℃    はれ昼23     はれ17時35℃
きょうはイスファーファンまで450キロ・・ホテルを6時に出発。二度「イスファーファン」の道を聞いて本線に出るこ
とが出来た。

長そで、ジャンバー二枚では寒すぎる、朝方は冬ジャンバーがほしくなるぐらいである。東に向かっている・・おかしいな、
今度は西、よしよし。また東・・西・・今度は南東走っているうちにわかった。山の谷合いを縫うようにして道が造られて
いるのだ。

これだとトンネルでつなげば近くなるのに・・・トンネルがひとつもないと思ったら出てきた。どこを走っていても岩山が
続いている。まずまずの広い道路・・ともったら片側一車線になったり、それほどひどくはないがこれから補修しなければ
ならないような道もある。

マイカーが少なくトラックががぜん多くなってきたと思ったら急に少なくなる・・う回する道があるのかもしれない。100
~110キロイーブンで予定よりちょっと早い12時半にイスファーファン市内に入った。

「セントラル、センターは」マイカーに聞きながら市内に入っていく。ベンジンスタンドに止まる。いつものようにバイク
の兄ちゃんが話しかけてきた。

スズキ・オフロードに乗った頼りになりそうな青年だ。「ソーリ、ホテル」まで連れて行ってくれ・・「OK」給油を終わら
せて彼についてゆく。

川の橋を渡り川に沿って走ると・・・アー来たことのある世界遺産の橋だ・・今度は橋の道に続く道路・・Uターンしたホテ
ルの前まで8キロ走った。

もしかしたら前回泊まったホテルかも・・中庭がある・・やっぱり前回泊まったゲストハウスだ(1200円)。荷物を下ろ
し・・オートバイはパーキングに・・運転は連れてきてくれたオフロードバイクの兄ちゃんにまかせる。写真をとってくれと
・・うれしそう。ありがとうございました。

オートバイで世界を走行中袴田さんと入れ違い中庭には日本の旅行者二人がいた・・旅人も日本人と会うのは3カ月振りだろ
うか・・。同じテーブルで話し始める。

「ろう」者のすごいオートバイの人、けさ出ていきましたと・・「あっ袴田さんだ」名前は知らないがここの「ろう」の人と
話していたとも・・。これからパキスタンに向かうとか話していたと・・。たしかに袴田さんだ。

ヨーロッパに向かうと聞いていたのでイランに来るとは知らなかった。一足違いだった、入れ違いだったのか・・・うーん残
念だった。「ろう」の袴田さんとはわたしが2005年渋谷・千駄ヶ谷公会堂で講演会を開いたときお会いして・・世界に出
発される前に何回か横浜に行って走るルートのことなど聞いていた。

60歳定年と同時に出発・・ウラジオストック、中央アジア、中東、アフリカ喜望峰、西アフリカ、スペイン、東欧ブルガリ
アからいったん帰国されていた。

言葉が出来なくても走れることを袴田さんが証明してくれている。ここに泊っている日本人、旅行者はAさんとKさん。二人
ともバックパーカー。Kさんはこれから移動すると出ていった。一段落してネットを始めよう・・中庭でコンセントをつなぎ
WiFiで始めたが一向に進まない、期待してきたのだ。

時間つぶしにホテルを探がしみよう・・そこに移ってもいいし、4軒部屋を見せてもらった・・ネットもできそうなホテルを
見つけた。ホテルに戻るとき青信号横断歩道・・左ひじがあたり右足親指を踏まれた・・一瞬なんだ、、車が過ぎ去った。

こんな乱暴な運転をするのか・・幸いヒジもこすっただけ親指も最初痛かったがすぐに痛みもとれたが許せない行為だ。数あ
る人間だからこうゆう乱暴な運転する人もいるので自分で気をつけなくちゃ。それにしても腹が立つ。ゲストハウスに戻りネ
ットをみるとまだ半分しか進んでいない。

1時間たってこのありさまじゃ・・ダメだ。あした行くからと話してきたがこれから移ろう・・Aさんにネットが使えないの
で移りますと挨拶して200m離れたホテルに移動した。キャンセル料は戻ってこなかったが仕方ない。ネットが出来ると期
待してきたのに・・なかなかつながらない。

ブログはイランでブロックされているらしい・・FBフェイスブックもスタッフを呼んでレストランでつないでもらい・・時
間をかけて開くようになった。よしセッテング出来た・・よかった。シャワーを浴びて、さぁー始めよう。

3回クリックしただけでおわり・・いつもの「ネットワークにつながれていません」のメッセージの画面に・・。あーきょう
はもう寝よう朝早かったので・・眠い、またあした、あした。10時前ベッドに入る。

第7次・オートバイひとり旅・アラビア半島からフェリーでイランへ渡り・・テヘランへ     5月6日

2014年05月07日 | 赤道直下と陸路国境148か所




5月6日月曜      はれ12℃    はれ23℃    はれ34℃
毛布がないと寒いぐらいだった今朝  5時半に起きてオートバイを地下駐車場から道路まで出しておこう。うしろから
押すのを手伝ってくれとフロントのお兄ちゃんに頼む・・お客さんもチェックアウト2人連れ同じ駐車場へ。

すみませんうしろから押すのを手伝ってくれませんか・・お願いした。真ん中に階段のある急な坂道・・ローギアで一気
に駆け上がろう。真ん中辺でスリップ・転倒しそうになった。

3人手伝ってくれたので転ばなくてすんだ・・ローギアで登ろうとするがスリップしてダメだ・・オートバイから降りて
どうにか登りきった。スタッフ一人じゃ無理だったろう・・お客さん二人がいなかったら転倒してどうなったかわからな
い・・アー助かりました・・ホッとする。

きょうもいいタイミングでオートバイを表に出すことが出来た。オートバイの温度12℃こんなに低いんだ。長そでシャ
ツの上にジャンバーを着て走ろう、7時に出発。給油はホテル前のスタンドで。アラビアでは「ぺトーロール」だったが
「ベンジン」になった。

列をなしている・・そのうしろに並んでいたら「ここはダメ」給油出来ないらしい・・どうしてなのか・・わからない、
ドライバーが「次のスタンドへ」へ行けと・・。

どこにいたのか・・スタンドを出ようとしたらパトカーが前にいる「パトカーのうしろについてこい」とありがたい。2,
3キロ走ったスタンドに来た、出口から入って先頭で給油・・おまわりさんが指示してくれている。並んでいる先頭の人
に頭を下げる。

スタンドがどこにあるのかわからなかったので、ほんとうにありがたかった。どこの警察も権限があるんだなー。すみま
せんわたしは「シラズ」に行くんです。

パトカーは「OK」「うしろについてこい」ありがたい。郊外まで相当な距離を走ったところで脇に停めて・・「この道
をまっすぐだ」イヤーすみませんでした、ありがとうございました。親切なおまわりさんだった。お礼の代わりにクラク
ションをならした。

きょうは「シラズ」までと決めている。早くついてネット・・イランについたこと知らせよう。約400キロ・遅くとも
2時頃にはつくだろう。







なんともさわやかな天気・・朝走っている時12℃から10℃下がり肌寒い・・オマーンと比べると朝でも20℃違うのだ
・・思わず笑ってしまう。

まわりには高原が続いて行く・・スピードは上げられない気持ち。「はーるばるきたぜ・・いらんへー」北島さんの歌が出
てきた。8時半狭いけど景色のいいパーキングでんこったハムとチャパティ・・水で朝めし。クラクションを鳴らしてトラ
ックやマイカーが走り去る。

険しい岩山など抜けて二度目か三度目の高原を越える。緑の木が・・自生の木なのか植えている木なのか・・・よく見ると
等間隔的になっているのは。栽培しているのだ。一面緑の広場が開けてきた・・山の中腹からふもとまで続いている。直売
所があった。








緑の木にはイチジクがなっている。これを乾燥したものを売っているのだ。もう一つの木の実はここにはないような話だっ
た。この辺だけだろうと思って走ってきたがなんのなんの・・50キロ以上も続いて平坦になった「エスタバン」町。

選別所みたいなみたいな建物があっちこっち建てられている。両サイドんの山の中腹からふもとまで緑で覆われて気持ちの
いい町。安い宿があったら泊ってもいい雰囲気の場所。












白いものが見えてきた。きのうも途中出てきた海じゃないだろう・・湖の塩湖だ。ピンクがかった湖もでてきたり・・白い
この湖も延々と峠を越しても続いていた。

シラズまで40キロ残してはじめて食堂に入ってみた。カリーを注文・・ライスは半分・レモンと玉ねぎがのってきた。タ
マネギはどうして食べるのか・・そのままかじっていたら、となりの人は割ってはがして食べていた。

生でここら辺の人は食べるんだ・・わたしは毎日くっているからなんともないが。ついた「シラズ」・・なにも「知らず」
に走ってきたがいつも間にやら「シラズ」についた、などと自分で歌いながらシラズの街に入った。

バイクの兄ちゃんもなにも「シラズ」についてきた・・。脇に停めて「ソーり・・ホテル」・・「ホテル?」イランに入っ
てから英語はほとんど通じない。「そう・・ホテル」「オレのあとをついてこい」走りだした。

10キロ以上走ってもホテルらしいものはない・・いきなりビルの中心じゃなくて緑の木が続くところから走り始めた・・
シラズのセントラルと思われるところについた。裏手に回って走っている・・ホテルのあるところわかってないなー・・。

白バイが来たので止めようと「ピピー」と鳴らした。白バイは通り過ぎてしまった・・しかしバイクの兄ちゃんが止まった
・・歩いている人に聞いているようだ。

長いバックを肩から垂らしてこれから仕事に向かう人だろう。お兄ちゃんのバイクにまたがって指図している・・・狭い裏
手の道を走ってゆく。ホテルについた・・フロントに行く・・ダメらしい。

バイクの兄ちゃんは拾った兄ちゃんを乗せて次のホテルへ。80$8500円高すぎる。3軒目・・もダメ。づ――とつい
て走ってきたがすぐにはUターンできないわたしのオートバイ・・時間がかかる。4軒目もダメ・・

二人で行って来るからここで待っていて・・ホテルの前で待つ。戻ってきた・・「次のホテルOK」ホテルが並んでる地区
に来た。最初からここに来ればよかったのになー。

角のホテルは「シラズ・パーション・ホテル Shiraz parsion hotel」ippaku60$税込6400円。ネット・・OK,1時間
1$・100円。部屋でもできると話す・・アラブではネット代、「ただ」無料だったのに。

バイクの兄ちゃんがうしろに途中から乗せてきてきた人は「テレビ局のニュースキャスター」きょうも夜8時から出演すると
話す。

iPパッドで自分の出ているちゃんと背広を着て出演している時のテレビキャスターの番組を見せてくれた・・ええー仕事に向
かう途中だったにもかかわらず・・1時間もついやして探してくれてありがとうございました。

日本にはテレビキャスターで考えられない行動をする・・こんな人はいないだろう。バイクの兄ちゃんはおれについて来たば
っかりに2時間もつぶしてしまいすみませんでした。

出口を出るときもわたしを先に出して奥ゆかしさ、謙虚さも持ち合わせている。彼にはベンジン代としてお金をとってと・・
広げたお札から自分で少額のお札を「ありがとう」みたいなしぐさで・上にあげた。

4時を過ぎている・・二日分の洗たくをすませ・・シャワーを浴びていっきにブログを更新しようといきがったが・・ビール
が入って疲れが出てきた・・きょうはもうこれでおしまい出来なかったら、あと一泊しよう。


シラズに入ってホテル探しを手伝ってもらったバイクの好青年・・きょう7日もオートバイの写真撮りに友達と来てくれた。

テレビのニュースキャスター、アミホセンさん・・考えられない行動ができる人におどろいた。


2時間ホテル探しをしてくれた二人・・昔からの友達みたいな感じを受けた。ありがとうございました。





第7次・オートバイひとり旅・アラビア半島・UAE・シャルジャからフェリーでイランへ  5月4日~5日

2014年05月07日 | 赤道直下と陸路国境148か所





イランに入国
5月5日月曜  はれ     はれ
フェリーはときどきドンと音をさせる・・波にぶつかる音だろう。身体に感じる船の揺れは最初のころ感じていたが
途中から感じなくなった。5時半に起床・・7時前にイランの島と思われる場所を通過・・7時20分に到着。



下船が始まったのは8時を過ぎていた。最後にオートバイを乗せたので下りる時は最初・・カスタムの広場に駐車さ
せる。フェリーから降りると手続きは、飛行機で降りたときの手続きと同じ。




パスポートを見せて入国手続きを終えると荷物の受け取り・・あのぐるぐる回るベルコンベアーに乗って荷物が出て
くる。パスポートを渡したあと・・わたしとパキスタン人はその場で待つ遅くても10時には出発できるだろう。

最後の手続き・・ドキューメント・・作成である。そのうち出来上がるだろうと気楽に・・出来上がるまでパソコン
にこれまでのこと日記を書き込んでいた・・まだ出来ない「1時間待っているに何やってんだ」

カンニン袋が切れたでかい声で机が並んで両サイドにわかれて丸くなっている。何事かと立ちあがっている職員たち、
提出した係員に向かってどなった。

奥の方から管理者みたいな人が口に指をあてて「シー」と合図している・・なにが「シー」だ・・。待っているお客
はあとから来た2,3人だけ。

「はやくしろ」最初10分か20分と話した偉い人の部屋らしいところに行くが本人はいない。すぐに何かの用紙を
わたしに渡す。



出来ていたんじゃないのか・これが最後ではなかった。・。「カスタムに行って」・・お客の若い青年がカスタムに
連れていって担当らしい人に話をしてくれた。

青年に「サンキュウ」。担当のおじさん大丈夫かな・・気が気じゃないたったままカウンターから仕事ぶりをみつめる。
カルネを開いたり見つめたりしているが書類の作成がわからないように感じる担当のおじさん。

文字を数えているのではないかと思えるしぐさ。しばらくしてちょっと若い担当者が来て交代した。パソコンに鋭い眼
をむかててきぱきとさばいて行く・・おじさんのプライド傷つけないように「あっちにいけ」とは言わないでそばにい
て何かを伝えている。

出来上がった・・書類を持ってさっきのどなったオフィスへ、入りずらかったが再び笑いながら「何やってんだワーワ
ーワー」ジョークを飛ばすとみんなの顔が笑っている。担当者も変わらぬ顔だったのホッとした。

奥の方の若い青年二人が「よかったですよ」「怒鳴ってくれて」みたいなこと笑いながらはなす。ドキューメント作成
代「3、600、000」マネーがいる・・。

ええーいったいいくらなんだかわからない。さっき200ドル両替したお札そっくり職員に渡す・・その中から「36
・・・・」をとってわたしに戻した。

これで終わりだろう・・帰りぎわ「何やってんだ・・ワイワイワイ」と大きな声で繰り返すとみんなはバイバイと手を
振ってくれる。出口でみなさんに両手を合わせて合唱ポーズで「すみません」でした・・。

さっきイミグレーションを出たとこにあった両替屋で200ドル=約2万円と残ったUAEのお札もすべて両替した。
(1ドル・・3300ツマンと教えてもらった・・払ったお金は1万円ちょっとぐらいかな。

これで終わりじゃなかった。小さい事務所へ、カルネの他になにかが必要らしい・・。目の鋭い人あちこちへと連れて
いってくれたり戻ったりしてくれるので助かっている・・すべて整った。

「オートバイをここに持ってきて見せろ」と・・これで終わりじゃなかった。12時を過ぎて港に着いてから4時間。
歩いてオートバイのところへ・・「証明書」が必要だとパーキングセキュリティの係官。

オートバイに乗ったセキュリティのうしろに乗ってさっきのオフィスへ。渡された書類をパスポートといっしょのポケ
ットの入れていたのを忘れていた・・「あーこれか」

オートバイはそっちじゃないよ左だよ・・OKOK 倉庫の事務所の用紙を提出。オートバイの場所へ。フェリーから
オートバイを下ろしたのが8時・・。写真などみなさんといっしょに撮ってパーキングゲートを出た。

さっきの「オート場を見せろと言われた事務所へ・・これで終わりじゃなかった。しかし出国ゲートの「門」は見えて
いる。ゲートの脇にある事務所でオートバイの「車体番号」を確認してこれですべて終了。



陸路国境と違って港や空港での国境越えは時間がかかるなー。港の出国・・ゲートの「門」を出たのが13時・・。
アー5時間かかったことになる・・まぁいいかイラン入国出来たことまずはめでたし・めでたし。

大陸に渡ればどこへでも向かうことができる気持ちの安らぎが出来た。フェリーの中でイラン出身の人たちにバンダル
バス港からテヘランまでの途中のホテルのある町を聞いていた。

きょうは300キロが限度だろう・・ラールとゆう町。国境の門を出る時「シラス」「テヘラン」はどっち・・・ゲ
ートの人・地元に人に「まっすぐだ」・・ありがとう。

オートバイが多い・・聞くのも楽になる。信号で隣のおじさんバイクに「シラス」・・「左だ」いいタイミングで聞い
てよかった・・おじさんバイクの後ろについて走る。ここからUターンしろ・・どうしてだろう。

おじさんバイクはバイバイ。すぐに250の白い新車のオートバイが走っている「シラズ」「シラズ」・・オレのあと
についてこい・・すぐに右に曲がる、わたしも強引について行く。





「この道をまっすぐだ」・・「右も左も曲がらないで・・」「そうだ・・」まっすぐと左手を上にあげる。ありがとう。
市内は少し荒れていたがすぐにきれいな道になってきた。あーここはイランだなー・・。

200キロで給油・・通貨の単位がまったくつかめない札を見せてその中からとってもらう。かなり走ってきた「ホテル」
のある町「シリジャSirija」についたようだ・・回り込んで左に入ってゆく。

これまでオートバイはついてくるマイカーはクラクションを鳴らして去ってゆく家族連れが手を上げて右に寄せた・・う
しろにつけて止まる。

車からポットなど持ち出してきてトランクの上に広げている。何事かなと思った、ご主人らいい人と握手。奥さん、母親、
娘さんの4人。こうゆうめずらしい接待は初めてだ

あったかいティ・・蜂蜜を乗せたチャパティをごちそうになる・・次から次と磁石を取り付けたようにわたしのオートバ
イに集まってくる。








わたしはホテルを探している・・奥さんがどこかにか電話してくれている。ゆっくり走るからわたしたちの車のうしろに
ついてくるように・・ありがとう。じゃりみちの場所に入ってゆく・・サッカースタジアムだ。

友だちが車で来た・彼がホテルまで案内してくれるようだ。家族とはバイバイ。一軒目・・だめらしい。二軒目もだめ・・
3軒目ようやく35ドルのホテルに入ることができた。

真面目そうな彼は受付終わる前に「バイバイ」・・ありがとうございました。オートバイは急な坂道の地下パーキング。
あした出すのに苦労しそうだ。

スパーマーケットと聞いて着いたところは小さいお店やさんだった。小さいハム一個買ってホテルに戻る。チャパティは
さっきの家族連れから、フェリーの船員からもらったものがたくさんある。

暑かったアラビア半島・・イランについて13時で35℃ぐらいと・・走っているとだんだん温度が下がる。夕方20℃
を切る涼しさに変わった。

それに雨雲が出てきてこれは雨にやられるな・・・ぽつりときただけ。二度目・・かなり黒い雨雲風も出てきたザーッと
来るのか本降りになるのか・・と思っていると雨雲と反対の方向左に道路が曲がっていく・・・どんどん右へ右へ雨雲か
ら遠ざかって。

3度目・・高原に入って行こうとしている時突風が吹きあれ3度目の正直完全に雨にやられる・・カッパはすぐに出せる
トランクにまだ移していない・・・雨具を出そうにも荷を解いてからが面倒だ・・渋滞してる高原の入り口・・どうした、
事故か。

ぽつぽつ落ちてきた・・。高原から降りて平坦に戻ると右手にカミナリが落ちている・・すぐ右手には真っ黒い雲雨脚も
見えてくる500mもないだろう。両サイドは雨雲。

道路はまっすぐに走っている・・・その上には雨雲がない。右には虹も立っている・・。ぽつりともかなかった。うその
ようなホントの話が3回も続いた。これまでも南米とかアフリカ・・中央アジアでも・何回かあった。偶然でしょうが今
回も太陽に助けられたのかなと思う。

道を聞くタイミングのときバイクが2回とも教えてくれるバイクがいて助かった。ついでにもう一つ。例のトッピ(突飛)
・・スピード殺すため「盛土」をこしらえている、正式名称はあるのでしょうが・・知らないで走っていると突然飛び上
がるからわたしは「突飛」と呼んでいる。



南米でもパキスタンでもスタンドの「土台」そのもがうしろにずれてスタンドが立ちすぎて給油する時や止まった時に場
所選びが大変になってくる。今回もその突飛にやられた。小さいのもの・・大きいものはそれなりに越えられる。

前のタイヤとうしろのがタイヤがちょうどはまった時に「腹=土台」に「ガガ」とつかえてずれてしまうのだ。今回も慎
重に越えようしたけどやられた。

小さい町についたとき・・頼りになりそうな青年のバイクがついてきた・右によせて「スタンドのこと」を話してこの近
くに「溶接屋」さんはないか・・地元の人たちが集まってきた。そこにあるトラックが止まっている陰にある。

地元の青年に運転してもらって2,3mのところに溶接屋さんがあった。おじいさんが一人やっているようだ。こうゆう
風にしてほしい・・地面に書いて頼んだ。




最初切断して「短くして」もらおうと考えていたが「それはダメだ」とおじいさん。じゃースタンドを曲げてもらおう・・
地面に書いたらそれなら「OK」。本体を曲げてもらい・・サブスタンドの位置も二度三度調整しながら曲げてもらった。

心配ごとだったことがあっけなく解消して気持ちが明るくなった。「お金はいくらですか」おじいさんは「ノーノー」い
らないと手を振るだけ。

イヤー助かりました。ありがとうございました。以上イランの走り始めは偶然とはいえ「いいタイミング」で走れてよか
った。


フェリーでイランへ
5月4日日曜   はれ29℃   はれ






9時でもいいと言われていたが・・早めに行こう。オートバイに荷物を積みこんで7時35分にイランチケットサービス会
社に向かい8時10分についた。

「カルネ」を渡した・・これで「OK」だとゆう。うん・・この「カルネ」はどこで受けツルのか・・港で渡すとのこと。
「あなたが持って行くの」「そうだ」心配だけどまかせるしかない。

そのまま港のゲートに走る。先日確認している・・5分ぐらいで9時前についた。ゲートで・・どうすればいいのか。セキ
ュリティの人がていねいに説明してくれているが言葉がわからない。

カスタム(通関・関税)に行って証明書のスタンプをもらってくるように・・目の前にある白いビルに行って・・あっちの
窓口こっちの窓口・・3回目の窓口でOKだった。そこに座って待つように・・そのまま便所座りでしゃがんだ。

窓口の女性が笑っている。そこじゃなくてイスに座れと・・。証明書を受け取ってゲートの裏にある事務所へ15dr=
450円。今度はその証明書を持って船着き場に持って行く。

あった・・イランと書いてある船が。荷物はまだ積んだままである。写真を撮りながら・・あそうなのか・・満ち潮で船が
埠頭と同じ高さになるまで待っているのだった。

あと1時間ぐらいでイランから来た荷物を下ろすようだ。どうも順序がわからない・・オートバイは置いたままタクシーで
ホテルに戻る。





きょうのためニワトリの煮込みとビール2缶・・ゆうべ残しておいたのをがぶりつく。昼寝して2時半過ぎにポルト・ゲー
トにタクシーで向かう。3時に開くと言われたところは荷物の検査などすでに始まっている。

なーんだここはパスポートの出国スタンプを押す場じゃない。船のチケットを渡すところだった・・みたような顔の人が座
っていると思ったらチケットオフィスの人だった。

これまで行っていたチケットオフィスは「売り場」ではなくて受付だけのオフィスだったのだ。オフィスではチケットを渡
さずに港のこの場所で初めて船のチケットを渡す仕組になっているのがわかった・・今はじめて受け取った。


きょうのこと・・まとめてみた。
8時・・イランフェリーチケット・オフィス
8時30分港のゲート・・カスタム
イランフェリー埠頭へオートバイを持って行く
11時ホテルにいったん戻る
15時港ゲート・
17時・・UAE出国手続きするため待機
18時出国手続き始まる・・・全部で5,60人ぐらい
19時出国・・手続き終了
乗客の荷物はトラックに積み込み・・フェリーまで運びそのままイランまで
運ぶ。止めているオートバイの場所でひとりだけ降りてフェリー乗り場へ。
20時すべてマイカートラック積み込んだあと最後にオートバイ積み込み終了
21時弁当配られる・・・いつの間にかフェリーは動いていた。
日本で使っていたフェリー・・らしく「ドアー」に「ひく」とひらがな

朝から夜まで一日中かかったことになった。救いは乗客全員がベッド代わりに長椅子に横になれることだ。わたしは寝袋を
持ってきたいつの間にか長椅子で眠っていた。夜中、床に寝袋を敷き・・あーやっぱりこっちの方がいいな。