松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島~中東~東欧~リトアニア~ポーランド7月28~30日 

2014年07月31日 | 赤道直下と陸路国境148か所
  ポーランド・ワルシャワにつきました














7月30日水曜  はれビリニュス16℃    はれ21℃    はれワルシャワ29℃
6時にゲストハウスを出発・・きょうはポーランド・首都ワルシャワまで約500キロ。きのう市内
から出る道を下見をしてなかったので不安の夜だった・・

到着したときA4、A1の標識を見つけていたのでとりあえず中央駅まで行き・・ドライバーに「ワ
ルシャワ」の道を聞きだす。すんなり幹線道路に乗ることが出来た。

途中、別れ道で間違った道に入ってしまう・・反対車線に戻るため5キロほど走ってUターン。ワル
シャワ方面の道に戻れた。「国境」があったと思われる建物に来た。以前はここが国境だったのだろ
う。

免税店だけ営業している・・リトアニアのお金をポーランド紙幣に両替・・お店の人は1キロ先に両
替「銀行」があると。

あった両替所・・日本人ツアーの人たちも20人ほど同じポーランドのお金に両替に来ていた・・バ
ルト三国を観光してこれからワルシャワに向かうと話していた。年配の人が多い。

両替所を過ぎると片側一車線になった・・これじゃ時間がかかりそうだ。今10時半、レストランで
昼飯。街に入りノロノロ・・それを過ぎると100キロのスピードを出せる・・それなりに走れる。

街に入るたびに時間をとられる。ポーランドには高速道路まだ出来てなかったのかな。ワルシャワ市
内に入る手前30キロからようやく2車線になる。

ナビに従って走ってゲストハウスについたのが5時。しかし「ナビ」があると楽だなー。

行きどまりにあったゲストハウス玄関には「B&B」の看板がとりつけてあった。3階まで重い荷物
を上げるが大変だ。とりあえず5泊予約を入れている。

一泊2600円・・ワルシャワ市内で一番安い宿なのだ(違った・・もっと安い宿が見つかった。
久しぶりに相部屋でなく一人部屋に泊ことになる。(i

マーケットの買い物・・店構えと店の品物はこれまでのベラルーシ、リトアニアと変わりがないと思
ったら・・でっかいスーパーマーケットがあり品物も豊富・・





7月29日火曜       はれ      はれ
けさは違った道の朝の散歩・・・市内をながめられる高台に出た・・・緑が多い、石畳の多いベリニュ
ス市内だ。オートバイを洗って・・あしたポーランド・ワルシャワに向かうことに決めた。

日本人女性・・京都出身Aさん、ベラルーシのビザとりにいったが・・ホテルのインビテーションがな
いとダメだとかでとれなかった、高級ホテルに泊るとインビテーションが手に入るとか話していた。

オートバイの靴・・チャックがこわれてとれてしまった。修理屋にきのう行ったが休み、だったのでき
ょう修理に持って行った。

チャックのとり替えとかかとの方が痛んでいたので修繕してもらう・・1200円。ナビのチップを「
ロシア、東欧」から「ヨーロッパ」に入れ替える(アルメニアでヨーロッパ編を5000円で買った)
・・画面が出てこない。ダメなのか・・縮小してみると画面が出てきてホッとした。

















7月28日月曜       はれ     はれ
ホテルのまわりを・・散歩・・午後も旧市街を歩く・・教会の建物が続いている。けっこう観光客が歩
いている。修学旅行・・子供たちに説明しているガイドさんも。

レストランの前に出してあるガーデン広場にはおいしそうにビールを飲みながら食事している家族もいる。














第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島~中東~東欧~ベラルーシ~リトアニア7月25~27日 

2014年07月28日 | 赤道直下と陸路国境148か所
 ベラルーシからリトアニアにはいる・・・





















かろうじてベラルーシ・・脱出
2014年7月27日日曜       はれ15℃     はれ20℃
5時半にお世話になったゲストハウスを出発・・きのう挨拶は済ませている。玄関の「鍵」、
車を出すゲートを開けるリモコンもレセプションにおいてあることを聞いている。

きょうもいい天気だ・・。リトアニアに抜けるハイウェイの道はきのう確かめていたのだが
昼間と朝とでは風景・・朝日の光で昼間見た風景が黒くなって見えなくなっていた・・それ
でも確かめておいてよかった。

問題なくすんなりとM6に入ることが出来た。バス停で待っている人女性に「この道ビリニ
ュス」・・「OK・・」「真っすぐ・・」と・日曜とあって車は数えるぐらいである。

国境を見逃さないように・・150キロ走って・・ガソリンスタンドに入って・・ドライバー
に聞く。

そのまま走っていくと・・「ボーダ」があると・・わかっていても聞いた方が気持ちが落ち着
く。トラックが1キロ近く並んでいるので・・ここがボーダー国境だ。

トラックをしり目に先頭に出る・・どこの国境でも乗用車・オートバイの手続きはトラックと
は違ったゲートになっている。

手続きに入った、「ロシア出国のスタンプがない」まずいなー「・・・」「ベラルーシの・・
ドキュウメント」「・・・」まずいことになりそうだな・・。

「ロシアとベラルーシの国境がなかった」などと話しても無駄だと思って・・なにを言われても
「だんまり」「しらんぷり」の戦術でいく。

他のドライバーのドキュウメント作成が終わった・・とゆうより夜勤明けの係官の交代の時間の
ようだ・・これからは新しい女性が引き継ぎで待っている・・

男の係官の仕事はわたしのドキュウメント作成が最後になるようだ・・あっちこっち電話を入れ
て・・ドキュウメントが出来上がった・・よしよし。

となりの事務所で最後の「パスポート」スタンプで手続きは終わり。別の係官が来て・・「グリ
ーンカード」(交通事故保険)はあるかと来た・・・マジーイ・・「ヨーロッパでは必要な保健」
なのだ。

グリーンカード「あるか」・・ありますよ「日本の保険証」を出した・・幸いに英語で書いてあ
る・・「ワンイヤー」「一年間の保険証書」ですよ・・日本語で説明・・

納得した・・とゆうより言葉がお互い通じないから面倒になったのだろう・・か。納得しない顔・
「しょうがないってゆう感じ」でおしまい。

ベラルーシの手続きすべて終了8時35分から9時40分・・1時間程かかった。次はリトアニア
入国手続き・・緩衝地帯は50mと短い(狭い)がそこで待たされる。

ようやくリトアニア側に入った・・・ここの手続きはパスポートにスタンプを押すだけだが・・
10台(人)分づつパスポートを預かってスタンプを押して戻している。

結構時間がかかりここでも1時間かかった。パスポートをもらってすべて終わり。10時10分か
ら11時までかかった。

リトアニア・に入った・・首都ビリニュスまで33キロの標識と近い・・ベラルーシと同じ丘陵地
帯・・平原が続く・・。

市内には入って二度道を聴く・・12時前にビリニュスのセントラル駅についた。国境で両替でき
なかったので・・パンク・タイヤ代として大金4万円おろしていたので駅構内にある銀行でリトア
ニア紙幣に両替。

日曜なのでダメだと思ったが駅構内の銀行はあいていたので助かった。タクシーに頼んでゲストハ
ウスに向かう、5,6分でついた。

きのうパソコンで予約していた「センタースティ・ホステル」わたしの部屋は12人部屋一泊・・
1000円。雰囲気から結構泊っている感じ。さっそくマーケットで食料・ビールを買い出し、昼飯
とする・・13時。

ホテルの窓から・見える・・観光客の姿が多いなー・・人気の都市なのだろうか・・陽ざしが強いなー。
ベラルーシは11時頃陽が沈んだ・・。

リトアニアは白夜に近い国・・13年前ヨーロッパを走り2001年6月にポーランドから入った・
・・・11時を過ぎても暗くならない・・日本では考えられなかった、不思議で不思議で驚いたこと
を思い出す。

もっとも・・もっと北のノルウェイでは今の時期、太陽が沈まない・・白夜になっているはず。二回
目になるリトアニア・・今回は南のベラルーシから入ったことになった。

当時・・リトアニアのどこをどう走ったのか・・たしか泊まったユースホステル・は覚えている・・
のほか記憶にない・・思いだしているが・・いまは・・でてこないー。

近くにユースホステルはあるが・・ここのユースとは違うな・・。











2014年7月26日土曜     はれ          はれ
あした、リトアニアに向かうため道路の確認・・・オートバイで走ってみる・・途中オートバイを止め
て・・聞く、行き過ぎたようだ2台目に聞き戻ってM6号線に入るジャンクションを・・

確かめた・・まわりの建物・・ハイウェイの橋の標識・・など間違いないようにと確かめた・・さて、
あしたは、どうなるか。車の数は多くはない・・街の景色・・落ちついた・街中でも3車線の広い道・
・静かな街・・おとなしい街。

めずらしい都市ミンスクだなー走りながら気付いた。あした国境に一番近いバルト三国・のひとつ、
リトアニアに向かうことにした約200キロ。

ほんとうはウクライナ・キエフまで行きたかったが・・ベラルーシから直接だと時間がかかりそうだし
・・ロシア圏とウクライナ・・今もめていることもあるし、

国境でも時間がとられそうなのでヨーロッパから回り込んだ方がいいのではないかと・・思い直して回
り道してはいることにした。










はずかしい・・70才にして7才のこどもにおしえられる
2014年7月25日金曜     はれ      はれ
ベラルーシのビザ、オートバイのパンクの修理・・とりあえず・・気になることはすませた。気持ちも
楽になり・・一日ゆっくりできそうだ・・

着いたころ2,3日は黒い雲が出てきて夕方パラパラ雨が降ってきたが、ここにきて天気の方も落ち着
いてきたようだ。ゲストハウスの掃除の日なのか・・7才と9才の息子がいる・・

きょうは7才の息子は床の掃除を一人で始めている。トイレ、廊下・リビング・・ブラシを使い最後は
布で仕上げる。手抜きなどしない広いリビングの掃除の仕方に感心。

わたしは子供のころ手抜きは当たり前・・中学生のころ「タンクサ」(田の草)とりで小さい「水車が
ついた」機械を「ガラガラ」押して稲と稲の間を転がして草が生えないように・・草採りをやらされて
いた。

一列づつやるのだ、ガラガラ機械を押すと田んぼが濁ってしまう・・。早く終わらせたいから、わから
ないだろうと一段ぬかし二段ぬかし・・「せこい」気持ちが出てくる。

しかし水が澄んできれいな田んぼに戻ると・・ぬかした、飛ばした(さぼった)形が、歴然とわかる
(見えてくる)。わたしの子供のころに比べると7才にして「手を抜かない」・・親のしつけとゆうよ
り・・親がやって見せてきたのだろうか・・。

その母親はカーテンをはずして高いレールの上まできれいに拭きとっている。7才の掃除を見て・・
それからは廊下を歩くのにも・・手洗いで水を使う時も・・汚さないように気をつけるようにしてい
る、掃除する子供(家族)に申しわけない気持ちだ。70才にもなって7才の子供に教えられている。


第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島~中東~東欧~ベラルーシ 7月21~24日 

2014年07月25日 | 赤道直下と陸路国境148か所




「一難去ってまた一難」・・ビザがとれたと思ったら・・今度はパンク
2014年7月24日木曜     はれ16℃      はれ
半そででは肌寒い・・長袖を着てちょうどいい朝の散歩。きょうはパンクしているタイヤの
交換・・ホテルのオーナーとお父さんがついてきてくれる。

マンションの車庫にあるコンプレッサーで減っているオートバイ・フロントタイヤに空気を
入れるが・・空気入れの器具がなくてだめ。そのままゆっくりハンドルをとられながらタイ
ヤ交換に行く。

ついたところはパンクしたタイヤの修理専門工場。きのうの話では旧いタイヤと交換すると
のことであったように聞いていた。パンクしたタイヤを修理して使うようだ。

車のタイヤ交換は素早くとり替えているが、オートバイのタイヤを外せない。別のオートバ
イ・テクニックを呼んでとり替えてもらうらしい。ハーレーに乗った格好いい若い長身のテ
クニック・エンジニアがすぐにやってきた、頼りになりそうだ。

すぐにフロントタイヤを外してパンクを直す。9時から始まって11時にすべて終わった・。
パンク修理代1000円。

オートバイ・テクニックの若い人は「プレゼントする」とお金は受け取らず立ち去った。2時
を忘れてきたのでみなさんを撮れなかった・・気になっていた「ベラルーシ・ビザ」「タイ
ヤのパンク修理」が終わって気持ちが楽になった。

これで残り三日間ゆっくりできそうだ。ホテルのオーナ、ルシェさん・きょうも最後までパン
ク修理につきあってもらいありがとうございました。

ゲストハウスにはオーナーのいとこの子供たちも近くにいるらしく遊びに来てにぎやかで・・
しかも感心するのは・・・家事の手伝いを言われないでもやってのける。

11才が一番上の女の子、小学5年生ぐらいだろう。泊り客も夫婦連れもふた組泊っている。
キッチンを自由に使えるの助かっている。マーケットで巻きすしを売っているのでここんとこ、
毎日買っている、1個30円









心配だったベラルーシのビザ・・とれた。
2014年7月23日水曜    はれ16℃         はれ21℃
11時に出入管理事務所に・・オートバイでひとりで行った・・空気が抜けて段差があるとこ
ろではハンドルとられる・・危ないからゆっくり走ろう。

10分たらずで出入管理事務所についた。マイカーが止めてある・・そのうしろにオートバ
イは路上に止める。

きのう振り込んだ銀行「証明書」を出す・・きのういっしょだったホテルの男の人はどうし
た・・「ドキュウメントが必要」と言ってるようだ。

ホテルの彼の携帯電話を入れてもらった・・すぐに来てもらうように・・話してくれたと思
うが。待てど待てど・・1時間たっても来ない・・12時を過ぎている・・

ふたたび電話を入れてもらった「きのうイレブンと言ったじゃないか」・・ホテルの彼には
まったく関係ないが・・「イレブン・イレブン・タイム」はげしい日本語でまくしたてる・。

係官の女性2人もびっくりしている。彼がようやくやってきた・・申請書に彼が記入する項目
・・証明するところがあるようだ・・。申請書を提出・・

今度は「ビザ」発行の担当室へ・・わたしの前に3人が待っている・・わたしの番が来た1時
40分から2時30分までかかって出来上がったビザは6日間(28日まで)だけだった。

まぁしょうがない・・モスクワまで戻ってバルト三国の方に抜けてほうが楽ではないか
と途中・・一時考えていたこともあった。

どうにかショットビザが出たので・・「よしとしよう」・・ゲストハウスに戻って・・今度は
釘が刺さったオートバイのフロント・タイヤ・・に取り組む。

タイヤ交換してもらおうとホテルのオーナーに頼んでいた。きょう中に新しいタイヤを持って
きてくれるようになっていたが・・夕方になって・・「古いタイヤ」でいいかときた・・

何とも頼りないホテルのオーナーの対応だ・・何でもいいからとにかく走れる「タイヤ」にし
てくれればいい。

言葉が通じなのでいたしかたないことだ。精一杯連絡してもらっているのでお願いするしかな
い・・。

あした朝8時に修理屋に向かうことになった・まったくどうなるのかわからないから・あした
「朝8時に」あした「朝8時に」大丈夫か・・

何回も確かめる。お父さんが付き添ってくれることになっている。そう言えばお父さんが採って
きた「キノコ漬」ビンに詰めたものを頂いた・・日本のキノコ漬とまったく同じでうまかった。

ビールのつまみに持ってこいの最高の味。どうなることかと心配だったベルラーシの「ビザ」が
きょうとれてまずは一安心・・。

相手にはつうじてはないとは思うけど・・自分さえよければすべてよしの考えが・・もろに出て
きた・・オーナーのロシェさん・・すみませんでした。








2014年7月22日月曜      はれ16℃       くもり
国境がなかった・・ベラルーシ入国116カ国目のスタンプがない不安の夜・・「なるように
しかならない」しょうがない「来てしまったことだ」「あした・あした」・・

ビールを飲んでいつの間にか・・ぐっすり寝ていた。ホテルのオーナーが日本大使館に電話を
入れてくれた(わたしは日本を出る時から携帯電話は持ってない)四者会談が始まる、

日本大使館の日本人館員と現地の人・・ホテル側もわたしとホテル・オーナー。要するにど
ちら側にもスクランブル通訳が必要なので時間がかかる。

日本の「出入国管理事務所」にあたるところにいってベラルーシの「証明」をもらえとのこと
らしい。ホテルのオーナーのお父さんが車で来てくれてその出入管理オフィスに3人で向かう。

待っている人たちが10人足らずだが・・受付もない・・順番がどうなっているのか・もわか
らないまましばらく待った。

「ビザなし入国」「罰金」100ドル=1万円・・手数料1500円その他750円・=トー
タル1万2250円を銀行で振り込んだ

振り込んだ領収書を持って・・あした23日午前11時再び出入国管理事務所にいって・・ベ
ラルーシ入国のスタンプがもらえるようだ・・。

その手続きを銀行にいってすべて済ませた。いろいろとお手数かけました。ホテルのオーナー
とお父さん・・ありがとうございました。

帰りにマーケットに寄ってホテルに戻ると・・おととスクーターでひっぱてくれたおじさん
が玄関で待っていた・・

ベラルーシのオートバイサークルの「ステッカー」と「バッチ」をわざわざ届けに来てくれ
たのだ、ありがとうございました。

車庫で仕事していた・・お父さんがわたしのオートバイ・タイヤに「釘が刺さっている」
と教えに来てくれた・・幸いにもタイヤカバーから目に見えるところに「釘」が刺さって
いるのを見つけてくれた。

わからないままだったら・・どこまで走っていたのやら・、早目にわかってよかった。明日
「入出事務所」の手続きが終わったらタイヤ交換に行こう・・「一難去ってまた一難」・・

トラブル続きの旅・・まさにトラブラー(トラベル)とはこのことだろうか・・。


2014年7月21日月曜      はれ      はれ
朝の散歩・・静かなホテルのまわりを2時間歩いた・・気になるベラルーシ入国ビザそのま
まヨーロッパに抜けることができるのか・・国境でどうなるのか・・心配だな。

ホテルのスタッフに「べラルーシ・・入国」スタンプについて・・を聞いてみる。日本大使
館に電話で確かめてみるとのこと・・。よろしくお願いします。







第7次。70才・オートバイひとり旅・アラビア半島~中東~東欧~ロシア~ベラルーシ 7月19~20日

2014年07月21日 | 赤道直下と陸路国境148か所




ロシア~ベラルーシの国境がない・・
2014年7月20日日曜     はれ8℃    はれ18℃
5時30分・・モスクワからベラルーシ・首都ミンクスに向かう700k・・・寒さを感じる、壊れていたと思っていた温度
計をみると8℃をさしている、どうりで走っていると寒さを感じる。

幹線道路・M1に入ってきょうは一本道・・いい道が続いてほしいと願う。日曜とあって車の数も少ない。運よく小さい町に
ATMがあったガソリン代が足りなくなりそうだったので下ろした。

500キロぐらいで国境に着くはずだ・・スタンドのおやじさんは「あと100キロ」「スタンプ」と言ってくれた。ちょうど
500キロあたりになる。

たしかベルラーシの国は「ビザ」なしでよかったはずだ・・途中で心配になってきた・・どうして調べてこなかったのだろう・。
不安になりながら走り続ける・・

もし「ビザ」が必要と言われたら・・モスクワまで引き返すのか・・きついなー、まぁ国境についてからだ。なかなか国境が出
てこない・・600キロを過ぎた・・もう「国境はない」なー。

食堂で腹ごしらえ・・国境のこと聞くがちんぷんかんぷんで言葉が通じない。そのままミンスク市内に入った。いつものように
ホテルまでひっぱてもらおう・・オートバイ4,5台集まっている・・ちょうどいい。

一人の若者にアドレスを見せて、ここまで引っ張ってくれと頼んだ・・。反対車線では・・うしろのタイヤだけで立ち上げ・・
曲芸よろしく・・走りを続けている。

聞いているその仲間は人のこと構っていられないといった感じ・・それでもホテルに電話して「ホテルまで30キロ」ぐらいと
教えてくれた。











しばらくしてスクーターの人に頼んでホテルまで・・混雑する市内を10キロ以上走ったろうか・・ゲストハウスまで引っ張っ
てもらった。どこかに行く用事もあったろうに・・すみませんでした・・ありがとうございました。17時になっている。

ゲストハウスはマンションを改造してホテルにしているようだ・・こぎれいでまだ新しい感じのするゲストハウス・・1000円
とは格安も格安だ・・。

ところで国境がなかった話をした・・ロシアビザ26日までなのでヨーロッパに入国すれば大丈夫とかの話しになったが・・。こ
れまでロシア「ビザ」26日までなので25日あたりに出国すれば「いいだろう」と考えていた。

しかし考えてみるとロシアを早めに出てきてよかったな・・。きょうはモスクワからミンスクまで・・最後までいい道が続いて気
持ちよかった・・・が。

いったいどうなっているのだろうか・・ロシアとベラルーシの国境・・あったのかな、「ロシア出国」「ベラルーシ入国」スタン
プが「ない」と、どうなるのか・・不安が残る。

2014年7月19日土曜     はれ      はれ
寒くもない暑くもない・朝はさわやかな感じがする18℃ぐらいと思われる。きょうもクレムリンまで朝の散歩・・なんとなく静
か・・土曜日・・だからだろう・・。あした移動しよう・・。ベルシーナ・・ミンクスまで約700キロ・・。

泊っているゲストハウス「Sentral・hostel」はいごごちがよかった方・・クレムリンも歩いて行ける距離。ドミトリー12人部
屋1500円。食事代ビール代入れても3000円以内でおさまる。オートバイ、ガソリン代はこれにプラス。

他に個室もあり全部で20人ぐらい泊まれる。きょうでお別れだ。





第7次。70才・オートバイひとり旅・アラビア半島~中東~東欧~ロシア・モスクワ 7月16~18日

2014年07月19日 | 赤道直下と陸路国境148か所







初めて乗ったモスクワ川・・遊覧船
2014年7月18日金曜   はれ 温度計が壊れているようだ・・測れない   はれ    
遊覧船に乗るため・・午後オートバイで行くため・・歩いてモスクワ川の船乗り場を確かめに行く
・・橋を渡って・・すぐにUターン・・船着場に着ける。午後2時過ぎ遊覧船に乗る。

片道500RB1500円・チケットを買った。1500円で戻ってくるチケットだと思っていた
が違った・・片道終点までのチケットだと・・終点に着いたら・・まぁ帰りのチケットを買おう。

片道1時間30分かかるらしい。モスクワ川に沿ってこんなに森があるのか・・モスクワ川の外側
はこんもりこもった森になっている・・

ガラス張りの豪華船・・食事しながら遊覧・色とりどりの遊覧船・・と行きかう・・川の色が茶色
・・きれいな水ではないな・・。

そう言えば朝釣りをしている人がいて・・ハゼのいとこ、フナみたいなものを釣っていたのを見た。
結構長いと思われる・・モスクワ川の源流はどこなのだろうか。

見えてきたクレムリンの建物・・わたしだけじゃない・・他の乗船客も写真撮りに忙しい・・・日
本人に・似た、イヤわたしが似ているのだろう・・

「わたしはジャパン」・・「どこから」「キルギスです」キルギスから来ている親子、アジアの人
なつっこい丸笑顔はいいねー。

陸地から見るクレムリンもいい・・モスクワ川から見る風景もいいー。終点に到着・・チケットを買
い直して・・オートバイを置いてあるスタート地点に戻る。


クレムリン城壁を一周回ってみた






2014年7月17日木曜      はれ            はれ
きょうの朝の散歩・・クレムリンの城壁をグルーっと一周してみよう・・西から南・・東へそして・・
北の赤の広場・・西に戻ってきた・・ゆっくり写真撮って約1時間ぐらいで回れた。

ロシアの北の果て・・ノルウェイの国境近くまで列車を使って行ってみようと検討したが片道1日半
・・26日にロシア・ビザが切れるので、帰ってくるまでちょっと無理のようだ・・。

これからの・・ヨーロッパ・アフリカなど走って来年の夏に再びモスクワに戻ってシベリア横断
して日本に帰る予定・・その時に検討してみよう。

ホテルは12人ベッドの内・・今泊り客が4人に・・一人増えて5人。





2014年7月16日水曜      はれ         はれ31℃
朝の散歩・・クレムリンまで・・30分ぐらいでつく。炎が燃え続ける1941年から45年までの
戦争で亡くなった「無名戦士の墓」だと思われる・・

きのうの朝と同じ衛兵隊の交代は8時になっているようだ。きょうまで連続6日間・・クレムリンに
来た。

やはり来るたびに新しいものを見ることができる。一体クレムリンの周囲は何キロぐらいあるのだろ
うか・・歩いて確認してみたいが・・出来るかどうか。







第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島~中東~東欧~ロシア・モスクワ7月12~14日 

2014年07月15日 | 赤道直下と陸路国境148か所








2014年7月14日月曜     はれ18℃       はれ18℃
12時前・ルベンさんが車で迎えに来てくれた・・パンクしていたタイヤの交換のためオートバイ屋
まで案内してもらうのだ・・タンニャさんがルベンさんに頼んでくれていた。

あつかましく・・①タイヤ交換が終わったら ②カメラの日付がスイッチが切れるたびに入力するよ
うになってしまっている・・カメラ屋に寄ってほしいと頼んだ。

タイヤ代のお金は10000RB=3万円とタンニャさんから聞いていたので渡した。ホンダオートバイ
店へ・・タイヤ交換してもらっている。

その間にカメラ店に向かう・・秋葉原の電気街のような・・ビル2棟がエレクトロのお店になってい
た。カメラ屋でさっそく毎回スイッチを入れるたびに「日付変更」は内蔵されているバッテリーが期
限が過ぎていたようだ。

小さい丸いバッテリーを入れ替えてもらったら直った。どこでどうなったのか・・一眼レフカメラを
わたしにプレゼントすると・・ルベンさん。

ええー恐縮するばかりで申し訳ない気持ちだ・・ありがとうございます。オートバイ屋に戻るとタイ
ヤ交換は終わっていた。

「いくらですか」・・「サービスです」とオーナーの返事・・イヤー、前回も「ただ」だったし・・
申し訳ないです。

「サービスですと」笑顔で応えてくれる・・ほんとすみません。何もかも面倒見てもらい・ありがと
うございました。






2014年7月13日日曜      はれ           はれ
午後、はじめて一人でモスクワ市内を走ってみた・・歩いて30分のところをオートバイでも30分
かかった・・。

歩くのと違って思ったように曲がれない・・ほとんど一通の道になって左に曲がれない・・戻ってく
るのに時間がかかった。クレムリンまで走ってどうにかホテルに戻ることが出来た。











2014年7月12日土曜      はれ     はれ
きのうと変わって寒さは感じない・・きのうと同じ散歩・・モスクワ川まで片道50分。
夕方タンニャライダーがオートバイで迎えに来てくれた・・いつものようにモスクワ大学前に集まっ
ている・・場所へ・・その途中別のオートバイ・サークルのイベント会場に。

13年前に会ったことのある・・ベンツの兄ちゃんが来ていた・・しばらくでした、相手も覚えて
くれていた何かしら・・紹介されて・・シャツをもらった。

今度はモスクワ大学前の高台に移動・・先日の夜は寒かったせいか・・オートバイは見かけなかっ
たが・・きょうは土曜日とあって・・来ている、来ている・・。

陽が落ちた10時それでもまだ明るい・・広場いっぱいに集まって・・100台を越えているよう
だ。自慢のオートバイ・・それぞれ・・大型から・・中型・・小さいのは見かけない。

わたしのオートバイもめずらしいのか・・興味ある人たちが質問してきた。世界を走っている人は
そんなにはいないようだ。12時近くホテルに戻る。

パンクしたタイヤの交換のためルベンさんが13日12時にホテルまで迎えに来るからと・・タン
ニャさん・・。今回も早々とタイヤの手配をすませてくれていた・・ありがとう。








同宿の仲間と12人相部屋1500円と格安・・このほかにシングル、ダブル個室もある




第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島~中東~東欧~ロシア・モスクワ 7月9・10・11日 

2014年07月12日 | 赤道直下と陸路国境148か所









7月11日金曜     くもり9℃     くもり15℃
温度計10℃を切って9℃・・散歩に出かけるが肌寒い・・ナビのテストをやってみるがエンジン
をかけるとやっぱり消えてしまう。

きょうは違った方向に歩いてみる・・モスクワ大学の方面を目指して歩くがたどりつくことはでき
なかった。それにしても寒い・・ポケットの手を突っ込んで歩いている人もいる。

12時にモスクワ市内を案内してくれるルベンさんがホテルまで来てくれた。でっかいはらと17
00ccのでっかいハーレオートバイでやってきた。ルベンさん毎日が「休み」と笑って話していた
・・エンジニア・社長らしい。

市内見学を終わったら・・①エンジンの「音」・・カチカチとかすかにするのを聴いてもらいせて直
してもらうオートバイ屋を紹介してほしい ②ナビがエンジンをかけると消えてしまうので見てほし
いと・・走る前に頼んだ。

ルベンさん「OKOK」ノンプレグラム・・。モスクワ大学・・結婚式を挙げているカップルに出会
う。・・クレムリン・・見学。

知り合いなのか・・ホンダ・オートバイサービスに向かう。ルベンさんに話したことをホンダの人に
伝えてくれた。

検査台にあげた・・タイヤの空気が減っているとなんと釘が刺さっていた、これまで走っていて気
がつかなかったなー。釘が刺さったのはアルゼンチンに次いで2回目この時も気がつかず走っていた。
アフリカ・マリーでパンク一回。これでパンク修理は三回目。

エンジン音の異常は・・エンジンから直結している「マフラーのねじ」が緩んでいた。オイル・オイ
ルフィルター交換・・ナビの修理・・が終わってエンジンをかけると「軽快」な「音」に変わって気
持ちがいい。

修理代は「プレゼント」すると言ってくれている・・ルベンさんが払ってくれたのか・・それともホ
ンダがサービスしてくれたのか・・。

すみませんでした・・ありがとうございました。最後にみなさんと記念写真を撮ってホテルに戻る。

あー気になっていたエンジン音も軽快な音に・・、ナビも使えるようになってうれしい。














7月10日木曜       はれ       はれ
朝の散歩・・ホテルはどの位置にあるのか少しでも確かめておきたい・・当てもなく歩いていると・・
とんがった屋根が見えてきた・・もしかしたらクレムリンかも。

通勤の女性に聞いたら「そうだ、クレムリン」歩いて7分ぐらいと教えてもらう。クレムリンにすぐ
についた。ホテルから歩いてこられる距離なんだ・・。

12人相部屋であるが一泊1500円は安い。東京の山の手線内・・新宿あたりの場所になるのだろ
うか・・。

タンニャさんが夜8時にホテルに迎えに来るときのう電話がフロントに連絡があったらしい・・メモ
をもらった。

9日にあったオートバイ仲間・高級レストランの仲間がホテルの場所を連絡してくれていた。車でオ
ートバイ仲間3人が迎えに来てくれた。

タンニャさんとは11年ぶり3回目。レストランに向かうとオートバイ仲間が集まっていた。ひとし
きりこれまでの旅の話を・・させてもらった。

タンニャさんとは1回目、2001年6月会った時はオートバイ雑誌の編集長とか話していた。2回
目2003年7月・・3回目が今回。

いつも面倒見てくれてお世話になっている。2回目のときオートバイギアーが故障して・・部品の調
達・・オートバイ屋の紹介など迷惑をかけた。

いつも夜になるとモスクワ大学前の高台にオートバイ仲間が100台近く集まり・・・そのみんなと
レストランに繰り出していた。もしかしたらライダーのボス的存在かもしれない・・

タンニャさんと会ってから2,3年前のように感じるがあれから10年もたつ・そう言えば彼女は結
婚したと・・結婚指輪を見せてくれた。

きょうは車なので・・楽だ、モスクワの夜景めぐりに向かう。いつ頃からライトアップしているのだ
ろうか・・クレムリン・・初めて見る夜景。昼のクレムリンとはまた違った光景におどろく。

あした仲間がモスクワ市内を案内してくれるとのこと・・ありがたい。


7月9日水曜    はれ10℃     はれ18℃     はれ29℃
残り400キロ・・午前中11時頃にはモスクワに着くだろう・・。道はいい100キロ120キロ
で走る。モスクワ市内に11時15分に入った。

いつもようにオートバイをつかまえたハーレーのバイクだ・・「ソーリ・セントラル」「クレムリン」
まで引っ張ってくれ・・

クレムリンは「真っすぐに走って」・・説明するのが面倒くさくなったのか・・まぁいいや「俺につ
いてこい」とゆう感じ。


10分かそこいらで到着するのだろうと思っていたら走るに走る。モスクワ川に沿って・・どんどん
走る、出てきたクレムリン。

彼はオートバイを止めて写真を撮れと勧め・わたしをいれて撮ってくれた。ここからの眺めのいい写
真は初めてだ。それでもまだまだモスクワ川に沿って走ってついに橋を渡る。ついにクレムリンに着
いた。

12時を回っている。なんと40分近く走ってくれたことになる。仕事は大丈夫だろうか・・彼は「
オーエン」とゆう35才ぐらいに見える。イヤーありがとうございました。

バルト三国・ラトビアからモスクワに入った一回目13年前(2001年6月)に来た時赤の広場ま
で入り込んでクレムリンをバックに写真を撮った。

二回目2003年7月のときは入れなかった。今回2014年7月9日で三回目のクレムリンに来たこ
とになる。

よし・・いちかばちか・・おまわりにつかまったらそれでよし・・縁石越えて遊歩道に入るのにタク
シーが邪魔だ・・そこに入るのでどいてくれと・・たのんでよけてもらう。

遊歩道をソロソロ走り、意を決して赤の広場に入りこむ。途中で止める人はいない・・鎖のある「赤
の広場」に着いた。赤の広場をバックにさっそく近くにいた人に写真を撮ってもらう・・

観光客もめずらしいのだろうオートバイとわたしの写真を撮っている。きた・きた、おまわりさんが
やってきた。

目の色変えて怒っている・・「ダメだ」これしかない言葉「ソーリ・ワンミニッツ」すぐに出ていく
から。写真は撮った・うまく撮れているのかどうか。

赤の広場にまずは入りこめたことで満足しよう。おまわりさん・・すみませんでした。前回来た時泊
ったロシア・ホテルがない・クレムリンが目の前だった。

これから建て替えるのか・・更地になっている。更地を見ながらそろそろ走っているとBMの大型オ
ートバイが停まった「どうした」とゆう顔。

実はこれから予約しているホテルへタクシーに頼んで向かおうとしていたのだ。「ソーリ」「マイジ
ャパン」から来たホテルを探している。

ホテルのアドレスを書いた「メモ用紙」を見せた。自分のナビに入れて・・「OK」・・その前にわ
たしのレストランに来て食べてから・・ホテルまで案内する。

ありがたい、あさから水だけで走ってきた・・彼の店、レストランは2,3分でついた。わたしなど
はいれない高級レストランだった・・ほんとうはステーキを喰いたかった・・。

「スー・・」口に出かけたが・・スパゲティとビールを注文。彼は「セルギ―」とゆう名前。喰い終
わって・・もしかしたら知っているかもしれないモスクワの女性ライダーの名前を出してみた

「タンニャ」「モスクワのボス」・・名前は「ブルー・・」メールの名前を出したら・・・すぐに電
話を入れてくれた、タンニャさんのこと彼も知っているのようだ。

タンニャさんには10日ごろモスクワに着くとメールはいれていた。偶然にも知り合いだったのだ。
変わって電話に出た「久しぶり」のタンニャさんと話す・・と言っても日本語英語。

彼セルギーさんの話ではこれからホテルに向かってホテルの場所と電話番号わかったら・・タンニャ
さんに電話で知らせるとのこと・・スパゲティ・うまかったです・・食事ごちそうさまでした。

帰りにビールをおみやげにいただいて・・ホテルまで送ってくれたのはレストランで働くオートバイ
仲間、3人目。

3度・4度停まってナビを確認・・探してくれたホステルは大通りにあった。いやーありがとうござ
いました。

12人の相部屋・・一泊1500円。今晩のおかず近くのスーパーで食料を仕入れて早めの晩飯とし
た。モスクワでしばらくゆっくりしたい。




第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島~中東~東欧~ロシア 7月4日~8日 

2014年07月09日 | 赤道直下と陸路国境148か所


7月6日日曜  朝から雨   
静かな朝・・・明るさがないと思ったら雨だ。よかったきょう出発しなくて、もっとも雨だったら出発
はやめるけど。

陽ざしも出てきたので午後「ナビ」のテストを兼ねて黒海沿岸のグルジア(ジョージア)国境まで走って
みた。

ナビに頼って走っていると・・団地に入りこんで行きどまり・・どうなってんだ・・このナビは。ナビを
無視して走る・・U―タンの表示だ・・ここがグルジア国境。

ロシアの人はジョージアよりグルジアの方が発音するようだ。国境はブルーの板で閉鎖されている・・で
も歩いて国境の入っていく旅行者らしい人がいる。

国境係官がここは歩いて行く国境だ。オートバイは向こうにまわって・・と怒るような言葉で説明してく
れるが内容はわからない・・車に乗った制服を着た人のあとについて行けと・・ありがとう。

わたしは国境を見るためであって・・渡るのではないが・・制服を着た車のあとについてゆく。Uターン
してすぐに左に入ったところに車が通れる国境があった。

車が並んでいるとゆうことは・・ロシアからグルジアに向かうこと出来るってゆうことなのか・・しかし
グルジアからはロシアに入れないってゆうことなのか・・どうなっているのだろう。まずは国境がどうな
っているのか、はっきり確認出来たので「よし」としよう。

雨が降ったりやんだり・・カッパを途中で着たり脱いだりしてガソリンを入れてホテルに戻る。あした
7月7日からモスクワに向かって走る・・晴れてくれーい。










7月5日土曜    どんよりのくもり   午後から雨降ったりやんだり
「ナビ」の接触が悪いのか・・途中で消えてしまったりするのでおとといコードを買ったが・・テストし
てみたらどうもうまくつながらない、オートバイで買ったお店まで走って交換してもらった。

テストしてみたら・・こんどはOKのようだ。これから長丁場を走るのでやっぱり「ナビ」があるといち
いち途中で地元の人に聞かなくてもすむので気持ちが楽だ。まぁそれでも要所・ 要所では地元の人に聞
きはするけれど・・。

ソチについて最初オートバイでホテルまで引っ張ってくれたり、オリンピック・パークまで案内してくれ
たり、地元の人たちの懇親会交流とか・・設定してもらっている。

イーオンさん・・あらため「イーバン」さんが夕方ホテルにやってきた。忘れていたパソコンのコード・
マウスも届けてくれた、それに世界地図・裏にはロシア版の地図、ソチオリンピックのストラップ、タオ
ル、アノラックもプレゼントしてくれる。ありがとう。

モスクワに行く時イーバンさんの「実家」によってくれと・・彼が言う。ウクライナ国境に近いところら
しい・・さっそくナビに彼の「実家」の場所を入力してくれた。

イーバンさんは23才・・日本のわたしの息子40才より・・しっかりしている。マーケットで買い物し
てもフィフティ・フィフティ半分づつ払いましょう・・他人の家にいってもちゃんと「おじゃましす」と
あいさつする・・当り前だけど出来ない人もいる。

お世話になっている家の帰りの時間も早めにきりあげる。使いきった電池捨てていいのか「OK・OK」
と回答を期待して話したら・・「ノーノー」自分のホテルまで持って帰って捨てろ・・と、分別の考えが
若い彼たちには浸透しているようだ。

日本でもあまり見かけない、聴かない・・物事をわきまえているイーバンさんはアルコールも飲まない・・
口にしない・めずらしいロシア人の好青年だ。

親が飲まない性格なのか・・飲み過ぎた影響なのか・・勝手に想像する。恥ずかしいことだけど・・アルコ
ールはやめられないなー・・。

電車に乗って次の車両に移ろうと歩いていた時「あーくさい」・・と聞こえてきた。タバコの「におい」だ
ったのだ・・歩いただけで匂いがするほど身体にしみ込んでいたのだろう。

50才の頃タバコはやめたり吸ったり・・・完全にやめたのはアフリカの旅、2008年12月南アフリカ
でやめた。

7月4日金曜        はれ       はれ
朝の散歩の帰りにビールを買いに行く・・マーケット、酒屋さんも11時からでないと「売れない」「買え
ない」とのこと・・並んでいたレジで、うしろのご婦人が「何か言ってる」ことはこのことだったか。

午後銀行へT/Cトラベルチェックの両替にいった。ロシア銀行ダメ・・ユーロ銀行もダメ。どこの国で両替
できるのだろうか・・。カメラに使う電池、歯ブラシ、トマト、タマネギ、しょうが、とり肉をマーケット
で買う。


第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島~中東~東欧~ロシア 6月30~7月3日

2014年07月04日 | 赤道直下と陸路国境148か所











2014年7月3日木曜      はれ20℃        はれ
2時すぎまで飲んでいた、寝ている仲間・・「お世話になりました」と挨拶してアパートを
7時出発。

グルジアの国境までと思って走りだしたが「ナビ」が開かない・・・途中国境への道が分か
らなくなってホテルに戻る。

パソコンのコード、マウスをゆうべどこかに忘れてきた・・かなしいかな、パソコンが使え
ないのは落ち着かない「精神」になってくる・・近くの電気ショップで買い求める。









2014年7月2日水曜      はれ20℃          はれ28℃
「マツオー」ときのうホテルまで引っ張ってくれたイーオンさんがやってきた。これからオ
リンピックパークに向かう・・

帰りは9時頃になると・・おれは暗くなってからの走りは「ダメだ」・・じゃ「泊って」あ
した戻ってくればいい・・洗面具を用意して出発。

途中オートバイ仲間のところに寄った・・そのとなりにはなんと「津波・すし屋」・・我慢
できなくてお店に入って注文・・マグロ、サーモン、エビ、久しぶりで味は、まぁまぁうま
かった。

5キロでオリンピックパークに着いた。40キロと聞いていたが30キロ足らずだった。仲間
がふえて4人でパークに入った。

7時を過ぎているが太陽はまだ高い。オリンピック本会場など・・ぐるぐる回って記念写真を
一杯撮って自慢しよう。選手村らしいアパートを撮っていると・・そのアパートに入っていく。

イーオンさんはここのアパートに住んでいるとこと。イーオンさんはオリンピック・レジャー
施設のエンジニアをしていると話す。

アパートの中にある24時間オープンのマーケットで食料を買いこんで仲間の部屋に入ってまず
はカンパーイ。

楽しい仲間たちだ・・職業はいろいろ・・6,7人集まってしゃべりまくる。11時過ぎに中庭
に出て飲み会は続く・・イーオンさんはあした仕事のため・仲間の家に泊めてもらった。

1DKの部屋・・シングルベッドふたつ・・浴室のみ、家族ではちょっと狭すぎる・・独身用ア
パートだろう・・。






2014年7月1日火曜       はれ18℃            はれ31℃ 
きょうは「ソチ」まで・・500キロ。きのうパトカーのおまわりさんがわかりやすく紙に書いて
くれた・・

5キロ走ってソチ行きガードをくぐってから回り込んで・・さらに130キロ走ってソチ行きガー
ドをくぐって・・まわりこんで・・ソチ行きの本線に・・。

その通りキロ程もぴったり・・・ありがたかった。これまで目的地まで簡単にわかりやすく紙に書
いてもらったのは・・スコットランドの近くだった・・のに続いて二回目だ。

口であれこれ説明してくれる人はいっぱいいるが・・目的まで簡単にわかりやす説明できる人はそ
んなには・・いない

ソチに着いた。最後の160キロは海岸線の特有の小さいカーブが何百回と続いて、4時間かかっ
た。オリンピックのときはさぞ渋滞だっただろう。











ソチ市内ついてすぐにオートバイが走ってきた・・いつものようにクラクションを鳴らして・・・
停まってらった。

「ソーリ」ホテルまでひっぱてもらいたい。青年の走るうしろをついてゆく。彼はタクシーに聞い
て・・ホテルの場所に着いた。

その場所にホテルがない・・表のホテルにいって場所を確認、同じ場所にまた戻って来た。なんと
同じ棟の中に5軒も入っているその中の一軒だった。

看板などないのでわからなかったのだ、1時間半も探してもらった・・あげくに・・あした16時
頃迎えに来る・・オリンピックパークを案内するからと。イーオンさんありがとうございました。

ゲストハウス1650円・・8人部屋。黒海まで7,8分の快適で静かなゲストハウス。泊り客は
一人いるようだが・・まだ戻っていない。






2014年6月30日月曜  朝くもり12℃    くもりのちはれ    はれ28℃    
お世話になりました。ご主人アレッグoleg さん、奥さんにお礼を述べて7時20分に出発。途中
までアレッグさんに誘導してもらった。

道の真ん中に穴ぼこ・・マンホールがそっくり穴になっているジョージアの道と違って安心して走
ることができる。穴ぼこを避けるとゆうことがなくなり気持ちの上で楽に走ることがうれしい。

80キロ平均で走れる。きょうは約500キロ・・「ソチ」に入る別れる街までの予定・・何回か
道を間違えて・・元に戻ったりしながらどうにか目的の町「・・ドスキン」まで・・

パトカーに連れてきてもらった。わたしの「ナビ」は近道なのか途中から本線から細い道路左に入
っていく。

パトカーがいた「この道」「ソチ」に行くの・・「ノー」戻ってもっと先から左に入れ・・なんと
親切なパトカーが誘導してガススタンドとホテルまで案内してくれた。ありがとうございました。

案内してもらったガススタンドのそばにあるホテルに泊ろう・・さっそく買い物・・生ビールの量
り売り・・めずらしい、初めて見た。お客さんが次々にやってくる。

容器も小、中、大に用意されていて持ち帰りのビール。生ビールの種類も10種類以上壁にステッ
キが並んでいる。

つまみはくん製・・ピーナツなど・・揃えてあった。きょうはつまみと生ビール(大・小)を買っ
て終わりにしよう。400ルビ1200円











第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島~中東~東欧~ロシア 6月27日~29日 

2014年07月01日 | 赤道直下と陸路国境148か所
  すみません・・走りっぱなし・疲れてます・・説明文書き入れる時間がありませんでした・・あしからず。

















ロシアに入国・・
2014年6月29日日曜    くもり10℃      雨10℃      くもり 
けさはゆっくりでいいのか・・毛布に布団2枚かけて寝た。朝起きて出発の準備・・窓の外には裸の牛
が寝ている・・寒くないのだろうかなー・・アレーゆうべ雨が降ったのか・・道路が濡れている。

コーカサス山脈のホテルを7時40分に出発・・ロシア国境までは約1時間でつくだろう。雲におおわ
れて先月通った時のすばらしい景色はない・・。

日曜でも朝が早いから・車も少ない。雨が落ちてきた・・峠を越して「カズベキ」の方面は雲がなんと
陸(おか)まで下りている・・どうゆうこっちゃ。

霧とゆうか雨雲の中に入っていく・・前が見えない程の霧・・当然雨もある、しかしはじめてだ。あと
国境まで15キロ・・小さいカーブ・・カーブが続き国境までが長く感じる。

8時58分ようやく国境に着いた。谷と谷の中に国境があった。ジョージア出国手続き意外と早い9時
10分に終了。雨がっぱを着て完全武装・・ジョージアのお金をロシア・ルーブルに両替して9時30分。

3キロ先がロシア国境だと・・係官。どしゃ崩壊(ほうかい)でしばらく国境は封鎖されていた。開通した
のはつい先ごろ・・。土砂をまともに受けたのか・・川そばにはつぶれたトラックが残されていた。

生きて帰れたのだろうか運転手さん。じゃりみちを立ちあがって走りぬけていく。ロシアの国境・・入国手
続き9時50分から・・すべて終わって出る時10時40分になっていた。

国境にふさわしい渓谷・・両サイドから切れ落ちてくる岩山をあとに走りだす。雨が降り出したので再び完
全武装してはしりだしたが・・すぐに雨に濡れてない道路になってきた・・雨は降っていない。

市内でも穴ぼこ、ふたのないマンホールが出てくる・・あーこれで、もうジョージアの道はもう走らなくてい
いのか・・国境から15キロになると渓谷から平坦の道になり、普通の街以上の様相になってきた。

地図を見て300キロ400キロは未開地区になっているのではないかと・・想像していたがそうではなかった。
車も多い・・なれるまで60キロ走行で走ろう・・反対側には二人乗りのオートバイが走っている・・子供を乗
せて走っている。

しばらく走っていたらさっきすれ違ったオートバイが・・戻ってきたのかうしろに着いたので脇に停めた。うし
ろに乗っていたのは子供じゃなかった・・若い女性だった。

あれこれ・・話しているうちに・・ここに泊らないか・・。わたしは、あと・・今13時、2,3時間は走って
ホテルに出も泊ろうかと・・考えていた。

泊めてもらえるんですか・・「OK」停まったところから2,3分で家に着いた。彼の実家ではなくてオートバ
イ仲間の家だった。

ガレージを開けてもらって中に入る。奥さんと二人が出てきた・・・おじゃまします、お世話になります。BM
・オートバイ、Vマックの二台の他に車もある。

シャワーを浴びてさっそくごちそうになる。持っていたウイスキーときのうの残りビールをさし出した。オート
バイの彼と彼女は友だちとか・・ご主人はすでにお酒が入っているらしく・・顔も赤い。

奥さんは料理に取り掛かってくれている。ご主人はおまわりさんらしい・44歳。二人は5時頃帰っていった。
わたしも1時過ぎから呑んでいるので・・6時頃休ませていただきますと開けてもらった部屋に入った。

ロシアに入った直後・・思いもかけず・・声をかけてもらい・・民家の家に泊らせてもらってうれしかった。ロ
シアにオートバイで入国したのは3回目、一回目はバルト三国の一つラトビア~モスクワ~エストニアに抜ける。

2回目は日本からウラジオストックに渡りシベリア横断してモスクワ・・カザフスタン、キルギス、ウズベキスタ
ン、タジキスタン、トルクメニスタン、イランへと抜けた。今回3回目は南の方からはいったことになる








2014年6月28日土曜   はれ20℃     はれ23℃   はれ35℃  23℃
ロシア「ソチ」に向かうのに5時40分バトミ・ゲストハウスを出発400キロ戻って今度はコーカサス山脈に
向かう。

例えば・・京都まで行くのに関ヶ原で通行止め・・米原から東京まで戻って新潟~富山~舞鶴から京都に向かう
・・そんな感じの今回の旅・・。

きのう行く時食事した同じ場所できょうもたち寄ってケバフを焼いてもらっていた。マイカーが止まった。オー
トバイを見て止まったと・・。

「フェースブック」で見たことがあると・・話しかけられ・・そういえば見たことがある顔だ・・。ご主人はア
ゼルバイジャン・バクー出身で奥さんはトルコ出身らしく・・・これからトルコに向かうとのこと。偶然にして
もめずらしいことだった。

早ければいっきの国境を越えていくか、それとも景色のいいコーカサスを素通りするのはもったいない・・もう
二度とこれない旅だ・・一泊して気持ちを落ち着かせていこう。泊まることに決めた。晩飯つきで1800円。


ロシア・ソチに向かう
6月27日金曜  はれ18℃    はれ10時23℃   はれ28℃
ロシア・ソチに向かうため・・黒海沿岸まで走る。2,3年前紛争があって国境が定かでない・・国境は封鎖さ
れているか・・独立を目指している国になっているのか・・・定かでない

日本大使館からは旅行延期の注意も出ているようだ。まずは自分の目で確かめてからだ・・。国境と思われる
「スグジジsugdidi」まで約400キロ。トルコに向かう分岐点から焼く100キロぐらいだろうか。

トビリシ市内から・・おおー高速道路になっている・・と思ったら60キロ足らずでジョージアの道に舞い戻る。
それでもトビリシ市内よりは走りやすい。

「スグジジ」に1時半に着いた・・「国境」は・・タクシーの運転手に聞くと「パスポート・スタンプ」のビル
まで引っ張ってもらう。

わたしは「ソチ」に向かうんだけど・・運転手は「ノーノー」今はそこは封鎖されて通れない。「バトミbatmiの
港」からフェリーが出ていると教えてもらった。

しょうがないフェリーで行くしかないのか。途中まで戻って黒海沿岸まで「150キロ」・・「バトミの港」に
4時半に着いた。フェリーの港を探す・・三か所目にフェリー乗り場に着いた。

今日ではなくてあしたでもよいのだ・・。「ソチ行き」のフェリーはあったが係員「人間だけ」で「オートバイ」
はダメだと。

他に船はないのか・・ウクライナの港までは出ている・・28日出発だ。「ウクライナじゃ」しょうがない・・き
ょうはここ「バトミに泊って」一度走ったことがある・・あしたコーカサス山脈・・ロシア国境に向かおう。

案内所で教えてもらったゲストハウス1000円に泊ることにした。久しぶりに・・ドミトリ10人部屋で満杯の
状態。女性3人も同じ部屋に泊っているようだ。

ちょっと疲れはあるが・・食事をすませて・黒海まで歩いて5,6分夕焼けを見に行った。海岸には地元の人たちが
・・・泳ぎに来ていたリして・・にぎやかなだ。

今8時40分まもなく太陽が涼む・・真っ赤な夕焼けを期待したが・・残念ながら・・・雲にかくれておしまい。
黒海・・「海の味」塩分があるのかどうか・・

ブルガリアを走った時に黒海の水をすくってなめてみたがかすかに塩分があるかどうかとゆうぐらいだった・・。
今回もすくってなめてみたが同じだった。ゲストハウスに戻って早めに寝ることにした。

疲れが出てきた・・16時に食事を終わらせて・・ネットに取り掛かる。疲れて日記書くのも・・面倒になってき
た。7時とゆうのに太陽はまだ高い・・。あしたはトビリシ近くまで戻ってロシア・コーカサス山脈、国境越えだ。