松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

第8次。71才・オートバイひとり旅・地球走行中・ブルガリア~マケドニア~コソボで121ヵ国目

2015年06月29日 | コソボで121ヵ国目・35万km突破
写真があっちこっちとんで・・順序どうりになっていません・・整理するひまがなくて・・あしからず・・


ブルガリア・首都ソフィアからマケドニア~コソボまで国境三カ所こえる






2015年6月25日木曜    はれ      はれ
きょうはできれば、ブルガリア・首都ソフィアまで150キロ足らず・・そのあとマケドニア
まで走ってもよし・・ゆっくり11時ホテルを出発。

出発前にロシアからの夫婦がオートバイの写真を撮らせてくれと・・ついでに重い荷物をホテル
から運んでもらった。

おみやげ屋のお兄さんが陶器で造ったカップをプレゼントしてくれた・・ありがとうございます。
おみやげ屋の前に停めていたオートバイ・・出だしの石畳の300mローギアーでいっきに走っ
て転ばなくてすんだ。

朝18℃ぐらいあったが高原に入って寒くなる、出発するときカッパを着たのでよかった。途中
まで高速のいい道になっていたがソフィアに着くころ一般道路の片側二車線に・・

前回2001年に泊ったソフィア郊外の宿に寄ってみる・・当時の道が様変わりして入り道がわ
からなくなった。二度三度回ってみたが探せなかった。時間が過ぎてソフィア市内に泊まること
にする。



































マケドニア経由・・コソボに到着。
コソボで訪問国121カ国目(オートバイで走った国は111カ国目)

2015年6月26日金曜   くもり18℃    くもり8℃    くもり15℃
7時に走りだす・・マケドニア経由コソボまで330キロ。くもり空・・前方には雨雲が見え
てきた・・早めにカッパズボンをはく雨になっても大丈夫、パラパラと雨が来たがそれ以上に
強くならず助かった。

高速からマケドニアの道は山道になってきた。くねくね小さいカーブが続くこんな山道だった
かな―幹線道路からマケドニアに入る道しか覚えていない。

40~60キロのスピード・・・。マケドニアの首都スコビエに到着12時15分。250キ
ロを5時間かかった。

マケドニア銀行でお金を下ろす。大きな銀行だったがユーロはおろせなかった。最初ATMで
下ろす時・・ATMのところまで銀行の女性が来てわたしのカードでは「ダメ」と言う・・

カードを抜いて他の銀行を訪ねていた。先の女性が「お金が出ていると」呼びに来た・・「アー
危なかったなー」現金を盗まれるところだった・・・「ダメじゃなくて出てきたじゃないか」
日本語で怒った。余計なこと言いやがって・・



















3万円分を近くのショッピングビルの中にある両替屋でユーロに替えた・・。もたもたして1時
間かかって13時を過ぎた。100キロ足らずだからコソボに向う。

25キロぐらいで国境・・マケドニア出国・・コソボ入国30分ぐらいで終了。山道が続く16
時コソボ首都プルシュティナに到着・・ゲストハウスは入り組んだ狭い道を走った場所にあった。

近くにオートバイを止めてお店でゲストハウスの場所を聞きたどりついた。市内には―若い人た
ちばかりが目につくな・・学生でもなさそうだけれど・・。

東欧特有の旧い雑貨屋、八百屋で晩飯・ビールの買いだして晩飯。レバノン・トルコ・ブルガリア
・マケドニア・コソボあたりはサクランボの産地なのか・・こっちでは1キロ200円ぐらいと安
い、・・

そう言えば去年グルジアには街路樹にもサクランボがなっていて・・ちぎって(もぎって)食べる
の・・朝の散歩はそれが楽しみだった。

2015年6月27日土曜   くもり12℃     くもり
コソボの朝・・あまりに寒いのでオートバイつけている温度計を見たら12℃だった。もういらな
いとおもってズボン下をはき、ジャンバーを着ている。

セルビア(ユーゴスラビア)から独立したコソボ・その前に同じセルビアから独立したモンテネグ
ロは2001年に走った時まだ独立したばかりのほやほやで国際的にまだ承認されないとき走った。

現在はコソボから直接セルビアに抜けることは出来ないようだ。いったんマケドニアに戻ってセル
ビアに向かうことになるようだ、まだまだセルビアとは仲がうまくいってないと言うことだろう。

イスラエルとレバノンみたいな半永久的にはならないだろうけど・・わからない。ビールを飲みな
がら一日中ネットを見ながら整理した。

ホテルのまわりを少しだけ歩いてみた・・平屋の家は見かけない二階三階建・・コソボって裕福な
んだ・・と思う。


















2015年6月28日日曜 コソボはれ12℃ くもり18℃ くもり15℃  セルビア20℃
一日が長く感じるコソボからセルビアに走る・・7時に出発・・いったんマケドニアに戻ってセルビ
アに向かう。

国境に8時半コソボ出国マケドニアの入国手続きを終えて一路セルビアまで450キロ。マケドニア
で暑くなったのでカッパを脱ぐかどうか迷ったが・・まだこれから400キロ以上走る・・

どうなるかわからないでそのまま走る。すぐに国境が出てきた・・マケドニア国境から100キロ足
らず・・ここからセルビアの国だ。

手続きはスタンプを押すだけ・・これで「いいの」ってゆう感じで終了。マケドニア出国、セルビア
入国両方合わせて10分たらずですんだ。いつもこれだと国境もいいんだがな・・・。

午前中だけで今日は三カ国の国境を通過したことになる。高速が続くのかと思っていたが途中から一
般道路片側一車線が続く。

ブルガリア、マケドニア、コソボ、セルビアは山の中にある国だ。後半再び高速道路になった・・セ
ルビアまで残り30キロで給油・・併設した軽食お店のネットで・・ホテルの予約を入れる。

一泊7ユーロ910円のゲストハウスを予約した。14年ぶりに訪れtるセルビア(当時はまだユー
ゴスラビア)市内に入ってホテルを探す。

近くまで来てるのだが・・わからない。雨が降ってきた・・露天のおみやげやさんが並ぶ場所でホテ
ルを聞く・・ホテルの場所がようやくわかった。

16時にゲストハウスについた。ベイルートの中心街にあった。泊まりを3泊にしたら一泊780円
になった。これまでで2年間の中では一番安く泊まれた。こぎれいで気持ちのいいゲストハウスだ。





第8次。71才・オートバイひとり旅・地球走行中・トルコイスタンブールからブルガリアに到着

2015年06月25日 | 120ヵ国・35万km突破












2015年6月23日火曜   午前中雨    午後はれ
雨がやんだと思って散歩に出かけた。はげしい雨になって雨宿り。宿に戻ってメーターの
メカニックが来るのを待つ・10時はとっくに過ぎた。

12時前に部屋をたたく・・メカニックが来てくれたようだ。メーターのコードを取り外
して・・2時間ぐらいで戻ってくると。

まぁきょう中に出来上がればいいや。雨が上がっていい天気になった。はがきを出しにポ
ストオフィスに。宿に戻ってきたらメカニックの修理・・新しいコードを付け換えて終わ
っていた。

さっそくテスト運転・・うんヨシヨシ・・これで大丈夫だ。最初メーターの構造からやり
直すのかと思っていたら違った・・メーターにつないでいるコードを取り替えるだけで直
せるのだった。

昔、自転所の電灯をつけるため・・タイヤに発電機のポッチをすりつけて発光させる。メ
ーターもそのたぐいのもだろうと思う、もっとも高度になっているとは思うけれど・・な
にはともあれスピードメーターが直ってホッとした。安心して走れる。

最初ホテルのオーナーがオートバイのうしろに乗って案内してくれていた。右に曲がると
き右肩を・左は左肩を・・たたいてくれと頼んでいた。

「突飛」をわからずに・・かまわずドスンと乗り越えたり・・反対車線をかまわず走った
り・・宿に帰ってから「カミカゼ」だとオーナーが嘆いていた。

「カミカゼ」を知っていた。恐くなってあたしいメカニックに行くのをやめて「出張して
もった」のだろうと思う。

出張してもらって・・修理代、120リラ・・6000円ぐらい。安く上がってよかった。
オーナーありがとうございました。

ゆうべ床の中で修理が済むまであと何日かかかるだろうと覚悟していたが直ってよかった。
さぁ・・あしたから東欧・・とりあえず・・ブルガリアを経由してコソボまで走ってみよう
・・、晴れてくれ―い。
















2015年6月24日水曜     はれ20℃    はれ18℃   はれ23℃
4時に目が覚めてそれから眠れなかった。エレベーターで三階から下ろそうとしたが電源が
入ってないのか動かない、仕方ない一個づつおろした。

6時16分ブルガリアに向かって出発市内から高速に乗るのに戸惑ったがなんとか乗れた。
郊外に出ると車がぐっと少なくなってきたとゆうよりほとんど走ってない高速・・

風もなく
なんとも気持ちのいい今日のツーリング日和。昭和30年代の昔の三橋美智也夕「焼け空
が真っ赤か・・。北島三郎さん「は~るばる来たぜ・・の歌が出る。

9時30分トルコとブルガリアの国境についた入国には時間がかかったがトルコ側は出国
スタンプを押すだけで終了・・グリーンカード購入5000円でブルガリアの入国手続き
に時間がかかった。

10時30分にすべて終了。残り200キロ。トルコ側の道は最後まで気持ちがよかった
がブルガリアの高速は途中から一般道路になって片側一車線。

今日泊まるプロブデブ市内に入って最後の300mは石畳・・敷き詰められていれば問題
ないが河原の道になって止まったらこけそう・・いっきに走りきった。

あーこわかった。ホテルの人に荷物を手伝ってもらい助かった・・13時。両替屋までい
ってトルコのお金をブルガリアに両替泊まり賃を払う2500円程度。

「オールド・プロブデブOld Plovdiv」」旧いホテルであるがこぎれいで気持ちよさそう。
受付には「ようこそ・matsuo」と歓迎の看板が掲げてくれていた・はじめてのことでうれ
しかった。

旧市街地で結構観光客も歩いている。夜ごろごろとカミナリがなっている、あした大丈夫
かな。










第8次・71才・オートバイひとり旅・いまトルコ・アンカラ・・あした21日から北上します

2015年06月20日 | 120ヵ国・35万km突破
トルコ・アンカラで前歯2本差し歯の治療・・7日間で終了、36000円
あした21日から北上できる・・とりあえずイスタンブール~コソボへ




2015年6月12日金曜   はれ     はれ
レバノンから着いた港、海岸通りにあるホテル・・朝少しだけ散歩・・一日中ネ
ットを打っておしまい。

昼も夜も一階の食堂に焼き鳥コケコッコーを頼んだ、味が良くてうまかったなー。

2015年6月13日土曜   はれ20℃  はれ10℃    はれ20℃
朝6時30分、トルコ首都、アンカラに向かって出発・・550キロ。海岸にす
む地元の人から山に向かって走るから寒いぞ・・とアドバイス。

そうだろうな・・来る時も高い山を越えてきた。きょうも長シャツ二枚着て走っ
てきたが、我慢できない寒さ、カッパを出して着こんでちょうどよくなった。

途中120~140キロで気持ち良く走れて・・アンカラ市内に入っても渋滞が
なく予想より早く13時15分。アンカラの宿についた。

泊まり賃を払う前に・・前歯が折れてしまっているので歯医者さんに行って・・
どのくらい日数がかかるのか・・確かめてから。

仕事は出来るが、勝気なおかみさんに「行ってこい」。土曜だけどやっていた。
さし歯作製・・・12日間、4万円ぐらいかかると40才ぐらいのドクター。

ここからは筆談・・わたしはオートバイで旅を続けている「1週間で3万円ぐら
いに安く出来ないか・・」。彼は400ccのホンダオートバイに乗っていると
携帯で見せながら・・。

OK・それでは「7日間で3万6千円でどうだ」「OK・それではお願いします」
と頼んだ直後・・麻酔注射をかけられて歯型を取り始める。

これから火曜・木曜・土・3回来てフィニッシュ・・とドクターはカレンダーを
見せながら治療は終わった。治療室は4,5室ありドクターがそれぞれ」受け持
っているようだ。

2015年6月14日日曜   はれ    はれ
前歯の治療で・・これから1週間・・ゆっくりできる。歩いていない道を朝散歩。

2015年6月15日月曜   はれ    はれ
今日は何もしない・・・レバノンから送ったはがきがついたとメールに入ってきた
・・6月4日に投函したので10日間ぐらいで着いたことになる、意外と早くつく
もんだ。

2015年6月16日火曜     はれ     夕立・・はれ
14時予約している歯医者さんへ、ごろごろ来て夕立になった・・あわてていたの
か歯医者さんを行きすぎたらしい・・急いで戻っているうちに夕立が激しくなっ
てきたので雨宿り。

歯医者さん、「指し歯」ができていた・・調整してもらいあさって二回目最終調整
して土曜に出来上がると・・今度来るときオートバイを見せてくれとドクター・・
「ok」。




バイクシューズが一部剥げてきた、路上の修理屋さんで直してもらった・・900円。
めずらしいお客さんが泊まっている、リビアの青年、イラクの青年も・・仕事探しに
来ているのだろうか・・・。

メキシコの人もいる。わたしの部屋には韓国、ドイツの青年の旅行者。





2015年6月17日水曜    はれくもり     くもり
朝の散歩のあと、午後からカメラ専用のバッテリーを買いに行く・・きのうホテルの
オーナーにミニバスでの行き方を聞いているがバスがわからない。

地元の人に聞き10分ぐらいで着いた。でっかい、でっかいショッピングセンター
二度も三度も聞いてカメラ売り場へ・・あいにくそこにはバッテリーがない。

街のお店を紹介してもらいタクシーで向かう。小さいお店・・こうゆう小さいお店
が落ち着く.

これまで電源コードを直接カメラにつないで充電していたが・・コードでは「充電
できない」とお店の人の話し・・それでいくらたっても充電できなかったんだ。
仕方ない充電機も買って・・・USBも買った。







2015年6月18日木曜    はれ     はれ
久しぶりにスタンドでオートバイを洗車した100円。予約していた歯医者さんへ
14時前オートバイで行く・・ドクターが出てきて一緒にオートバイと記念写真・・

ドクターは受付の人と話し終わると、今日はキャンセル・あしたとあさってに来て
くれと・・。理由はわからないが・・これまでいた愛きょうのいい受付スタッフが
今日いなくてそれであしたになったのかどうかはわからない。

2015年6月19日金曜     はれ    はれ
14時に歯医者さんへ・・歯を削ったあとが痛みが出てきた・・早く直してほしい
ものだ。前歯がないとちょっとした硬いものもかめないので不自由でしかたがない。

サシバの調整を終わった・・なかなかよく出来ている。あした11時に予約。今日
も夕方から、ごろごろカミナリ・・夕立になった。







2015年6月20日土曜
前歯がないと上くちびるが直接歯に触れて・・なんか炎症を起こしかねないような
感じになってくる。

今日午前中、前歯のさし歯すべてが終わった。セメダインみたいなもので動かない
ように固定した。

取り外さなくても大丈夫とドクターの話し、なかなかすっきりしてきて気持ちがいい。
身体の一部に支障が出るとなんか憂うつになってくる。

これであしたから走り始めることができる。あしたはとりあえず、イスタンブールま
で450キロ走る。

そのあとはセルビア(ユーゴスラビア)から最近独立した「コソボ」に寄って東欧を
北に向かって走るだけ・・

2001年に同じユーゴスラビアから独立したほやほやの国「モンテネグロ」はまだ
国連からまだ承認されていない時だった。

モンテネグロからボスニアヘルツゴビナ・サラエボに向かう時、壁には銃弾のあとが
びっしり残っていた。泊めてもらった民家の人のとなりの家は爆弾でつぶされていた。

途中屋根だけがいたるところで吹っ飛ばされて、首都サラエボの市内では新聞社が崩
壊、近くのビルは丸焦げになっていた、14年前のこと。

第8次・71才・オートバイひとり旅・地球走行中、シリアの避難者たちといっしょ・・レバノンよさようなら

2015年06月12日 | 120ヵ国・35万km突破
レバノンについて最初から最後まで面倒を見てくれたモンゼンさん







2015年6月8日月曜     はれ     はれ
朝の散歩のほか・・ホテルでネットの更新・ホテルには相変わらずシリアからの泊り客が多い。






2015年6月9日火曜   はれ28℃    はれ28℃
10日間お世話になった「タラルtaralホテルを9時10分に出発。トルコ行きフェリー船のあ
る街トリポリまで80キロ。

急ぐ必要はない・・80キロ走行・・10時20分にトリポリ市内・モンゼン・オートバイ屋に
着く。まずモンゼンにフェリーチケット売り場まで連れて行ってもらった・・フェリーはあした
6月10日20時出港のチケット32500本人とオートバイ。

オートバイでレバノン杉のある所までを頼んだが友だちが用事があってダメだった・オートバイ
で一台で走るより2,3人で走る方がいいとモンゼンは話す。

で、タクシーで行くといくらぐらいだろうか・・往復130キロ5時間で1万円でOKらしい。炎
天下オートバイで走るよりゆったりできるタクシーで行くことにした。








1時過ぎに出発・・山岳地帯を走る・・かなり登ってゆく・・こんな高原に杉が生えているのか・
・道を間違っているんじゃないのか・・森林限界に近い・・広くはない山のふもとに残っているレ
バノン杉地帯についた。

30分ほどレバノン杉の中を歩いた・・数えるほどの観光客。もっと大きなレバノン杉かと思って
きたが・・期待するほどでっかいレバノン杉ではでなかった。杉とゆうより「松」の幹に似ている。

トリポリのホテルには5時過ぎについた。あしたパスポートの「なんとか」で12時にコントロー
ルセンターに行くことになっている・・すんなり行くのかどうか・・不安だな。今はとにかくレバ
ノンから脱出したい気持ちが強い。









シリアの避難者たちと一緒にフェリーでトルコに向かう
2015年6月10日水曜    はれ      はれ
レバノンに来てから20日間すぎた今日でお別れだ。見たかったレバノン杉も最後のきのう見て気持
もおさまった。

朝市場でスモモに似たジュリックを買い塩漬けにした。11時モンゼンの知り合い・・タクシーがホ
テルまで来た。

その足でパスポートをチケットオフィスに預けて17時に取りに行くことになった。そのあとモンザ
ンのオートバイ屋で過ごす・・

17時半になってパスポートを撮りに行くのか・・と思っていたら違った。直接港のカスタムに走る
パスポートは港のカスタムにまわっているらしい・・

ポリスオフィスで「オートバイ走行許可書」を返還・・カスタムでパスポートをしばらく待って受け
取り・・ふたたびポリス・オフィスへ。手続きが終わったのは20時を過ぎていた。

レバノンの入出国手続きは他の国境とは違い・・非常にむずかしく感じる。勝手知っているモンゼン
でさえこの時間・・一人ではどうなったのかわからない。

それにしてもモンゼンはカスタムのすべての人たちと言ってもいいぐらい知り合いになっている・・
33才にしての人脈・・たいしたものだと感心する。モンゼンと別れる「お世話になりました」。

20時出港だけれど・・すでに21時をすぎた。大型バスが次々と到着・・係官に聞くとすべてシリ
ア(スリエ)からの避難者家族と話す。これじゃ船内は満杯になる。乗船前に立ったまま食事をすま
せる。10時過ぎに車の乗船が始まった。

すでに乗り込んでいる・・船内はシリアの避難者、家族連れでにぎやか・・赤ちゃんから5,6才の
子供たち。こども達の服装を見ると豊かな暮らしをしているのではないかと思われる。

一般の人たちは近くの国境から避難しているのではないと考える。ふっと思いだした・・中国で避難
している時日本人家族・・がバラバラになり残留孤児と言われる人たち・・

小さいころ両親とも離れ離れになって・・親の顔も名前もわからず中国で過ごすことになってしまっ
たこども達のことを考えるといたたまれなくなる・・すでに70歳越えるか、そのちかくになるだろ
う。

トルコ・イスタンブルの人通りの多い場所には小学校入る前の子供たち・・路上生活者がたむろして
いる・・小さい女の子・・若い夫婦に何かを聞かれている・・瞳いっぱいに涙をためていた。

紙幣じゃ金額がわからないだろうから・・持っているコインを全部あげた。いまは暖かいからいいけ
れど寒くなってきたら生きていけるのだろうかと心配する・・

もしかしたら他の国から来ているこどもたちかもしれない。役に立てない自分がかなしい。避難者た
ちの船内を見ているとはぐれることがないように祈るだけだ。

戦争は女性、子供たちが犠牲になる。いっぱいになったフロアーの床の片隅に寝袋で場所を確保した。
目が覚めトイレに・・時刻は3時・・フェリーはようやく動き出した。

トラック中心に載せた隣のフェリー、今日はこのフェリー2隻でトルコに向かうのかも。乗船前にイ
ランのトラック運転手とまた、あった。レバノンに向かう時トルコの港であった運転者。

これからイラクに向かうと話す。「ええ―」シリアからだとすぐだけれどイラク国境が閉まっている、
トルコ国境も閉まっている、ヨルダンの国境も閉まっている。

だから・・グルーっと大回りして・・フェリーでトルコ経由イラクに向かうと笑いながら話す・・往
復1カ月かかるらしい。










2015年6月11日木曜    はれ   はれ
トルコの港シリフケに15時に到着。16時でっかい荷物を持ってシリアの人たちが降りたあとに続
いてカスタムに向かう。車とトラックは広場に駐車。

ひとりボケっとカスタムの人が来るのを待つ・・車の運転手は誰もいない・・おかしいな。トルコ入
国手続きに行っているかも・・わたしも入国手続きに走る。

いる、いる下船した2,300人シリアの避難者たち。トラックから荷物を受け取りシリアの人たち
で入国手続きはごったがえしている・・入り口には入場制限する係官も出ている。

避難者たちに交じってポリス・オフィスでスタンプ・・カスタムオフィスで入国税40ドル5000円。
さらにカスタムで最終スタンプを押してもらい、さらに荷物の検査・・すべて終わったのが18時。

きのう、頭の中では、トルコについて15時、手続きが終わらせ16時・・そのあと100キロぐらい
は走れるだろうと計算していたがとんでもない・・下船してから3時間もかかってしまった。

レバノンに向かう時ホテルをやっていると聞いていたのでレストランのあるお店まで走る。覚えていて
くれていたのか・・「おー・・」と声をかけてくれた。

20ドル2400円こぎれいなホテルに泊まる。シャワーを浴びて・・下のレストランで焼き鳥を注文
・・マーケットで冷えたビールを買った・・アーようやく・・休める。

あした朝一番出発を考えたがあしたまで泊まることにした。それにしても・・レバノン・・もっと明る
くてあか抜けしているのではと期待していた。時が経つにつれて・・緊張感が身体に感じるようになっ
た。

街中に兵士の姿、チェックポイント、戦車の姿、など見るにつけ緊張が走る。写真撮っているだけで警
察署に連行されたときは帰国できないのではとビビった。

これほどまでにレバノンのピリピリした警戒はシリア、イスラエルなどの影響だろうと考える。滞在し
ていて楽しさがないのだ・・レバノンはしばらく観光は出来ないのではとわたしは思う。



第8次・71才・オートバイひとり旅・レバノン走行中・・今度はわたしが警察に連行される6月6日

2015年06月08日 | 119カ国・35万km・国境181カ所走
レバノンから日本への便り・・中学校同級生中心に100枚送る・・日本まで一枚175円











2015年6月4日木曜   はれ   はれ
16時頃・・絵葉書100枚書き終わった・・ふーっつ。10分ぐらいと聞いているポスト
オフィスを歩きながら・・聴きながら・・あった郵便局。

若い女性3人気楽な3人だ。一枚いくら・・175円100枚で17500円、お金が足り
ない。銀行まで行ってATMで下ろし戻って切手を買う。

切手を張るのは女性3人がやってくれた・・これは助かる。一枚づつ貼るのは、結構面倒な
んだ。トリポリでおみやげの切手は買っている・・旧い切手がほしかったがこの郵便局にも
なかった。

あと10分・・5時で郵便局は閉まると・・日本と同じ・・今日本は24時間やっていると
ころもあるが・・・。宿に戻る途中前回の「SATOすし屋」に寄った。

見るからに赤身のおいしそうな赤身・・わたしにとっては最上等品に見える。赤身まぐろだ
け6巻注文・・握っているのは女性・・フィリッピンの人なのかな・・「大きく握って」と
注文。

握っているのを「いいぞ・いいぞ」「ベイルート寿司屋」写真を取りながら応援した。数え
てみたら10巻入っている。13ドル1500円。

はがき書き終わったお祝いだ・・急いで帰って・さっそく食べ始める・・。日本でもあまり
見かけない「ようかん」ににた赤身・・いや―インドマグロににた赤身はうまいなー。まん
ぞく満足。

2015年6月5日金曜   はれ     はれ28℃
はがきを書き終えて気持ちも楽になった。午後ベイルートに来てはじめてオートバイで市内
を走ってみる。地図で見た市内一周・・1時間もあれば戻ってこれるだろうと思って走りだ
す。

あれれー行きたい方向と逆方向・・まーいいや。市内の中に入って渋滞にはまってなかなか
動かない・・。もう帰りたくなった。1時間かかって10キロ、進まない。ようやく海岸に
出た。写真で見た海に岩が二つある。海水浴の人たちでにぎわっている。

宿に戻ったのは4時になっている・・2時間半もかかっていた。まぁベイルート市内をとり
あえず走れたことでよしとしよう。アメリカ人がきのう出ていって、きょうシリア人が出て
いったわたしひとりになった。シリアの人のいびきがものすごかったので今晩はゆっくり休
める。


「警察に連行される」・・帰りはチェックポイントで・・

2015年6月6日土曜 はれ     はれ
バールビックbaal beek遺跡に今日は行ってみよう。ホテルの近くから10時前にミニバスに
乗って・・乗りかえる・・場所について市内の写真を二枚撮った。

そこえ制服ポリスがやってきた。無線で本署と連絡を取っているのだろう。警察の白い車が来
た・・車に載せられて警察署に連行。

いったいどうなっているのか・車の中で今日中に戻れるの不安になる。まぁ「なるようにしか
ならない」成り行きを見守るしかない。

まずカメラの専門家ポリスが調べる。繰り返し過去の写真も見ている。「今日わたしはバール
ビックまで行って戻るのだ」日本語で自分のいいたいことを言う。

年配の私服が来てパスポートの点検・・写真を撮っている。「わたしはレバノンでラストカン
トリー120カ国目自分のオートバイで走ってきた」まったく関係ないことばを佐賀弁を入れ
てはったりをかます。

カメラの点検はおわった・・問題なかったようだ・・警察の白い車でバス乗り場まで戻る・・
10時4分から10時38分まで拘束された。

観光客はわたしひとり・・カメラをまわしていると目立つのだろう・・とにかくピリピリして
るレバノンだ。写真撮るのも注意しなければならない。こっちまでピリピリする心境だ。

バールビック行きのミニバス11時10分に出発。ふたつの高い山を越えてバールビックに着
いたのは13時半。

ローマ、ギリシャの遺跡よりしっかり残っているようにわたしには見える。アメリカ、マレー
シアの人たち10人ぐらいの観光客が来ていた。入場料10ドーラ1200円。

1時間程見学ミニバスで宿に向かう15時。峠にはいった・・写真を撮り続けていた・・
「あーっ」チェックポイントの兵隊の「顔写真」がばっちり写っている。

「ヤバいぞ」これは。退避所にミニバス「ストップ」バスから降りてカメラのチェック・・
すぐに削除すればよかったのに・・そのまま兵隊に見せた。

「景色を撮っていたら・・偶然に兵隊の顔が・・入ってしまった」いいわけが通じるのかどう
か・・日本語でしゃべりまくる。

兵隊待機所から係官・・「いいよ・いいよ」行かせろと言ってるようだ。もしかしたら「逮捕
される」・・一瞬どうなるのかと思ったが事なきを得てホッとする・・。

バスに戻って・・年配のバス・ドライバー「ノーピクチャー」と笑いながら注意された。ベイ
ルートについた、また乗り換える・・ホテルに戻ったのは17時15分・・意外と帰りは早く
ついた。

レバノンを出るまで逮捕されないで過ごせるのか・・心配になってきた。

2015年6月7日日曜   はれ    はれ
トロポリのオートバイ屋・・モンザンがベイルートまで来る・・そのあとツーリイングに行く
予定だった。12時になっても来ない・・きょう用事が出来たのだろうか・・。

実はきのうポリスに連行されたので・・気分がどうしても乗らないだ・・わたしも走りたく
なかったのでかえってよかった。ブログの更新などすませる。

















第8次・71才・オートバイひとり旅・地球走行中・泊まっているホテルでテロリスト容疑を逮捕・ベイルート

2015年06月05日 | 119カ国・35万km・国境181カ所走














2015年5月31日日曜    はれ     はれ
ベイルート市内・・朝の散歩・・2,3分で海の見える場所から山手の方へ歩く・・。
ベイルートは平地はないと言ってもいいかもしれない・・海岸からそのまま・・
山の方へ上がっていく地形だ。

2015年6月1日月曜     はれ     はれ
下痢が始まってなかなかおさまらない・・。朝の散歩、官庁街みたいなビル群・・8時
半なのにオープンしている店が薬屋さん。

おなかを押さえて「イテテ」両手でお尻をおさえて小走りで「トイレ」に座って・・
「シャ―」「ワタ・・水」・・と説明した。

さすがだ・・彼女はすぐにわかった・・お尻から「ワタ・水」ですね・・下痢止めクス
リを説明・・一回に2錠・・3回分のクスリを渡した。

500円ぐらいだろうか。1時間散歩して宿に戻る。食事のあとさっそく下痢止めを飲
む。

晩飯は暖かいものを喰いたくなった・・小さい雑貨店でチャイナヌードル・・ラーメン
二個を買って・・卵3個入れて久しぶりにラーメンうまかった。

南に来たのに・・いままでいたトリポリと違って少し涼しいような感じ。今日は71才
かあさんの誕生日。

2015年6月2日火曜  はれ     はれ
けさも散歩に出かけたが・・歩道は極端に狭い・・散歩するにもかなり注意が必要だ・・
へたすると高速に上がってしまいそうな道になる・・やばいぞ・・歩くのに気が気でない。

どうにか一般道に戻れた。街にはいたるところに昔からの小さい八百屋さんがそのまま残
って新しいお店は出てきていない。

きのうから絵葉書、書き入れ、100枚。住所は後回しにして本文だけ先に書きだしたが
中々進まない。あと2,3日はかかりそうだ。下痢も少しおさまったようだ。







ホテルレセプション・・イスの中ほど・・右手に泊っていたフランス人の3人部屋


テロリスト容疑か?・・フランス人逮捕され連行される
2015年6月3日水曜      はれ     はれ
レセプションのフロアーで絵葉書を今日も続いて書いていた。午後、2時前に突然・・
ポリスがやってきた・・「パスポートを」4,5人の私服ポリス。

部屋からパスポートを持ってきて見せる。いつもあることなのだろうと気にせずにいた。
オーナーやスタッフちょっと緊張している顔だ。

1号室3人部屋・・ベッドを上げて調べている。階段でも何かやっていると思って・・ベ
ランダから外を見ると手錠を掛けられて車に載せられて行く青年。

マネージャーの話によると17日間予約しているフランス人あしたが最後の日、この三日
間トリポリ(これまでわたしがに泊まっていた港街)に出かけて・・

ベイルートのこのホテルには戻っていなかった・・警察がマークしてあとを追っていたら
しく・・今日ホテルに戻ったところを、捜査逮捕されたようだ。

テロリストの疑いと見ていたのだろう・・。レバノンには青年ばかりではなく・・きょう
も家族でシリアからやってきた、きのうは家族連れでイラクからやってきた。

シリアもイラクも混乱が続いているようだ。そのような中でレバノン当局も気が気でない
ことだろう・・。

TVでの報道は日本ほど取り上げてはいないとゆうか報道そのもの・言葉もわからないの
でどうなっているのかわからない。

絵葉書はあとは住所だけ書けばおしまいになる・・あした中には終わるだろう。