松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

10月8日 ウガンダ

2007年10月12日 | ウガンダ

ウガンダの帽子売りの子供たち、朝顔のようなデザイン
模様でつい停まって写真を撮った。

2007年10月8日月曜 曇り午後晴れ間も夕立なし
モビルさん一家のようないい人もいっぱいいる、しかし
こんなウガンダはもういい、早く去りたい、あしたは出
発しよう。お金を下ろした後ホテルからルワンダに向う
道の確認をしておこう。

人のよさそうなオートバイタクシーをつかまえて市内か
ら幹線道路に出る所まで走ってもらう。5000US=300円。
きのう洗車したので自分のオートバイでまだきのうの雨
が残っている泥道を走りたくなかった。


10月7日 ウガンダ

2007年10月12日 | ウガンダ

カンパラ市内はほこりだらけ、排気ガスもひどかった
慣れないと息苦しいほど。ウガンダ

2007年10月7日日曜 くもりはれ 夕方3時夕立
きのうネットをつないでも大丈夫といってくれたネット
屋に行くがセッテングが出来ないばかりか英語も出て
こなかった。近くのネット屋では英語で打てた。久しぶり
に日本へ送信出来て気持ちが落ちつく。

午後3時ごろから歩いて市内繁華街へ。雨は「ふらない」
とホテルのスタッフ、しかしすぐに雨になる。きのうもモ
デルさんは雨は「降らない」と言ったがすぐに雨になる。
この辺じゃ「雨が降る」とは言わないのだろうかな^-。

夕立は2時間近く続いた、ガススタンドで雨宿り、オートバ
イタクシー、自転車タクシー、歩いていた人もガススタンド
の屋根の下に集まって満杯になる。給油するのにきたバ
ス、マイカーは給油出来なくなった。スタンドの人は文句
も言わないようだ。

我が者顔でオートバイを止めて寝入っているオートバイ
タクシーの面々、これがウガンダの人たちの日常のこと
なのだろうか日本じゃ考えられない横柄さでもあった。
給油に来た人は雨がやむのを待つしかないのか。中には
「どけどけ」と文句を言うドライバーもいたが動くどころ
か雨宿り人は逆に文句をたれていた。儀mm工で

それみろ!自分よければすべてよしの結果は雨がやん
でもおさまらない、隙間があれば突っ込み、反対者車線
に入り込み、中には逆送する者ありでテンヤワンヤ。大
型バスはさっきから動けずに30分たってもそのままで
かわいそうだ。

10月5日 6日 ウガンダ

2007年10月12日 | ウガンダ

お世話になったモビルさんの娘さんたち、このほかにも
いっぱいの子供たちがいる


ウガンダに着いた夜泊めてくれたマック君のアパート、8畳一間で水道、
ガスなどはない、一ヶ月25$=3000円の家賃と話していた。

2007年19月5日金曜 はれ 午後夕立
夕べはぐっすり眠れた。夕べ10時ごろから家族のくつろぎの
踊りと歌なのかなーと思っていたのはキリストのお祈りのだ
った。朝も5時過ぎから太鼓をたたき踊り歌っているのはお祈
のようだ。朝、午後、夜と3回のお祈りするとのことだった。

着いたきのうからなつかしい知ってるメロディーが流れてい
る。隅田川、川の流れのように、上を向いて歩こう、犬のおま
わりさん、カチューシャ、仰げばと尊し、山手線、、まん中通る
中央線、など今日もテープが流れていた。子供のためなの
かそれともわたしのためなのかは聞かなかった。

水道は引いてあるが朝と夕方、電気も朝7時から9時ごろま
でと夕方5時ごろからしか電気はつかない。遅い時は7時過
ぎになりそれまではろうそくで明かりを取っていた。電気が
つくと「ワッツ」と食堂では歓声が上がっていた。ビールも
「ノーパワー」と冷えてない時が多い。

2007年10月6日土曜 はれ 夕方3時ごろから夕立
今日は①銀行に行く②パーキングのあるホテルを探す
と朝主人のモビルさんにたのんだ。9時過ぎにカンパラ市内
に向う、相変わらずびっしりと渋滞、市内に入りマイカーは
パーキングに止めて歩くことにした。

カードで下ろせる「バークレイバンク」を見つけていたので
地図を見ながら歩いていく。パシャパシャとATMの機械が
お札を「数える」音であーよかったー。安心する。ホテルも
あらかじめめぼしをつけていた。バンクから近かったホテル
一泊20000USウガンダシリング=1200円

部屋にトイレ、ホットシャワーがついて清潔なホテルだった。
オートバイの出し入れは楽なパーキング。予約してモビル
さん宅に戻る。「家に泊まって」もいいよと言ってくれたが
ホテルに移ることにした。3時過ぎ荷物をオートバイに積み
替えてホテルに向う。

市内に入り途中から夕立になる、道を間違えて赤土の道に
入り込んでしまった。大丈夫かと思った瞬間ツルッと滑って
横転。車の来るのを待つ、このときの時間の長いこと。一台
目は女性、二台目は通り過ぎてしまった。前後から来た車に
手伝ってもらい起こす。

マイカーの人に地図を見せホテルの近くまで案内しても
らった。いい人もたくさんいるウガンダだけど、レストラン
でのつっけんどん、マイカー、タクシー、などのドライバー
の自己中心、転倒していても通り過ぎてしまうなど私と
同じ「自分さえよければ」の考えがまかり通っているよう
に感じられる。

アフリカのケニアなどフレンドリーで冗談も通じていたが
ここウガンダはチト違うなー。転倒した時右手の甲とひじ
を打ったようだ。シップ薬を貼る。気を使わなくてやっぱ
りホテルはいい。ホットシャワーで体を洗うすっきりした。

レストランで晩めし
チキン3000US=180円
、トマト、たまねぎ=100円
ビール大瓶2000US=120円×3=360円
ライス2000US=120円
トータル12000US=700円ぐらいかな

毎日20000US=1200円渡していた、お世話になったモビ
ルさんに「あなた夫婦やいっぱいいる子供さんたちが
日本にくるようなことがことがあったら泊まるところ
など私の家でかまわないですよ」と家族の前で話した。
一人ではさびしいでしょうから二人で来てくださいと
話して別れる。誰かは来てくれる日があるだろうと思う。


10月4日 ウガンダ

2007年10月12日 | ウガンダ

ウガンダ国にはいる 後ろは国境

お世話になったモビルさん一家

2007年10月4日木曜 はれ
ウガンダのはじめての朝を迎える。夕べは疲れすぎてたのだ
ろうかぐっすり眠れなかった。兄のピーター君は7時過ぎに働
きに出かけた。夜は大学に通っているようだ、来年1月には結
婚すると話してへやに美人の彼女の写真を飾ってあった。弟
のマック君も7時半ごろ出て9時半ごろ戻ってきてくれた。

今日はお願いが二つある。①銀行でお金を下ろす②オートバ
イのバックを支える支柱が折れているので修理屋につれて
行ってほしいと頼んでいた。銀行ではカードを使えなくてドル
両替屋で両替を済ませる。オートバイの修理に行くとどっと
集まってくる。今まで何十回と支柱はあっちこっちの国で補
修してきた。


道悪でバックのトランクの支柱が折れてしまったので
鉄板で頑丈に補強 カンパラ市内

最後パキスタンでバックの下にL型の鉄板を入れたら補修しな
くて済んでいたが、今回のガタガタ道の連続で補強したとこ
ろから折れてしまっていた。修理代40$を30$に負けてもら
った。これで安心して走ることが出来る。ウガンダは意外と物
価が高いようだ。

修理を済ませ彼のアパートに帰るのかと思ったら彼に実家に
着いた。町から30分ほどの所だった。静かな高台にある。お父
さん(モビルジョーン)とお母さん、家族が待っていた。彼が電
話していたのだろう。昨日マック君から兄弟は8人と聞いてい
た。が(夜には12人になっていた)

あれこれ話しているうちに「実家に泊まることになった」モビ
ルさん45歳の運転でアパートに荷物を取りに行き空けてく
れた部屋に荷物をとく。水シャワーだがすっきりとほこりま
みれの体を洗う。芝生のある広い屋敷は気持ちがいい。今
晩はゆっくり眠れそうだ。ビンの持ち帰りは出来ないので
ペットポトルをもってビールを買いに行く。

10月3日 赤道に沿ってウガンダに向う

2007年10月12日 | ウガンダ

ケニア最後の町

赤道に沿ってウガンダに向う、このあと町を外れると20km~40kmの
道の悪さが続く


ケニア&ウガンダ国境
2007年10月3日水曜 朝はれ20℃ 昼30℃ 午後曇り
今日はとりあえず赤道を越えたエルドレットEldret町から赤
道に沿って走り国境を越えることになる。朝は晴れて気持
ちよい高原を上り下り繰り返して走る。アスファルトは町だ
けで悪路に変わる。国境に着いた10時半結構時間がかか
ってしまった。ケニアの出国は簡単に済んだ。

ウガンダ入国、いつものように名前、パスポートナンバーは
きちんと書いて。あとは「なんてかいて」「あるのだろうか」
「すみません」「よろしく」「おねがいします」などとひらが
なで書き込んで渡す。係官はだまってパスポートのスタン
プを押してくれた。ありがとう。

次はオートバイのカルネをもってカスタム(税関)へ。オート
バイの通行許可書なのか、どこでも取られているやつであ
る、20$=2400円払い手続きは終わった。12時だ。女性係
官は出前の食事をとっていた。それを見て「あーうまそう」
と言ったら「食べるか」「少しだけでいいです」

自分の皿から私の分も分けてくれる。ライスに豆の煮たも
の、野菜の炒めた高菜に似たものだった。腹へっていたの
でうまかったそれにコーラまでおごってもらった。国境の
事務所で食事をご馳走になったのは始めてであった。暑
かったのでコーラもうまかった。

12時過ぎに国境を出てウガンダの首都カンパラKanparaに
向う。ウガンダは道路がいいと聞いていたので安心して走
り出す、がすぐにデコボコの道に、アスファルトは両サイドが
欠けてなくなっている。すれ違うたびに赤土のダートを走
る羽目になる。前からトラックが追い越して私の前に来た
よけようと左による土壁の斜面グラグラと転びそうにな
る、おー危なかった。

「何だこの道は」とぶつぶついらだっている自分がそうだ
から相手も道の悪さでいらいらしているのがわかる。負ける
ものかと気合を入れなおす。どこまで続くのかこの悪路、カ
ンパラまで200kmで4~5時間と教えてくれた国境係官。
普通は3時間ぐらいなのに変だなーと思っていたらこの悪
路を計算に入れてのことだったんだ。

前方左側に湖が見えた、ガススタンドであれは「ビクトリア湖」
と聞くと「そうだ」。悪路を走り続け疲れて喜ぶ気持ち、感激
もわかない。これから先の道路は「スムーズ」とガススタンド
の人は言う。なんと200m間隔ぐらいで今度は突飛が出て
きた。砂利道の上にスピードを殺す突飛にはまいった。何の意
味があるんだろうか。ほこりをかぶりながら走り続ける。

大きな橋が見えた「オートバイを止めて」写真を撮る。ビクト
リア湖からナイル川に流れる源流かも知れない。橋を渡る時
両サイドの水流を眺めながら渡る、500mぐらいはあっただ
ろうか渡りきった所で橋まで戻って写真に収める。何とはな
しに心静める湖は緑の色だった。(あとでナイルの源流であ
ることがわかる、写真撮っててよかったー。ここはジンジャ
Jinjaと言うところだった)

ビクトリア湖から首都カンパラ間はガタガタ道はなくなって
安心して走れるようになった。ようやくカンパラ市内に4時半
到着。この国はオートバイが多く走って125ccクラスが多い。
いつものようにさっそくオートバイのお兄ちゃんをつかまえ
てホテルまで引っ張ってくれるように頼む。最初のホテルは
「パーキングがない」ので泊まれない。

YMCAに行くが「泊まり」はやってないとの返事。よわったなー。
駐車場で「一晩だけならパーキングのある多少高いホテル
でも」と話していると側でパンを食っていた学生が「うちに
泊まっても」いいと近寄ってきた。まじめそうな学生だ。2時
間も走ってくれた最初のオートバイのお兄ちゃんにお礼に10
$渡した。

別のオートバイの人に頼んで学生を乗せてもらい自宅に向っ
た。最初学生の実家と思っていたら彼のアパートだった。市内
から30分以上走ったドヤ街みたいなさびしい場所にあった。
部屋は8畳一間でベットとソファーがあるだけ、水もガスもな
かった。兄弟で二部屋借りていて私は兄の部屋に泊まること
になった。話しかけてくれたのは弟の「マック」君26歳兄は「ピ
ーター」君28歳。


マック君のアパートここに泊めてもらった。8畳一間
一ヶ月25$の家賃と話していた。

泊まれればどこでもいい。昼間はほこりまみれ今市内から走
ってきてラッシュで汗びっしょりになる。シャワーは部屋にはな
い。そのまま下着だけ着替えて安食堂で腹ごしらえ。昼間に
国境でご馳走になっててよかった。途中で喰う暇などなかっ
たのだ。

きのうから今日まで二日間赤道に沿って走ってきた。太陽は
肌を刺す暑さを感じるが午後になって風があると涼しい、標
高が高いのだからなのだろうか。暑いのか寒いのかわからな
い、何か冷や汗をかいているようなそんな感じがする。

10月2日 赤道越えて北半球ウガンダに向う

2007年10月12日 | ウガンダ

お世話になったニューケニアのスタッフや日本人旅行者の
見送りを受けてウガンダへ向う


ケニア最後の町からウガンダへ

赤道に沿って走り続けた二日間
2007年10月2日火曜 はれのちくもり
約20日間居たことになるケニア、ナイロビ「ニューケニア
ロッジ」朝8時に出発、ウガンダに向う。お世話になったホ
テルスタッフ、普段はまだ寝ている日本人旅行者が見送っ
てくれる、皆さんありがとう。


ウガンダへの道 この後町を外れるとの道が悪かった

ナクル湖フラミンゴの町、ナクルに11時半、前回ツアーでき
た時の前が見えないものすごい土ぼこりにはまいった。
今回も同じ土ぼこりだったが風があり少しは助かった。ナ
クルをすぎた、やっぱり道が悪いアスファルトの穴に埋め
込んだアスファルトをガタガタさせながら走る。座って運転
は出来ない、ほとんど立ちっぱなしの運転になる。

赤道を越えて北半球に入る。20kからせいぜい40kmのス
ピードになる。前方は山並みになってだんだん上って周り
は高原になってきた。午後になって風が冷たく暑かったの
で脱いだジャンバーを再び着込んだ.湖の水温のような暖
かい所と冷たいところがあるように感じ体温の調整がむず
かしい。

どうなるのかと思うほど赤土、砂利の悪い道は続き赤ぼこ
り、白ぼこりで顔、服、オートバイは真っ白になる。ようやく
着いた町はエルドレッドEldretに3時半ごろ。疲れた。今日は
ここに泊まろう。ケニア最後の町だ。オートバイの周りに集
まってきた地元の青年に歩いてホテルを案内してもらう。

一軒目は1200シリング2000円は高すぎる。二軒目400シリ
ング、ナイロビと同じ800円に泊まることにした。案内してく
れた青年に100S=200円お礼に渡した。途中赤道超える時
赤道を表わす標識があるかどうか訪ねたがわからなかった。
道が悪さに気をとられていつの間にか忘れていた。それら
しき標識はなかったように思えるが、、わからない。

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