松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

2月12日 日本が生んだ世界の「野口英世」

2008年02月14日 | ガーナ




野口英世の胸像は大きい病院の広い敷地の一角
日本庭園に建っていた。上 下

2008年2月12日火曜 どんよりのはれ
野口英世細菌学者の胸像のある病院まで行っ
てみた。当時はアクラの中心だったようだが今
は市内のはずれになるのだろう。タクシーで20
分ぐらいで着いた(400円)。

大きな病院の一角に柵に囲まれた、小さい日本
庭園に野口英世の胸像は建っていた。1876年明
治7年福島会津若松生まれ、1928年昭和3年黄熱
病研究中感染して、54歳の時ここガーナアクラ
で亡くなられている。

いくつの時アフリカに渡られたのか、飛行機だっ
たのだろうか船だったのだろうかわからないが
黄熱病の研究とは言え一人で、見知らぬ土地へ
の恐怖心はなかったのだろうか、おそらくあった
だろうと思う。

今とは違い当時の情報などほとんどなかっただ
ろうし、大変な思いをされての旅だったに違
いない。小学校の頃「野口英世物語」の映画を
見たことはあるが、内容は会津若松の実家と母
親のことぐらいしか残ってない。

今でも大事に保存されている胸像「野口英世」は
太陽に照らされて、黄熱病研究功績と同じように
自信に満ちた顔はきらきら光り輝いていた。やっ
ぱりすごい人がいるもんだ。


アクラに咲く花

余談。
胸像のとなりの研究室で胸像を見るのに30セデ
ィ=300円(わたしのホテル代3日分)のお金が必
要と言われる。それにレターはあるかなど聞か
れる。ガイドブックには「ノーマネー」と書いて
あると話す。

そんな大金だったら帰ると「出て行く」しぐさをし
たら「今日はいい」と言い出して「あしたは金がい
る」と「何のこと」だかわからなかったが、野口博
士の残した研究室の資料の見学だったのかもしれな
い。

胸像は病院の中庭にあるので、自由に見学できる
場所にある。私はたまたま通りかかった人に隣の
研究室を案内されただけ。もう遅いが、今考える
と大事に保存してくれているので感謝の気持ち
を考えると少しのお金を置いてくるべきだったの
かなー、反省。


パイナップル一個50円甘くてうまかった
野菜の代わりに時には食わないとね。

2月10、11日 ガーナの日本大使館

2008年02月14日 | ガーナ

ガーナのおんなの子がとうもろこしを挽きにきていた。


ポリタンクを売って歩く人

2008年2月10日日曜 どんよりのはれ
朝10時過ぎネット屋に入る前に「フーフー」食堂を覗
いてみようとしたら「土曜、日曜」は休みと入り口で
木工の作業をしている人がおしえてくれた。アーそ
うなんだー、残念だなー。

ネットを一時間やって、屋台でぶっかけご飯を買って
(100円)ホテルに戻る。ホテルのビールは黒ビール
しか「残って」ないとスタッフの話。しょうがないなー
ま、冷えてるから我慢しよう。

ガーナ、アクラのスタジアムで行われていた、アフリ
カのサッカー予選決勝はエジプトが勝って優勝した
ようだ。


トレーニングをかねて日本大使館に行ってみた
林の中に立っていて静か過ぎてこわいようだった。

2008年2月11日月曜 どんよりのはれ
トレーニングを兼ねて朝7時半日本大使館へ向う。
ガイドブックを片手に歩く、あっちこっちと新しくた
っているビルは銀行だ。何回か途中訪ねながら9時
ちょっと前に日本大使館に着いた。周りは緑に囲ま
れて静かなところだ。

一時間ちょっとかかったことになる。途中パイナッ
プル一本50円を水の変わりに買ってビニール袋
に入れもらい歩きながら食べて来た。9時開館と
同時に大使館に入る。わたしのほかに現地の人二
人も入った。

館内に入る前オートバイにまたがっている地元
の人を見つけた。日本から「レンタルバイク」があ
るかどうか頼まれていたので、彼に「レンタルバ
イク」の店が「あるかどうか」聞いていたら大使
館の女性が館内から出て来た。大使館専用のガ
ソリンタンクからオートバイに給油している。

館内に入る、さっきの女性に「アクラ市内」の地図
があるかどうか訪ねたら「コピー」したものを渡し
てくれた。また、レンタルバイクのことはあとで「
連絡」すると話してくれる。オートバイの人は現地
採用の人だったようだ。

これまで日本大使館にはあまり行きたくなくな
っていた。ある国で英語が話せないので「あるこ
と」を「頼みに」大使館に行ったら、そんなこと
「自分でやることでしょう」と女性館員に「冷たく
」あしらわれたことがある。言われてみればその通
りのことだが自分で出来ないから相談に行ったの
だ。

現地で親切にしてもらって、居心地のよかった「
その国」で日本人の「冷たさ」を感じた出来事だ
ったからよけに「イヤに」なっていた.その国の
人たちのやさしさを「あんたは」肌で感じ取って
「ないのか」のどまで「でかかった」がやめた。

それいらい大使館には近寄らないないようにし
ている。今回はオートバイの引き取りの場所を
調べておかなければならないので寄った。ここ
の館員は穏やかに対応してくれてありがたかっ
た。

帰りはニバスに乗って帰るはずが、目的地を
告げて乗ったのだが途中で降ろされてしまった。
「どうすんだー」通り行く人に「アタブラカ」と
聞きながら歩くと10分ぐらいで、いつもの見慣
れた道に出てほっとする。


この中にトマト、お菓子などを売ってる露天のお店。