松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

<生きて帰れます> 松尾さんからの便り 

2008年04月29日 | 西サハラ
4月27日日曜カサブランカにつきました。
18日から10日間サハラ砂漠越え2000km砂嵐の中走りました。
横から前から砂風が吹きヘルメットをたたきヘルメットの中にも砂が
入り目にも入り込みます。前からの砂嵐はさざ波のごとく道を這って
きます。雲の上を走っているようです。

一面真っ白になり道が消えます。恐ろしい、怖い所で死ぬかもしれない
、イヤ、死んでしまうぞ。三日目、四日目道が見えなくなり、針のとがった
石だけの地獄の墓場を見てきました。朝から晩まで黄砂が吹き白黄色
の空模様が続きます。

もう限界でした、最後の600kはトラックをチャーターして運ぼうと考えました。
しかし、手続きが面倒で出来ませんでした。仕方なく悲壮な必死の覚悟で走りました。あしたはない。今日だけ生きようとそれだけ考えて走ってきました。
「蛍の光窓の雪、、」

怖い、恐ろしいと思うのは死ぬかも知れない、いや、死ぬぞ。
死を意識したのは初めてです。大西洋の海がときどき左に見えてきますがきれいだなーと思ったことはありません。

剥げ落ちたタイヤでもいい、コンクリートでもいい、車の残骸でも
いい、人間が作ったものが目に入るだけで気が休まるサハラ砂漠
でした。誰もいない砂漠を走るのは恐ろしい。

2000kmのサハラ砂漠を走り終えカサブランカに着いたとき、サハ
ラ砂漠にうちひしがれうれしさはありませんでした。

カサブランカでやったことは「物言わぬ」オートバイのオイルを
交換して高速水圧で洗車してやりました。あの激しい砂漠の中でも、
ほんとがんばってくれたことに我が相棒「グレズリーひぐま」に感謝です。
ま、とにかく生きて帰ることが出来ます。

5月始めにカルネ(オートバイのパスポート)が切れますので2,3日
したら、とりあえずスペインに渡ります。
2008.4.28 カサブランカより 松尾清晴

4月19日 モーリタニアのビールは世界一高い

2008年04月21日 | モーリタニア

モーリタニアの最初の村


モーリタニアの人々 ヌアークショット市内


世界一高いビール1100円串焼きのつまみはうまかった

2008年4月19日土曜 はれ 朝22℃ 12時40℃
朝方肌寒いダカールと違い少しは暖かいだろうと
ジャンバーを夕べのうちにしまいこんだ。なかなか
温度が上がらない、コトコトと道がひび割れのアス
ファルトが続く。パンクだけはしないように祈る気
持ちだ。

こんな所でパンクでもしたら大変なことになる。
首都ヌアークショットまで200kあと150kだ、1キロで
も早くたどりつきたいものだ。途中から少し道がよ
くなった、反対のクルマはかなりのスピードで飛ば
してくる。

ついたついた。ヌアークショットの街だ。スタンドで
両替して予備タンクにも5リッターずつ入れる。
ベンツに乗ったおじさんがホテルまで引っ張って
くれる。ほんとありがたい。パークホテルに着いた。
一泊6000円と高い、しかしここにはビールがある
のだ。高いが我慢してここに泊まることにする。

道から外れると砂の道になる、ホテルに着くまで深
い砂の道で2回転んだ。アー無事に着いてよかった。
12時半には昼飯のビールを飲むことが出来た。実
はきのうの夜国境のホテルでビールを若者に頼ん
だのだけど戻ってこなかったのだ。お金を持ち逃
げされたのだクスリ(ビール)が途絶えてしまった
のである。

だからきのうの分までじっくり味わって飲もう。いや
、じっさいモーリタニアのビールは味わいのあるうま
いビールだ。なんと大瓶一本1100円と世界一高いビ
ールでもある。禁酒のイスラム圏なので致し方ない
のかなー。それにしても高いぞー。

ホテルのそばに会社らしき事務所でネットを貸しても
らった。コネクトできるか心配したがつながった。いや
ーうれしくなった。ブログの更新が出来るのでもう
一泊しよう。

4月18日 モーリタニアに向う

2008年04月21日 | モーリタニア

川が国境。向こうに見えるのはモーリタニア船で渡る5分ぐらいでついた。
自動車など10台ぐらい乗れる船だった。


セネガルからモーリタニアには船で渡る。船の到着を待つ。


モーリタニアへの走り始め

2008年4月18日金曜 はれ
モーリタニアに向ってホテルを8時に出る。途中スタ
ンドで道を聞く。給油が終わった人にモーリタニアへ
の道を聞いたら「おれの後をついてこいと言って
くれる。アーありがたい。あっちを曲がりこっちに曲
がりハイウェイまで引っ張ってくれる。

これからは一本道だ。ダカールに向う逆方向は大渋
滞になっている。ちょっと込み入った二つの町で、何
回も「モーリタニア」と聞きながら通り越していく。
ポリス検問だ。「OOOがない」と難癖をつけ「12000
セファ」2400円出せと言っている。ワイロの要求な
のだ。

持っている6000セファ=1200円だけ見せて「オー
ルマネー」だ。600円だけ渡して残り半分はオレの
昼飯代。お前は「ワールド、ワーストワン」「ポリス」だ
思いっきりののしる。お前の「名前」を書けと紙を出
す。すると100円戻した。全部戻せと残りの200円も
取り戻した。アフリカで初めてのワイロ要求だった。
お陰で声がかれてしまった。

国境まで長いなー。(あとで60km計算違いしてい
た)。寂しい場所を走る不安になってきた、地元の
人に聞いて、聞いて確かめる。ようやく国境につい
た。セネガルの出国手続きを終えると扉の中に入
る。目の前には大きな川だ。フェリーでモーリタニ
アに渡るのだ。

3時を過ぎている。モーリタニア入国手続きを済
ませる。なんかわからないモーリタニア3日分の
「何とか」を買って船に乗り込む。5分ぐらいでモ
ーリタニア側についた。4時15分だ。
入国手続き30分ぐらいかかる。暑いなー、指南役
の若者について手続きを済ませる。

スタンドで満タンに入れる。道から外れると砂の道
だから慎重にしなければ転んでしまう。ホテルは
500m先にあった。両替を100ユーロと交換したが
まったく通貨がわからないままホテル代9000、、
支払う。日本円でいくらだろうか?

4月14,15,16、17日 ダカールは寒かった

2008年04月21日 | セネガル

パリダカレースのゴール地点「独立広場」とホテルのオーナーに聞いたが
ほんとなのかどうかわからなかった。プラスと呼んでいる独立広場


ダカールは寒かった
2008年4月14日月曜 はれ 
ホテルを7時に出発。ダカールまで260km、60kを過ぎて
悪路はなくなった。それでも今までの悪夢で怖くてスピードを出
せない。海が見えてきた、水田ならぬ塩田はコンバインか
ら白い塩の山を築いている。もうすぐダカールだ。ところ
がダカール市内に入るまで大渋滞。

ダカール「セントロ」「センター」と聞きながらダカール市
内に着いた。独立広場にオートバイを停めホテルを探す。
集まってきた一人の若い人がOOOホテルはすぐ「そこ」
だと歩いて案内してくれる。こんなに近くにあったんだ。
ラッキーだった。ホテル前にオートバイを移動して部屋に
入る。一泊2000円と中心街にしては安い方だろう。

周りは高層ビルが並ぶビジネス街だ。クーラー付の部屋
にしたかったがこのホテルには天井のファンだけしかな
い。独立広場のレストランで小瓶一本=240円もする、ウ
フェ。夜はホテルのスタッフに頼んで大瓶200円2本買っ
てきてもらう。地元の人でないと安く買えないらしい。
彼に手間賃100円上げても安いのだ。

2008年4月15日火曜 はれ
ダカール初めての朝。こんなに寒いのかダカールは。
ここに着く前の道悪のスタンドでダカールは「寒い」ぞと
言っていたのはほんとうだ。最初部屋に入り毛布を見た、
まさか毛布までは必要ないだろうと思っていた。しかし
明け方毛布をかけないと寒いのだ。

クーラー付の部屋じゃなくてよかったのだ。ファンだって
回すどこじゃない。ネットカフェに行ってコネクト出来るか
聞いてみた。出来ると言ったがセッテングできなかった。
パソコンのスイッチを入れても電源が入らない。転んだと
きパソコンも壊れたのかとお先真っ暗になった。今井さん
から以前裏のふたを開けてバッテリーを取り出して入れ
なおしてみた「点いてくれー」祈る気持ち。

ランプがついた、電源が入った。あーよかった。ホテルの
スタッフのオートバイで日本大使館へいく。モーリタニアビ
ザを申請する時日本大使館のレターが必要と聞いていた。
一時間待ってレターを受け取る。日本大使館は太平洋が
広がる海岸通りに建っている。

2008年4月16日水曜 はれ 朝10時21℃夕方22℃
オートバイの兄ちゃんに今日も頼んでモーリタニア
大使館にビザ申請に行く。9時前に大使館につき、
申請用紙に記入提出。ビザ代80000セファ=16000
円。うへっー高い。館員は表を見せる。日本などヨー
ロッパなど一番高いランクになっていた。

高くても5~6000円ぐらいだろうと思っていた。まさ
かの16000円、銀行に行ってお金を下ろして支払う。
で、即発行はプラス1000円だと抜かす。二度来る
のは面倒だ、仕方ない1000円支払ってパスポート
を受け取る。ま、これでいつでも出発できる。二日目
でビザ取れたのはよしとしよう。で、日本大使館の
「レター」はいらなかった。

半そでで歩居ている人は少ない、ほとんど長袖シャ
ツである。朝方17,8℃ぐらいまで下がっているので
はないか。昼間30℃ぐらい。夜はヒューヒューと音
をさせて風が吹きいっそう寒さを感じている。

食事のサイクルがどうもかみ合わない、食堂で昼は
どうにか手にすることが出来るが夜はライスがな
かったりとまちまちなのだ。ビールは昼と夜スタッフ
に頼んで買ってきてもらっているので助かっている。
彼には4日分400円手数料を渡してある。

2008年4月17日木曜 はれ
あした出発のためガソリンタンクが必要な区間が出
てきそうだ。近くのスタンドでオイルを空にした物が
ないか聞いてみた。あった、5リッタータンク二つを
200円で分けてもらった。

ホテルのオーナーにパリダカのゴールはダカールの
「どこだ」と聞くとテルのそばの「独立広場」のことを
さしているようだけどほんとかどうかはわからなかった。

ここに来て早くアフリカのたびを終わらせたい気持
ちが出てきた。とにかくこれから先のことが不安な
のだ。

4月13日 悪路で転倒3回

2008年04月21日 | セネガル

一回目の転倒でミラーを直そうと路肩に停める。本線に戻る時意外に高かった段差にオートバイの腹が使えて二回目の転倒。


転倒してスタンドとボックススティを溶接してもらった途中の村の溶接屋さん

悪路で転倒3回
2008年4月13日 はれ 朝30℃ 昼40℃
ホテルを6時30分出発。いきなり迂回道のダートに入る。
アスファルトがはげた道と聞いていたが違うのか。ふかふ
かパウダーのようなたまりにはまった。そのまま転倒、服
もオートバイも真っ白。後ろから来た車に起こしてもらう。
ミラーが曲がってしまった。

オー恐ろしい、ダートからアスファルトに戻った。スロースロ
ーで立ち姿で運転する。路肩に停めてミラーを直す。本線
に戻ろうとしたとたんオートバイの腹が段差のあるアスフ
ァルトに使えて転倒、自分も飛ばされる。オートバイは天井
を向いている。今度もうしろから来る車を待って起こして
もらう。怪我は「なかった」かと起こしてくれたドライバー
たち3人の気遣いはうれしかった

ミラーはぐしゃぐしゃになってしまった。アスファルトのは
げた穴ぼこの道はトラックを蛇みたいにジグザグ運転さ
せる。停まっているようなスピードでトラックは走っている。
それでも荷崩れを起こしたり、路肩から滑り落ちてしまっ
たトラックを見かける。あっちこっちでストップして修理し
ているトラックなど大変なことだ。

穴ぼこをさけてスロースローで走る。大きな深い穴ぼこに
つかまった、ドンドンとバウンドしてその穴ぼこと穴ぼこの
間にオートバイの腹が使えて転倒した。すれ違ったミニ乗
り合いバスの人が起こしに来てくれる。あーあー、スタンド
が折れてしまっている。これでおしまいかと一瞬頭をよぎ
る。折れたスタンドを荷物のゴムひもに挟んで走る。

ギアーが入らない、さっきのショックでだろう。ロー、セカン
ドしか入らない。とりあえず走れればいい走れるところま
で走ろう。セカンドギア^でちょーどいいスピードだ。まだ
いくらも走ってないのに転倒はこれで3回目こんなに転ん
だのはチベット、ヒマラヤ山脈越え以来だ。

セカンドギアーで走りはじめるといつの間にかサードまで
ギアーは入るようになった。おーよしよし。初めての村に
着いた。ポリスチェックらしい。スタンドが「ない」降りられ
ないのだ。ようやく事情がわかったらしく、裏に溶接屋が
あると指さす。すぐ裏手にあった。ここまでようやく100
kぐらい。

さっそくスタンドのことを頼む、見せようとしたゴムひも
に挟んだスタンドの半分を途中で落としてきたらしい。ヨ
シで覆った小屋で修理が始まった。今10時だ。ボックスを
はずしてわかった。ボックスを支える支柱も折れている。
これも直してもらうよう頼んだ。この村の中で修理が出来る
かと心配したがスタンド、ボックスのスティも直してし
まった。

修理が終わったのは13時。まだこれから200kの悪路が
待っている。いつの間にかギアーは元に戻っている。あーよ
かった。暑い、暑い、エッセンス(ガソリン)スタンドで
コーラを飲む。兄ーちゃんがゴザと布団を木陰に出して
くれてここで休めと気を使ってくれる。ありがたい。あー
気持ちがいい風がやってくる。いつの間にか眠っていた。

ホテルもあると教えてくれた兄ちゃんだったが一休みし
たら元気が出てきた。15時になっている。次の町まで84k
トラックで4,5時間。オートバイだったら3時間。兄ちゃんは
距離と町の名前を書いてくれる。暗くなる前6時には着き
そうだ。ありがとう。

道は今までのように大きな穴ぼこがひんぱんに続くので
はなく途切れては出てくる程度になった。次の町には予定
通り6時に着いた。ホテルについた、2400円もするが高く
ても仕方ない早く休みたい。シャワーを浴びてビールを飲
んで、あすにそなえよう。

4月12日 パンクだ、アーアー

2008年04月21日 | セネガル
2008年4月12日土曜 はれ
きょうはアスファルトがはげてデコボコの道を走ることに
なる。気合を入れて出発準備のためオートバイを動かした。
プツプツと音がする。ん、パンクか。タイヤの空気がない。
「パンクだ」これじゃしょうがない。きょうの出発はダメだ。
8時になったらタイヤ屋が起きているとホテルのスタッフ。

ホテル前のオートバイ修理屋でボックスをはずして、タイ
ヤをはずす。ここで働くのは10歳前後から25,6歳の若い
人ばかり5,6人。大丈夫かいな。タイヤ屋チューブレスタ
イヤはあると言っていたが、なくてチューブタイヤになっ
た。動ければいいや。それにしてもパンクが走っている途中
でなくてよかったなー。


タイヤに金属片が刺さっていた。なんだかんだしながら
タイヤ交換は終わった。12時半になる。タイヤ代5000円
オートバイ屋4000円支払う。人の移動はここの町は車
より馬車を使う人が多いようだ。馬も暑い中走らされて
大変なことだ。

4月10日 国境がない?セネガルに入る

2008年04月21日 | セネガル

セネガルとマリの国境の橋。最初見逃してしまった。見えている向こうがセネガル

アフリカの旅 セネガル
2008年4月10日木曜 朝30℃ 昼40℃
マリのホテル7時前に出発。一路セネガルへ。どんより
したはっきりしない天気、スロースローで走る。途中の
村は迂回する道になっている、地元の青年について行
き本線に戻る。

分かれ道に着いた、去年スイス人からこれからダートに
なると聞いている。給油してこれから「ガタガタ」道か
と聞くと「ノーナイス」ロードだ。なるほどセンターライ
ンは細い線を引いてある、出来立ての道路らしい。前
から気にしていたのでアー助かった。

サバンナみたいな周りの風景にロバ車が走る。予定し
ていた町にはホテルはなかった、次の町までさらに10
0k先まで走る。ついた時5時もう疲れた。ビール2本と
スパゲティそれにきのうの残りヤギの肉がある。

セネガルに入る
2008年4月11日金曜 はれ 朝30℃ 昼40℃
夜が明けきらないうちにホテルを出る。一人の男性が
オートバイで走っている。セネガル国境を聞くと自分も
行くからと言うしぐさ、しばらくついて行く。ここから「
真っすぐだ」と左手で。合図する。「サンキュウ」。走り出
してからづーとパオパブの並木が続いている。

橋を渡ってT字路に来た、さてどっちだ。写真撮りなが
ら、さてっと走り出そうとしたらポリスがこっちへ「来い」
Uターンしてポリスの前に停めた。パスポートを見て、こ
こは「セネガル」だ。エーッ。橋を渡ってマリのカスタムで
出国手続きをして来い。橋を渡って戻り細い裏道に入り
カスタムへ。

手続きは簡単に終わった。しかしカルネの出国スタンプ
はない。言ってもしょうがない。ま、いいだろう。橋の真ん
中にマリ&セネガルの国境標識が建っていた。セネガル
側のカスタムでカルネの手続きを終えると入国手続きは
ポリスの交番へ行けと云う。街中の奥まった所に警察署
があった。おじいさんのような人がスタンプを押して終了。

国境を越える時は道路のそばにカスタムが必ずあるは
ずなのにここにはなかった。知らないで通り過ぎてしま
う人もいるのではないか。自分も、もう少しで不法出国、
不法入国するところだった。給油するため、またもマリ側
へ橋を渡り行ったり来たり3回目。

ロバ車から馬車に変ってきた。今まではロバ車ばかりだ
ったのが馬車になった。村の人々の頭に巻くダーバンや
着物が色鮮やかなものが目についてくる。国境で聞い
たこれから道が悪くなる手前の町に泊まることにする。

4月7,8日 マリ 首都バコマ

2008年04月20日 | マリ

丸い家から四角の家に変ってきた マリ

2008年4月7日月曜 はれ
ニジェール、ブルキナファソに比べると暑さがやわらい
だように感じる。陽が落ちた夕方宿の周りを歩く、土壁
家の軒先には仕事を終えたおやじさん、おばさん達、そ
して若い人たちは5,6人集まってしゃべりながらくつろ
いでいるのどかな雰囲気だ。

これまで炎天下を走ってきた。走っていて気がついた
のはロバ馬車が多いこと、トラックのスタックが多いこ
とだ。あの小さいロバが薪(まき)を積んだ荷車を一頭、
あるいは2頭立てで活躍していた。クルマよりロバ馬車
の方が目についた。そのロバ馬車に追突しているライト
バンも見かけた、考えられないことだ、まったく、ロバは
大丈夫だったのだろうか。

運んでいるのは薪(まき)ばかり、時には自転車に山の
ように積んで運んでいる、見ているだけで今にも倒れ
そうだがハンドルを木で固定して押していた。女性も
同じようにして運んでいた大変なことだろう。

またこれまで走ってきた中で目につくのは道路の脇に
停めて修理しているトラックが多いことだ。走っている
と草や、木の枝をトラックの前後、道路にまきちらして
注意をうながしている。

一日に5,6台は道路際に停めて修理しているのを見
た。中にはトラックの下にベッド敷いて長期戦に備えて
いたドライバーもいた。また同じトラック同士気持ちが
通じ合うのだろう自分のトラックを停めて手伝ってい
るトラックも見受けた。なにせ炎天下の下大変なこと
だ。

ガーナを除いてこれまで走ってきた、トーゴ、ベニン、
ニジェール、ブルキナファソ、マリは元フランス領なの
でフランス語だけで英語はまったくと言っていいほど
通じない、若い人は少し話す人もいる。そこへわたし
がいるのだが人々は親切なのでどうにか過ごすこと
が出来ている。

一度は直したスタンド、道のデコボコでスタンドが落ち
てガガーを引きずってきたこともあり停車する時オー
トバイのスタンドの座りが悪い。この前はペトロールス
タンドで転んだ、自分もいっしょに崩れ落ちるので危
ないのだ。転んだ時は胸を打ったり腰を打ったりして
今も痛い。

オートバイ屋に来てもらい、スタンドをはずして溶接屋
で思い切って曲げた。これでスタンドの軸が「突飛」と
かに当たっても当分は心配しなくてすみそうだ。溶接代
手間賃込み1200円。

2008年5月8日火曜 はれ
これから進むセネガル方面への道を調べる。ガイドブ
ックの市内地図、道路地図を広げてホテルのスタッフ
にどっちの方面かを聞いた。地図ではホテルの位置
がわからないので分岐点まで歩いて行った。500m
ぐらいで右に大きな道路が続いている。この道を真
っすぐに行けば「いい」と教えてくれた。

バコマ市内から出るのに厄介なことになりそうだと
気がかりだった。市内から出るのは意外と簡単でホ
ッとした。その曲がり角ロータリーにはモニューメント
が建っていてマリ国旗がなびいていた。

ホテルに戻る。オートバイの両サイドのボックスをつ
ないでいる布がシートからずれ落ちてくる。そのず
れ「落ちる」のを防ぐため後ろのボックスとシートの
間にL字型のアルミを探しに行く。ホテルのスタッフ
にマルシェについて行く。

古本、ノート、釘、ツルハシ、ホース、洋服、布、食器、
便器、サンダル、はみがき「木」、ピーナツ、ゴムひも
何に使うのかわからない金具、工具、くさり、建築材
鉄棒、鉄板、オートバイ修理、販売、部品、溶接屋、薬
草何から何まで売っている。西アフリカの国でのマ
ルシェ(バザール)はどこの国でも50年100年たっ
ても変ることがないのではと思う。

鉄骨屋の棚に捨ててあった空のかんかんを切り落と
してL字型に直してもらう40円。これでも金取るの
か、これじゃ拾ったほうが安くて済んだなー。ホテ
ルに戻りボックスをつなぐ布の下にL字アルミ缶を
組み込んだ。

前ブレーキのオイルもれ、スタンドの座りも直した、
とりあえず気になるところは今のところはなくなっ
た。これでいつでも出発できる。

アフリカを旅している青年Iさんがホテルに来たと
ゆうより戻ってきた。ギニアかどこかへ行って戻っ
てきたらしい。そのIさんとネットカフェに行き、日本語
で打てる「方法」を習った。彼はこれから3年かけて
旅を続けると話す北海道出身。日本人女性はNGO
の活動を続けているようだ。

昼はセネガル料理200円と高い、夜はマリ料理120
円と安い。それぞれ持ち帰り、宿でトマト、たまねぎ、
きゅうりを添えて毎日同じパターンの食事が続く。












4月4,5,6日 ニジェール川沿いからマリへ

2008年04月20日 | マリ

砂漠を流れるニジェール川、大きいなー。幅2kmはあるとホテルの兄ちゃんが話す。マリ


砂漠地帯で暮す人々 マリ

アフリカの旅 マリ
マリに入る
2008年4月4日金曜 はれ 朝25℃ 昼40℃

きのうの朝と同じ6時30分にルネッサンスホテルを出発。
北の国境を越えてマリに入る予定だ。クリーム色のシャツ
を着たハイスクールの生徒達が自転車で歩きで登校して
いる。朝もやの中ぼやーッとした道をゆっくり走る。天気
のせいもあるがだいぶ目の視力も悪くなったようだなー。

アレーッ突然あたり一面みどりのじゅうたんになる、なん
だろう、ん水田なのかな。道そばをよく見ると水を張って
苗を植えている、稲作なんだー。田園地帯は4~5k続いた。
温度も22度に下がり0以下で昼間死んでいるかのような
湿度計が5%をさしている。壊れてはないんだ湿度計。

不思議だなー砂漠地帯の一部に水張って稲を作っている。
すぐに畑から原野の平原に戻る、温度計30℃、湿度計はい
つものごとくゼロ以下に戻りストップ止めで停まっている。
今度は一変してさえぎるものがない平原の乾燥地帯を走
る。踏み切りの腕木遮断を通り過ぎようとしたらピピーと
笛の音。呼ばれた所はブルキナファソの国境だった。思った
より早く着いた。

ブルキナファソ出国手続きはすぐに終わった。わたし以外
には誰も周りにはいない。5kぐらい走ってマリの国境で入
国手続き終わり40m先のオートバイのカルネ手続きもすぐ
に終わった。きのうベンツの男性に教わった新しい道、クラ
ッチャーと言う町を通っても「大丈夫」かと地図を開いて聞
く「OK]ナイスロードと返ってきた。

途中の村の入り口出口でスピードを落とすための「突飛」
にここんとこやられっぱなし。気をつけているんだけど標
識がないから飛び上がってから気がつくのだ。村に入ると
スロースローで走っているがそれでも時々引っかかってし
まう。途中の小さい町で給油、そこのスタンドのお兄ちゃん
が引っ張ってくれた中庭の広いレストランで昼飯のビール。

14時前今日の予定地セグーSegouと云う町つく、ホテル
はペトロールスタンドのすぐ先にあった。時間は早いが無
理をしないでここに泊まることにする。クーラー付4000
円ファン付のみ2400円と高いなー。クーラー付に泊まり
たいが2400円のファン付で我慢する。ガイドブックをひ
ろげていたら、ニジェール川が一番近いことを知った。
ホテルのスタッフがオートバイで乗せて行くと話す。

600円とタクシー代より安くしてもらいニジェール川まで
見物に行く。10分ぐらいでニジェール川についた。大きな
川だなー、砂漠の中にある川、ナイル川に続いて二番目の
川ではないかなー運搬船に積み込む人々、渡し舟なのか
遊覧船なのかわからないが一杯乗せた細長いボートがは
しっている。

川岸では魚とる人、洗濯する人、水遊びする子どもたち。
川岸には大きな遊覧船も停泊している。川幅は2kmぐら
いあるとホテルスタッフは話す。じーっと眺めているだけ
で気持ちが安らぐ。

2008年4月5日土曜 はれ 朝22℃ 昼40℃

昼間の暑さに慣れてきたので22度の朝は涼しいぐらい。
けさも朝の早いセグーのホテルを出発。今日は首都バコマ
まで230k。アスファルトではあるがゴトゴトと振動で走りづら
い。白いマリの空、思ったより暑さを感じなくなった。狭い道
路の両サイドの赤土が続く。対向車がくると路肩に入り込ま
ないように注意がしなければならない。

大きなニジェール川を渡ってバマコ市内中心街に着いた。
地球儀のモニューメントのある大きな通りをタクシーで目
的のホテルを探すが、「わかる」と話したタクシーはあっち
こっちで聞きながら走る。これじゃ仕方ない大きなホテル
に入ってみる。一泊9000円と目玉がとびだす値段。わたし
は一泊2000円ぐらいのホテルを「探している」とホテルス
タッフに話す。

すると、スタッフは歩いてすぐのホテルまで案内してくれた。
ありがたかった。一泊2000円天井にファンじゃなく扇風機が
着いてるだけ。安宿のスタッフと話していると日本人女性の
旅行者が出てきて地元語で通訳してくれた、久しぶりに会う
日本人、何かと情報とか聞けそうだ。11時を過ぎたばかりだ。

部屋が空くのは12時過ぎ、それまで昼飯はビールだけ売っ
ている場所にピーナツを持って出かける。夜は日本人女性
の案内でセネガル料理を作っている店とゆうか普通の家ま
で買いに出かけて部屋で食事する。日本人女性の話だと最
近まで多い時は5,6人がこの安ホテルに泊まっていたと話す。

2008年4月6日日曜 はれ
今いるマリの首都、バコマはどのくらい大きな町なのか
なー。泊まっているホテルの周りは静かである。午前中
日本人Nさんはマシェル(バザール)に買い物に行くの
で見物方々ついて行く。狭い路地にはぎっしりあらゆろ
物を売っている。アメ横より数十倍の規模でとても一人
じゃ歩けない。

その歩けないマシェルの帰りにNさんを見失ってしまっ
た。ウーン困った、ホテルの名前も覚えてない。マリ?大
きなホテルの名前を近くの人に訪ねるがわからない。
タクシーを拾ってメイン通りのホテル、マリと言っても通
じない。若い人の前で車を停めてわたしに話せと言った。
わかったのかわからないのか走り出す、行く先のわから
ない客を乗せたタクシーもいい迷惑だ。

あっちこっち走り回る、大きなメインどおりに出てきた、
地球儀のあるモニュメントは見覚えがある、真っすぐ行っ
た所だ。大きなホテル前についた。ようやくたどり着く
ことが出来た、この間一時間かかった。Nさんは「探した」
んですと話す。大きなホテルの名前はマリではなかった、
MIUGUだった。

出かけるときホテルの名刺や住所を書いていけばよかっ
たのだがうっかりしていた。以前イングランドの小さい町
ですぐに戻るつもりで出かけ、2時間も探しても戻れなく
なりそうになったことがある。このときは夜なっていた
のであせったなー。

オートバイの前ブレーキからオイル漏れがある。きのう
ホテルのスタッフにメカニックを呼んでくれるように頼
んでいた。メカニックの人はブレーキ板と部品を交換し
てオイル漏れも直した。1万円以上はかかるだろうと覚
悟していたがブレーキ板、部品代2000円、手数料1000
円、トータル3000円で済み助かった。

夕方ネットカフェでスタッフが一時間以上かけてもコネ
クト出来なくてダメだった。ガーナ、トーゴ、ベニン、ニジ
ェールとどこでもコネクトで来たのにどうしたんだ。エ
チオピア、ウガンダに次いでコネクト出来ない国になっ
た。日本へのメールも送れない。

食堂の看板もない普通の家で作っているマリ料理を今
晩も買いに行く。6時半ごろ行った時はカマドにマキを
燃やして煮込んでいる最中だった。8時ごろ「来い」と
云われてホテルに戻る。腹減ったので7時半ごろ再び
セネガル家庭料理屋へ。カマドから下ろした出来立ての
大きな釜は土間に並べてある。

料理は愛情と聞いたことがある。豊かな表情のおかみ
さんの座った周りに釜が取り囲む。スパゲティの釜、炊
き込みご飯の釜、豆の釜、肉の釜、内臓の釜、スープ釜、
ジャガイモの釜など見るからにおいしそう。地元の人た
ちが鍋や、容器を持って出来上がるのを待っている。

4月2,3日 ブルキナファソからマリへ

2008年04月20日 | ブルキナファソ

荷物といっしょにヤギまで運ぶ乗り合いバス マリ

2008年4月2日水曜 はれ 朝25℃ 昼3時48℃

5月8日1年有効のカルネ(オートバイのパスポート)が切れ
てしまうので早くモロッコまでたどり着きたいものだ。どこ
この国にカルネを送ってもらうのか考えなければならない。
ここまできたら一歩一歩進むしかない。まだまだ日本は遠
いなー。あした3日マリの国境に近いボボ、デラッソまで走
る予定。

今日もオートバイのミラーを直そうと午後3時ごろカバー
を取ったら48℃をさしていた。ニジェールで一番暑い3時
ごろネット屋に通って身体を慣らしていたのでさそんなに
は暑さを感じない。

2008年4月3日木曜 はれ 朝23℃ 昼40℃ 

ワガドウグからマリの国境に近い、ボボ、デラッソに向う。
出発する時はいつも朝は早い。ホテル、アイデアルを6時
30分出発。信号「二つ目を左」へとホテルのスタッフに聞
いていたが、曲がった所で地元の人に確認する。「ボボO
K」か「OK]真っすぐだ。

日本の地方の道みたいな狭い道路、地元の人たちの通
勤が始まっているようだ。自転車、ロバの荷車も忙しそう。
さびしい道になってきた、これまで3度4度も「ボボOK」か
と聞いてきたがまだ不安がある。さらに5度も6度も聞き
ながら走る。朝ごはんの仕度、かまどから煙が村のあっち
こっちから上がっている。今日はボボまで350kぐらいだ。

ボボデラッソに着いた。地元の人はボボで通じる。鹿児島
の人が聞いたら顔を赤らめる言葉だろう。まだ12時前だ。
タクシーでホテルまでついて行く。旅を始めた頃ヨーロッ
パなどでは自分でガイドブックを見ながらホテルを探し
ていたが最近は体力消耗を考えるとタクシーを使った方
がどんなに楽かがわかった。暑い時は特にそうだ。

それに人に聞いても、地図の見方もわからない人もいるし
第一いちいちも聞くのが面倒になった。やっぱり年だなー
と思う。朝25℃と涼しいぐらいだったが、昼には40℃にな
る。ルネッサンスホテルはクーラー付部屋はなかった。ファ
ンだけで暑そうだが一晩だけなので我慢しよう。1500円。
ホテルのスタッフにあした走る国境越えてマリ、バコマに
向う道を訪ねる。

①最近出来た道を真っすぐ西へ走りマリ、バコマに。
②南に走りいったんコートジボアールに入りマリバコマに
向う
③北へ走りニジェール川沿いに走りマリ、バコマに向う
道路地図を見せながら三つのルートを聞く。ホテルのス
タッフはちんぷんかんぷん。スタッフは英語のできる女性
を連れてきた。

女性は①が一番③が2番②は道が悪いと話す。そこへベ
ンツのクルマが停まった中年の男性だ。1番は③の北へ向
ってニジェール川への道が一番いい。①②の道は途中か
ら道が狭くなり悪くなると親切に教えてくれる。よし決ま
った、あしたの道は③の北ニジェール川に向ってへ走ろう。

最初は②南のコートジボアールに入ってからマリに向おう
と安易に自分勝手に考えていたのだ。そのまま走ってい
たらひどい目に逢ったに違いない。やっぱり国境近くの人
に聞いたほうが正確な情報が得られる。あー聞いてよか
ったなー。

緑多い落ち着いたボボデラッソの街、バザールなど活気
のある街に感じる。近くのレストランで夕食、ヤギの肉炒め
とライス、ビールトータルで720円。ビール160円とが高い
なー。