松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

オートバイひとり旅・シベリア横断~中央アジア  71 イラン~国境~パキスタン入国

2013年12月31日 | 赤道直下と陸路国境148か所


ようやくたどりついた・・イラン国境で暮らす人たち(上・下)写真のプレハブみたいな建物右の方から入り
出国手続きをすませる


出国・入国手続きを終わり・・・「仕切り鉄線」ロープを過ぎて・・パキスタンに入ったばかり・・係官の人たち
なんとなく人なつっこい感じをうけた

パキスタンに入国

2003年10月20日月曜 はれ22℃ 6時19℃ 8時30℃ 12時35℃ 13時30℃
ケルマン泊まりザーヒダン国境まで80km。朝6時に出る、昨夜10時頃寝ていたところを起されて
オートバイを奥に入れ直すように言われる。きのうと同じ平坦な道路・・両サイドにはとがった岩山の
姿を見せて続いている。平均120キロのスピードで予想どうりの時刻で街をかけ抜ける。

国境に着いたのは12時30分。予想した時刻だ。イラン側30分で出国手続きは終わる。パキスタン
側に13時に入国手続き。ところがであるカスタム(税関)でなんと1時間以上かかってしまった。
自分としてはもうちょっと先の町のところで泊まりの予定をしていた。

国境で聞くとどうもこの先のホテルは300キロぐらいのところらしい。まぁいいかきょうは国境の
そばにあるホテルに泊ることにした。最初の出だしは120キロで走っていたがだんだん落ちてくる。
知らぬ間に100キロ以下に落ちてくる。

疲れてくるとどうしても落ちてくる。砂漠みたいなほこりっぽい中に土塀みたいなジグザグの仕切りで
今までの中では味わいのある温か味のある国境だった。

イランに比べてパキスタンは何か人柄はいいように感じるなー。イランは何か気を抜けない気がしてい
たし・・。さてさてほんとうはどうなのかはこれからだ。パキスタンに入った。ううーんここはどっち
を走るのだ。右か左か?走り始めて戸惑う。

わかるまでしばらく真ん中を走って前から来た車を見てから判断だ。そろそろと走ってわかった、日本
と同じ左側通行だ。とりあえずガソリンを入れよう。スタンドはない。


ガソリンスタンドはない・・路上のポリタンクから直接入れる・・オイオイ大丈夫かいな・・布を使って砂を
入れないようにしていた。

腹から首まで手を上げて「ゲッ」っと「満タン」どこの国でもこのしぐさで・・一発で「O・K」
ドラム缶からポンプで汲んで「ジョウゴ」で入れる。ガソリン10リッター300ルピ=5$=600円。
イランは10リッター=120円だったのでパキスタンに来てだいぶ高くなった。

パキスタン国境を出てすぐの左にあったこぎれなホテル。ホテルに戻って泊まる手続きをした。二階建ホ
テルは5$=600円。泊まっている人はあまりいない。水シャワーを浴びて下に行ったら両替屋が来ていた。

20$・・レートは安いが仕方がない。カスタムで聞いたレート1$=58ルピ・・..両替屋1$=50ルピと大分
安いが仕方ない両替した。

砂が深くなってきたな・・さてどうなるものか・心細くなってくる


オートバイひとり旅・シベリア横断~中央アジア  70 イラン・イスファン~国境パキスタン 

2013年12月25日 | 赤道直下と陸路国境148か所

2003年6月日本からウラジオアストックにわたりシベリア~モンゴル⇔~モスクワ~カザフスタン~中央アジア
~イラン~アゼルバイジャン~グルジア~トルコ~イランなど走りこれからパキスタンに向かう。


なんとなく雰囲気のよくない感じのするイラン最後の町ケルマーン

2003年10月19日日曜はれ19℃昼30℃はれ30℃はれ30℃夕方も案外暖かい。

今日は日曜日だけど、ここの休みは金曜日なので朝早くから車が走っている6時前に目が
覚めていた。そのまま支度して7時にホテルを出発。ヤスド~ケルマーン方面への道は
ゆうべ聴いて確かめていたのですんなりと幹線に乗ることが出来た。

寒いと思って丸首+カッパズボンをはいて走るが温度は20℃でそんなには寒さを感じない。
予想では山岳地帯のカーブの多い道路だろうと思っていたけど平坦なまっすぐの道が続いて
いた。

おとといのガス欠寸前のこともあり100キロ足らずで給油してスピード120キロ平均
で走る。平原地帯・・砂漠地帯だったり岩山のとんがった山が右手に見える。意外と早く
ヤスドを通過。ここら辺は去年かおとどし地震があり被害が出たところと聴いている。

あと「330km」で「ケルマーン」の標識。片側二車線で上り下りは離れているので安心
して走れる。ケルマーンに15時に着いた。ホテルを探すため一時停車、いつものように
オートバイの人に聞く。周りに人が集まる・・ホテルまで頼む・・。

うん・・なにかおかしいぞ??。うしろのボストンバックの小物入れのチャックが開いている。
「お―お前か」「人のチャックを開けたのは!・・「この野郎」「おまえは盗っ人」か・・と
日本語でどやしつける。若者7,8人のグループだ。

こっちはひるまない。一人になったらなにも出来やしないくせに・・・。空手で「目玉」を
えぐりとるしぐさを見せてオートバイから降りようとすると、仲間の一人が「まぁまぁ」
なだめにかかるがこいつら許せねー。

物は入ってないけど人のバックのチャックを開ける行為が許せないのだ。パトーカーが来た。
若者はいなくなった・・ついでにホテルまで誘導してもらうがなんと65$(8000円)
もする高級ホテルだった。

高級ホテルの支配人にもらった市内地図に書き込んであったホテルを紹介してもらった。
行ってみたが満杯でダメ。その前のホテルは行ったけど休業でダメ。

またまた通りかかったオートバイに「ビッグホテル・ノ―」「スモール・スモールホテル
」をと頼んで10分以上引っ張ってもらい5$=600円のホテルに着いた。

ここまで来る途中オートバイ50cc・2台3人のグループが走りながら話しかけて来た。
最初適当にあしらっていた。ところがおれの前に出てきてブレーキをかけ「じゃま」する、
これも初めてだ。よーしこの野郎とニラメつけるが効き目なし。

二度目に前に来た時「止まれ」怒鳴りながらおれの方から本気で蹴飛ばしてやろうと急接
近したらUターンしていなくなった。だんだん質の悪い地域になってきたな。ホテルでは
オートバイを中に入れないとだめだと隣りの人が言う。

塀を乗り越えられて自分のオートバイを盗られてしまったと話す。その人は隣りの材木
屋から板を持ってきて階段に敷いてくれたので玄関にようやく入れることが出来た。

最初の若者がいた場所でバックからなにか盗られているか宿で確かめたらサインペン一本
が無くなっていた。地元の人が「ダダダ―ン」と機関銃のまねをしてパキスタンは危ない
と言う。

そういえば国境近くになると隣りの国のことをよく言わない国もこれまでも何箇所かあった。
今日パキスタンの国境まで走れなかったが・・まぁあしたは楽勝だろう。

オートバイひとり旅・シベリア横断~中央アジア  69 イラン・テヘラン~イスファン 

2013年12月18日 | 赤道直下と陸路国境148か所

上・イラン・イスファン・・これからパキスタンへ
下・テヘランから半分200キロ走ってきた・・イスファンまであと200キロ

2003年10月17日金曜 朝20℃ 25℃ 30℃
イスファンに向けて再スタート。テヘランのホテルを出る。オートバイは部品屋
オーナーが8時前に出してくれていた。ありがたい。ハイウェイの入口まで引っ
張ってもらった。

その前市内を走っているとマイカーの人が突然日本語で話しかけて来た。ビック
する直近に寄って来た・・停まる寸前にバランスを崩して倒れる。マイカーのう
しろのタイヤにオートバイのミラーがくい込んでしまった。親しく話していたが
倒れてから保証してくれ・・と。

「なにを言ってるんだ」あんたが「突然」「話しかけたからだ」マイカーはその
まま走り去った。ミラーは工具を出して直す。イスファンに向かってハイウェイ
を走り途中の料金所でおまわりに止められて「オートバイはダメ」ときた・・

「ふざけんじゃない」「きのうは大丈夫だった」日本語でまくしたてる。隣りの
事務所にエライ人?がいるところまで連れて行かれる。結果はOK。


高速道路・・・テヘランからイスファーン

そのままハイウェイを走りテヘランから約400kmイスファンに14時頃着いた。
イスファンに着く100キロ手前から高原になっていた。イスファンの宿はウズベ
キスタンで会ったひとり旅の女性カドデラさんにおそわったメモを持っている。

そのメモをオートバイの兄ちゃん二人に見せホテルまで引っ張ってもらった。
ほんとにオートバイの人にはお世話になるなー。ホテルには日本人がわんさか
泊まっているとのこと。

泊まる手続きをしていると日本人が「オートバイできたの」と話しかけ玄関前に止めて
いるオートバイを数人で見に行った。中庭のある宿になって何人かはくつろいでいた。

日本人旅行者10人以上泊まっているようだ。自転車3人、ツーリスト3人、その
他ひとり旅とか・・。泊まり10$=1200円。さっそくお店を聞いて夕食の買
い物を済ませるイスファンは夕方肌寒さを感じる。標高1400mあるらしい。

2003年10月18日土曜 はれ温度計見られず はれ19℃ 昼30℃

朝方寒い・・やっぱりテヘランとはチト違う。朝5時前に目が覚めてから寝つかれづ
ウトウト9時過ぎてベッドから出る。11時半頃ホテルの前の道に続く有名?な「橋」
を見に行く。

長い石橋を渡ってみる。けっこう地元の人たちの人出があり川の岸辺ではくつろいで
いるひとも。橋の途中には見晴らし台みたいな避難場所みたいものもこしらえてあり
めずらしかった。


めずらしい橋・・渡りきったところから

そのまま帰りにはエルム(イマーム)広場へ。家族連れで来ていた親子に写真を撮っ
てもらったりしていた。ここは静かでゆったりしている、が。案内の青年がひつっこ
くついてくる、案内してあげるみたいなことを言う。

「あっちへ行け」最後はどなる。一人でゆっくり歩きたいのだ。おじゃま虫め。宿に
3時に戻った。ネットは宿にあり3時間(360円)過ごす。夕食はニワトリのブロ
イラー焼き半分買ってきた。



青のタイルが美しい・・エルム(イマーム)寺院

午前中にパキスタンやアフガニスタンを旅してきた自転車旅人に情報を聞いた。反対
車線に強引にはいってきたり、追い越しなど相手かまわず走ってくると。追い越し車
が来て田んぼに「飛び下りた」こともあるとか・危なかったと。

アフガンは危ないとか、インドはもっとひどいとかの話にビビってしまう。本当に危
ないのかな。

しかし、「人に聞かれたら」話そうと大げさに「整理した」話しに聴こえた。普通に
話ししてもらえればいいのに・・。まぁ注意して走れなければと思う。さーあしたか
らパキスタンに向かって走ろう。

たのしかった忘年会・・「あきらめない・なげださない・地球の旅人」

2013年12月10日 | 赤道直下と陸路国境148か所

12月8日錦糸町・飲み放題・くい放題・頼み放題・・2880円
さまざまな分野の人たち全部で27人あつまりました。

四国高知から・・茨城からそれぞれ遠いところからも。
ろうあ者のかたも手話通訳のかたも・・これから結婚される
カップルもきてくれました。

楽しかった忘年会でした。参加されたみなさんごくろうさまでした。

聴こえない人たちのためにA4サイズで自己紹介しました。


手作りイカダでアマゾン川下り。走ってアメリカ横断・オートバイで世界の旅。
著書5冊。坪井伸吾さん





小児まひのため両足不自由・・それでもオートバイでオーストラリアなど世界を走っている中澤さん

ろうあ者たちに声をかけてくれた黒川さん。最近ブルガリアで開催されたろうあ者のオリンピックを見に行ってきました。オートバイで世界を走っている聾の袴田耕平さんと居酒屋でバッタリ会ってびっくりしました。

手話通訳で忙しかった田口さん。ブルガリアで行われた聴覚障害者オリンピックにいってきました・・お酒だいすき。手話通訳ごくろうさまでした。


ユニークなハンドルネイム・・「蘭丸」さん。今回会計を受け持ってくれました。

オートバイでアメリカ横断・韓国・国内もハーレーで走りまわっている相模のコンさん

アフリカ・アルジェリアからオートバイでサハラ砂漠を縦断したり南米など走行中の新保さん

サラリーマンでも旅はできるとレンタルオートバイで世界を走り・実践中の小口さん。ミュージシャン。

世界の酒蔵(さかぐら)めぐり50か国以上続けているバックパーカーアラスカ原田さん松尾がアラスカで事故った時出会ったので「アラスカ原田」さん

スクーターでシベリア横断した野地さん。今月12月発売雑誌「風まかせ」に掲載されています。ドラマーで毎週練習や公演で忙しそう

ヨーロッパ・中央アジア、東欧には明るい。松尾とマケドニアで出会ったので「マケドニアようこ」さん

アルゼンチン・ウスアイアから南極などの旅を続けている。藤田吾朗さん
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四国から参加してくれたMUGAKUさん。ラオス・カンボジアなど遺跡巡り・・歴史の先生。

プロカメラマンの山崎さん

2月に結婚される石澤さん夫婦。おめでとう。


上智大学非常勤講師・松尾さん

リヤカーを引いて日本の海岸を歩きつづけている塩田忠一さん。いま九州なのでもうすぐ日本一周達成する。

花見などども使っている「あきらめない・なげださない・地球の旅人」横断幕

たべた・のんだ・しゃべった・まんぞく・・参加者たちと記念写真。ごくろうさまでした。
(写真提供・相模のコンさん)

オートバイひとり旅・シベリア横断~中央アジア  68 イラン・テヘラン 60才誕生日

2013年12月04日 | 赤道直下と陸路国境148か所
60歳の誕生日

2003年10月15日水曜 はれ はれ はれ
とうとう・・イヤイヤ・・ほんとうは待ちに待った60歳!。
ようやく来たなーとゆう感じ。しかしこれからの人生あと
いくばくもないこと・・を思うと、やっぱり死ぬことは恐いと
思う。80歳になってどうして生活しているのか


想像もつかないが。まぁーしょうがない・・考えてみたところ
でどうにもならんことだもの。バイクにまたがる年数も限られ
る・・いくばくもないだろう・・あと5年ぐらいはもつかな―。
いやダメかな―。

これで3回目、海外での誕生日になった。日本から出発したオ
ランダが最初。アメリカ・ニューヨーク9・11事件一週間後
一時帰国して誕生日10月15日にアメリカに戻って2回目。

午前中オートバイを預けている工具部品屋さんへ。①前照灯を
下げる②マフラーに穴が開いているのでふさぐ③補強した金具
がスプリングにあたるので削る、などここでは出来ないだろう
と思ったが話してみた。

するとなんとすべてやってのけてくれた。そればかりでなくて
オイル交換、オイルフィルターの交換も・・なんとお金はいら
ないと・・いやーすみません。厚かましかったなー。

ここのオーナーはオフロード・オートバイに乗っている人だった。
お礼にわたしのオートバイを街に出して「テスト」してみてと頼
んだ。するとお店の人を何人かうしろのに乗せて何回も走りまわ
っていた。

これぐらい喜んでもらうとこっちもうれしい。イランでは250
cc以上のオートバイを持つことは認めていなので余計にうれし
かったのではないかと思ってしまう。

夕方まで4時間ネットをやった30000=300円。ホテルに
戻ったのは18時。自宅に電話を入れる変わりなしで安心。夕食
は持ち帰り弁当を買って缶ビールは冷水っで冷やしてある。

今日はわたしの誕生日・・走り始めて外国での誕生日はここで
3回目かな・一人静かに盛大に60歳のジイさんの誕生日・・・
カンパーイ。

2003年10月16日木曜 朝21℃ 20℃ 昼13時38℃
あーパスポートの受け取り忘れた。朝8時前にホテル前に預けて
いるオートバイを出してイスファンに向かった。ハイウェイに乗
るまでかなり複雑な道を通ってハイウェイに乗って走り始めた。

9時になってベンジンを入れて気づいた。ホテルでパスポートを
受け取るのを忘れてきたことを。いつもパスポートはホテルフロ
ントに預けることになっている。それをチェックアウトの時受け
取るのだが。

前日に精算をすませていたのでそのまま出てきてしまった。いやー
あせるなー。しかし,Uターンする場所が出てこない。Qomとゆ
う料金所ここまで120km。テヘランにすぐに折り返した。

10:30になっている。テヘラン市内に着いた。ここからホメニ
イ広場まで行くのが大変なのだ。何か所かで何人も聞いて走る。
あっちだこっちだまったく逆の方を教えてくれる人もいる。

信用出来そうな商売用のライトバンの人にホメニイ広場まで引っ張
ってもらいホテルに着いた。ホテルに着いたのは13時30分。パ
スポートを受け取ってすぐにすぐに引き返そうと思った、がオート
バイを預けている部品屋さんあした「金曜日で休み」だけど預かっ
てくれるかどうか。

お店に聞いた見たら「OKOK」休みでも朝8時には開けてくれると
言ってくれた。あーこれで安心。あと一泊することに決めホテルに
入る。シャワーを浴びてネット屋に行き2時間やって戻る。

部品屋さんきょう木曜は早目に閉めるらしい。晩めしは持ち帰り弁
当を買って部屋で食べる。あしたから仕切りなおしだ。