松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

第8次。71才・オートバイひとり旅・地球走行中・トルコイスタンブールからブルガリアに到着

2015年06月25日 | 120ヵ国・35万km突破












2015年6月23日火曜   午前中雨    午後はれ
雨がやんだと思って散歩に出かけた。はげしい雨になって雨宿り。宿に戻ってメーターの
メカニックが来るのを待つ・10時はとっくに過ぎた。

12時前に部屋をたたく・・メカニックが来てくれたようだ。メーターのコードを取り外
して・・2時間ぐらいで戻ってくると。

まぁきょう中に出来上がればいいや。雨が上がっていい天気になった。はがきを出しにポ
ストオフィスに。宿に戻ってきたらメカニックの修理・・新しいコードを付け換えて終わ
っていた。

さっそくテスト運転・・うんヨシヨシ・・これで大丈夫だ。最初メーターの構造からやり
直すのかと思っていたら違った・・メーターにつないでいるコードを取り替えるだけで直
せるのだった。

昔、自転所の電灯をつけるため・・タイヤに発電機のポッチをすりつけて発光させる。メ
ーターもそのたぐいのもだろうと思う、もっとも高度になっているとは思うけれど・・な
にはともあれスピードメーターが直ってホッとした。安心して走れる。

最初ホテルのオーナーがオートバイのうしろに乗って案内してくれていた。右に曲がると
き右肩を・左は左肩を・・たたいてくれと頼んでいた。

「突飛」をわからずに・・かまわずドスンと乗り越えたり・・反対車線をかまわず走った
り・・宿に帰ってから「カミカゼ」だとオーナーが嘆いていた。

「カミカゼ」を知っていた。恐くなってあたしいメカニックに行くのをやめて「出張して
もった」のだろうと思う。

出張してもらって・・修理代、120リラ・・6000円ぐらい。安く上がってよかった。
オーナーありがとうございました。

ゆうべ床の中で修理が済むまであと何日かかかるだろうと覚悟していたが直ってよかった。
さぁ・・あしたから東欧・・とりあえず・・ブルガリアを経由してコソボまで走ってみよう
・・、晴れてくれ―い。
















2015年6月24日水曜     はれ20℃    はれ18℃   はれ23℃
4時に目が覚めてそれから眠れなかった。エレベーターで三階から下ろそうとしたが電源が
入ってないのか動かない、仕方ない一個づつおろした。

6時16分ブルガリアに向かって出発市内から高速に乗るのに戸惑ったがなんとか乗れた。
郊外に出ると車がぐっと少なくなってきたとゆうよりほとんど走ってない高速・・

風もなく
なんとも気持ちのいい今日のツーリング日和。昭和30年代の昔の三橋美智也夕「焼け空
が真っ赤か・・。北島三郎さん「は~るばる来たぜ・・の歌が出る。

9時30分トルコとブルガリアの国境についた入国には時間がかかったがトルコ側は出国
スタンプを押すだけで終了・・グリーンカード購入5000円でブルガリアの入国手続き
に時間がかかった。

10時30分にすべて終了。残り200キロ。トルコ側の道は最後まで気持ちがよかった
がブルガリアの高速は途中から一般道路になって片側一車線。

今日泊まるプロブデブ市内に入って最後の300mは石畳・・敷き詰められていれば問題
ないが河原の道になって止まったらこけそう・・いっきに走りきった。

あーこわかった。ホテルの人に荷物を手伝ってもらい助かった・・13時。両替屋までい
ってトルコのお金をブルガリアに両替泊まり賃を払う2500円程度。

「オールド・プロブデブOld Plovdiv」」旧いホテルであるがこぎれいで気持ちよさそう。
受付には「ようこそ・matsuo」と歓迎の看板が掲げてくれていた・はじめてのことでうれ
しかった。

旧市街地で結構観光客も歩いている。夜ごろごろとカミナリがなっている、あした大丈夫
かな。










第8次・71才・オートバイひとり旅・いまトルコ・アンカラ・・あした21日から北上します

2015年06月20日 | 120ヵ国・35万km突破
トルコ・アンカラで前歯2本差し歯の治療・・7日間で終了、36000円
あした21日から北上できる・・とりあえずイスタンブール~コソボへ




2015年6月12日金曜   はれ     はれ
レバノンから着いた港、海岸通りにあるホテル・・朝少しだけ散歩・・一日中ネ
ットを打っておしまい。

昼も夜も一階の食堂に焼き鳥コケコッコーを頼んだ、味が良くてうまかったなー。

2015年6月13日土曜   はれ20℃  はれ10℃    はれ20℃
朝6時30分、トルコ首都、アンカラに向かって出発・・550キロ。海岸にす
む地元の人から山に向かって走るから寒いぞ・・とアドバイス。

そうだろうな・・来る時も高い山を越えてきた。きょうも長シャツ二枚着て走っ
てきたが、我慢できない寒さ、カッパを出して着こんでちょうどよくなった。

途中120~140キロで気持ち良く走れて・・アンカラ市内に入っても渋滞が
なく予想より早く13時15分。アンカラの宿についた。

泊まり賃を払う前に・・前歯が折れてしまっているので歯医者さんに行って・・
どのくらい日数がかかるのか・・確かめてから。

仕事は出来るが、勝気なおかみさんに「行ってこい」。土曜だけどやっていた。
さし歯作製・・・12日間、4万円ぐらいかかると40才ぐらいのドクター。

ここからは筆談・・わたしはオートバイで旅を続けている「1週間で3万円ぐら
いに安く出来ないか・・」。彼は400ccのホンダオートバイに乗っていると
携帯で見せながら・・。

OK・それでは「7日間で3万6千円でどうだ」「OK・それではお願いします」
と頼んだ直後・・麻酔注射をかけられて歯型を取り始める。

これから火曜・木曜・土・3回来てフィニッシュ・・とドクターはカレンダーを
見せながら治療は終わった。治療室は4,5室ありドクターがそれぞれ」受け持
っているようだ。

2015年6月14日日曜   はれ    はれ
前歯の治療で・・これから1週間・・ゆっくりできる。歩いていない道を朝散歩。

2015年6月15日月曜   はれ    はれ
今日は何もしない・・・レバノンから送ったはがきがついたとメールに入ってきた
・・6月4日に投函したので10日間ぐらいで着いたことになる、意外と早くつく
もんだ。

2015年6月16日火曜     はれ     夕立・・はれ
14時予約している歯医者さんへ、ごろごろ来て夕立になった・・あわてていたの
か歯医者さんを行きすぎたらしい・・急いで戻っているうちに夕立が激しくなっ
てきたので雨宿り。

歯医者さん、「指し歯」ができていた・・調整してもらいあさって二回目最終調整
して土曜に出来上がると・・今度来るときオートバイを見せてくれとドクター・・
「ok」。




バイクシューズが一部剥げてきた、路上の修理屋さんで直してもらった・・900円。
めずらしいお客さんが泊まっている、リビアの青年、イラクの青年も・・仕事探しに
来ているのだろうか・・・。

メキシコの人もいる。わたしの部屋には韓国、ドイツの青年の旅行者。





2015年6月17日水曜    はれくもり     くもり
朝の散歩のあと、午後からカメラ専用のバッテリーを買いに行く・・きのうホテルの
オーナーにミニバスでの行き方を聞いているがバスがわからない。

地元の人に聞き10分ぐらいで着いた。でっかい、でっかいショッピングセンター
二度も三度も聞いてカメラ売り場へ・・あいにくそこにはバッテリーがない。

街のお店を紹介してもらいタクシーで向かう。小さいお店・・こうゆう小さいお店
が落ち着く.

これまで電源コードを直接カメラにつないで充電していたが・・コードでは「充電
できない」とお店の人の話し・・それでいくらたっても充電できなかったんだ。
仕方ない充電機も買って・・・USBも買った。







2015年6月18日木曜    はれ     はれ
久しぶりにスタンドでオートバイを洗車した100円。予約していた歯医者さんへ
14時前オートバイで行く・・ドクターが出てきて一緒にオートバイと記念写真・・

ドクターは受付の人と話し終わると、今日はキャンセル・あしたとあさってに来て
くれと・・。理由はわからないが・・これまでいた愛きょうのいい受付スタッフが
今日いなくてそれであしたになったのかどうかはわからない。

2015年6月19日金曜     はれ    はれ
14時に歯医者さんへ・・歯を削ったあとが痛みが出てきた・・早く直してほしい
ものだ。前歯がないとちょっとした硬いものもかめないので不自由でしかたがない。

サシバの調整を終わった・・なかなかよく出来ている。あした11時に予約。今日
も夕方から、ごろごろカミナリ・・夕立になった。







2015年6月20日土曜
前歯がないと上くちびるが直接歯に触れて・・なんか炎症を起こしかねないような
感じになってくる。

今日午前中、前歯のさし歯すべてが終わった。セメダインみたいなもので動かない
ように固定した。

取り外さなくても大丈夫とドクターの話し、なかなかすっきりしてきて気持ちがいい。
身体の一部に支障が出るとなんか憂うつになってくる。

これであしたから走り始めることができる。あしたはとりあえず、イスタンブールま
で450キロ走る。

そのあとはセルビア(ユーゴスラビア)から最近独立した「コソボ」に寄って東欧を
北に向かって走るだけ・・

2001年に同じユーゴスラビアから独立したほやほやの国「モンテネグロ」はまだ
国連からまだ承認されていない時だった。

モンテネグロからボスニアヘルツゴビナ・サラエボに向かう時、壁には銃弾のあとが
びっしり残っていた。泊めてもらった民家の人のとなりの家は爆弾でつぶされていた。

途中屋根だけがいたるところで吹っ飛ばされて、首都サラエボの市内では新聞社が崩
壊、近くのビルは丸焦げになっていた、14年前のこと。

第8次・71才・オートバイひとり旅・地球走行中、シリアの避難者たちといっしょ・・レバノンよさようなら

2015年06月12日 | 120ヵ国・35万km突破
レバノンについて最初から最後まで面倒を見てくれたモンゼンさん







2015年6月8日月曜     はれ     はれ
朝の散歩のほか・・ホテルでネットの更新・ホテルには相変わらずシリアからの泊り客が多い。






2015年6月9日火曜   はれ28℃    はれ28℃
10日間お世話になった「タラルtaralホテルを9時10分に出発。トルコ行きフェリー船のあ
る街トリポリまで80キロ。

急ぐ必要はない・・80キロ走行・・10時20分にトリポリ市内・モンゼン・オートバイ屋に
着く。まずモンゼンにフェリーチケット売り場まで連れて行ってもらった・・フェリーはあした
6月10日20時出港のチケット32500本人とオートバイ。

オートバイでレバノン杉のある所までを頼んだが友だちが用事があってダメだった・オートバイ
で一台で走るより2,3人で走る方がいいとモンゼンは話す。

で、タクシーで行くといくらぐらいだろうか・・往復130キロ5時間で1万円でOKらしい。炎
天下オートバイで走るよりゆったりできるタクシーで行くことにした。








1時過ぎに出発・・山岳地帯を走る・・かなり登ってゆく・・こんな高原に杉が生えているのか・
・道を間違っているんじゃないのか・・森林限界に近い・・広くはない山のふもとに残っているレ
バノン杉地帯についた。

30分ほどレバノン杉の中を歩いた・・数えるほどの観光客。もっと大きなレバノン杉かと思って
きたが・・期待するほどでっかいレバノン杉ではでなかった。杉とゆうより「松」の幹に似ている。

トリポリのホテルには5時過ぎについた。あしたパスポートの「なんとか」で12時にコントロー
ルセンターに行くことになっている・・すんなり行くのかどうか・・不安だな。今はとにかくレバ
ノンから脱出したい気持ちが強い。









シリアの避難者たちと一緒にフェリーでトルコに向かう
2015年6月10日水曜    はれ      はれ
レバノンに来てから20日間すぎた今日でお別れだ。見たかったレバノン杉も最後のきのう見て気持
もおさまった。

朝市場でスモモに似たジュリックを買い塩漬けにした。11時モンゼンの知り合い・・タクシーがホ
テルまで来た。

その足でパスポートをチケットオフィスに預けて17時に取りに行くことになった。そのあとモンザ
ンのオートバイ屋で過ごす・・

17時半になってパスポートを撮りに行くのか・・と思っていたら違った。直接港のカスタムに走る
パスポートは港のカスタムにまわっているらしい・・

ポリスオフィスで「オートバイ走行許可書」を返還・・カスタムでパスポートをしばらく待って受け
取り・・ふたたびポリス・オフィスへ。手続きが終わったのは20時を過ぎていた。

レバノンの入出国手続きは他の国境とは違い・・非常にむずかしく感じる。勝手知っているモンゼン
でさえこの時間・・一人ではどうなったのかわからない。

それにしてもモンゼンはカスタムのすべての人たちと言ってもいいぐらい知り合いになっている・・
33才にしての人脈・・たいしたものだと感心する。モンゼンと別れる「お世話になりました」。

20時出港だけれど・・すでに21時をすぎた。大型バスが次々と到着・・係官に聞くとすべてシリ
ア(スリエ)からの避難者家族と話す。これじゃ船内は満杯になる。乗船前に立ったまま食事をすま
せる。10時過ぎに車の乗船が始まった。

すでに乗り込んでいる・・船内はシリアの避難者、家族連れでにぎやか・・赤ちゃんから5,6才の
子供たち。こども達の服装を見ると豊かな暮らしをしているのではないかと思われる。

一般の人たちは近くの国境から避難しているのではないと考える。ふっと思いだした・・中国で避難
している時日本人家族・・がバラバラになり残留孤児と言われる人たち・・

小さいころ両親とも離れ離れになって・・親の顔も名前もわからず中国で過ごすことになってしまっ
たこども達のことを考えるといたたまれなくなる・・すでに70歳越えるか、そのちかくになるだろ
う。

トルコ・イスタンブルの人通りの多い場所には小学校入る前の子供たち・・路上生活者がたむろして
いる・・小さい女の子・・若い夫婦に何かを聞かれている・・瞳いっぱいに涙をためていた。

紙幣じゃ金額がわからないだろうから・・持っているコインを全部あげた。いまは暖かいからいいけ
れど寒くなってきたら生きていけるのだろうかと心配する・・

もしかしたら他の国から来ているこどもたちかもしれない。役に立てない自分がかなしい。避難者た
ちの船内を見ているとはぐれることがないように祈るだけだ。

戦争は女性、子供たちが犠牲になる。いっぱいになったフロアーの床の片隅に寝袋で場所を確保した。
目が覚めトイレに・・時刻は3時・・フェリーはようやく動き出した。

トラック中心に載せた隣のフェリー、今日はこのフェリー2隻でトルコに向かうのかも。乗船前にイ
ランのトラック運転手とまた、あった。レバノンに向かう時トルコの港であった運転者。

これからイラクに向かうと話す。「ええ―」シリアからだとすぐだけれどイラク国境が閉まっている、
トルコ国境も閉まっている、ヨルダンの国境も閉まっている。

だから・・グルーっと大回りして・・フェリーでトルコ経由イラクに向かうと笑いながら話す・・往
復1カ月かかるらしい。










2015年6月11日木曜    はれ   はれ
トルコの港シリフケに15時に到着。16時でっかい荷物を持ってシリアの人たちが降りたあとに続
いてカスタムに向かう。車とトラックは広場に駐車。

ひとりボケっとカスタムの人が来るのを待つ・・車の運転手は誰もいない・・おかしいな。トルコ入
国手続きに行っているかも・・わたしも入国手続きに走る。

いる、いる下船した2,300人シリアの避難者たち。トラックから荷物を受け取りシリアの人たち
で入国手続きはごったがえしている・・入り口には入場制限する係官も出ている。

避難者たちに交じってポリス・オフィスでスタンプ・・カスタムオフィスで入国税40ドル5000円。
さらにカスタムで最終スタンプを押してもらい、さらに荷物の検査・・すべて終わったのが18時。

きのう、頭の中では、トルコについて15時、手続きが終わらせ16時・・そのあと100キロぐらい
は走れるだろうと計算していたがとんでもない・・下船してから3時間もかかってしまった。

レバノンに向かう時ホテルをやっていると聞いていたのでレストランのあるお店まで走る。覚えていて
くれていたのか・・「おー・・」と声をかけてくれた。

20ドル2400円こぎれいなホテルに泊まる。シャワーを浴びて・・下のレストランで焼き鳥を注文
・・マーケットで冷えたビールを買った・・アーようやく・・休める。

あした朝一番出発を考えたがあしたまで泊まることにした。それにしても・・レバノン・・もっと明る
くてあか抜けしているのではと期待していた。時が経つにつれて・・緊張感が身体に感じるようになっ
た。

街中に兵士の姿、チェックポイント、戦車の姿、など見るにつけ緊張が走る。写真撮っているだけで警
察署に連行されたときは帰国できないのではとビビった。

これほどまでにレバノンのピリピリした警戒はシリア、イスラエルなどの影響だろうと考える。滞在し
ていて楽しさがないのだ・・レバノンはしばらく観光は出来ないのではとわたしは思う。