松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

オートバイひとり旅・シベリア横断~モスクワ~中央アジアの旅21 モスクワ

2012年09月28日 | 赤道直下と陸路国境148か所
農産物を軒先に並べて販売しているシベリア道路,モスクワまで残り200キロで安心して走れる道になった
約1カ月かかってウラジオストクから約1万kmついについたロシア・モスクワ市内・クレムリン

ついに ついたモスクワに・・
2003年7月27日日曜 はれ20℃ はれ20℃ はれ30℃ はれ34℃
バイカル湖の街イルクーツクを7月19日出発、約5000km走って9日目7月27にモスクワについた。きのうは張りきってきょうの分まで走った。残りは468km。朝7時にスタート。午後13時にモスクワに着いた。きょうもアスファルトの道ではあるがガタガタ道、そして工事中の道も走った。モスクワまで残り200キロになってようやく案心して走れる道になった。

モスクワ市内に入った。モスクワは二年前2001年ラトビアから入国した。前回は確か北の方角からだと思う。今回はウファーを通ってきたから南から入ることになるのだろうか。クレムリン・赤の広場に向かった。何度か聞きながらどうにかクレムリンに近づいた。前回入ったように赤の広場の奥の方に入ろうとするが入れない。迂回してみたがどうもダメみたいだ。「赤の広場」はロープが張られていて歩くこともできないようだ。

泊まるホテルを探さなければならない。地下鉄の入り口で聴いた女性はモスクワ市内の地図を売っているお店までついて来てくれた。で、オートバイを停めた場所でホテルを聞くと目の前がホテル「ほらっ」とゆう感じで指さした。ロシアホテル?なんともでかいホテルだ。少し高くても「いいや」ネットを打てるホテルがほしかった。フロントも広い。なんと言うホテルだろうか。

値段を聞くと「2000ルーブル=8000円「ウへェー」・・でもしょうがない泊まることにする。受付をすませ部屋に入る。四角のホテル一辺の長さ200mぐらいありそうだ。部屋は3階。「モスクワに着いた」さっそく自宅に電話を入れる。一カ月ぶりの電話になる。かぁちゃんは9月からまた仕事に行く、二男が自宅から仕事に通う。ベランダで作ったキュウリ、トマトなど大きくなったので食べていると話す。

ホテルからはクレムリン、ワシリー大聖堂、赤の広場、モスクワ川、市内のとがった高層ビルなど見ることが出来る。また一階ごとにカギを預けるフロントがある。

-->

東北ツーリング①②③

2012年09月25日 | 赤道直下と陸路国境148か所
東北ツーリング
一日目

2012年9月21日金曜
福島南相馬市。家内の実家へお墓参りわたしはオート
バイで、家内は新幹線福島駅バスに乗り換え避難先の
仮設住宅へ。

仮設住宅についた・・うん?前を歩いているのは家内
だった、偶然にもぴったり同時到着。

雨が小雨になってお墓参りのあと実家を見に行った思っ
たよりしっかりしているように見えるが家の中は畳な
どボコボコになっていてネズミの住み家になっている
ようだ。

まわりの田んぼは見る影もなく「アメリカセイタカソウ」
に占領されている。昼間は家に戻れても住むことはでき
ない。海岸から5キロ離れた場所も津波に襲われた家な
ど・・まだまだ手がつけられていないところも目立つ。

南相馬市・小高区は原発20キロ範囲のため狭い仮設
住宅で94歳の父親、長男夫婦、孫などといっしょに
暮らしている。ちょっと心配だ・・。

お墓参り
家内の実家、表向きはそれなりに見えるが畳がボロボロ&ネズミのすみか
田んぼは草ぼうぼう
海岸から5キロ離れた所でも津波が押し寄せ、いいまでもほとんど手つかずの状態が多い、南相馬市

東北ツーリング二日目
2012年9月22日土曜祭日
西会津・家族が亡くなって空き家になっている
マケドニア(タカハシ)さんの実家へ。

相模のコンさんと磐越高速・五百川PAで待ち合
わせ西会津・新郷村に到着。

すでに山崎カメラマンは高速バスでついていた。
「馬刺し」は地元食堂「桐気」でたっぷり買った。
荷をといて2時ごろから呑み始める・・気心知っ
ている呑み助同士・・気兼ねはない。

目の前、元小中学校はいま芸術村になっていた。
3時過ぎに行ってみたが3時で閉まっていた・・。
だんだん畑を歩いたあと・・呑み続ける

ひたすら「呑んで・呑んで」10時間呑みっぱなし
12時に寝よう・・

次の日「幕川温泉」は相模のコンさんと二人で
雨の中向かう。

マケドニアようこ(タカハシ)さんお世話になりました。

* マケドニアさんってなに?わたし松尾がマケドニアの
国で出会ったのでマケドニアさん。日本で旅人達との呑
み会はその国で会った国の名前で呼ばせてもらっています。
アラスカ原田・アルゼンチン安さん・フランス・モンぺさん
シベリア・イトウさん、ウズベキスタンとか・とか・

磐越高速「五百川PA」で相模のコンさんと待ち合わせ・・。さいたまの「ろうあ者」達と一緒に記念写真。ちなみに横浜のろうあ者「袴田さん」62歳は定年退職した2年前からオートバイで世界の旅へ・・ウラジオストク~シベリア~中央アジア~中東~アフリカ・・いま西アフリカまで走っている。言葉はできなくても旅はできるけど・・すごいことだと思う。

西会津
マケドニアさんの実家と周辺(西会津・新郷)

src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/18/66c5dbe1d2a1ad1f00a6cf1406ac55a7.jpg" border="0">

東北ツーリング・三日目
喜多方ラーメン食って・・左600円コンさん、右900円あぁ900円注文して失敗
狭い道の行きどまり秘境の「秘湯」幕川温泉

2012年9月23日日曜・雨
相模のコンさんがパソコンでパッと見つけてくれた
幕川温泉へ・ここは秘境・秘湯の露天風呂らしい。

雨はやまない・・喜多方の並んでいる「ラーメン」
屋「まこと」。わたしには残念ながら「うまい」
とは思えんかった。食べたあと口の中に・・いや
な味が残っていた。

細い道に入っていくこと2キロ、この道大丈夫かな
行きどまりが幕川温泉だった。コンさんの鋭い直感
で見つけた秘境温泉はいつものことながらさすが・・
素晴らしかった。二階の露天風呂と屋外にも乳頭露天
風呂ひとつ。一泊2食8000円。

晴れてきたのは自宅に着く残り2時間のころだった。
相模のコンさんお世話になりました


夕方から朝まで4回も入りなんともゆっくりできた幕川温泉・二階の露天ふろ・外風呂は乳頭温泉でした。

東北ツーリング・・3泊4日

2012年09月20日 | 赤道直下と陸路国境148か所
東北ツーリングに行ってきます

9月21日金曜・南相馬市小高区泉沢・家内の実家のお墓まいり
     原発20キロ範囲で家族は仮設住宅に避難生活中。

  22日南会津・空き家になっているマケドニア(高橋)家に
     ツーリング
     相模のコンさんとは磐越高速五百川PAで待ち合わせ
     他には山崎カメラマン・・
  23日幕川温泉に泊まって・・コンさんが見つけてくれた
     水戸屋旅館・秘境温泉神秘の湯だとか、楽しみです。
  24日帰る予定です。

オートバイひとり旅・シベリア横断~モスクワ~中央アジアの旅20 シベリア

2012年09月19日 | 赤道直下と陸路国境148か所
初めて出てきた「モスクワ」までの標識2340km

やっとモスクワが見えて来た
2003年7月24日木曜 12℃はれ 15℃はれ 22℃はれ
7時30分スタート。寒いから上6枚下4枚真冬並み見着込んで走る。12時すぎまでは寒いなーとゆう感じである。しかし午後3時過ぎになると急に蒸し暑くなってくる。一路「モスクワ・モスコー」聴きながら走り続ける。「イカ天」と覚えて走ってきたエカテリンブルグについた。。きょうもモーテル泊まり。きょう「モスクワ2340」kmの標識が出て来た。それにしてもまだまだモスクワは遠いな。ここらあたりがウラル山脈だろうか・・。

宿300ルーブル=1200円。ビール5本90P=450円。焼き肉120P=480円。焼き肉はブロック肉専門に焼いていてうまい。

煙が上がっていていかにもうまそうな道端にあった焼き肉食堂
ウファーを通ってモスクワへ・・道は間違ってないようだ。ここら辺はウラル山脈
家庭菜園で採れたの産物を並べて売ってる・・恥ずかしそうに出てきた少年

7月25日金曜 はれ12℃ 19℃ 30℃はれ 19℃はれ 22はれ 29℃はれ
走りだすと朝はやっぱり寒さを感じる。7時10分にホテルをスタート。チェラベンスクに入りかけてバックしてウファの方に入り直す。いい道だなーと思って走っているとアスファルトの道もガタガタになっている。修理が間に合わないのだろうか。ウファーを通過。ええーっつ、飛行場のようなアスファルト道に出た。センターラインもなにもない。どこを走っていいのかわからない、こんな道も走りづらくて恐いな。

シベリア横断の「宿」はトラック運転手がくわしい
「パトカーがいるぞー」「気をつけろ」走ってくる対向車がライトを点滅してくれる。慎重に走っていると「いたいた」パトカ―が停まっている。日本でも「ネズミ獲り」の場所があると「やってるぞー」と対向車は「ピカーッ、ピカーッ」ライトをつけてくれるそれと同じである。「へー」ロシアでもお互いに助け合いしているんだ。きょうは検問なし。
ノボシビルスクの街でホテルに泊まれないこともあった。泊まれるにしても高すぎる。

休憩所なのだろうか、トラックが何十台も駐車している場所をときどき見て来た。そこのトラックの運転手さんに「ホテル・モーテル・寝んね」と聞くと気安く「何キロ」先にあると教えてくれた。走って見ると「さすが」ピタッとそこにホテルじゃなくて安い「宿」があった。それからはトラックの運転手さんに聞くことにしている。頼りになるトラック運転手なのだ。


大型トラック4台が衝突転倒・・考えられない事故だ・・。

7月26日土曜 19℃はれ 22℃はれ 29℃はれ
6時40分スタート。相変わらずのガタガタ道でうしろの「方向指示器」が欠けてぶらさがっている。「おーっと」落っこちなくてよかった。ベンジンスタンドで応急処置テープでがっちりつなぎ止めた。「ノーマネー」と言われたが10P=40円渡した。高台から前方を見ると黒く群がっているのが見える。なんだろう。近づくと交通事故だ。直線道路になっていて見通しのいい道路でだ。荷物もそこらじゅう散らばっている。

どうしたんだろうか。追い越しかけての事故だろうか。考えられない恐ろしい事故だ。けが人はもう運ばれた後だったのだろう。救急車はいない。左に二台右に二台4台も横転している。なにせうねった道でも自家用車もトラックも、道悪の道でもバウンドしながら走っているので気が気でない。きょうは走ったぞー1006キロ。モスクワまで500kに迫った。夕方トラックの運転手さんに聞いたホテルに泊まる。

80ルーブル=320円シャワー30P=120円。イカ天=エカテリンブルグあたりからづーっと麦畑がどこまでも広がって続いている。その麦畑にポツンポツンを鎮守の森みたいな場所を見て来た。そこには農家があるのだろうか。きょうは検問一回。
検問所で写真を撮っているのはポリス同士

佐賀・鹿島実業高校・関東大手門会・同窓会

2012年09月16日 | 赤道直下と陸路国境148か所




佐賀県立鹿島実業高校卒業生。2年に一回行われる「関東大手門会」
2012年9月15日12時から上野・グリーンパークで開かれました。

100名近い同窓生が集まり久しぶりの佐賀の方言に気持ちも穏や
かになっているようでした。

毎回のことながら地元・鹿島実業高校の校長や後援会会長なども
来ていただき15時30分お開きになり、それぞれの卒業生は
二次会に向かいました。


オートバイひとり旅・シベリア横断~モスクワ~中央アジアの旅19 シベリア

2012年09月11日 | 赤道直下と陸路国境148か所

ノヴォシビルスク
日本に帰る途中のイチカワさんと行き会う

ノヴァシブルスクからオムスク
2003年7月21日月曜 はれ18℃ はれ25℃ はれ27℃ はれ30℃
モーテルを7時15分スタートする時間になって霧が深くなる。ホテルを出て本線に入ろうとすると前方からライトをつけて近づいてくる。「あれーっ」これは「対向車線」なのか「お―ビックリ」。あわててすぐに隣りの車線に入る。今まで片側一車線を走ってきた。ここは二車線走行だったのだ。お―危なかった、ライトがついてなかったらてっきり反対車線を走っていたかも「ぞーっ」とする。

いい道でいいなーと思っていたら狭い道になる、アスファルトではあるが振動がハンドルに伝わってくる。お昼頃今のは「あれーっ」日本人ライダーでは?。停まっているとUターンしてきた人は日本人だった。神奈川のイチカワさんとゆう。イチカワさんが泊まったホテルまで走って昼めしを食べながら一時間ぐらい話して別れる。ノヴォシビルスクについた22時。15時間、800km走ってきたことになる。

ホテルを探しにセントラルに入った。一軒目83ドル約1万円。えー。2軒目満室
2軒目のホテル前に停めたオートバイに戻ろうとしたらおばさんが宿の斡旋をしている。700ルーブル=2800円に泊まることにした。その宿にタクシーの運転手さんに引っ張ってもらってついたところは普通のアパート。これでも仕方ない。運転手さんにはドルとルーブルまで交換してくれた。20ドル=2万2千円→500ルーブル=2万円


2003年7月22日火曜 はれ20℃ はれ20℃ はれ30℃暑い 夕方19℃寒い
アパートの宿から出発。まず銀行へ9時まで待って中に入るがここではT/Cを扱っていないと話す。メトロの前に行って500ドルをルーブルに交換。約120円ぐらいか。銀行前に停まっていた地元の人にオートバイ「ボックス」がぐらぐらすると話した。すると自動車修理工場まで引っ張ってくれた。すみませんでした。

工場では鉄板をくりぬいてから「リアー」にあわせてがっちり補強してくれた。ナンバープレートもつけ直してもらった。10時から13時までかかった。トータル350ルーブル=1400円と安くしてもらった。良心的で助かった。地元の新聞社の人が来て取材を受ける。14時頃からオムスクに向かって走り出す。約300キロ走った所のモーテルに泊まる。350ルーブル=1400円。こんなところに泊まると安く上がるな。18時30分についた。

この宿は離れに「サウナ」をそなえてあった。「ふーん」これが本物「サウナ」なんだ。道ばたにこんな宿があると得したように感じてうれしい。

2003年7月23日水曜 150はれ 23℃はれ 25℃はれ 夕方17時頃夕立
8時にスタートするがマフラーを留めているの「ワッカ」が外れていることに気付いた。持ち歩いていた「簡易ワッカ」で補強した。8時20分再スタート。オムスクまで順調に走る。途中のベンジンスタンドで洗車した。久しぶりにきれいになった。スタンドのオーナーや家族・スタッフといっしょに記念写真。いい天気だ。これからカザフスタンをさけてう回して走ることになる。

オムスクからクルガン経由チェリャビンスクへ直線の道走れば近道だ。しかしカザフスタンを通らなけれなならない。ロシア「ビザ」の取り直しになる。そのため北に少し上がってエカテリンブルグを通り大回りになるがチェリャビンスクに向かうことにしている。17時頃夕立にあった。家のひさしを借りて雨宿り。15分ぐらいで雨はやみ晴れて来た。走り始めてせっかく洗車したのに泥だらけになった。

オムスクのペトロールスタンドの人たちと夫婦でやっていた軽食屋さんでステーキを注文ロシアは肉が安くていいなー。ビールも


赤土(あかつち)のダートに水たまりも出て来た。用心して走っていたがちょっとしたぬかるみでツルッと滑って「あっ」とゆうまに転倒。うーん。自分ではオートバイを起せない。車が来るのを待つしかない周りは森の中でさびしい場所だ。なかなか自動車は来ない。40分以上待って二台の車がうしろから来た。あーよかったー。「ソーリ・手伝って・・起こして」と頼み起した。このあいだ待っている時間は長かった。エンジンはすぐにかかった。

車が来なかったら「ここでテント張るのか」と不安になった。車の人にはまた転ぶかもしれないのでうしろから走って来てもらいたかった。しかし言葉は通じないので仕方ない。2台の車はすぐに走り去ってしまった。「まってくれーい」と叫びたい気持ち。また転ぶんじゃないかともうこわくて恐くてしかたない。そろそろと走った。アスファルトに出てホッとする。地元の人に聞いてモーテルに泊まる。260P=1040円





「世界の果てを見てみたい」講演会に266人も・・・

2012年09月07日 | 赤道直下と陸路国境148か所
<会場&オートバイも会場前・広場に展示しました>




9月6日木曜・10時~11時:30分「浦和パルコ」10F
さいたま市シニア・ユニバースシティ東浦和校・主催
講演会・「オートバイの旅」「世界の果てを見てみたい」

広いホールいっぱいに集まっていただきました。
(259名と地球の旅人スタッフ7人合計266名)
さいたまシニア・ユニバースシティのみなさんありが
とうございました。

来てもらった「みなさんに喜んでもらった」と報告を
うけてわたしもうれしかったです。

オートバイの展示の見張りは蘭丸さん、林さん。
パソコン操作は森山さん、ビデオ撮影の関根さん
写真撮影は相模のコンさん、山崎フーさん、石倉
さんなどお世話になりありがとうございました。

終わったあと主催者・地球の旅人スタッフ達と暑気払
い・なんと5時間・・うまかったー、こっちの方が長
かったぁー

これからもよろしくおねがいします。ありがとうござ
いました。

<講演会・会場。終わったあとの暑気払いの方が長かったー>




オートバイひとり旅・シベリア横断~モスクワ~中央アジアの旅19 シベリア

2012年09月01日 | 赤道直下と陸路国境148か所
どこまでも原野に咲く花・・さすがシベリアだと感じた
バイカル湖からモスクワに向かう


「ナンバー」プレートがない?!
2003年7月19日土曜 20℃くもり 20℃ 25℃ 25℃はれ 30℃
バイカル湖の街イルクーツクを8時45分モスクワに向かって出発。永原さん夫婦に「お互いに」気をつけてとあいさつ。うーんきょうもどんよりとガスがかかっていて前方は白くなっている。M53号は思ったより広くて整備されている。でも途中から普通の道路。草原、高原がつづく。道から見える畑には麦とジャガイモばっかりだなー。じゃりみちになってきた。

30k~40kのスピードに落として30kmぐらいじゃり道を走る。悪路を抜けだしたら一面ピンクの花が一面に咲いている。さすがシベリア原野だと実感する。オートバイを入れて写真を撮った。ナンバーも入れて写真を撮ろうと後ろに回った。「あ、あ」「ナンバープレートがなくなっている。うん「どうした」これまでのじゃりみちのはげしい振動でとれてしまったのだろう。どうする、戻るか。戻ってもあてがない。戻る気力もない。

世界をづーっと走ってきたプレートだ未練があった「引き返そうか」と迷ったが「あーもうじゃりみちは走りたくない」「もういいや」。代わりはボックスに閉まっている「国際ナンバー」を出して走ろう。所定の場所に装着しないで落ちないように「目で見える」「フロント」に着けて走る。なんだか疲れたなー。約500km走って来た。タクシーが4,5台止まっている。

運ちゃんに「ソーリ・ネンネ、寝んね、」と両手を耳に当ててここに「ホテル」はあるか」と聞く。そのうちの一台が出るところで「おれに」ついて来いと。2、3分でホテルについた。一泊195ルーブル=約800円。これなら「O K」だ。オートバイは階段に板を敷いてフロントの隅に入れた。シャワーは水しか出ない。晩飯の買い出しにホテル前のマーケットに行く。ビール売り場に行くとメガネのばあさんが計算している。待っているのに立とうともしない。

「ビール、ビーバー」と声を出した。ばあさんちょっと待てのしぐさ。ビーバーいくら。「ぺらぺら」40ルーブル出して「あといくら」「ぺらぺら」。ばあさんはもういい。あっちの人と替わってくれー。ビーバーを売らないとゆう。「フザケルナ」「オマエハアッチニイケ」「チェンジ、チェンジ」日本語で怒鳴る。若い女性に2,5リットル50ルーブル=200円。ばあさんの顔に・・悪態ついてビールを買ってホテルに戻る。

どうしたらこんなに無愛想な顔になるのか、こんなつっけんどんの態度がどうしたら生れるのだろうか不思議に感じる。これは遺伝なのだろうか。それともわたしの方が飼いならされた動物園の動物なのだろうか。どっちが本物だ。普通では考えられない。ロシアの方がいいとはとても思えない。人間と人間同士である、見ず知らずの相手でも気持ちよく応対する気持ちはサービスの以前の問題ではないのかな。ビールは2,5リットルでっかいペットボトル、「ねじ式」フタなので呑み残しても大丈夫・・とても便利だ・・。日本はどうして造らないないのだろうか・出来ないはずはないはずだ。

「ふーう」道のわきにあったお店で休ませてもらった。冷たい飲み物ビール


7月20日日曜 朝20℃ 25℃はれ 27℃昼 25℃はれ 20℃
どこの場所なのか、なんとゆうホテルなのかもわからないまま泊まった。夕べ晩飯を食ったあと近くに散歩に出かけた。めずらしい橋の造りだった。橋の5m上流には流れて来た障害物を受け止める柵が橋を守るために頑丈に造られていた、なるほどな。ホテルの階段に厚い板3枚を渡してオートバイに乗りながら降ろした。ひっくり返らなくてホッとする。

ホテルを8時10分に出発。スバラシイー道路だ気持ちよく走れる。しばらく走ると雲行きがあやしくなってきた。これは雨になるぞ・・雨がフロントについてきた。すぐに雨具を出して完全武装。ヨシこれで寒くもなし、どしゃ降りの雨でもどんと来い。森の中を走っているとドイツのライダー二人が走ってきた。お互いにメール交換、これからモスクワまでフィフティフィフティ・・道路はアスファルトでO Kと教えてくれた。

イルクーツクから走り始めてダートとアスファルト交互に出て来た。アスファルトが出てきてこれで大丈夫とスピード上げて走っていると急にダートになって「オートット」とすぐにはスピードを落とせなくてビクッとする。穴ぼこもあるデコボコも出てくるちょっとでも油断出来ない道路だ。やっぱりスローで走るしかないなー。バイカル湖の街イルクーツクから800km正確には830km。グラスノヤルスク。雨は降ってこなかった。

「MOTEL」の看板をはじめてみた。うすいピンクの建物だ。いくらだろうか500Pを400Pルーブル=1600円に負けてもらって疲れたので泊まる。シャワー浴びたら50ルーブル「ええー」。駐車場20ルーブル、オイオイ結局470Pルーブル=1880円。ベンジン3回で300pルーブル=1200円。昼飯20ルーブル。きょうは全部で800ルーブル=3200円使った。


ドイツライダーと途中行き会う。日本までは行かないと話していた・・・