松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

タンザニアへの道

2007年08月21日 | マラウイ

    走ってる途中二、三軒の村で揚げパンを売っていたので買った。

2007年8月15日水曜 朝18℃はれ 昼30℃
きょうから一路タンザニアに向う。約700km。7時にゲストハウスを出発。支払いは
夕べ済ませていた。走っているときはジャケットを着ていてちょうどいい。200km
を過ぎた、そろそろ給油だ。前方をみると山並みが見える。うんこりゃーやばいぞ
ペトロールスタンドのあるような雰囲気ではない。急に心配になってきた。オートバ
イを停めておじさんに「ペトロール」は「100km先」とおそわる。エーまずい。

二人目若い青年は「5km先」50kmじゃないよね「イヤ5km」トラックが数台停まって
いる村に着く。トラックの運転手はそこの「ポリスに聞け」。検問所のおまわりさんに
「ペトロールは80k先だ」ここはブラックマーケット「やみ売り」がある。しょうがない
とりあえず5リッター買うことにする。少年に「いくらだ」「1000k」スタンドより80円
高いだけだった。80km走って本線から外れたスタンドに着きほっとした。途中で聞い
たとき途中から「左に入れ」と聞いていたので通り過ぎなくてすんだ。おじさんんも
若い青年も教えてくれたのはどちらも正解だったのだ。

満タンにして気は楽に成った。山林の中急カーブが連続して続く。小さなカーブで反
対車線に飛び出してしまった。危ない危ない。小さなざる一個で売ってる子供たちが
いた。なんだろうか。買ってみると「揚げパン」みたいなものだった。ごまかされた
1000札ー1$で8個自分のビニール袋に入れた。二三軒集まった集落だった。ズズ
MZUZUの町で休憩。現地の人が木陰で休んでいる場所に行きさっき買った揚げパンを
周りの人にあげた。そこに寝転んで腰を伸ばす。15分か20分ぐらい横になるだけで後
半バテなくてすむ。

だいぶ高い山陵を走り続けた後国境カロンガKaronga近くになってマラウイ湖が見える。
湖畔の平地に下りてほっとした。ゲストハウスがあった。寄ってみる。雰囲気が良かったので
3時半とチト早いがここにテント泊りにする。さっそく湖でひと泳ぎ、水温はちょうどいい
アー気持ちよかったー。さかな、テント代、ライス、ビール小瓶4本込みこみ10$1200円。
鯉かフナのいとこみたいな魚は骨ばかりで身は少なかったなー。管理人は通いらしい、
8時に寝袋にもぐる。

モザンビークではマキ、炭俵など買ってくれるのを待つ商売のようだが、マラウイでは
自転車に積んでグラグラしながら運んでいる人を多く見かける。注文を受けて運んでいる
のか、売りに出かけているのかはわからない。

ネズミ捕り名人日本のおまわりさんもびっくり

2007年08月21日 | マラウイ
8月14日 はれ
ネズミ捕り名人!日本のおまわりさんもびっくりだろう

      食べる人がいるから売れるんだろうね?うまいのかな?

いままで少年たちが魚の燻製みたいなものを走っている時「買えー」とばかり
に突き出していた。今回もなんだろうかとオートバイを止めた。なんとねずみ
を5匹竹にはさんで売っていたのである。これ「喰うのか」「そうだ」生乾きの肉
が飛び出しそうなものもある。値段は聞かなかったがほんとに食べる人がいる
から商売になってるのだろうなー。食べる勇気はない。だれか喰いたい人いま
すかねー。日本のおまわりさんにおみやげに持って帰ろうかなー。


   うまそうなねずみアップしました。どうぞ召し上がってください


ここらマラウイは自転車が急に多くなったように感じる。ゲストハウスに13時に
到着。「戻ってきましたよ」再びテントを張り終えた。あしたからタンザニアに向うのにお金がなくなった。マーケットの前にたむろしているヤミ両替屋。おーボス
とおだてて嫌がる10$小額紙幣50$を前回と同じ153Kで両替する。銀行より1$10K=8円以上も高いのだ。ま、50$で400円の儲けだけの話だけど、、、。
マラウイに来て200$2万4千円。泊まって喰って飲んで、ガソリン代ネット代など込みこみで一日3000円で済みそうだ。

マラウイからタンザニアへ

2007年08月21日 | マラウイ

             マラウイで暮らす人々
2007年8月13日月曜 朝18℃はれ 昼30℃快晴
コウリャンゲストハウスは日本人の女性(D,E)が結婚して暮らしている。韓国出
身の両親がホテルを5部屋からオープンしたと聞く、一泊20$今は立派なホテ
ルになっている。その息子さんと結婚子供さんは3人いるとのことだった。

南アフリカからオートバイ二人乗りで北上、エジプトカイロに到着している。
水島治64歳安子夫婦はコウリャンホテルに泊まったときD、Eさんに「お世話に
なったのでよろしく」とメールが入った。探してみると私の泊まっているゲスト
ハウスからオートバイで2,3分の近くだった。水島さん夫婦のことを話すと「良
かった」と喜んだ。夜はホテルのレストランで韓国料理をご馳走になる。久しぶ
りに腹の隅々まで満たされた。奥さんに迎えに来てもらって帰りはご主人が
ゲストハウスまで送ってくれた。
 
          マラウイからタンザニア二向う途中で

2007年8月14日火曜 朝18℃はれ 昼30℃快晴 暑い
マラウイ湖に泊まるつもりでゲストハウスにバイバイして8時出発。11時にマラ
ウイ湖畔に到着。キャンプサイドに入る、とたんに砂にタイヤを取られ立ちゴケ
した。門番の二人に起こしてもらう。芝生に停めて一回りしてしてみる。泊まる
ほどのところでもないなー。ゲストハウスに引き返そう。

         マラウイ湖で一泳ぎ気持ちいい


朝漁から帰ってきた漁師さんからいわしのようなきらきら光る魚を買っていた

マラウイの首都リロングエに向う

2007年08月12日 | マラウイ

        ザリガニと思ったらコウモリだったのか?

2007年8月9日曇りあさ寒い、10℃ぐらいだろうか
一日中寒い。10時からネットやにいき13時まで
暗い部屋でランプのあかりを借りたがそれでも暗く目が疲れる。


      ブランタイからマラウイの首都リロングエに向う朝


2007年8月10日金曜 朝18℃ 昼29℃から急に22℃4時28℃
雲多いが晴れ 曇り 晴れ

きのう靴下を履きたいように一日中寒かったので、今日も寒かっ
たらいやだなー、と心配したが寒さを感じない朝だった。6時に
起きて7時前に出発の準備は終わった。段差のある玄関からオー
トバイを出すのに3,4人必要とスタッフに話していて人数がそろ
うか心配したが泊り客の人にも手伝ってもらいどうにか引っ張り
出すことが出来た。

ホテルを7時20分スタート。きのうリロングエに向う道路を確かめ
ていたのですんなり市内から出ることが出来た。途中でもリロング
エの道を聞きながら進む。大丈夫と思っていたが途中のガススタン
ドで確かめると「リロングエNO」「46kmバック、レフト」エーどこで間
違ったんだろう」こんなときはあせるなー。

往復100kmのロスになる。ぴったり46kmで分かれ道があった。幹線
「道路はまっすぐ」のはずと自分勝手に思い込んで進んでしまった
のだった。ブラジルでも100km程進んで戻ったことが2回もあった。
本線に戻り13時半マラウイの首都リロングエ市に着く。途中29℃
から急に冷え込んで22度まで下がる、脱いでいたジャケットを着込む。

ゲストハウスのを探すのに町の若い人に聞く。青年は「新しいと紙を
出せ」と。その紙に自分のいる場所から橋を渡ってロータリーを回っ
て郵便局、その隣がゲストハウスと分りやすく地図を描いてくれた。
ついでにビザ延長する「イミグレーション」の場所も描いてくれる。

スコットランド、グラスゴウのガススタンドの女性がユースホステルま
で一度でわかる地図を描いてくれたことを思い出す。意外と地図
を分りやすく描くのはむずかしいものだとつくづく思う。世界のお
ばさんたちは面倒なのか、「そこを曲がってすぐそこ」と自分は
地元だからすぐ分るけど、私にはその「すぐそこ」が目に見えてい
ても分らないことが多いのだ。

きょうビザの延長をしておかないと明日土曜、日曜となるので14日
までにマラウイを出国はむずかしい。教えてもっらったイミグレーシ
ョンに行く。聞いたとこから5分もかからなかった。7,8人が座って待
っていた部屋につく。

入ったとたん「どうした」座れと女性係官の前に座る。「ここに三日間
泊まる」ので7日間のビザでは「間に合わない」あと「プラス一週間
延長」してほしい。途中から男の係官の前に座りなおした。「なぜ入国
のとき言わなかった」「いやスピークした」「一ヶ月でいいか」「いい
です」部屋に入って10分足らずで一ヶ月ビザに変更してくれる。

待っていたヨーロッパの人たちの前に手続きを終わらせたので「すみ
ませんでした」と合唱ポーズ。胸をなでおろし係官に「ありがとうござい
ました」と握手して部屋を出る。これでせわしくマラウイを去らなくて
すんだ。

次はホテルに向う。すぐに分った。しかし月曜まで満杯でだめと断られる
ここは外国人の宿泊を断るようなことは感じられない。ホテルで教えて
もらったキャンプサイドもあるゲストハウスに向った。5分でついた。
テント3$-360円。ドミトリー(6人相部屋)5$ー600円。シングル145$
-2300円。さっきのホテルはシングル5000クラッチャー=4000円だっ
たから満杯でよかった。

ドミトリーにする。疲れているのか顔を洗うたびに鏡の顔を見ると目が
くぼんで爺さんになった顔だ。スワジランドの顔はどこえいったのだろう。
でも、洗濯もできないほどの疲れではない。イヤなやらなければならな
いことははじめに済ませた方が気は楽だ、大物小物の洗濯に取り掛か
る。昼飯は抜きにする。もう4時になる。

ジンのボトルを一本買いたいが、ここでは量り売りボトルはだめと断られる
と、そばにいた地元の人がマーケットに行くから買ってきてくれるとゆう。
10$1200円ぐらいだと彼はゆう。10$両替してそっくり彼に渡して買って
きてもらうように渡した。5時半から併設されているレストランにビールを
持ち込み待ちに待った晩飯、ビーフシチュウは腹減った中にすーっとはいる。

ほとんどヨーロッパの人たちが泊まっている。イングランドとスコットランド
決してイングランドとは言わない、それにカナダの私を除いて6人部屋ド
ミトリーは若い女性ばかりである。部屋の隣がバーになっていて12時過
ぎまでにぎやかだ。眠れないのはうるさいのではなく「蚊」一匹のブーン
に悩まされる。初めて蚊に出会ったことになる。

ベッドのつり蚊帳は二段ベッドの二階から一階まで囲むようになっていて、
上の彼女が帰ってこないかぎり蚊帳は下げれないのである。1時近く戻っ
てきた、モスキッド、モスキッドと促して蚊帳を吊り下げてもらった。日本では
「蚊」と無視した名前だが「モスキッド」様みたいな長い名前に違和感を感
じるなー。

コウモリの味
昨夜ブランタイBulantyreのホテルでの晩飯にビールを買いに行く。ここには
酒屋さんはなくマーケットか高級レストランかバーでしか手に入らない。
カウンターだけ明るく両サイドのテーブルに座っている黒人の顔は分ら
ないほど暗い。ビール小瓶4本買った。店の中に洗面器のような器にザリ
ガニを売りに来ていた。ビニール袋に5個を買ってホテルに戻る。

ザリガニとはチト違うようだ。手が異様に長いどうもコウモリのようだ。
買った以上喰わなきゃもったいない。ニワトリのようでもあり、カエルの
ような淡白の味だった。

2007年8月11日 朝18℃はれ 昼30℃ 快晴
ゆうべは一匹の蚊に悩ませられた。8時ごろから写真の取り込みに取り掛かる。
今日は銀行は11時でおしまいらしい。文無しなのでマラウイ通貨クラッチャーの
両替に行かなくては。パソコンは途中でやめて銀行に向う。T/Cトラベルチェック
のレートがよかったら両替しようとドル紙幣両方持って銀行へ。

最初の銀行はドル交換はやってない。隣のインターナショナル銀行へ。レートは
ドル紙幣1$=141k。T/C135kと極端に悪い。闇の両替屋はマーケット前にいた。
「いくらだ」150k。きのうブランタイの両替は「152kだった」するとすんなり
「152kでOK]と来た。銀行より10k以上も高いのだ。60$とりあえず両替する。(今日8/12は153kで両替OK)
T/cは闇では扱ってないし、銀行ではあまりにも安いのでやめにした。
(152クラッチャー=日本円に換算すると1$=121円ぐらいと思う)

ゲストハウスは今日は満杯のため隣のドミトリーに移るように言われる。夕べの
ような蚊に悩まされることのないテント泊まりに変更する。テントだとスプレー
一発で蚊の対策が出来るから楽だ。銀行から帰り早速中庭にテントを張る。
朝の寒さを除けばこっちの方が気楽でゆっくりできるかもしれない。

マラウイにつきました。

2007年08月09日 | マラウイ
パオパブの大木、モザンビークからマラウイに向う途中<モザンビークにて>



大地を突き抜けてるようなパオパブの大木にうったまげる。図らなかったのが残念20人では
手が回らないのでは、周りの人や建物と比較して想像してみて下さい


        半日走ったパオパブ街道(自分で勝手につけた)


2007年8月8日木曜 朝曇り 18℃昼25℃ 曇り 晴れ
見張り番の男の人は夜中に帰ってきていた。国境は8時に閉
まるので、そのあと帰ってきたのだろう。彼に手伝ってもらい
きのう苦労した金柵の角をようやく抜け出すことが出来た。
写真を撮らせてもらい、お礼に1000メデカス900円を渡して
別れる。ありがとうございました。

7時過ぎスタート。15kmで国境の町ゾブエZobueに7時半着く。
モザンビークの出国間単に終わる。緩衝地帯は5kmもある。
この緩衝地帯で暮らす人たちはどっちの国の人たちだろうか。
今まで一番長かった緩衝地帯はフィゴ島、チリとアルゼンチン
で、たしか14kmぐらいだったと思う。

厚い雲におおわれて、いままでと違った天候を感じる。マラウ
イは山岳地帯と聞いている。周りは山ばかり。マラウイ国境に
着く。US50ドル払うオートバイ走行許可書代なのかな。ステッ
カーをポリスにわかるようにとフロントに貼った。入国ビザ7日
有効。えーそんなに短いのか。延長は出来るのだろうか。

ビザを取ってこなかったので、もしビザが必要と言われたらど
こまで戻ればいいのだろうと心配したが日本人はビザは必要
ないとのことでホッとした。110kmで最初の町ブランタイ
Blantyreに着く。ガススタンドでゲストハウスを町の人たちにた
ずねていたら、隣のタイ出身のお米屋さんが知り合いのゲスト
ハウスまで案内してくれる。

一泊1000クラッシャー800円に泊まることにする。ただオート
バイを中に入れるのに階段があるのでこれまた一苦労だ。
隣にはネット屋もありコネクトもOKと確認してきたので楽しみで
ある。

ここまで走ってきてほとんど原野地帯だが、南アフリカ、スワジ
ランドあたりはサトウキビ畑を多く見かけた。麦畑は少なかった
、あとはビニールハウスをちょこっと見ただけ、畑仕事をしてい
る人を見かけるのもあまりなかった。

道端で売っている、まきと炭俵、トマト、にんじん、ジャガイモ、キャ
ベツ、などはどこででも見かける。あと野焼きなのかいたるとこ
ろで黒くなった焼け跡、いたるところで煙が上がっているのを
見てきた。計画的なのかそれとも誰か火をつけてるのだろうか
な。

さて、これからはいくつの動物を見られるか、タンザニア。ケニア
。アフリカ、サファリーの旅に期待したいものだ。







パオパブの大木にうったまげる!マラウイに向って

2007年08月09日 | マラウイ

パオパブの大木にうったまげる直径6mはありそう向こうに見えるオートバイ2m50cmが2台は
軽々入りそう

マラウイに向う

          バザールに来ていたこども

8月7日水曜 はれ朝10℃ 昼29度 快晴
ジンバブエ、ハラレのゲストハウスを7時過ぎに出発
いったんモザンビークに入りマラウイ向かって走ることにな
る。朝日の光が真正面から入り前が見えにくい。サングラス
をかけてもだめで、片手で太陽をさえぎり走る。

            バザールの親子

手がしびれるほどの冷たさ温度計10℃をさしている。
ハラレ市内からモザンビーク、ヤマバンダRyamapandaへの
道は2回も確認していたが朝もやで周りの風景が変わり不
安になり途中のバス停にいた人に確かめて国境の町ヤマ
バンダに向う。11時国境に着く。手続きは簡単にすんだ。

モザンビークはペトロールは大丈夫と思ってきたがここでも
ないことが分りがっかり。しょうがない2倍の値段でペトロー
ルを入れてマラパンダ、ゾブエzobueに向う。南のモザンビ
ークの人たちに比べて写真を撮るのに気にしなくて、と言う
より積極的に撮ってくれとせがんできてうれしかった。


      貴重な水、井戸からみんなでワイワイくみ上げる
      いっしょに撮ってもらおうとカメラを渡したが説
      明できなくてだめだった

5,60人ぐらい集まっていたバザールではほとんどの人を撮
り30分ぐらいいただろうか。撮った写真を画面で見せると・
だれもが嬌声をあげていた。トマトを買ってお礼を言って別
れる。どこでも必ず別れるときは合唱ポーズをしているが
相手も同じく合唱ポーズをしてくれる人もいる。

青空のもとパオパブの並木がづーと続く道を走る。中には
ドデカイ20人ぐらいでは手を回せないのではないかと思わ
れる大パオパブの下ではみかん、野菜など売っていた。国境
まであと20km走ろうと思ったが夕暮れでデコボコの穴が
見にくくなったので無理をやめた。

キャンプ場所を探しながら走る、どこでもよかった。が現地の
人の屋敷の庭に張る勇気はまだない。大型トラックの検量所
を見つけた。停まると高台の林にいた見張小屋から男が出て
きた。テントを張りたいんですけど、50歳ぐらいの男の人は検
量所の裏手に案内してくれる。

願ってもないいい場所だった。角の狭い路地にオートバイを
入れるのに一苦労したが彼が手伝ってくれて助かった。そこ
には彼の着替えもある。彼は見張りでここに泊まっていると
のことだった。着の身着のままダンボールの上で夜を過ごす
と話す。そばにある大きなナタは護身用なのだろう。

なるだけ、彼と同じにしようと、布のシーツ、敷物、それにい
つもかけるオートバイのカバーをかけずに彼に渡した。私は
長袖などあるから寒さは大丈夫。それにいつでもテントで寝
れるようにここに来る前にビールとパンを買って走っていた。
ビールビンは持ち帰りがだめでペットポトルに入れてもらった。

そのビールを半分やりたかったが飛行機に乗ったとき、食事
に出る軽くて丈夫なコーヒーカップをもらった(だまって)そ
のカップに一杯だけわけた。うまそうに飲んだのでうれしか
った。それに安いブランデーをジンの代わりに買っていたの
で小さいペットポトルに三分の一ほど入れて渡した。トマトも
3個渡した。

彼は渡したブランデーとトマトを家から持ってきた弁当といっ
しょに見張り番小屋に行った。きょうは、バザール、水汲み、パ
オパブの並木道など見れて気持ちのいい一日だった。また
体の方も慣れてきたのか10時間の連続走行も出来るように
なった。