松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島・サラーラからマスカットへ戻る・・ 3月26日 

2014年03月28日 | 赤道直下と陸路国境148か所

一軒あるガススタンドのそばの食堂でチキン・カリー・・玉ねぎの甘みでうまかった

走りだして・・すぐに油田の炎があがっていた。

3月26日水曜  くもり18℃    21℃     21℃
鍵をフロントに置く・・ツデイ・プール部屋は満室と張り紙・・本当かな。6時に出発の準備。
なんとなく雨模様のような雰囲気。

走りだして間もなくガス油田なのだろう・・炎が煙突数基から吹きあがっている。岩山が近づ
いてきた・・そろそろマスカット市内だ。3000mぐらいはあるだろうか高い岩山のそばを
写真をとりながら走り抜ける。


地元オマーンの人だと・・軽油を入れに来ていた人が教えてくれた・・すみません写真を撮らせてください。

ナビに「35k右→」こんなに早く出してくれるのか。ふーん・これはいいナビだ・・安心し
て走れる。だんだんナビの距離が短くなってきた・・200m右へ・・ナビにみちびかれてマ
スカット・「モトラ・ホテルMutrah hotel」まですんなりと走りきることができた。




3000m以上ありそうな・・結構高い岩山

10時10分思ったより早くホテルに戻ることができた。途中ぽつりとヘルメットに雨が降り
てきたが雨には合わなくてすんだ。ネットで予約した方が1000円ほど安くなるのでホテル
の予約は済ませていた朝食なし5320円プラス税金8%トータル6000円

きのうの雨で今まで使っていた一階は使えなくなったと。エレベ―ターがあることを初めて分
かった・・3回の部屋へ。エレベーターがすごい・・自動では開かなくて中からもすべて手で
開ける仕組み・・押しボタンも一階の分がとれてない・・もたもたしていると動いてしまった。

まわりは丸見えの吊られた裸の鉄籠に乗り込み・・上がり下りするエジプト・カイロのタフリ
ール広場の一角にある安ホテルを思い出す。それよりは恐くない。

第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島・サラーラからマスカットへ戻る・・ 3月25日 

2014年03月28日 | 赤道直下と陸路国境148か所

行きと帰り別々の道を走った。



わたしのオートバイ・ホンダワルキューレ、スピードメーター10キロ少なく表示している
どうしてだ・・。

3月25日火曜   朝18℃はれ   はれ23℃    くもりみたいなはれ23℃
朝方3時頃目が覚めてうつらうつら・・5時前に起きて出発準備・・暗い5時50分スタ
ート・・きのう聞いていた二つ目を左・・信号で止まったマイカーに「マスカット・マス
カット」「次を左へ」

うん・・暗くて道がわかりにくい行き止まりだ、ゆっくりUターンしてタクシーのあとに
ついて走る。自転車の人に「マスカット」これを「真っ直ぐに」右手で知らせてくれる。
よし本線に乗った。

高原に入って登っていく、車は少ない。トラックはゆっくりゆっくりだ。こんなにカーブ
があったのかな・・峠を越えた。マスカットまでここからコースは二通りある・・来た道
より東側50キロ短いコースを走ってみよう。

来るとき500キロ地点・・別れ道でどっちも「サラーラ」の標識が出ていて・・とまど
った道。ロータリーにおまわりさんが二人「マスカット」は・・「マスカット」はこっち
だ・・・いやマルムル「Marmul」方面に行きたい・・こっちは「ガタガタ」道になってい
ないか。

「こっちはカーブが多い」「向こうはストレートの道」どっちも道は「いい道だ」に聞こ
えるサンキュウ・・カーブの多い方が気が楽だ・・ありがとう

あっちの道より道幅が狭い・・カーブが続き上下の道で前の車が見えない・・時もある。
かえってこっちの方が一本道より気がまぎわせられて気が楽だ。なれてくると100キロ
以上のスピードで走れるようになってきた。




きょうも風よ吹かないでくれ―い。向こうの道より風が出てきても砂の舞い上がりが少な
いような硬い砂地に見える。

分岐点で聴いたペトロール・スタンドが出てきた・・153キロ走って10リッター、スー
パーガソリン350円。リッター35円。どこのスタンドもスーパーとレギュラーの二種類、

最初のころはレギュラーを入れていたが値段はわからないが最近はスタンドの人がスーパー
を入れるものだと、どこのスタンドもスーパーノズルをとりだすのでお任せにしている。

スタンドの人もインド人が多い・・パキスタン、バングラデシュ出身もいた。インド、バン
グラデシュ、パキスタン、ネパール、それ以外はわたしは聞いたことがない・・もちろんオ
マーン出身が一番多いのだろうけど・・。


風が強くなってきた道に砂が流れ出してくる・・スピードを抑えてフロントに身をかくしな
がら進む。トラックを追い越す・・蔭に入るとスーッとおさまり・・前に出た瞬間グアァー
と風圧を受けハンドルがグラグラッとこわいほどゆれる。

ギアーを落とし前に出る瞬間は一時スピードをゆるめ風圧を避けながら追い越すようにして
いる。強風で有名なアルゼンチン・パタゴニア地方・最南端・ウスアイアまで走った時も恐
ろしい目にあった。

マゼラン海峡をフェリーで渡った・・話に聞いていた強風で有名なフェイゴ島。じゃり道が
つづく・・・横にかたむけながら走らなければならないほど風が強い。ぱっとやんだりする
ので余計に走りづらい。

あっあっ行きたく方向に持って行かれて溝にはまってしまった・・幸い転倒はしなかったが
抜けださせない、うしろから来た車の人たちの3人に押してもらって本線に戻ることができ
た。



このあとトラックを追い越したとき先頭に出た瞬間一瞬浮きあがってしまうような強烈な風
圧・・ぐらぐらっと浮きあがってハンドル操作も出来なかったので前から車が来ていたら衝
突はまぬがれなかっただろう、このときほど恐かった時はない。

いつも思い出すたびにぞっとする。30分ぐらいで風向きが変わった。いつものスピードに
戻せた。分岐点の本線に出た・・約ここで500キロ今12時10分、6時間で来た。

給油しながらお菓子とジュースで腹ごしらえ・・オートバイを見に来る人写真撮る人が寄っ
てくる・・どうぞ、どうぞまたがっていいですよ。さーあと、どこで泊るかだ・・広くなっ
た本線の道は走りやすい。

ガーミン・ナビを初めて使って走っている・・マスカットホテルの人に「ホテルのアドレス」
を入れてもらっていたのだ。スピードメーターが違っていたことが初めて分かった。



100キロで走っているつもりがナビには90キロ・・120キロでは110キロの表示が出
ている。あぁーそうだったのか。これまで100キロ走行を一時間走って90キロにしかなら
ない・・道のいいヨーロッパやオーストラリアで3,4回実験しても同じ結果だったのだ。

おかしいなータイヤ圧の関係なのかなーとそのままだった。今はじめて原因がわかった・・・
10キロスピードメーが少なく表示されているのだった。

なぜだろうか・・ホンダとあろうものが・・他の会社も同じ造りになっているのだろうか。今
まですっかり信用して走っていたスピードメーターだったのに・・どうしたことだ。ウソつい
ちゃダメだろうが・・。

「ガーミン、ナビ」と「ホンダ」どっちが正しいのだろうか・・人身事故の時問題になりそう
なことだ・・例えば日本の市内で50キロで走っていたと思っていたら実は40キロが正式ス
ピードだった、これは大きな問題だろう。

言いたいのは「正確」な「スピードメーター」表示ができる「計器」を装備してもらいたい。
あやしいスピードメーターは取り替えてほしいものだ。もしかしたらリコールに発展するかも
しれないなー。

ペトロール給油ちょうど今3時だ・・700キロを過ぎている。「ここにホテルはあるの」あ
そこだと指さす。

「いくら」だろうか・・と話していると食堂から出てきたホテルの人「ハウマッチ」いくら
・・ちょこっとわたしの顔見て「20リアル(5000円)」ときた。「顔を見て判断したな
ー・・」「高いよ」古臭いホテルだと見ただけでわかる。

「デスカウント」「15リアル(3750円」にして」「15リアルでOK」と返事した。壁
はひびが入り冷房も古く使えない・・きょうは我慢できる温度だからいいが・・。

まぁシャワーはお湯が出てくるので良しとしよう。食堂でマトンカレーの具のみ・・これはうまかった。ネットもない・・テレビもなし・・8時前にベッドに入る。往きと比べてきょうの帰りは砂漠地帯に慣れたこともあって気が楽だった。

第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島・サラーラ・液晶画面治った・・ 3月24日

2014年03月28日 | 赤道直下と陸路国境148か所


3月24日月曜  朝 15℃  昼21℃
きのうは深刻な状態から一転して気持ちが明るくなった、気持ちよく眠れた。朝からたまっていた
写真のなどの取り込み・・ブログの編集・お昼過ぎまでかかった。

きょう中にすべてすませてあしたはマスカットに戻る予定だ。晩飯をきのう行った焼き鶏屋行く・・
やってない?・・今4時だ・・「ファイブオクロック」5時過ぎたら始めると。

ここらあたりは昼間5時まで休憩・・涼しくなったそのあと8時頃まで仕事のようだ。きのうパソ
コンの店に電話してもらったときも5時過ぎて電話するようにとの「留守番電話」?だとホテルの
人が話していた。

その前には中華屋さんみたいなレストラン・ここは持ち帰りができる店。店の一角で焼き鶏もやっ
ている・・ニワトリモモ×2を買い八百屋できゅうり、トマト、リンゴ、プラムあさっての分まで
買った。

八百屋さんは二人ともインド人・中華屋もインド人、最初の焼鳥屋さんはバングラデシュ出身だっ
た。ここでもオマーン出身は少ないのかなー、インド人がやはり多いな。

食事しながら・・あしたからマスカットに戻るとき、ホテル代とパソコン修理代を払ったから・・
ホテル代ペトロール代のお金が足りないかもな・安心して走れるようにHSBC銀行でおろした。

第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島・サラーラ・パソコン液晶画面が真っ黒 3月23日

2014年03月28日 | 赤道直下と陸路国境148か所

パソコン液晶画面がいかれた・・

3月23日日曜  はれ朝15℃  昼 23℃  
朝起きてパソコンのスイッチを入れてみる・・ゆうべと同じ変な模様がついた画面だ。
スタッフに見てもらうと「ブロック」している・・。

なんの意味なのかわからない・・パソコンの機種を見て近くに東芝のお店がある「そ
こで見てもらえ」と地図を書いてくれた。歩いて行ける距離だ。



ついでに一文無しになっているのでHSBCの銀行を聞く。こっちはもっと近い場所だ。
散歩がてら歩いて銀行へ24時間オープンATMがあった。

どうか一発でお金がおりますようにこれまでHSBC以外はすべてカードが使えなかっ
た。よし、大丈夫だ・・二回目も同じ金額を下ろすことができた・・これでマスカッ
トまでは大丈夫の金額だろう。




次はパソコンのお店に行く。ホテルに戻ってオートバイで出かけた。行きすぎて戻って
東芝のお店へ・・うん・・電気製品は扱ってない台所の大型器具ばかり・・。

サービスショップは違うところだとお店の人。歩いて店員の人に案内してもらった・
パソコンを見て「落とし方か踏んづけた」結果の現象だと説明を受けて・・初めて液晶
画面がダメになった原因がわかった。


修繕サービスの店・・ここではニューを買うしかないと・・

しかしぶっつけたり落としたりはしなかったけどなー・・。取り換える必要があると。
新品だと45000円・・うーん。さっきの東芝のお店に戻ると近くに小さい店がある。

そこで「見てもらう」ように・・すぐ近くだと・・小さい店はパソコンショップの修理
もやっている・・パソコンを見せると・・「液晶画面」を張り替えると大丈夫だと・・。



小さいパソコンの若旦那・・平然としたもの・・オートバイにまたがって写真を撮ってもらっていた。

深刻な顔など見せない・・で「どのくらいで直せる」「値段は」・・「遅くともあした
4時ぐらい」まで・・早いときょう中にも直ると平気な顔。お金は「30リアルプラス
マイナス5リアル」(7500円)ぐらいだと紙に書いてくれた。

いつも同じような液晶画面の取り換えを扱っているのだろうか・・素人のわたしには深
刻なことだととらえているのにだ。でも安心した・・じゃすぐにお願いしますと頼んで
ホテルに戻って「ホテルの電話番号」の名刺をもらいお店に届けた。

直ったら電話するとのこと。アーよかったー・・一時はすべての記録が失われたのかと
・・頭が真っ白になった。最悪の場合は新品のパソコンを買うことまで考えていた・・。

深刻な状態からぱっと気持ちが明るくなった・・「ダメだった」とならないように祈る
だけだ。夕方電話が来たパソコンの「キーナンバー」を教えてくれと・・とゆうことは
出来上がってきたとゆうことだろうか・・期待がもてる。


行ったり来たりして・・トラックの陰っで休んでいた・・パキスタン人

そして8時には出来上がるとも伝えてきた。7時半タクシーでお店に向かった。「液晶
パネル」の取り換えは終わっていた・・。テストしたらいつもの状態・・動きがより早
くようになった感じもする。

あー不安は一日ですんだ。気が晴れ晴れしてきた。30リアル7500円支払ってホテ
ルにタクシーでもどった。さっそくメールの確認をした。なんだか一日だけだったが・
三日間ぐらいの長さを感じていたのだ。



あしたもいい天気になって・・砂で道が消えないように・・風よふかないでくれーい・

平常の気持ちに戻れてホッとした。今晩は安心して眠れるな。部屋に入るとヒヤッとす
る・・これが普通の気候なのだろうか、冷房入れないできょうもすませた。

第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島・アルハリ砂漠・1000km走破 18日~22日 

2014年03月24日 | 赤道直下と陸路国境148か所

オマーン首都マスカットから1000kmイエメンの国境に近いサラーラとゆう町まで走った。

3月22日土曜  はれ13℃    はれ23℃   はれ31℃
夜中にひりひりする・・長袖がめくれて太陽の陽ざしで真っ赤・・とゆうより赤黒くなっていたのが
夜になって痛くなってきた。赤くなっていたのはわかっていた・・アフリカでもいつも赤くなっていた
のだがそのまま走り続けていた・・。

その時のことを忘れていたのだろうか。気になる痛さ、荷づくり用に自転車のチュウーブを使って
いる。朝起きて長袖を止める、そのチューブを切って手首にはめる輪っかを3個作った。





7時に出発・・13度と肌寒い・・左手首に2個つけ長袖を止めたので太陽の陽ざしは防げた。相変わ
らずきょうもきのうとまったく同じ砂漠が続く。これまでは約100キロおきぐらいにペトロールスタン
ドがあった。

こんなところでガス欠になったら取り返しがつかない。そのたびに給油し・・その都度次のスタンドま
での距離を聞く。110~120キロのスピードで走ってきた。写真を撮ったりするので結構時間もかかる。





岩山になってきた・・サラーサまで50キロを切った・・急にカーブの坂道になる・・風も強くなってきた。
頭を下げて風をよけて走る。峠を越した・・トラックは列をして走っている・・下り坂・・エンジンブレー
キでどれもソロソロだ。

今までの砂漠からガラッと変わって緑の平野が眼下に見えてきた。ラクダもまとまって育んでいる。ラクダ
もここなら楽だろう・・あの暑い砂漠のなにもない場所でも何頭か見かけたが・・。





イスラエル・ハイファーを起点にベイルート国境~ゴラン高原近く~死海とひとまわりまわってエルサルムに戻
った、この時も 死海の灰色の岩山から峠を越えるとガラッと変わって緑の高原になりラクダがいたのを思いだ
し同じような景色だなーとふと思い出した。

緑の街路樹・・サラーサ市内に入った。スタンドで給油・・「セントラル」はどっち・・ありがとう。どうやら
セントラルに来たようだ・・食堂みたいなところで若い人2,3人話している。ホテルを聴いてみよう。



この道まっすぐに行って「左にある」・・くわしく聞こうとしたら「オレについてこい」とマイカーで引っ張っ
てくれると言う。ありがたい。「そこだ・そこだ」と左を指さす・・2,3分で着いた。サンキュウ・・ありが
とう。

自分でも「いい感」とゆうかなんとなく若い人2,3人集まっていた所、匂いってゆうか・・うまくいきそうな
感じを感じ取ったのだ。いつの間にか旅で身についた「においのかぎかた、かもしれない」自分でも不思議にお
もう。

ホテルは15リアル3750円、ひっぱてくれた青年が話した通りの値段だった。11時だ。予定どうり早くつ
いてよかった。部屋に荷物を運ぶ前に「ソーリ」ここに「アルコールあるの」・・「ノー」近くのファイブスタ
ーホテルにはあると話す。

着替えてタクシーで行くから・・するとスタッフが「何がほしいのか」と聞く。「ビール20本」「ウィスキー
ボトル1本」・・「OK、OK」1時間以内に部屋に届けてくれるとレセプションスタッフ。

部屋に荷物を運ぶ。寒いぐらい冷えている冷房のスイッチを切った。これでもちょうどいいぐらいだ。ノックする
音、30分もしないうちになんとビールとウィスキーを持ってスタッフが届けてくれた。

ハウマッチ・・トータル12000円・・マスカットよりビールも高いようだ・・スタッフのこの人ははごまかす
ような・・ぼるような顔ではない・・これを呑めば元気が出るクスリだ。サンキュウ・・。さっそく冷蔵庫に10
本入れた。






アルコールは8,9度とかなり高い・・ドイツビール

やっぱり大事な飲みものを手にすると気持ちが落ち着き楽しいウキウキした気持ちになる。ネットは部屋まで無線
が届かなくて一階ロビーまで下りることになる。

夕方までと食事してふたたびロビーに降りた・・ええっつパソコンの画面に変な模様が出て・・デスクトップの画
面がでてこない。きょうはもういい早目に休むことにした。冷房は昼間から切ったまま・・でも大丈夫のようだ。



3月21日金曜  はれ20℃  はれ25℃  はれ32℃  はれ39℃
朝5時半に起床・・荷物はホテルに預かってもらった。7時に出発きょうはイエメンの国境に近いサラーラとゆう
町まで走る・・約1000キロ。マスカットからサラーラ方面の道路標識はみたことがあった・・飛行場近く・・

おそらくこのへんだ。出てきた標識サラーラSalalah・・なんとか乗ることができてよかった。岩山の間を縫うよ
うに走ってい道路・・ハイウェイでもないようだ、しかし道はいい。



1000キロ南・サラーラの町まで走る




ペトロールスタンドでで地元ライダーカワサキバルカンに二人乗り・・とあった。

300キロ過ぎて岩山がなくなり・・「いよいよか」恐れている砂漠地帯になってきた・・もう砂漠の「砂」を見
ただけでブルってくる。

砂の山が道に張りだしてこないように「風よ吹くな」・・祈る気持ちでまわりの車に気にしながら走る。道に砂の
さざ波が時々現れる。横風だけで・・追い風なのか前からの砂はない・・。半分の500キロについた。







「ホテルはあるの」ペトロースタンドで聴く、そして給油しているお客にも同じことを訪ねる・・・その方が情報は
高いのだ。200キロペトロールスタンドがある、そこにホテルがあるとお客さんの話「サンキュウ」。

いま2時だ・・よしあと200キロ走ってみよう。風はなく砂のさざ波もおさまった。砂漠の道路に慣れてきたせい
か恐さがなくなってきた。120キロでも走れるようになってきた。スタンドが出てきた予定より100キロ手前だ。



ホテルもある「ネット使えますか」「ノー」・・あと120キロ走ってみよう。さっきまで太陽の陽ざしで左の膝に
強烈な暑さを感じていた、今度は右膝にかわった。工事中の道路にかわって100キロ以下にの走りになる。

あせらずに行こう・・・無理すると必ず何かが起こる・・・南米だったか・・追い越しをかけたら対向車が走ってき
た・・ええっ・・びっくりあわてたこともあった・・このあたりは二車線に変更されていたのだった。




あわてるなと自分に言い聞かせる。ペトロール・スタンドについた、ホテルもあった。16時30分。ここまで給油
のみの休憩なしで走りっぱなし9時間連続走行になった。

道路にはパーキングがあっても日影はない。久しぶりの連続走行になった今までは最高14時間ぐらいだろう連続走
行したこともある、その時は1200キロぐらい走った。

途中でリンゴジュース・ペットボトル(大)を買った。炎天下の下でも・・ごくごく水分補給しながらだったので身
体は楽だった。ホテル前のレストランでステーキカレーを注文・・ぬるくなっていたビールでも元気がでる・・がつ
がつくって晩飯。




3月20日木曜   はれ
ホテルを探すとき「agoda」アゴダはいい・・海外で検索してホテルを探すとき日本円で出てくるのでわたしには助
かっている

http://www.agoda.com/ja-jp/country/oman.html

あしたからサラーサとゆう町まで走る約1000km・・スタンドの間隔など聴いたら30キロ50キロぐらいであ
ると・・これで安心した。夕方スワーダさんに電話を入れた。きょう梱包のことで電話をくれることになっていたが
なかったので電話してみた。いま梱包会社探しているとのこと。

そうですか実はあしたからサラーサまで走ってくる予定です。風が強く道路に砂が出てくるところがあるので注意し
て走るようにとアドバイス。

エエーとたんに緊張してきたサハラ砂漠を思い出した。そうなのか・・マスカット市内を走ってまわりは岩山ばかりの
イメージがあった・・考えてみれば1000キロ走るとゆうことは・・まわりは何もない砂漠地帯になっているのか・・

なんだか怖くなってきた。道は砂で消えてしまい、もう死ぬ覚悟をしたサハラ砂漠・・「今日だけはなんとしても生き
よう」もう必死で走ってきた。いま思い出しても身が縮む・・恐かったなー。まぁ風が強かったら戻ってくればいい
・・砂嵐はもうこりごりだ。


3月19日水曜  はれ 
朝方いつもより涼しい・・クーラを切る・・。午前中スワーダさんからオートバイを「タンザニア・ダルエスサラーム
」だったら12万円ぐらいで送れそうだけど・・船は1カ月ぐらいはかかりそう、「どうしますか」と電話が入った。

「それぐらいだったら進めてください」とお願いした。夕方4時に木枠の梱包会社の人がオートバイを見に来るので待
っててください。ジャマールも行きますから・・。

そのあとジャマールが仕事で遠くまで出かけているので18時に変更。18時過ぎにジャマールさんと梱包会社の人二人
がホテルに来た。梱包会社の二人・・渋い顔でジャマールさんと話している。

スワーダさんに電話で報告・・きょうの会社は「ダメ」とジャマールさんが話している・・・違う梱包会社を探すから
あした又電話します」と・・・忙しい中あっちこっち探してもらって申し訳なく思う。



3月18日火曜  はれ  21℃   23℃
午前中写真の撮りこみ・・スワーダさんからきのうの船会社にパキスタンまでの見積もり問い合わせているが、ドバイ
にある会社から返事が来てない・・のまだわからないと・・連絡あり。

こうなったら戻りたくない「ドバイ」に戻ってパキスタンかイランに送るしか方法はないかもしれない。ホテルの外壁
塗装のためじゃまになるので「ブルンブルン」(オートバイ)を動かせとレセプションの女性。

日本で放送されたオマーン特集のテレビを見たと3,4人・・日本の仲間からメールが届いた。ゆうべ日本人女性が集
まった時テレビ東京で放映されると話していたのは今日だったんだ。さっそくスワーダさんがテレビに出ていたこと
「仲間が見ましたよ」メールで知らせる。

スワーダ著書[砂漠に造った世界一の学校]は有名らしい・・どこで出版しているのかな・・・。

第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島・日本からオマーンのお嫁に・・・ 3月16・17日 

2014年03月19日 | 赤道直下と陸路国境148か所


17日日本からお嫁に来ている人たちが集まって手作りのごちそうをいただきました。

3月16日日曜 朝くもり・・11時頃から大雨・・午後はれじゃない・くもり・・はれ
朝食を食べて外に出てみると雲っている・・レセプションがレイン・・雨だと話す。10時頃カミナリが
鳴ってきた・・ザーッと大雨になってきた。ちょうど一カ月になるが「雨」は初めて見た。

「ワン・ディ・レインか」一日雨なの・・・「フロント」に聞くと「ノーノー」「ファイブ・ミニッツ」
5分で終わると・・約1時間ぐらいで雨は11時頃おさまった。

雨がやんだ・・12時過ぎて「スワーダ」さん宅に向かう。事務所の運転手さんが迎えに来てくれて20
分ぐらいで着いた。日本から持ってきた「世界の果てを見てみたい」のパンプフレットが少なくなったの
で・・スワードさんの事務所でコピー印刷してもらうように頼んでいた。


スワーダさんのオフィス事務所・・借家じゃなく自分のもの

スワードさんの事務所は3階建て、すごい事務所だ。ここも自分の家だと話しながら・・もったいない、
しかし別に住まいの家もあると。二階に上がりさっそく印刷しながらスワーダさんのこれまでのオマーン
で過ごしてきたことを聴くことができた。わたしもそうだがあまり知られていないオマーンの国。

34年前に来た時まわりは砂漠・・街の中心は今の港のもっと先・・だったと話してくれた。ほんとうに
すごい人がいたもんだと・感心する。今みたいにネットどころか電話もない・まして携帯電話もない時代。
思い切って飛び込まれたことだと・・感心する。

オマーンに来る前、日本では銀行に勤めてたが・・やめてカルチャー教室を開いた・・ ヤマモト・
カンサイさんたちとファッションデザイナー。オマーンでは学校を造り校長先生をしていたスワーダさ
ん。今は他の人へ譲っている。くわしくはサワール著「砂漠に造った世界一の学校」を読んでと・・・

今年4月には選抜したオマーンの学生15人を日本へひきつれて。広島、奈良、京都、東京、そして新潟。
日本の学生たちとの・・それぞれの地域でフェスティバル・デスカッション・・学生たちとの交流を予定
している。今はスケジュール設定に忙しい中にもかかわらずていねいに教えてもらった。

日本へのスケジュールが迫っている忙しいなかおじゃましました。500mほど離れたスワールさんの自
宅を見せてもらってホテルに戻る。

スワダさんのオフィス・ガレージで

3月17日月曜  はれ
飛行機貨物便約60万円!・・・アフリカ・エチオピアへの渡航断念・・

スワーダさん宅で日本からお嫁に来ている人たちに集まってもらい・・ごちそうになりました。

午前中警察署に書類作りに出かける日。8時20分ホテルに迎えに来てもらった。警察署ではなくて・・
最初は空港に行ってオートバイを送れるかどうか、確かめに行くと・・スワーダさんの電話で確かめる。

9時10分に空港・カーゴ貨物便取扱所に入る。係官とあと一人、二人が出てきた。いっしょに来たドラ
イバーもすぐについてきた。オートバイの重さをはかる計量機にのせる。重さ360kg、長さ260cm、
高さ1m60cm、幅1m20cm。

事務所に入った。係官といっしょに来た人はドライバーと同じ会社・・先日おじゃましたあの「サミール
さん」の関係社員だと話す、手回しがいい。窓口で待っていると・・オマーン~エチオピアまでのオート
バイ運賃が計算されて出てきた。



貨物便ターミナルへ・・先日お世話になったサミールさんの関係社員も手伝いにきてくれた。

ええー5588$=約60万円の数字にどもぎを抜かれる。まぁ高くても20万円ぐらいだろうと思って
いたのだ。顔真っ青だ。

言葉が出ない・・これじゃエチオピアはダメだ、飛行機も、船もダメ。「さてどうするか、戻りたくない
ドバイまで戻って・イランかパキスタンに送るしかないのか。ドライバーは泊っているホテルの近くまで
戻って船の事務所に寄ってくれた。

オマーン~パキスタン・カラチまで送る場合「見積もり」を・・今はわからない・・・きょう夕方までに
わかるので電話で確かめてくれと・・12時を過ぎている・・きょうはこれまで「ありがとうございまし
た」ドライバーと別れる。

今晩スワーダさん宅に招かれている・・6時に名古屋出身のマリヤムさんが娘さんと迎えに来てくれた。
スワーダさん宅についた。次から次と車でやってきた・・。

お客さんはオマーンに日本からお嫁に来た人たちにスワーダさんが声をかけてくれたのだった。前回サミ
ールさん宅と同じように世界をオートバイで走った印象、よかった国のこと。旅に出る前日本でつかんだ
イメージ・・。

旅から帰ってそのギャップがありすぎたことなど、そして、見知らぬ国で迷った時戻ってくることができ
るのかどうか・・道のことが一番恐かったなど、まわりの情報より自分の目で見ることの大切さなど、
今回の旅もその続きです・・と話しをさせてもらった。


刺し身、巻きずし、てんぷら、酢の物、手作り日本料理が次つぎとはこばれてくる

豪華なごちそうが並べられて食事になった。「マツオ」さんの旅のご無事を祈ってとスワーダさんの音頭
で「いただきまーす」「すみませんです、ありがとうございます」。いやーすごいごちそうだ。それに皆
さんが持ち寄ってくれた日本料理が次から次運ばれてくる。

てんぷら、胡麻和え、正月に出てくるような酢の物、もうもう腕自慢の日本料理がいっぱい。福島・相馬市、
川崎市、名古屋市、東京、大阪、川崎市出身、マツオ。子供さん合わせて9人。

みなさんお嫁に来たエピソード・・ほとんどアメリカでオマーンの男性と出会って結婚されたようだ。「だ
まされてやってきた」との冗談話にはどっと笑いの花が咲く・・明るくたのもしい人たちばかり。娘さん
13才・16才二人もそれぞれ毎年日本を訪れているとおかぁーさんが話す。



子供さんも日本に行くのを楽しみにしているようだ。ことしも夏に予定しているが日本の「おばーちゃん」
がいまから張り切りすぎていると・・・うれしそうに話す。

くだものが出てきた・・甘いスイカ、ぶどう・・喰ったことのないドラゴン?白い果肉にゴマが入ったよう
なくだもの。名古屋のドラゴンだよと名古屋出身が冗談を飛ばす。イヤー満腹満腹・・いつの間にか世界の
動きの雑談に・・。

こんな考え方、とらえ方もあるのではないかとひとり一人自分の考えを話す彼女たちの考えに日本では疑い
もなくアメリカ中心の考えが主流なだけに、わたしには充分納得できる話しの内容だった。

10時を過ぎている・・お帰りの支度・・食べ残ったもの、みなさんおすそわけのおみやげ。すみません
わたしは「赤飯を頂けますか」とあつかましい。赤飯の他に、てんぷら、ワサビも入っていた・・2,3日
分はあるだろう。


名古屋出身マリヤムさんに送ってもらいホテルに戻る 11時半。これからのこと・・・どこにオートバイ
を送るのか気にはなるが、お嫁さんの話を聞きながらまぁ急ぐ旅ではないのだからとの気持ちになってきた。

イヤー楽しかったな、日本の元気印のお嫁さん・・これからもお元気でお過ごしください。みなさんありが
とうございました。

第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島・オマーンマスカット 3月13・14・15日

2014年03月16日 | 赤道直下と陸路国境148か所

きのう郵便局で買った切手


泊まっているホテル・・

2014年3月13日木曜  はれ 
スワーダさんから電話が入った。エチオピアへの船輸送は日数もかかるし船は危ないと。
オートバイを送るにはどこに送るにしても書類は必要なので17日月曜8時半に警察へ
行くようにと・・ホテルまでわたしの事務所のドライバーが迎えにいきます。待ってい
てくださいとスワーダさん。

きょう部屋替えした、今まで奥の方だったが手前の方の部屋が空いている。ちょっとの
ぞいてみたらこっちの部屋の方が使いやすい・ようなのでレセプションに話して換えて
もらった。

ガーミン「ナビ入力」が「まだできない」でいる。覚えるまで地図を頼りに走るしかない。
自宅に戻るまでには覚えることができるのかなー。 

3月14日金曜  はれ  はれ  15時頃温度計29℃

部屋のクーラーの温度29℃にしている・・朝方これで肌寒い感じがする。いったい外
の温度いくらぐらいになっているのだろうか・・15時ごろオートバイの温度計を見に
行ったら29℃をさしていた。

しかしそんなに暑いと身体には感じない。スワーダさんから電話が入った。17日夕方
オマーンで暮らしている日本人の人たちと食事会を「わたしの家」でやりますからと。
子供たち入れて10人ぐらい集まるとか・・。

「イヤーすみません、うれしい」かぎりです。17日は午前中警察署に行ってオマーン
から出国するにあたっての書類申請をすませ・・夕方スワーダさん宅におじゃますること
になった。

きょうは金曜でイスラムは休みの日。車も少ないので市内をひとまわり走ってみようと考
えたが暑そうなのと時間が遅くなったのでやめにした。ホテル前の食堂に行って初めて出
前を頼んだ。中華の鶏肉の炒め物・・辛かったなー。



マスカット市内を走ってみた

3月15日土曜   はれ    21℃   29℃

ゆうべは久しぶりに辛いものを食べたせいか腹が重い感じになった。17日夕方6時集ま
りのとき迎えに来てくれると言うスワーダさんの友達から電話が入った。「待ち合わせ場
所の確認」である。

港の「モニューメント・・」「RuRu,マーケット駐車場・・」結局ホテルまで来てくれるこ
とになった・・ありがたい。電話の女性は名古屋出身と話されていた・・うーん・・オマー
ンにも住んでおられる人たち結構おられるんだー。

「エチオピア大使館」のことを話したら・・電話で話しながらパソコンで調べて「エチオ
ピア・ビザ」は「エチオピアの空港でとれる」と書かれていると・・「あーそうですか、
じゃ」「エチオピア大使館」に行かなくてすみますね。

くわしくあとで調べてみると・・電話を切ったあと、すぐに「エチオピア・ビザ」につい
てのメールを送ってくれた。日本人パスポートがあれば「ビザは」空港でとれると書いて
あった。

アー助かった。そしてオマーンには「エチオピア大使館」ないこともわかったと。エチオ
ピア大使館があるのは「アブダビ」に領事館があると・・。調べた結果を知らせてくれた。

「日本語」でのアドバイスはどんなにか安心できる「力」になる。気持ちもづ―と楽にな
った。また、メールにはかってはわたしも「若かしころカワサキZ400GP」に乗って
いた頃もあったと言う・・オートバイライダー。

そうですか、昔は「暴走族」「やってたんですか」・・と冗談で「返事」を送ったら「違い
ますよ~」と返ってきた。17日夜日本人のみなさんと会えるのが楽しみになる。


午後マスコット市内をひとまわり走ってきた。内陸部から海岸線に出て・・でもやっぱり岩
山ばかり・・道路は立派であった。



往きつくところはデラックスのホテルの庭園に入っていくことしばしば。料金を聞いてみた
かったがレセプションまでたどり着けなかった。

安くても2,3万円はしそうな造りのホテル。どうせ泊まれないんだから聴いても仕方がない
か・・。きょうは迷わずに12時過ぎに出てジャスト14時すんなりとホテルに戻ることがで
きた。身体には暑いとは思えない29℃だった。


第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島 3月11・12日と(2月28日の動画) 5  

2014年03月14日 | 赤道直下と陸路国境148か所
動画をYOU TUBE にいれたが・・自分のメール・・からコピーしてここにはりつけて・・大丈夫なのかな・・。
まぁいいやテスト、テストうまくいってくれーい・・。(詳しい人が教えてくれたらたすかりますが)

2月28日ドバイ(シャルージャ)からオマーンの飛び地アラビア半島
に走っている、大したことのない動画です、わたしにすれば貴重なもの。
https://mail.google.com/mail/?tab=wm#inbox/144bec1422005be1


2014年3月11日火曜    はれ  はれ  温度計・・見られず

きょうは一日やすみ・・午前中6時20から午後・・4時過ぎまで日記の整理・・
15時ちょっと前にスワーダさんから・・「パスポートじゃなくて」・・・オート
バイの「書類」ありますよね・・おそらく「カルネ」のことだと思われる・・
「あります、あります」・・

「ありますか・・それを聞かれた」ので・・と電話は切れた。あっちこっち
連絡してもらっているのだろう・・ありがたい。そういえばスワーダさん自身
の経歴などもう少し知りたいものだー。



2014年3月12日水曜  はれ  はれ

ゆうべベッドの中で切手のことを思い出した、UAEの切手ドバイで買いそびれた、
とゆうよりまったく切手のことなど忘れていた。おみやげにはがさばらなくていい
・・オマーンの切手忘れないうちにきょう午前中買いに行ってきた。

歩道がないので歩くのに気が気がじゃない・・工事中で狭い道の端を歩く。「ポス
トオフィス」はあの高いタワーだ」工事中の人が教えてくれた。



郵便局についた。日本と違って郵便物はここまで取りに来る「システム」になって
いるのだろうか・・番号のついたボックスが並んでいる。



デジタルカメラをアフリカ・ガーナーまで自宅から送ってもらった時同じような郵便
ボックスを見たことがある。中に入り・・ノートをめくるしぐさで「切手を見せてく
れ」すぐに反応してくれる。

人のよさそうな若い人たちだ。「これ、これ」と言うと局員も「コレ、コレ」と応える。
全部で12,3種類、3400円ぐらい買った。何かサービスするからと・・「パンフ」
を渡されたがなんの意味なのかわからなかった。



久しぶりにオートバイを洗ってやろう・・「ソーリ・バケツ」を貸して・・赤い大きな
バケツを借りて洗った。ついでにラジエーターの巡回水緑のウォーター容器を見たら空
っぽになっている。

これが続くとどんな状態になるのだろうか・・エンジンが焼けるのだろうか。心配にな
ってすぐにペトロール・スタンドに買いに行く。オートバイの写真「撮ってもいいか」と
こっちの人は聞いてから写真を撮っている。



「いいよ」「またがって」写真撮ったら・・どこに行ってもおだやかな性格の人ばかりに
感じる。さっき郵便局に行った時も、スーパーに行っても、地元の人は自分の財布をあま
り気にしないでいる。

おきっぱなしじゃないけれど、無頓着とゆうか、わたしみたいに握りしめてはいない。そん
なに盗られるような心配の気持ちがないのだろう。わたしは支払いがわからないので
お札をそっくり渡して・・いつも勘定してもらっている。

とったあとは・・「5・・3・・1・1」とわたしにわかるように数えてくれる。スタンド
でも雑貨屋さんでも・・どこのお店でもそうだ。ドバイに比べるとまったく安心できる感じ
のオマーンである。

気持ちの余裕から来ているのかな。ここの土地は神様が与えてくれたものだとスワーダさ
んやサミールさんが言ってたことを聴いたことがあるが・・なんだかわたしもイライラし
ないですんでいる。そういえばオマーンは犯罪の匂いはまったく感じないな・・。

これからのオートバイ輸送のこと考えると気が気でなくあせる気持ちなのに落ち着いてい
られる。オ~ラみたいなものが働いているのかな・・。ホテルだって安いわけじゃないの
になんとなく落ち着いて過ごせるのは不思議に思う。

空っぽになった容器を見せて「グリーンワタ」容器の適量「線」で示した半分まで入れて
くれた。お金を払わず「ありがとう、じゃ、バイバイ」冗談を言いながら600円位だろう、
お金をとってもらった。

オートバイの運送のこと進んでいるのだろうか・・ここはお任せするしかないからなー。
「果報は寝て待て」ってことわざもあるし・・気にはなるが待つしかない。


第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島 3月10日 地元マスカットの人と交流ふたつ 4  

2014年03月11日 | 赤道直下と陸路国境148か所

<午前中>バイクショップの人・・ここマスカットについたとき・・ホテルを探してひっぱてくれた人
お店のウインドウに「日本・JAPAN・松尾・matsuo kiyoharu」と頼まれてサインしてきた。


<午後>は日本人女性「スワーダ」さんの紹介で地元の人の家に招待してもらった。


2014年3月10日月曜   はれ   昼39℃ 
きょうは地元の人との交流になるのかも・・午前中バイクショップの店にいって夕方から
日本人女性スワーダさんの紹介で地元の人の家へ招待されている。9時にバイクショップの
人を待つ・・

なかなか現れないのでフロントから電話してもらった。もうすぐつくとのこと。そういえば
ホテルのスタッフはレセプション・レストラン・掃除する人たちすべてインド人のようだ。

バイクショップの人が9時半に迎えに来てもらった・・「ソーリ・名前忘れた」「アリです」
もう一人は「モハメッド・・」さんと紹介した。渋滞でなかなか進まない・・アリさんは途中
テイラーとか書いてある「縫製屋」に寄った。

これは「日本製」ライダージャケットだと話しながら・・新品なのに袖の部分マジックで止め
る部分が「はがれて」しまっている。そこを縫いつけるために寄ったのだ。日本「komine」の
マークがついている。

いつまでも大事に使っている縫製屋さんの日本製ミシン

「ジャパン・ノーグッドだね」と言うと笑っている。アリさんのお店についた。海のそば・・
リゾートのしゃれた複合ビルの二階にあった。その前にきのうから現金を引き出しが出来ずに
いた・・二人に見てもらって入口にあるATMの操作をした。

おお・・シャシャと機械がお札を数えている・・OKのようだ。これまでは「・・NO」と・・
カードだけが戻ってきていたのだ、自分のお金でも操作して出てくるのは嬉しい・・。





ヘルメットをプレゼントしてもらい・・申し訳ない気持ち・・すみません・ありがとうございました

アリさんのお店は大きくはないがガラス張りの最新のお店らしく・・新鮮さを感じる。なんか
カチカチ云わせながら何かを振っている・・なんと机の上にべっとり赤インクが飛び散ってし
まっている、赤色のサインペンの中身がべたべた・・と。

わたしにサインペンで「ウインドウ・ガラス」に名前サインしてもらうために「出が」よくなる
ように振っていたのだ。今度はブルーのサインペンを持ってきた。

入口ウインドウガラスに・・「日本・JAPAN・松尾・matsuo kiyoharu」と大きく書いた。女性の
お客さん二人づれ・・手袋を買った。「オートバイに乗るの」・・「ノーノー」そういえば女性
がオートバイに乗っている姿は見たことがないな・・車は結構運転してる女性は見かけるが・・。

自転車に乗るとき使うのかな。実はヘルメットの中にあるインナーの部分が古くなって時どき飛び
出してくる。



で・中身だけ取り換える「部品はないですか」と聞いていた。サイズはこの感じとヘルメットを
かぶった。中身だけは売ってない・・と、そうだろうなー。いっしょに来たモハメットさんが
「これをあなたに差し上げます」と「I pad」を使って日本語に翻訳してわたしに見せる。

「ノーノー」・・そんな受け取ることはできない。ウインカーに手をかける破れて引っかかって
いたのでサイズがちょうどいい手袋を買った。

12時を過ぎた・・ガーミン・ナビで「戻るホテル」を入れてもらった。帰ろうとすると二人が
「ヘルメットを持って行け」「プレゼント」と手渡された。ほうとうにいいんですか・・なにか
申し訳ない・・すみませんです、ではいただきます。

飛行場に向かっている・・うん「ナビ」は反応してないな・・・逆方向に走らなければならいのに。
ペトロールスタンドで・・確かめる。この先でU―タンしろ・・やっぱりそうだ。

ホテルは「マトラmutrah」だ、「マトラ」「マトラ」の標識を目指して走る。ドバイよりはずーっ
と走りやすい・・来たことがある信号まで来た。

よしよし・・ああーっ右に入るのを出来ないで「行き過ぎたか」・・アレーいつの間にか目の前の
泊まっているホテルを通りすぎてしまった。まぁいいや港まで出てみよう。港に出て休んでホテル
に戻った。

3時を過ぎている・・5時半に日本人女性スワーダさんの知り合い宅に向かうことになっている。
シャワーを浴びて待つ。

若い人二人が迎えに来てくれた・・。オートバイの写真をいっしょに取って知人宅に向かう。
このうちの一人は昼間ヘルメットをプレゼントしてくれた弟さんだった。そういえば似てる
夜になってまわりはわからない・・原っぱみたいな場所まで来た。スワーダさんもBMでやってきた。

スワダさんの車に乗り込んだ・・はじめまして。これからうかがう家はゴルフ場の中にある。
ゲートは携帯で開けてもらっている。玄関には夫婦が出てきてくれている。ハーレーのオートバイ
もある、カバーを外して見せてくれる。

はじめまして・・日本から来ましたバイクの松尾です。ご主人はサミールさんカタール出身、見る
からにその顔は実に実業家の顔。日本でもそんなに多くは見かけない男がほれるうそつけない顔だ。

奥さんは眼科の先生、マリヤさん・・コロンビア出身。両親はコロンビアで産婦人科をやっていると。
子供は3人中学校、小学校二人、立派な造りの家。これまでの「旅のこと」を簡単に聴かせてほしい
・・と通訳のスワーダさんから言われていた。


サミールさん宅で

スワーダさんも若く見えるな・いつくだろうかきれいな人だ・・・オマーンに来て34年になると
電話で聞いた。今年2014年4月には日本・広島で「平和について」、奈良・京都・東京そして
新潟では「ロボットの役割・・人間への影響」を新潟大学でのフォーラムを計画しているときら
きらさせて話してくれる。

全国から募った日本に興味を持つ大学生達がメンバーの“学生フォーロムStudent Forum”のひと
たち15人らしい。スワーダさんはそのグループのデレクター。

わたしはパンフレットは日本から持ってきている・・子供たちも集まったところで・・ みなさん
に配って・「世界の果て」の「写真」の説明しながら・・「スポンサーは」「どこがよかったの」「
気に入らな国はあったの」いっしょに聴いている若い青年3人19才~22才はスワーダさんの仲間たち。 


全部で34人ぐらい日本語を勉強していると学生は話す。サミールさんは1953年生まれと自分で
話したが60才にはとても見えない、違うのではないかと思うほど若々しい。趣味で海に長く潜っ
ているからだろうとその理由を話す・・いやいやサミールさん44,45代に見える、奥さんもお世
辞抜きで若い。

食事になった・・しゅうまい地元料理、やわらかい肉・・なんて言ったっけ中国の・胃袋を膨らませた
なんとか・・ダック?最後の方に出たがうまかった。

お皿がいくつもあって・・・うまかったー(ビールがあればなー・・なんて失礼な)ごちそうさまでした。

お手伝いさんはフィリッピン出身とか・・てきぱきとこれまた手際よく・・二人は柔らかいなんともい
えない・・いい表情の顔を見せている。サミールさんは会社でもトップから一番下で働く人でも差別せ
ずに平等に運営していると・・話す。

家庭でもその言ってることを実践している、その考えがまさにお手伝いさんにも伝わっているのだろう。
眼科医の奥さんは白内障の手術は世界でも優秀の人でコロンビアから最近表彰されたとスワーダさんが
おしえてくれた。

食事を終えて居間で雑談談義・・海釣りなどもやっているがこれからオートバイでスペインまで走る
計画をしている・・一日1000キロを計算していると話す。

ここでついに松尾の出番やってきた・・自慢話・・わたしの場合「最初・朝の内は元気で120キロ
130キロで走るぞ」と勢いで走るが2,3時間が限度・・

午後になると疲れてだんだんスピードが落ちていつの間にか100キロ以下になる。結局は500~
600キロ止まりでおしまい。

最初から100キロイーブンで走った方が連続走行10時間~12時間走れる。ここ10年間以上の経験
はいい道でも普通1日のトータルに直せば200キロを3時間かかっている、これがわたしの目安。

1日600キロが限度ではとアドバイス。わたしの場合一日二日の旅ではないので連続三日間か四日間走
ればそこで休みを取る。疲れを持ち越さないように走っているとも話した。


左からスアダさん。奥さん、サミールさん

ところでわたしはイエメンのビザがとれなくていま困っている。ドバイにはもう戻りたくない・・
オマーンからどこかに脱出したいのです。いちばんはエチオピア・・あとは送り賃が安い国だったら
どこでもいい。

スワーダさんに話したら・・サミールさんも何か手伝いしましょうと言ってくれてますよ。さっそくどこか
に連絡を入れてくれた。スワーダさんもあした連絡を取って見ると・・気持ちの落ち着きが出てきた。

10時を過ぎた。帰り際ハーレーのエンジンをかけてくれるが・・どでかい音にまわりの家から苦情がきそう。


お世話になりました。帰りも三人の学生さんに送ってもらった。勉強中なので仕方ないが車の中でも
たどたどしい日本語でしゃべってくる。帰りは30分でホテルにつく。

きょうはありがとうございました3人にお礼を言って別れる。シャワーを浴びて11時半ベッドに入る。