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鑑賞感想文(1/3) 「天満敦子さん」望郷のバラードに寄せて

2005-11-16 17:00:45 | 音楽鑑賞蘊蓄録
 
 昨日夕刻から今朝にかけて、『天満敦子:Balada<望郷のバラード>』なるCD、都合3回、本気で聴いた。
 なお、天満敦子さんについてはすでに、7月中旬に一度取り上げている。(先の投稿記事は、こちらから参照可能です)

   
 <・・本文・・>

このCDに収録されている曲数は15曲。全曲聴けば1時間10分近くかかるから、このCDを聴く為に(休憩時間を含めば)4時間近く時間を費やした計算になる。しかし決して、無駄な時間を費やしたとは思っていない。

遅ればせながら(恥ずかしながら)、
ヴァイオリニスト天満敦子さんが、こうも有名な日本人ヴァイオリニストであることなぞ、承知していなかった。それには諸々の訳(言い訳)がある。
そもそも我輩、熱狂的なヴァイオリニストのファンでもなく、たまにクラシックを聴くといえば交響曲がほとんどであり、言い換えれば交響曲にして「正調クラシックミュージック」とする偏見をもっているからして室内音楽的小規模演奏にはモダンジャズの右に出るものなし!?という、固定概念があった。
それを打ち破ったのが、我輩のハンガリー滞在中に地元レストランなどでたびたび聴いた「ハンガリアン・ジプシーミュージック」。演奏は、地元の2~3流楽士の奏でる民謡&流行曲なるものであった。演奏の良否はともかく、ジプシー系ミュージシャンの奏でる哀調漂うヴァイオリンの侘び寂多き曲の数々。生パプリカとサラミソーセージを肴にトカイワインを嗜みつつ、時に慄き時に感激のあまり背筋に電流が流れ打ち震え、目頭が熱くなった記憶がよみがえる、、、。
そして今、天満敦子女史の名演奏を聴きつつ記事を書いている。
さすが!
ハンガリーの三流ヴァイオリニストとは訳が違う。桁が違う。
(でも、三流楽士とて、生演奏は良いぞ。ライヴにかなうものはない。だから、天満敦子さんのステージ?(こんな演奏会は何とか館なんぞで開演なさらぬか。どこか貴族の館に、しかるべき招待状を携えて赴かねばならんか。未だに不肖男爵心得の我輩の元には招待状は来ぬか。まま、とにかく演奏を生地で聴いてみたくなった・・・)

天満敦子さんの第一印象を述べる。
仰天戦慄するほど恐ろしくも日本人離れした「熱情と静寂」の使い分け、さらに日本人には見受けられない激情的粘着力の強固な「説得力」あるバイオリン奏者である。
と!びっくり仰天した我輩。

そして今の我輩は、たぐい稀なる日本人ヴァイオリニスト天満敦子の奏でる演奏曲の感想文を、情熱を込めて書きたいのである。
しかし今直ぐには書ききれない。
なぜならば、我輩の場合、少なくとも演奏家の名曲名演奏たるもの10回以上聴かないと完全に聞き取れなく、納得できない。もちろん、ステージでの演奏は一回コッ切り。それはそれで納得できる。しかし、この「バラード」たる特殊な曲、日本人から多大なる評価を受けている名曲?名演奏?今の我輩にはよく解からない。だから、10回位聞けば、ようやく我が脳味噌にその曲の「テンポ・強弱・旋律・その他感情と感性」等など、ようやく定着してくる。定着してしまえば、四六時中その曲が頭の中から聞こえてくるようになる。そうなればもう大丈夫。もって、納得する。したがって、納得してのち、あらためて感想を述べたいのである。

本日は、CDジャケットに紹介された天満敦子女史の紹介文を引き抜き(断りもなく転載する)、先に、女史のプロファイルと「望郷のバラード」との出会いについて、予習しておきたい。

このテーマ、今後2回記事に取り上げ、都合3回連載としたい。
 
 <・・・第2回連載に続く・・・>

PS:天満敦子さんのファンの方、後に連載する「我輩の鑑賞感想」に是非ご注目頂ければ幸いです。あわせて天満女史についての更なる詳細情報ご意見を賜れば、光栄です。
   
       ******************************************

<以下、CDジャケット記載、天満敦子さん紹介文より引用転記文:紹介>

天満敦子というヴァイオリニスト
~20年余りの奇跡を追って~

中 野 雄 著:「回想:天満敦子」(ひと昔前)

 1993年12月8日夜、横浜市青葉区の東急田園都市線の青葉台駅に位置するフィリアホールの客席のあちこちで、啜り泣く人の姿がみられた。ハンカチーフを取り出し、そっと目頭に当てる人も何人かいる。
 ステージでは天満敦子場、文字通りの入魂の名演を繰り広げていた。曲は19世紀末、29歳の若さで薄倖の生涯を閉じたルーマニアの鬼才、チプリアン・ポルムべスクの作になる『望郷のバラード』である。愛国者であったポルムベスクは、オーストリア=ハンガリー帝国に支配されていた母国の独立運動に参加して逮捕投獄の憂き目に遭う。曲は獄中で故郷を偲び、恋人に思いを馳せながら書き上げた哀切のメロディーであり、ルーマニアでは誰知らぬもののない懐かしの名曲であるが、エクゾチシズム濃厚の故であろうか、国外では知られることの少ない、文字通りの「秘曲」であった。
 天満敦子に『望郷のバラード』の譜面を渡し、「広く日本に」と紹介を依頼したのは、当時外務省東欧課長の職にあった少壮外務官:岡田眞樹である。岡田は十数年前、ウイーンの日本大使館在勤中、郊外のレストランで哀調に満ちた音楽を奏でる亡命ルーマニア人楽士と出会い、感動して親交を結ぶ。イオン・ヴェレンシュと名乗る亡命楽士は、8年後にスイスで再開を果たし別れぎわ「この曲を、貴方の母国日本に紹介してくれるヴァイオリニストを探してくれ」と、黄ばんだ1枚の楽譜を岡田に差出した。ヴェレンシュがチャウシェスク共産主義の圧制を逃れるべく夜陰にまぎれて国境を越えたとき、ヴァイオリンとともに携えてきた愛奏の譜面であった。
 だが外交官として東奔西走の日々を送る岡田眞樹が、天満敦子という神に選ばれたヴァイオリニスト奏者の存在を知り、秘曲の演奏を依頼したのはそれからさらに数年後、1992年の初夏、所は、奇しくもポルムべスクとヴェレンシュの母国ルーマニアの首都ブカレストであった。
 『望郷のバラード』との出会いがヴァイオリニスト・天満敦子の運命を一変させる。そして、忘却の淵に沈んでいた薄倖夭折の作曲家の名も、没後100年余りの歳月を経て、蘇りを果たしたのである。

<以上、ジャケットより引用、完了>

望郷のバラード(ピアノ伴奏版)
天満敦子, 吉武雅子, ポルムベスク, ヴィターリ, クライスラー, シューマン, バルトーク
キングレコード

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「読む事の大切さ」ホモサピエンスとネアンデルタール人・・・

2005-11-15 10:59:54 | 趣味の話&本と雑学メモ
 再投稿記事<2004年5月4日より転記>
===================================================

思い出日記より:2004年11月中旬

確か一週間ほど前でした。
夕食抜きで、予定より早く仕事を終え、久しぶりにサントリーモルツの500ml缶ビールを抜き、あらかじめキッチンで作らせた夜食(仔牛頬肉のビーフシチュー)で一人宴会、すなわち一人で一杯やる事にしました。
そこで、平素あまり観ないテレビのスイッチを無意識にオンしたところ、興味深い番組に遭遇しました。番組はすでに進行途中でしたが、画像と音声が飛び込んできた瞬間、まさに自分の興味をそそるものと判断できました。
おそらく再放送番組なのでしょうが、我輩にとって初めての番組でした。
NHK・BS放送で「人類の起源?」らしき内容について放映している番組を約20分間集中し、その間、缶ビールも夜食も忘れていました。

人間誕生は?まず、地球上の生物の起源から進化し、なぜ?どのようにして現在の人間にまで至ったのか?こんなストーリーの最終段階を観たのです。
興味深く切り取った内容は下記の通りです。
1) 猿は、未だこの地球上に歴然と存在する。どこで人間と猿が分岐したか?
2) 大枠としての猿の類(たぐい)から枝が分かれ、さらに人類へと、すなわち「ホモサピエンス」が発生する過程で、同時進行的に「ネアンデルタール人」が主として現在のヨーロッパ地域に存在した。が、明らかに現在の人類=ホモサピエンスとの進化の過程に存在したものではない。(ホモサピエンスと時期を同じくして、別種類に区分されるネアンデルタール人が存在していた、と云う、、、)
3) 現在の人類より異なる種類のネアンデルタール人は既に過去の歴史の過程で滅び去り、現存しない種となっている。例えれば、現在の「象」と、化石として冷凍ミイラとして発見発掘される「マンモス」とは、異なる種類の生物である。象とマンモスが同類別種であるように、ネアンデルタール人と現代人の祖先(ホモサピエンス)は同類別種である、と云う。

ここでストーリーは、第二段階に移る。
* ネアンデルタール人は滅び去ったが、何故、ホモサピエンスは現存するか?現存して今日に至ったか?
という番組のあらたな問いに対し、番組が答える、、、。
おおよそ下記のような内容でした。
(A) ネアンデルタール人の咽喉部の化石と現存する猿のそれがほぼ同じであるが、
(B) 現人類の祖先=ホモサピエンスの咽喉部ならびに現存する人類の骨の咽喉部の形態と、上記(猿やネアンデルタール人)のそれを比較すれば大いに異なっており、
(C) ホモサピエンスの化石の咽喉部形態なればこそ、ホモサピエンスの末裔である現在の人類が、言葉を操れる形態になっている。結果、さかのぼって今の人類の祖先はおのずと咽喉部で発せられる音声により、言語表現可能となり、
(D) 言語を操るが故、以って比較的他の動物より体力攻撃力の少ない人類が生きていく為の「団体共同生活」を可能にし、今日まで生き残った。しかし、ホモサピエンスより体格がよく生存競争力が高いと思わるネアンデルタール人は、その咽喉部の不出来により、言語となりうる音声が発せられなかった。その事が原因で滅亡したとしか考えられないという。生き残った人類は、音声の相互交換を以って「経験・発明・知恵」を周囲に伝達し、且つ、次世代に先達のそれらを伝授し、さらにより高度の技術と知識を構築できたことにより、現在に至り、
(E) 加えて地球上のあらゆる「生物」に抜きんじて高度な生物に到達するを可能とした。

という内容になる。で、あろう。

そんなストーリーを勝手に想像しながら観ていたら、何と、わずか数十分の間にビールを飲み干しただけで夜食を食さず、うたた寝しまいました。肝心要の結論を見ずして、目が覚めた時には、すでにその番組が終わってしまっていたのです。

ここからは後日からの想像も加わります。が、お聞き下さい。
つまり、上述の人類起源から今日に至るまで、他の動植物と違う人類の特性は「音声言語」による相互伝達能力である事、あらためて認識しました。
人間の音声表現能力がさらなる発展進化を重ねることにより、音声を文字にあらわし後世に伝達可能としたのか。あるいはより遠距離に位置する近隣の人間集団から更なる情報の伝播を可能とし、地球世界に生存する同時代の人類に伝達可能となったのでありましょう。

すなわち、(我輩、言語学の専門分野における全くの素人ですが)音声言語イコール、人類同士の会話による意見交換と伝達=文字による伝達=文字による伝承、イコール、文字による自己表現(宗教・技術・科学・思想・政治・芸術などなど、、、)であるか、と。

さて、想いおこせば近年、特にこの十数年間、世の中が急速に様変わりしました。

知識経験体験の蓄積の努力無く、まともな言葉(日本語)がろくすっぽしゃべれない「人達」が五万といて、彼ら、ただ単に日常会話レベルの感覚で持って指先でワープロのキーを叩くことにより、簡単に「文字表現と伝達」が可能となりました。
これにより、
文字による安易安直な、暴言・失言・誤解・思い上がり・下種(ゲス)な感情表現・などなど、文字表記可能となりました。ことにIT技術の驚異的発明に次ぐ発明、進歩に次ぐ躍進のおかげで、国境を飛び越え地球表面のあらゆる地域へ文字情報があふれ返し、くわえて時間時差を超越し、瞬時に情報拡散してしまう状況下、超利便性を裏返せば、文字乱用による、予測していなかった弊害も数多く発生しているのではなかろうかと思います。

文字を使い切るには、
1) まず使う人間のレベル人生の知識蓄積、および経験的体験ありき、であり、その密度の違いが「文字使用結果のグレード」を左右するのは明らかであり、
2) 次に、確たる「証」を踏まえた言語表現あってこそ、それをより緻密に組立て、さらにより広範囲な世界に、あるいは次世代や異世代に継承伝達の目的で「文字表現」があり、
3) ために、他人の表現したものを、まず「読み」、健全で確かな解釈をおこない、
4) ようやく自らの「判断・志向」を文字に表すことが可能となり、
5) しかる後に、誠意と熱意をもって相手に「それ」を伝える、、、。これをくり返し、互いに切磋琢磨する。
6) 文字による伝達方法、その頂点?(いや、一番下か?)に立つものが「小説」かな?
等と、

整理してみました。

今、あらためて、
a) 仕事を通して現場を見る、
b) 書籍としての「先達の知識」を紐解き、自身の経験と体験にソレを織り込み、
c) 自身の通読努力の度に、先達の豊かで繊細にして鋭い「表現方法」に触れ、触り、消化したい。
d) 読書の繰り返しを以って、さらに精度と芸術性に秀でた自己表現可能となるよう、役立てる。

報告文書・稟議・専門的分野の小論文など、相手に分りやすい精緻にして理論構築の完璧な文章ができればそれ以上のものは無い、十分である、と考える。
しかし、文学となるとそれ以上のモノを求められる。が、好き嫌いもある。当然である。

結果、今、今から、
小説を書いてみたい!
という意欲に駆られています。

たたみ掛けますが、
語学としての英語の世界も同じことです。
巷で、よく取り交わされている日本の平均的一般常識人(知識人?)の会話の中に、
「うん、相手の話していることは聞き取れ、そうさな~・・・ 約7割程度は理解できる、が、喋り慣れていないので、喋れないよな~」
又は、
「いやいや、読み書きはできるが、会話は慣れていないからね~ 日本人だよな、俺は、、、。ま、今からでも遅くはねえさ。アメリカ駐在2~3年でもやってりゃ~、な、大丈夫さ、、、。何せ、俺たち日本人はな、大学卒業して、一応読み書きができるわけでさ、基礎は出来上てるからよ~」

こんな会社人間同士の会話、全て、英語力(語学力)に関する見栄の突っ張りあいでして、嘘八百です。今の学校教育では、基礎が全くできていないのです。今から文部省がどうするのか、知りません。好きにやっていただいてけっこうですが、お役人のセンスで一億?総日本国民の教育のみで「事態」に大きな変化は、まず無いと思います。

我輩、まだまだ未熟にして未熟ですが、経験上、

第一に:喋ること(会話ではなく)、自分が音声として英語を発すること。これが一番簡単です。相手に通ずるか?通じないか?は、別として、、、。
第二に:相手の話を聞き取ること、そうとう難しいです。狭い日本の端から端まで「方言だらけ」のように、また年齢によって、男女性別や職業の別など、棲む世界の違いによって、百人百色、人はそれぞれ話し方、テンポ、音質(高い声や低い声)の違いがあり、初めて会った人の会話は聞き取りにくく、慣れてしまえばどうって事はなくなります。
英語世界であっても、人それぞれ、喋り方に特徴があり、(小生の場合は特に)初めて会った人との会話の聞き取りは大変苦手であります。しかし慣れる。分らなければ聞き返し、こちらの伝えること、何度もリピートでき、表情や体のアクションで伝達をより緻密に行うこと可能です。
第三に:表紙が擦り切れるまでに辞書を気に引きまくり、読んで読んで読みまくること。これ、「砂を噛む」如くに苦行です。英文を読めば読むほど大変難しく、際限なく「読むこと」を継続し、文体を蓄積し、日本語と同じように(母国語ですら読めない御仁が多い中)過去に出てきた表現の形、語彙の蓄積のボリュームを基盤にもつ以外、何も解決方法はありません。すなわち読解は難解です。
第四に:加えて、自分が自分で「英文を書く」事、最も難題です。

これはすなわち、母国語である日本語に置き換えても、同じ『事象』が起きるのは、科学的に当然ではありませんか。

いま、小説を創作したく、小説を書けば(必ずや)他人様に読んでもらいたい。ソレが目的であるから、、、、。世の中の人間全員に読んでほしいとは、決して思っていません。確率的に全く不可能です。ですから、一部の人に読んでもらえば結構です。
なぜなら、
熟達したものも未熟者も「物書きになりたい人間」を嗜好した途端、「自己顕示欲」に駆られるわけであります。自己顕示欲がどこかに潜んでいるから、ソレを「自分の著作した物」で自己表現したいのです。

         <・・・完・・・>

今後いかなる時間がかかっても「物書きプロ」にならねば、、、
そのため、日々絶え間なく「修練」が必要であると確信します。

<以下、不肖エセ男爵の私的なる広報記事なり!>
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<添付画像>:ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔
THE LORD OF THE RINGS:THE TWO TOWERS
(ご承知のとおり、この物語は想像上の世界ですが、おおむかしのヨーロッパ世界の言語の違い、(日本人には同じに見える)ヨーロッパ人種の微細な違い、口頭伝承による「記述歴史」以前の「神話世界」に手を届かせて創作されたすばらしい「エンターテインメント文学」を原作とし、映画化するための脚本と演出は優秀で、さらにIT技術を駆使して創作された超優秀映画です。日本の業界も、それなりの人材がいるのですからもっとこういう文化芸術に投資し、さらにがんばって日本発の優秀作品を制作してほしいな。

我家の愛犬は「MIDI」と称する我儘者(犬)なり・・・

2005-11-14 00:12:33 | つれずれ紀行
 
 あらぬことか、気まぐれと気分転換で、本日は「我家の人気者」をご紹介申し上げる事とあいなった。

A)本名=ミディ(Midi)
 なずけ親、ならびに本当の飼い主は、長女。(一人娘だから長女も次女もなし)
B)年齢と犬種:満2歳+数日:あわれにして出来そこないの「こびと犬」、いや「ミニダックス」(という種類の犬らしい・・・)
C)性別:雌犬(女性とは云わないだろうが・・・)
D)血液型:?
E)性格:内弁慶にして空威張りの小心者。護摩磨りの専門家。食に関しては貪欲。
F)特技&長所:特技は穴掘り専門土木工事。庭中あちこちと穴を掘って土木工事をやっている。年齢にして約20歳なる老猫、長年我家の住人(いや住猫)を年長者として似非尊敬し、すべからく一歩先を譲るという謙虚さあり。
G)あだ名(ニックネームor別称):
 チャンチキ;
 ドンタカ;
 ウンコたれ;
 シッコたれ;
 モシモシ;
 ハイ;(なぜか、携帯電話の音と、電話会話口調に反応する)
 わる子、
 ぶた子、(最近太り気味、気を付けてやらねばならぬ)
等々、厄介者の睡眠中以外は賑やかな我儘モノで、なにかと落ち着かない性格を総称したもの。及び、家中(うちじゅう)チャカチャカと短足を高速回転にして歩き走り回る落ち着きの無さと、食べ物に関する貪欲な性格をもって付けられた別称である。
尚、全ての別称に反応する一見頭脳明晰風にして、人間の顔色を伺いつつ自分の都合を最優先する、こましゃくれた小ざかしさあり。(犬のなかではIQの高い優れた頭脳を持っていると聞くから、かえって始末が悪い)

 この一年半というもの不本意にも、我輩は自宅に居住する時間配分は、長い。
時に読書に集中したく、パソコンに神経を走らせつつ、愚案を練る。等々、自宅の書斎で作業をする。それ以外、ゆっくりとくつろぎたい時しばしばある。なれど、昼間四六時中、我輩の居場所に付きまとう我家の「新参者メ」によって、我輩の生活ペースを乱され、いささか迷惑をしている。逆に本来の生活ペースを、この厄介者に合わせねばならぬ。という、面倒を抱えつつ、現在に至る。
「ウム、とにかくマイペースで24時間の時間配分をしたい!」
「・・・?」
「好きな時間、気分の乗った時、冴えた時、その時こそが創作活動!」
 となれば、時には夜遅くまで嘘にでも思案に耽りたく、ならば朝遅くまでゆっくりと休みたい。が、朝一定の時間になれば必ずや、寝室のドアを短い前足で叩く。たたき起こされてしまうから睡眠不足解消の為、当然ながら昼寝をしたくなる。昼寝をしていれば、家の外の通行人に向け、意味なくワンワン吼えまくって我が昼寝の妨げをする。
「こんな我儘モノには、負けた。もう諦めた!いずれにせよ、除夜の鐘が鳴リ終わる頃には帰ってくるから、そろそろ家出したい・・・」
という気分になり、
「家出してでもやらねばならぬ本年度最大の課題を克たずけようという時に、なんてこった!」
かくして若し、又再び、我輩をして車寅次郎先生風の旅人生活に戻る決断するならば(事実、ふらりと旅人に戻りたい!)、この可愛くも厄介者の原因である。ちび「わる子」犬よ、どのように責任を取ってくれるのか!とにかく在宅中の我輩に付き纏う事は即刻中止し、反省し、直ちに生活態度をあらため、必ずや我輩の時間表に合わす事約束し、そして、我輩に詫びてくれるか!
はたまた我輩、犬猫同居の集団生活に対する適応能力不十分と判定され、結果、自己責任となるか・・・

「嗚呼、日々、厄介にしてひょうきん者(犬)との対応で、仕事捗らず(犬のせいにするな?)、さりとて忙しくも和みつつ、面倒にして疲れます・・・」

そんなわけで本日も、埒のあかない話題でして、、、
このあたりでオヒラキを・・・
さて、
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Quadra Stangelini? (クラブ・デラ・バルケッタ会員の愛車より)

2005-11-12 01:50:40 | 趣味の話&本と雑学メモ
トラックに搭載するくらいの巨大なエンジンが、この鼻っ面に入っている?
しからば、直列12気筒4~8リッターエンジンが乗っかっているのか?
これ?
いったい何なの?
約5~60年前の(もっと前か?)、イタリアのスポーツカーですぞ。
つまり、
当時のGTカーなのよ・・・
マ、マ、詳細は明日(今日の午後か?)記事にするから、読んでください。
詳細はともかく、
(今買えば、4~5千万するらしいが、とにかく日本国内に1台有るか無いか、そんな車であるぞ!エンジンは僅か1リッター前後のものしか搭載されていないぞ。見掛け倒しの玩具よ・・・)
とにかく、ウン十年前のGTカーなのでありまして、人間が乗車していないと、そうとう大きな車に見えますが、情けないかな、結構これでちっちゃな車です。

「ハハハ~、犬で例えれば、まるでミニダックスフンドだよ・・・」
「?・・・」
(まずかったかなあ~・・・)
やっぱ、ますい!
このままでは、お叱りを受けそうだ。
そう、
「なんだって?読者を莫迦にするのか?いい加減にしろ!」
「・・・!」
「ちょっと待て!」
「?・・・?」
「これで記事になるのか?」
「まま、そうおっしゃらずに、不肖エセ男爵にして恥を覚悟の上、『日記ブログ村社会』すなわち莫迦競争社会で上位を占めるため、確認をしていただく為にも、下記のバーを「プチッ」とクリックして於いて下さいな・・・」

若輩者同士、思ったほどには競争精神薄弱にして、且つパッとしない。
その中においてして我輩は、不覚にも、かなり苦戦しています。
とにかく下記のバーをクリックしていただかないと、前に進みませんです・・・
(クリックしていただくやいなや、『大恥』をさらけ出します。(一昨日入会時時点にて207位、昨夜最終成績たるや27位でありました。村人の競争精神軟弱か。あるいは我輩の勢い少なし。読者各位のクリック時点にて、成績状況たるや再度確認願います!)
だから、
あらためて、
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撮影場所:東富士山麓にて
(撮影時期:2004年の晩秋)

「クラブデラバルケッタ会員の皆様」に(無断で)思い出を捧ぐ・・・
この手の「レトロ?スポーツカー」のPhoto、沢山あります。ご希望により(我輩の気分により)追加投稿掲載なり・・・

恥ずかしながら?!「むらびと復帰宣言」・・・

2005-11-11 03:15:40 | つれずれ紀行
 「読者の皆様、おはようございます!」

「何だって、珍しく、早起きしているのか?」

「いいえ、長年にわたる時差ぼけ状態にて、一日は25時間での作動周期ですから、人様より絶えず1時間遅れて回る我が人生、、、。したがって起床時間も就寝時間も、メッポウ早かったり、そうとう遅かったり、でして・・・」

「何だ、こちとら、忙しいのだ。用事があるなら早く言わんかい・・・」

「ハハ、本日あらためて『大日本ぶろぐ村』に加入いたしましたのでお伝え申し上げたく、加えて、さっそく<ブログ村のバナー>をクリックいただきたく、宜しくお願いしたいのであります・・・・」

「・・・・」

「まま、そうおっしゃらずに、プチッとクリックして於いて下さいな・・・」

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てな訳で、
4ヶ月間の休暇を頂きました後、かなり総人口増加(参加者増加)の一途。発展的都市国家(いや、村社会国家?)別称『ブログきちがい村?』にあらためて自主参加する事にいたしました。

毎度毎度、不愉快と愉快?且つ不理解と認知不行き届きの狭間に加え、苦笑いをひた隠しに隠されつつ、駄文悪文に「目をお通」下さる皆様に、あらためて御礼申し上げます。

いつもありがとうございます。

いよいよ
本年度の締めくくりを致したく、
さらに来年度に向けての新たな試みと創作活動に取り組みたく、
自己都合的痛快酔狂にして、対社会に非有害?出来れば有益にして社会貢献可能なるボランティア精神に満ち溢れんばかりの『真打男爵風シニアライフ』をあらためて実行致したく、つきましては『文筆活動を中心』にした日々日夜、健康管理且つ精神衛生管理を自己管理?しつつ、ひたすら人生の「洒落と粋」なるものを探求創作し、鋭意邁進する所存であります。
ブログ記事制作と、文筆創作は、全く異なるもの、、、。
よって、毎日ブログ記事投稿は難しいか?と思いつつ、必ずや週2回の投稿を心がけます。
このところ、いささか長文記事が目立ちますが、お忙しい読者様には2回に分けてご通読いただければ幸いです。
今後、いささか日記風の徒然なるもの心がけ、可能な限り短編記事に致したく考えます。
宜しくお願い申し上げます。

 平成17年11月吉日 
               エセ男爵 拝



<引用写真紹介>BBC co.uk BBC英国放送URLより:「戦(たたかい)の歴史:ノルマン人の征服」
*大英帝国発祥以前か。苦難の村社会の歴史が見つめられ、正しく自国英国の歴史認識がなされようとしている。アングロサクソン+ノルマンの混血により、英国国民の血統の源流が紆余曲折し、現在に至るか。今に流れる英国民の血統の成り立ちまで立ち入って言及するから、おもしろい。小さくて認識しにくい画像は、古代ないし中世の戦闘場面が描かれた古い絵画のようだ。
(我輩、本日より「きちがい村」での日々の合戦参加になぞらえ象徴すべく、この画像を拝借した)
*こうして検索すれば、音声だけによるラジオ放送及び画像放映可能なTV報道に加え、BBCの紹介するインターネットを通じての文字及び画像による情報も、取り扱いジャンルは広く深く多彩である。ネット時代に至った今日、こうも幅広く情報が飛び交っているか。また、その情報たるや世界のどこにいても(ある程度)入手可能であるか。あらためて今日的IT時代、旨く付き合えば結構楽しいではないか。
  
<以下上記紹介写真添付引用文>

1066 and All That

The Battle of Hastings changed England and the English way of life for ever.

Take a look at events both before and after the Norman Conquest, for an understanding of what it has meant for our island race

この先、日本の人口が半減したら、どうなるか・・・

2005-11-10 11:11:00 | 教養・文化・歴史
 また今日も「CIAファクトブック」からデータを引っ張った。
もって本日、
長年、競争を嫌う教育を施してきた日本国の文部科学省と、このたび新設された(目的不明なる)猪口「新生児現象問題・・・云々」大臣及び取巻きに物申したい。

<以下、不肖エセ男爵の私的なる広報記事なり!>
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<・・ 本 文 ・・>

データをご覧頂きたい。
これ、云いかえれば
『世界の所得番付け表』である。

世界の国々「所得ランキング表」という表現が分りやすく、より正しいか。
日本のGDP(国内総生産?)は、いまやシナ大陸共産国家に追い抜かれ、みごと3位に転落!しかし、これは大した問題でない。(問題としないその理由?次回に語る・・・それとも、語らなくとも既にお分かりであろうか?)
労働力対象人口は、思ったより多いではないか?堂々の8位(実質7位)ではないか!もっと労働力対象人口が減っても「やっていける」のではないか?
先日の記事でも触れたように
さらに具合の悪い事に、日本の "GDP par Capita" (この意味、単純に、国民一人あたり所得水準と考えても、ほぼ問題ない) のランキングに至っては、21位である事、しかと確認し認識されたい。(Data of World & EU)が挿入されているから、実質19位である。日清日露の戦争に勝利した時点での水準より低いのではないか?(そうでもないか?いずれにしても、日本国民生活レベルではたいしたこと無い、と考える。再認識すべし!)
一位は、相変わらずルクセンブルグである。そして2~5位に注目されたい。これら全て、国の面積があるかないか分らぬ小国、世界の洗浄資金隠れ財産の集結する「金融資産逃避場所特別指定地域」ではないか!ならば、ルクセンブルグとは?すなわち、2~5or6位までの新興地域ではなく敢然と歴史に立ち向かい時流に流されず名乗り出でている「XX指定地域」なのである。
したがって、
以下の見方が正しかろう。
1)1 Luxembourg $ 58,900 2004 est.
2)2 United States $ 40,100 2004 est.
3)4 Norway $ 40,000 2004 est.
4)9 Hong Kong $ 34,200 2004 est.
5)10 Switzerland $ 33,800 2004 est.
6)12 Denmark $ 32,200 2004 est.
7)13 Ireland $ 31,900 2004 est.
8)14 Iceland $ 31,900 2004 est.
9)15 Canada $ 31,500 2004 est.
10)16 Austria $ 31,300 2004 est.
11)17 Australia $ 30,700 2004 est.
12)18 Belgium $ 30,600 2004 est.
13)19 United Kingdom $ 29,600 2004 est.
14)20 Netherlands $ 29,500 2004 est.
15)21 Japan $ 29,400 2004 est.
16)22 Finland $ 29,000 2004 est.

そうだ。
いまや日本は、かろうじて15位に止まっている。
手元に、10数年前の狂乱バブル期の「数字データ」は持たない。が、もって比較してもしかたなかろう。

どうであろう。これ、若し、日本の人口が半減した場合、ようやく晴れて世界一の生活水準の国といえる。すなわち、分母が半分に小さくなれば、ようやく世界一のルクセンブルグに追いつける。という屁理屈が成り立つ。

下記の提案は、如何なりや?
*まず、新憲法を制定し(憲法改正ではないぞ。第二次世界大戦に敗北してのち、日本国には未だ独自の憲法が無いから、百歩譲っても「憲法改正」とは言いたくない)、自衛の為の軍備を整備強化し、神出鬼没の世界規模テロの脅威狂気から日本国民を守り、
*教育水準が(現行の)3倍良くなるよう現行ゆとり怠け寝ぼけ教育を改正し、正しき日本国民の頭脳内部構造にして本来あるべき姿を取り戻し、活性し、回復し、育み、
*そのためには、訳の分らない超左寄り教師を一掃し、
*知能指数と体力精力虚弱な若者は、出来損ないの子孫を生まず増やさず、人口を減少させ、一人当たり所得効果を3倍増し(実際には2倍が精一杯か・・・)、
*明治政府から引き継がれた旧式行政を改革し、もって規制緩和し、もっと効率良い「サービス業」、主として世界競争に決して負けない凛とした金融システムの完成と、
*より精度の高い「製造業」を増強充実し、
*三流政治家と五流マスコミが、サンバカ隣国の煽動に動揺さえしなければ、
ようやく21世紀の日本の将来が見えてくるというもの。
こうしてみると、
「数字は嘘を言わないなあ~」
以上、
本日は、酔狂的「エセ男爵の失言」を書き留めておいた。

PS:データの比較対照は面白い。これ、少しシリーズ記事にて続ける。そう、輸出入実績ランキングと、外貨保有ランキングも見比べると面白いのだ。日々の報道、壊れた茶碗の欠片を数えたり、重箱の隅のご飯粒を探し突付くようなTV報道ばかりに目を奪われないで、地球儀を回し、一年間の実績データを眺めれば、すなわちもっと高所から鳥瞰図的に「世界と日本の位置関係」を観てみると面白いか。


<以下、CIAファクトブックからの引用データ>

Rank Country GDP (purchasing power parity) Date of Information

1 World $ 55,500,000,000,000 2004 est.
2 United States $ 11,750,000,000,000 2004 est.
3 European Union $ 11,650,000,000,000 2004 est.
4 China $ 7,262,000,000,000 2004 est.
5 Japan $ 3,745,000,000,000 2004 est.
6 India $ 3,319,000,000,000 2004 est.
7 Germany $ 2,362,000,000,000 2004 est.
8 United Kingdom $ 1,782,000,000,000 2004 est.
9 France $ 1,737,000,000,000 2004 est.
10 Italy $ 1,609,000,000,000 2004 est.
11 Brazil $ 1,492,000,000,000 2004 est.
12 Russia $ 1,408,000,000,000 2004 est.
13 Canada $ 1,023,000,000,000 2004 est.
14 Mexico $ 1,006,000,000,000 2004 est.
15 Spain $ 937,600,000,000 2004 est.
16 Korea, South $ 925,100,000,000 2004 est.
17 Indonesia $ 827,400,000,000 2004 est.
18 Australia $ 611,700,000,000 2004 est.
19 Taiwan $ 576,200,000,000 2004 est.
20 Thailand $ 524,800,000,000 2004 est.
21 Iran $ 516,700,000,000 2004 est.
22 Turkey $ 508,700,000,000 2004 est.
23 South Africa $ 491,400,000,000 2004 est.
24 Argentina $ 483,500,000,000 2004 est.
25 Netherlands $ 481,100,000,000 2004 est.
26 Poland $ 463,000,000,000 2004 est.
27 Philippines $ 430,600,000,000 2004 est.
28 Pakistan $ 347,300,000,000 2004 est.
29 Egypt $ 316,300,000,000 2004 est.
30 Belgium $ 316,200,000,000 2004 est.
31 Saudi Arabia $ 310,200,000,000 2004 est.
32 Ukraine $ 299,100,000,000 2004 est.
33 Colombia $ 281,100,000,000 2004 est.
34 Bangladesh $ 275,700,000,000 2004 est.
35 Austria $ 255,900,000,000 2004 est.
36 Sweden $ 255,400,000,000 2004 est.
37 Switzerland $ 251,900,000,000 2004 est.
38 Hong Kong $ 234,500,000,000 2004 est.
39 Malaysia $ 229,300,000,000 2004 est.
40 Vietnam $ 227,200,000,000 2004 est.
41 Greece $ 226,400,000,000 2004 est.
42 Algeria $ 212,300,000,000 2004 est.
43 Portugal $ 188,700,000,000 2004 est.
44 Norway $ 183,000,000,000 2004 est.
45 Denmark $ 174,400,000,000 2004 est.
46 Czech Republic $ 172,200,000,000 2004 est.
47 Romania $ 171,500,000,000 2004 est.
48 Chile $ 169,100,000,000 2004 est.
49 Peru $ 155,300,000,000 2004 est.
50 Finland $ 151,200,000,000 2004 est.
51 Hungary $ 149,300,000,000 2004 est.
52 Venezuela $ 145,200,000,000 2004 est.
53 Morocco $ 134,600,000,000 2004 est.
54 Israel $ 129,000,000,000 2004 est.
55 Ireland $ 126,400,000,000 2004 est.



Rank Country GDP - per capita Date of Information

1 Luxembourg $ 58,900 2004 est.
2 United States $ 40,100 2004 est.
3 Guernsey $ 40,000 2003 est.
4 Norway $ 40,000 2004 est.
5 Jersey $ 40,000 2003 est.
6 British Virgin Islands $ 38,500 2004 est.
7 Bermuda $ 36,000 2003 est.
8 San Marino $ 34,600 2001 est.
9 Hong Kong $ 34,200 2004 est.
10 Switzerland $ 33,800 2004 est.
11 Cayman Islands $ 32,300 2004 est.
12 Denmark $ 32,200 2004 est.
13 Ireland $ 31,900 2004 est.
14 Iceland $ 31,900 2004 est.
15 Canada $ 31,500 2004 est.
16 Austria $ 31,300 2004 est.
17 Australia $ 30,700 2004 est.
18 Belgium $ 30,600 2004 est.
19 United Kingdom $ 29,600 2004 est.
20 Netherlands $ 29,500 2004 est.
21 Japan $ 29,400 2004 est.
22 Finland $ 29,000 2004 est.
23 France $ 28,700 2004 est.
24 Germany $ 28,700 2004 est.
25 Man, Isle of $ 28,500 2003 est.
26 Sweden $ 28,400 2004 est.
27 Aruba $ 28,000 2002 est.
28 Gibraltar $ 27,900 2000 est.
29 Singapore $ 27,800 2004 est.
30 Italy $ 27,700 2004 est.
31 Monaco $ 27,000 2000 est.
32 European Union $ 26,900 2004 est.
33 Andorra $ 26,800 2003 est.
34 Taiwan $ 25,300 2004 est.
35 United Arab Emirates $ 25,200 2004 est.
36 Falkland Islands (Islas Malvinas) $ 25,000 2002 est.
37 Liechtenstein $ 25,000 1999 est.
38 Brunei $ 23,600 2003 est.
39 Spain $ 23,300 2004 est.
40 New Zealand $ 23,200 2004 est.
41 Qatar $ 23,200 2004 est.
42 Faroe Islands $ 22,000 2001 est.
43 Greece $ 21,300 2004 est.
44 Kuwait $ 21,300 2004 est.
45 Guam $ 21,000 2000 est.
46 Israel $ 20,800 2004 est.
47 Cyprus $ 20,300 2004 est.
48 Greenland $ 20,000 2001 est.
49 Slovenia $ 19,600 2004 est.
50 Macau $ 19,400 2003
51 Bahrain $ 19,200 2004 est.
52 Korea, South $ 19,200 2004 est.
53 Malta $ 18,200 2004 est.
54 Portugal $ 17,900 2004 est.
55 Bahamas, The $ 17,700 2004 est.



Rank Country Labor force Date of Information

1 China 760,800,000 2003
2 India 482,200,000 2004 est.
3 European Union 215,000,000 various
4 United States 147,400,000 2004 est.
5 Indonesia 111,500,000 2004 est.
6 Brazil 89,000,000 2004 est.
7 Russia 71,830,000 2004 est.
8 Japan 66,970,000 2004 est.
9 Bangladesh 65,490,000 2004 est.
10 Nigeria 55,670,000 2004 est.
11 Pakistan 45,430,000 2004 est.
12 Vietnam 42,980,000 2004 est.
13 Germany 42,630,000 2004 est.
14 Thailand 36,430,000 November 2004 est.
15 Philippines 35,860,000 2004 est.
16 Mexico 34,730,000 2004 est.
17 United Kingdom 29,780,000 2004 est.
18 France 27,700,000 2004 est.
19 Burma 27,010,000 2004 est.
20 Turkey 25,300,000 2003 est.
21 Italy 24,270,000 2004 est.
22 Iran 23,000,000 2004 est.
23 Korea, South 22,900,000 2004 est.
24 Ukraine 21,110,000 2004 est.
25 Egypt 20,710,000 2004 est.
26 Colombia 20,700,000 2004 est.
27 Spain 19,330,000 2004 est.
28 Tanzania 19,000,000 2004 est.
29 Canada 17,370,000 2004
30 Poland 17,020,000 2004 est.


<写真> 晩秋、どんぐり林の遊歩道
  撮影日:(2004年11月上旬)
  撮影場所:静岡県東富士山麓にて

美しき道具(1/3) 「愛用のペティーナイフ」

2005-11-09 02:28:50 | 趣味の話&本と雑学メモ
 すでに12~3年間に亘り、愛蔵し愛用する我輩のペティーナイフを紹介する。

このぺティーナイフ、「男の道具」として旅人である我輩に終始従属し、外国各地を転戦し活躍した、歴戦の「つわもの」である。

刃の素材は「ダマスカス鋼」。
イスラム文化全盛時代、かの中東ダマスカスに於いて製錬鍛造されたという所以を聞いた聞きかじり耳学問情報がある。が、しかし、このナイフは純然たる国産すなわち日本製。たぶん、物好きな刃物職人様が(失礼!物好きは我輩の事なり!)、上述のダマスカス鋼による刀剣に魅せられ、物好きな刃物愛好家に対し趣向をもって鍛造された刃物であろう。
(ケースには「牛刀」と記されているが、実際の用途はペティーナイフである。と思う・・・)
見れば、細い糸屑を解きほぐし、刃の全面に貼り付けたような紋様が特徴である。何故こうなるか?こういう紋様が出るのか?専門的・理論的には良くわからないが、そもそも刃物とは堅い鋼(はがね)と、軟らかい軟鉄を合体させているからこそ、良い切れ味が出て、且つ折れ曲がらないと、聞く。このダマスカス鋼、もともと鋼(はがね)と軟鉄を幾重にも折り曲げ鍛えたのち、このような紋様が出来上がったのか?と、勝手に我輩判断している。(若し、願わくば、読者の中にご専門の方が居られれば、正解のご解答を賜りたく、あつかましくも当記事を通してお願い申し上げる次第であります)
尚、
画質がもっとよければ、紋様の仔細ご覧に入れること可能であるが、難しいか。我が愛用の旧式デジカメの性能がイマイチであるからして、刃の表面の紋様の確認が難しい事、お許しいただきたい。

 日本で購入して後、直ちにハンガリーで活躍。
朝食は週に2~3度、自分で作る。さらに月に2~3度、当時の下宿先の家族と共に夕食をとった。

朝食時は、(といっても、ほとんどブランチに近いものであった)
時に、ブロックのままの生ハムをスライスする・・・
ほぼ毎回、生ベーコンを一口分のブロックに切り分ける、
必ずや毎回、サラミを切り、口に運ぶ、
定番にて毎回、生パプリカを切る、
時々は、プチトマトまたはオニオンをスライスする、、、
(現地で云うオニオンとは親指大の小振りな玉葱に細ねぎが生えてしまったような珍奇なものであった)

たまに下宿先家族との夕食会を催した。
そんな時、このナイフの役割は重要であった。
ディナーの主催者(我輩)が、オーブンにて丸焼きにした「鴨肉」を、メンバーに切り分ける役目を仰せつかるのだ。下宿先の台所にもナイフはあった。がしかし、ブリキ板で作ったも同然のシロモノで、微細にモノを切るには決して役に立たなかった。下宿先家族達とて、自分達の調理にはほとんど自前の一番小さな刃物、すなわち果物ナイフ程度のペティーナイフを器用に使い、ほとんど「まな板」を使用せず、材料を左手に持ち、小さなナイフを右手で操り食材をひねり切り、切り取った食材はそのままナイフの刃先から、親指をひねり使って調理容器に落としていった。つまり、日本のようにまな板に食材を於き、菜切り包丁でトントンと切り刻む行為は、ついぞ見れなかった。調理方法も、お国変われば仕方が違う。食材と調理方法が違えば、鍋釜の造作種類も全く違っていた。
しかし、夕食時には概ね我輩専用の食事用のナイフとなる。なぜならば、食卓で使うフォークの良し悪しはあまり問わない。が、ナイフにはその違いが歴然と現れる。まともに普通に、ビーフステーキや鳥の胸肉、ポークチョップのたぐいの切り分けられるナイフは、その下宿先には一本も存在しなかったのである。地元の連中は、老若男女問わず、「力ずく」で押し切る。しかし我輩、すんなりと肩と両腕指先の力を抜いて、愛用のナイフを料理に当てがうだけで切り分け、ただ単に「優雅」に、ディナーを食したかったのである。(ゆめゆめ、こういう行為はレストランでは厳禁、と心得、ただただ下宿先フラット内での行為に留めておいたこと云うまでもない)

その後、インドネシアに渡り、
東ジャワ州マラン市の下宿先でも活躍した。
時たまオーストラリア産牛肉2~3kgの塊を購入し、(日本より持参の)牛刀で切り分け冷凍保存しておく。その日の嗜好により、朝から解凍。夕刻の早い時間から地元ビンタンビールをあおりながら、ステーキを焼く。ミディアムレアーとなったところで皿に移し、そのままこのぺティーナイフを使用して、ステーキを切り分け食す。しかし多くは、東ジャワ州マラン市郊外にて生産された良質の若地鶏の丸焼きをさばき、さらに食するのに使用した。

バリ島ではほとんど自炊をしなかったので、このナイフの活躍の場はキッチンから書斎へと、勤務場所を変えた。趣味と仕事の都合上、B~B3の鉛筆及び赤鉛筆を使用するから「鉛筆削り」専用ナイフへと役目が変わり、現在に至った。

このナイフの刃渡りは標準(10cm位か?)よりも、約1.5センチくらい長い。長いからいささか扱いにくい。しかし慣れればこの長さがちょうど良くなる。正直言って、果物の皮を剥くには少々長すぎるから要注意、うっかりしていると自分の指先または手の皮を剥く羽目になる。

本来、プロ仕様のペティーナイフらしいが、我輩プロの調理人ではない。そして若し、我輩がプロの調理人であったなら、このナイフの刃渡りは、もう少し短くなっている事、間違いない。なぜなら、刃物は適宜研がなければ道具としての用を成さない。したがってプロは、ほとんど毎日のように刃物を研ぐ。しかし我輩、この刃物の手入れを決して怠ったてはいないものの、今日に至るまでに「研いだ回数」は、いまだ4~5回にとどまっている。

  <・・・続く・・・>

次回は、自分流「刃物の研ぎ方」?を、ご紹介したい。

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「ジョンリースとBBC英国放送」の考察にあたって-(予習)・・・

2005-11-04 02:35:45 | 教養・文化・歴史
ウィキペディア・エンサイクロペディア、 (Wikipedia the free encyclopedia からの引用です)

廣淵先生の「BBC英国放送講座」の連載が始り、いいよ核心に入ってきました。 (廣淵先生のBlog、こちらから入れます・・・)
廣淵先生の魅力ある講義にはまってしまい、このところ、多大なる好奇心をもって連載記事拝読中です。
しかし、
全くもって事前の基礎知識なし・・・
(はずかしながら、過去の経験にあらざる事態となり、、、)

ならば我輩、さっそくにも
いかに不肖の「俄か聴講生」といえども、何らかの予習を致したく参考資料等入手したく思い、気ままにWeb世界を徘徊したところ、ありがたくも上記百科事典的サイトにたどり着き、さっそく「ジョン・リース伝記」に到達しました。少なからず、
幼少期、生い立ちから青年期、ならびにBBC支配人に至るまでの経緯、BBCの責任者としての創業時の「組織訓」等等、さらにBBCを去ってからの氏の活動など、項目別的レベルではあるが、資料収集できました。
となれば、
自己の予習記録の目的にて、上述参考資料により抜粋し得た「内容」を我がブログに書き留めておきたく、あくまでもメモ目的の記事として掲載いたしました。

J.リース伝記掲載に先駆け、リース氏の執ったBBC放送開始時点の「放送目的及び内容別項目」らしきアイテムがありました。
もって、創業時のターゲットを確認する上で重要な確認事項と考え、以下別途に抜粋しておきました。

Cpyright and performing rights; Marconi patents;
associations of

1. concert artists,
2. authors,
3. playwrights,
4. composers,
5. music publishers,
6. theatre managers,
7. wireless manufacturers.


以って、以下、
Wikipedhia フリー・エンサイクロペディアより、『伝記:ジョン・リース』抜粋

<抜粋本文>
John Reith, 1st Baron Reith
From Wikipedia, the free encyclopedia.
(Redirected from John Charles Walsham Reith)
Jump to: navigation, search
The Right Honourable John Charles Walsham Reith, 1st Baron Reith (July 20, 1889 - June 16, 1971),Sir John Reith (1927-), then Baron Reith (1940-) established the British tradition of independent public service broadcasting.

[edit]
Early life
Born at Stonehaven in Scotland, Reith was the youngest, by ten years, of the seven children of the Revd Dr George Reith, a minister of the Free Church of Scotland. He was to carry the religious convictions of the Free Church forward into his adult life. Reith was educated at Glasgow Academy then at Gresham's School, Holt, Norfolk. Reith was an indolent child who had used his intelligence to escape hard work but he was genuinely disappointed when his father refused to support any further education and apprenticed him an engineer at the North British Locomotive Company. Reith had been a keen sportsman at school and only learnt to tolerate his apprentiship through part-time soldiering in the 1st Lanarkshire Rifle Volunteers and 5th Scottish Rifles.

In 1914, Reith left Glasgow for London, largely in pursuit of a 17 year-old schoolboy, Charlie Bowser, on whom he appears to have formed something of a crush. Though he readily found work at the Royal Albert Dock, his commission in the 5th Scottish Rifles soon found him serving in World War I, being invalided out when struck in the cheek by a bullet in October 1915. He spent the next two years in the USA, supervising armament contracts, and became attracted to the country, fantasising of moving there with Bowser after the war.

On his return to the UK, Reith and Bowser both fell in love with Muriel Odhams. Reith won Muriel's hand but warned her that she must share me with C. He sought to redress the asymmetry by finding a partner for Bowser but Reith's subsequent jealousy interrupted the men's frienship, much to Reith's pain.

However, the end of the war saw a reconcilliation, with Reith's return to Glasgow as General Manager of an engineering firm and Bowser becoming his assistant. But the lure of London proved too much for Reith and in 1922, he again set out for the capital. Dabbling in politics, despite his family's Liberal Party sympathies, he ended up working as secretary to the London Unionist group of MPs in the United Kingdom general election, 1922. Perhaps prophetically, that election was the first whose results were broadcast by radio.

[edit]
The BBC
On December 14, 1922 Reith became the general manager of the British Broadcasting Company, an organisation formed by manufacturers to provide broadcasts to foster demand for wireless sets. In his own words he was:

... confronted with problems of which I had no experience: Copyright and performing rights; Marconi patents; associations of concert artists, authors, playwrights, composers, music publishers, theatre managers, wireless manufacturers.
Reith oversaw the vesting of the company in a new organisation, the BBC, formed under royal charter and became its first Director-General from January 1, 1927 to June 30, 1938.

He expounded firm principles of centralised, all-encompassing radio broadcasting, stressing programming standards and moral tone. To this day, the BBC claims to follow the Reithian directive to "inform, educate and entertain".

The first regular television broadcasts (November 1936 to September 1939) started under Reith's stewardship.

[edit]
Later life
After leaving the BBC in 1938, he became chairman of Imperial Airways. In 1940 Reith was appointed Minister of Information in the government of Neville Chamberlain. So as to perform his full duties he became a Member of Parliament for Southampton. When Chamberlain fell and Churchill became Prime Minister his long running feud with Reith led to the latter being moved to the Ministry of Transport. He was subsequently moved to become First Commissioner of Works which he held for the next two years, through two restructurings of the job, and was also transferred to the House of Lords.

The BBC Reith Lectures commemorate Lord Reith.

<以上、本文抜粋終了>
 (ジョンリース関連の記事連載します)

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<写真>晩秋の富士東山麓を望む
    撮影日:2004年11月上旬

俗人エセ男爵!今晩秋「欧羅巴の初夏」を追憶す・・・

2005-11-02 22:55:11 | 酔狂的欧羅巴徘徊記
 我輩の敬慕する悠々先輩より本日、先のイタリア疾走紀行のTruck-Backなるものが届いた。
イタリア女性の「頭隠さずお尻隠さず」云々という珍妙かつ漫談的記事、、、。
なにしろ、意外にも色っぽくこざっぱりした記事を発見する。

すなわち、
鬼退治の桃太郎にして今にも生まれ飛び出してきそうな大桃的割れ目、巨大にして豊満且つはちきれんばかりに成熟したイタリア女性のお尻の写真をお撮り遊ばした。我輩、いかにも驚きつつ、この大胆な画像に対する記事は如何なりや?と拝読すれば、そこは、さすが悠先輩、、、。桃尻写真を解説なさるに、いとも色っぽき猥褻風なれど、非猥褻的表現をして想ったほど陰湿なる湿度は少なく乾燥朗らかにして、然るべき品性を堅持し且つ円熟味ある関連別方向に読者の意識を転換され、ことごとく流麗な美文にして締めくくられた美しきエッセイではないか・・・
さりとて、そのTB先である我輩の記事とは、前の投稿「BBC英国放送に関連する記事」であり、その内容たるや、我が灰汁の強い理念的発想とエセ男爵的我儘を曝け出した「不出来的抽象画風乱文」に対し、和みと安らぎを「以ってせざるを得ない」よう、TBをされた由、ようやく今になって解釈する感受性鈍き我輩の「懐浅き精神状態」を察知された上での「TB行為」をなされた。と、解釈。

「・・・」
「よお~し、それでは我輩も負けじ!・・・」

と、思い立ち、取り急ぎ古いファイルを引っ繰り返し、
古いブダペスト市内の盗撮的街角撮影駄作から、
「目を隠して股を隠さず・・・」的写真を引抜き、
今夜、慌てて掲載にいたる・・・
Blog掲載作業は、我が書斎にストーブをつけながら。
ご承知の通り我国の今日の時節は、朝晩はめっきり寒さをもろに感ずる季節、晩秋の真っ只中。なんとなんと、初夏の中欧で撮った古い写真を眺めるのは、いかにも無粋である。

約10年前の5月のブダペスト市内の初夏の記録の一こま、、、。今こうして、追憶となってめくるめく・・・
イタリアに比して勝るとも劣らず、夏ともなればハンガリー人女性も肌をあらわにするには節操が無い。当地に長期滞在を始めた、初めての夏、我輩は驚いた。街中が「ストリップ劇場」になったかと思えるほど、ありとあらゆる年代(さすが初老の女性は除く)の女性が、短い撒きスカート、ロングスカートやドレスといえども、いかにも透け透けにて、下着の下の布まで透けて見え、且つさらにその下のヘヤーの色まで識別できるほどの透け透けで、路面電車に乗りバスに乗り、公園のベンチに立ち居すわり、街中を堂々と闊歩するさま、しかと拝見した。このありていを、しかとまぶたに焼き付けられた我輩の小脳は、昼夜を問わず、持ち主の意に反して密かに躍動を続け、初夏の訪れた5月末から数週間というもの、活動を継続する大脳小脳のざわめきにより、夜はなかなか寝付けなかった。が、その内、ざわめきはおさまり麻痺状態に達し、さっぱり気にならなくなった。慣れは、いかにも恐ろしい。そのうち肌をあらわにする白人女性に対して何の感動も沸かず、日常的我輩特有の感性にて猥雑なる視界を受け止め得るよう変化したから面白い。良識ある解剖学的視点にたって女性の上下半身を判断評価しつつ結論無きままに時は過ぎ行き、いよいよ夏も盛りになる頃は、全くもって科学的解剖学に関しては無関心になってしまった。
あらためて、
左隣は、彼女のボーイフレンドか?はたまたボディーガードか?
一見、イタリア人カップルの観光客が初夏のブダペストを闊歩している様子か?
あるいは、地元ハンガリー人女性とその彼氏か?
この際、野郎はどうでもよい。
さて、彼女の職業は?
どう見ても素人には見えない。
ナイトクラブのダンサーか?
極論的には、玄人の愛人請負季節労働者か?
どのみち「第3次産業(サービス業全般)」従事者であるには、間違はいなかろう。
ま、我輩にとっては、他人の職業?どうでもよい。
この若さなれば、いずれの業界で仕事をするにせよ、GDPへの貢献は大であろう。それにしても連れのお兄さんが如何にもいかがわしいぞ、、、。
キョウビの我国、いかにもこういうタイプのお兄さんを見かけなくなり、代わって精子薄弱的軟弱男子の増加する様子が、嘆かわしい。何とかならんか!?少子化とは、そもそも遊戯的に性O為を実行し、本来の目的を失していることが初期的原因ではないのか?
誰かが教えねばならない。誰が叱咤激励するのか?どうなるか?日本男児の下半身の威力軟弱改造強化計画は?可能か?
ならば、猪口少子化云々大臣に頑張って頂き、正しき解剖学的純粋理論を論拠とした「SOX奨励政策」をもってして我国青年男子女子に対し、然るべき目的を達していただきたく、当エセ男爵ブログ記事が些かでもご参考にならば、と思い、我輩として家訓に無き一生の恥を偲び且つ一時の恥を忍びつつ正しき論拠と思想に則った蛮勇的決断の上、本日記事を投稿した。

「・・・?」
「なんだって?アルコールを飲んだか?飲んでいるのか?って・・・」
「とんでもない。昨夜は結構飲んだけれども、今夜は一滴も飲んでいない!」
「・・・!」
「そう、素面(シラフ)にして書く記事でなければ、こういう内容を書くべきではないぞ」
「・・・」
「ありがとうございます、なんだか、わけのわからないお願いを聞き届けていただいて・・・」

シラフで書く記事がこれだから、この程度だから、あとは推して知るべし・・・

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