まるさんかくしかく〇△☐Ⅱ

雑感・雑記・日記

プライスレス

2020-06-03 15:21:41 | ふと思ったこと

只のものには価値がある。例えば太陽・水・空気。ただのものには価値がある。

昔、外国人から「日本人は水と空気は只だと思っている」という風に言われてきた。きれいな水と空気は、日本人には当たり前のことだった。横浜港で積んだ飲み水は腐らないということで外国船には重宝がられたという。

でも日本もその水を散々汚してきたよね~。我々団塊世代もそれに加担したかもしれない。
隣の芝は青く見えたし、華やかなものに憧れ、貧しさや不便さを嘆いて汗水垂らした。高度成長、豊かな暮らし。それこそが昭和の価値観だったかもしれない。

だが、汚染水は川に垂れ流された。公害やバブル崩壊、そしてゲーム感覚の投資関連の危うさなども見せてもらった。
頭で考えひねくり出した「おいしい構図」は、どの場合もあだ花を咲かせては、仇な結実を生む。
地球を掘ったり削ったり、遠方の国より買うよりも、初期コストは高くても、太陽や水や(水素と酸素)空気の流れや地熱とか、ここに既に当たり前にある恵みを活用して大事に循環させていけたらいいのにと思う。

とはいえ、あればあるだけ雑に使ってしまうしな~。

夢の扉という番組があって、未来に向けて頑張っている研究・開発している方々を見せてくれるが、日本政府が強力に後押ししないのか出来ないのか、どうしても「実用化が後手後手な感じ」が否めない。優れた日本の技術を賛美はするが、海外諸国ほど戦略的とは見えない。

いや~、こんなこと書くつもりじゃなかった。
太陽・水・空気。そっちの話だった。そして笑顔とか。

家族の存在・頑張っている姿・話せる仲の人々や好意、生きてること自体や四季の移ろい。
只ではあっても、みんな素晴らしい。
ややもすれば忌まわしくさえ思える夏の雑草だってCO2の削減に寄与しているんじゃなかろうか。

只只当たり前のように目の前にあるものに、実は大きな価値がある。
タダのものを楽しむのって本当はもっとエキサイティングなのかもしれない。
タダとはちがうかもしれないが、ベターハーフであるうちのカミさん、頑張っているうちの子供たち・・・。
すでにそこにある価値と幸せを、そんなの当たり前と、ついつい軽んじていないだろうか。
ただのものを愛おしむことは、生きていることを楽しむこと。

楽しむ方を選ぶのも、やっぱりこれも只のもの。
楽しむことを選ぶのは、心の向きを変えること。
時には簡単でもないけれど、だからこそ、それを無心に楽しむ。

ただのものには価値がある。ただのものほど価値がある。
ちょっと拡大解釈して・・・只者の私、これでもけっこう価値がある? (ん!? ) <2013-03-08 16:10:48 0308>


ムヒカ「一二三四五六七」/呼吸/マインドレスネス低減/知里幸恵普通の生活/】

 

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