180207 修験者と登山家 <「わたしの“奥駈道”をゆく~山伏修行の5日間~」>と<「銀嶺の空白地帯に挑む・・」を見て思うこと
役小角(えんのおづぬ、その他呼称はいくつか)については、当地にやってきて、なにかと気になる存在でした。紀ノ川が東西に水平線を横切る中、和泉山脈は天空を遮るような雄大さを感じさせます。奈良の遺跡を訪ね歩くと、生駒山から葛城山、金剛山は西方にどしんと構えて屹立しています。この山並みは紀ノ川が吉野川に変わる辺りで、見事に東西方向から南北方向にカーブを描き、ブーメランのような形状をしています。いずれも役行者が切り開いた修験道と言われています。また、吉野川をまたいで熊野まで延びる大峰山脈も役行者によるとされています。
伝説的で架空の存在ともいわれることがありますが、続日本紀にも言及があるくらいですから、7世紀以降、相当な威厳をもっていたのでしょう。だいたい、記紀で言及されている偉大な大王、雄略が参りましたという一言主神ですら、役行者は折檻したというのですから、尋常ではないですね。一時期、奈良の地裁支部で事件を抱えていて、なんども葛城山の麓を通っていましたので、時折、一言主神社を訪れたこともあります。霊力もなにもないので、一言主も役行者も、現れるといったことはむろんありませんでしたが。
役行者は結構有名で、あちこちにいろいろなものがあり、たとえば生駒山麓公園にはフィールドアスレチックが用意されていますが、その中に役行者のコースといった面白いものも用意されています。子どもを連れて行ったのですが、昔取った杵柄で、こういった種類のスポーツは高齢者といえども若者には負けない自信が芽生え、軽く完了してしまいました。
修験道の根本道場である大峯山寺を訪れたときは、ちょうど修験者の人たちが松明を焚いていたのでしたか、やはり威厳を感じました。だいたい役行者の像があった記憶ですが、とてつもなく怖い人相に仕上がっていましたね。
と余分な前口上を書きましたが、何冊か役小角に関する書籍を読んで、興味を抱いたのですが、どうもその内容が曖昧になっているので、書きながら思い出すかと思ったのですが、出てきませんので、このあたりでおしまいにします。
本題の<BS1スペシャル「わたしの“奥駈道”をゆく~山伏修行の5日間~」>は、一度は歩いてみたいと思っていた大峯奥駈道(おおみね・おくがけみち)でしたので、興味深く見ました。たしか西行もこの修行に参加したけど挫折したとかといった記述がどこかにあった記憶で、相当大変なところとの印象でした。が、参加者の顔ぶれ、歩く様子を見て、これはちょっと違うかなと思ってしまいました。
高知県の山深い村からやってきた住職兼養豚農家の親子であったり、僧侶の研修中の10代の女性であったり、やり手塗装業者であったり、それぞれですが、とても危険な修験道を行くタイプには見えなかったのです。
実際、多くの山道は整備され歩きやすいもので、危険な岩場と言われるところも、登山家であればなんでもないようなところで、鎖も必要がない程度の凹凸・傾斜でした。絶壁の上から体を張りだして下を覗きながら祈願する様子も、高所恐怖症でなければ、とくに怖さとか危険を感じるものではないですね。
おそらく本来の修験者たちの場合は相当条件が厳しい中で修行をするのでしょう。比叡山僧侶が生死をかけて行う千日回峰行もそのような危険な行でしょう。
他方で、先に挙げた3組は、ある意味、普通の方々で、彼らにとっては生死の境を感じるぐらい、厳しい行であったかもしれません。実際、塗装業の人は、なれない山歩きでほとんど歩けない状態の中、もう膝が人形のようにぶらぶら状態で、最後までやり遂げました。また、住職の後継者も、日常にはない厳しい行であったと思いますが、それを耐え抜き、弱った父親を助けるほどに体を慣らすまでになっていました。最も若い女性僧侶研修者も、かつてこれだけの厳しい条件を経験したことがない中で、男性にも負けない頑張りを示したと思います。
私も若い頃から山登りや沢登りを経験していますので、今回のコースくらいだとあまり負担にならないと一瞬思うのですが、最近の登山の経験から歩くのもやっとですから、いま挑戦すると、一日ももたないかもしれません。長い訓練が必要ですが、最近は歩くこともしないのですから、これではえらそうなことはいえません。
とはいえ、凄いことをやる挑戦者には感動します。おそらく昔は修験者たちがさまざまな危険に対峙する挑戦者だったかもしれませんが、現代は多様なアスリートがそうかもしれません。録画していてこの奥駈道の前に、見た<BS1スペシャル「銀嶺の空白地帯に挑む~カラコルム・シスパーレ~」>はとても痺れる内容でした。
二人の登山家は、まだ30代ですが、その意気と体力は鍛えられた鋼のように、強靱です。挑戦するカラコルム・シスパーレという山は、まさに絶壁です。しかも雪が厚く残っていていつ雪崩が起こってもおかしくない状態、それに絶壁の岩盤には薄く氷が張っていて、アイゼンもピッケルも効きそうにないのです。
しかも3000m級ですから、酸素が薄い。とてつもなく厳しい条件です。
実際、彼らの登攀途中、なんども雪崩が襲ってきて、間一髪で逃げることができました。私も小さな雪崩はなんども経験したことがありますが、彼らが直面したのはどれも一発でアウトになる脅威的な巨大さです。
なんどか退却を検討しつつも、最後は登頂への思い、亡くなった相棒への思いなど、熱い気持ちが勝って、成し遂げます。凄いです。グレートレースに参加するメンバーたちも素晴らしいスピリッツを持っていますが、この二人には感動させられました。
今日はなんの話しをしようとしたのかよくわからなくなりましたが、もう危険なことをするような気持ちを抱かなくなった自分を省みて、かれらの挑戦に拍手を送りたかったのかもしれません。
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