たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

孤高の偉人 <イチロー現役引退・・・孤高の姿>と<孤高の天才数学者>を読みながら+補筆

2019-03-22 | 人間力

190322 孤高の偉人 <イチロー現役引退・・・孤高の姿>と<孤高の天才数学者>を読みながら+補筆

 

最近は夜明けがずいぶんと早くなりました。他方で、私の方は熟睡できていないのか、その明るさに気づかないでいることもあります。でも今朝は甲高い野鳥の囀りで目覚めました。あまり耳慣れない声だなと思いながらも、その姿を見ることもなく出かけようと外に出ました。すると頭上からあの囀りが響いてきました。電柱に留まってしきりに鳴いていますが、私の目ではスズメかそれより小さいくらいしかわかりません。

 

囀りの調子から、ガラ系(といっても私には携帯の種類は分かりませんで、いわゆるシジュウカラなどの種類を勝手に呼んでいます)かなと思っています。シジュウカラでもなくヤマガラのそれとも違う音色です。断定はできませんが、ヒガラかなと一応思っています。

 

ところで今朝の毎日記事は地方選挙とイチローでほぼ尽きている感じでしょうか。前者にはあまり関心がないので、イチローを取り上げたいと思います。

 

毎日では<米大リーグマリナーズ・イチロー現役引退 日米28年、孤高の姿 各界から称賛の声>などのほか、80分間の記者会見では<イチロー引退会見「このユニホームで、このゲームを迎えられ幸せ」一問一答(その1)>を皮切りに全部掲載しているようです。

 

私もイチローファンの一人ですので、日ハムや巨人とのオープン戦、さらにはアスレチックとの2試合もついつい見てしまいました。まだ45歳というのに、少し老けた(失礼)容貌になり、以前に増して細身に見えてしまい、他方で、他の大リーガーのどの選手も若々しくがっちりした体格で、これは大変と思ってしまいました。

 

それでも以前のようにあの華麗なバットさばきを披露してくれると望みを託しながらいていました。でも現実は真剣勝負であることを改めて示すものでした。長いブランクの後でもあり、45歳という年齢もあるでしょう、イチローの動き、その天才的なバッティングスタイルは見ることもなく、最後の姿となりました。

 

また、イチローの野手としてのプレーは、レーザビームなどいまなお健在だったともいえるかもしれません。ただ、フライが上がったときの野手同士の連携、たとえばセカンドの守備範囲であってもイチローが勢い余って近づきすぎたという感じをもってしまいました。あるいはライトフェンスの高い位置に当たって、クッションボールをとりそこねた場面は少し気になりました。むろん、彼は採れるかもしれないと思いフェンス際まで深追いした?、あるいはランナーがいないのでクッションボールを採らなくてもよいとの判断だったかもしれませんが。

 

そんなこんなで、途中でイチローの姿を気の毒と思うような自分の気持ちもあり、あの偉大な数字、プレーだけを残して、最後の三振や凡打の山をつくる姿を見ないで済んだ方がよかったという思いが少しありました。

 

が、イチローのすごさはまさに最後まで野球選手として全力を尽くすとうところに真髄があるのではないかと感じました。記者会見で80分間も一問一答を行ったのは、まさに悔いのない野球人生(現役に限り)を全うしたことに自ら満足しているからでしょう。

 

こういった人生を送る努力、生き方こそ、評価されてよいと思うのです。全盛期だけを見せて姿を消すのも一つの生き方ですが、いいときもあれば悪いときもある、それが人生、偉大な業績をあげても孤高で戦ってきたからこそ、自信をもって最後まで全力を尽くす姿を見せてくれたのだと思うのです。

 

話変わって、昨日の毎日記事では「岡潔シンポジウム 紀の国の偉人-世界が認めた孤高の天才数学者-」の特集記事が掲載されていましたが、ウェブ記事にはなかったので、主催者のウェブ情報<明治大学・和歌山県連携講座 岡潔シンポジウム>で講座の趣旨や講師の方々が紹介されています。

 

その講座の趣旨では

<岡潔(1901-1978)は、日本が生んだ偉大な数学者です。>とありますが、数学のむずかしい理論のため素人にはちょっと敷居が高いですね。

もう少し引用すると岡潔氏は、<パリへ留学。そこで生涯の研究分野を「多変数解析函数論」と心に決め帰国。以来研究に没頭し、約20年もの歳月をかけて未開の領野を開拓する重要な数学理論を一人で構築しました。>ということで、日本学士院賞、文化勲章を受賞しています。

 

で、私にはここまではさっぱりわかりませんが、<晩年は、自然と共に生きてきた日本人の中にある「情緒」の重要性を訴え、日本の未来に警鐘を鳴らす箴言(しんげん)を数多く残しました。>の部分についてはいくつかの書籍を少し読み、ほんのさわりに近づいたかなという程度です。

 

<本シンポジウムでは、和歌山県紀見村(現橋本市)で情緒を育み、数学研究において前人未踏の業績を残した偉大な世界的数学者「岡潔」の功績を顕彰します。>ということで、和歌山県知事が講師の一人で、橋本市長が挨拶をしています。

 

橋本市は、岡氏を郷土の偉人として、その偉業を顕彰し、記念館の設置を計画しているとのこと。さらに「算数・数学のまち橋本」の実現を目指しているようです。

 

イチローの偉業と比べる話ではありませんが、岡博士の偉業「多変数解析函数論」は高度すぎて一般にはなじみにくいですが、私からすると、著名な専門家がその業績を高く評価するくらいですから、私も右に同じでよいかくらいに思っています。

 

ただ、小林秀雄との対談『人間の建設』では、冒頭、小林が大文字焼き(がよく見える場所として)とりあげたところ、岡は「私はああいう人為的なものには、あまり興味がありません。小林さん、山はやっぱり焼かないほうがいいですよ。」という断言があり、見事な達観と恐れ入ります。まあ別には私がこの意見に賛同するわけではありませんが、見切り方が竹を割ったようで、切れ味の鋭さを感じさせてくれます。その後もその連続ですが。

 

今日は(いや、「も」、でしょうね)わけのわからない話となりました。この辺でおしまい。また明日。

補筆

 

このテーマを選んだときなにか思い出したものがあったのですが、書いているうちに忘れてしまいました。今朝思い出したので少し補筆します。

 

イチローの生き方を垣間見ながら、岡・小林対談で通じるものを感じたのです。

岡博士は「人は極端になにかをやれば、必ず好きになるという性質を持っています。好きにならぬのがむしろ不思議です。・・」と。これに対する小林の対話がおもしろい。野球の選手の例がイチローを彷彿させます。「だんだんむずかしい球が打てる。やさしい球を打ったってつまらないですよ。ピッチャーもむずかしい球をほうるのですからね。」と。つまりといって「やさしいことはつまらぬ、むずかしいことが面白いということが、だれにでもあります。」と人の本質に迫ります。これって、まさにイチローではないでしょうか。イチローは日々同じことをルーティーンで行っているそうですね。好きだからといってよいでしょうし、難しいことに挑戦することに面白さを感じているからではないでしょうか。そういった日々の鍛錬を苦にもしない(他人が思うほど?)のではないでしょうか。

 

それは古武士、いやいや日本の農家が持っていた矜恃ではないでしょうか。岡氏は郷土の偉 

というわけですが、300年以上前当地学文路(かむろ)で農家に生まれ、日本の農業土木技術者として多大な治水利水事業を行った大畑才蔵の一生もそのようなものであったように思えるのです。橋本市長が算数、数学のまちとして標榜していますが、算術を大河川灌漑事業の中でいかしたり、年貢徴収の合理的な算定方法を提案する中でいかしたり、そのすぐれた才はいかなく発揮されています。そして彼は名利を求めず、働くことはハタがラクになることと思って、合理的な暮らしのあり方、農業のあり方、行政のあり方を常に考え続けるとともに、生涯、一百姓として全うしたように思うのです。私の思うこの偉人を丁寧に追っかけてみたいと思うのです。


 


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