たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

デモクラシーとは <NHK「独裁者ヒトラー 演説の魔力」>などを見ながら

2019-03-13 | 戦争・安全保障・人と国家

190313 デモクラシーとは <NHK「独裁者ヒトラー 演説の魔力」>などを見ながら

 

演説や講演の上手な人を見るとうらやましく感じることがあります。聴衆を惹きつける魅力が声の調子や手振り身振りに間の具合、もちろんその内容そのものにあるのでしょう。

 

視覚や聴覚に障がいがある人の場合、前段は必ずしも有効ではないかもしれません。といっても視覚障害だと聴覚が優れている人が多いかもしれません。声の調子に余計魅了されるのでしょうか。結局は、内容自体がどれだけ納得できるものかにかかっているように思うのですが、どうでしょう。

 

ちょっと余談になりますが、毎日今朝の記事<ひと松田崚さん=聴覚障害者の法律相談を担う>が掲載されていました。聴覚障害があると、日常生活でも大変なのに、手話を学ぶ環境でなかったにもかかわらず、筑波大に合格し、さらに司法試験をパスしたというのですから、凄いですね。以前、このブログかfbでも紹介しましたが、40年くらい前、視覚障害の方が司法試験を目指されていて、仲間がその勉強を手伝い、その後合格され、日弁連でも障がい者や生活困窮者などの救済のため幅広い活躍をされています。松田氏も聴覚障害というこれまであまり注目されてこなかった分野にもその立場に立って活躍されることを期待したいです。

 

実はもう少しこの松田氏のことや聴覚障害について触れたいと思っていたのですが、今朝のNHKおはよう日本のある放映を見て、録画していたのを昨夜見た<BS1スペシャル「独裁者ヒトラー 演説の魔力」>を少し考えることにしたのです。

 

まずはヒトラーの演説です。たしかに力強く、ある種の説得力を持つことは確かです。ナチス党の党員集会でしたか、その数に圧倒されますが、すべてが熱狂的にヒトラーの演説に同調しています。感動しているようにも見えます。一種の催眠状態に陥っているようにすら見えます。

 

なぜかといいますと、NHK取材班が行ったのでしょうか、彼の演説の中で「平和」という擁護が結構多用されていました。とりわけ異常に増加するのが2回ありました。戦争開始時とスターリングラード戦で大敗を喫したときだったと思います。いずれも平和を繰り返し強く訴え、と同時に自国を守るために戦うことを求めるのです(ちょっとこの要約は正確ではないかもしれません)。

 

演説の具体的な内容や詳細はわかりません。でもヒトラーの演説の断片をきいていても、とても説得力があるとか、魅了されるといった風に思えないのは、私の理解力不足でしょうか。あるいは当時の欧州や世界情勢を踏まえない、現在の平和ぼけした中にいるからでしょうか(そういういい方をする人がいるかもしれませんので)、あるいは第二次大戦の敗北、占領を経たからでしょうか。

 

とりわけ不思議に思うのは、当時のドイツ国民は、思想をヒトラーによってかナチス党によってか、どんどん植え付けられていったようです。第二次大戦の勃発となったポーランド侵攻も、彼らが劣る民族と蔑視し、さらにソ連侵攻もスラブ民族がそうだと決めつけ、国内ではユダヤ人を差別し強制収容所に送り大量虐殺しています。

 

私にはヒトラーの演説に歓喜するドイツ国民の姿がどうも理解できません。番組が言うほどに演説に魔力があったとも思えないのです。ワイマール憲法下で民主政治が始まったドイツで選挙を通じて小さな政党に過ぎなかったナチス党が異常に拡大したのはすでにたくさんの研究で論じられていることと思います。

 

私の一面的な見方ですが、当時のドイツ国民は第一次大戦で敗戦国として不当な仕打ちを受けたといった被害者意識が強かったのではないかと思うのです。そのような意識をうまく利用したのがヒトラーではなかったのかと思うのです。そしてわが日本人も付和雷同するといった国民性を揶揄されますが、それは多かれ少なかれどの国民ももっているように思えます。内容如何ではなく、ある段階になると、批判できなくなる、とりわけ自分が所属する地域、国の利益に関しては、一つの意見が大勢を占めると批判的な見方ができなくなるのではないかと思うのです。

 

デモクラシーを説いた?独立宣言の国、アメリカでもトランプ氏の主張に内容はともかく付和雷同しているように思えるのです。ただ、対立軸が成立しているので、まだ怪しい状況ではあってもこれもデモクラシー?かなと思ったりします。

 

ところで、いろいろ書いてきましたが、なにより驚いたことがありました。それはヒトラー時代に熱烈支持した当時の10代の方々(ヒトラーユーゲント)が現在90代前後で、NHKのインタビューに応じて発言されたことばです。

 

いまなお当時の行動に間違いがなかったといった趣旨の発言であったと思います。自国のためにとった行動で正しかったと思っていて、ヒトラーへの批判もなかったと思います。それは取材を受けたすべての人ではありませんでしたが、私には大半がそのように思えました。敗戦し、国土が焦土となり、東西分裂の悲惨な運命を辿ったドイツ国民ですが、それでもそのような思いをもっているということに、ヒトラーと言うより、当時のドイツの国民性になにか言いしれぬ脅威を感じます。

 

他方で、わが国はというと、終戦の日を境に、がらっと一変して、誰もが戦争を、軍部を批判しました。これだけ意識を瞬時に変えられる国民性?も不思議に思えますが、一定の人は戦争に批判的でしたでしょうから分かりますが、その他は付和雷同組か、洗脳されていたのでしょうか。

 

そこでNHKおはよう日本で今朝紹介された、岡原少将という方の話に移ります。彼は演説が上手で、生涯たしか1400回の演説を行ったとのことでした。むろん戦争奨励、戦うことを啓蒙する内容です。

 

彼の演説はたしか写真だけだったように思いますが、演説の草稿みたいなものが残っていて(あるいは誰かの聴取メモ?)、笑いを誘って聴衆の心を捉えることが上手だったようです。ただ、ヒトラーのような扇動して聴衆に歓喜を起こさせたり(まあそうしかけているようにも思えますが)して、洗脳すると言うよりは、切々と語るような感じでしょうか。

 

彼は戦後も子や孫との生活を供にしたようですが、一度も戦争のことを語ることなく、静かに生涯を閉じたそうです。自分の行ったこと(演説により大勢が軍人となり戦地に散ったりしたでしょう)に語れない思いがあったのではないでしょうか。

 

デモクラシーとはなんでしょうね。ギリシアで生まれ、演説・討議で徹底した議論を積み重ねて結論に至り、多数で決するも、少数の立場に配慮するとも言われていたような記憶です。

 

いかにうまい演説でも、異なる意見や対立する議論が生まれないような状況では、いかがなものでしょう。少数や異なる立場、民族などを差別視して、一方的にその立場を否定したり、冷遇するのはデモクラシーの基本に悖るのではないかと思うのです。

 

そんなことをふと考えた番組でした。今日はこの辺でおしまい。また明日。


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