190405 ミヤコワスレ <都忘れの花言葉>と<ゴーン前会長 不正送金>
都忘れの花は、今年、2度手に入れました。すでに事務所に飾ってあるのを忘れてしまい、また買ってしまったのです。可憐な感じですが、温和しいせいか?ついその存在を気づかないこともあります。世の中にはそういう存在は結構ありますね。それは相対的な意味で、どこにでもあるように思うのです。私もそういう風にみられる場合もあるわけですし、誰もがありうるでしょうね。
都忘れの花言葉について<ミヤコワスレの花言葉>では、<「しばしの慰め」「別れ」>とのこと。その由来については、<承久の乱(1221年、後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して討幕の兵を挙げて敗れた兵乱)にて佐渡へ流された順徳天皇がこの花を見ると都への思いを忘れられると話されたことに由来します。>というそうです。
でも品種としては、現在のものは鎌倉期のものではないようですね。まあ、花言葉自体、どこかから引っ張ってくるのでしょうから、それに感応すればいいわけですね。
で、承久の乱の首謀者(犯罪者みたいでよろしくないですね)としてだけでなく、歴代天皇の中でも、後鳥羽上皇といえば知らない人がいないほどですが、同じく遠島処分になった順徳天皇となるとあまりイメージがわかないですね。天皇といっても乱当時、20代初めでしたか、やはり上皇の権威で動かされていただけだったんでしょうね。なんとなくその存在も軽いイメージです。
後鳥羽上皇は隠岐の島、順徳天皇は佐渡島にそれぞれ別れさせられ、流罪となったのですね。当時は死刑がなく、遠島が一番の極刑だったようですね。そういえば法然と親鸞も同様に別々に遠島処分になりましたね。それを言い渡したのが後鳥羽上皇ですから、因果応報というわけでもないですが、なにか因縁を感じます。
ところで、順徳天皇が佐渡で、父・後鳥羽上皇を偲んで多くの和歌を詠んでいますね。この花言葉では、ミヤコワスレを見て<しばしの慰み>とか<別れ>を偲んだのが都のことだということですが、そんな歌があったのでしたか。
<順徳天皇>ではその歌の一部が掲載されていますが、<『順徳院御百首』(1232年)>として<佐渡で自選した歌集。藤原定家と隠岐の後鳥羽院に送り、合点を求めた。定家の評が残っている。>というのですから、親鸞のように流罪となり俗人以下扱いとは明らかに違いますね。のどかとみるか、わが国の権力闘争にもたおやかさをかんじさせてくるものがあるのでしょうかね。
その一部、次のような歌には、深い思いがあるのでしょうか、私にはおぼろげにもみえてきそうにないのですが。でも孤高の香りを感じさせてくれるような、そんなところが日本人の心証形成に資してきたのかもしれません。
夢さめてまだ巻きあげぬ玉だれのひま求めてもにほふ梅が香
人ならぬ石木(いはき)もさらにかなしきはみつの小島の秋の夕暮
ところで、今朝の毎日記事<不正送金、ゴーン前会長側にメール報告 オマーンから 特捜部4度目逮捕>を見ると、ゴーン氏は世界的大企業を擁立してきた凄腕経営者と評価されていますが、なんとも情けないような心根を感じるのは私だけではないように思います。
むろん弘中弁護人という強力な弁護団がいますので、検察側も有罪に持ち込むのは大変でしょうね。だいたい、送金額が合計で16.9億円、不正送金が合計5.6億円と、その金額だけいえば巨額ですが、その具体的な使途は判然としません。たしかクルーザーも価格は15億円とかで、その一部に充てたとか、あるいは子どもの学費とか、その内容がいろいろで、どうも脈略がはっきりしません。
とはいえ、子会社、販売代理店、投資会社(ペーパーカンパニーですか)、さらに妻の経営する会社とかに資金が流れているなど、資金の流れがいかにもゴーン氏の多国籍という特殊性を自由に活用しているようです。それにしてもなにか超大企業群を率いていたカリスマ性はここには見えません。みっみちい感じがするのです。自分でこういう操作しなくても、そう命じた、あるいは少なくとも報告を受けていたでしょうから(それが不正かどうかは別にして)、あざといやり方だと思うのです。
そういったトップのいい加減な資金処理を放置する企業組織のあり方も問題でしょう。そういえば2000年代に入ってトップの杜撰な不正経理がなんども明らかにされましたね。その中で、個人の利益追求に走ったのは大王製紙のトップでしたか。本社、子会社いずれも取締役会など経営管理するべき組織が機能していませんでした。こんなひどい私的流用というか、会社資産の横領・背任といってよい事態を放置する組織がなぜ生まれたのかと思ってしまう状況でした。
それと同じことが日産でも起こったのでしょうか。少なくともわが国の会社法制度は企業トップをコントロールするようにはなかなかなり得ていないと思うのです。社外取締役を増やすことも一つの策ですが、それでも簡単には企業統治の意識が簡単には醸成できないのではないかと思うのです。
和歌には鮮烈な自己鍛錬と厳しい批判精神が必要なのだと思うのです。ところが、少なくとも戦後の会社制度では、そういった意識が生まれない中、巨大化したのではないかと思うのです。
ただ、日本人の経営者であれば、自己の報酬なり利益追求にひた走るという意識はあまりなかったように思うのです。たいてい同じ平の従業員から階段を一段ずつ登り、取締役、代表取締役になるわけで、一般社員や工場労働者の気持ちに心をくだき、自分の利益追求を図って会社の資産をどうこうしようといった考えは起こらないのが普通ではないかと思うのです。
しかし、ゴーン氏は、それが犯罪になるかどうかは別にして、そうではなかったように思えます。
後鳥羽上皇も、順徳天皇も権力掌握のために邁進しましたが、和歌のように澄んだ心根であったのではないかと勝手な解釈をしています。
今日はこれにておしまい。つまらない話におつきあいありがとうございます。また明日。
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